2018年、ニュースペーパー

2018年05月01日

ニュースペーパー2018年5月






反核燃の日全国集会
 4月7日、青森市の青い海公園で「4.9反核燃の日全国集会」が開かれ、全国から950人が参加し、集会とデモ行進などを行いました。「反核燃の日」は1985年4月9日に、当時の北村正哉青森県知事が核燃料サイクル施設受け入れを決めたことに抗議するもので、今年で33回目になります。集会では、福井県敦賀市の高速増殖炉もんじゅの廃炉が決定し、核燃燃料サイクル政策の破たんが明らかになっていることや、青森県六ヶ所村の再処理工場の建設も四半世紀が過ぎてもいまだ完工すらできず、機器の老朽化、組織の緊張感の欠如が顕著になっていることなどが訴えられ、安倍政権が進める原子力推進政策の転換を強く求めました。前日の6日には、六ヶ所村や大間町、むつ市などの原発関連施設のある自治体や日本原燃、電源開発などの事業者への申し入れ行い、8日には六ヶ所再処理工場正門前での抗議集会を行いました。(写真は青森市でのデモ行進と再処理工場前での抗議集会)

インタビュー・シリーズ:132
平和行進で沖縄の過去と現在を肌で感じてほしい
沖縄県高教組委員長/沖縄平和運動センター副議長 福元勇司さんに聞く

ふくもと ゆうじさん プロフィール
 熊本県出身、大学から沖縄県に移住。職場(学校)の先輩から誘われ、人権や憲法の学習会などへ参加し、社会と繋がることの大切さを学ぶ。労組に加入後、生活者、労働者にとって組合に所属することの意義を学ぶ。現在は沖縄県高等学校障害児学校教職員組合執行委員長なども務めながら、労働者、市民とともに平和運動の輪を広げ、日米両政府の非道に声を挙げ続けている。

─今年の5・15沖縄平和行進で学んでほしい戦中・戦後の沖縄の歴史をお話しください。
 私は高校まで熊本で育って、沖縄の戦後を知る機会がなく、また教科書にも載っていませんでした。戦後、日本の高度経済成長期、沖縄は27年間も米軍統治下だったことを沖縄に来て初めて知りました。日本が「所得倍増」、「列島改造」で幹線道、鉄道網が整備され、新幹線やオリンピック、万博に沸き立つ時、沖縄県はインフラ整備も滞っていました。平和憲法も適用されず、国会に代表(議員)も送れず、自治権もなく、県民の生命、財産も守られていなかったことを知って愕然としました。
 私が関わってきた教科書問題では、「強制集団死」一般的には「集団自決」について、軍の命令があったかなかったかで争われた大江健三郎・岩波書店沖縄戦裁判では、慶良間諸島の島々のうちで軍隊が駐屯していた島だけで悲劇が起こったという事実があり、2011年4月に最高裁が「『集団自決』は日本軍の『強制』が最大の要因となって発生した」との判決を下しました。沖縄以外でも原爆、空襲、満蒙開拓団等々、数えきれない戦争の悲劇がありますが、助けてくれるべき味方の日本軍から死ぬことを強要されたというのが沖縄戦の特徴です。
 そういう歴史の事実をしっかりと学んでほしいと思います。史実をちゃんと学ばなければ真実にはつながりません。5・15平和行進では、県外から労組を中心に多くの方が戦跡や基地が集中する沖縄の原風景の中を歩きますが、沖縄の戦中・戦後の歴史を事前に学んで参加してほしいと思います。

―具体的に平和行進の参加者に見てもらいたい「歴史を 象徴するもの」をご紹介ください。
 与論島を望む沖縄本島最北端の辺土岬に祖国復帰闘争碑が立っています。これとは別に那覇市久茂地にある県庁と市役所の間の通りにも復帰の碑が立っています。辺戸岬のものとは大きさも刻銘されている文章も違いますが、是非見てみていただきたい記念碑です。
 また、石垣市の市民会館の隣にある新生公園には、憲法9条と鳩のモニュメントがあります。9条が刻まれた巨石の裏側を平和の象徴といわれる鳩が大きく羽を広げ、改悪されないように支えています。他にもいろいろありますが、この3点はぜひご覧になっていただきたいと思います。

―これまでの平和行進で記憶に残っているエピソードな どをお聞かせください。
 過去に行進の団長を務めた方は、右翼が街宣車から降りてきて、誹謗中傷で行進団を威圧し、挑発したときに、逆に「負けないぞ!」と燃えたそうです。その時、全国から参加のみなさんに対して、「沖縄が全国と連帯できることに大きな感謝を感じています。梅雨時の豪雨、晴れれば沖縄の強い日差しの中、各自の健康管理に留意して、行進を完歩していただきたい。沖縄戦当時の避難民の追体験にも思いを馳せてほしい」とおっしゃっていました。また、20数年前に参加された方は、名護市役所出発の5日間の日程で、恩納村での宿泊先が公民館、シャワーは陸上競技場を利用したことを鮮明に覚えているとのお話でした。

