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Calender■カレンダー
10月25日(月) |
ハンナラ「李総理の謝罪がなければ施政演説を聞かぬ」 |
10月26日(火) |
<韓国>首都移転計画、規模縮小で模索か |
10月27日(水) |
米国務長官、対北朝鮮強硬路線で韓国に支持要請 |
10月28日(木) |
靖国参拝中止求め決議案 韓国与党議員が推進 |
10月29日(金) |
政府与党、非正社員保護法案に合意 |
10月30日(土) |
イ首相のハンナラ党非難発言で国会空転 |
Government■政府、政党
ハンナラ総理解任案検討、「政局急冷」
国会の答弁で、李海鑽国務総理がハンナラ党に対して「チャテキ党」(車で政治資金をもらったことを比喩する意味)の発言で政局が急冷し、対政府質疑など今後の議事日程が不透明となった。
ハンナラ党は李総理解任・罷免決議案 提出など強硬な態度にまわって、これに対抗してウリ党は退く態度を見せずにいて、今後の政局が不透明になった。
しかも、5日間の対政府質疑以後の定期国会でウリ党は「4大改革法案」の処理を公言していて、ハンナラ党は「4大悪法」として、撤回を主張している。 政局はより一層硬直する兆しを見せている。
ハンナラ党院内首席副代表は、この日 午後国会でブリーフィングを持って、 総理の発言に対して「野党を刺激し、国会を不均衡にさせる政略的な発想」とし、「与野を泥沼にに追い込もうという先頭に総理が立っている」と非難した。
副代表は私見であることを前提に、総理の辞退を主張して、「総理がハンナラ党を認めないように私もやはり総理を認めない」と話した。 ハンナラ党の今後の日程と関連し、ナム副代表は "現在では明日の対政府質疑に出席することがむずかしい」としながら、29日午前院内代表団会議を通し、最終的に決定すると明らかにした。
一旦、28日対政府質疑を拒否したハンナラ党は、当初の謝罪要求から、なお一層閣僚解任建議案または公職辞退勧告決議案を提出しようという声が大きくなった状況。
ハンナラ党は昨年9月、憲法63条に規定された「閣僚解任建議案」を利用し、金ドカン当時の行政自治部長官の解任を貫徹させたことがある。
党内では「総理解任案を押し通さなければならない」という意見が支配的だが、「共存の枠組を破ってはならない」という穏健論も少なくない。
Mass■世論、市民運動
金容沃氏の「憲法裁判批判」原稿にネチズンらが2千4百万ウォンクリック
韓国のネチズンらがインターネット・ジャーナリズムの新しい歴史を書いている。 ネチズンが金容沃(キムヨンオク・中央大大学院教授)にあたえる「良い記事原稿料」が2千万ウォンを越えた。
28日午後2時15分現在2075名の<オマイニュース> 読者らが金容沃の「憲法裁判所批判」文に原稿料1017万4千ウォンを自発的に寄付した。(記事で原稿料寄贈をクリックすればお金がたまる) 憲裁の行政水道移転特別法違憲決定を 批判した金容沃の最初の文が26日午前 <オマイニュース>に載せてからである。
<オマイニュース>が2000年2月、創刊と共に「よい記事に原稿料基増」を用意した以後、最高の記録だ。 これは世界のどんな言論でも見られなかった初めてのことである。
読者が自発的に良い記事を発掘し、その意味を育てて拡散するのに、一銭二銭をポケットから出して払っているのである。
あるネチズンは、「憲法裁判の違憲判決でふさがった胸がパン〜と開いた」と書いている。
現在韓国のネチズンから反響を呼び起こしている金容沃氏の記事は、韓国の憲法裁判所の「首都移転違憲」判決に対する反論を明快な論理で主張している。
記事参考
http://www.ohmynews.com/articleview/article_view.asp?no=193466&rel_no=1
「10月22日は憲政史の恥辱の日」、天安で憲法裁判所糾弾集会続く。
憲法裁判所の新行政首都移転に関する 違憲判決を糾弾して、新行政首都建設の続行を促す集会が大田、延期で開かれたのに続き、天安でも30日に初めて 開催された。
30日午後4時、天安市では、自治分権忠南連帯と忠南自治分権研究所の共同主催で、「中断がない新行政首都建設要求と憲法裁判所の違憲判決糾弾大会」が開かれた。
ノミンホ・自治分権連帯の事務処長の 社会で開かれたこの日の糾弾大会では 違憲判決を下ろした憲法裁判所をはじめ、新行政首都の意味を歪曲報道した 朝鮮日報、東亜日報、李明博ソウル市長、ハンナラ党、江南既得権層を行政首都の五賊として規定、糾弾の熱気が 熱かった。
特に、糾弾大会に参加した百余命の市民らは新行政首都建設と関連し、歪曲・偏向報道を恣行する朝鮮日報に対する抗議表明で、朝鮮日報を底の尻に敷いた。
シントクヨン・忠南自治分権研究所理事長は大会辞を通し、「過ぎた10月22日は憲政史にもう一度恥辱の日として 記憶されること」とし、「憲裁の判決を憲法クーデター」と規定した。
シン理事長は続き、「憲法の権力を乱用、国家基盤を揺るがす憲法裁判所を 国民が直接正さなければならない」と話した。
NorthKorea■朝鮮の動向
北朝鮮 「何故、私達が南侵するか?」 抗弁
北朝鮮の労働新聞は30日、「米国なしに我々どうしで生きていこう」との題目の論説を掲載した。
題目で見られるように南北が協力して 協調すれば米国に期待しなくても、平和で幸福で充実な生活ができるというのがこの論説の基調である。
だが、目を引いたのはいわゆる「北朝鮮威嚇説」に対する率直な立場の表明だった.
