5月13日(日)普天間基地包囲コース・県民大会
普天間基地包囲コース
 平和行進3日目、東・西・南の3コースに分かれて本島内を歩いた行進団は、宜野湾市役所前に集まりました。ここから北ウィングと南ウィングの2つのコースに分かれて、普天間基地を包囲するように行進し、宜野湾市の海浜公園で合流しました。


●北ウィングの先頭には、伊波洋一さんが立ちました。


●海浜公園まであと少し、最後の力を振り絞ってシュプレヒコールです。












●南ウィングの先頭は全港湾の皆さんです。






●海浜公園に到着。地元実行委員会の皆さんが、冷たいの飲み物を用意してくれました。


復帰40年5・15平和とくらしを守る県民大会

●今回の平和行進には、韓国から何人かの方々が参加してくれました。舞台で踊りを披露しているのは、韓国民俗芸能の歌や踊りを行う「トヌム」の皆さん。


●沖縄のミュージシャン・KEN子さん。オープニングイベントの司会を務め、歌も披露してくれました。


●午後2時、県民大会の開会です。最初に参加者全員でシュプレヒコール。








主催者あいさつ
●崎山嗣幸さん(実行委員長・沖縄平和運動センター議長)
 「5・15平和とくらしを守る県民大会」に結集された皆さんに、実行委員会を代表して、一言あいさつを申し上げたいと思います。
 今年の「5・15平和とくらしを守る県民大会」は、復帰してから40年目の開催です。長きにわたる歴史の中において、沖縄における基地の実態は何も変わっていないことを、皆さんは平和行進の中で実感できたであろうと思います。
 名護市辺野古における普天間基地移設の課題、高江でのヘリパット建設、嘉手納の爆音・騒音、普天間基地でのヘリや戦闘機の騒音と墜落の危険性、南部の沖縄戦における悲惨な状況、また今回の民主党政権による先島防衛の一環としての与那国島に自衛隊を配備しようとする動きなどがあります。私たちは、27年間におよぶ米国の支配下から脱却して、基地の無い平和な沖縄をめざしてきました。しかし40年経っても何も変わっていません。私たちは怒りを込めて、沖縄から基地を無くす闘いを強く進めていかなければなりません。
 ましてや今の状況は、米軍と自衛隊が一体となって、ますます強化されております。私たちは全国の仲間と共闘の輪を広げて、基地の無い、原発の無い、平和な島、平和な日本をめざして、闘い抜くことが重要だろうと思います。
 本日の「5・15平和とくらしを守る県民大会」を成功させて、これからの運動をさらに発展させていきたいと思います。皆さんに限りない力を寄せてもらうことをお願いして、私のあいさつといたします。共にがんばりましょう。


連帯あいさつ
●藤本泰成さん(平和フォーラム事務局長)

 熱い熱い沖縄の皆さんの思いの中、厳しい沖縄の現実の中、そして沖縄戦の悲惨な歴史を感じ取りながら、3日間の平和行進をとりくまれた皆さんに、平和フォーラムを代表して感謝を申し上げます。
 世界で一番危険であり撤去されなければならないとされた普天間基地、その普天間基地に世界で一番危険とされるMV−22オスプレイを配備しようとするアメリカ政府と、それを追認しようとする日本政府。
 戦争が終わってから67年、あの悲惨な沖縄戦から67年の歳月が経って、復帰から40年が経って、なお変わらない沖縄の現実があります。沖縄県民の圧倒的多数が、オスプレイ配備に反対の声を上げているにもかかわらず、なぜオスプレイを配備しなければならないのか。私たちはこの現実を、しっかりと受け止めなければなりません。
 平和フォーラムと原水禁は、一人一人の命に寄りそう社会を作ろう、そうした思いで平和のためにがんばってきました。国のために一人一人の尊厳のある命が、犠牲にされてしまっていいのでしょうか。3月11日の大震災、そして福島の原発事故、合意なき国策の中で、福島県民は故郷を奪われ、命の危険にさらされています。私たちは脱原発を求めて闘いを進めてきました。そのことは命に寄りそう社会の第一歩であると確信しています。そして沖縄の現実を変えることが、それをより強固なものにすることだと考えています。
 沖縄にあるアメリカ軍の基地は、アメリカの利益を守るためのもので、私たちの命を守るものではありません。多くの人々が、外交努力で、武力でない政策で平和を守れと考えているのではないでしょうか。沖縄で嫌われ、世界で嫌われている米軍、その傲慢な姿勢には、必ずや歴史の鉄槌が下されるものだと確信しています。
 私たちは平和で豊かな社会を求めて、私たち一人一人の命が大切にされる社会を求めて、全国全ての闘う者たちが大きな声を上げていきたいと思います。平和フォーラムはそのことが達成されるまで、皆さんと共に闘い続けていきたい、皆さんと共にそうした社会を現実のものにしたいと考えています。その決意を申し上げて、連帯のあいさつにさせていただきます。



