2024年、平和軍縮時評
2024年08月31日
ガザに接続するヒロシマ・ナガサキ ―平和祈念式典へのイスラエル招待問題をめぐって
役重善洋
はじめに
2023年10月7日以降、ガザでは4万人以上の住民が殺害されているが、ネタニヤフ政権は、ガザ掃討作戦を止める気配を微塵も見せず、むしろ、積極的にレバノンへと戦線を拡大している。米国はイスラエルへの武器支援を継続することで、こうした動きを積極的に支持しているように見える。世界は核戦争勃発をも含めた事態の破滅的エスカレーションの瀬戸際に立たされている。
イスラエル閣僚による核兵器使用容認発言と歴史認識問題
核の問題は、人類生存の問題であると同時に、第二次世界大戦後の国際秩序をめぐる歴史認識問題と直結する。広島・長崎への原爆投下こそが世界大戦を終わらせたとの認識が米国の公式的な見解となっているためである。力こそが平和をもたらすという考え方は、抑止力という概念の下で正当化され、長年にわたる国際的な核軍縮努力をもってしても克服されず、ガザ情勢が深刻化する中でむしろ影響力を強めている。昨年11月にイスラエルのアミハイ・エリヤフ(エルサレム問題・遺産大臣)が、ガザへの原爆投下を「選択肢の一つ」だと発言し懲戒処分を受けたが、今年3月には米共和党のティム・ウォルバーグ下院議員が、ガザ地区を「ナガサキやヒロシマのようにすべきだ」と発言した。これらの発言に対し、日本政府は抗議をせず黙認の姿勢を取ったが、5月に、同じく米共和党のリンゼー・グラム上院議員が、広島と長崎への原爆投下を引き合いに出して、必要な武器の供与を続けるよう主張するに至り、ようやく議員と政府に対し正式に抗議を申し入れた。
原爆投下およびイスラエル建国承認という第二次世界大戦終結前後における二つの重要な米国の政策判断は、ナチスドイツおよび帝国日本に対する連合国の勝利と密接な因果関係を持つこともあり、今日に至るまで米国の世界覇権にとって重要なイデオロギー的意味を持ってきた。他方、被爆国であり敗戦国である日本は、原爆投下について、その責任主体を名指さないという限界を伴いつつも、被爆者らの運動を背景に少なくとも表向きには核廃絶を国是としてきた。また、イスラエル建国に対しても、イスラーム嫌悪の歴史を持たない日本は、パレスチナ側を一方的にテロリスト扱いする欧米諸国の歴史認識を共有しているわけではない。
もちろん、日本は明治維新以降、欧米列強の植民地主義を自家薬籠中のものとして実践してきたのであり、国民国家フレームを含めた欧米中心主義的・人種主義的歴史認識を前提として、アジアにおける植民地政策を展開した。したがって、欧米植民地主義的フレームの下で続行するパレスチナ人へのジェノサイドを批判することは、日本が自らの植民地・占領地で行ってきたジェノサイドへの批判を伴って、初めて説得力を持ち得ることは言うまでもない。
とはいえ、アジア・太平洋戦争が勃発したという歴史事実からも明らかな通り、欧米列強と日本の利害関係は、決して一心同体のものではなく、歴史認識も完全に一致するものではない。その不一致は、日本の敗戦後においても、靖国問題や「慰安婦」問題等、戦争責任の問題にとどまらず、核政策や中東外交にも微妙に影を落としているのである。
ガザに接続するヒロシマ・ナガサキ
今年の8月の広島と長崎における平和祈念式典は、このような欧米と日本の歴史認識の違いが珍しく表面化した場となった。二つの式典において、ガザで虐殺作戦を継続するイスラエルを招待するかどうかの対応が分かれたことが、国内外で大きな注目を集めることとなった。広島市はイスラエルを招待し、パレスチナについては政府が国家承認していないことを理由に招待しなかった。長崎市はパレスチナを招待したが、イスラエルは「円滑な式典の運営」を理由に招待しなかった。両市とも、一昨年よりロシア・ベラルーシは「円滑な式典の運営」を理由として招待しておらず、広島市のイスラエルを招待するという判断は二重基準になるのではないかとの批判が多く寄せられ、8月6日の式典当日まで松井市長の判断に対し多くの市民が抗議の声を挙げてきた。広島県被団協(箕牧智之理事長)は、「ロシア・ベラルーシを招待しないのであれば、将来ある子どもたちの人権を無視するイスラエルも呼ぶべきではない」と広島市に招待の見直しを求めた。
ところが、次の長崎の平和式典が迫る8月7日の段階で、日本を除くG7諸国およびEUの駐日大使が連名で長崎市長に対し、イスラエルを招待しないのであれば、高官の参加は難しいとの書簡を7月19日付で送っていたことが明らかにされた。そして、実際、これらの国・機関の駐日大使は長崎の式典を欠席した。こうした動きについて、長崎で被爆した被団協代表委員の田中熙巳氏は「長崎市長は個人の考えではなく、『ガザで残虐な行為をしているイスラエルに来てもらいたくない』という市民や被爆者の気持ちを受けて、イスラエルを招待しなかった。それに対して怒ったり、いちゃもんをつけるのがおかしい」と批判した。
