2019年、ニュースペーパー

2019年06月01日

ニュースペーパー2019年6月



戦争への道を許さず、世界平和のため 憲法改悪反対!基地強化NO!
 復帰47年第42回5・15平和行進が5月17日から19日まで3日間行われ、沖縄本島では、南部・戦跡コースと中北部・基地コースの二つに分かれて歩きました。初日と2日目は、南部コースでは、沖縄県庁前の県民ひろばを出発し、ひめゆりの塔、摩文仁平和祈念公園などの南部戦跡をめぐり、南風原町役場までの約37㎞を歩き、中北部コースは、キャンプ・シュワブゲート前を出発し、キャンプ・ハンセン、嘉手納基地などの広大な米軍基地を実感しながら、北谷町役場までの31kmを行進しました。3日目は、両コース参加者らは、宜野湾市役所をスタートして宜野湾海浜公園まで、普天間基地を包囲するように北と南に分かれ、基地の即時閉鎖などを訴えながら歩きました。
 平和行進を締めくくる「5・15平和とくらしを守る県民大会」が、宜野湾海浜公園屋外劇場で開催され、平和行進参加者ら約2000人が集まりました。山城博治実行委員長の主催あいさつ、藤本泰成平和フォーラム共同代表の連帯あいさつの他、沖縄選出国会議員、ヘリ基地反対協共同代表の安次富浩さんらが登壇し、改憲や基地強化、安倍政治の暴走を許さないための団結をよびかけました。また、韓国の市民団体から14名の参加者があり、反戦・平和のため連帯していくことを誓いあいました。
 平和行進は3日間累計で3590人が参加、また5月11日には宮古島、15日には石垣島でも行われました。
(写真上段、那覇市内を行進する平和行進、下段、各地で市・町職労の方がたが給水・休憩所を運営、思い思いのメッセージを胸に行進する参加者)

インタビュー・シリーズ:145
ユーモアをもって、愛と平和を
グラフィックデザイナー U.G.サトーさんに聞く

─どのような経験や経歴を経て今に至るのかをお聞かせください。
 1935年生まれ、東京・神楽坂で育ちました。小学校まで生まれた矢来町で過ごし、3年生の時に栃木県の農村に集団疎開することになりました。1年ほど疎開先で過ごしましたが、太平洋戦争末期だったこともあり翌年には終戦を迎えました。疎開したお寺の寮では、60人ほどの生徒が男女に分かれて生活、近くの学校に弁当を持って通い、帰っては夕方、畑に干した大根などを納屋にしまう仕事に精を出していました。時折、生徒たちの頭上を、編隊を組んだ米軍機が通っていましたが、何もなかったことは幸いだったと思います。しかし、東京に残った親からの手紙では、家は丸焼けになってしまったけれど、全員無事だったと聞いて安堵しました。しかし、千住に住んでいた従兄弟の2人は母親とともに焼死してしまったと聞いてショックを受けました。その日は何も考えられませんでした。寮生活では、食事以外に何かを食べたいという気持ちが強く、お腹を満たすためにはどうすれば良いかと常に考えていました。そこで以前に母から習った和綴じのノートを作り、小さく絵を描いたりして、田舎の生徒たちがもつ、乾燥芋などと交換したりしていました。
 父や母、3人の妹たちの私の家族は、神楽坂で焼け出された後、世田谷に引っ越して、秋を迎えてやっと私を連れ戻しに来てくれました。翌年、品川に住まいを移し、どうにか生活していく中で、私は新制中学校に入学。その1期生として、全員ミカン箱を机にしながら、どうにか中学校生活が始まりました。その後、高校に進学、大学にも進みました。東京芸術大学は落ちてしまいましたが、東京学芸大学には合格し、半年は通いました。夏休みの1週間絵のモデルをしてもらった音楽科の女性に失恋、そして、体育で水泳の単位が取れなかったことを理由に大学を辞めました。その後はドイツのバウハウスの教育を取り入れた桑沢デザイン研究所に入学、イラストレーションと立体造形の狭間に遊びながら、私の進むべき道を探し続けました。様々な世界のアート、造形、デザインを見ながら、最も気に入った作家は、フランスのレイモン・サヴィニャックというイラストレーターでした。彼の描いた「ハム」と題した1枚のポスターは、豚が画面いっぱいに大きく描かれ、切断された胴部からハムがめくれたものです。一見不気味ですが、これ以上に説得できるハムの広告はないと思われる痛快な出来栄えに、私もこんなユーモアな心をもってデザインをしていきたいと考えるようになりました。その方法は、教わるものではないし、自分で努力して探すしかないのです。

 桑沢デザイン研究所を卒業後、銀座にある10人ほどのデザイン会社、オカ・スタジオに入社、岡社長に師事しながら、猛烈に仕事を始めました。最初の仕事は、パッケージ・デザインでしたが、その傍ら、自分のためにデザインした様々な試みを個展で楽しみました。その後、日本のトップクラスを集めて行われた藤沢薬品のパッケージコンペで私のデザインが採用され、その後もヤクルトの容器のヴィジュアルを決めるなどして、パッケージデザイナーになろうかとさえ考えたりもしました。しかし、それでもやはりサヴィニャックに出会った衝撃が忘れられず、箱よりもイラストレーションを自分流のユーモアで見せたいという気持ちが強くなるばかりでした。その後、自分流のイラストを中心に、「私の進化論」と題する個展を銀座で開催しました。本名の佐藤雄治から『U.G.サトー』というデザイナーのデビューでもあります。展示したイラスト作品の多くが逆説的な面白さに富むものとして評価を受け、多くのマスコミからも取材を受けました。さらに続けて個展を行い、ユーモアのあるポスターと立体的なオブジェのデザイナーとして評価が確立されていったようです。これらのイラストやポスターは、世界のビエンナーレ(1年おきに開催する美術展覧会)やトリエンナーレ(3年に1度開催される展覧会)でも注目を集め、様々な画廊から個展の申し込みが続き、最近では、ルーブル美術館の装飾デザイン館にも、私の作品が収録されたようです。