激励あいさつ
●野国昌春さん(北谷町長)

 皆さん、こんにちは。北谷町長の野国です。3日間にわたる、東から西から南からの行進、大変お疲れ様でした。
 ご紹介がありましたが、北谷町も未だに53パーセントが米軍基地であります。日夜、騒音に悩まされている、嘉手納飛行場を取り巻く一町でございます。米軍再編の中でも、辺野古が行き詰ってきますと、嘉手納統合案が頭をもたげてきます。それが嘉手納飛行場の現状です。このことに対しては、周辺の3市町(沖縄市・北谷町・嘉手納町)で作る連絡協議会、3連協でその都度、反対を表明し断固阻止すると言ってきています。
 しかし突如として、日本の国会議員やアメリカの国会議員の皆さんから、いろいろな話ができました。私たちは、これ以上の基地の負担を許しません。私たちは国や米軍と、午後10時から翌朝6時までの騒音防止協定を締結しています。しかしその中の一項に、米軍の運用の都合による場合はこの限りではないと記されています。米軍はその一項をとって、午前4時から深夜まで、自由気ままに基地を使っているのです。騒音防止協定も、ないがしろになっているのが現実です。
 米軍再編と併せて、嘉手納基地以南の基地返還で、日米が合意しました。しかし返還は遅々として進まず、相変わらずの機能強化が図られている現実です。
 中部の市町村は、たくさんの基地を抱えて、日ごろから悩んでいます。それを返還させて計画的な街作りを進めていかなければなりません。一所懸命にやっていますが、色々な場面で米軍基地が支障になって、なかなか進展しません。これが実情なのです。
 ご参加の皆さんは行進しながら、沖縄の基地の実態を見てこられたと思います。どうか、それぞれの地域に帰ってから、復帰40年、また戦争が終わって67年が経っても変わらない現実を、沖縄の悩みを取り上げていただいて、一緒になって基地の整理・縮小・撤去を求める運動を、全国の津々浦々から、復帰40年を契機に進めていただきたい。そのことをお願い申し上げて、あいさつに代えさせていただきます。


政党あいさつ
●新里米吉さん(社民党県連委員長・県議会議員)

 1972年5月15日、私は返還協定粉砕県民大会の会場におりました。復帰運動を進めてきた私たちは、復帰の日に「返還協定粉砕」を叫びました。復帰したら「いも裸足になるのだ」という言葉に象徴される復帰運動に消極的だった人々は、「復帰万歳」を叫んでいました。まったく逆転した雰囲気になったのが、1972年5月15日であります。
 返還が明らかになり、その内容も72年以前から徐々に明らかになりました。その中で多くの理由がありますが、とりわけ私たちが大きく問題にしたのは「基地の無い平和な沖縄」に相反する内容であったことです。そしてそのことは、今日でも続いています。40年経っても、米軍専用施設の74パーセントが沖縄に存在しています。そのことは正に、72年5月15日の返還協定が、そのまま今日にも生きているということだろうと思います。
 昨年もこの場で、沖縄県選出の国会議員が、嘉手納統合案を主張していることを批判しました。いままた民主党の国会議員の一部や元議員が、訳の分からない嘉手納統合案を主張しています。この中身は、いい加減なものです。嘉手納の空軍機を他へ移すと言っています。だから普天間基地を持ってきても、騒音は減るのだと言うのです。とんでもない話です。嘉手納の空軍機や基地機能を移すと言っているけれども、どこに移すのかは全く当てが無いのであります。これほどいい加減な話はありません。子どもだましもいいところです。
 一番の問題は、沖縄県民が「4・25県民大会」で、県内移設反対、国外・県外を求めて団結したことに対して、ひびを入れる行為であることです。「沖縄の中にも違う主張がある」、「県内で受け入れると言っている」と、県内移設を強行しようとする人たちに都合のいい主張であるのです。そのことを私たちは、決して許してはなりません。皆で、あの県民大会の趣旨を、団結し、連帯して、闘い抜いていきましょう。