従来北朝鮮は「何の北威嚇説」「ありもしない威嚇説」などで、北朝鮮の威嚇説そのもの事態を否定したが、この日は異例的に相当な分量をもって、この北朝鮮からの威嚇説に対して率直に 表現した。
労働新聞論説は、まず「<北の威嚇>ということは一抹の幽霊にすぎない」と 断言した後、「一つの血筋を分けた同族である北と南の間には、お互い威嚇して戦わなければならない何らの理由もない」と話した。
続き、「われらは北と南がお互いに相手方の存在を認めて尊重すべきことを 継続して明言して来た。」としながら 具体的な事例を挙げた。
"北と南間の不可侵に関する協定を主張し締結するようにしたことも、私たち 北の方である」 民族共同の統一概綱ねである7・4南北共同声明と、6・15南北共同宣言が採択された所も他でもない平壌であることを誰が否定することができるだろうか。 それでもまだ「北の威嚇」を主張するものがいれば、私たちの公明正大で平和的な連邦制統一方案を注意深くみなさい。 それでも北の平和意志を疑う者等があるならば、北と南が交流する金剛山と 開城工業地区にきて見よ。"
事実がこうであるにも、何のゆえに北の平和意志を疑って、さらに南侵する 機会だけ覗くという『北の威嚇説』、『北の南侵説』にすがるのか」と強調した。
論説は「米国がいなければ経済と『民生』が亡びるということも、人々を驚かせるための嘘」である」としながら、「米軍が帰るからといって不安に思うこともなくて、恐れることもない。
米軍が行けば北と南はお互いに戦わないで、私たちの民族間で平和で和睦にすごすことができる」と主張した。
これは、私たちの民族間で協力すれば 米国に依存しないで経済的繁栄を成し遂げることができるという態度である。
第57号 2004年11月01日 金容沃氏の「憲法裁判批判」原稿にネチズンらが2千4百万ウォンクリックく
第56号 2004年10月25日 「行政首都移転違憲審判」抗議、住民の集会続く
第55号 2004年10月18日 龍山基地移転、強行するのか
第54号 2004年10月11日 市民会議、原子力発電の新規建設の中止を要求
第53号 2004年10月04日 保守勢力、
「国家保安法廃止反対」集会に10万結集
第52号 2004年09月27日 福祉-国防費増額で来年予算2百兆ウォン突破
第51号 2004年09月20日 国家保安法廃止をめぐる左右の対立激化
第50号 2004年09月13日 イキョンへ追悼1周期、井邑(ジョンウプ)でコメ開放反対農民の激烈デモ
第49号 2004年09月06日 現職大統領としては始めての'国家保安法廃止論'主張
第48号 2004年08月30日 米国、中国とのコメ交渉、関税化か関税猶予化か
第47号 2004年08月23日 韓-米、龍山基地移転合意、駐韓米軍縮小問題は難航
第46号 2004年08月16日 「祖国統一から派兵撤回」まで、
8.15大規模反戦集会、警察と激しい衝突
第45号 2004年08月09日 <中韓関係>高句麗めぐる歴史論争再燃
第44号 2004年08月02日 ウリ党、「真実・和解・未来委員会」(仮)構成を推進
第43号 2004年07月26日 大法院、「宋斗律ベルリン大学教授、無罪」宣告
第42号 2004年07月19日 盧大統領「北応答の報告欠落」再調査指示で波紋
第41号 2004年07月12日 派兵反対国民行動,ライス訪韓反対集会、「ライスは戦争狂であり戦犯」
第40号 2004年07月05日 「非転向長期囚『疑問死-民主要人認定」論議沸騰
第39号 2004年06月28日 金鮮一(キムソンイル)氏追慕反国民キャンドル集会、1万5000余名参加
第38号 2004年06月21日 行政首都移転をめぐって与・野党攻防
