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韓国与党、北朝鮮問題で米国にイラク戦争での過ち回避求める |
6月22日(火) |
「東アジア共同体」実現で一致=中国・ASEAN外相会議 |
6月23日(水) |
【韓国】イラク人質男性、殺害される |
6月24日(木) |
6カ国協議 北京で開幕 米朝両国の新提案が焦点 |
6月25日(金) |
韓国国家安全保障会議、イラク人質殺害事件への対応を検証 |
6月26日(土) |
<6カ国協議>議長声明で閉幕 早期に非核化の第一段階措置 |
Government■政府、政党
与野党、金鮮一(キムソンイル)氏被殺事件真相糾明のための国政調査合意、30日から1ヶ月
ウリ党の李鍾杰院内副代表とハンナラ党の南景弼院内首席副代表は、27日、 「イラク内でのテロ集団による韓国人被殺事件関連真相調査特委」を構成することに合意して、まず、特委内に「イラク真相調査団」を構成し、イラク
現地調査活動から着手することにしたと発表した。
与野党は、調査対象機関には、外交通商部、国家情報院、国防部、国家安全保障会議(NSC)、駐イラク大使館などを含めると発表したし、証人には政府関係者の他に、金泉号・カナ貿易社長、
イラク側と交渉に出た警護業者の関係者、AP通信関係者などが含まれるものと見られる。
一方、監査院は、AP通信記者のキムソンイル氏の拉致事実の問い合わせ電話の真相調査と関連し、外交部に韓国通信(KT)から通話内訳を要請し、提出するように要求したが、外交部の要請を
受けたKT側は「通信秘密保護法上、捜査機関が令状を発行して、公式的に要請してこそ資料が提出できる」と拒んだ。
キムソンイル氏事件以後、「派兵賛成 →反対」14.5%変化
「イラク追加派兵反対」56.4%
国民の過半数が「イラク追加派兵」に 反対しているという世論調査結果が出てきた。
MBCがコリアリサーチセンター(KRC)に 依頼し、25日(金)全国成人男女1089人を対象に電話世論調査を行なった結果、56.4%がイラク追加派兵に反対すると答えた。
賛成は40.7%。
特に、全体応答者の14.5%はキムソンイル氏の被殺事件を契機に派兵賛成から 反対へと意見を変えたことが現れた。
賛成から反対への立場変化は、女性、 光州/全羅地域、学生などの階層から 相対的に高かった。
金鮮一(キムソンイル)氏追慕反国民キャンドル集会、1万5000余名参加
僅か1月前に「弾劾撤回キャンドル」広場だった光化門に「派兵撤回」声が鳴り響いた。
26日夜、7時30分頃始まったキムソンイル追慕キャンドル集会は3時間余が過ぎた10時30分頃終わった。
この日の集会は、全国10余か所で開かれて、ソウルでだけで、1万5000余名が参加した。
参加者らは、「ブッシュ大統領のイラク戦争中断」「盧武鉉大統領の謝罪と 派兵撤回」などをひと声で叫んだ。
この日集会では、公演と各種パフォーマンス、市民が持ち出したピケなどで 多様な雰囲気が演出された。
特に、崔ミンヒ・民主言論運動市民連合事務総長の演説には多くの市民らは 拍手と喝采を送った。
崔事務総長は「大韓民国で国民役をすることは本当に骨を折る」と話し始めた後、「『反米』ならばどうかと述べた気概、弾劾に謝罪しないという度胸はどこへ行ったか」としながら盧武鉉
大統領の派兵意志を批判した。
警察は44中隊4400余名を光化門に配置し、万一の事態に対応したが、大きい衝突は起こらなかった。
キムソンイル氏の遺体、26日釜山医療院葬儀場に安置
キムソンイル氏の遺体が、26日夕方8時30分、釜山医療院葬儀場の安置室に安置された。
故金氏の遺体は、24日イラクを出発し、26日仁川空港と金海空港を経て故郷である釜山に到着した。
病院の前では、「イラク派兵反対釜山非常市民行動」会員500余名と一般市民など1000余名が殺到し、混雑した状況が続いた。
金氏の運柩車が到着すると、姉などの 遺家族らは運柩を握りしめて、泣き叫んだ。
金氏の遺体は太極旗で覆われて、儀仗隊の引導で、安置実に向かった。
NorthKorea■朝鮮の動向