●糸数慶子さん(社会大衆党委員長・参議院議員)
 3日前から炎天下の中、東・西・南コースに分かれて、県内外の多くの仲間たちが、平和とくらしを守るために、一歩一歩踏みしめて、沖縄県下をくまなく回っていただきました事に、心から感謝を申し上げたいと思います。
 新聞の世論調査を見ました。復帰から40年が経ち、戦後67年が経った沖縄で、日米両国政府が押し付けてくる基地負担、これが異常な状況である、沖縄差別であるという思いを持っている人々が、県民の大半を超している実態があります。
 今日、ここにお集まりの県外の皆さん。同じような思いで、歩いていただいたと思います。しかし日本全国を見渡しますと、安保条約は必要、地位協定も必要、アメリカの核の傘に守られて日本は暮らしていけると思っている人たちが、私たちの予想する以上に多く、沖縄に基地を押し付けていることによる沖縄差別を、あまり感じていないことに、改めて怒りが湧いてまいります。
 核もない、基地もない、戦争もない沖縄をめざして、1972年5月15日に沖縄は本土に復帰しました。しかし私たちがめざした日本は、一体何だったのでしょうか。いま国会においては、平和憲法を変えていこうという大きな動きがあります。米軍再編の名の下に、県民の思いを、県議会が採決した基地の県内移設反対を無視して、野田政権は改めて普天間基地の移設先を辺野古にしようとしています。さらにはオスプレイの配備を、秋から前倒しして、しかも那覇軍港で組み立てて飛行させると言うのです。とんでもありません。日本の他の地域で、普天間基地の移設やオスプレイ配備の話が出ますと、閣僚をはじめ政治家たち、一般の人たちが反対し、政府はそれを聞きいれています。とんでもない差別です。
 沖縄は、差別されるために日本に復帰したわけではない。その思いを、改めて皆さんと共有したいと思います。国会では、新しい沖縄振興計画や軍転特措法が成立し、2973億円の一括交付金が沖縄でスタートします。これは決して、新基地建設と引き換えであってはいけません。それを阻止するためには、6月10日の県議会議員選挙で、野党多数を勝ち取らなければなりません。そして仲井真県政に対して、公約を守らせ、普天間基地の県内移設を認めさせない。そういう運動のうねりを、皆さんと一緒に作っていきたいと思います。
 本当の沖縄の復帰は、日本から平和憲法を世界に発信する、そういう平和の国を作ることであり、沖縄が平和の発信地になることです。基地の無い平和な沖縄、平和な日本をめざしてまいりましょう。社大党も、皆さんと一緒に最後までがんばります。ありがとうございました。


国会議員あいさつ
●照屋寛徳さん(衆議院議員・社民党)

 日米講和条約発効60周年、沖縄の本土復帰40周年、この節目の年の5・15平和行進を貫徹し、県民大会に結集された全ての仲間に、心から敬意を表します。
 沖縄は、明治以来の近現代史の中で、常に国策の犠牲にされ、国策の欺瞞を強要されて参りました。そして復帰40年間、私たち県民は、復帰の欺瞞によって苦しめられて参りました。
 全国の仲間の皆さん、県内の仲間の皆さん。いま私たちが団結して闘うべきは、辺野古への新基地建設を絶対に許さないこと、東村・高江のヘリパット工事を断固阻止すること、欠陥機オスプレイの普天間基地への配備を許さないこと、世界一危険な普天間基地を一刻も早く閉鎖すること――です。
 本日の県民大会で結集された皆さんの中に、反原発・脱原発ののぼりが多く見えます。私たちウチナンチュも、全国の皆さんの脱原発と脱米軍基地こそが、新しい未来を創造することになるのです。原発も米軍基地も、国策であります。私たちはこれ以上、国策の欺瞞に泣くことなく、皆で団結して闘って参りましょう。がんばりましょう。