第37号 2004年06月14日 反世界経済フォーラム(WEF)アジア会議抗議、日本市民など1万余名参加
第36号 2004年06月07日 駐韓米軍縮小交渉公式開始
第35号 2004年05月31日 移住労働者集会、強圧的な取締りと強制追放に抗議
第34号 2004年05月24日 良心的兵役拒否「無罪宣告」、国防部・検察反発
第33号 2004年05月17日 盧武鉉大統領弾劾棄却…職務復帰
第32号 2004年05月10日 「弾劾審判」宣告切迫…憲裁「激論中」
第31号 2004年05月03日 114周年メーデー行事、非正規的差別の撤廃声高い
第30号 2004年04月26日 政府、まず北朝鮮に百万ドルの生必品と医薬品支援
第29号 2004年04月19日 民主労働党、「イラク派兵撤回推進」、17代国会の初の争点として浮上
第28号 2004年04月12日 揺れるウリ党支持「一日1.5%ずつ下落、ソウル-嶺南接戦」
第27号 2004年04月05日 追い風民主労働党…
社会団体関係者相次いだ支持表明
第26号 2004年03月29日 「弾劾無効」
最後の光化門ろうそく集会、8万人参加
第25号 2004年03月22日 「書き直した韓国民主主義の歴史」
第24号 2004年03月15日 「弾劾無効-民主守護」デモ、全国で「ろうそく示威」行進
第23号 2004年03月08日 2野党、大統領の弾劾推進
第22号 2004年03月01日 首都圏で総選挙勝負
第21号 2004年02月23日 盧大統領就任1周年世論調査、「間違った」
42.2%、「良くやった」13%
第20号 2004年02月16日 扶安(ブアン)、核廃棄場の住民投票「反対
91.8%」
第19号 2004年02月09日 総選挙連帯、非推薦名簿66人発表
第18号 2004年02月02日 「働き口を創出するために社会的大妥協、2月中旬まで推進」
第17号 2004年01月26日 国連、北への食糧救護2〜3月中に中断危機
第16号 2004年01月19日 民主労総、新任委員長にイスホ氏選出
第15号 2004年01月12日 民主労総次期委員長選挙、終盤の接戦
第14号 2004年01月05日 15日、「2004総選挙ムルガリ国民連帯発足」、落選運動から当選運動に発展
第13号 2003年12月29日 市民団体、政治改革案改悪非難
第12号 2003年12月22日 19日、汝矣島で「民間人虐殺真相糾明 統合特別法争奪大会」
第11号 2003年12月15日 盧大統領、「不法資金、ハンナラ党の10%を越えれば辞退」
第10号 2003年12月08日 緑色連合、「盧武鉉政府の環境点数はF点」(環境専門家2百20人の調査結果発表)
第09号 2003年12月01日 「イラクで韓国人2人被殺、2人負傷」、NSC緊急対策会議招集
第08号 2003年11月24日 「全国の関心が扶安郡の反核ろうそくに集中している」
第07号 2003年11月17日 ラムスペルド・米国防長官、「駐韓米軍、韓半島以外の地域投入も可能」
第06号 2003年11月10日 5万人、全国労働者大会後、火炎瓶デモ 『損害賠償訴訟、仮差押さえ等の撤回要求』
第05号 2003年11月03日 『胸には '謹弔' リボン、 手には「仮差押さえ禁止」』
第04号 2003年10月27日 『派兵反対 7大国民行動計画、5大行動指針発表』
第03号 2003年10月20日 『イラクに対する侵略宣言で、アメリカに対する屈従の告白』
第02号 2003年10月13日 盧武鉉大統領、「再信任の国民投票は12月15日前後実施」
第01号 2003年10月06日 ソウルの竜山米軍基地、来年初から本格的な移転推進
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