2024年、平和軍縮時評
2024年10月31日
奄美大島にとって辺野古新基地建設は自分事である ―オスプレイ用の低空飛行訓練ルートが奄美にある―
湯浅一郎
1.再浮上した奄美からの辺野古への土砂供給
普天間基地の移設先とされる名護市辺野古では、軟弱地盤のある大浦湾側の区域で国が代執行に伴う工事に着手し、埋め立て予定地の周辺では海に石材を投入する作業などが続いている。そうした中、2024年9月19日、防衛省は、米軍普天間基地の名護市辺野古への移設工事で、埋め立てに使う石材を奄美大島から調達するための特定外来生物の生息状況を調べる事前の調査を始めたことを公表した。
沖縄県には、埋立て工事に使う石材などから特定外来生物が侵入するのを防ぐため、外来生物の付着や混入が認められれば使用中止を勧告できることなどを盛り込んだ土砂条例がある。県外から大量の石材・岩ズリを持ち込もうとする沖縄防衛局は、この条例に対処しなければならない。そこで、調達業務を受注した業者が奄美大島で外来生物に関する事前調査を行うとしていた。これについて、鹿児島県は、防衛省が8月19日、土砂の調達先で特定外来生物の生息状況を調べる方針であることを説明に来たとしていた。
この問題は、仲井間知事が埋立て承認をしたが、工事を進めるにつれ大浦湾側に軟弱地盤が存在し、当初予定とは異なる大規模な設計変更が必要となり、2020年、防衛省は沖縄県に対し設計変更申請を行った経緯がある。これに対し玉城沖縄県知事が承認しないことで工事は大幅に遅れてきた。しかるに司法が完全に国の側に立ったことで、2023年12月、最終的に国が代執行できることとなり、2024年1月、本格工事が始まった。
この設計変更申請書には、土砂供給の候補として鹿児島県など九州4県からの供給可能量も記載されてはいたが、沖縄島内からの供給でほぼ行う方針となり、沖縄島外からの持ち込み計画はなくなったように見えていた。ところが、沖縄島で大部分を占める沖縄島南部の土砂には、沖縄戦での戦没者の遺骨が埋まっている可能性があることに対する強力な反対の声が上がり、計画を再度変更したものとみられる。
奄美大島には、すでに多くの特定外来生物が生息している。実際、2016年、那覇空港滑走路増設の埋立てに関わって奄美からの石材の供給が問題になった際には、ハイイロゴケグモやオオキンケイギクなどが確認され、防衛省は、沖縄県土砂条例をクリアーするために持出し港において石材の洗浄をする事態になっていた。今回も同じ問題が生じるのである。石材や岩ズリがなければ埋立てはできないことから、沖縄県土砂条例によって外来生物の持ち込みをさせないことを根拠とした奄美現地での取り組みが求められている。
このような情勢の中で、辺野古新基地建設そのものが奄美にとってよその問題ではなく、極めて大きな影響をもたらすことを認識しておくことは重要である。
2.普天間基地の主要部隊はオスプレイ
辺野古新基地は、普天間基地の部隊をそのまま移転する計画である。宜野湾市の中央に位置する普天間基地は、第3海兵遠征軍第1海兵航空団第36海兵航空群のホームベースで、ヘリコプター部隊を中心に58機の軍用機が配備される米海兵隊の航空基地である(注1)。米海兵隊は、7つの航空基地を有しているが、そのうち2つが海外にあり、それが、普天間基地と岩国基地である。つまり、海兵隊の航空基地で海外にあるのは日本だけである。
これらの部隊は、上陸作戦支援対地攻撃、偵察、空輸などの任務にあたる航空部隊として同基地で離着陸訓練を頻繁に行い、また北部訓練場、キャンプ・シュワブ、キャンプ・ハンセン等の訓練場では、空陸一体となった訓練も行っている。
現在の配備機種は以下である。
1.ヘリコプター(30機);CH-53E 12機、AH-1Z 12機、UH-1Y 6機
2.垂直離着陸機(24機);MV-22Bオスプレイ 24機
3.固定翼機(4機);C-12 1機、UC-35 3機(連絡機)