●山内徳信さん(参議院議員・社民党)
 炎天の下、3コースを歩いて県民大会に結集された全ての皆さんに、私は心から敬意を表し、連帯のあいさつを申しあげます。
 皆さん、沖縄は無人の島ではありません。沖縄には148万の貴い人間が住んでいます。人間の住んでいるこの島を、戦後67年間も使いたい放題に使ってきたのが、日米両政府の基地政策でございます。まもなく70年を迎えるというのに、沖縄の基地は、皆さんが行進を通してご覧になった通りです。私たちはこれ以上、忍従を続けるわけにはいきません。これ以上、我慢をするわけにはいきません。私たちは、敢然と団結をして、声を上げて、オスプレイ配備に反対しましょう。聞かなければ、基地機能に大きな打撃を与えていこうと、参議院議員の山内徳信はバッジを着けて闘い抜こうと決意を固めています。辺野古に基地を作らせない。高江にヘリパットを作らせない。与那国に自衛隊配備をさせない。そのことが、私たち憲法を守る側の大きな使命なのです。
 何ゆえに、復帰40周年と言って、総理大臣をはじめとした三権の長が、何のかんばせあって、沖縄に来て復帰を祝うのでしょうか。「恥を知れ」。私は県民と共に声を大にして、彼らに訴えたいと思います。こういうことを許してはいけないのです。踏みつぶしてきた側は、踏まれている側の痛みを全く知らない。これは民主的な政治でも何でもありません。いよいよ襲いかかって来るオスプレイを配備させない。そのことが日本の平和憲法の実践につながると思っております。これからも共々に、力を合わせてがんばってまいりましょう。
 ここにいらっしゃる全国の若い皆さんへのメッセージとさせていただきます。


闘いの報告
●崎原正吉さん(与那国改革会議議長)

 皆さん、こんにちは。与那国改革会議の崎原です。復帰してから40年になります。私も高校生時代には、復帰運動に携わってきた人間です。それから40年、平和行進に参加するのは、今年が初めてです。
 いま司会から話があった通り、与那国への自衛隊配備が叫ばれている昨今です。自民党政権時代にも、与那国への自衛隊配備は出てきませんでした。それが今、民主党政権に代わって、アメリカの圧力だと私は感じていますが、与那国への配備を言っています。与那国町議会でも誘致が議決されました。要請をしている関係もあり、与那国配備が出てきました。
 それに対して、私たちは自衛隊基地はいらないと言っていますが、なかなか私たちの力だけでは対抗できません。そうした中で今回、平和運動センターのご協力の下で、5月6日に150名が集まりまして、与那国を一周する行進を行いました。
 与那国町長は、国の事業として走り出しているとして、私たちの要請を受け入れませんでした。しかし運動の成果もありまして、住民投票を行いたいという意思表示がありました。私たちは住民投票に向けて、がんばっているところです。
 仲間の皆さんと共に運動を展開しながら、八重山地区に自衛隊基地はいらない、そして沖縄の平和を願いながら、がんばっていきたいと思います。
 ただ、いま国会では、北澤前防衛大臣が「与那国は拳銃2丁で守っている」と公言する事態です。そうした中で、与那国の状況を知らない方が多いのが実情です。ぜひ運動を展開して、平和な沖縄を作りたいと考えています。これからもご協力をお願いします。


●新川秀清さん(第3次嘉手納基地爆音訴訟原告団長)
 梅雨空を吹き飛ばして、与那国そして本島内3コースの平和行進を貫徹された皆さんに、心から敬意を表したいと思います。
 皆さん、先ほどからありますように、沖縄が復帰して40年経ちました。私たちが復帰したのは、日本であったのでしょうか。それともよく言われた祖国であったのでしょうか。いずれにしましても、「平和とくらしを守る」という大会を持たなければならないのが、沖縄の現実であります。
 あの「鉄の暴風雨」から67年が経ちました。そして講和条約発効から60年。さらに復帰から40年であります。しかし沖縄は未だにあの「鉄の暴風雨」、「いくさゆ(戦世)」を引きずっています。だからこそ私たちは、平和を叫び続けなければならないのであります。
 さらに暮らしを守る。私たち嘉手納基地周辺に住む30万人余りの住民は、これまで嘉手納の爆音差し止めを求めて、静かな夜を返せという訴訟を提起して、30年が経ちました。第3次訴訟は、昨年の3月27日に、2万2058名をもって決起しました。4月28日、沖縄が分断され、アメリカに売り渡された屈辱の日をもって第3次の提訴を致しました。
 そして報道にもありますように、5月10日に行われた第3回目の口頭弁論の中で、国の準備書面には、補償で移転することができるのだから、移転しないのは爆音を甘受するべきだと、出されているのです。
 私たちの故郷を奪い、その故郷にしか住むことのできない私たちに対して、補償をとって出ていけというのが、私たち地域住民に対する国の姿勢であります。「ゆりかごから墓場まで」爆音にさらされている現実を、絶対に変えていかなければなりません。
 この場に結集された全国の皆さんのご支援をお願いし、全国の基地被害でがんばっている仲間とも連帯しながら、基地被害の根絶、基地を無くして平和な世の中を作るため、子どもたちが当たり前に学び遊べる世の中を作るために、心を一つにして、これからもがんばり通していきたいと思います。どうぞ、よろしくお願いします。ありがとうございました。



