平和軍縮時評
2014年06月30日
平和軍縮時評6月号 福島第1原発事故に伴う海・川・湖の放射能汚染 湯浅一郎
福島第1原発事故から丸3年強がたつ。現在も、原発からは、一定量の放射能が出ていると見られるが、事故直後の1~2ヶ月に大量に放出された物質群は、大気や水の運動に従って環境中を移動しながら、きわめて広範囲に環境を汚染している。物質ごとの半減期に従って減衰するとはいえ決して消滅したわけではない。セシウム137、ストロンチウム90など半減期が約30年の物質群は、ほとんど減衰することなく、居場所を変えているだけである。しかも無機的自然だけではなく、あらゆる生物の体内に浸透している。この現実は、あらゆる生物にとって、まさに平和を脅かされている類いの問題であり、決して忘れてはならないという思いを込めて、3年間における水圏(海、川、湖など)の汚染を概観する。
1. 福島原発の港湾内もれっきとした海
2013年夏から表面化した福島第1原発からの「汚染水」の漏えいは、事故直後の構図が基本的に変わることなく継続していることを改めて思い知らせた。事故当時、メルトダウンし、原子炉や格納容器内に分散した1-3号機の溶融燃料の存在状態は未だつかめないまま、冷却作業を継続せねばならない構図は変わっていない。原発港湾内の、とりわけアイナメ、ムラソイ、シロメバルといった底層性魚は、アイナメの74万ベクレルを筆頭に1kg当たり10万ベクレルを超える超高濃度の放射性セシウムを体内にため込んだまま、生存している。海水、海底土が高濃度に汚染され、動植物プランクトン、ゴカイ、小魚が相当汚染されている中で、食物連鎖により起きていると考えられる。水産庁は、セシウムは生物学的半減期が短いので高濃度に濃縮されることはないと説明してきた。その立場からは、現実に10万ベクレルを超える生物が、次々と発見されていることをどう解釈するのであろうか。ここに生息している生物群集は、身をもって福島事態による放射能汚染の過酷さを示し、我々に警告を発している。一方で、この港湾は外海とつながった系であり、れっきとした海の一部でもある。日々、海水が入れ換わり、生物の一部は港外に出て、外海との交流を続けているはずである。
2. 世界三大漁場の放射能汚染
事故時、大気中に放出された放射能の約8割は太平洋に降下したと推定される。放射性物質は、原発からの距離だけでなく、風向や、頻度により不均一に降下し、面的あるいは帯状に短時間で海に入った。少し遅れて原発サイトからは溶融した燃料に直接触れた高濃度汚染水が流出した。それらは海水と混合しながら、流れに乗り拡散した。この2つがほぼ同時に起こった。
放射能が流入した海は世界三大漁場の一つである。この漁場は、3月11日の東日本大震災の震源となった断層面とほぼ重なる。青森県下北半島沖から千葉県銚子沖に至る南北約500km、東西約200kmの広大な海域である。ここでは、グローバルな亜熱帯循環流の一部としての暖流・黒潮と栄養豊富な寒流・親潮がぶつかり合い、大規模な潮境が安定的に形成されている。潮境とは、水温や塩分などが異なる水塊が接しあう前線のことである。黒潮系水は北東へ、親潮系水は南西に向けて流れ、常に新しい海水を潮境に輸送している。ここには、栄養塩やプランクトンが集り、その餌を求めて暖流、寒流の魚群が集まり、世界的な漁場となる。1951年、レイチェル・カーソンが、『われらをめぐる海』で、地球という星に固有な惑星規模の海流として<惑星海流>という言葉で形容したいとしたグローバルな海流系が作りだす恵みの場である。ここは、太陽と地球が作り出す、多様な生命体と無機的自然が織り成す海洋生態系のための壮大な舞台である。
事故が起きた時、潮境は銚子から東に向けて延々と続いていた。原発沖には親潮系水が張り出し、ゆるやかな南への流れがあった。原発から海に流入した放射性物質の多くは、この流れに乗り、潮境へ向けて輸送された。親潮系水は、潮境に至ると黒潮系水の下に侵入し、福島県側では表層にあった高濃度水は、茨城県側に入ると下層に侵入し、一部は海底に堆積した。海水中にとどまったものは、黒潮続流に乗って東へ輸送され、グローバルな汚染に関与した。こうして福島事故は、世界三大漁場のなかでも最も大規模で、水産資源に富んだ世界屈指の好漁場を汚染した。現在も福島県では、相馬漁協,いわき漁協がかなり沖合での試験操業を除き、ほとんどの魚種で操業自粛が続いている。さらに宮城県から茨城県まででも、スズキ、クロダイなど特定の魚種については事故から3年後でも出荷制限が継続している。
海洋生物は、生活史と放射能の海への流入の仕方に規定されて様々な影響を受けた。まず事故直後に高濃度汚染されたのはコウナゴ(イカナゴ幼生)など表層性魚である。コウナゴは、11年4-5月、原発から南方へ100km圏内を中心に1kg当たり14400ベクレルという高い値が出ている。表層性魚や、軟体動物、甲殻類などは、海水濃度の低下につれて濃度は下がった。
