ニュースペーパー
2021年03月01日
「原発のない福島」を求めて~10年間の大衆運動の歩み
「10年目の福島で、いま」第3回
福島県平和フォーラム共同代表 角田 政志
2011年3月11日、大地震と大津波で多くの人々が命と財産を失った。さらに「安全」と言われてきた原子力発電所が大事故を起こし、その結果拡散した放射性物質により、私たちは不安と苦しみの中での生活が始まった。
原発の過酷事故によって犠牲となり、苦しい状況の中で暮らしている福島県の人々の思いと、その現状を多くの人と共有し、原発のない社会をめざす決意を新たにするために、福島県平和フォーラムなどが中心となり、「福島県民大集会実行委員会」が結成された。そして、多くの市民団体や生産者団体にも参加を呼びかけ、2012年3月11日に「原発いらない!3.11福島県民大集会」が開催された。集会には、県内外から1万6千人が集まり、「福島の犠牲を無駄にしないために、ともに『原発はいらない!』の声を大きく上げましょう。」と全国に呼びかけた。
この運動は、「福島県内のすべての原発の廃炉を求める」ことを最大の目的とし、思想信条・政党政派・宗教の相違にこだわることなく、県内原発の廃炉で一致できる幅広い団結を目指し、継続した大衆運動としてこの10年間行ってきた。
地道な県民運動で福島のすべての原発を廃炉に 当時の福島県の原発の状況は、2012年4月に、事故を起こした第一原発1~4号機が廃炉となったものの、5、6号機と第二原発の4基について国及び東電は、廃炉を明言せず、再稼働の可能性も否定していなかった。2011年夏に福島県では、「原発に依存しない福島を」という県のビジョンが策定され、原発のない福島を求める方向で一つになっていた。こういった大衆運動と自治体の動きによって、東電が新設計画を進めていた「浪江・小高原発」については、2013年3月にやっと断念し、第一原発5、6号機は2014年1月にやっと廃炉となった。
残された第二原発について、東電は「国の方針による」といい、国は「事業者が決めること」といい、どちらも態度をあいまいにしていた。
実行委員会は、2016年から、県民の総意として「東電福島第二原発の即時廃炉を求める署名」にとりくんだ。署名運動を行ったことは、大衆運動を大きく発展させた。避難生活を強いられている被災者や生産者団体とも交流を進め、生活再建の問題、風評被害と闘いながら放射性物質の軽減対策に努力している生産者から、福島の農水産物の安全・安心、失われた信頼の回復に向けた取り組みを聞き取り、この運動を通して発信してきた。
集まった署名452,310筆は、3年間にわたり国と東京電力に提出し、即時廃炉を幾度も強く求めてきた。こうした取り組みによって、東電は、2019年7月にやっと第二原発全基廃炉を表明した。これによって、福島県の原発はすべて廃炉が決まった。
これは、私たちの継続した県民運動の大きな成果と言える。
県民の生活を大切にすることを優先として運動の継承を
しかし、すべての原発の廃炉が決まっても、原発事故前の生活を取り戻すことはできない。逆に、困難な課題が残され、様々な選択が迫られることで県民の分断が起こっていた。私たちの大衆運動も、意見が対立する場面も増えてきた。しかし、廃炉完了までには、まだまだ長い年月を要し、幾多の困難も想定される。廃炉作業と向き合い、常にリスクを負った生活が続くことを忘れてはならない。引き続き、安全かつ着実な廃炉を求め、放射能によって奪われた安全と安心の回復、県民の健康の補償、被災者の生活再建を求めていくことを確認し、大衆運動を進めている。
「2020原発のない福島を!県民大集会」は、コロナウイルス感染拡大によって中止せざるを得なくなった。しかし、国は、第一原発にたまり続けるトリチウム汚染水の海洋放出をしようと動き出した。
この問題も、海洋放出は許さないという意見と、処分しなければならない状況なので海洋放出は選択肢の一つだという意見が出ていた。県知事も明確な判断をしない。私たちは、県漁連をはじめ漁業関係者、JA福島をはじめ農業関係者、林業関係者、旅館ホテルなど観光業関係者と何度も意見交換をし、生産者の思いを受け止めて「トリチウム汚染水の海洋放出に反対する署名」に取り組んだ。署名は、現在約45万筆に上っている。これまでに2回、42万筆余の署名を経産省に提出し、海洋放出を行わないよう求めてきたが、国は、私たちの要請には答えていない。国や企業の都合ではなく、ここに暮らす人々の生活を何より優先した対応を求める運動を今後も続けていく。
「2021原発のない福島を!県民大集会」は、今回もコロナ禍で規模を縮小せざるを得ない。しかし、私たちは運動を止めず、オンラインで全国に発信していく。10年間の運動の継続は、簡単なものではなかった。この10年の運動が果たしてきた役割を土台として、さらなる運動の継承を図っていきたい。(つのだ まさし)