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<韓国>盧大統領の弾劾判決、14日に言い渡し |
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<韓国憲法裁>盧大統領の弾劾棄却 2カ月ぶり復権 |
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<韓国大統領>職務復帰で談話 与野党対立の解消を約束 |
Government■政府、政党
盧武鉉大統領弾劾棄却…職務復帰
憲法裁判所が歴史的な盧武鉉大統領弾劾審判事件宣告で「棄却」決定を下した。
これに伴い、盧大統領は職務停止64日ぶりに大統領業務に復帰するようになったし、ハンナラ党と民主党は無理な 弾劾で国政を混乱させたという批判から避けられないようである。
憲裁は14日午前10時、ソウル鍾路区憲法裁判所で、大統領弾劾審判最終宣告を下した。
憲裁は宣告で、「大統領の法違反が憲法秩序に及ぼす効果を総合してみれば、大統領の具体的な法違反行為を憲法秩序に逆行しようとする積極的な意思で認めることができなくて、自由民主的基本秩序に対する威嚇として評価出来ない」としながら、「この審判請求は弾劾決定に必要な裁判官数の賛成を
得られなくて棄却する」と判決した。
尹ヨンチョル憲裁所長は判決理由で、 国会の弾劾訴追手順の違法性と関連して、「国会の弾劾訴追手順は国会と大統領という憲法機関間の問題で、憲法に明示した『適法手順の原則』を弾劾訴追手順に適用出来なくて、
(憲法に) 背反になったという被請求人の主張は 理由がない」と明らかにした。
憲裁は弾劾事由の核心の争点になった、選挙法違反に対して、「大統領が記者会見などで特定政党支持発言をしたことは公務員として選挙中立を義務化した公選法を違反したこと」として判決した。
しかし、「言論社などの記者会見発言は政党の候補者が決定されなくて特定 候補を支持する意思がなかったし、記者の質問に返答の形式で受動的で非計画的に行なわれたこと」とし、「大統領の発言で選挙運動に向けた能動的要素と計画的要素を認めることができない」としながら、事前選挙運動違反事由を棄却した。
また、憲裁は弾劾事由として提起された側近不正と関連し、「サンアンムン 事件などは大統領就任前の事件で、弾劾事由の範囲に該当しないし、側近不正も大統領が指示・ほう助したか、その他不法的に関与したという事実が認定出来ない」としながら、「訴追理由
ない」と却下した。
憲裁はまた、「政治的無能力や政策決定上の誤ちなど職責隨行の誠実さの問題は、その自体として訴追事由になり得ない」としながら、経済及び国政破綻と関連した弾劾事由も棄却した。
これと共に憲裁は、大統領再信任関連 発言は、盧大統領が憲法上国民投票の 権限を乱用したと違憲性を指摘したし、選管委決定に対して「官権選挙時代の遺物」に貶下したこと等は大統領として憲法と法律を守護する義務を違反したものと判決した。
盧大統領復帰談話、
「改革による成長」に重さ、財界「構造改革」緊張
盧武鉉大統領が15日、職務復帰以後初めて「対国民談話」を通し、当面した 民生経済問題を放置しなくて、経済活性化に強い意志をみせた。
盧大統領はまた、自身が構想する経済 回生の方法は「成長優先論」ではなく、「改革による成長」という点もはっきりした。
盧武鉉大統領対国民談話要旨
◇謝罪と反省=弾劾に達しなかったが、政治的、道義的責任を感じる。謝罪とともに、警戒する鞭として大事に保管する。
◇政治改革=安定した政治と行政の土台の上で秩序を持って推進するが、前に立つよりは、後押しすることに専念する。
◇社会葛藤=当面の成果に急いでなくて、原則と信念を持って、重心を取って 安定を維持し、変化と改革も一貫して 推進する。
◇共存の政治=相手を尊重し、対話と妥協の文化を作る。正々堂々に勝負して、結果を認める民主主義文化を作る。
◇経済改革=潜在的な成長力の培養のために基礎体力づくりに集中する。技術革新と人材養成、市場改革をして、経済の足首を捕まえる不条理を整理し、透明で公正な市場の土台を作る。
◇経済危機診断=耐えられられない程ではない。意図的に危機を拡大して、国民不安を助長することはなしにすべきだ。難しい時であるほど原則に充実でなければならない。
「米国よ、もう人を殺すな」
14日夜、「派兵撤回平和コンサート」に1千余のろうそくあかり