パリでくりひろげられたポスターの行進(福音館書店「たくさんのふしぎ・ポスター」より。左ページの「ハム」も

─U.G.サトーさんが、原水禁に関わることになったきっかけを教えてください。
 オカ・スタジオを退社して独立、内外での反戦ポスターに挑戦する機会に出会いました。ちょうどフランスが南太平洋上で核実験を行うというニュースを聞いて、私は猛然と立ち上がりました。すぐに多くのグラフィックデザイナーにFAXで核実験反対のポスターを作るよう呼び掛けたところ、意気に感じたデザイナーから1週間で100を超す傑作が寄せられました。私は早速それらA4サイズのポスターを、1メートルを超すサイズに拡大して、フランス語の堪能な関係者を1人連れパリに急行しました。かつてフランス革命200年祭のイベントで出会った著名なデザイナーのピエール・パリ・クラベル氏に相談すると、早速100人の人数を集めてくれ、かつてない日本人によるポスター・パフォーマンスを有名なアベニューで展開することが出来ました。数回にわたって行われたパレードは、改めてフランスの人々を日本のデザインのすばらしさで驚かせたようです。きっと、その頃でしょうか。井上年弘さんを通じて原水禁のことを知り、以後、様々な関わりを持つようになったことを喜んでいます。

─今の若者の平和感について、どうしていけばいいと思いますか。
 世界の貧しい国に比べて、経済的には恵まれている我が国にとっては、何をやってもいいのだという感覚が旺盛で、次々に新しいアイデアやモノを生み出す反面、地球や自然を破壊しようとさえしています。この先人類はどの方向に進むべきか、若者たちも想像力を駆使してこの惑星の未来を洞察していく必要があるでしょう。
 私は絵本もいくつか作っていて、「あめかな!」という絵本では、幼児や子どもたちに地球や大気の美しさを、水絵具を様々に使って感覚的にとらえた表現で、楽しんでもらったりしています。一方、「しまうまのさんぽ」という絵本では、対象年齢を小学校の低学年に設定し、街の中から野に出て楽しむ2匹のシマウマの散歩を描きました。この作品を作るきっかけは、私たちの住む街の中の何気ない遊びを通じて、人々の平和と愛おしむ心が永く続いていけばと思ったからです。

─最後に、読者に一言お願いします。
 私の本当の姿は、静かでおとなしい男ですが、集中すると何をするのかわからない人間です。私にとって、ユーモアの心は、面白いだけのものではなく、自制のためのものでもあります。みなさんも、ことある度に、ユーモアの精神で処することを忘れませんようにお祈りします。

インタビューを終えて
 「おもしろいこと楽しいことを実行すること!非難するだけでは平和は生まれない!」
 この間、平和運動に取り組み「こぶしを振り上げるだけでは平和は生まれない。平和運動は次の世代につながらない。」と何度か思うことがあった私は、この言葉をバシッ!と言われ衝撃が走りました。U.G.サトーさんは、フランスのポスター画家・サヴィニャックに影響を受け、人生に対して楽しみを与えられるようなポスター・デザイン・イラストレーションを創作されてきたと話されました。そして、毎年依頼している原水爆禁止世界大会のポスターは、「平和を続けられるよう見る人を動かす衝動的なポスター」との思いを込めて制作されているそうです。今年の第74回大会のポスターが今から楽しみです!
(北村智之)

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韓国訪問記
平和的自主統一を求める大衆運動の熱気に触れる

 3度にわたる南北首脳会談、そして史上初の米朝首脳会談が行われるなど、2018年は朝鮮半島情勢が大きく動いた年でした。南北間の緊張状態は一気に緩和され融和ムードが醸成されると同時に、朝鮮戦争の平和協定締結、そして朝鮮半島の非核化という長年の課題が近い未来に解決されるのではないかという期待が膨らみました。
 しかし、現実はやはりそう簡単ではありません。2019年2月28日の2回目の米朝首脳会談は何の成果も得ることなく決裂してしまいました。段階的な非核化措置とひきかえに制裁の緩和と安全の保証を求める北朝鮮に対し、米国がまずは北朝鮮による核放棄が先だと頑なに主張したことが原因と見られています。米国の強硬姿勢には様々な理由が考えられますが、これまで圧力一辺倒の政策が北朝鮮の姿勢を硬直化させ、核開発に向かわせていったことは誰の目にも明らかです。なによりも大切なことは、まずは70年以上にわたる戦争状態を速やかに収束させ、対話によって朝鮮半島の非核化を実現させていくことなのです。
 状況を再度前進させていくためには、平和運動の国際的なネットワークを通じて大きなムーブメントを起こしていく必要があります。このような主旨のもと、平和フォーラムの代表団は4月26~28日にかけて韓国を訪問し、コリア国際平和フォーラム(KIPF)と意見交換を行うとともに、板門店宣言1周年を記念したイベントにも参加してきました。
 韓国にも様々な潮流の平和運動がありますが、KIPFは南北に分断された民族同士が力を合わせ自主的かつ平和的に統一を成し遂げようと主張している人たちです。初日(4月26日)に行われたシンポジウムでも、KIPFは米国による圧力・干渉を退け自主的に統一を成し遂げるためにも、国内の運動を強化しなければならない、そして日本の平和運動団体にはわれわれのこうした動きを支持して欲しい、と訴えていました。
 平和運動に関わる人たちが「民族」という言葉を強調することは、日本では少し珍しいことかもしれません。しかし、それは韓国の民衆が経験してきた苦難の歴史に由来するものであり、強い説得力を持っているといえるでしょう。というのも、日本による植民地支配と連合軍による占領統治を経て朝鮮半島は分断され、さらに軍事独裁政権は民族の統一を求める人々を弾圧し続けました。このように韓国の民衆は常に帝国主義勢力とのたたかいを余儀なくされてきたのです。このような歴史的経緯を踏まえると、韓国における帝国主義・独裁政権とのたたかいが民族主義的な色合いを帯びるようになったのは当然のことと言えるでしょう。