―嘉手納基地近くの道の駅で、ステルス戦闘機がタッチアンドゴーの訓練を繰り返す爆音のすさまじさに驚きました。
 最近では保育園や小学校にヘリの部品が落ち、不時着を含めて頻繁に事故が起きています。2016年12月には本島北部の名護で集落から数百メートルの地点にオスプレイが墜落するという大きな事故が起き、昨年8月には普天間基地所属の同機がオーストラリア沖に墜落して3名の海兵隊員が亡くなりました。いつ県民の頭上に落ちてくるかわからない。沖縄県民はこの70年あまり、日常的にそのような不安を持ち続けています。
 軍命によって「集団自決」がもたらされ、本来味方であるべき日本軍が住民を殺戮しました。そして現在も沖縄では日本政府、防衛省、米軍によって主権や人権が侵され、70年前と同じ構図が続いています。事件・事故が発生すると、米軍はいつも綱紀粛正と再発防止を繰り返します。日本政府は再発防止を申し入れたと、こちらもまた一辺倒な対応に終始して、主権国家としての体をなしていません。国民の命が危ぶまれているという当事者意識がないのです。
 そういう中で政府と沖縄県が辺野古の問題で対立していますが、地域を経済的な補助金で分断して、補助金を出すことによって箱物行政をやっていくというアメとムチの政策が、戦後ずっと続けられてきています。また、現政権になってから中央メディアがまったくとりあげなくなりました。紙面に載ってもベタ記事で、メディアが世論に訴えるという役割を果たしていないことも沖縄にいるととても強く感じます。
 2014年7月に集団的自衛権行使容認が閣議決定されました。その頃からキャンプ・シュワブのゲート前に座り始めました。同じ年に衆院選があり、小選挙区4区すべてで辺野古新基地反対の候補が当選しました。その年の12月には県知事選があって、これも10万票の差をつけて翁長雄志県政が誕生しました。16年には参院選で伊波洋一さんが当選し、名護市長選では稲嶺進さんが2期続けて勝ち、沖縄県民の民意が何度も示されました。争点はすべて基地問題です。
 民主主義の世の中にあって、最大の民意を表現し尊重されなければならないのは、選挙結果ではないでしょうか。どんな政権であってもここまで民意が示されたら譲ることを考えると思いますが、安倍政権は沖縄の民意を一顧だにしない。そんな中で首長選挙に中央の大臣がやってきて、県民が懐柔され分断され、こちら側の陣営がひとつひとつ崩されているという現状にあります。
 沖縄県内では日常的に米軍基地から派生する事件・事故はあとを絶たず、演習の激化や爆音公害、基地関連施設の建設などに対して、平和運動センターを中心に県民による抗議集会が呼びかけられ、県内各地で年間を通して民意が示され続けています。どこでも抗議集会があるたびに、県内外、国外からも多くの市民が集まり、団結して日米両政府の非道に声を挙げ続けている点をすばらしく感じます。政府による全国各地での蛮行に全国の仲間と連帯して抗う平和運動の輪を拡大したいと思います。

―北朝鮮の核開発や中国の南洋進出に対する脅威が宣伝され、特に若い人の意識が戦前に戻っているような気がしてなりません。
 どの国もそれが常套手段ですね。国民の不安、危機感を煽っておいてから、法案を通します。こういうやりかたの国防、安全保障ではなく、外交による話し合いをしようということにならない。向こうだって煽っている人たちがいて、こっちも煽っている人たちがいる。そろそろ消費期限が切れるミサイルでも撃っておこうかと、そんなことを話し合っているんじゃないかと空恐ろしくなります。
 最近は新聞や本を読まないでSNSのヘッドラインだけを見ている若者が増えています。そのヘッドラインもプロバイダーが順番を決めて、スポンサーに都合の悪い記事は出さないのです。ですから、表に出ている10本か20本のヘッドラインニュースがいまの社会的な問題だと受け止めてしまいます。真実をどうやってつかむかということを教える機会をつくる必要があると思います。
 2年前に18歳選挙権が始まって、主権者教育が解禁になりました。いままでも禁止されていたわけではないのですが、60年安保の時代に高校生が大学生と一緒に運動する中で、学校内での政治的な運動に制限がかかってしまいました。それからは現場が委縮してしまって、ほとんどタブーになっていましたが、最近ようやく授業の中で時事問題をとりあげる先生が出てきています。ところが一部の新聞社がすぐにクレームをつけて揚げ足をとろうとするので、現場ではまだまだ二の足を踏むところがあります。これもとても大事なことで、地域の問題、国全体の問題を小学生にもわかりやすく、どう考えるかという授業をつくる必要があります。
 いま問題なのが全国学力テストです。4月にある試験のために、3月、4月の2ヶ月間は教科書をやらずに、学力テストに出題された過去の問題のドリルをひたすら解かせるところすらあります。そしてテストの結果で、子どもたちも教える側も教育委員会も一喜一憂しているのです。学校で教えなければならないのは興味や関心を持つ心を育てることです。自分の興味があることを自分で探求して、それができたときの喜びを知ることこそが大切です。学力テストのためだけのトレーニングでは、点数にしか関心を持てない、テストに出ないものはやらない、ものを考えない人間に育ってしまいます。学力テストによって学校の教育自体がゆがめられてきていると感じています。
 やっと主権者教育が始まったといっても、試験問題に出したらすぐにクレームがつくような状況です。いつか「先生、こんな政治の問題をやってなんの勉強になるの?」と生徒に訊かれるようなことにならないように、主権者教育を広げるために、揚げ足をとられない工夫をしながら、思考を働かせるための教材を作っていかなければと思っています。探求心を持つ、考えを先に進める、豊かな想像力を持つ、フェイクニュースに惑わされることなく真実を見抜く、そんな主権者を育てるための教育が我々の仕事だと思っています。

インタビューを終えて
 民意を踏みにじり国家ぐるみの暴力による辺野古新基地建設が強行される沖縄で「復帰46周年5.15平和行進」を迎えます(今年は5月10~13日)。参加される方々には、インタビューに込められた福元さんの思いをしっかり受け止め、参加いただければと思います。インタビュー当日は、退職される組合員の皆さんとの懇親会も重なり、懇親会会場のロビーでのインタビューでした。忙しい中、ご協力いただいた福元さん、ありがとうございました。
(勝島一博)

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水陸機動団設置に反対する運動を継続
専守防衛を逸脱 「いつか来た道に戻るな!」
佐世保地区労働組合会議事務局長  山口 原由

商店街で武装パレードを実施する特殊部隊
 佐世保市は長崎県北部に位置し、米軍基地や自衛隊基地があるが、2018年3月27日、市の西部海岸地区の陸上自衛隊相浦駐屯地に、「水陸機動団」(日本版海兵隊とも称される)が置かれた。4月7日には式典があり、米海兵隊参加の共同訓練も公開、28日には創隊・駐屯地創設68周年の記念行事が行われた。
 水陸機動団は、相浦駐屯地の西部方面普通科連隊(西普連)が水陸機動連隊としてその中核を担うが、西普連は毎年、商店街での武装パレードを実施してきた。自動小銃などを携行してのパレードであり、佐世保地区労は「武装パレード反対」と、抗議集会を取り組んでいる。人を傷つけ、殺すしかない道具=銃器で武装した西普連隊員の、顔にまで迷彩色を塗り、無表情にまっすぐに前を見据えて行進するその姿は、恐怖すら覚える。陸上自衛隊は、行進の目的を「真の姿を市民に見てもらう」と言う。顔まで迷彩にし、人を傷つけ殺すしかない道具を持つ姿が自衛隊の「真の姿」とは思いたくない。
 行進する彼らに日の丸の小旗を振り、にこやかに応援する市民は、自衛隊が本当に戦場に行かねばならない時、笑って隊員を見送れるのか。「誰の血も流すな」「行くな」と言わねばならないのではないか。
 今国会の自衛隊「日報」隠蔽問題を見れば、安倍政権が自衛隊員の安全を考えていないことは明らかであり、「戦地」でのPTSD(心的外傷後ストレス障害)によって隊員が自殺しても政権に不都合なことは闇に葬られるのではないか。そもそも、西普連は、創設まもない2002年に隊員3名が自殺したことから、その特殊部隊としての性格が浮き彫りになった経緯がある。
 安倍政権が集団的自衛権行使容認を閣議決定したとき「日本もやらねばならない」と思う市民も少なくなかっただろう。しかし「やる」のは自分とは何の関係もない自衛隊員だと思っている。自分の子どもは戦場には行かせないが、他人の子の自衛隊員ならよいと言う。自衛隊員を戦場に送ってはならないし、誰も殺してはならない。殺されることがあってはならない。それは、米兵でも同じだが、自衛隊員の命を守れ、人権を守れと叫ぶのは、もはや平和団体しかない。実際に海上自衛隊・護衛艦でのいじめによる隊員の自殺裁判を応援し、防衛大学での問題も取り組んでいる経緯もある。


