2016年、平和軍縮時評

2016年03月30日

平和軍縮時評2016年3月号 米原子力空母「R.レーガン」被曝と水兵らの提訴  湯浅一郎

   2011年3月11日の東日本大震災と福島第1原発事故から丸5年が過ぎた。今だに10万人を超える人々が故郷を奪われたままである一方で、福島第1原発では、溶融燃料の所在も特定できないままの困難な冷却作業が続いている。事故が終息したなどと言える状態ではないが、福島原発事故に関連して忘れてはならない問題が有る。

   15年10月1日、米原子力空母ロナルド・レーガン(以下、RR)が、ジョージ・ワシントンの後継艦として横須賀に配備された。「原子力空母の横須賀母港問題を考える市民の会」代表の呉東正彦氏が米情報公開法により入手した11年3月の東日本大震災と福島第1原発事故当時の同艦の航海日誌によって、RRは、トモダチ作戦(以下、OT)従事中に福島第1原発沖約240kmで被曝したことが判明した。

   RRはニミッツ級の原子力空母で、加圧水型原子炉2基を動力としている。1基の熱出力は約60万kwで合計約120万kwは、福島第1原発1号炉に匹敵する。

航海日誌から判明したR.レーガンの被曝

   RRが、OT従事中に被曝し、RR水兵らが東京電力を相手どった損害賠償訴訟を起こしていることはよく知られている※1。RRの航海日誌などからOTにおけるRRの活動領域や、被曝が記載された日時、地点が具体的に明らかになった。航海日誌における関連部分の抜粋訳を資料1に示す。

   3月11日まで、RRは、毎年この時期に実施される米韓合同演習に参加すべく、目的地を釜山として太平洋を西に向かっていた。ところが、11日、14時45分、マグニチュ―ド9.0の東日本大震災の発生を受けて、災害救援を行うべく、12日0時から進路は「日本」になり、16時53分には「本州」とされた。同艦の目的は、米韓合同演習から、トモダチ作戦(OT)に移行したのである。OTにおける同艦の任務は、「陸上救援と復旧活動に関与する自衛隊と他のヘリコプターへ給油するための海上プラットフォームを提供する」ことであった。OTは、最大時で人員約16,000名、艦船約15隻、航空機約140機など大規模な兵力が投入され、3月13日から4月30日にかけて実施された※2

   航海日誌に基づく3月12日からのRRの航跡を図2に示す。12日20時には千葉県勝浦沖に到達し、そこから半日かけて金華山沖に至る。この時、航海日誌に放射能に関連する記述はない。しかし米国防脅威削減局(DTRA)の報告書※3は、この日、RRは、福島原発から放出された放射能プルームを検知したとしている。同報告書から推定されたプルームの形状を図2に記入した。これが1回目の被曝である。13日にはすぐに、RR幹部も参加して、海上自衛隊「きりしま」艦上でOTに関する日米合同会議が開かれた※4。14日以降、同艦は、基本的に八戸沖から気仙沼沖辺りの三陸沖沿岸に停滞し、プラットホームとしての役割を担っていた。

   更に3月16日20時、RRは大船渡東方約160kmにいたが、その後、目的地を横浜として南へ向かった。23時45分、福島原発東方沖240kmで、航海日誌に「放射能プルームに入る」と記載される。そして17日、「5時7分、放射能プルームを出る」。この間、RRはプルームの中にいたことになる。放射能プルームを出た5時7分の位置を見ると、この間、南方向にはほとんど動いていない。放射能プルームから避難するのであれば、北ないし南にできるだけ早く動くべきなのに、その付近に停滞していたことになる。その後は、7時36分から目的地が消え、横浜行きはなくなり、逆に北上し、12時には大船渡沖に到達している。この行動の意味は、現時点ではわからない。

   その後、RRは18日から三陸沖にとどまり、海上でOT支援に従事した。そして、図2には記載していないが、航海日誌によると「3月23日、RRは、フライトデッキの除染(washdown)を行うために、飛行作戦をとりやめた。」そして航海日誌は次のように続ける。「08:20 除染作業(washdown)開始」、「08:38除染作業解除」、「10:10ベルタワー除染作業開始」、「13:02除染作業開始」、「13:33 除染作業解除」。甲板での作業は過酷であったと思われる。作業員の立場からすれば、この除染作業時に相当な内部被曝などを受けている可能性はある。

   その後、4月5日にOTから離れるまで、RRは大船渡沖から八戸沖の海域を航行している。

   以上のように、RRは、少なくとも3月13日、及び16日深夜から17日未明にかけて放射能プル―ムの中にいたことが、航海日誌などから判明した。これについて前記DTRA報告書は、放射能が検知されたことは認めつつ、低レベルなので人体への健康影響はないとしている。

水兵らが東電を訴える

   一方、12年12月21日、米原子力空母RR水兵8人が東電を被告として、南カリフォルニア連邦地裁に10億ドルの基金を作ることを求める損害賠償を提訴した。14年8月21日には原告が223名に増え、第3次訴訟が提訴された。訴状には以下のことが主張されている※5