かつて普天間基地には、KC130空中給油機が15機配備されていたが、2014年8月26日、岩国への移駐が完了しており(注2)、これにより連絡機を除き普天間配備の固定翼機はいなくなった。
以上から明らかなように基地の中心的機能を担うのは、オスプレイ輸送部隊である。オスプレイは、一つの航空機で、固定翼機とヘリコプターの両方を兼ね備える世界的にも例がない高い目標を持った航空機である。その結果、飛行機をもちあげておく揚力不足をもたらし、操縦技術の複雑性と操縦の困難性が伴うことになるという構造的欠陥が付きまとっている。さらに2022年夏までは、大事故が起きてもすべてパイロットの人為的ミスが原因で、機体に問題はなかったとしてきた。ところが2022年夏からのハードクラッチエンゲージメント(HCE)とか、CV22の屋久島沖墜落事故などで、「機体の問題で全機を飛行停止せざるを得なかった」などの深刻な事態が起き続けている。これは、実戦配備から17年近くがたつ今になって、機体の問題で「飛行停止」するということ自体が、オスプレイが航空機としての資格を有していないことを示している。そして辺野古新基地ができたとしても、主力部隊がオスプレイであることに変わりはないと考えられる。
3.奄美大島上空にオスプレイ用の低空飛行訓練ルートがある
今、そのオスプレイが、奄美大島で日常的に目撃されている。問題は、これが何を意味するのかである? 2012年9月に普天間に12機のMV22オスプレイが配備されたが、奄美でのオスプレイの目撃情報がいつ頃からあるのかは定かではない。
これを考える上で、2016年12月13日、名護市安部の海岸に墜落したオスプレイの事故報告書が重要なヒントを与えている。結論を先に述べると、墜落事故が起きた当日、事故機は、奄美大島の上空に新たに設定されているオスプレイ用の低空飛行訓練ルートを飛行していたことが明らかになっている。奄美で住民が頻繁に目撃しているのは、そのためであると考えられる。この構図は、辺野古新基地になっても変わらないであろう。
そこでリムピースの故頼和太郎氏による詳細な分析である「安部墜落オスプレイの事故報告書を読む」(1)~(5)(注3)に依拠して、奄美大島にとってオスプレイはどういう関係があるのかについてフォローする。
事故報告書の本文では「ドラゴン06機(事故機)は、奄美低空飛行訓練ルートを、高度500フィート、速度240ノットで飛行していた」とあるが、その裏付けとなる詳細がわかる資料は付属資料7に示されている。飛行計画コースのデータを記した資料から、事故機を含むオスプレイの2機編隊が普天間を離陸してから、どの方向に何海里飛んだのかがわかる。それを頼氏がつなぎ合わせてルート図にしたのが図1の飛行コースの全体図であり、特に奄美低空飛行訓練ルートの経路図を拡大したのが図2である。
図1に沿って事故機の航跡をたどると、17時50分ころ普天間基地を離陸した後、沖縄島の東を北上し、東シナ海側に出て奄美大島に西から接近、奄美低空飛行訓練ルートを反時計回りに2周する(図1の右上)。往路を戻り中部訓練場で夜間着陸訓練を繰り返し、沖縄島の東海域に出て空中給油機と待ち合わせ空中給油訓練を行う。つまり、この日、事故機は、奄美での低空飛行訓練、中部訓練場での夜間着陸訓練、そして沖縄島東北部の海上で空中給油訓練を行う3つの訓練を一連のものとして行う計画になっていたことがわかる。事故は、最後の空中給油訓練の中で起きたわけであるが、ここでは主題ではないので、これ以上は触れない。奄美にとって最大の問題は、オスプレイ用の低空飛行訓練ルートが奄美大島上空に存在し、事故機はこのルートを2周回していたことである。