米原子力空母入港に抗議する佐世保地区労などの平和船団
(2014年8月1日)

国民の声よりも米軍の都合を優先
 水陸機動団が専守防衛を逸脱するとは、平和団体だけの主張ではなく、防衛省内部からもその趣旨の発言があったと聞くが、安倍政権は秘密保護法、集団的自衛権行使容認、戦争できる体制をつくり、実動部隊の水陸機動団を置いた。長距離巡航ミサイル、護衛艦空母化なども含め、まさに「いつか来た道」である。
 水陸機動団発足に伴う某地方紙のインターネットの記事に、「佐世保市は海軍や自衛隊、米軍とともに発展してきた街であり、『国防のためなら』と市民の理解があり、隊員増に伴う経済効果への期待もあって、新部隊への表だった反対の動きはない」とあった。
 「国防のためなら理解、経済効果への期待」というのは、行政側の言葉であろう。しかし「表だった反対の動きはない」という一文には愕然とした。地区労の反戦反基地行動は認識されていない。労働組合で構成する地区労は、その活動の内向き感は否めない。組織力の強化とともに課題の一つである。
 佐世保市の隣の西海市には、佐世保市崎辺地区から移設された強襲揚陸艇(LCAC)駐機場がある。LCACは航行時に水しぶきを上げ、轟音を発するため塩害や騒音被害が懸念され、西海市は2000年に九州防衛局と「夜間および早朝のLCAC航行は行わないように米軍と調整する」旨の協定書を取り交わしていた。しかし米軍は「協定の当事者ではない」として2017年11月から夜間訓練を強行。これに西海市は強く反発し、防衛省、外務省に申し入れを行っている。
 西海市労働者協議会は、長崎県平和運動センターとともに防衛省にも申し入れを行った。この申入れの時にわかったことだが、防衛省は米軍に対して、LCACの夜間訓練「中止」の要請を行っておらず、「安全や環境に配慮して欲しい」とお願いする程度にすり替わっていた。日本政府は国民の声よりも米軍の都合を優先している。
 1968年の原子力空母エンタープライズ寄港時の闘争は、原子力空母再寄港をためらわせるものとなり、地区労の歴史に強く刻み込まれた闘争である。佐世保は、「核」艦船寄港の地でもあるが、私たちは、先輩方の意思を受け継ぎ、反戦反基地・平和運動が、市民を守り、自衛隊員とその家族を守る取り組みであると確信し、これからもシュプレヒコールをあげ続ける。
(やまぐちもとゆき)

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劇的な変化を見せる朝鮮半島
南北・米朝首脳会談 戦争前夜から対話局面へ

 昨年まであれほど危機が煽られていた朝鮮半島で、いま劇的な変化が見られています。
 朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の金正恩・労働党委員長は今年1月1日の「新年の辞」において、韓国で行われる平昌オリンピックに選手団を送る用意があると発表。これを受けて韓国の文在寅大統領も歓迎する意向を示し、米国トランプ大統領との間でオリンピック・パラリンピック期間中は米韓合同軍事演習を行わないことで合意しました。
 ここから南北間の対話が再開し、さらにオリンピック終了後の3月5・6日に平壌を訪れた韓国特使団の鄭義溶国会安保室長は金委員長と面談し、南北首脳会談の開催(その後、日程は4月27日に決定)やホットラインの開設、非核化・米朝対話実現への意志、そして対話が行われている間は核実験・ミサイル試射を行わないなどの点について合意したと発表しました。
 その後、すぐに訪米した鄭室長はトランプ大統領に会談の内容について報告。そして「可能な限り早い時期に会いたい」という金委員長からのメッセージをトランプ大統領も受け入れ、5月末から6月初めにかけて米朝首脳会談が行われることとなりました。
 このように、昨年末まで一触即発の状態にあったのが嘘であるかのように、11年ぶりの南北首脳会談、史上初の米朝首脳会談が行われる運びとなりました。

米国との国交正常化こそ北朝鮮の悲願
 金委員長は3月25日に関係が悪化していた中国を電撃的に訪問するなど、積極的な外交を展開しています。北朝鮮はなぜいまこのような動きを見せているのかを理解するためには、北朝鮮の外交政策・国内政治の基本をしっかり押さえなければなりません。
 北朝鮮の外交政策の基本は「いかに米国の脅威をなくし、体制を保障させるか」で一貫しています。朝鮮戦争は70年以上休戦状態のままで、38度線以南には常に在韓米軍が存在します。また米国は北朝鮮の体制転換をずっと主張し、圧力と制裁を加え続けてきたのです。この米国との間で平和協定を締結し、国交を正常化させることこそが北朝鮮の悲願です。そのためのカードとして核を持たざるを得なかったと主張する以上、北朝鮮が「現体制への保障さえ得られれば非核化の意志がある」というのは、一面で筋が通っているといえるでしょう。
 また北朝鮮が核開発を進めるのには国内向けの理由もあります。常に米国からの脅威にさらされている北朝鮮は、体制維持のために全力を挙げざるを得ませんでした。核抑止力さえあればこれまで防衛に投入してきた力を国内経済の発展のために使えるようになる。つまり「経済政策を推進し支持基盤を強化するためにも、核開発は必要であった」ということになります。
 核実験とICBMの発射実験によって核抑止にめどが立つ一方で、新たに行われている国連の経済制裁の影響を最小限に抑えたい。これらの思惑がちょうど時期的に重なったため、北朝鮮は今年に入ってから大胆な外交政策を展開していると見ることができるのではないでしょうか。北朝鮮はいきなり政策を転換したわけではありません。


