To establish peace and unclear-free North East Asia! |
Calender■カレンダー
8月09日(月) |
政府「高句麗史歪曲、現段階の外交的対応は一段落」 |
8月10日(火) |
北の核問題 5カ国の専門家、NYで意見交換 |
8月11日(水) |
<韓国>首都移転、燕岐・公州地域に最終決定 野党は反発 |
8月12日(木) |
<米国>元駐韓大使が極秘訪朝 |
8月13日(金) |
日本が個別補償を提案=正常化交渉、韓国が反対−KBS |
8月14日(土) |
韓国、分権型で国政運営へ 大統領集中制から転換 |
Government■政府、政党
[8・15祝辞] 盧大統領「包括的過去史真相糾明特委」提案
米、戦闘爆撃機20余台、来月から韓国配置
「祖国統一から派兵撤回」まで、
8.15大規模反戦集会、警察と激しい衝突
15日午前、延世大で鳴り響いた統一の 叫び声は午後には「派兵撤回」の声に 変わった。
イラク派兵反対非常国民行動(国民行動)と統一連帯は、この日午後3時から 光化門で「派兵撤回汎国民大会」を開いて、「亡国的韓米同盟反対」、「派兵強行盧武鉉政府糾弾」などのスローガンを叫んだ。
オジョンヨル・国民行動共同代表は「 イラク派兵を強行することによって平和を支持して侵略に反対するという憲法第5条はチリごみになってしまった。」と声を揚げた。
また、金ちゃんヒョン・民主労働党事務総長は、「8・15解放59周年は米国の強制占領59周年である」ことを想起させた後、「韓国が駐韓米軍の犯罪天国になったのに謝罪一言聞いたことがない」と批判した。
また、ベクジョンホ・韓総連議長も「 韓米同盟のせいで民衆の痛みが生まれた」としながら、「これを切らないと どんな不幸が迫るかわからない」と韓米同盟を強く批判した。
この日の大会には、日本から労組関係者と市民運動家らが参加し、注目を浴びた。日本の参加者は、「日・韓労働者連帯で米・日・韓軍事同盟解体」、「日・韓2政府はイラク派兵を撤回しなさい」、「天皇制の戦争責任糾弾」、「靖国神社解体」、「新自由主義教育政策反対」などが書かれた大きい紙を掲げた。
大会が終わった後、参加者らが駐韓米大使館へ行進しようとしたが警察はこれを阻止し、激しい衝突となった。
南単独で「8・15解放59周年記念民族統一大会」、一万名参加
光復節59周年を迎えた15日午前、延世大で統一の叫び声が響いた。
南北と海外同胞との共同開催予定だった「8・15解放59周年記念民族統一大会」(民族統一大会)は、最近の大量脱北者受け入れに対する北朝鮮の対南批判などの影響で、共同開催は行なわれず、この日は南側の単独で行なった。
この集会の決議文では、「最近内外的に統一時代に逆行する処置らがひきつづき行われていて、南北関係は前例がない不通になっている」としながら、「だが、2005年を必ず自主統一の元年として迎えようという全民族的意志は
熱い」と情勢を分析された。
決議文は、今回の8・15民族統一大会が南側当局の妨害で成し遂げられなかったと深い遺憾を表明した。
決議文は、「外勢威嚇と干渉をたちきり、私たち民族どうしで力を合わせ、自主的に統一しようという民族的大義 の前に南側当局も例外ではない」と盧武鉉政府の責任を指摘した。
最後に、決議文は「6・15共同宣言は 民族団結を通し、国の統一を実現しようとする人ならば、誰とも団結できる 道を開いた」と明らかにした後、「今年、民族の対決をそそのかす国家保安法、『主敵論』などを必ず廃止させる」と宣言した。
この日の行事には、汎民連南側本部、 汎青学連・韓総連・民主労総・韓国労総・民主労働党・全国連合・全国路上商連合会・韓国青年団体協議会などの1万余人が集まった。特に、その間全国をまわって最終的に大会に参加した「'統一先鋒隊」は参加者らから大きい拍手を受けた。集会参加者らは、民族統一大会が終わった後、午後2時から「戦争反対集会」にも合流した。
NorthKorea■朝鮮の動向
人道援助不要と国連に通告 北朝鮮、来年から
第46号 2004年08月16日 「祖国統一から派兵撤回」まで、 8.15大規模反戦集会、警察と激しい衝突
第45号 2004年08月09日 <中韓関係>高句麗めぐる歴史論争再燃
第44号 2004年08月02日 ウリ党、「真実・和解・未来委員会」(仮)構成を推進