3次6者会談、8項目の議長声明採択
第4次会談は、北京で「9月末開催」
第39号 2004年06月28日 金鮮一(キムソンイル)氏追慕反国民キャンドル集会、1万5000余名参加
第38号 2004年06月21日 行政首都移転をめぐって与・野党攻防
第37号 2004年06月14日 反世界経済フォーラム(WEF)アジア会議抗議、日本市民など1万余名参加
第36号 2004年06月07日 駐韓米軍縮小交渉公式開始
第35号 2004年05月31日 移住労働者集会、強圧的な取締りと強制追放に抗議
第34号 2004年05月24日 良心的兵役拒否「無罪宣告」、国防部・検察反発
第33号 2004年05月17日 盧武鉉大統領弾劾棄却…職務復帰
第32号 2004年05月10日 「弾劾審判」宣告切迫…憲裁「激論中」
第31号 2004年05月03日 114周年メーデー行事、非正規的差別の撤廃声高い
第30号 2004年04月26日 政府、まず北朝鮮に百万ドルの生必品と医薬品支援
第29号 2004年04月19日 民主労働党、「イラク派兵撤回推進」、17代国会の初の争点として浮上
第28号 2004年04月12日 揺れるウリ党支持「一日1.5%ずつ下落、ソウル-嶺南接戦」
第27号 2004年04月05日 追い風民主労働党… 社会団体関係者相次いだ支持表明
第26号 2004年03月29日 「弾劾無効」 最後の光化門ろうそく集会、8万人参加
第25号 2004年03月22日 「書き直した韓国民主主義の歴史」
第24号 2004年03月15日 「弾劾無効-民主守護」デモ、全国で「ろうそく示威」行進
第23号 2004年03月08日 2野党、大統領の弾劾推進
第22号 2004年03月01日 首都圏で総選挙勝負
第21号 2004年02月23日 盧大統領就任1周年世論調査、「間違った」 42.2%、「良くやった」13%
第20号 2004年02月16日 扶安(ブアン)、核廃棄場の住民投票「反対 91.8%」
第19号 2004年02月09日 総選挙連帯、非推薦名簿66人発表
第18号 2004年02月02日 「働き口を創出するために社会的大妥協、2月中旬まで推進」
第17号 2004年01月26日 国連、北への食糧救護2〜3月中に中断危機
第16号 2004年01月19日 民主労総、新任委員長にイスホ氏選出
第15号 2004年01月12日 民主労総次期委員長選挙、終盤の接戦
第14号 2004年01月05日 15日、「2004総選挙ムルガリ国民連帯発足」、落選運動から当選運動に発展
第13号 2003年12月29日 市民団体、政治改革案改悪非難
第12号 2003年12月22日 19日、汝矣島で「民間人虐殺真相糾明 統合特別法争奪大会」
第11号 2003年12月15日 盧大統領、「不法資金、ハンナラ党の10%を越えれば辞退」
第10号 2003年12月08日 緑色連合、「盧武鉉政府の環境点数はF点」(環境専門家2百20人の調査結果発表)
第09号 2003年12月01日 「イラクで韓国人2人被殺、2人負傷」、NSC緊急対策会議招集
第08号 2003年11月24日 「全国の関心が扶安郡の反核ろうそくに集中している」
第07号 2003年11月17日 ラムスペルド・米国防長官、「駐韓米軍、韓半島以外の地域投入も可能」
第06号 2003年11月10日 5万人、全国労働者大会後、火炎瓶デモ
『損害賠償訴訟、仮差押さえ等の撤回要求』
第05号 2003年11月03日 『胸には '謹弔' リボン、
手には「仮差押さえ禁止」』
第04号 2003年10月27日 『派兵反対 7大国民行動計画、5大行動指針発表』
第03号 2003年10月20日 『イラクに対する侵略宣言で、アメリカに対する屈従の告白』
第02号 2003年10月13日 盧武鉉大統領、「再信任の国民投票は12月15日前後実施」
第01号 2003年10月06日 ソウルの竜山米軍基地、来年初から本格的な移転推進
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