「東アジア市民連帯」は2月7日、平昌オリンピックの開会に先立って
米韓合同軍事演習の中止と米朝対話の開始を求める
米大使館への要請行動を行った。

日本も対北朝鮮政策の転換を
 また韓国の文政権もいまの情勢を作り出すのに大きな役割を果たしました。文大統領は北朝鮮に対して融和的だという人もいますが、一方で対話と制裁も続けています。つまり、米韓同盟を維持しながらも北朝鮮には対話を訴え続けるなど、限られた条件の中であくまで現実的に振舞いながら、チャンスと見るや一気に関係各国を巻き込んで対話局面を作り出す。南北が中心となり外交をリードしているというのが現情勢の特徴であり、ここにこそ米朝国交正常化・朝鮮半島の非核化実現への希望を見出すことができます。
 北朝鮮に一方的に核放棄を要求し圧力を加えるだけの「戦略的忍耐」が事態を一層深刻なものにしたことは間違いありません。まずは南北・米朝首脳会談を成功させ、平和協定の締結・米朝国交正常化の動きを加速化させることこそが、朝鮮半島の非核化への唯一の道です。
 一方で、完全に蚊帳の外に置かれた安倍政権が対北朝鮮強硬政策に固執し、対話ムードをぶち壊さないように警戒しなければなりません。なぜ日本政府は情勢を見誤ってきたのでしょうか。それは、北朝鮮が建国以来常に世界最強の軍事大国から圧力を加えられてきたこと、そうした窮地から抜け出すために核開発を決断したということを無視し続けてきたからです。これに追随する大手メディアも北朝鮮に対する悪感情を垂れ流し、多くの日本人もこれを鵜呑みにしてしまっています。しかし、このままでは日本のみが取り残されてしまいます。いまこそ北朝鮮への偏見を正し、圧力は戦争以外のなにものも生み出すことなく、対話のみが平和的解決への道だと政策を転換しなければなりません。
(パクスンハ)

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2018年度農林水産予算から見る安倍農政
農業所得政策の後退・農民的家族経営の切り捨て
農業ジャーナリスト  神山 安雄

 2018年度の農林水産予算は、総額2兆3021億円で、17年度当初予算に比べ50億円(0.2%)の減額となった。その特徴は(1)国家予算に占める比重を低下させたこと、(2)そのなかで公共事業費は上積みされたこと、(3)食料安定供給関係費は減額され、農家の所得確保にかかわる経営所得安定対策が後退したことだ。
 安倍政権の農業政策は、官邸主導・官邸専決の政策として批判されている。大企業(大資本)が儲けるためには何をしてもいい、農民的家族経営は排除するといった政策だ。「担い手」(大規模経営・農業法人経営・農業参入企業等)に農地利用を集積する構造政策・産業政策に傾斜して、地域社会の安定のために必要な農村地域政策は軽んじられていると言える。

防衛費の増額と対照的に減額続く
 18年度農水予算総額が国の一般歳出総額(国債費を除く)に占める割合は、わずか3.1%だ。これに対し、防衛予算は前年度比1.3%増の5兆1911億円、国の一般歳出に占める割合は7%になる。
 防衛予算はかつて農林水産予算を実額で下まわっていた。防衛予算が実額で農林水産予算を上回るのは、1980年代半ばすぎからだ。当時の中曽根政権は、臨調行財政改革の下で農水予算を減額、福祉予算を抑制し、シーレーン防衛を名目にして防衛予算を増額した。食料の安全保障をないがしろにした結果が、防衛予算の増額だった。環太平洋経済連携協定(TPP)などに奔走する安倍政権も同じだ。
 18年度農水予算の中で、一般公共事業費は6667億円と、0.4%増えている。中でも農業農村整備費は3211億円、4.1%(127億円)増だ。このほか農山漁村地域整備交付金や農地耕作条件改善事業(非公共)などを加えた「農業農村整備事業」関係予算は4348億円であり、さらに17年度の補正予算でも1452億円が上積みされている。
 2012年に自民党が政権に復帰した時の安倍内閣は、民主党政権下で戸別所得補償制度の財源ねん出のためにカットされた農業農村整備事業予算を、当初予算・補正予算の上積みで取り戻している。今の農業農村整備事業は、圃場を大区画化して大規模経営に農地利用を集積するための事業であり、事業完了後の「担い手」への農地利用集積率の高い目標を設定しないと事業を実施できない仕組みになっている。
 農水省は農地の8割を「担い手」に利用集積する政策目標を掲げている。その目標が達成されれば、農地を貸してしまった大多数は農家でなくなる。2015年農林業センサスによると、総農家数215万戸のうち、農産物を販売する農家は133万戸で、自給的農家83万戸だ。この状況が続けば農村地域社会は崩壊するだろう。

農林水産予算の推移(2000─2018年度、当初予算)


2018年は米問題が大きな課題に
 政府は、2018年産米から都道府県別に生産数量目標(いわゆる減反数量)を示すことをやめた。あわせて、米の直接支払交付金(10㌃7500円、17年度総額714億円)を廃止した。18年度農水予算は、こうした米に関わる制度変革への対応が焦点だった。だが、経営所得安定対策費を含む食料安定供給関係費は、17年度予算1兆174億円から18年度は9924億円と250億円減額された。農業所得政策の後退だ。
 18年度予算の水田活用対策への直接支払交付金は3304億円(17年度当初対比154億円増)、畑作物の直接支払交付金は2065億円(同115億円増)、収入保険制度の実施に260億円(倍増)だが、これらの増額分は、米の直接支払いの減額分と比べ185億円少なく、計算が合わない。
 各都道府県の18年産食用米の生産数量の目安は、飼料用米の作付け等により、17年産米と同水準を維持した県が多い。16年産の飼料用米51万トンは、畜産農家に14万トン、飼料会社に37万トン供給されている。飼料用にはこのほか、政府所有の備蓄米21万トン、輸入米も70万トンが供給された。
 この輸入米は1トン7万円で買い取り、飼料用へ3万円で売却され、差引4万円の売却損になる。特別会計の食糧管理勘定は、15年度に国内米で520億円の損失、輸入米で505億円の損失となり、食糧管理勘定全体で970億円の損失となった。政府は、米の過剰処理と、毎年77万トンの米輸入という国際的な約束を財政支出で穴埋めしている。その多くは、特別会計を通じて行われ、決算時にしか分からない隠された財政支出と言える。
 農民的家族経営を潰す農林水産予算に強く抗議しなければならないだろう。
(かみやまやすお)

