平和軍縮時評
2010年09月30日
平和軍縮時評9月号 軍事緊張をこそなくさねばならない-韓国哨戒艦「天安(チョナン)」沈没事件 湯浅一郎
1. 何が起きたのか?
2010年3月26日夜、連合国側が海上の南北境界線とする北方限界線(NLL)に近接する南側の海域において、韓国海軍の哨戒艦「天安(以下、チョナン)」が沈没した。北朝鮮はNLL自体を認めておらず、北朝鮮が1999年に設定した海上軍事境界線は遥か南方にある(地図参照)。事件の概要は以下のようなものである。
「2010年3月26日、推定時刻21:15から21:22の間に、1300トン級の哨戒艦「チョナン」は、真二つに割れ、黄海の浅海にある北方限界線(NLL)近くにあるペクリョンド(白■注1島)の南西約1海里の沿岸で沈没した。艦長を含む58名が生き残ったものの、46名が死亡あるいは行方不明となった。そのとき、毎年恒例の米韓合同演習「フォール・イーグル」が実施されていた。「チョナン」が「フォール・イーグル」演習に直接に関連して動員されたのではないと韓国国防部は説明したが、救助任務にあたった米海軍第7艦隊のデレック・ピーターソンは、2010年4月5日の韓国テレビ局によるインタビューにおいて、沈没が韓米による通常の米韓合同演習の最中に起こったものであると述べた。」
事件発生時刻は干潮時にあたり、島の周りで水深が急激に変化することから、船舶の航行には危険が伴う時間帯で、砂場への座礁などが発生しやすい時間帯であった。
2. 疑問だらけの国際軍民合同調査団(以下JIG)の北朝鮮魚雷原因説
その後、様々な憶測が飛び交うなか、5月20日、韓国政府が設置した韓国の軍・民間と英、米、豪、スウエ―デンが参加するJIGが記者会見を行い、「沈没は北朝鮮の潜水艇から発射された魚雷による水中爆発が原因」とする調査報告書(以下、「報告書」)を公表した。報告書は全文400ページと言われるが、記者会見資料5枚程度が示されただけで、全文は一般には未公開である。
「報告書」は、「5月15日に浚渫船が、爆発地点で発見した魚雷部品が、完全に北朝鮮のCHT-02Dに合致した」ことを持って、「北朝鮮潜水艦から発射された魚雷攻撃による水中爆発」と断じている。膨大な報告書が印刷、発表されるためには、それ相当の日数が必要と考えられるが、奇妙なことに、発表のわずか5日前に見つかった魚雷部品を結論の決め手にしていること自体が不自然である。
使用されたのは、大型艦攻撃に使用される北朝鮮製の大型魚雷「CHT-02D」型で、目標近くで爆発を起こす「感応魚雷」であるとされる。魚雷は、チョナンのガスタービン室の左舷から3メートル、水深6~9メートルの水中で爆発。爆発で生じた強力な水流「バブルジェット」で船体が切断され、チョナンは沈没したという筋書きである。
しかし、例えば、韓国の代表的なNGOである参与連帯(PSPD)の分析注2に基づいて整理すると以下のような多くの疑問や究明すべき問題が残されている。
- 国防部は、航跡、事故時点での通信記録、生存者の証言といった基本情報を一切公開していない。そのため、実際のさまざまな事実関係が論理的に説明されていない。
- ディーゼルエンジンやガスタービン等、魚雷による衝撃波の影響を受けた艦船の部品や構造など重要部分の調査を行わず、また、爆発のシミュレーションを完了させることなく、最終報告が作成されている。
- 決定的な証拠とされる北朝鮮製の魚雷スクリュー推進部の「1番」というハングル文字の信憑性がない。
- 明白な証拠に基づいて、艦船が外部水中爆発によって沈没したか否かを証明することがなされていない。
- 当初、座礁という報告があったが、その真偽は、確かめられないままである。座礁あるいは衝突を含めた沈没原因のさまざまな可能性について、明白な証拠に基づいた、徹底的な調査と検証が必要である。