キャンドル革命で自信と誇り
 また、いま韓国の運動は大衆運動に大きな自信を持っており、それはKIPFなど自主統一を掲げる人々にも共通しています。李明博・朴槿恵という保守政権による弾圧の中でも決してあきらめることなく抵抗し続け、ついにはキャンドル革命を通じて政権交代を勝ち取った韓国の人々は、大衆運動に強い自信と誇りを持つようになりました。このダイナミックな力を通じて、今度は米国の圧力をはねのけ念願だった自主統一を成し遂げようとしているのです。
 翌27日には板門店宣言1周年を記念して様々なイベントが行われましたが、そこでも改めて韓国大衆運動の力を見せつけられました。まず東西およそ500キロにわたるDMZ(非武装地帯)のいたるところで、14時27分(4月27日になぞらえた時刻)に合わせてヒューマンチェーンが行われました。わたしたちが訪れた坡州(パジュ)市でも労働組合や市民運動の人たちが楽しそうに手をつないでいました。また農民団体はやはり4月27日になぞらえて全国からトラクター27台を動員。自分たちの道は自分たちで切り開いていくという意志のあらわれでしょう。
 16時から始まった「4.27板門店宣言1周年記念大会」も、やはりメインテーマは自主統一ですが、そこには堅苦しい雰囲気は一切ありません。観衆も巻き込んで歌ったり踊ったり。とにかく参加者を飽きさせず、ともに場を盛り上げていくスタイルは見事。笑いあり涙ありのステージを通じて、参加者たちは自主統一への想いをさらに強めているようでした。

朝鮮半島の平和のために日韓の連帯を
 今回の訪韓でも、韓国民衆による統一への想いとそれを手繰り寄せようとする運動の強さを実感することができました。それと同時に、朝鮮半島の統一と非核化実現、そして日本の植民地支配・侵略戦争という過去清算と東北アジアの平和実現のために、日本のわたしたちは何をなすべきなのか、そのことについて改めて考えさせられました。当面の課題は、6月7・8日の「朝鮮半島と日本に非核・平和の確立を!市民連帯行動」を必ずや成功させ、国内世論を盛り上げていくことです。
(朴承夏)

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憲法は戦争しないと決めた。
宮古島、石垣島の自衛隊ミサイル部隊配備を撤回させよう。
岸本 喬(沖縄平和運動センター事務局次長)

 2018年3月に防衛省が行った宮古島での住民説明会の資料を見ると、まず北朝鮮や中国の脅威論から「我が国を取り巻く安全保障環境は、一層厳しさを増しています。」との安倍政権お決まりのイントロダクションから始まり、宮古島への部隊配置についての項では、鹿児島から台湾までの南西諸島の海域にすっぽりと本州の地図を落とし込み、約1,100kmに及ぶ広大なエリアには、沖縄本島(那覇基地を中心とする)第15旅団と与那国島の沿岸監視隊(2016年3月150人配備)のみであり、陸自部隊の空白地帯と位置付け、配備の重要性をアピールしています。ただし、これまで幾度も指摘されている通り、政府・防衛省のいう島嶼防衛は「離島奪還」であり住民救出では決してないことも明らかです。沖縄戦の教訓のひとつが「軍隊は住民を守らない」。その離島奪還も怪しい口実ではありますが、そもそも第9条を素直に読めば、明らかに自衛隊は憲法違反となります。

沖縄の自衛隊配備部隊
 沖縄の自衛隊配備の概要は、陸上自衛隊が2010年に混成団から旅団に格上げされ300人増員の2100名体制となり、即応近代化旅団(離島型)の特殊旅団と言われています。航空自衛隊は2009年にF4戦闘機からF15戦闘機へ更新配備され、現在2個飛行隊40機が配備され、隊員も300人増員の1500人体制に。そのため、超過密な那覇空港は自衛隊機の事故等で民間機のフライトに影響を及ぼしています。海上自衛隊は米軍ホワイトビーチにフェンスもなく隣接し、那覇基地にはP3C哨戒機が配備されています。加えて沖縄海域を任務とする第11管区海上保安本部が配備されています。今後は那覇基地に新早期警戒機E-2Dの2機を配備予定で取得費491億円を計上しています。また島嶼防衛用高速滑空弾の研究費177億円も計上されています。


宮古島平和行進

石垣島、宮古島への配備計画
 宮古島への陸上自衛隊配備計画は、260億円の予算をかけ2017年11月にゴルフ場用地を買収して基地建設に着工し、2019年3月に完成、警備部隊380人が先行配備されました。2019年度以降、ミサイル部隊の地対空誘導弾部隊(中SAM部隊)と地対艦誘導弾部隊(SSM部隊)を配備する計画で、総勢700人~800人の部隊配備が進められています。
 石垣島では、用地取得、敷地造成、宿舎整備など136億円をかけ、2019年3月に工事を着工しました。部隊は宮古島と同様に地対艦、地対空のミサイル部隊500人~600人の配備が進められています。
 あわせて、奄美大島にも宮古島、石垣島同様の部隊700人が2019年3月に配備されました。


宮古島集会

軍事の島にさせない!両島民と連帯した運動の構築を
 石垣島では、住民運動として「石垣市住民投票を求める会」を結成し、2018年12月に目標を上回る14,263筆(有権者の4割)の署名を集め、陸上自衛隊配備の賛否を問う住民投票条例を市に提出するも2019年2月市議会で否決されました(可否同数のため議長採決、また同日県民投票も否決した)。石垣市は議員らによる尖閣諸島上陸や市長による育鵬社の教科書採用など日本会議的な動向が際立っています。その中で、2018年の市議選では元市職労委員長や市民グループから立候補した議員が当選し市民運動をつくっています。
 宮古島でも警備部隊の庁舎建設は強行されたもののミサイル基地の建設に自治会をはじめ住民が結束して反対を表明し、平和な島を未来の子どもたちに継ぎたいとの思いで、防衛省の強行に抗っています。
 平和センター九州ブロックでは、2018年6月、奄美・宮古島・石垣を結ぶ連帯ツアーを開催し、各地の平和センターや支部、地区労、住民団体と交流、抗議行動に参加しました。私たち沖縄平和センターも日常的に、宮古、八重山と連携し那覇での学習会や市民集会を行い広く県民運動をつくるため、なによりも島の仲間たちを孤立させないため、運動を発信していきます。
(きしもとたかし)