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高校生平和大使にノーベル平和賞を!ノルウェーでアピール


ノーベル委員会のニョルスタッド事務局長と
船井さん(右)、中村さん

 1月22日、ノルウェーノーベル委員会は、「高校生平和大使に『ノーベル平和賞』を!実行委員会」が申請した書類を受理しました。これを受け、3月11~16日、高校生平和大使2名が、広島・長崎両市長の親書を携え、ノーベル平和賞のノミネートに向けてのアピールと現地高校生と交流を目的として、ノルウェーを訪問しました。
 参加した2人の高校生の報告文をお伝えします。

政治を変える意志を持つノルウェーの若者
広島・英数学館高等学校2年船井木奈美
 私は、オスロ商業高校で行ったプレゼンテーションで、広島県原爆被害者団体協議会理事長の坪井直さんの被爆体験、核兵器廃絶への熱い思いを伝えました。多くの生徒から質問を受け、被爆の実相、被爆者の思い、私たちの活動に関心を寄せて下さったことを嬉しく思いました。
 ノルウェーの反核兵器NGO「Notonuclearweapons」訪問では、NGOが核兵器廃絶に多く携わっていること、ノルウェーの9つ全ての政党に若者グループが存在することを知りました。日本では政治に関心を持つ若者が少ない中で、ノルウェーの若者は自ら国や政治を変えていこうという意志があるのだと感じました。
 マリアンネ・ボルゲン市長との懇談では、差し上げた73年前の広島・長崎の写真を一枚一枚丁寧にご覧になり、説明に耳を傾けて下さり、原爆被害に対し非常に驚かれていたことが印象的でした。ボルゲン市長は、まるで73年前の広島・長崎にいたかのように原爆の被害に悲しんでいらっしゃいました。
 ノルウェー外務省では、「日本とノルウェーの人々はどのように協力して平和な世界を築くことができるか」と質問したところ、「SNSを駆使し世界中の人々と友達になり、関わり合い、コミュニケーションをとることが大切」だと教えていただきました。私は、世界中の人々と意見交換することの重要性を改めて感じました。また、ノーベル委員会のニョルスタッド事務局長から「高校生平和大使の活動を続けて欲しい」とお言葉をいただき、国内外での20年の活動をしっかり伝えられたと思います。
 私は、ノルウェー訪問で日本とノルウェーの国民性の違いや、課題解決に対する姿勢の違いを学びました。ノルウェーの若者は、国や政治を自らの手で変えていこうという強い意志を持ち、核問題や他の課題に対しても関心を持ち行動を起こしていました。私はこれまで核兵器廃絶を訴えるとともに「若者の平和への関心の低さが課題」として発信してきました。今後はノルウェーでの学びを生かし、「一人一人が社会と関わっていることを自覚し、様々な課題に自らアクションを起こすことが重要」だと発信してまいります。

被爆の実相を世界に広げていく責任
長崎・活水高等学校2年中村涼香
 今回のノルウェー訪問は、高校生平和大使・高校生1万人署名活動にとって大きな一歩になったに違いない。私自身、訪問前は核兵器の廃絶を訴え、ヒバクシャの思いをノルウェーの人々にも広めようと意気込んでいたが、実際のところ私がノルウェーの人々に教えられたことの方が多かったようだ。
 北欧の一つであるノルウェーは福祉がとても充実していて、市民が作り上げた成熟した社会がそこにあった。そのため市民一人ひとりの意識や関心の高さを感じた。またノルウェーの人々は私たちを温かく迎えてくれた。オスロ市長を訪問した際には、オスロ市長自ら予定時間を大幅に過ぎてまで私たちを案内して下さり、沢山話をすることができた。
 私が特に感心したのはノルウェーの若者だ。今回、「ChangeMaker」という若者の運動に参加する高校生と交流することができた。この活動では、核の問題に限らず、環境や人権など多方面の問題に対してそれぞれが活動していた。今、私たちは核兵器の問題に集中して活動しているが、ノルウェーの若者は多彩に活動していて、感心するのと同時にとても刺激となった。核兵器の問題は色々な問題が絡み合っている為、私たちももっと幅広い視野を持って活動しなければならないと考えさせられた。
 ノルウェー訪問で、活動アピールと同時にヒバクシャの思いを伝えてきた。私自身、被爆3世であり祖母の体験を中心に話した。するとやはり身内がヒバクシャであることはインパクトがあり、より現実味が沸いたのか、私の祖母を心配する声が上がった。ヒバクシャとその事実は決して忘れられてはならない。ヒバクシャの話を直接聞ける唯一の戦争被爆国の若者として、被爆の実相をさらに世界に広げていく責任を感じた。
 訪問した先々で私たちの活動は感心され、改めて決して間違っていないということを確信した。私が今回の訪問で見て聞いたことを、この活動がさらに発展できるように、しっかりと日本に持ち帰り広めるべきだ。「微力だけど無力じゃない」というスローガンと共にこれからも活動に精進していきたいと思う。

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震災から7年―課題が山積するフクシマ
福島第二原発の即時廃炉は県民の願い
福島県平和フォーラム 代表 角田 政志

様々な思いと課題が交差する県民大集会
 原発事故が発生してから7回目となる「2018原発のない福島を!県民大集会」が、3月17日、県内外から3300人の参加で、被災地の楢葉町で開催されました。
 この集会は、原発事故による放射能被害で大打撃を受け、その後も風評被害との対峙を余儀なくされている農業、漁業、林業、旅館・ホテル業などに携わる人々や、脱原発の運動、東電と国の責任追及を進めている団体など、様々な考え、立場の団体が集まり、実行委員会を組織して開催してきた集会です。意見の違いについては、それぞれの団体の主体性を尊重することを確認し、「東京電力福島第二原発の全基即時廃炉」を求める県民の声を結集する集会として行ってきました。
 2017年春に、多くの地域で避難指示が解除されました。しかし、住民帰還については、一人ひとり色々な想いがあり、様々な選択が迫られます。そして、新たな課題も生まれ、人々の分断も生まれています。原発事故が収束していない福島では、難しい課題が山積し、人々はさまざまな矛盾やたくさんの意見がある中で生活しています。この被災地での集会を通して、原発事故によって奪われた暮らしと人権、そして原発災害の過酷さを実際に見て、感じていただきたい。そして、参加された方々に、それぞれが見た福島の事実を多くの人に広めていただくことが何より重要だということを確認し、集会を作ってきました。