- 爆発が魚雷によるものとの結果が示されたら、疑いなく、明白な証拠に裏打ちされた形で、次に続く調査において北朝鮮が爆発の背後にいることを証明できなければならない。
この事件が国家安全保障及び南北関係に与える重大な影響を鑑みれば、情報公開はとりわけ重要である。これらから見えることは、韓国政府が、何かの期限に間に合わせようとして、検証や証拠が完全でないまま、拙速に報告書を作成し、発表したことが伺える。急いで発表した背後に政治的意図があるのではないかとの疑問はぬぐえない。
「JIGが提唱している魚雷攻撃の証拠は、説得力のある合理性を欠いており、これは北朝鮮潜水艇の潜入に関する説明も同じである。韓国軍は、魚雷シューターやスクリューを提示した。これらはどちらも理解を超えて真新しく見える。しかし、1)疑いなく魚雷によって損傷を受けた船体、2)さらに言えば兵士、3)事故に関する記録あるいは映像、などを含む説得力のある他の関連物証を示したり、証明できていない。
JIG最終報告を発表した後、李政権は北朝鮮に対する一連の対抗措置をとり続けた。5月21日に国家安全保障会議を開催し、北朝鮮への制裁を議論。24日には、大統領が国民向けの演説を行い、海上ルートの使用に関する南北合意の停止、南北間でのあらゆる取引や物流の停止、北朝鮮への宣伝放送の再開、北の軍事的違反の場合は自衛権を行使することを含む能動的抑止への軍事態勢の変更、潜水艦に対する戦略力や軍事演習の強化、国連安保理への寄託等、北朝鮮に対する「断固とした措置」を宣言した。李大統領は、北朝鮮に謝罪、並びに事件の責任への懲罰を強く要請した。
これに対し、北朝鮮は、5月20日、国防委員会の声明で自国の関与を否定し、韓国に派遣された北朝鮮査察団に証拠を示すよう要求した。韓国がそれらの要求を拒否した時、北朝鮮は、祖国平和統一委員会を通した声明において、今後生じるあらゆる南北関係問題は、戦時法に基づいて処理されるとし、もし南が行動と報復で対応するのであれば、南北間の不可侵条約を廃止し、韓国とのあらゆる関係の断絶を含め、断固たる措置をとると宣言した。北朝鮮中央軍司令官は、もし韓国が北に対し、新たな形態での心理的宣伝を開始するのであれば、直接的に銃口を向け、発射し、破壊すると断言した。朝鮮半島の軍事的緊張が高まり、南北対立は極度に悪化した。
こうしたなか、軍民調査団の報告が出た直後の6月2日、韓国で地方選挙があったが、与党ハンナラ党は大敗した。韓国市民は、冷静であり、戦争を望まなかった。
3. 議論は国際社会に拡大
その後、議論の場は国際社会に移った。韓国政府は6月4日、ヘラー国連安全保障理事会(以下、安保理)議長(メキシコ)に「報告書」を添付した書簡を送り、「北朝鮮による重大な軍事挑発に対して適切な対応」を求めた。これに対し北朝鮮は、8日、同議長に、韓国の調査結果を全面否定し、「事件は、米国の政治的、軍事的目的に沿った陰謀である」との書簡を送った。
国連安保理は、14日、韓国、北朝鮮から相互の言い分を聴取する目的で非公式協議を開いた。その後の協議経過は公表されていないが、中国が、北朝鮮を名指しする決議は朝鮮半島の不安定化につながると受け入れない方針を貫いたことから、韓国が求めた早期の制裁決議等には至らなかった。またロシアは、5月末から専門家の調査団を訪韓させ、独自の報告書を作成した。
鳩山首相(当時)は、「報告書」が発表されたその日に、「報告書」の内容は事前に韓国から充分説明をうけているとした上で、「わが国としては、韓国を強く支持するものである。北朝鮮の行動は許し難いものであり、国際社会とともに強く非難する」とのコメントを発表した。日本は、6月のムスコカ・サミット宣言においても、北朝鮮を名指しで非難することに積極的に賛成した。6月26日、G8ムスコカ・サミット首脳宣言には、韓国の「報告書」に触れながら、「その文脈において北朝鮮の関与を非難する」という項目が付け加えられた。