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フクシマ連帯キャラバンに参加して
ハン・ヒス(平和フォーラム留学生)

 福島の事故が日本に住む人たちにとってどんな意味を持つのか知りたかった。国家的な災害であり、人々の生存を脅かす問題であったため、経済性と安全性という原発神話がどれだけデタラメであったのかを確認する事件であったため、未来を生きるわたしたちの生活そのものをひっくり返すものであったためである。しかし事故の衝撃と恐怖は思ったより長続きしなかった。何もなかったかのように日常は流れ、人々はまた別のイシューを追いかける。放射能の脅威や原発事故の収束といったことは、わたしたちの生活から消え去ったかのようだった。
 事故から7年が過ぎ、わたしは日本で生活することになった。そして今年3月、フクシマ連帯キャラバンに参加して当事者たちの話を聞き、現場を訪問する機会を得ることになる。事前に行われた学習会では、原子力への理解に役立つ基礎的な知識と事故の経過についてだけでなく、避難者の話も聞くことになった。それまでは、事故後に福島の住民が避難を余儀なくされたという事実しか知らず、その避難者が故郷を離れどんな生活をしているのか、どんな困難があり何を考えているのかなど、当事者の話を具体的に聞くのは初めてだった。事故は単純に原発が停止したからといって終わるものではない。縁故もないところで新しい人生を生きなければならないということであり、いじめや中傷など社会から疎外されることであり、いままで夢見てきた計画や未来を諦めるということでもある。人間の問題だ。わたしの故郷が、わたしの隣人が、わたしの人生が消えてしまうということだ。


経団連会館前で抗議行動(3月20日)

政府と東京電力の対応に怒りすら覚える
 新潟では裁判報告集会と柏崎刈羽原発を見学した。福島事故後に停止された原発を見て回り、東京電力の対応策について聞いた。東京電力は事故が起きたにも関わらず、原発を使い続けるという考えに変化はないようだ。津波に備えてより高い防波堤を作ります、毎年事故に備えて訓練を行います、放射能物質の放出を少なくする装置を設置いたします、といった言葉を並べるだけだった。その対策というものがどれだけ形式的で虚像に過ぎない話であるのか、実感した。原発事故はわたしたちのすべての生活をひっくり返し、人の住むことのできない土地を生み出し、全世界を恐怖に陥れた。その被害と痛みを直接経験したにもかかわらず、なぜ悩みもしないのか、より安全で持続可能なエネルギーへの転換はなぜ選択肢にないのか、他の国々が脱原発を宣言するいま、なぜ日本だけ逆行する道を歩むのか、もどかしいばかりだった。
 東京に戻ってからは、東京電力と経済産業省にわたしたちの話を伝える機会を持った。キャラバン活動の間に見聞きしたり感じたことについて話し、疑問に思ったことについて質問し、わたしたちの意見を伝えることができた。ところが、官僚たちの無表情な顔を見て心のこもっていない回答を聞いていると涙が出そうになった。現場で感じた悲惨さと恥ずかしさ、申し訳ないという思いや悲しみといったものが彼らの無責任な態度と交差し怒りが込み上げてきた。いまや被害はなくなったかのように、すでに起きてしまったことはしょうがないとでもいうような彼らの態度を見て、国家の役割について考えさせられた。国民の安全と健康、生命を保障することが国家の最も基本的な義務であるにもかかわらず、その責任を果たさずにいる姿に向かい合ったためだ。安倍総理が福島事故後の日本の原発は「世界で最も安全である」との暴言を吐いたように、彼らの考える国家には事故も痛みも避難者も存在しないかのようである。

連帯の力を信じ、脱原発社会をめざす
 韓国もやはりいくつもの原発が稼働中である。それら原発の中のひとつは、わたしの祖父の家からわずか50kmの地点に位置し、最近発生したいくつかの大きな地震は、韓国もやはり原発の脅威と無関係ではないということを示している。わたしたちはなぜ常に生活を脅かす爆弾を捨てられずにいるのか。わたしたちはなぜ海産物を食べながら恐怖に震え、地震が起きる度に原発の心配をし、未来を担保に現在を生きるのであろうか。
 だからこそフクシマ連帯キャラバンに参加することで、連帯することの重要性をより感じることになった。わたしたちが声をあげることこそ、彼らが恐れているということを悟ったからである。福島の事故をわすれないということ、彼らの望むとおりにただ引きずられてはいかないということ、わたしができることについて絶えず悩み行動するということを誓う時間でもあった。全国集会に集まった多くの人たちの話を聞き、ともに行動する人たちの力がどれだけ強いものなのかを実感した。連帯の力を信じる。わたしたちに原発は必要ない。
(翻訳:朴承夏)

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核兵器廃絶をめぐる現状と課題─被爆74周年原水禁大会にむけて
原水爆禁止日本国民会議事務局長 藤本 泰成