大切なものを失なわせた原発事故
 今回の「県民大集会」は、被災地でないと感じられないリアリティーを持った集会となりました。呼びかけ人の武藤類子さんは「原発事故は、被害者の人権を侵害し生きる尊厳を傷つけた。このような思いを世界中の誰にもさせないよう、原発事故の被害を受けたものとして『原発を止めよう』と声を上げていこう」と訴えました。
 原発避難者の三瓶春江さんは「原発事故で家族の団らん、地域とのつながりを失った。津島(浪江町)の自宅は荒れ果て野生動物の住処となっている。放射能が降り積もったことも知らずに炊き出しを行い被曝した。そのふるさとには今も帰ることはできない。大切なものをたくさん失ったまま7年、何も解決していない。なのに原発はなくならず再稼働している。私たちのような原発被害者を出さないために発信していきます」と訴えました。集会は約1時間とコンパクトでしたが、福島の現状と想いが発信され、原発のない社会をめざすことのアピールが確認されました。
 集会に関連して、いわき駅からのシャトルバス内で、原発事故被災者の方々に、自分の体験や被災地の状況などを話していただきました。また、バスをチャーターして参加された団体や、自家用車で参加された方には、被災地のフィールドワークを紹介をし、実際に見ていただくことができました。18日の実行委員会が企画した被災地フィールドワークには約90名が参加され、現実を見ていただきました。


3300人が参加した県民大集会
(3月17日・福島県楢葉町)

廃炉に向けた動きが前進している
 実行委員会では「福島第二原発の全基即時廃炉」の実現を目標とし、署名と合わせた県民運動の広がりをめざしてきました。昨年、多くの方々の理解と賛同をいただき20万筆を超える大量の署名を集約し、国と東電に提出し廃炉を強く求めてきました。しかし東電は、この署名を「重く受け止める」と言いつつも、廃炉をいまだに明言していません。
 昨年の署名提出以降、様々な動きが出てきました。6月には東電の新社長が「福島第二原発の廃炉の可否について、できる限り早く判断する」との考えを示しています。11月には、県議会議長が東電社長に対し、「福島第二原発の廃炉」という前提で、「廃炉工程に関する見解」を示すよう求めています。同じく11月には、双葉郡内の被災地の首長の皆さんが東電社長に対し「安全・安心の確保のため着実に第二原発の廃炉を実施してほしい」と強く求めています。
 「原発のない福島を!県民大集会」の取り組みは、「福島第二原発廃炉」に向けた世論を確実に高めています。廃炉に向けた情勢が前進する方向に動いている今日、「今年こそ第二原発の廃炉を実現させたい」との強い思いを持ち、改めて「東京電力福島第二原発の即時廃炉を求める署名」を行ってきました。3月末の時点で21万筆を超える署名を集約しています。4月には改めて東電と国の関係省庁に提出し、「東電福島第二原発全基の速やかな廃炉」を早く決断したうえで、福島第一原発の事故収束に全力を挙げるよう強く要請をし、実現させたいと思っています。
(つのだまさし)

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5回目のフクシマ連帯キャラバン
人とつながり合い 震災を風化させないとりくみを

 今年で5回目となる「フクシマ連帯キャラバン」行動。平和フォーラム・原水禁に結集する労働組合・民主団体の青年たちが中心となり、毎年3月に「フクシマとの連帯」「脱原発社会の実現」を訴えて各地をめぐるキャラバン隊行動を行っています。今回は3月14日から21日まで、過去最多となる約70人が参加し、新潟・福島・茨城・東京で街宣行動や自治体要請、そして各地の青年労働者との交流などを行いました。参加者から2人の声をお届けします。


「さようなら原発全国集会」で報告するキャラバン隊
(3月21日・代々木公園)

7年が経過しても何も変わっていない
全港湾東北地方青年婦人部部長井坂雄太
 「2018フクシマ連帯キャラバン」に3日間、福島と茨城での行動に参加しました。17日に開かれた「原発のない福島を!県民大集会」で、原発事故により避難された方からの訴えを聞き、18日は避難指示が解除された地域のフィールドワークを行いました。
 最初の飯舘村は一部が帰還困難区域になっており、許可が無ければ入れない場所があります。線量計を確認すると、あちこちで警告音が鳴り響いて、たった数十cmの間に境界線があるという事に疑問を感じました。
 次に川俣町から国道114号線を通り、浪江町に向かいました。昨年9月に通行止めが解除となりましたが、道の両側にはバリケードが張り巡らされており入ることはできません。道中に「帰還困難区域内につき長時間の停車はご遠慮ください」と書かれた看板がありました。正直、それを言うなら通行止め解除そのものが間違っているだろうと思います。
 浪江町請戸地区に着くと、震災当時のまま墓石は倒れ、建物は損壊したままの状態でした。小学校は津波での死者を出さずに済みましたが、原発事故により被災者の救助に立ち入れない事態が起こり、多くの方が亡くなりました。大平山霊園にある慰霊碑に刻まれた犠牲者の名前から、当時の無念さが伝わりとても胸が痛みました。
 富岡町は昨年3月に一部を除き避難指示解除になりましたが、住民の多くは帰還せず、復興も進んでいるようには見えません。富岡駅付近は立派な建物が出来ていても、道路の周りはやはりバリケードがあり、人が住めるような場所ではないと感じました。
 放射能は目には見えず、風が吹けば拡散します。本来は線を引いて避難区域を決めるような代物ではないのです。政府はしきりに復興は進んでいると言いますが、自分の目には震災から7年経過しても変わっていないと映りました。東京オリンピックで新しい物を建設する前に、福島や被災地の復興が大切なはずです。今回学んだことや感じたことを活かし、これからの脱原発運動、震災を風化させない取り組みを強化していきたいと思います。

