ニュースペーパー
2021年01月01日
困難を抱える少女たちの現状を知り、一緒に声をあげてほしい
インタビュー・シリーズ:161
Colabo代表 仁藤夢乃さんに聞く
にとう ゆめのさんプロフィール
一般社団法人Colabo代表。東京都「青少年問題協議会」委員、厚生労働省「困難な問題を抱える女性への支援のあり方に関する検討会」構成員を務めた。TBS「サンデーモーニング」にコメンテーターとして出演中。主な著書に『難民高校生-絶望社会を生き抜く「私たち」のリアル』、『女子高生の裏社会―「関係性の貧困」に生きる少女たち』など。Colaboについては、https://colabo-official.net/ を参照。
―仁藤さんが高校生の頃はいかがでしたか?
私の高校時代は、家が安心して過ごせる場所ではなく、街をさまよう生活を送っていました。父親が「亭主関白」で、両親の関係も対等ではなかった。今思えばDVもあったし、母も働いていたけど、自分の気持ちを押し殺して生活していたということを子どもながらに感じていました。そんな父親に会いたくないので、部屋にこもったり、家を出たり。すると父は母にあたって切れたりするんですよ。
家で安心して眠れないので、遅刻が増えたり、授業中寝てしまったりと、やる気がない生徒と問題児扱いされ、先生から怒られることもすごく増えるし、友達からも「がんばりな、ちゃんとしなよ」と言われることが、負担になってくる。誰もわかってくれない、みんなの家とは違うと思って、だんだん閉じこもってしまう。だから学校でも居場所がなくなってしまい、結局、高校2年生の夏に中退しました。
支配とか暴力がある環境では、いつもびくびくしている。家の共有スペースを使うことに非常に気を遣う。トイレに行く、風呂に入る、歯を磨く、ほかの家族と会わないように、ピリピリして生活している。とても勉強なんてできる環境ではない。それで夜の街に出て公園などでたむろするようになりました。そんなとき、声をかけてくるのは、手を差し伸べようとする大人ではなく、性搾取や買春を目的とした男性しかいませんでした。
そこで夜の街や公園でたむろし、群れることで、身を守り合っていたんですよ。危うい所だけど、「あの先輩と二人になるとヤバイよ」「あの店は出してるお酒に薬入れているよ」とか、群れることで情報共有して生き延びていました。
でも最近は、群れることも許されなくなってきました。渋谷の宮下公園がナイキの宮下パークになるとき、路上生活者を追い出したんですね。その時、たむろする女子高生も排除されちゃった。いまや、逃げ込める社会の隙間が本当になくなっている。これって逆に危なくなっている。
群れることができないから、今の子たちは孤立していて、性搾取や買春を目的とした男性から身を守る情報がない。ツイッターで「誰か泊めて」なんてつぶやくと、すぐにサポーターのふりをする加害者がいっぱいいるんですよ。SNSで人目もつかずに好き放題声をかけることができるようになっている。
―仁藤さん自身が変わっていくきっかけになったことはなんでしょうか?
高校中退後、都内にある高校中退者向けの予備校に行ったんです。その予備校は大学のように主体的に学べる場になっていて、社会問題を考えるゼミとかがあって、講師の方々も労働運動とか社会運動をしてきたガチな左翼の人や右翼の人もいるような所でした。
私はその中で、友達に誘われて農園ゼミに入りました。当時の私は畑なんか全然興味ないし、土も触りたくないけど、宿泊できてご飯もあると聞いて、ハイヒール履いてバリバリギャルみたいな格好で出ていったんですよ。そこで元高校教師だった講師と出会いました。その方は、大人の押しつけをせずに、互いの話をする事や議論することを大切にしていて、自分のその先を一緒に見てくれる感じだった。横並びの関係性って思えたんですね。またいろんな運動もやっていて、山谷に畑でできた野菜を送ったり、難民支援とか、フィリンピンから日本に来た女性の婚外子支援の裁判にも関わったりしていて、私もさまざまな困難の中にある人との出会いを通して、自分事として参加するようになっていきました。
こうしたところで、いろいろな問題に声をあげる大人の姿を見せてもらったことが大きかった。
それと、あるとき予備校の本部から教務部の人が送り込まれてきて、生徒たちがたむろしていたスーペースを私語禁止にして追い出そうとしたり、いきなり生徒の意見を無視した改革を始めようとしたんです。それに反対すると「君たちみたいなダメな子たちは、ある程度規制してあげないと生きていけないよ」なんて言ったりして、それで、生徒たちで謝罪を求める署名を集めました。結局その教務に謝らせることができたんですね。
小さなことでも問題に気づいたら声をあげることで、理解者を増やし、動かすことができるんだなっていう実感も予備校時代の経験で持つことができたんです。
―大学在学中にColaboを結成された、そのきっかけは。
