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2015年11月16日
憲法理念の実現をめざす第52回大会(護憲大会)閉会総会 まとめ 藤本泰成事務局長
3日間にわたり、この青森で真摯な議論をいただきました。本当にありがとうございます。もとより議論の全てに渡ってまとめることは困難です、皆さんには、それぞれのまとめがあると思いますが、ここでは私なりの報告をさせていただき「まとめ」としたいと思います。
2015年、戦後70年の激動の一年が、もう少しで終わろうとしています。安倍政権は、「消費税や年金と違い、国民生活にすぐに直接の影響がない。法案が成立すれば国民は忘れる」と、市民社会を愚弄しつつ、反対の声を押し切って「安全保障関連法」私たちが思う「戦争法」を強行成立させました。侵略戦争と植民地支配の反省から生まれた憲法の平和主義を、単なる閣議決定と数の力で、圧倒的な市民社会の反対を押し切りました。
この戦争法の成立を、シンポジウムの中で、中野晃一さんは「クーデター」といいました。前田哲男さんもそのリポートの中で、「クーデター」との言葉で表現しています。クーデターと言う言葉は、広辞苑を引くと「非合法的手段に訴えて政権を奪うこと」と説明されています。つまり、この戦争法は民主的手続きを経ず、非合法的に成立したということ、市民社会のほとんどがそう感じたのだと思います。
中野さんは、安全保障は憲法の範囲内で行うべきであり、安倍首相のいう積極的平和主義は、決して日本社会の安全を保障しないと述べています。軍事力に頼むことで安全保障が成立するというのは幻想に過ぎない。そのことは、2001年の9月11日の同時多発テロが証明しています。パリ時間13日夜、私たちが今大会の開会を迎えるという朝に、サッカーやコンサートを楽しむパリの市民に、爆弾と銃撃の嵐が襲い、132人が死亡したという衝撃的な事件が発生しました。犠牲になられたパリの市民の冥福をお祈りいたします。平和を求める私たちは、イスラム国の暴挙を許すことはできません。しかし、欧米諸国のこれまでのあり方にも大きな問題があります。
米国による対テロ戦争、イラク戦争やアフガン戦争によって、決して平和を作り出すことはできませんでした。力で強いものが弱いものをねじ伏せる、そのことで自発的な服従を強いる。しかし、人間の尊厳は、決してそのような事態を許すことはありません。「武力で平和はつくれない」と、日本の市民社会は常にそのことを意識してきたのです。
平和憲法の危機であるとする市民社会の意識と感覚は、「戦争させない・9条壊すな総がかり行動実行員会」の運動に結実し、国会周辺で12万人もの人々が「戦争法」反対の声を上げました。
人々がつながることで、新しい市民社会の動きができています。鎌田慧さんはその力を、大江健三郎さんの「侮辱」と言う言葉を引いて、憲法前文の「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすることの決意」と「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようとした決意」と、二つの大切な日本社会の決意を、安倍首相が勝手に潰したことを、日本社会への「侮辱」と表現し、そのことが市民の大きな動きにつながったとの認識を示しました。
中野さんは、この動きを、自分と同じではない人が、同じ目的に向かう、それぞれの他者性を認めながらの運動であり、「ここに来ると同じ思いを持っている人がいる」という安心感の中での運動だと分析しています。
長野の戦争をさせない1000人委員会の運動に関わる喜多英之さんの報告にも、多様性を認めるという運動の姿勢、鎌田さんが言う柔軟な運動の姿がありました。それぞれがそれぞれの違いを認め合うこと、その基本的姿勢は平和への大切な力であり、民主主義の基本なのです。
私たちみんなで立ち上げた、そして、多くの人が全国で参加してくれている「戦争をさせない1000人委員会」。中野さんは、総がかり行動が「敷き布団」、それがあったから、多くの掛け布団、多くの組織が生まれたと表現されました。暖かい社会をつくっていくために、私たちは、その敷き布団をもっともっと厚くしていきましょう。
基調提案で触れなくてはならない大きな課題がありました。時間の関係で省いたことを私は悔いています。第1分科会そしてひろばで、今日の特別報告で触れられた沖縄の基地問題、米海兵隊普天間基地の代替としての辺野古新基地建設問題です。
そこには、法の設置目的をねじ曲げて恣意的に運用した行政不服審査や地元市民を分断しようとする行政区への補助金の交付など、翁長知事の埋め立て申請の取り消しを79%の市民が支持している沖縄を無視した、安倍政権の実態が報告されています。安倍政権は、翁長知事の主張を無視し、強引に基地建設工事を続行しています。
私はこれらの報告を聞きながら、日本には二つの植民地政策が存在すると感じました。日本政府による沖縄の植民地化、そして米国による日本の植民地化です。私たちは、市民社会の主体的な判断として、これらの植民地政策に立ち向かわなくてはなりません。