2002年秋、駐韓米軍装甲車に無惨に犧牲になった中学生ヒョスン−ミソンの冥福を祈って、駐韓米軍問題点の再認識を開始したろうそく集会は、3・12大統領弾劾糾弾ろうそく集会に続き、今回はイラク派兵反対、戦争反対ろうそく集会でまた盛りあがった。
3百51個の市民社会団体らが参加した「イラク派兵反対非常国民行動」は14日 午後7時、光化門で開かれた「追加派兵反対ろうそく集会及び平和コンサート」を開催した。
この日のろうそく集会は「派兵撤回」という深刻な政治的主題を、「平和コンサート」という方式で構成、一つの 祝祭の場として企画された。
行事を主催した「イラク派兵反対国民行動」 関係者は「平日夕方なので市民社会団体等の組織的参加を無理に推進しなかった」が、「一千名程度の人々が集まった」と予想以外の参加に満足した。
民主連帯のジョンカンフン議長は「アメリカよ、もう人を殺すな」などと叫び、参加者から厚い拍手を浴びた。
午後8時、派兵撤回ろうそくは市民と共にソウルの空をもう一回明かした。
NorthKorea■朝鮮の動向
北朝鮮祖平統「弾劾棄却は南朝鮮人民の審判」
第33号 2004年05月17日 盧武鉉大統領弾劾棄却…職務復帰
第32号 2004年05月10日 「弾劾審判」宣告切迫…憲裁「激論中」
第31号 2004年05月03日 114周年メーデー行事、非正規的差別の撤廃声高い
第30号 2004年04月26日 政府、まず北朝鮮に百万ドルの生必品と医薬品支援
第29号 2004年04月19日 民主労働党、「イラク派兵撤回推進」、17代国会の初の争点として浮上
第28号 2004年04月12日 揺れるウリ党支持「一日1.5%ずつ下落、ソウル-嶺南接戦」
第27号 2004年04月05日 追い風民主労働党… 社会団体関係者相次いだ支持表明
第26号 2004年03月29日 「弾劾無効」 最後の光化門ろうそく集会、8万人参加
第25号 2004年03月22日 「書き直した韓国民主主義の歴史」
第24号 2004年03月15日 「弾劾無効-民主守護」デモ、全国で「ろうそく示威」行進
第23号 2004年03月08日 2野党、大統領の弾劾推進
第22号 2004年03月01日 首都圏で総選挙勝負
第21号 2004年02月23日 盧大統領就任1周年世論調査、「間違った」 42.2%、「良くやった」13%
第20号 2004年02月16日 扶安(ブアン)、核廃棄場の住民投票「反対 91.8%」
第19号 2004年02月09日 総選挙連帯、非推薦名簿66人発表
第18号 2004年02月02日 「働き口を創出するために社会的大妥協、2月中旬まで推進」
第17号 2004年01月26日 国連、北への食糧救護2〜3月中に中断危機
第16号 2004年01月19日 民主労総、新任委員長にイスホ氏選出
第15号 2004年01月12日 民主労総次期委員長選挙、終盤の接戦
第14号 2004年01月05日 15日、「2004総選挙ムルガリ国民連帯発足」、落選運動から当選運動に発展
第13号 2003年12月29日 市民団体、政治改革案改悪非難
第12号 2003年12月22日 19日、汝矣島で「民間人虐殺真相糾明 統合特別法争奪大会」
第11号 2003年12月15日 盧大統領、「不法資金、ハンナラ党の10%を越えれば辞退」
第10号 2003年12月08日 緑色連合、「盧武鉉政府の環境点数はF点」(環境専門家2百20人の調査結果発表)
第09号 2003年12月01日 「イラクで韓国人2人被殺、2人負傷」、NSC緊急対策会議招集
第08号 2003年11月24日 「全国の関心が扶安郡の反核ろうそくに集中している」
第07号 2003年11月17日 ラムスペルド・米国防長官、「駐韓米軍、韓半島以外の地域投入も可能」
第06号 2003年11月10日 5万人、全国労働者大会後、火炎瓶デモ
『損害賠償訴訟、仮差押さえ等の撤回要求』
第05号 2003年11月03日 『胸には '謹弔' リボン、
手には「仮差押さえ禁止」』
第04号 2003年10月27日 『派兵反対 7大国民行動計画、5大行動指針発表』
第03号 2003年10月20日 『イラクに対する侵略宣言で、アメリカに対する屈従の告白』
第02号 2003年10月13日 盧武鉉大統領、「再信任の国民投票は12月15日前後実施」
第01号 2003年10月06日 ソウルの竜山米軍基地、来年初から本格的な移転推進
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