18歳の時、その講師と行ったフィリピンで、日本人男性が当時の私と同世代の少女たちを買春しに来ているところを目にしました。そのとき、私は「この男たち、知っている」と思いました。家に帰れずさまよっていた渋谷で毎日のように声を掛けてきたあの人たちと同じだ、と。海外まで女性を買いに来ているのかと驚きました。店ではフィリピンの女の子たちが、日本人向けに、日本名らしい源氏名を付けられて売られていました。彼女たちは、地元には仕事がない、本当は学校に行きたかったけど、生活のためにこうするしかないと。「私たちと同じだ」と思いました。どうしてこういう女性たちには他の選択肢がないんだろう。社会の仕組みを知りたいと大学に進学しました。
明治学院大学の社会学部に進学後、国際協力の学生による活動にも参加しました。そういう活動をしている学生たちは「いい人」が多いんだけど、海外の貧困や性搾取の問題には、妙に「かわいそう、なんとかしなきゃ」って言うけど、私の経験を元に「日本でも同じことがあるよ」って話すと、「えっー映画みたい」「でも日本は平等だし誰でも努力すれば大学だって行けるしねぇー」って。それができない子たちは好きでやってんじゃないと、自己責任論になっちゃう。これにかなりショックを受けて、自分が今まで生きてきた世界と大学に来ている学生の世界とは、こんなにも違い、分断されているんだと思ったんです。大学に普通に行けるエリートな人たちが、政策を作ったり、社会を形作っているなかで、行き場のない子たちの状況を知っているものとして、自分が取り組むしかないと活動を始めたんです。
―子どもへの虐待などに対応する公的機関や社会のあり方についてはいかがでしょう。
虐待や貧困、孤立など、さまざまな困難を抱えた子どもたちに必要な支援を届けられていないのが現状です。家出や性暴力・性搾取の被害に遭った子どもたちを、被害者としてみるのではなく、「非行少女」「問題行動」として捉える支援者も多くいます。家が安心して過ごせる場所でなく、声をかけてきた男性にすがる気持ちでついていき、性被害にあった子どもに「どうしてそんな人についていっちゃったの」と責める大人が日本社会にはほんとうに多くいます。その人を頼るしかないと思わせてしまうくらい、孤立させ、手を差し伸べない大人や社会の問題です。そして、そうした状況に付け込む加害者の存在や手口があることに目を向けなければなりません。しかし、「なぜ」と聞かれるのはいつも、加害者ではなく被害者です。
性搾取を目的とした買春者や業者が、新宿や渋谷には、それぞれ毎晩100人以上立ち、彼女たちに声をかけています。そうした子どもたちにつながろうとしているのが、そういう人ばかりなのが問題で、彼らに加害させない社会にしなければなりません。
児童相談所などの公的支援が、機能していないという現状もあります。虐待相談件数も年々増える中、児童相談所はもともと手一杯で、命の危険が高い、乳幼児などの対応を優先せざるを得ないとはっきり言われたこともあります。ハイティーンの子どもたちは、それまでの大人への不信感などから、関係性を築くのにも時間がかかることが多くありますが、そこに向き合う余裕もありません。開所時間も平日の日中のみで、保護のニーズが高まる夜間や休日の行き場がない。また、児童相談所の一時保護所でも、大人の管理の都合で人権侵害ともいえるルールが存在しているところもあります。私語禁止だったり、入所時に全裸になってチェックされたり、手荷物や衣類も一切持ち込めない、学校にも行けないなどです。そのため、公的支援を利用したがらない人が多くいます。
私たちは、そうした少女たちに出会うため、夜の街でのアウトリーチや、10代の女性向けの無料のバスカフェ「Tsubomi Cafe」の開催、児童相談所や病院などへの同行支援、一時シェルターでの緊急宿泊支援や保護、中長期シェルターでの生活支援などを行っています。コロナ禍で相談も急増している中、民間だけで支えるのには限界があります。国や都も、公的支援につながれていない女性たちを民間が支えていることを認識し、2018年から「若年被害女性等支援モデル事業」を始めましたが、委託費がたったの年間1,000万円。それで未成年を保護する場合は夜間の見守りをするようにと。それだけの資金しか出さないで言うんです。
―夜に駆け込める所がないということですね。最後に、社会の大人たちへのアドバイスをお願いします。
子どもたちとか、女の子たちの背景を想像できる大人があまりにも少ないと思うんですよね。家出していたり、性搾取されている子どもたちについて、その子たちを責める社会がある。それは子どもたちだけでなく、性暴力でも、被害にあったときに女性が責められる、現状があります。搾取や暴力の構造について多くの人が理解し、加害者の存在、加害者の問題に目を向けていくべきです。
活動の中で大切にしている事は、対等な関係性を意識すること。どうしても、年齢や立場が違うため、対等にはなり切れないということを関わる大人が自覚したうえで、いかに自分の加害者性とか自分の特権とかに向き合いながら付き合えるかっていうことがすごく大事だと思います。この現状を知りながら、何もしない大人は、女の子たちにとって加害者の一人です。加害者たちに、性加害させにくい社会にするためにも、まずは学んでほしい。そして一緒に声をあげてほしいと思います。