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Government■政府、政党
ウリ党の指導部、一括辞退
5日、中央委開催、後続対策議論
ウリ党の李富栄議長、李米卿、金ヒョク珪議員など常任中央委員団が、4大改革法案の処理失敗に対する責任を取って、3日午前一括辞退した。 ウリ党はこれに伴い、来る5日午前、議員総会を開き、後続対策を議論するようにした。
任鍾皙・スポークスマンはブリーフィングを通し、「中央委で辞退意思を表明した現指導部を再信任する可能性は ほとんどない」としながら、「これに伴い中央委では非常対策委員会を構成し、4.2前党大会まで党を管理して行く方案を決定するようになる」と話した。
ウリ党は5日中央委で非常対策委を構成する予定だが、上中委員が全員辞退したのに続き、林采正・企画諮問委員長も「上中委が解体されただけに企画諮問委も解体なるべきだと考えており、
そのような方向で議論する」と話し、指導部の空白事態が不回避な展望だ。
特に、今月末に予定されている院内代表選挙戦を前後に党内の党権競争が早期に表面化されることはもちろん、中途穏健派と在野の強硬派議員らのあいだの路線闘争も加熱する可能性を排除することができない。
李議長は会議で「千正培・院内代表と一緒に党を引っ張ってきたが、自分の 力量が不足し、任務を成し遂げなくて申し訳ない」としながら、「今年ウリ党は葛藤と対立でない、対話と妥協の
路線を選ぶべきで、与野内の過激路線とも果敢な闘争を繰り広げることも辞さなくなければならない」といい、国家保安法など主要改革立法の処理過程で表れた与野強硬派の態度を批判した。
林スポークスマンは 「非常対策委の 主要役割は4月初にある全国大会を準備することであり、今日の会議で指導部 空白を憂慮する一部の声もあったが、全体的には刷新しなければならないという意見が多かった。」と話した。
国家情報院、過去史真実糾明委員会の活動開始
軍事独裁の時期、数多くの人権侵害と疑惑事件で国民の不信を招いてきた国家情報院(旧国家安全企画部、KCIA)が 乙酉年新年を迎えて、国民から信頼を受ける情報機関として生まれかわることができるのか。
国家情報院が自ら過去事件の真実を明らかにするという目的で作った「国家情報院過去史真実糾明による発展委員会(以下真実委員会)」が、3日から本格的に稼働されるつもりである。
真実委員会は、年末に民間調査官 の採用を終え、国家情報院主管で、調査官らに記録文書活用と調査技法などを教育して、長期間の身元照会を経る等実務のための最終的な準備点検を終えた。
今後2年間、国家情報院過去史真実を 明らかにする調査官(民間 10人+国家情報院 10人)は、まず国家情報院内部の文書と証拠資料を中心に事件別記録を
検討する。 その後、事件別に過去の権力機関がどのように個別事件に介入したのかを明らかにして、二段階で、その事件に関係した関係者を面談し、彼らの陳述を
土台で調査内容を補完する。必要ならば、民間委員らが直接文書検証など調査活動にも参加する考えだ。
証拠資料は主に国家情報院保管資料を 中心に把握するものの、必要ならば関連機関の協調を得て、できるだけ真実に近い資料を徹底的に把握できるようにする。
今回の国家情報院の過去史真実委員会 の活動は、処罰を目的にすることではないので、主に政権が不当に事件に介入した場合、国家情報院が不当に政権の責任を被った場合などを判別するようになる。
幅広い過去史真相糾明のためにホームページを作って「情報提供」を受け、関係者料を集合する計画もある。これは、国家情報院だけの過去史真実糾明でなく、国民と疎通する歴史建て直しの一環で作った装置でもある。
真実委員会が 10回の会議を経て「過去疑惑対象」として選んだのは総56件にのぼる。しかし、真実委員会が56件の 事件全体を処理するかの可否はまだ決まっていない。
ただし、この中で国民的疑惑が大きい 事件を優先順位に置いて処理するという立場を建てたことが知らされた。
真実委員会が国家情報院の過去調査を始めながら、まず「1次集中課題」として決めた範ちゅうは ▲人名及び人権侵害事件 ▲政治工作など政治権力により隠密に進行された不正事件などだ。
具体的事件としては、1960年代初の朴正煕軍事政府が民政に委譲されながら、必要な政治資金を作る過程で台頭した ▲証券波紋事件 ▲通話改革事件 ▲ウォーカーヒルホテル事件