被爆74周年原水爆禁止世界大会ポスター

 2017年7月7日、「核兵器禁止条約」が、国連において122か国・地域の賛成多数により採択されました。現在、70カ国が署名し23カ国が批准しています。
 唯一の戦争被爆国として日本政府は、毎年、国連総会に核兵器廃絶決議案を提出し、2018年も、12月6日に162カ国の賛成(反対4カ国:中国・北朝鮮・ロシア・シリア、棄権23カ国)をもって採択されています。しかし一方で、安倍政権は核兵器禁止条約の交渉会議に参加せず、署名・批准の手続を今も放棄しています。「核兵器禁止条約が目指す核兵器廃絶という目標を共有している」としながら、北朝鮮の核・ミサイル開発は重大かつ差し迫った脅威であり、その対応には日米同盟の下で核兵器を有する米国の抑止力を維持することが必要だとして、条約に賛成することは米国による核抑止の正当性を損なうと主張しています。日本政府の、「核兵器禁止条約では、安全保障の観点が踏まえられていない」という言質は、条約自体を否定するとともに、これまでの被爆者の思いと行動をも否定するものです。
 「私はこの日を70年以上待ち続けていました」カナダ在住の被爆者、サーロー節子さん(85才)は、核兵器禁止条約採択の直後、国連で演説し被爆者の思いを訴えました。「核兵器はこれまでずっと、道徳に反するものでした。そして今では、法律にも反するのです。一緒に世界を変えてゆきましょう」との言葉を忘れてはなりません。
 原水禁は、連合、KAKKINと協力し、「『核兵器禁止条約』について、安倍政権は早急に批准するとともに、各国政府はその発効をめざし、未来世代に対する役割を果たしていくこと」などを求める「核兵器廃絶1000万署名」にとりくむこととしています。2020年のNPT再検討会議に向けて、日本政府へ核兵器禁止条約の批准を求めるとりくみは重要です。
 2019年2月1日、トランプ米大統領は、米ロによる「中距離核戦力(INF)全廃条約」からの離脱を表明しました。8月には条約が失効します。これを受けてロシアのセルゲイ・ショイグ国防相は「2年以内に地上発射型の新たなミサイルを開発する」と発表しています。トランプ政権は、2018年2月2日に発表したNPR(核態勢の見直し)の中で、核兵器の小型化と新たな艦載用の核ミサイルの開発をあげています。米国の条約離脱の理由には、中国の軍拡への対応があるとの声もあり、今後米中ロ3国間での軍拡競争に発展する可能性もあります。また、米国からは同盟国日本への協力を求める声もあり、非核三原則を掲げる日本への核配備の要求も現実化する可能性があります。安倍政権の米国の核抑止力に頼る安全保障の姿勢は、被爆国の国是である非核三原則を揺るがしかねない情勢を呼び込むものできわめて問題です。トランプ政権のINF全廃条約離脱は、東北アジアの安全保障に大きな影響を与えるに違いありません。トランプ米大統領は、プーチン露大統領との会談において、中国も含めた核軍縮を提起したとされ、今後の動向が注視されます。
 2018年6月12日のシンガポールにおける米朝首脳会談は、朝鮮半島の非核化に向けた大きな前進として世界から歓迎されました。2019年2月27~28日のハノイにおける第2回目の首脳会談は物別れに終わりましたが、対話そのものは継続される状況にあり、相互信頼の下、段階的非核化の歩みをすすめるべきと考えます。
 拉致問題と制裁強化に拘泥してきた安倍政権は、南北融和をめざす韓国政府とも、韓国軍のレーダー照射問題や徴用工問題などで対立し、朝鮮半島をめぐる外交問題から孤立してきました。安倍首相は、「条件をつけない」として、対話への道筋を探っているかに見えますが、そのためには基本にある歴史認識や無償化からの朝鮮高校排除などの在日コリアンへの差別を払拭することが求められます。
 2020年に予定される「核拡散防止条約(NPT)再検討会議」に向けての準備委員会が、2019年5月10日に閉幕しました。準備委では、2020年の会議の方向性を決定づける勧告案が議論されましたが、核保有国と非核保有国との意見の対立から、勧告案は採択できませんでした。NPTは、核保有国の5カ国(米ロ中英仏)を含む世界191カ国・地域が加盟し、核兵器廃絶に向けた唯一の国際的議論の場として重要です。前回・2015年のNPT再検討会議においても最終文書の合意に至りませんでした。2020年も同様の状況になるのであれば、NPTそのものの存在が問われます。日本を含め、核抑止に拘泥し核兵器禁止条約に背を向ける外交姿勢は、NPT体制を弱体化させるに違いありません。今こそ、非核保有国全てが核兵器禁止条約の早期発効へ意思統一を図らなくてはなりません。
 今年の被爆74周年原水爆禁止世界大会(国際シンポジウム)では、核兵器禁止条約を基本に核廃絶を拒む素因に、しっかりと向き合って議論を重ねたいと思います。是非、皆さまの参加と議論をお願いしたいと思います。
(ふじもとやすなり)

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子どものひろば「メッセージfromヒロシマ」は今年で19年目を迎えます!
メッセージfromヒロシマ実行委員会 北村 環

「メッセージfromヒロシマ」のはじまり
 21世紀を迎えた2001年8月5日、被爆56周年原水爆禁止世界大会の特別企画として、子どもたち自身の企画による「核のない平和な世界に!メッセージfromヒロシマ」は、子どもたちのための「子どものひろば」として生まれました。首都圏、広島、長崎の若者を中心に、若者だけの実行委員会が結成され、企画づくり、プログラムづくりなど、開催日まで、みんなで協力しながら頑張りました。「戦争を超えて未来をつくろう─平和はみんなの心から─」と呼びかけました。そして、8月5日当日には、海外、全国から1500名が参加しました。そこで北海道から長崎まで全国各地の子どもたち、海外の子どもたちが「平和のアピール」をし、参加した子どもたち全員が平和への思いを寄せ書きにし、全国から寄せられた千羽鶴でつくった笑顔のモニュメントを完成させました。会場の参加者全員で確認した「平和のメッセージ」は次の通りで、これを核保有国あてにメールで送信しました。

「核兵器のない平和な21世紀に! メッセージfromヒロシマ」
 私たちは今日、戦争を学び、平和を考えるために、広島に集まりました。そして感じました。21世紀を生きる子どもとして、伝えなければならないメッセージがあると。私たちは戦争のおそろしさ、悲しさを知りました。
 原爆は、人々が暮らしてきた街を焼け野原にし、そこに住む人々を焼き殺し、放射能によって人々の体に現在まで残る被害を与えました。このことは人々の体だけでなく心も深く傷つけてきました。一方、日本はアジアの国々にも大きな被害を与えました。これは決して忘れてはなりません。
……(中略)……
 私たち子どもは、戦争などしたくありません。21世紀は私たちの時代です。私たちは平和な暮らしと人間の心を守るために、21世紀も戦争も核兵器もない時代にします。みんなで手をつなぎ、力を合わせれば、必ずできると信じています。
メッセージfromヒロシマ参加者一同