脱原発の知識をつけ広めていく重要性
部落解放同盟東京都連合会青年部堺佑太
 14日から17日までの4日間、新潟と福島での行動に参加させていただきました。今回で5年目を迎えたキャラバンに部落解放同盟が初参加できたことを嬉しく思います。私自身も初参加だったのですが、とても貴重な体験でした。
 原発についての知識や被災地の状況等、テレビのニュースで見ていた程度だったので、実際に話を聞いたり状況を見ていく中で、自分は本当に何も知らなかったのだなと思い知らされました。4日間の中で印象に残っているのは街宣行動です。16日は新潟、17日は福島で行い、新潟では中高年が、福島では若年層が多く、幅広い年代の方々が協力してくれたのを覚えています。シール投票では、原発の再稼働反対が多数を占めていて、「危ない」「怖い」「安全性に欠けている」といった声が非常に多かったのが印象的です。少数とはいえ「津波や地震はイレギュラー」「電力が足りなくなることへの不安」といった理由で再稼働に賛成の方もいて、様々な意見があるなと思いました。
 署名活動では名前や住所を書くことに抵抗があり集めるのに苦労しますが、今回のようなシール投票形式だと抵抗なく協力してくれるので、私たちの活動の中でも活かせるのではないかと思いました。「中越地震の際の深刻な状況」「震災時、雪や状況によって避難が難しい現実」「再稼働しない現在でも使用済み核燃料の危険と隣り合わせの状態」「廃炉になっても半永久的に原発から出る廃棄物等の問題」などの話を聴き、原発を再稼働させた際の危険性や問題点を知ることができました。
 今回の参加は私自身とてもプラスになったことが多く、十分な知識がついたとはまだ言えませんが、脱原発を訴えるにはしっかりと知識をつけ、それを周りの人達に広めていく重要性を強く感じました。次回も参加したいと思います。

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日本政府関係者が魅かれる核共有
日本人パイロットが核爆弾投下訓練?

 2009年に米議会委員会で証言した日本側の一人が日本の不安を解消するには「ニュークリア・シェアリング(核共有)」しかないと述べたと米「憂慮する科学者連合(UCS)」のグレゴリー・カラキー氏が2010年3月の報告書に書いています。同氏は、米議会委員会の会合で秋葉剛男公使(現外務省事務次官)が提出した文書やその関連文書を公開して米国の「核態勢の見直し(NPR)」と日本の核政策の関係について注意を喚起した核問題の専門家です。
 2010年3月版では名前が出てきませんが、2013年版ではこれが秋葉氏であることが分かります。秋葉氏は2009年11月にカラキー氏と会った際、米国は本当に核で日本を守ってくれるだろうかという日本側の懸念を解消する「唯一の方法は、米国が日本に米国の核兵器をいつ使うかを決める権限を与え、このような『核共有』の取り決めについて北朝鮮と中国の両方に明確に伝えることだ」と述べたといいます。

「共有」といっても核使用決定権は最後まで米大統領に
 「核共有」というのは、米国と欧州の北大西洋条約機構(NATO)加盟国が冷戦時代以来とっている体制です。米科学者連合(FAS)の核問題専門家ハンス・クリステンセン氏によると、米国が現在保有する戦術核はB61型自由落下核爆弾が約200発(B61-3及び-4がそれぞれ100発:威力は0.3~170キロトンまで調整可。広島・長崎は約20キロトン)です(4月10日付メール)。このうち、欧州に配備されているのが約150発で、ベルギー、ドイツ、イタリア、オランダ、トルコの5ヵ国の6基地にあります。約80発がトルコを除く4カ国の航空機での投下用となっています。4カ国のパイロットたちは定期的に模擬投下訓練を受けています。これらの核兵器は通常は米国の管理下にあり、米国大統領が核投下の決定を下すと4カ国の航空機に搭載されるという仕組みです。米国の承認があって初めて離陸となります(「核脅威イニシアティブ(NTI)」の2011年報告書。執筆は元NATO防衛大学研究ディレクターと元米空軍少将)。前もって権限が受入国側に移譲され、その後は受入国側の好きなタイミングで搭載・離陸となるというのではありません。受入国側にあるのは爆撃参加の拒否権であって勝手に使用する権限ではありません。この意味で秋葉氏が期待しているのは、ないものねだりと言えます。
 この体制は「核不拡散条約(NPT)」締結の前から存在していたものです。当初はもっと多様な核兵器の「共有」がされていました。米国は「核兵器あるいはその権限の移譲は、戦争をするとの決定があって初めてなされる。その時点で条約の制約を受けなくなる」という立場をとっています。1968年にNPTのドラフトに関する公聴会が米上院で開かれた際の政府の説明です。要するに、戦争が始まればNPTはご破算となり、その時点でNATOの非核兵器国に配備してある米国の核爆弾をそれらの国のパイロットが運ぶことに問題はないし、その時点まで投下準備を整えておくのも問題ないというわけです。

核共有の実態──NPTとの関係は?
 秋葉氏は核共有について話したことを否定していますが、核共有は政府関係者にとって魅力的なようです。例えば、石破茂元防衛相が昨年9月6日のテレビ朝日の番組で、米国の核の傘で守ってもらいながら「持たず、つくらず、持ち込ませず、議論もせず」でいいのかと発言して話題になりましたが、同氏は翌日の同局の番組で核共有の検討が必要とも述べています。同氏は「核共有」などの「核戦略については随分と以前から公の場でも論じて」来ています(9月8日石破氏ブログ)。
 河野太郎外務大臣も、2010年1月13日のブログで核共有に触れています。「共同通信主催の日米関係のシンポジウムでパネリスト。北朝鮮の核を抑止するための日本としての戦略の議論を始めなければならないと訴えた。その際に、最初から非核三原則ありきではなく、アメリカの核を持ち込むNuclearSharingも検討すべきだと訴えた。検討の結果、するかしないかを決めればよいわけで、最初からそれを排除して核抑止の議論を狭めるべきではないだろう」。
 一方、安倍晋三首相は、2016年10月11日の参議院予算委員会において、過去に核共有が一つの選択肢だと述べたことがあると稲田朋美防衛大臣が書いているが本当かと問われて次のように答えています。これは、ドイツがそうだが、「米国が核兵器を使う際に言わばドイツも同意をするということにおいて共同の責任を負うという形でございます。つまり、そのことによって抑止力を高めていくということであります」が「日本が核を保有する、日本が使用するということとはこれは異なるわけであり…それが非核三原則に抵触する中では、当然それは行えないわけでございます」。実際は同意をするだけでなく、核攻撃に参加するのがNATOの核共有です。その意味で、安倍首相は核共有の意味を過少申告しています。
 核共有は持ち込みを通り越した核攻撃参加の話で、核兵器を「直接または間接に受領しない」ことを定めたNPT第2条にかかわる重要な問題です。クリステンセン氏は核情報へのメール(4月4日)で次のように述べています。「NPTが発効する前から存在していたNATOの核共有体制と異なり、日本との核共有は新たな取り決めとなる。米国の核兵器を受けとる明確な意図をもって、日本の航空機を装備し、日本人パイロットの訓練をすることは、たとえ、NPTの文言に違反しないとしても、その精神に反するものであることは明らかだ。日本のNPT加盟国としての地位と両立し得ないと考える」。
 このことの意味について、日本の反核運動もマスコミももっと真剣に議論すべきではないでしょうか。
(「核情報」主宰田窪雅文)

