新着情報
10月6日~7日、平和フォーラム・原水禁は全国都道府県・中央団体約80名の参加者のもと東京・日本教育会館で責任者会議を開催しました。この会議は、平和フォーラムのたたかう態勢(運動・組織)をあらためて確立するために行うもので、2006年から開始して6回目。今回は、3月11日の東日本大震災、東電福島第一原発事故という事態を受けて、「さようなら原発1000万人アクション」のとりくみを総力をあげておしすすめ9月19日には明治公園で6万人以上が参加する大集会を成功させてきました。広がる脱原発のとりくみをさらに具現化するためどうしていくかを学習・報告・協議する場として開かれました。第一日目は、福山
「残念ながら市街地は人っ子一人いない、まさに『死の町』という形だった」。これは、極めて重大な事故を起こした福島第一原発周辺を視察した鉢呂吉雄経済産業大臣(当時)の発言である。「『死』という表現は長期の避難生活を余儀なくされながらも、なお帰郷へ一縷の望みをつなぐ地元民を絶望のふちに突き落とすに等しい」これは、河北新報に載った発言への批判である。 本当にこの評価は妥当なのだろうか。「ゴースト‐タウン【ghost town】住民が離散して、ほとんど無人となった町。廃鉱になった鉱山町など」(広辞苑)と言う表現だとしたら、はたしてどう評価されたのだろうか。誰も住むことのできない「死の町」。何が原因
2011年10月01日
さようなら原発9.19集会に6万人が集まる インタビューシリーズ「ドイツ連邦議会議員 ベーベル・ヘーンさんに聞く」 上関を「脱原発」の大きな転換点に 第48回護憲大会の課題 教科書採択に地域住民や現場の意見重視を 食品安全委員会の放射性物質リスク評価の問題点 レイキャビク会談25周年を迎えて(1) 各地からのメッセージ「山形平和センター」 本の紹介「核の今がわかる本」 憲法理念の実現をめざす第48回大会の案内 9月19日に東京・明治公園で開かれた「さようなら原発集会」は、全国から6万人が集まり、福島原発事故の責任を徹底して追及するとともに、全国の原発の再稼働を絶対に許さないことを
平和軍縮時評9月号 東北アジアの平和に逆行する、韓国・済州海軍基地計画 塚田晋一郎
韓国・済州島(チェジュド)での海軍基地建設をめぐり、市民と政府の対立が続いている。現場では、沖縄の辺野古や高江での市民による座り込みや基地建設阻止行動と同様の光景が展開されているが、日本での報道は皆無に等しい。済州海軍基地建設計画の経緯を整理するとともに、その問題点を考える。 緊迫する基地建設予定地と、広がる反対の動き 2011年8月24日、建設予定地で座り込みを続ける村民・市民に対し、李明博(イ・ミョンバク)政権は警察を投入し、反対運動の中心を担うカン・ドンギュン村会長や村民を強制的に連行した(5月、7月にも村民が連行されている)。9月2日には、1000人を超える警察を動員し、約40人の
米原子力空母ジョージ・ワシントン横須賀配備3周年抗議全国集会に1900人参加
米原子力空母ジョージ・ワシントン(GW)が米海軍横須賀基地に配備されて丸3年となった9月25日、母港化撤回を求めて横須賀市のヴェルニー公園で「空母母港化38周年・原子力空母ジョージ・ワシントン横須賀母港化3周年抗議、原子力空母配備撤回を求める神奈川集会」を、神奈川平和運動センターと三浦半島地区労の主催、平和フォーラム・全国基地ネット・平和センター関東ブロックの共催で開催。集会には沖縄をはじめ全国から1900人が参加しました。 集会前に昨年の高校生平和大使の古賀愛さんから署名とカンパの訴えを受けて開会。主催者を代表して神奈川平和運動センターの宇野
空母母港化38周年・原子力空母ジョージ・ワシントン横須賀母港化3周年抗議、原子力空母配備撤回を求める神奈川集会アピ-ル
米海軍が横須賀基地に原子力空母ジョージ・ワシントンを配備して3年が経過しました。 私たちは、基地機能の強化と首都圏一帯に及ぶ原子力事故の危険性の両面から、その配備に強く反対し、同時に住民投票の実施を求める直接請求をはじめ、横須賀市民・県民の意思表示の機会と国の地域住民への説明を求め、運動を進めてきました。 米国外で唯一の「空母の母港」は1973年のミッドウェーに始まり、当時それは「3年程度」との説明でありながら、38年間も続いています。 日本政府は米空母の母港化に際し『核兵器を積んだ艦船の寄港は非核三原則に照らして拒否する』と表明してきたのであり、「核の持込み」が疑惑から事実となり、国
残暑のつづくなかの9月19日、ノーベル賞作家の大江健三郎さんをはじめ9人の呼びかけで脱原発を求める「さようなら原発全国集会」が東京で開かれました。参加者は、メイン会場となった明治公園や周辺の四季の庭公園だけで約6万人以上。この他、会場に入りきれない人たちがJR千駄ヶ谷駅周辺に滞留した他、会場周辺一帯にあふれる状態のなか、主催者ですら参加者数を数え切れないなかで行われました。年配の方には1980年前後の反核運動や改憲阻止行動、さらには1960年や1970年前後の反戦平和の大行動を思い起こさせるほどの、日本の社会運動史でも希に見る東京での行動となりま