鈴木史朗・長崎市長は、イスラエルを招待しないという判断について、対外的にはあくまでも警備上の問題によるとの説明に徹したが、少なくとも欧米諸国からの圧力に屈することなく方針を貫いた点は、自治体外交による平和貢献の可能性を示したという点において高く評価できる。
NPT体制の二重基準と中東非核・非大量破壊兵器地帯構想
第二次世界大戦後、パレスチナ問題と核問題は、互いに密接に関連しながら展開してきた。イスラエルは1950年代に極秘で核武装計画を開始し、1960年代末までには核兵器製造に成功していたと考えられている。1986年にイスラエルの核技術者がイスラエルの核兵器保有を告発したことでイスラエルの核保有は公然の事実となった。しかし、イスラエルは核保有について、保有しているとも、していないとも言わないという不透明政策を今日まで維持し続けている。
欧米諸国はイスラエルによる核兵器の開発・保有を黙認しながら、イラクやイラン、あるいは北朝鮮の核政策については極めて厳しい姿勢を取ってきた。それぞれ問題の経緯・内容は異なるものの、核兵器保有をさせないために戦争発動を含めた強硬的な措置を取ってきた。その法的根拠が核不拡散条約(NPT)になるが、イスラエルはそもそもNPTに加盟すらしていない。NPTは成立当初の核保有国である米・ソ(露)・英・仏・中(以下、核兵器国)の5か国に、当面の核保有を認め、他の国の核保有を認めないという二重基準を基本構造とする条約になっている。その不平等性を埋め合わせるためNPTには締約国(この場合、主として核兵器国)が核廃絶に向け誠実な交渉を行うことが定められている。しかし、実際には、これらの核兵器国は核廃絶に向けた努力を行わず、核兵器禁止条約の署名すらしていない。
このような状態に対するグローバルサウスを中心とした非核兵器国の不満を背景として、1995年のNPT再検討・延長会議では、条約の無期限延長と引き換えに、米英露を共同提案国とする、中東非核・非大量破壊兵器地帯(以下、中東非核地帯構想)の早期設置を目指す決議が採択された。この「中東決議」を根拠として、2019年以降、原則毎年、この構想の実現に向けた国際会議が開催されてきている。しかし、アラブ22か国・地域とイスラエル、イランを対象とする中東非核地帯構想は、地域における唯一の核保有国であるイスラエルだけが反対をしていることで成立の目途が立っていない。
米国は、「中東決議」の共同提案国であるにも関わらず、中東非核地帯構想の唯一の障害となっているイスラエルに対し、核兵器廃棄とNPT加盟を促さず、それどころか、核の不透明政策を事実上支持してきた。その一方で、トランプ政権時代に脱退したイラン核合意への復帰をせず、イランが平和目的だと主張する核開発を一方的に批判し、制裁を科している。欧州や日本も、そのような米国の二重基準を受け入れてしまっている。
「国家の自衛権」というそもそもの問題
以上に述べたように、核兵器国による核軍縮義務の無視という問題と、イスラエルの核兵器政策の擁護はほとんど地続きの問題だと言える。ここで注意したいことは、核問題とパレスチナ問題はいずれも、冷戦時代のイデオロギー対立や、その二番煎じともいえる民主主義国家対全体主義国家、というような二項対立図式を越えた問題だということである。
二つの問題の共通背景を突き詰めれば、それは国家の自衛権概念ということになる。国家の個別的・集団的自衛権は国連憲章にも明記され、あたかも普遍的概念であるかのように考えがちである。しかし、この自衛権概念の土台にあるのは、国家があたかも人格を有するかのように観念し、それを単位として国際社会を想定するという世界観である。これは、17世紀頃から欧州で定着するようになり、帝国主義政治を通じて暴力的に他地域に押し付けられていった国際秩序観に過ぎない。国家を人格的に捉えたとき、土地と「国民」の帰属には曖昧さが許されなくなる。ここにヨーロッパを起点とし日本も加わることとなる世界的軍拡競争の出発点がある。ヨーロッパ内部において、この国民国家フレームに順応させることがついにできなかったのがユダヤ人問題であり、それを入植型植民地主義というかたちでヨーロッパ外において解決しようとしたのがパレスチナ問題の基本構造である。
そもそも、多様な人びとの活発な移動・経済交流と非領域的な宗教コミュニティの自治を前提に発展してきたイスラーム世界において、国民国家フレームは、現在においても定着しているとは到底言えない。むしろ、地域紛争の原因であり続けており、その中心にパレスチナ問題がある。