事故機は、図2の経路図に示された緑色の矢印のポイントから奄美の低空飛行ルートに入り、反時計回りに2周して青の矢印に沿って低空飛行訓練ルートから離れた。低空飛行ルートは奄美大島の大部分を南北方向に通っているが、一部海上ルートがある。海上では500フィートの高度で飛び、陸上では地上から500フィートの高度を飛んでいる。陸上で最も高いところで1980フィートを飛んでいて、このコースのすぐ横には奄美の最高峰湯湾岳(標高694メートル)があり、飛行高度はこの山頂より90メートルほど低い。
事故報告書の添付文書(Encl.4)には事故機の属するオスプレイ飛行隊の事故前4日間の飛行計画一覧がある。事故前日の2016年12月12日(月)にはオスプレイ2機が奄美ルートで低空飛行訓練を行っている。事故の起きた13日(火)は7機が飛行し、2機が午前中に、あとの2機(事故機はこのうちの1機)は夜に奄美ルートを飛行している。12月12、13日の2日間、飛行したオスプレイの半分以上が奄美ルートを飛んでいる。そして、ほかの低空飛行ルートの記述はない。これらから普天間のオスプレイが、相当な頻度で奄美ルートで低空飛行訓練を行っているものと想像される。
オスプレイ普天間配備前に出された環境レビューでは、オスプレイはオレンジ、イエロー、パープルなど従来から知られている低空飛行ルートを年間330回飛ぶことを前提とした環境評価をしている。ところが、2012年の普天間配備後に6本の低空飛行訓練ルートでのオスプレイの目撃情報はほとんどなく、オスプレイはどこで低空飛行訓練を行っているのかわからない状況が続いていた。しかし、この疑問は、2016年12月、たまたま名護市安部でオスプレイが事故を起こしたことで解明されることになったのである。
安部の事故報告書からオスプレイのための新たな低空飛行訓練ルートが奄美大島上空に設定されていたことがわかったのである。この奄美ルートは、オスプレイ配備前の環境レビューに出てくる6本のルート(図3)(注4)とは異なっており、戦闘攻撃機が飛ぶ従来から知られている低空飛行ルートとは全く別のものである。オスプレイのために米軍は環境レビューで示した6本のルートとは別の低空飛行ルートを沖縄に比較的近いところに設定し、そこで低空飛行訓練を行っていた可能性が高い。
4.まずは目撃情報を基に奄美ルートを検証しよう
奄美の地元紙には度々、住民のオスプレイ目撃情報が記事になっている。例えば「南日本新聞」2024年5月28日(注5)によれば、「5月上旬、奄美市名瀬知名瀬の養護老人ホーム「なぎさ園」の上空をオスプレイが通過し、窓ガラスが揺れた」とされる。住民からは「(屋久島沖事故の)事故原因を明らかにしないまま飛ぶのはやめて」「集落の上を低空飛行するので怖い」と不安の声が上がる。知名瀬には4年ほど前から飛来が相次いでおり、「夜間飛行が常態化していた」と指摘する声も多いとされる。さらに2019年4月19日、「奄美新聞」は目撃情報18件と報じ、市民提供の奄美市名瀬大熊町上空を低空飛行する「オスプレイ」の写真を掲載している(注6)。これらの情報を図2に照らしてみると、ほぼルートに近い地点であることが分かる。
さらに2024年9月9日、鹿児島県に提出した陳情書(注7)には、「最悪の野蛮飛行は,6月25日です。奄美市名瀬・上方地区から下方地区上空で,5回(5~10分間隔)の回旋飛行が行なわれています。さらに7月10日の20 時台には6回の回旋飛行が行なわれています」とある。これは図2のラインとは別に、むしろ飛行コースで囲まれた範囲の中で一定の空域に停滞して、繰り返し旋回飛行をしていることを示している。つまり訓練空域として使っていることがうかがえる。これは、飛行ルートを単なるルートとして飛行するだけでなく、線で囲まれた範囲を訓練空域として使用していることを意味すると考えられる。
