沖縄5・15平和行進に3200人が参加
基地撤去訴え普天間基地周辺を歩く

●日時 5月15日(日)
●場所 沖縄県宜野湾市




 5月15日に沖縄県宜野湾市で、5・15平和行進が行われました。主催は、沖縄平和運動センターなどで作る実行委員会です。
 太平洋戦争の敗戦により、日本は米軍の占領下に置かれることになりました。その後、1952年に締結したサンフランシスコ平和条約によって、日本は独立国として国際社会に復帰しました。しかしこの時、沖縄は日本本土から切り離され、米軍の占領支配が続くことになったのです。占領下の沖縄では、米軍基地建設のために住民の土地が強制収用され、米軍による事件・事故も多発しました。本土復帰を願う沖縄の人々の運動によって、1972年5月15日に沖縄は本土復帰を実現しました。ところが、復帰後も依然として多くの米軍が沖縄に居座り、沖縄の人々が望んだ「平和憲法の下への復帰」とは異なる実態が続きました。そこで沖縄の労働組合や平和団体は、1978年から米軍基地の撤去を求めて、5・15平和行進を開始したのです。5・15平和行進は、年を追うごとに規模は大きくなり、本土からも参加者が増え、今年で34回目を迎えることになりました。

 これまで5・15平和行進は、全国の労働組合や地域運動組織から参加者を募集し、3日間かけて行われていました。しかし今年は東日本大震災の直後でもあり、本土の仲間には震災復旧支援に全力を尽くしてもらいたいという沖縄側の意向を受けて、全国募集は行わず、行進日程も1日になりました。
 全国募集を行わなかったために、「どのくらいの人が集まるのか?」と主催者側は心配していましたが、出発式開始時刻の午前9時には、会場となった宜野湾市役所前に、3000人を超える人々が集まりました。また本土各地の地域組織や労働組合からも、700人以上が自主参加しました。
 参加者は、北ウィングと南ウィングの2つに分かれて海兵隊普天間基地を包囲する行進を行い、宜野湾海浜公園で再合流して、同公園の野外音楽場で開催した「復帰39年 5・15平和とくらしを守る県民大会」に参加しました。

 平和行進の直前に、内部告発サイトのウィキリークスが、在沖縄海兵隊のグアム移転、グアム移転協定、政権獲得後の民主党とアメリカ政府の交渉内容などに関係する米国の公電をを公開しました。そこには、沖縄県民を騙すために移転する海兵隊員や移転費用を水増ししていたこと、民主党政府がはじめから普天間基地の辺野古移転を了承していたことなどが記載されていました。
 また連立与党である国民新党の幹事長で沖縄県第1区選出の下地幹夫衆議院議員が、普天間基地機能の嘉手納基地への統合案を発表しました。さらに下地議員と会談したアメリカ連邦議会上院軍事委員会のカール・レビン委員長らが、嘉手納統合案を国防総省に提言しました。沖縄では社民党や社大党の長い努力によって、自民党・公明党も含めた県議会の全会派一致で、普天間基地の県外・国外移設を求める決議を採択しています。また昨年末に行われた県知事選挙では、保守系の仲井真弘多知事でさえ、普天間基地の県外移設を表明せざるを得なくなりました。そこに過去に何度となく浮上しては消えていった嘉手納統合案が、亡霊のように甦ってきたのです。沖縄県内では、日米両国政府による基地のたらい回しに対して、強い怒りの声が湧き上がっています。こうした中で開催された5・15平和行進と県民大会も、日米政府の秘密交渉や、嘉手納統合案を批判するものとなりました。

 以下は、今年の平和行進と県民大会の写真報告です。発言者の発言要旨も記載しています。ぜひ、ご覧ください。なお、報告はpart1からpart4までの4部構成になっています。またpart4には、琉球新報と沖縄タイムスの関連する記事へのリンクを掲載しています。



出発集会(午前9時から、宜野湾市役所前)