第43号 2004年07月26日 大法院、「宋斗律ベルリン大学教授、無罪」宣告
第42号 2004年07月19日 盧大統領「北応答の報告欠落」再調査指示で波紋
第41号 2004年07月12日 派兵反対国民行動,ライス訪韓反対集会、「ライスは戦争狂であり戦犯」
第40号 2004年07月05日 「非転向長期囚『疑問死-民主要人認定」論議沸騰
第39号 2004年06月28日 金鮮一(キムソンイル)氏追慕反国民キャンドル集会、1万5000余名参加
第38号 2004年06月21日 行政首都移転をめぐって与・野党攻防
第37号 2004年06月14日 反世界経済フォーラム(WEF)アジア会議抗議、日本市民など1万余名参加
第36号 2004年06月07日 駐韓米軍縮小交渉公式開始
第35号 2004年05月31日 移住労働者集会、強圧的な取締りと強制追放に抗議
第34号 2004年05月24日 良心的兵役拒否「無罪宣告」、国防部・検察反発
第33号 2004年05月17日 盧武鉉大統領弾劾棄却…職務復帰
第32号 2004年05月10日 「弾劾審判」宣告切迫…憲裁「激論中」
第31号 2004年05月03日 114周年メーデー行事、非正規的差別の撤廃声高い
第30号 2004年04月26日 政府、まず北朝鮮に百万ドルの生必品と医薬品支援
第29号 2004年04月19日 民主労働党、「イラク派兵撤回推進」、17代国会の初の争点として浮上
第28号 2004年04月12日 揺れるウリ党支持「一日1.5%ずつ下落、ソウル-嶺南接戦」
第27号 2004年04月05日 追い風民主労働党… 社会団体関係者相次いだ支持表明
第26号 2004年03月29日 「弾劾無効」 最後の光化門ろうそく集会、8万人参加
第25号 2004年03月22日 「書き直した韓国民主主義の歴史」
第24号 2004年03月15日 「弾劾無効-民主守護」デモ、全国で「ろうそく示威」行進
第23号 2004年03月08日 2野党、大統領の弾劾推進
第22号 2004年03月01日 首都圏で総選挙勝負
第21号 2004年02月23日 盧大統領就任1周年世論調査、「間違った」 42.2%、「良くやった」13%
第20号 2004年02月16日 扶安(ブアン)、核廃棄場の住民投票「反対 91.8%」
第19号 2004年02月09日 総選挙連帯、非推薦名簿66人発表
第18号 2004年02月02日 「働き口を創出するために社会的大妥協、2月中旬まで推進」
第17号 2004年01月26日 国連、北への食糧救護2〜3月中に中断危機
第16号 2004年01月19日 民主労総、新任委員長にイスホ氏選出
第15号 2004年01月12日 民主労総次期委員長選挙、終盤の接戦
第14号 2004年01月05日 15日、「2004総選挙ムルガリ国民連帯発足」、落選運動から当選運動に発展
第13号 2003年12月29日 市民団体、政治改革案改悪非難
第12号 2003年12月22日 19日、汝矣島で「民間人虐殺真相糾明 統合特別法争奪大会」
第11号 2003年12月15日 盧大統領、「不法資金、ハンナラ党の10%を越えれば辞退」
第10号 2003年12月08日 緑色連合、「盧武鉉政府の環境点数はF点」(環境専門家2百20人の調査結果発表)
第09号 2003年12月01日 「イラクで韓国人2人被殺、2人負傷」、NSC緊急対策会議招集
第08号 2003年11月24日 「全国の関心が扶安郡の反核ろうそくに集中している」
第07号 2003年11月17日 ラムスペルド・米国防長官、「駐韓米軍、韓半島以外の地域投入も可能」
第06号 2003年11月10日 5万人、全国労働者大会後、火炎瓶デモ
『損害賠償訴訟、仮差押さえ等の撤回要求』
第05号 2003年11月03日 『胸には '謹弔' リボン、
手には「仮差押さえ禁止」』
第04号 2003年10月27日 『派兵反対 7大国民行動計画、5大行動指針発表』
第03号 2003年10月20日 『イラクに対する侵略宣言で、アメリカに対する屈従の告白』
第02号 2003年10月13日 盧武鉉大統領、「再信任の国民投票は12月15日前後実施」
第01号 2003年10月06日 ソウルの竜山米軍基地、来年初から本格的な移転推進
Copyright
? 2000-2003 フォーラム平和・人権・環境 All
rights reserved. |