●島田善次さん(普天間から爆音をなくす訴訟団)

 宜野湾市の普天間基地から来ました。皆さん、40年経っても、何一つ変わりません。ある人は言いました。「ヤマトは帰るべき祖国ではなかった」と。未だにこのような状況を見ると、当たっていると思います。「ヤマトは帰るべき祖国ではなかった」。ご存じの通り、沖縄は未だに憲法番外地です。憲法は適用されていない。憲法番外地のこの沖縄から、どうしたら基地をなくすことができるのかを考えています。
 よく言われます。「平和は必要だ」「安保条約も必要だ」「抑止力も必要だ」と。それならば「あなたの所で基地を引き受けてくれ」と言うと、「ごめんだ」と言うのです。このような状況で、沖縄から基地が撤去できますか。いいところを取って、悪いところは全部沖縄に押し付ける。これが醜い日本人の姿であります。皆さんとは違いますよ。
 こうした状況の中で、私は皆さん方にお願いしたい。沖縄に来ることも大切ですが、皆さん方の地元で、沖縄の基地をどうするのか、この沖縄の痛みが分かるのかどうか、問いかけを深めて欲しいのです。溜息ばかりが出ます。沖縄の嘆きが聞こえますか。
 オスプレイが来ます。先日、外務省と防衛省へ行きました。「機種の変更だから、ハワイではアセスメントをやっているようだが、沖縄では必要ない」というのです。しかも10月配備が7月になりました。皆さん、これで本当に負担軽減になりますか。負担軽減という言葉だけが踊っていて、何一つ実のならない現実。それでありながら、明後日(15日)には野田首相が来るというのです。何しに来るのか。そんなに基地が必要なら、野田首相の地元の千葉県に持っていけばいい。またいちばん韓国や朝鮮に近いのは新潟県でしょう。何が「地政学」か。僕は今日、怒っています。
 皆さん、沖縄の基地は本当に大変なのです。私は滑走路の下に住んでおります。住んでみないと、分からない状況です。どうか皆さん、一緒にがんばっていきましょう。
 沖縄の状況を見て、つくづく思うことがあります。それは、「物言わぬ民は滅びる」ということです。政府に物を言いましょう。彼らののど元にトゲを刺すような民にならないといかん。彼らは、私たちが物言わないことを願っているのです。


●安次富浩さん(ヘリ基地反対協議会代表委員)
 3日間の暑い中の行進、大変ご苦労さまでした。ヘリ基地反対協から、連帯のあいさつと闘いの報告をさせていただきます。
 年末・年始における環境アセスメント評価書提出阻止行動を、私たちは完璧な闘いで、防衛省の思惑を吹き飛ばしました。そしていま評価書に対する県知事意見では、辺野古の基地建設はできないと、保守系の仲井真知事ですら述べています。
 そして、このアセスメントは、防衛省OBが天下りした業者が行っているのです。当然、防衛省の意向に沿った内容でしかありません。環境には何の影響も与えないという内容だったのです。それに対する私たち県民の年末・年始の闘いが、県知事をして500項目余りの問題指摘を防衛省に突き付けさせたのです。おそらく年末までには、評価書の補正が出て、公告縦覧を行って、防衛省は仲井真知事に対して埋立申請を出してくる可能性があります。本当に、本当に正念場の闘いがやってきます。
 私たちヘリ基地反対協は、名護市の稲嶺市長、また与党議員団と共に、辺野古新基地建設を、木っ端みじんに潰していきたいと思います。
 もう一つの闘いがあります。MV−22オスプレイです。このオスプレイが配備されるということは、第2・第3の宮森小学校事件が、沖縄で起きるということです。普天間第二小学校、あるいは辺野古の国立高専の生徒たちに、宮森小学校の惨禍を受けさせない。そした闘いを、沖縄全体の闘いとして、作っていきたいと思います。辺野古の現地でも、宜野湾市民の闘いと呼応して、ヘリパット建設反対・オスプレイ反対の闘いを、辺野古新基地建設反対と連携して皆さんと共に闘っていきたいと思います。


