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和田春樹東大名誉教授「ボールは日本側にある~北朝鮮対日大使・宋日昊はこう語った」(雑誌「世界」2010年12月号)
2010年9月30日、私は平壌普通江ホテルで日朝交渉の北朝鮮大使宋日昊氏と会った。2005年に2回会って以来、5年間会う機会はなかった。5年前の3月には遺骨問題で断交状態になって、怒りに燃えていたし、10月には日朝協議の再開が決まり、そのための準備をしていて、特別話す必要もない様子だった。今度は、怒りもなく、期待を示すこともなく、まさにボールは日本側にある、日本の出方を悠然と待つという風であった。宋氏はこう切り出した。
【過去の反省が第一】 「ご存知のように、朝鮮と日本は一衣帯水、地理的に近い国です。歴史的にも深い関係をもってきました。100余年前、捏造された併合条約からは100年ですが、その前から日本の侵略の政策によって、朝鮮と日本の間には不幸な歴史がはじまりました。そのような不幸な過去の歴史にいまも終止符を打てない状況にあります。このような状態で朝日関係を一言で表せば、日本が朝鮮を侵略した、朝鮮が日本の侵略をうけた関係であります。関係を改善するということは、本質上日本が過去の歴史をきれいに清算して、2つの国の間に政治的な善隣関係をむすぶということです。…したがって、朝日関係を正常化しようとするなら、このような原則的な立場で政策を確立し、努力しなければなりません。」
宋氏は、いろいろな人々の努力にもかかわらず、「遺憾ながら結果は今の現実が示すとおりです」と言い、「なぜうまくいかなかったのか」、その原因は「日本政府の対朝鮮政策」にあると指摘した。
「くずものは早く洗いきよめなければなりません。それを綿の風呂敷でくるんでも、悪臭はますますひどくなります。その綿の風呂敷の上に枝葉の問題を乗せて解決を望むというのであれば、いくら時間がたっても根本的な関係改善は不可能です。何らかの水面下の接触とか、1、2回の会談を通じて枝葉の問題を解決し、一時的に雰囲気をつくろうとするものであれば、国民をあざむくものです。必要な水面下の接触をはかることも重要ですが、それより根本的な問題を解決することに目標をおいて物事を進めなければなりません。」
ついで、宋氏は拉致問題に話を進めた。「…いまとなっては、日本政府が拉致の問題をもって日本の国民の中に共和国についてあまりにわるい印象を吹き込んだので、そこから抜け出せないのです。自分で自分のわなに落ちたということです。言い換えれば、日本政府が、拉致問題に拉致されているといえます。」
この言葉を聞いて私は心中苦笑いをせざるをえなかった。平壌訪問の1カ月前、私は日朝国交促進国民協会の2年前の連続討論会「拉致問題を考える」の内容を本にしたところだった。私はその本を宋氏に読んでもらおうと、カバンに入れてきたのであった。私が書いたその本の最終章の冒頭の見出しがまさに「拉致問題に拉致された日本」であったのである。
【われわれは騙されたようだ】 宋氏は、ではどうすべきかと問いをだして、次のように答えた。「朝鮮の昔のことわざに、結び目をつくった者がそれを解かねばならいという言葉があります。日本政府がそのような事態をつくったのですから、日本政府が解決しなければならないのです。2008年8月瀋陽で拉致問題についての実務協議がおこなわれました。…日本政府は当時共和国政府が再調査をおこなうと発表するのであれば、日本は部分的に制裁を解除すると通告してきました。会談後、われわれは再調査を行うと表明しました。しかし日本側は制裁の解除を実行しませんでした。…ここで基本的なことは、再調査すると発表するとか、制裁を解除するとかではなくて、基本の目的は関係改善の雰囲気づくりにあると日本側が数回にわたって強調して提起してきたということです。…いまになって考えてみれば、私たちが騙されたような気がします。なぜかというと、自分に都合のいいように、目的を全部かくして、共和国が再調査を約束しながら、それをはたしていないと宣伝しているからです。」
「いまになって考えてみれば、私たちが騙されたような気がします」と宋氏は言った。これは比較的上品で、控えめな言い方である。しかし、北朝鮮側がこのような気分でいるということをすくなくとも政府も国民も認識して、考えなければならないのである。
【民主党政権と菅談話】 宋氏は新しい民主党政権について次のように語った。「まず韓国併合100年にあたって菅直人総理大臣談話を出しています。内容としては村山談話の枠を出るものではありません。むしろ南朝鮮だけを対象にしています。…いま民主党政権は前の政権と同じことを言っています。これは民主党政権になっても、新しいものはないのではないかという印象を与えています。」そして今後については、「まず日本の対朝鮮政策が正しく確立されなければなりません」と述べた。
民主党政権について、その対朝鮮政策が変化していないとみているのは、当然のことであり意外な感じはなかった。8月10日の菅総理談話についての意見は、すでに明らかになっている北朝鮮の公式評価をくりかえしたものである。私はこのことについて、自分の意見を述べてみた。菅総理談話は不十分なものではあるが、併合の強制性を認めたもので、この認識は村山総理談話には含まれておらず、したがって平壌宣言にも含まれていない。この認識が韓国のみならず、北朝鮮にも適用されると認められれば、日朝間の新しい交渉を開く糸口になるものではないか。これにたいして宋氏は、はじめは「運動的な観点から」そのように問題を提起することは意味があるだろうと述べたが、あとになった、このことは「大きな助け」になるかもしれないと語った。
【ボールは日本側にある】 帰国後、秋の臨時国会が始まったが、菅総理は施政方針演説でも、政権成立後に行った唯一の歴史に残る行動、韓国併合100年にさいしての総理談話に触れなかった。
ようやく10月8日、参議院決算委員会で、社民党の又市征治議員が質問の冒頭で、菅総理談話の当該箇所は「1910年の韓国併合は、朝鮮半島を占領した日本軍によって、かの地の人々の意思に反して強制されたものであった、こういう認識だというふうに理解してよろしいですね」と問いかけた。つづけて、又市議員は「この認識は当然、朝鮮半島全体ですから北朝鮮に対しても同様の認識だろうかと思いますが」その点はどうかと質問した。
これに対して、菅総理は、第1点については、自分の談話の文章をそのまま繰り返すにとどまり、又市議員の併合は強制されたものと述べていると理解していいかという質問には答えなかった。しかし、第2点については「当時の韓国という意味は、まさに当時はまだ一つの国でありましたので、そういう意味を含めてだとご理解をいただきたいと思います。」と答え、談話の認識は、北朝鮮に対しても適用されることをはっきりさせたのである。
菅総理は、又市議員の日朝交渉についての質問に答えて、次のように述べている。
「日朝関係について言えば、日朝平壌宣言にのっとり、拉致、核、ミサイルといった諸懸案を包括的に解決し、不幸な過去を清算して国交正常化を図る方針にはかわりはありません。…拉致問題に関しては、2008年8月の日朝協議の合意に従い、北朝鮮による早急なやり直しが重要だと、北朝鮮にボールがあるものだと認識しております。…すべての拉致被害者の生還を実現すべく、考え得るあらゆる方策を使い、1日も早い解決を目指してまいりたいと思います。」
この認識ではどうにもならない。投げるべきボールは日本側にあるのである。「考え得るあらゆる方策」を使っても「すべての拉致被害者の生還を実現」することなど不可能である。事態を打開する真剣な努力は日本の側からなさなければならない。そのためには何よりも明確な認識とそれにもとづく政策の確立が必要である。「拉致問題について考え直す」ことをしなければ一歩も前には進めないことは明らかである。
(雑誌「世界」2010年12月号掲載)
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