▲セナラ自動車事件などいわゆる「4大疑惑事件」をはじめ, ▲軍部独裁時期の言論統廃合事件 ▲92年に南へ派遣された女スパイの中、最高位級人物として知らされた李善実(中部地域党事件)事件
▲鄭寅淑被殺事件 ▲大韓航空機爆破事件などが主要な調査対象として話題になっている。
アン=ビョンウク真実委員会の民間委員(カトリック大教授)は「国家情報院過去真実委員会が現在、内部で提起された56個の事件をすべて調べるという 方針ではない」とし、「この中で現実的に調査が必要で、国家社会的に大きい論議を起こした事件を中心に扱うようになる」と明かした。
オ=チュンイル・真実委員会委員長(64)は「今回の国家情報院過去真相糾明は歴史的に初めての出来事」とし、「今回の活動を契機に国家情報院が新しく生まれかわるためには徹底的に過去史件を解決していく行くという側面で
明確な協調が必要だ」と話した。
Mass■世論、市民運動
「ザイトン部隊がイラクで撤収する日まで、汎国民的な反転平和運動を展開する」
31日夜、国会本会議で過半数以上の賛成を得て可決された「国軍部隊のイラク派遣延長同意案」に対し、派兵反対国民行動は1日、声明を通じて、「17代国会の派兵決定を強力に糾弾する」としながら、「反転平和運動陣営は2005年に全面的な軍撤収闘争に突入すること」を明かした。
派兵反対国民行動は「全国361ケ市民社会団体に構成された派兵反対国民行動の去る数カ月間の呼び掛けにもかかわらず、17代国会は最後まで亡国的な派兵延長同意案を処理した」としながら
、「これは国民に対しての背信行為であり暴挙だ」と主張した。
続いて派兵反対国民行動は「17代国会は全世界の平和を渇望しなければならないこの時点で、イラク地の平和でなく、虐殺と占領を選択した」としながら、「この決定は私たち国民を戦犯国家の国民として転落させることであり、戦争の危険に追い出すこと」だと国会を批判した。
派兵反対国民行動は、また「国民は17代国会がイラク追加派兵延長決定をどれくらい拙速的にしたのかはっきり見守った」としながら、「17代国会は自らの拙速決定に対して責任を負うべきだ」と主張した。
派兵反対国民行動は、新年にも引き続き、戦争反対と軍撤収運動に強調をおいて、活動を継続するという方針を明らかにした。
派兵反対国民行動は「イラク派兵をめぐった闘争は終わらなかった」としながら、「ザイトン部隊がイラクから撤収する日まで、汎国民的な反転平和運動を強化し、虐殺と占領終熄、完全撤収のために全面的な軍撤収闘争を展開する」と明かした。
特に、派兵反対国民行動は「来る3月20日にイラク侵攻2周期を迎えて、全世界の平和勢力と連帯し、米国の不法なイラク駐屯中断と軍撤収運動を展開する」とし、「盧武鉉大統領と与野は今でもイラクの事態を直視し、派兵されているザイトン部隊の撤収決定をおろすことを強力に促す」と伝えた。
「闘いの火種は消えなかった」
478番目の国家保安法廃止のための1人デモ開始
国家保安法年内廃止断食篭城団は31日 夜10時50分、ソウル汝矣島国会付近の 国民銀行前の座込み場で26日間の断食篭城をしめくくり、解団式を行った。
解団式はバクセギル・国民連帯執行委員長の司会で進行された。
朴セギル委員長は「国民座り込み団が 繰り返して奇跡を作ってきた」としながら、「1千余名の断食篭城団はこの 国と民衆のために新しい歴史を書いた」と明かした。
初発言に出た、ジョン=デヨン全国民中連帯政策委院長は「今日は一生忘れられない夜になる」といい、「国家保安法は死体だけ残っていて、その寿命 はすでに終わったし、我らはハンナラ党と国家保安法を歴史のゴミの中に捨てる」と話した。
この日に開かれた解団式には、社会運動の元老らが参加し、断食団を慰撫した。
林バンキュ・統一広場所属元老は「26日間の命をかけた断食篭城で、皆様は 強固な戦士であった」と致賀して、ラチャンシュン・汎民連共同代表は「真に大きい仕事をやり遂げた」としながら、「必ず国家保安法を廃止することができる、勇気を出してもう一度国家保安法廃止を実行に移そう」と督励した。
国会議長室を占拠、座り込みを繰り広げた全羅北道元老カン=インハン牧師は「60年の歴史で、1300余名の民衆らがこのように闘争したことを見たことがない」としながら、「5-6月の蒸し暑さにもかわかない泉水があり、冬至にも凍りつけない種があるのに、断食団がまさにその種」だと話した。
姜牧師は「必ず、来年2月にその芽が 育って、民衆の実が熟しれること」だと付け加えた。
31日、国家保安法年内廃止断食篭城団解団式
国家保安法廃止のための市民連帯集い'の共同代表ハンボ=ユンシク氏が3日 に478番目の1人デモに出た。