 この「メッセージfromヒロシマ」は、初めての試みながら大成功を収めました。このイベントに参加した実行委員は、翌年も規模を小さくしても継続させたいという思いが強く、広島の実行委員を中心に、「メッセージfromヒロシマ2002」実行委員会が形成されました。企画、アピール文の作成、モニュメントの形、プログラムづくりなど、開催直前まで何回も広島に集まり、作業を行いました。

楽しみながら平和を学べる子どもの広場
 全国各県から参加した子どもたちのアピール、参加者全員で作成するモニュメントは毎年違いますが、この流れはその後も引き継がれてきました。毎年8月5日に開催され、今年で19年目を迎えます。広島の高校生が中心となって実行委員会が結成され、東京や三重の高校生も実行委員として参加したりしてきました。この間、実行委員として参加した高校生はのべ600人以上になります。イベントに参加するまでは、平和について学校の授業で学んだくらいだった子も、参加したことをきっかけに、平和について考えようとしてくれています。イベントの内容の充実を図るため、2018年には、被爆体験とその時の悲痛な思いを直接参加者に聴いてもらおうと、被爆者の方にも参加していただきました。
 子どものひろばでは、「メッセージfromヒロシマ2019」だけではなく、午前中からは、子ども慰霊祭のほか、平和公園をスタンプラリー形式で回るフィールドワークの実施など、夏の暑い日でも元気いっぱいに楽しんでもらえる一日を計画しています。
 19年目を迎えた「メッセージfromヒロシマ2019」、参加した子どもたちが楽しみながら平和を学べるように、さらにパワーアップして会場を盛り上げます。韓国やフィリピンの中学生、高校生に加え、今年はハワイからも高校生が参加し、平和への取り組みについて報告してくれます。高校生が中心になって企画し、子どもたちが主体となるからこそ、与えられる機会ではなく、自ら学ぶことを楽しめる一日になるのではないでしょうか。全国からのご参加、お待ちしています!
(きたむらたまき)

≪第74回原水爆禁止世界大会 子どものひろばと「メッ セージfromヒロシマ2019」≫
2019年8月5日(月)8:00~16:30要申込み(定員制の企画もあります)
(1)子ども慰霊祭 (2)フィールドワーク・慰霊碑スタンプラリー (3)ダイイン (4)被爆者のお話を聞こう/被爆電車でお話を聞こう (5)『メッセージfromヒロシマ2019』グリーンアリーナ(県立体育館)武道場 (6)灯ろう作り
※企画の詳細は、原水禁大会の案内をご覧ください。

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核兵器禁止条約受け入れと核戦争回避措置を!
米国の州・自治体議会、政府に要請

 米国の州や自治体の議会で、米国政府に核兵器禁止条約の受け入れと、核戦争防止のための緊急措置の実施を同時に要請する動きが広まりつつあります。これは、「社会的責任を考える医師の会(PSR)」と「憂慮する科学者同盟(UCS)」が2017年秋に構想した「瀬戸際からの生還:核戦争防止のコール(呼びかけ・要請)」というキャンペーンがもたらしたものです。条約に即座に署名し批准せよと迫るのではなく、考えとして受け入れるよう求め、それに加えて、核兵器の先制不使用を宣言したり、数分で核兵器を発射できる一触即発の警戒態勢を解除したりすることよって核戦争の可能性を小さくすることを要請しているのが特徴です。キャンペーンは、現在では反核・核軍縮・平和団体、宗教関連団体など200団体以上の支持を得ています。

「核戦争防止のコール」の構成
 コールは、「核戦争の危機は現実のものであり、増大しつつある。我々は、人類全体を脅威にさらす壊滅の瀬戸際に向かって歩んでいる。今、行動を起こさなければならない」と述べ、米国が講じるべき「常識的な5つの措置」を提示しています。そして、諸団体・市民に対し、このコールを支持し、政府にその採用を働きかけることを求めています。

 私たちは、米国に対し、以下の措置を講じることによって、核戦争防止のための世界的取り組みの先頭に立つよう求める。

  1. 核兵器を先に使うオプションの放棄を宣言する
  2. 核攻撃を開始する上での米大統領の独占的かつチェック体制のない権限を停止する
  3. 米国の核兵器を一触即発の警戒態勢から外す
  4. 米国の核兵器すべてを機能強化型に変える計画をキャンセルする
  5. 核兵器全廃のための核兵器保有国間の検証可能な協定を積極的に追及する

(*項目5の追加説明。「…米国は、NPTの下での義務を果たし、他の核保有国と、時間を限った検証可能で実施可能な核兵器解体の協定のための交渉を開始すべきである─核兵器禁止条約に参加できるようにするため」。)

 コールは、さらに次のような背景情報を提供しています。

 冷戦のピーク時以来、米ロは5万発以上の核弾頭を解体してきたが、いまだに1万5000発が存在しており、人類の存続にとって受け入れようのないリスクとなっている。これらの核兵器の95%が米ロのものである。残りは、他の7カ国が保有している。…この一部でも世界的気候変動と飢餓を招き…大規模な核戦争となれば何億もの人々が殺され、想像を絶する環境破壊が生じる。…これまですんでのところで核戦争を免れたケースがいくつもある。…
 我が国の核兵器の機能強化のために計画されている1.2兆ドルの支出は、世界的核軍拡競争に油を注ぎ、これらの危険をさらに高めるとともに、米国民の福祉を保証するのに決定的に必要な資金を奪い去ってしまう。
 核戦争に向かって進むこの行進に代わる道がある。2017年7月に、122カ国が核兵器禁止条約を締結することにより、すべての核兵器の撤廃を呼びかけた。米国は、我が国の安全保障政策の最重要項目としてこの呼びかけを受け入れるべきである。