●佐久間務さん(高江ヘリパットいらない住民の会)
 はじめまして。やんばる、東村の高江でヘリパット建設阻止の行動やっています。私たちの地区の住民は、160人くらいです。そこに防衛省の職員やガードマンなど150人以上が、建設工事に来るのです。ヘリパット建設は簡単です。辺野古のように埋立などを行うものではありません。工事費も5億円くらいです。簡単に作れるのです。彼らは何とか状況を切り開くために、先ず作りやすいところから作る、そのために高江に集中的に来ています。
 いまの季節はいいカッコして、自然に配慮するとして、ヤンバルクイナやノグチゲラの繁殖に影響しないように、工事をしないと言っています。しかし彼らは重機を入れたくてしょうがないのです。どこからでも山へ入れられます。重機や資材を入れて、「これは工事ではない」と言い張るかもしれません。僕はそのことを心配しています。
 だから毎朝4時から見張りに立っています。そして何かあったら山城さんに連絡を入れます。そうした闘いで、いまのところ明確な形での工事はさせていません。
 これは全国の皆さん、県民の皆さん方の闘いが、小さな私たちの闘いを、全面的に担ってくれているのです。俺たちだけではない。今日もこれだけの仲間が来てくれています。やんばるの北の奥で、わずか20〜30人で、毎日しんどい思いをしながらやっている。しかしこうした形で運動は広がっているのだと確信を持って、帰ってから皆に報告したいと思います。


●海外ゲスト
カン・サンウォンさん(韓国・ピョンテク平和センター所長)

 沖縄復帰40周年平和行進に参加された皆さん。皆さんとお会いできて、本当にうれしいです。私たちは韓国からの参加団です。一言あいさつを申しあげます。
 沖縄復帰から40年が過ぎましたが、それは未完成で進行中だと思います。沖縄の真の復帰が実現されるのは、沖縄に住んでいる人々が、自らの生き方と未来を、自分の手で決められる時だと思います。
 普天間基地が閉鎖され、辺野古・高江の新基地建設が白紙化され、沖縄のいたるところに毒キノコのように生えている米軍基地を、全部返還させる。その時が沖縄の復帰の始まりだと思います。
 皆さん、銃や剣で平和が守れると考えますか。たくさんの銃や剣、そして核兵器があれば、平和が守れると思いますか。違います。お互いに向け合っている銃や剣を全て溶かして、私たちの生き方を支える作物を作る農器具を作り、国境を越えて握手をすることが平和だと思います。
 辺野古の海を泳ぐジュゴンが、安心して生活できる。普天間基地の周辺に住む人々が、静かな生活をできる。それが平和だと思います。
 いま韓国では、イ・ミョンバク政権の下で、民主主義が崩壊する痛ましい状況が起こっています。その代表的な例が、済州島(チェジュド)に建設が予定されている海軍基地の問題です。いまこの時にも、国家権力・警察・右翼団体に立ち向かい、逮捕されることも、拘束されることも恐れずに闘っているチェジュドの市民と活動家たちに、皆さんから拍手を送って欲しいと思います。
 ありがとうございます。皆さんの拍手と応援を、必ずチェジュドの住民たちに伝えます。
 沖縄の問題は韓国の問題です。そして韓国の問題は沖縄と日本の問題です。そのことに気付いた時に、私たちの連帯した活動は、もっともっと力強く広がると思います。お互いにつながりましょう。
 一所懸命闘います。ありがとうございました。



●参加者全員で「団結がんばろう!」を三唱し、集会を終わりました。


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