  • 三陸沖に到着直後の3月13日、放射能プルーム下に入ったらしく、警報が鳴り、飛行甲板で空母の線量は、通常の2.5倍になった。艦上のモニターの空気サンプル全てが異常値となり、警報が鳴った※6
  • レーガンの搭載ヘリが、原発から90キロ地点の護衛艦「ひゅうが」に降りたら、搭乗員の靴からも高放射線が検出された※7
  • 吹雪の中で、飛行甲板員は、金属味を伴う生暖かい雲に包まれた。その中で、5時間、飛行甲板で作業を続けた。
  • 救助作業を中止して180キロ以上、離れるよう指令され、退避したが、180キロ地点でも空中線量は通常の30倍が検出された。
  • 3月15日、飲料水から放射能が検出された。
  • 最も汚染されていたのは飛行甲板上である。3月23日、飛行甲板、及び航空機の除染作業をした。水兵らは、防護服をつけないまま、甲板の除染作業をデッキブラシでやらされた。
  • 4月8日、トモダチ作戦は終了。その後も、放射性物質は、通気系統や空冷式電気モーターの内部に残留したと考えられる。換気システムのフィルターの側にベッドがあり、甲状腺がんになった水兵もいる。
  • 任務は、飛行甲板担当、航空機整備技術担当、航空機搭乗員が多い。

   これまでに、原告2人が、骨膜肉腫、急性リンパ球白血病で死亡しているが、原告の訴える被害例は以下である。

  • 38歳、艦隊ヘリ整備士。早い段階で呼吸困難。13年1月に癌の診断。15年4月24日、骨膜肉腫で死亡。
  • 26歳、エセックスのヘリ整備。14年9月16日、急性リンパ球白血病で死亡。
  • 女性、レーガン飛行甲板兵、体重減、甲状腺異常(乳がん)。
  • トモダチ作戦中妊娠。11年10月に多発性遺伝子異変の子が生まれる。
  • 女性、脳腫瘍(放射線との因果関係がありの診断)。
  • 男性、白血病、甲状腺に包嚢。
  • 男性、甲状腺がん、空調の側で寝ていた。
  • 男性、精巣腫瘍。

   これらの症状とRRの被曝線量との関係が、裁判の中で争われることになるであろう。大気からの降下物による被曝だけではなく、初期の1週間、海水を蒸留した水を使用していたことなどとの関係も重要な要素になると考えられる。

   原告の1人にトモダチ作戦当時、艦載機部隊の管理官であった元海軍大尉ステーブ・シモンズ氏は、朝日新聞の取材に対し、以下のように話している※8

「空母では当初、海水蒸留装置の水を飲んだり、その水で調理した食事を取ったりしました。現場海域に着いてから3日後の11年3月15日、艦長が『水を飲まないように』と命じました。だが既にシャワーを浴びたり、水を飲んだりした後。その後も、甲板の洗浄には海水を使っていました。」

「乗組員は強い放射線にさらされ続けましたが、当時は健康へのリスクに無知でした。私たちは人道支援にあたったのであり、核惨事に対応できたわけではない。東電が正しい情報を出していれば、違った対応がとれたはずです。」

   シモンズ氏は、帰国後、体調が悪化し、様々な症状が出たという。

「11年末、車を運転中に突然気を失いました。高熱が続き、リンパ節がはれ、足の筋力が衰えました。髪の毛が抜け、体重も十数キロ激減。トモダチ作戦前は登山をするなど健康体でしたが、症状が現れた時には打ちのめされました。」

   他にも、「筋肉を切り裂くような痛みは腕や胸に広がり、全身の腫れや嚢胞、発汗、膀胱不全などを発症」したと言う。外部被ばく線量だけで、影響はないとする米政府側との食い違いを裁判所がどのように判断するのかが注目される。

   いずれにせよ、原子力空母RRは、除染されたとはいえ、艦全体が放射能プルーム下に入ったことは確実で、福島事故による放射能汚染と言う履歴をもって、ジョージ・ワシントン(GW)の交代艦として横須賀に配備されたのである。

注(※)

  1. 「朝日新聞(大阪本社)」2015年10月1日。
  2. 「平成23年度防衛白書」特集:東日本大震災への対応。
  3. 米国防脅威削減局(DTRA)報告書「OTにおける艦船乗員の放射線被曝評価」(2014年4月)。https://registry.csd.disa.mil/registryWeb/docs/registry/optom/DTRA-TR-12-041-R1.pdf
  4. 海上自衛隊第1護衛隊群HP。http://www.mod.go.jp/msdf/ccf1/about/topic/20110617/index.htm
  5. 原子力空母の横須賀母港化問題を考える市民の会ホームページ。http://cvn.jpn.org/pdf/150207_tomodachi.pdf
  6. RR航海日誌は、この点に全く触れていない。
  7. このことは、海上自衛隊の艦船や自衛隊員も被曝した可能性が高いことを示唆している。
  8. 注(※)1と同じ。

 

  • 資料1:米原子力空母「R.レーガン」の21011年3月、4月の「航海日誌」

     

    a)                  
    3月12日        00:00        目的地が釜山(韓国)から日本に変更。
             16:53~        目的地が日本の本州に変更。
             20:00        北緯34度51.8、東経142度37.1(勝浦沖)
    3月13日        00:00        目的地なし。
             08:00        北緯38度15.7、東経142度59.9(金華山東方)
             12:00        北緯38度32.0、東経142度47.8(女川東方)
    b)                  
    3月16日        20:00        北緯39度02.7、東経143度40.8(大船渡東方)
             23:45        放射能プルームに入る。北緯37度25, 東経144度00(福島原発東方230km)。
    3月17日        00:00        目的地 横浜。
             05:07        放射能プルームを出る。北緯37度24,9, 東経143度53.9(福島原発東方220km)。
             06:00        目的地「横浜」消える。
             08:00        北緯38度09,7, 東経143度47.9(名取東方210km、福島原発から240km)。
    c)                  
    3月23日                  
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