 実際の各議会決議案では、大体の場合、この背景情報が前文で使われ、本文では条約の受け入れと5つの措置の実施が呼び掛けられるという構成になっています。

2018年の大都市での採択から今年の首都での採択へ
 2018年8月6日に映画『ヘアスプレー』の舞台となったメリーランド州ボルティモア市の議会が、そして同8日にカリフォルニア州ロサンゼルス市の議会がコール式決議を挙げて注目を浴びます。さらに、同28日にカリフォルニア州の議会が続きます。(条約の推進の原動力の一つとなった「核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)」が同年11月に始めた「シティーズ・キャンぺーン」はこれに触発されたものだとPSRは述べています。ただし、こちらは条約支持決議に焦点を当てたものです。)5月19日現在、コール式決議を採択した自治体は31に上っています。ユタ州ソルトレイク市を除くと、東部諸州とカリフォルニア州に集中していますが、今年の3月5日の首都ワシントンDC議会での決議採択が弾みになって全国的に広がることをキャンペーン関係者は期待しています。また、首都での採択と同じ日に、ニュージャージー州の議会で、さらには、4月10日には連邦議会下院で同様の決議案が提出されています。
 UCSの上級ワシントン代表はキャンペーンの意義について、「核情報」へのメールで次のように説明しています。「軽はずみな発言や核戦争の脅しなどを行うドナルド・トランプ大統領の存在は、当然のことながら、核兵器問題に関する米国人の憂慮のレベルを高めている。そういう文脈において、私たちは、多くの米国人が感じている憂慮の受け皿として、一連の重要な措置を提示する新しい運動を立ち上げることにした。それは、緊迫した核戦争の脅威に対処する一方、米国の核兵器全体の更新計画に終止符を打ち、核兵器廃絶のゴールに向けて計画的に進むためのものだ。私たちは、核廃絶の目標に向けて懸命に努力しながら、同時に、核戦争の可能性を減らすための緊急措置を講じる必要がある。」
 オバマ政権末期に核の先制不使用宣言が検討された際、宣言による抑止力の弱体化を心配した日本が核武装する可能性がある(ケリー国務長官)というのが断念の理由の一つに挙げられました。この現状を変える運動をつくることが原水禁運動の最重要課題の一つです。
(「核情報」主宰田窪雅文)

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《投稿コーナー》
核兵器廃絶へ 高校生ができること

 核兵器の廃絶と平和な世界の実現を目指して活動する「高校生平和大使」。高校生として出来ることは何か、署名活動や国連訪問などを通して感じたことを、今春、大学生になった平和大使経験者2名からの投稿記事です。

「高校生平和大使と私。今、思うこと」
第21代高校生平和大使(東京選出) 石田 ひなた

 私が平和について考え始めたのは小学4年生の時です。当時は広島に住んでいて、社会科見学で訪れたのが平和祈念資料館。中へ入り、一番初めに見たものが蝋人形でした。少し怖いと思うと同時に目をそらしてはいけないという感情があったことを今でも覚えています。そして様々な資料を見ることで原爆は何もかもを一瞬で奪ってしまう、恐ろしいなどという一言では決して表すことの出来ないものであることを知りました。また、1945年8月6日の広島に原爆が投下されたことは教科書で学ぶ単なる歴史ではなく、およそ65年前の事実であることを思い知らされました。この時、知ったからには私たちは同じようなことが二度と起きない世界にしていかなくてはいけないと思いました。その後、中学生になり引っ越した東京で、私は8月6日や平和、原爆などに対する広島との温度差を感じました。そこで、私が学んだことを発信していこうと思いました。そして同年代の人にも戦争や平和、核兵器のことを自分の事として考えるきっかけをつくることが出来たらいいなと思い高校生平和大使に応募しました。第21代高校生平和大使の一員になった際には、平和祈念資料館が存在している意味、原爆ドームが残されている意味、被爆という思い返すだけでも辛い体験を後世のためにお話しして下さっている方々の思いをより一層考えるようになりました。その度に核兵器はあるべきではないと思いました。しかし、世界中の人がこのように考えている訳ではありません。国連を訪問した際に参加した日本政府主催のレセプションでは核兵器を持つことに賛成している何カ国かの大使にお会いし、話をしました。なぜ、核兵器を持っているのか聞いたところ、「他に核兵器を持っている国があるから。もし、自国以外の全ての国が核兵器を手放した場合には私の国でもそうするだろう」というような回答がありました。他の核兵器を持つ国も同様に考えているならばと想像し、核兵器廃絶への道の険しさを、身を以て痛感しました。しかし、自分とは違う考え方とその考えに至った理由を一部でも聞くことが出来たため、改めて思考と行動を続けていこうと思いました。最後に、同年代の人へ向けて。今を生きる私たちは未来をつくることが出来る一員でもあります。そのため、平和な世界の実現のホープと言って良いと思います。このことをどう捉え、行動するかは人それぞれですがお互い忘れないでいましょう。

「高校生平和大使を経験して」
第19代高校生平和大使(東京選出)布川 ひとみ

 2016年8月9日午前11時2分。初めて長崎の平和祈念式典に出席し、長崎で迎えた”あの時間”は特別な気がした。カランカランと鳴り響く平和の鐘と共に長崎はナガサキに戻る。時間が止まったように、全員が動きを止めるその瞬間だけは、いつもの日常から色さえも無くなったように感じる。そっと耳を澄ませば過去の街の息遣いが聞こえてくるような、息を呑むほど鳥肌の立つ瞬間だった。
 それから3年間、私は高校生平和大使として毎年夏に長崎の地を訪れている。来る度に、当たり前の日常が当たり前に続いていく幸せを噛み締め、感謝する。そして戦争という過ちを二度と繰り返さないように”あの瞬間””あの苦しみ”が二度と訪れないように、核兵器の廃絶と平和な世界の実現に向けて、自分の思いを改めて考えさせられる。事実を正確に理解し、本当の意味で知る・学ぶ、ということは難しいことだ。とても苦しく、その事実から目を背けたくなる時もある。けれど私達は、その苦しみを後世へ伝えていく使命がある。どんなに小さなことでも、他人の苦しみに気づき、事実を知り、周りの人に伝えていくことは、平和な世界をつくることに繋がるのだ。だからこそ、誰よりも人の気持ちに敏感な人でありたいと私は思う。被爆者の下平作江さんは私達に向けて「戦争と言う名のもとに死ぬ事を拒みながら死んでいった多くの人達の苦しさをわかる為にも、痛みのある心・優しい思いやりのある心を持ってほしい」とおっしゃった。心の底から溢れ出る「温かな愛」「思いやり」を忘れずに感じ、自分のことのように人のことを思うこと。これこそが、平和の原点なのかもしれない。高校生平和大使を経験する上で学んだ全てのことを大切に、全てのものに感謝しながら私は前進し発信し続ける。世界をつくる一人の人間として、世界の平和を祈って。
 最後になりましたが、高校生平和大使、ならびに高校生1万人署名活動に関わって下さった全ての皆様に感謝申し上げます。有難う御座いました。