元々、低空飛行訓練ルートは一本の線ではなく、むしろ飛行する範囲には一定の幅があると考えられる。目撃情報を集め、訓練ルートとその周辺での飛行の実態を浮き彫りにしていく作業が必要である。自治体や政府にその意思がない中では、まずは、住民が持つ目撃情報を集約し、住民が見た飛行実態の全体像を取りまとめ、安部事故報告書から見えている奄美ルートとの関連性を検証するべきである。その結果を地元自治体・鹿児島県に示し、奄美に新たな低空飛行訓練ルート、ないし訓練空域があるのではないかとの問題提起をしていくべきである。それを防衛省に突きつけ、日本政府として米側に確かめさせていく取り組みが求められている。
本稿で見たように2016年12月の安部での事故報告書から、オスプレイ普天間配備の前にはなかった「オスプレイの奄美大島での低空飛行訓練ルート」が存在し、その結果として奄美へのオスプレイ飛来の常態化が見えてきた。オスプレイ用の低空飛行ルートが沖縄に近い奄美大島上空に設定されることで、沖縄島の北部訓練場や中部訓練場での着陸訓練や地形追随訓練、伊江島での模擬着艦訓練、沖縄島周辺での空中給油訓練などと組み合わせた「効率的」で総合的なオスプレイの訓練ができるようになっていると考えられる。
奄美ルートの存在は、米軍が奄美大島上空をオスプレイの訓練空域として使用していることと同義である。これは、日本政府に対しても一切説明もなく、一方的に奄美大島が米軍基地に組み込まれたのと同じである。
もしかすると日本政府は、本稿で指摘したオスプレイ用の奄美低空飛行訓練ルートの存在について認識してないかもしれない。仮に安部事故報告書の原文を付属資料を含めて詳細に見ている担当官がいたとしても、「米軍の運用に関わることで日本政府が関知する問題ではない」と素通りするであろう。
以上、見たように現在、既に普天間配備オスプレイの低空飛行訓練ルートないし空域として奄美大島が位置付けられていることからすれば、仮に辺野古新基地ができた場合には同じ構図が続くことは間違いない。辺野古新基地が建設されれば、オスプレイ用の奄美ルートは恒久化し、奄美は基地被害の当事者であり続けることになるであろう。とすれば、辺野古新基地を作らせるのか否かは、奄美大島の住民にとって自らの課題となる。たまたま新基地埋立てに奄美からの石材、岩ズリの供給が不可欠とすれば、土砂の持出しを許さない取組みを強めることが、奄美でのオスプレイの低空飛行訓練を止めていくことにつながるはずである。同時に現在のオスプレイの飛行に反対する声を広げていくことも重要で、まずは鹿児島県に奄美低空飛行訓練ルートの存在を認識してもらうことから始め、その上で政府に対し奄美ルートの撤回を求めていくよう働きかけるべきであろう。
注
注1 沖縄県HP。https://www.pref.okinawa.jp/heiwakichi/kichi/1017460/1017463.html
注2 https://www.mod.go.jp/j/approach/zaibeigun/saco/iwakuni_ichu.html
注3 頼和太郎「安部墜落オスプレイの事故報告書」を読む」(1)~(5)、リムピースHP。http://www.rimpeace.or.jp/
2017年10月24日、10月25日、10月31日、11月3日、11月8日、11月13日。
注4 「MV-22の普天間飛行場配備及び日本での運用に関する環境レビュー最終版(仮訳)」M
https://www.mod.go.jp/j/approach/anpo/osprey/pdf/env_review_j.pdf
注5 「南日本新聞」2024年5月28日。https://373news.com/_news/storyid/195502/
注6 「奄美新聞」 https://amamishimbun.co.jp/2019/04/19/17657/
注7 鹿児島県議会への陳情書第1013号(令和6年9月9日受理)
https://www.pref.kagoshima.jp/ha01/gikai/teireikai/tyokkinn/r6_3kai/documents/115647_20240920154214-1.pdf