市民社会運動陣営が2004年一年間、国家保安法廃止運動を積極的に取り組んできたが、結局「未完の闘争」となってしまった。
彼らは「2005年にも国家保安法廃止運動は続く」といい、年末の運動をしめくくった。そして「2月から乙酉年の闘争がまもなく始まる」と宣言した。
一方、新年にもソウル汝矣島では国家保安法廃止のための1人デモが絶えず続いた。
2003年5月14日から開始し、478人目を 迎えている国家保安法廃止市民リレイ 1人デモは、3日昼12時に国会前で開始された。
「国家保安法廃止のための市民連帯集い」(以下 市民連帯)は1年半以上、毎週月曜日から金曜日まで国会前で、1人デモを繰り広げてきた。
2005年新年の最初の1人デモにたった 人は市民連帯共同代表であるハンボユンシク氏(55. 仁荷大人文科学研究所 常任研究員)である。
ハンボ氏は「2004年に国家保安法が廃止出来なかったことは、非常に残念なことだが、年末に1千余国民断食篭城団の命をかけた闘争は国家保安法廃止の強い意志を見せてくれた」とし、「その意志の火種を消さないで、来る2月にもう一回盛り上がりをみせるだろう」と主張した。
ハンボ氏は「国家保安法は反人権的な 悪法で、この地で必ず消えなければならない」としながら、「国家保安法が 条件無しで消えて、韓国が人権社会になる時まで市民連帯は1人デモを継続する」と話した。
NorthKorea■朝鮮の動向
北、新年辞で「千里馬運動」が話題
北朝鮮で年初から「千里馬運動」、「千里馬精神」が話題として浮び上がっている。
北朝鮮新年辞に該当する3ケ新聞共同社説は「千里馬大高潮の時期のように、前例がない生産的昂揚を成し遂げよう」と強調したのに続き、労働新聞など北朝鮮媒体と各界人々も千里馬精神を
継承することを促した。
千里馬運動は朝鮮戦争で疲弊された北朝鮮の経済を押し上げた1950-60年代の大衆運動で、北朝鮮はこの時期を千里馬大高潮期と呼ぶ。
この運動は1956年12月に労働党全員会議で金日成主席が「千里馬を乗った気勢で走ろう」とのスローガンを提示したことが発端となり、経済だけでなく 社会・文化など社会全般に広がった。
労働新聞は3日「すべてを先軍革命の総進軍に向けて」という題目の社説と、「信心たかい勝利の大祝典場に向けて!」という題目の政論を通し、解放60周年(8.15)と労働党創党60周年(10.10)を迎える今年に「千里馬大高潮期」の
再現を促した。
社説は「今日われらは千里馬の精神に 革命的軍人精神をもっと加わった新しい世紀の先君朝鮮の気性で、強盛大国 建設で一帯転変を持ってくるための総進軍に出た」としながら、「今年の総進軍を通し、私たちの国力は百倍強くなり、世界は1950年代の奇跡のような
世紀的な奇跡を再びみることになるだろう」と強調した。
政論も「祖国の歴史に革命的昂揚と勢いで広がる先君革命の大高潮で記録される2005年、すでに1950年代の千里馬 大高潮期のように非常に高い生産的昂揚と大高潮の旋風でぶくぶく沸く祖国の姿が目の前に見える」と話した。
各界人々も、1日の新年共同社説が発表された直後から、党と内閣など各界人々が出てきて、千里馬時代のような「生産的昂揚」をまた起こすために努力することを確かめ合った。
金ウンキ・黄海南道党委員会の責任秘書は、1日に「農業戦線にあらゆる力を集中し、西海穀倉地帯である私たちの黄海南道の農業生産を決定的に増やして、千里馬の大高潮の時期のように生産的昂揚を起こすよう党的指導を遂行して行く」と話した。
金兄式・電気石炭工業省第一副長官も 「1950年代の千里馬大高潮期のように 前例ない生産的昂揚を成し遂げることで、今年の意味深い正月を盛大に慶祝して、全国が興盛するようにさせることがわが党の意図で決心だ」と明かした。
金一斤・開成市人民委員長は3日「われらは1950年代の千里馬大高潮期のように前例がない生産的昂揚を起こして、 全国が興盛で盛り上がることが党の意図で決心であることを心臓深く誓い、人民生活の責任を負った労働者等と人民のための献身的服務の道を歩き続く」と決心した。 (ソウル/連合ニュース)
■コリアン情報ウィークリー(2005年)
第66号 2005年01月03日 国家情報院、過去史真実糾明委員会の活動開始
■コリアン情報ウィークリー(2003年10月−2004年)
第65号 2004年12月27日 金正日「南侵威嚇はない」
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