この青森にも、三沢基地が存在します。防衛省が次期主力戦闘機に決定しているF35が配備される予定ともいわれています。この戦闘機も、あの危険なオスプレイ同様に、開発段階で多くの問題が発生し、開発の遅れと巨額な費用が大きな批判を生んでいます。米国、そしてそれに追随する安倍政権の強引な基地政策をこれ以上許すことはできません。
シンポジウムで、憲法学者の清水政彦さんは、「テロの背景には、世界の貧困問題がある。日本国憲法がいう、「専制と隷従、圧迫と偏狭を永遠に除去し、そして恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利」という理想を、世界で実現しなくてはならないと指摘しています。
日本社会では、子どもの貧困が、社会問題化しています。神奈川の県立高校、学力不足の子どもたち受け入れる「チャレンジスクール」の校長である中野和己さんからの報告は、きわめてきびしい子どもたちの置かれている現実、そして、そのことを放置する政府や教育委員会のあり方を、子どもたちに寄り添ってきた立場から話されました。
学力不足の子どもたちの多くが年収220万円以下の貧困家庭、また生活保護家庭に育ち、家庭内に何らかのトラブルを抱えながら、アルバイトを余儀なくされる現状が語られ、その結果としての基礎学力不足、大人への不信感、人間関係を維持することへの脆弱さなどを持ってることを明らかにし、貧困に落ち込んだ子どもたちの、その中から抜け出すことがいかに困難かが語られました。ボランティアやNGO等を巻き込んだ学習支援やキャリア支援などを受けながらの教育実践、学校だけではどうにもならない現実があります。
同じく第4分科会の荒巻さんのレポートは、「紛争や災害が多発している今日の国際状況や東日本大震災・福島原発事故は、『全世界の国民』の『ひとしく恐怖と欠乏から免がれ、平和のうちに生存する権利』の実現に緊急かつ真摯に向き合うことを求めています」と結んでいます。
平和学の権威、ヨハン・ガルトゥング博士が言うところの積極的平和は、まさにそのことを実現していこうとするとりくみに他なりません。
「子どもの貧困」と題する朝日新聞の特集記事には、多くの市民の声が載せられています。
「離婚した友人が2人の子どもを抱え、一気に貧困化しました」「本当に困っていても自己責任論が強く、親はなかなか相談しずらい」との声があります。
8年前に離婚した3人の子どもの母親は、「ごめんねと思うのは一緒にいてあげられる時間が少ないことです。次女は『休んだらお給料が減るから来なくていいよ』とよく言っていました」「精神的に追い込まれ、働く意欲がわかなかったり、周りの目が気になって援助の申請ができなかったりする人の気持ち、よく分かります。だから、『申請してこないなら自己責任』と門切り型に切り捨てるのはどうか辞めて欲しい」と訴えています。
国の論理による、国家の「安全保障」のためには、5兆円を超える防衛費を計上しながら、憲法に規定された「生存権」の保障には、全く目を向けていない政府の姿勢が、市民一人ひとりの声からも浮かび上がってきます。
今年度のノーベル文学賞は、ベラルーシの作家スベトラーナ・アレクシェービッチさんに授与されました。「戦争は女の顔をしていない」「ボタン穴から見た戦争」そして有名な「チェルノブイリの祈り」などの著書のあるノンフィクション作家です。
東京大学の沼野充義教授は、朝日新聞の書評の中で「あくまでも被災者に寄り添い、ひたすら人々の気持ちを再現しようと努める」と彼女の作品を評し、そのことが「『国家の論理』を振りかざす権力に対する、しなやかな抵抗になるのは当然のことだろうと」書き、そして、「戦争と死についてきちんと書くことこそが、平和と生の最も雄弁な擁護になるのだ」と結んでいます。
私たちは、2011年の3月11日、あの東北地方太平洋沿岸を襲った巨大地震と原発事故以降、「一人ひとりの『いのち』に寄り添う政治と社会」を求めて、とりくみをすすめてきました。
ここ青森は、核燃料サイクル計画の中心を担う「六ヶ所再処理工場施設」が存在します。このことは、大会の中心課題として議論されました。福井県の敦賀市の「高速増殖炉もんじゅ」の計画を含めて、全く先の見えない計画がなぜ続いていくのか、原子力資料情報室の伴秀幸さんの報告に、「立地自治体などが、核燃マネー依存から抜け出せない」「一部の政治家や学者の既得権益の維持」「莫大な建設投資」などの言葉があります。そこには、私たち市民社会に寄り添う政治の姿勢は、全く見えてきません。
来年の5月3日の憲法集会も、「いのち」の問題を基本に据えて、開催する予定です。
「明日を決めるのは私たち!」これが、今の日本を変えるキーワードです。
私たちの手で、私たちの未来を変える!
また一年、それぞれの場所で、それぞれの立場で、頑張ることの決意を確認し合い、そして、本大会が、青森の皆さまを中心に、多くの仲間の力で、盛会に終わることができましたことに感謝し、「まとめ」といたします。