事故から3~4か月経過した11年7月~9月、汚染はピークに達し、最多の61種が基準値を超えていた。内29種は底層性魚である。中層性魚で雑食性のスズキ、クロダイは高濃度のものが2年たっても広域的に存在している。特にスズキは最高値が2100ベクレルで、金華山から銚子まで350kmにわたり基準値を超えている。アイナメ、メバル類など底層性で定着性が強い種は福島沖を中心に基準値を超えるものが多数、存在する。回遊魚では、初めの半年間は、マサバなどに基準値を超える汚染が見られた。マダラは、最高濃度は500ベクレル程度であるが、放射能が検出される範囲は最も大きく、特に北への広がりが大きい。魚介類で10ベクレルを超えるものの北限として北海道北東部の沖合まで汚染の影響が出ている。
海洋における海水、底質、そして様々な生物の汚染状況から以下の全体像が浮かび上がる。
- 第1次影響海域:福島第1原発から南方向の福島県沖、茨城県北部の海域では、あらゆる海洋生物に高濃度汚染が見られる。底層性魚の汚染は長期にわたる危険な状態が懸念される。
- 第2次影響海域:第1次影響海域の周囲に原発から北方へ約50kmから、南は約120kmまでの南北170kmにわたる広い領域で、多種の生物が基準値を超える汚染を受けている。
- 第3次影響海域:スズキ、クロダイなどの中層性魚は金華山から銚子沖までの広範囲で基準値を上回る。マダラなどの回遊魚では北海道東部や青森県沖までの広い範囲で数10ベクレルという放射能の存在が確認されている。魚自身の遊泳行動による面が強い。
比較的、軽微ではあるが、陸の汚染が河川を経由して海に影響しているものが、東京湾、新潟市沖の日本海に見られる。特に東京湾は江戸川経由での海への輸送が継続される可能性がある。 - 第4次影響域:生物汚染が顕著というわけではないが、黒潮続流に乗って東に輸送され、グローバルな循環流に乗って拡散した部分は低濃度ではあるが北太平洋規模で拡がっているはずである。
また海岸生態系への影響などについては、まだほとんど調査結果が出てきてない。そうした中で、福島第1原発から南へ30kmの広野までの海岸において、小さな巻貝であるイボニシが見つからないという研究結果が2013年水産学会春季大会において国立環境研究所の堀口らによって発表されている。空白区は、ここだけであることから、事故に伴う放射能汚染が要因である可能性を含めて、今後のフォローが必要であろう。
3. 東日本の広い範囲にわたる河川・湖沼の底質、生物汚染
大気に放出された放射能の約2割弱は、福島県を初め、1都8県など東日本を中心に陸域に降下した。大気経由で運ばれた放射性物質が、山間部を中心に高濃度で地表面に沈着し、雨に溶け、風で輸送され、河川、湖沼の生物に取り込まれている状態が極めて広範囲に発生している。その結果、内水漁業の出荷停止は、14年3月3日現在、福島県をはじめ岩手県から東京都までの1都8県の広範囲に及んでいる。
河川の底質汚染は、原発直近の請戸川の室原橋における92000ベクレルを最高に、福島県浜通り地方の原発から北側の中小河川で最も高い。生物でも、新田川のヤマメ1kg当り18700ベクレルを筆頭に、アユ、ウグイなど1000ベクレルを超えるものが相次いでいる。第2の高濃度域は、避難地域の北西部から西側にかけての伊達市、福島市など阿武隈川水系の中流域で、底質はどこも15000-30000ベクレルと高い。他にも、底質では会津地方の湯川村25000ベクレル、手賀沼流入河川(千葉県)である大津川20200ベクレル、七北田川(仙台市)11100ベクレルなどがある。北は北上川水系から南は江戸川まで、河川底質は500-1000ベクレル程度に汚染され、基準値を超える淡水魚が広範囲に出現している。ヤマメ、イワナ、ウグイは暫定規制値を超えるものを含め、事故から2年、3年目に高くなる場所も多い。アユ、ワカサギは寿命が短く、2年目以降は徐々に低くなる。
湖沼の汚染も最高レベルは請戸川上流の大柿ダムの26万ベクレルを筆頭に、原発に近い浜通りにある河川上流の堰止湖に見られる。真野川上流のはやま湖では、11年12月、底質の最高値は12000ベクレルであったが、12年6月には5万ベクレルへと4倍増し、時が経つほどに高くなっている。周囲の山間部から放射能が流入したものとみられる。これに対応し、生物汚染も11年12月、ウグイ1010ベクレル、オオクチバス790ベクレルであったのが、12年6月には、コクチバス4400ベクレル、ナマズ3000ベクレルと半年の間に軒並み高くなる。大柿ダムなどの生物調査がないので不明であるが、底質汚染のより高いところでは、より高い生物汚染があると推測される。次いで阿武隈川水系上流の堀川ダム(西郷村)、中下流の半田沼(桑折町)も2万ベクレルを超えている。他に手賀沼の根戸下(柏市)8200ベクレル、藤原湖(みなかみ町)4600ベクレル、鬼怒川水系の五十里ダム4400ベクレルなども高い。
