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被爆64周年原水爆禁止世界大会・長崎大会(2009年08月07日~09日 長崎)

    被爆64周年原水爆禁止世界大会実行委員会は、8月7日、ヒロシマ大会につづいて原水禁・連合・核禁会議の共同主催とした「核兵器廃絶2009平和ナガサキ大会」を行い、長崎県立総合体育館に3,900人の参加者を得て開催しました。大会は、黙とうにつづいて、高木剛連合会長が「原爆投下から64年、人類はいまだに核兵器の脅威にさらされている。被爆国である日本の政府は核廃絶に向け、国際的なイニシアチブを取るべきだ」と訴えるとともに、「核兵器のない世界」を提唱したオバマ米大統領のプラハ演説を踏まえ、「道は険しいが一日も早く地球から核兵器がなくなり、被爆者の抱える課題

ビデオ 被爆64周年原水禁世界大会第6日目(8月9日 長崎)

8月9日の「長崎原爆の日」に、「被爆64周年原水爆禁止世界大会」のまとめ集会が長崎市で開かれました。そして、8月4日の広島から始まった世界大会も最終日となりました。まとめ集会は最後に「核も戦争もない平和な21世紀を実現」することを大会宣言でうたいました。集会後は爆心地公園まで平和行進を行い、11時02分に黙祷を行った後、「原爆中心碑」に献花を行いました。その模様をビデオにまとめました。(9分30秒)

ビデオ 被爆64周年原水禁世界大会第5日目(8月8日 長崎)

8月8日に開かれた「被爆64周年原水爆禁止世界大会・長崎大会」の第2日目は、分科会やひろばなどの学習や討論、フィールドワーク、シンポジウム、木のブロックキャンペーンなどが、長崎市内を中心に行われました。その模様をビデオにしました。(9分30秒)

靖国無断合祀やめろ-平和の灯を!ヤスクニの闇へキャンドル行動2009

 「平和の灯を!ヤスクニの闇へキャンドル行動2009-東アジアからヤスクニを見る」(主催・同実行委)は、8月7日、日本弁護士会館クレオに320人が参加して、南相九(韓国・東北アジア歴史財団研究員)、高金素梅(台湾立法委員)、シュテファン・ゼーベル(東京大学総合文化研究科博士課程)の3人のパネラーのもと、東アジア各地域、そして日本在住ドイツ人の立場から、インターナショナルな視点での靖国問題への言及がなされて行われました。翌8日には、東京・上野水上音楽堂でコンサートが開かれ、のべ600人が参加しました。コンサートには、韓国の学生や台湾原住民も多く参加し、途中から、「遺骨発掘60周年 中国人強制連行

原水禁・連合・核禁会議/核兵器廃絶2009平和ナガサキ大会・ナガサキからの平和アピール

核兵器廃絶2009平和ナガサキ大会 一瞬にして、7万4千人が息絶え、7万5千人が傷ついた。原子爆弾が長崎に投下されて今年で64年を迎える。かろうじて生き残った人々も、その後も放射線障害に苦しんでいる。今日、核兵器は未だに世界に約2万1千発も存在し、人類は、核兵器の脅威にさらされ続けている。 こうした中、本年4月、オハマ米国大統領の「核兵器のない世界に向けて具体的な措置をとる」との演説や、7月の米ロ首脳会談で両国の戦略核兵器の削減が合意されたことは、「核兵器なき世界」に重要な一歩である。今や、米国をはじめロシア、英国、フランス、中国の核保有五ヶ国はもとより、核拡散防止条約(NPT)未加盟で核保有

ビデオ 被爆64周年原水禁世界大会第4日目(8月7日 長崎)

8月7日、長崎市で開かれた「被爆64周年原水爆禁止世界大会・長崎大会」の第1日目は、連合、原水禁、核禁会議の共同主催による「核兵器廃絶2009平和ナガサキ大会」が開かれました。大会では、被爆者の証言や高校生平和大使の決意、構成詩「親子で綴る平和の願い」などが行われました。また、原水禁は今年も原爆資料館前で、“核廃絶の壁”木のブロックキャンペーンを行っています。その模様をビデオでまとめました。

被爆64周年原水爆禁止世界大会広島大会・10.3エネルギー政策転換を求める全国集会に向けた決議

被爆64周年原水爆禁止世界大会・広島大会 私たちは、全国各地で脱原発をめざして願ってきました。しかし、「原子力立国」を謳う政府・電力会社・メーカーは一体となって、原子力・プルトニウム利用政策を推進しています。 核燃料サイクル計画の要である「高速増殖炉」、「再処理工場」は相次ぐトラブルで稼動の目途が立たず、プルサーマル計画は各地で強い反対の声が上がっています。さらに、「高レベル放射性廃棄物処分場」はその建設候補地すら定まっていません。今や、原子力・プルトニウム利用政策はその破たんが明らかになっています。2007年には中越沖地震で柏崎刈羽原発が深刻な被害を被り、原発震災の恐怖も現実のものとなりまし

被爆64周年原水爆禁止世界大会広島大会・ヒロシマアピール

被爆64周年原水爆禁止世界大会・広島大会 1945年8月6日、8時15分、原子爆弾が広島に投下されました。雲ひとつない夏空は、突然の閃光と熱線、爆風が吹き荒れ、まさに地獄と化しました。罪のない市民が、一瞬のうちに命を失いました。その数は、広島だけで14万人にも及んでいます。広島の連綿とつながる人の営みが途切れました。亡くなった人々の、そして家族の無念の叫びは、私たちの想像をはるかに超えています。日本は、罪のない人々の死によって、終戦を迎えました。 ヒロシマは、被爆者の体験を継承し、核兵器廃絶への不断のとりくみを展開してきました。冷戦の時代、「核が平和をつくる」と公然と主張された時代にあっても、

被爆64周年原水爆禁止世界大会・広島大会(2009年08月04日~06日 広島)

    原水爆禁止世界大会は、被爆60周年の2005年以来、開会総会にあたる部分を 原水禁・連合・核禁会議の共同開催としていますが、被爆64周年の本年も8月4日、「核兵器廃絶2009平和ヒロシマ大会」として行い、広島県立体育館大アリーナに6,500人の参加者を得て開催しました。 開会あいさつで川野浩一原水禁議長は、これまでの運動を「来年のNPT(核拡散防止条約)再検討会議に結実させなければならない」と訴える一方、「しかし、肝心要のわが国政府の対応はどうか。米印原子力協定に賛同してインドの核保有を認めNPTを骨抜きにし、米国の核先制不使用宣言に反対して『核