しかし、今、ヨーロッパでも米国でも、ムスリム移民をはじめとした中東にルーツを持つ人々が、経済的・政治的・社会的な実力を伸ばしつつある。彼等の若い世代は他のマイノリティ集団と共に、また、母国において変革を求める若者達とも連携しつつ、よりインクルーシブな世界のあり方を模索し始めている。そこでは、国家単位を前提としたインターナショナリズムよりも、非領域的なインターセクショナリズムの概念が重視され、パレスチナ問題の公正な解決は、人種・ジェンダー・階級問題等と同様に解決されるべきグローバルな市民的義務として捉えられている。これにはSNSの浸透が大きな役割を果たしていることは間違いないが、同時に、危機的状況に対し、既成の政治システムには対応能力がなく、交差的な市民連帯が何よりも必要とされていることが認識されているからに他ならない。イスラエルに対する草の根のBDS(ボイコット・資本引揚げ・制裁)運動の拡がりは、こうした文脈において把握されるべきであろう。
パレスチナの解放なくして核廃絶は不可能
平和祈念式典におけるイスラエル招待問題に戻ろう。日本の反核運動においては、イスラエルを排除するのではなく、ロシア・ベラルーシも含め、式典に招待し、「被爆の実相」を知る機会を与えるべきではないか、という論調が少なからずある。こうした意見の背景には、国家を人格的に捉え、国家中心の政治力学の中で平和を捉える発想が見え隠れしているように思われる。とりわけイスラエルの場合、ユダヤ人国家という自己主張に認識が引っ張られがちである。実際には、多くのユダヤ人がイスラエル国家の正当性を認めていないし、また、イスラエルが支配する領域に暮らす住民の過半数はパレスチナ人であって、ユダヤ人ではない。多くのイスラエル人平和運動家を含め、イスラエル支配下にある人々の多数派は、国際社会によるイスラエルへの圧力強化が平和実現のためには不可欠であると考えている。
近年、イスラエルの対パレスチナ人政策がアパルトヘイト犯罪に該当するとの認識が広がっており、今年7月に発表された国際司法裁判所の勧告的意見も、その認識を再確認している。この判断は、必ずしもパレスチナ問題の二国家併存解決を否定するものではない。しかし必然的に南アフリカ型の解決、すなわち一つの民主的国家においてユダヤ教徒、キリスト教徒、イスラーム教徒が平等に共存する体制を作ることによってパレスチナ問題を解決しようとする、パレスチナ解放運動の出発点において目指されていた解決案を惹起するものではある。この場合、イスラエルは名実ともにユダヤ人国家ではなくなるため、イスラエルは強く反発している。しかし、これは、米国や南アフリカで人種隔離政策が撤廃されたのと同じ話である。最終的なパレスチナの統治形態については、パレスチナ人およびパレスチナに暮らし続ける意志をもつユダヤ系住民らが民主的プロセスを通じて決定すべき問題である。しかし、イスラエルがユダヤ人国家として存続しなくなることについて、ユダヤ人を追放しようとしている、というような論理飛躍した認識で捉えることは、問題解決に対する極めて深刻な障害になる。米国や南アフリカにおいて白人優越主義が少なくとも制度面において消滅した歴史を承認するのであれば、パレスチナにおいてユダヤ人優越主義が消滅することは全住民にとって祝福すべきこととして捉えるべきである。
パレスチナ解放運動は、その根底の部分において、国民国家フレームを定型とする欧米中心主義的歴史認識に対する批判を含んでいる。ガザを取り巻く現状は、国民国家フレームが普遍的なものたりえないことを示している。核保有国・人権侵害国であるからこそ「被爆の実相」を見るべきだ、という議論は、国家が独占するパワーポリティクスが限界点に来ている危機的状況を直視していない。危機の時代において平和を創造する主体は、その危機によって最も虐げられている人々を中心に据えるべきである。そうでなければ、平和祈念式典はジェノサイドを隠蔽するための「ピースウォッシング」の場になってしまうであろう。今、パレスチナ人は民族の総意として、イスラエルが国際法を遵守するまで、非暴力的手段BDSを通じて国際的圧力をかけることを国際社会に対して強く求めている。残念ながら、現状の「国際社会」は、政府レベルで、イスラエルの犯罪に対して、国連憲章にもとづき当然科すべき制裁を行う意志を持っていない。そうであれば、まず、市民社会レベル・地方自治体レベルでイスラエルに対し、アパルトヘイト時代の南アフリカが受けていたような制裁――例えば、公的行事からの排除――を科す最大限の努力をすべきである。そのことは核廃絶を進める上でも決定的な意味を持つはずである。