さらにG20「トロント・サミット」の機会を利用して行われた日中首脳会談において、菅首相は、「哨戒艦に対する北朝鮮の行為は地域の平和と安定を損なう許し難い行為であり、国連安保理において北朝鮮を非難する明確なメッセージを出す必要がある」と述べた。これに対して、胡主席は、「朝鮮半島と北東アジアの安定を維持するために、関係各国は大局に立って冷静に対処すべきである」と応じた。どちらが、客観的で、かつ冷静かは一目瞭然である。
こうした流れのなかで、7月9日、国連安保理は、韓国哨戒艇沈没事件に関する議長声明を発出した。そこでは、「チョナンの沈没は北朝鮮に責任があるとの結論を出した韓国政府が組織した5ヵ国参加の軍民合同調査団の調査結果に鑑み、安保理として深い懸念を表明する。安保理は、事件とは何の関係もないとする一方の当事者であるDPRKの主張に留意する。したがって、安保理は、チョナン沈没をもたらした攻撃を非難する。」としている。中国、ロシアの慎重な姿勢が反映され、韓国の主張を一方的に採用するのでなく、DPRKの主張も併記する形での議長声明となった。これによって、チョナン事件をめぐる国際的な議論は一応、決着した。
それにしても、軍民合同調査団の報告をもとに、一方的に韓国政府の主張をうのみにし、国際的な場で北朝鮮への制裁を主張し続けた日本政府の姿勢は、冷静さを欠くものとして、厳しく批判されるべきであろう。東アジア共同体をめざす姿勢のかけらも感じられない。
4. 軍事緊張をなくすことこそ急務
チョナン沈没事件の真相究明は未だ終わっていない。安保理を含む国際社会がすべきことは、残された多くの疑問の解明であり、朝鮮半島の平和と安定を保持するためにも、冷静な対応が求められる。とりわけ日本政府は、非難決議や制裁を急ぐ前に「報告書」に関連して提起されている多くの疑問や問題点について真摯に検証すべきである。
一方で確認せねばならないことは、事件が起きた現場は、世界的に見ても極度に緊張が高い地域であることだ。軍事・緊張の海と言っていい。今回の事件と状況は異なるが、北方限界線周辺海域では、これまでに計3回、以下のような南北艦艇による交戦がくりひろげられている(地図参照)。
- 1999年6月15日。午前7時55分、ヨンピョンド(延坪島)付近で北朝鮮の警備艇7隻が北方限界線(NLL)の南側5kmまで侵入し、9時30頃まで韓国海軍の高速艇と哨戒艦など10数隻と交戦。
- 2002年6月29日、9時54分から10時50分にかけて、ヨンピョンド(延坪島)付近の北方限界線(NLL)の南側3~5km付近で、北朝鮮警備艇と韓国高速艇・哨戒艦の間で交戦。北朝鮮警備艇1隻が炎上し、死傷者30人前後(推定)。韓国高速艇1隻沈没、死者4名、行方不明1名。
- 2009年11月10日、11時30分から約10分間、テチョンド(大青島)の東12km付近で交戦。
これらは、すべて海上の南北境界線として連合国側が主張する北方限界線(NLL)と、北朝鮮が1999年に設定した海上軍事境界線に挟まれた境界領域で発生している。この構図を整理しない限り、同様の衝突事件はいつでも起こりうる状態が続いている。チョナン事件が訴えているのは、多国間の対話と協調による信頼醸成を作り出すことによって、朝鮮戦争から60年の今も冷戦構造が続いている構図からの解放をいかにして早急に実現するのかという点にある。そうした問題意識からは、7月の安保理議長声明の直後、中国が、外務省報道官による談話として、「関係当事国は冷静さと自制を保ち、それを契機として、速やかに『天安』事件というページをめくり、早急に6カ国協議を再開することを呼び掛けたい」と表明していることに注目したい。
注
- ■は、へんが令、つくりが羽
- 参与連帯(PSPD)の見解の全訳は「核兵器・核実験モニター356号」(ピースデポ、2010年7月15日)。