新着情報
8月7日、長崎市の「長崎ブリックホール」で「被爆72周年原水爆禁止世界大会・長崎大会」の開会総会が開かれました。台風の影響で一部の県は開会に間に合わなかったものの、全国から1100人が参加しました。 オープニングは、現役の医者による音楽ユニット「インスハート」が登場。医療で身体を治すだけでなく、音楽を通して心まで癒したいとの思いで活動を続けており、ステージでは原爆で子どもを亡くした母の思いをうたった「おばあちゃんののこしもの」を熱唱。参加者の感動を呼びました。 続いて、7月に長崎県内を一周した「第33回反核平和の火リレー」の参加者が登壇し、これからも活動を
被爆72周年原水爆禁止世界大会広島大会まとめ 被爆72周年原水爆禁止世界大会実行委員会 原水爆禁止日本国民会議 事務局長 藤本泰成 核禁止条約に対する日本政府の態度が問題になっています。第2分科会の湯浅一郎ピースデポ副代表は、オバマ政権の8年間を総括しながら、「核なき世界」をめざす米国では、核兵器への巨額投資が続き、核戦力の近代化が続いた、今後10年間で核の近代化に800億ドル、運搬手段の近代化に1000億ドル、全体で1800億ドル、約18兆円が支出されることになったと指摘しています。オバマ大統領がプラハ演説で述べた「この目標は、私の存命中には実現しないかもしれない」と言う言葉は、
1945年8月6日午前8時15分、広島に投下された原子爆弾は、強烈な「熱線」、「爆風」、「放射線」のもと、その年の内に14万人もの生命を奪い去りました。あの日から72年、被爆者の高齢化は進み、限られた時間の中で、援護対策の充実と国家の責任を求めることが急務となっています。さらに、親世代の原爆被爆による放射線の遺伝的影響を否定できない、被爆二世・三世の援護を求める運動も重要です。 7月7日、国連本部で「核兵器禁止条約」が採択されました。私たちが願う「核兵器廃絶」へ向けての歴史的瞬間でした。この条約の前文において「核兵器の使用による被害者(ヒバクシャ)に引き起こされる受け入れがたい苦
1945年8月6日午前8時15分、広島に原子爆弾が投下され、一瞬にして多くの命が奪われてから72年。「被爆72周年原水爆禁止世界大会・広島大会」は「まとめ集会」を県立総合体育館で開き、700人が参加しました。 主催者挨拶に立った川野浩一・大会実行委員長は、8月6日の「あの日」を振り返り、「多くの子ども達も犠牲になった。三たび繰り返さないと誓ったはずが、いまだ達成されていない。安倍晋三首相は広島平和式典で、国連で採択された核兵器禁止条約について何も触れなかった」と厳しく批判しながら、「安倍政権の支持率は激減している。いまこそ政治の流れを変えるチャ
8月5日、被爆72周年原水禁世界大会・広島大会の2日目は、午前中に7つの課題別に分かれての分科会が開かれました。「平和と核軍縮」の分科会は、安倍政権の戦争をする国作りに対して、憲法を元に平和構築をどう図るかと、国連の核兵器禁止条約採択を受けての東北アジア非核地帯化の課題をさぐる分科会が開かれました(写真上)。 「脱原子力」の課題では、核燃料サイクルと高レベル放射性廃棄物の処分をめぐる課題や、福島原発事故を受けての再生可能エネルギーなど脱原発をどう進めるかを討議しました。(写真下)。 さらに「ヒバクシャを生まない世界に」として、世界の核被害者の現状と連帯あり方を検討
被爆72周年原水爆禁止世界大会広島大会基調提案 被爆72周年原水爆禁止世界大会実行委員会 原水爆禁止日本国民会議 事務局長 藤本泰成 皆さん、被爆72周年、原水禁世界大会広島大会、開会総会に参加いただきましたこと、心から感謝申し上げます。本当にありがとうございます。若干の時間をいただいまして、大会の基調を提案申し上げます。詳しくは、お手元の基調に目を通して下さい。 敗戦と被爆から72年が経過して、2017年7月7日、国連総会において「核兵器禁止条約」が、国連加盟国193カ国中、122カ国の賛成をもって採択されました。核兵器の製造や使用などを法的に規制する画期的な
8月4日から広島市内で、被爆72周年原水爆禁止世界大会・広島大会が始まりました。大会に向けて毎年、全国で「非核平和行進」が取り組まれ、この行進が広島の平和公園資料館前に到着。各都道府県・団体も合流し、「折鶴平和行進」が行われました。参加者は横断幕やのぼり、プラカードを手に、「核廃絶を実現しよう!」「原発震災を許さない!」「すべてのヒバクシャの支援を!」などとシュプレヒコールを繰り返しながら、炎天下の繁華街でアピールしました。参加者の中には親子連れも目立ち、元気よく県立総合体育館まで行進しました(上写真は海外ゲストを先頭に平和公園を出発する参加者)。 県立総合体育館大ア
今年も原水禁世界大会が近づいてきた。原水禁は「全ての国の核に反対する」「核の商業利用にも反対する」原則的立場を堅持してきた。「核と人類は共存できない」という言葉は、まさしく原水禁運動を象徴している。 1970年代から全国に建設された原発に対する反対運動は、地元の市民と原水禁だった。だからこそ、福島第一原発事故当時、原水禁運動に関わってきた多くの人には、忸怩たる思いがあっただろう。「だから言ったじゃないか」というよりは、「何で止められなかったのか」という思いである。事故直後、東電前で拳を上げる人々もいたが、原水禁はそのような行動を取ることはなかった。自省する思いが勝ったと言うことだ。
2017年08月01日
被爆者の願い豊永恵三郎さんに聞く 総がかりを超える総がかり運動をめざして 朝鮮半島危機には制裁、圧力、軍拡ではなく外交を 林業の成長産業化と労働者の現状 被爆72周年原水爆禁止世界大会の課題 「核兵器禁止条約」が採択 永田町の都市伝説─米国が日本に再処理を強制? 右派のパブコメ活動、新学習指導要領を変更 各地の脱原発の動き:茨城 本の紹介 核のキーワード図鑑 共謀罪施行抗議!必ず廃止!安倍内閣退陣!7.11行動 安倍政権が国会の役割さえ無視して強行採決した「共謀罪」は、7月11日から施行されました。これに抗議し、同日、国会議員会館前で「私たちはあきらめない!共謀罪施行抗議!共謀罪は