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加盟団体の活動から(第5回)
うたははたらくものの共有財産
日本音楽協議会 会長 松本 敏之

 日本音楽協議会(日音協)は、3月に開催される「原発のない福島を!県民大集会」、3月と9月の東京・代々木公園での「さようなら原発全国集会」、そしてさまざまな国会前行動や地域の行動などに参加してうたい演奏しています。沖縄での「ピース・アクション2018/5・15平和行進」にも参加して演奏します。
 日音協は、はたらくものの音楽サークルの全国ネットワークです。日音協の運動は、自らを表現する運動です。自分の目で生活を、労働を、たたかいを見つめながら、自分の言葉で表現し、労働者の現実をいきいきと描こうとするものです。
 日音協は、「つくり・うたい・ひろめ・つなぎあう」という4つの活動を行っています。メーデーや労働者の集会、手作りのコンサートでうたうこと、歌集・CDづくりなど、日音協はうたを創り、演奏し、普及しています。その結果として全国の音楽サークルが結び合い、また日音協の地域支部が生まれてきました。
 日音協の活動の中でうまれたうたは財産であり、日本のはたらくものの共有財産です。いま、沖縄の辺野古新基地建設に反対するキャンプシュワブゲート前でなどでうたわれる「座りこめここへ」もそのひとつです。
 日音協は、労働組合を生みの親として誕生しました。ですから、連合をはじめとした労働組合と強く結びつき、労働組合の支援を受けていることは日音協の特徴です。しかし今日では、音楽活動家が個人として会員となり、日音協を構成しています。職場に労働組合がない人、個人事業者、学生、年金生活者も、たくさん会員になっています。
 全国の日音協の会員は、毎年開かれる「はたらくものの音楽祭」で結び合っています(写真は昨年の音楽祭)。2018年のはたらくものの音楽祭は、6月30日~7月1日に富山市民プラザで開催します。また、機関紙『音楽運動』(月刊)と、県を超えた広域のブロック合宿(年1回)などで結び合っています。
 日音協のホームページでも、さまざまな活動をご紹介しています。ぜひアクセスしてご覧になって下さい。
日音協のホームページ:http://www.yomogi.or.jp/~uncle/
(まつもととしゆき)

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〔本の紹介〕
プロ野球「衝撃の昭和史」
二宮清純著/文春新書

 今年もプロ野球が開幕し1ヶ月が経つ。昨シーズンまでのリプレー検証(本塁打かどうかの判定および本塁でのクロスプレーなど)に加え、今シーズンからは、判定に異議がある際に監督が映像による検証を求めることができる制度「リクエスト」が導入された。すでにこの1ヶ月で数えきれない回数の「リクエスト」が行われた。時代の変化とはいえ、果たしてビデオ判定を導入してまで厳密に「アウト」「セーフ」を判定する必要があるのかと思う。判定結果を待つ間、プレーは止まり、試合の流れが変わることもあったようだ。待たされる観客はしらけてしまうこともあったようだ。
 審判も人間だ。人間が判定するからこそ、時には「???」と思われた判定の中から、後世まで語り継がれているものまで生まれ、このことがプロ野球を演出してきたとも言えるのではないだろうか。審判の判定をめぐっては、1978年の日本シリーズでの阪急ブレーブス・上田利治監督の1時間19分の抗議は、年配のプロ野球ファンなら誰もがご存知で、あまりにも有名だ。
 また、「江夏の21球」も違った点で有名だ。1979年の日本シリーズで、広島東洋カープ・江夏豊投手が9回裏無死満塁の大ピンチを招きながら、近鉄バッファローズ打線を見事に抑え、日本一に導いた全21球に焦点を当てたあの「江夏の21球」である。
 みなさんは、この「江夏の21球」も審判の判定が大きく絡んだものだと知ったらどう思われますか。「江夏の21球は14球のはずだった」と知ったらどう思われますか。「実は近鉄バッファローズが逆転サヨナラ勝ちで初の日本一になっていたはず」と知ったらどう思われますか。
 今回紹介する、プロ野球「衝撃の昭和史」には、この真相が書かれています。ビデオ判定がないからこそ生まれたドラマの真相が書かれています。ぜひともお読みいただき、ご自身で真実を判定していただければと思います。
 その他にも11の新事実が書かれていますので、プロ野球ファンにはぜひとも読んでいただきたい一冊です。
(北村智之)

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核のキーワード図鑑


ゼロのケムリ出す原発中毒の病いは重し

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たくさんの出会いと連帯を求めて

 こんにちは。韓国から来たハン・ヒスと申します。韓国の聖公会大学で社会学を勉強していました。3月中旬に日本へ来て、もう1ヶ月が経ちました。荷物の整理をしたり、これから住む町を見たり、日本で出会った人たちに挨拶したりなどで多忙な日々を送っています。韓国とは違う文化、例えば多くの自転車、静かな街、みんなが下車するまでゆっくり待ってくれるバスに驚いたり、韓国と変わらない人々の生活に安心したりしています。
 そして、多忙な日々の中でも一番印象的だったのは集会へ参加したことでした。激しく雪まで降った3月21日の「さようなら原発全国集会」、スタッフは朝早くから集まって準備し、お互いを激励し、心を合わせる姿は私にとって感動的でした。詳しい内容まで理解することはできませんでしたが、本気だけは私にもそのまま伝わってきた瞬間でした。集会に参加しているみなさんの姿を見ると、私はソウルの光化門で夜を明かした数え切れないほど多くの日々を思い出します。そこで感じた混乱と感動、怒りと涙、悟りと連帯が「ここ日本にもあった」と思って、心の片隅が熱くなりました。
 これからどう暮らしていくのか、どんな経験ができるのか、期待と心配でいっぱいです。まず日本語の勉強をがんばらないといけないと思っています。一日でも早くみなさんと会話できる日が来るのを望みます。もし私に会ったら、気軽に挨拶していただけませんか?日本についてもたくさん教えてくださったらありがたいです。(ハン・ヒスさんは平和フォーラムのインターン留学生として来日されました)
(翻訳:チョン・ウンジュ)

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