さらに桧原湖、秋元湖、沼沢湖、中禅寺湖、赤城大沼、霞ヶ浦等では、底質は1000-1500ベクレル程度なのに、生物はかなり濃度が高い。桧原湖のワカサギ870ベクレル、ウグイ 570ベクレル、秋元湖のヤマメ670ベクレル 、赤城大沼のイワナ768ベクレル、ウグイ741ベクレルなどである。中禅寺湖は、ブラウントラウト280ベクレル、ヒメマス196ベクレルなどが出ている。福島原発から170kmの霞ヶ浦や190kmの手賀沼ではアメリカウナギ、ギンブナで基準値を超える汚染が継続している。湖沼は、地形や出入りする河川の構造などにより異なるが、閉鎖性が強く、湖水の交換能力が小さいため、底質の汚染の割に生物への影響が高く出ている可能性もある。物理的な流動や水の交換能力との関係で生物汚染をとらえる研究が求められる。
浪江町や飯館村での河川、湖沼における底質や生物汚染に関する情報は限られているが、当然にも、そこの汚染が最も深刻であろう。それは、原発から北方への浜通りの河川及び湖沼が最も高濃度に汚染されていることから推測できる。
岩手県から千葉県へ至る広大な領域で、上流に高濃度汚染した山間部がある地域では、河川、湖沼の底質や生物の汚染が続いている。河川勾配が急であれば、1年ほど経過することで、多くの物質が、すでに海に出ているであろう。江戸川のように河川勾配が小さい場合は、現在も中流域が高濃度のままという河川も見られる。また湖沼は放射能の一つの受け皿となるため、汚染が慢性化し、とりわけ生物の汚染は長引く傾向が強い。
4. 懸念される生物相への生理的、遺伝的影響
こうして水産生物の汚染は深刻な状況が続いている。この現実をみると、中長期的に見た海洋生態系、陸水生態系への影響をフォローすることが必要となる。そのためには動植物プランクトンから始まる食物連鎖構造のあらゆる段階について調査・分析をしなければならない。ここでは、放射性セシウムを中心に1kg当り100ベクレルという基準値を比較の目安として水圏の泥や動植物における放射性物質の蓄積量の分布と時間変化を見た。しかし、基準値は、人間が食べる立場の安全性から決めたもので、動物への生物学的影響をゼロにできるものではありえない。基準値程度の汚染を受けた時、その魚は生理的、遺伝的にいかなる影響を受けていくのか。また基準値以下の汚染を受けた時でも、影響がゼロになる保証は何もない。蓋然性としては、もろもろの被害が出てもおかしくない。そして、本質は、その先の個々の生物の繁殖力の低下、遺伝的変化、それらが織りなす食物連鎖構造への長期的な影響である。放射性核種ごとに、分子、細胞への放射線の照射が進めば、それ相応の免疫機能の低下、突然変異の発生などが起きていくはずなのである。これは今後の課題とするしかない。
問題は、無機的環境と食物連鎖で構成される海洋や陸水の生態系に、人工的な毒物である放射能が大量に投入された時、生態系は全体としてどういう影響を被るのかである。放射能が生態系の隅々に侵入したことで、生態系のどこがどのように崩れていくのか。自然は<縫い目のない織物>、シームレスである。どこかが崩れると、思いもよらぬ悪影響が出る可能性を想定しておかねばならない。いずれにせよ海、川、湖の生物の汚染の多様性と深刻さは、未だつかみきれないものがある。
1つの工場が事故を起こしただけなのに、放射能の環境汚染は、多様で広大で、自然の中に深くしみ込んだままである。セシウムやストロンチウムの半減期は約30年である。放射能は、60年を経て4分の1、90年を経ても8分の1は残る。そう考えると福島事態により生起した現象は、現在進行形であり、少なくとも数十年、さらには百年にわたり状況はあまり変わらないことが予想される。 1868年、産業革命が勃興している時期に、シルクロードの命名で知られるドイツの地理学者リヒトホーフェンが、瀬戸内海を見ながら、その将来について「その最大の敵は、文明と以前知らなかった欲望の出現とである」と喝破したことは、核エネルギー利用の一つとしての原発の問題にも、そのまま当てはまる。2011年、福島第1原発での危機的な事故に伴い、グローバルな放射能汚染が懸念されている課題を直視し、産業革命以降の人類の歩みを省察すべきときである。福島事態による水圏における生物相の長期的影響は、そのために少しでも生かしていかねばならない。
*より詳細な分析は以下を参照。湯浅一郎(2014):『海・川・湖の放射能汚染』、緑風出版。