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加盟団体の活動から(第16回)
青年が反戦平和の闘いをすることを訴え続けて
日本社会主義青年同盟委員長 近藤 和樹

 日本社会主義青年同盟(社青同)は、来年、結成60周年を迎えます。集会などでお会いした先輩方から「懐かしいな!」「社青同ってまだあるんだ!」というお言葉をいただく機会が少なくありませんが、青年のより良い未来を勝ち取るため、全国各地で様々な活動を継続しています。
 平和フォーラムや各県の平和運動センター・平和労組会議に関連する活動では、青年部の仲間たちと一緒に「平和友好祭」「反核平和の火リレー」に取り組んでいます。戦争が起きたときに犠牲になるのは青年や子どもたちです。このことから、戦争と青年とは相いれない、だからこそ青年が反戦平和運動の先頭に立とうと訴えています。
 また、同盟員の大部分は労働組合や青年部で役員を務めており、職場や単組で仲間たちから「なぜ労働組合が平和運動や脱原発に取り組むのか」といった質問を受ける機会も少なくありません。これについても、戦争や原発事故は労働者や庶民が日々の労働でこつこつと積み重ねてきたささやかな暮らしを簡単に壊してしまう事実をもとに、労働組合として戦争や原発に反対する取り組みの意義を訴えています。
 とくに、福島県の浜通りには、たくさんの同盟員や先輩たちが暮らし、働いています。福島第1原発から数キロのところに自宅がある同盟員もいます。みんな、事故が起きる前から原発に反対を続けてきました。事故発生から8年が経っても少なからぬ同盟員が帰還できていません。離婚に追い込まれたり、復興のかけごえの下で多忙化する職場で仲間の自死を経験した同盟員もいます。原発と労働者・庶民の利害は決して一致しない、悔しいできごとを二度と繰り返させない、そういう決意で原発反対の取り組みを続けています。月2回発行している機関紙『青年の声』でも、反戦平和運動の動きや福島の仲間たちの実態を発信し続けています。
 平和友好祭の世界祭典をはじめ、外国の青年同盟や青年団の仲間たちと交流を持つ機会も少なくありません。ベトナムやキューバの訪問では、青年たちが社会建設の先頭に立って奮闘と努力を重ねている姿に刺激を受けています。アメリカやヨーロッパでも、苦しい生活のなかで社会主義を支持する青年たちが増えています。中東では、生きるためにこそ生命を賭して立ち上がる青年たちの姿に、日本における労働運動や社会運動のあり方を考えさせられました。逆に、世界中の仲間から「ヒロシマ・ナガサキについて知りたい」という声も寄せられます。
 普段の職場・地域で、そして国境や国籍・民族を超えて、差別と分断を許さず、青年の連帯や交流や共闘を組織化する努力をこれからも続けたいと思います。
(こんどうかずき)

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〔本の紹介〕
『なるほど知図帳 日本 2019』 ニュースと合わせて読みたい日本地図
昭文社

 以前は、辞典や図鑑で調べていたが…、今の時代、知りたいこと・調べたいことは、ネットであっという間に調べることができる。本や図鑑で調べるよりも最新のデータを示して求めている答えに導いてくれるから、わざわざ本や図鑑で調べる人は皆無に等しいかもしれない。そんな時代に今回はあえて、調べてみたくなる本を紹介します。
 それは「なるほど知図帳日本2019ニュースと合わせて読みたい日本地図」(昭文社発行)です。政治・社会、生活、経済・産業、自然・科学、文化・歴史・スポーツなど、日本の様々な最新情報を53のテーマ別に解説している情報満載の日本地図帳です。気になるニュースなどについて、豊富な図表と最新のデータ(作成時点ではありますが)で、わかりやすく、紹介しています。例えば。政治・社会のテーマでは、「外国人観光客」「米軍基地」「自衛隊」「地方財政」「人口問題」「高齢化」「児童虐待」「犯罪」「雇用」と、まさに今、日本における課題・問題・話題について53のテーマ別に解説してあります。巻頭特集もバラエティに富んだ内容になっていますので、人それぞれ、興味を抱く内容は違うでしょうが、誰が読んでも、知りたくなる、話したくなる情報が必ず掲載されている一冊です。ミニ集会など、人前で話す際には、ちょっとしたネタ探しとしても役立ちます。ネットのように最新データとはいきませんが、なるべく最新のデータを取り入れ、毎年毎年発行しているのも特徴の一つです。
 話のネタ探しとして見るもよし!時間のある時に暇つぶしに見るもよし!やはり毎年発行されている「なるほど地図帳世界2019ニュースと合わせて読みたい世界地図」とセットで読めば、日本の情報・世界の情報がわかりますので、お勧めしたい一冊です。
(北村智之)

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核のキーワード図鑑


火山も原発NOの噴火で再稼働に反対を

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朝鮮半島と日本に非核・平和の確立を!

集会とパレード
日時:日時:6月7日(金)18:30~集会
集会終了後パレード
場所:日比谷野外音楽堂

シンポジウム
日時:6月8日(土)13:30~シンポジウム
場所:星陵会館
主催:「朝鮮半島と日本に非核・平和の確立を!」市民連帯行動実行委員会
共催:安倍9条改憲NO!全国市民アクション実行委員会
   戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会

安倍9条改憲を許さない、安倍内閣の退陣を要求する6・19行動
日時:6月19日(水)18:30~19:30
場所:衆議院第2議員会館前
主催:安倍9条改憲NO!全国市民アクション実行委員会
   戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会

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