●宜野湾市役所前には、大勢の平和行進参加者が集まりました。


●開会あいさつ  崎山嗣幸さん(沖縄平和運動センター議長・沖縄県議会議員)
 沖縄の本土復帰から39年目となる、5・15平和行進の出発式です。今回の平和行進は、ここ宜野湾市役所を出発して、北ウィングと南ウィングに分かれて普天間基地を包囲しながら行進し、海浜公園で開催する県民大会で合流します。
 従来は3日間かけて平和行進を実施してきました。今回は5月15日の1日のみの開催です。これは東日本大震災の発生を受けて、沖縄平和運動センターとして、また平和行進実行委員会として、本土の皆さんには復興支援を優先してもらうということを確認しました。その上で1日開催ですが、普天間基地の閉鎖・返還を求める行進を行うことになりました。皆さんのご理解をお願いします。
 30数年来の沖縄は、皆さんがご承知の通り、復帰後もこの狭い沖縄に、米軍専用施設の75パーセントが集中しています。嘉手納基地や普天間基地の爆音、米軍犯罪では日本の司法権が届かない治外法権状態に対して、県民の怒りは収まらない現実があります。
 来年は復帰40年です。そこに向けて私たちは、大きな運動を進めなければなりません。本日の5・15平和行進を、最後まで、しっかりと貫徹して、「5・15平和とくらしを守る県民大会」を成功させようではありませんか。


●連帯あいさつ  藤本泰成さん(平和フォーラム事務局長)
 フォーラム平和・人権・環境、ならびに原水爆禁止日本国民会議の事務局長の藤本泰成です。5・15平和行進に結集した皆さん。いま日本の、沖縄の、福島の、多くの人たちの命が脅かされています。皆さんの持っている旗やTシャツにも、「命ど宝」と書いてあります。私たちの胸の中には、その思いが大きくあると思います。しかしいま、人の命が本当に脅かされている現実の中で、私たちは一人の生活者として、また労働者として、大きな怒りの声をあげなければいけない、怒らなければいけないと思います。
 原子力発電は、大きな利権構造です。沖縄の米軍基地と日米安保も、大きな利権構造です。誰かが大きな利益を得てきたのです。そのことで、福島県民の命や、沖縄県民の命が、脅かされている現実があります。そのことを忘れてはなりません。原発震災を受け、また5・15平和行進を行うに当たり、私たちの命を大切にする社会を作っていこうではありませんか。
 沖縄も福島も同じ。そうした思いで、今日一日、がんばっていきます。平和フォーラムも原水禁も、命を大切にする社会を築くためにがんばります。そのことを表明して、連帯のあいさつとします。

●政党あいさつ  照屋寛徳さん(社会民主党・衆議院議員)
 行進団の皆さん、大変ご苦労さまです。復帰から39年目の今日、鉛のように、どんより曇った天気です。この天気のように、沖縄の現実は、日米両国によって、県民の人間としての尊厳が、鉛のように押しつぶされている現状です。みんなで怒りを持続して、がんばっていきましょう。

●政党あいさつ  糸数慶子さん(社会大衆党委員長・参議院議員)
 結集された県民の皆さん、全国の皆さん、ありがとうございます。東日本大震災では、多くの方が犠牲になり、被災しました。皆さんと一緒に、心から哀悼の意を表し、一日も早い復旧・復興をお祈りしたいと思います。
 沖縄は復帰から39年がたちました。私たち県民が望んだ本土復帰とは、まったく逆の方向にある日本のあり方に、心から怒りを覚えます。沖縄の基地問題でいえば、ウソで塗り固めたグアム協定の問題があります。そして県民が望んでいる、普天間基地の県外・国外への移転。これらはことごとく、今の政権の中でなし崩しにされようとしています。
 結集された皆さんとともに、基地問題の解決をはじめとして、私たちの人権が守られるような、本当の本土復帰を求めて、皆さんと一緒にがんばっていきたいと思います。沖縄から、日本から、米軍基地が撤去されるまで、ともに力を合わせてがんばりましょう。


●2つの行進団の団長からのあいさつです。


●会場の入口では、日音協の皆さんが、歌を披露してくれました。


●こちらは、寄せ書きの幕を持って行進です。


●こちらも、1文字1文字の周りに、寄せ書きが。


●参加者全員で「団結がんばろー」。


いよいよ行進に出発です。
part2へ続く。


part1
part2
part3
part4


STOP!!米軍・安保・自衛隊