2017年、ニュースペーパー

2017年07月01日

ニュースペーパー2017年7月






朝鮮半島、そして東アジアに平和を 日韓で国際シンポジウム
 朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)による度重なるミサイル発射や、史上最大規模の米韓合同軍事演習の実施など、2017年に入り朝鮮半島情勢はより緊迫の度合いを増しています。そんな中、対話による解決と東アジアにおける平和体制の構築を訴える国際シンポジウムが6月11日・12日の2日連続で開催されました。
 6月11日に韓国・ソウルの国会議員会館第一セミナー室で行われた「大激変期、恒久的なコリア平和体制への道」(主催:コリア国際平和フォーラム)には平和フォーラムの藤本泰成共同代表も参加しました(写真上)。藤本代表は「日本社会の右傾化‐暴走する安倍政権」というテーマで発言し、日本社会の右傾化が国内はもとより東アジア情勢においても危険であることを指摘、そしてこの状況を打破することこそが地域の平和構築につながると主張しました(発言内容は4~5面掲載)。
 また、翌12日に東京・「中央大学駿河台記念館」で開催された「6.15南北共同宣言17周年国際シンポジウム朝鮮半島と東アジア‐平和への新たなステージへ」(主催:東アジア市民連帯)には300人が参加しました(写真下)。南北朝鮮・日本・カナダ・中国・ロシアを代表する専門家たちが討論を行い、対話による緊張緩和と朝鮮半島の自主的平和統一のみが東アジアの平和への道であることを確認しました。

インタビュー・シリーズ:122
9条の精神を生かして平和のための支援を
日本国際ボランティアセンター スーダン駐在 今井 高樹さんに聞く

いまい・たかきさん プロフィール
 会社員生活のかたわら日本国際ボランティアセンター(JVC=アジア・アフリカ・中東、そして東日本大震災の被災地で支援活動を行っている国際協力NGO)の活動に関わる。2004年に民間企業を退職、07年5月よりJVCスーダン現地代表。スーダン南部自治領(現南スーダン)のジュバに3年にわたり駐在。10年よりスーダン(北部)の南コルドファン州に移動、11年6月の紛争勃発後は首都ハルツームに駐在し、17年1月よりJVC東京事務所勤務。

─スーダンの支援活動の内容と経過をお聞かせください。
 JVCに採用されて、独立する前の南スーダンのジェバに2007年に赴任しました。電気も水道も舗装道路もない、信号もない、ほんとうに何もないところでしたが、平和だけはありました。南スーダンは05年に和平合意が結ばれ、南北内戦が終わって、私が赴任した頃は治安が安定していました。昼間は町中をひとりで歩いても危険はありませんでしたし、職業訓練をやっている研修生たちと色々な所に遊びに行ったりもしました。10年の初めまでジェバにいましたが、今から思うととてもいい時代でした。その頃の活動は自動車整備の支援でした。整備工場をJVCが引き取って、内戦が終わって難民キャンプから戻ってきた若者たちに、整備士の職業訓練をしていました。
 その後、スーダン共和国の中の、南スーダンとの国境にいちばん近い地域に活動の拠点を移しました。そこもずっと内戦があった場所なので、内戦が終わった後も同じ村の中で政府系と反政府系の住民が対立していました。JVCとしては、対立している人たちが村の再建のために力を合わせて、お互いの信頼を回復して、また仲良く暮らしていけるようにするという活動をしていました。どんな村づくりをするか、何ができるかを何度も話し合って、ため池を作ることが決りました。JVCがパワーショベルを用意して穴を掘るから、村の人たちは柵を作ろうということになりましたが、作業を始めてから半年で紛争が起きてしまって、途中で断念せざるを得ませんでした。
 JVCの事務所があったカドグリという町で、11年6月に紛争が起きて、市街戦が始まりました。人口6万人くらいの小さな地方都市だったのですが、町中あちこちの路上で撃ち合っているような状態で、ロケット砲が飛んでくる音も聞こえました。JVCの建物のすぐ裏手で銃撃戦が始まったとき、事務所には私一人が残っていましたが、前の道で射ち合いをしていて、いつ流れ弾が飛んでくるかもしれないので、伏せたままの状態で一晩を過ごしました。翌日、民兵が乱入してきて、銃口を私に向けてひざまづかせ、事務所内のパソコン、備品、発電機、書類、私の身の回りの物まで、すべてを持ち去りました。彼らが出て行ったあと、運よく他のNGOの車両に拾われて国連の施設に待避しました。
 そのあと一旦帰国して、9月にスーダンに戻りました。治安状況が不安定ということもありましたが、スーダン政府が外国人の立ち入りを一切認めていませんでしたので、カドグリには入れませんでした。そこで、首都のハルツームにいて、そこから地元スタッフと連絡を取りながら、食料支援活動から始めて、農業支援で種や農具などを配ったり、井戸も掘りました。最近は子どもたちのための学校の改修など、教育支援に比重を移しています。
 支援活動に従事している中、現地スタッフが反政府勢力のスパイだという疑いをかけられて、スーダン政府に連行されたことがあります。事務所も閉鎖され、活動を停止させられました。このまま支援活動ができなくなるんじゃないかと思い、この時がいちばんつらかったです。JVCの支援活動として井戸の補修がありますが、壊れているから補修するのではなくて、住民が自分たちの力で直せるように技術研修や工具の支援をします。村人では技術的に難しい場合にはJVCが修理することもありますが、村人でも直せると判断したときはあえて手を貸さずに、自分たちで直してくださいと言って、JVCは引き上げてしまうという厳しい対応をとることもありました。JVCの活動というのは、私たちがなにもしなくても、村の人たちが自分たちで行動できるようにすることだと思います。それに一番のやりがいを感じています。

―南スーダンが独立したあとは活動の中身は変わりましたか。
 はい。南スーダンでは、12年から南北スーダンの国境の近くにある難民キャンプで幼稚園の支援を始めました。そのキャンプは国境に近すぎるということで、国連が認定しない非公認キャンプになっていましたので、国連は食料、給水と医療の最低限の援助だけで、教育支援はしません。子どもが学校に通うようになると、そこに住み着いてしまうからです。そのため、避難民自らが材料を集めて校舎を建て、ボランティアを募って先生にして、幼稚園と小学校を作りました。しかし、先生はみんな素人なので、子どもたちを勝手に遊ばせておいて、騒ぎ出すと棒を持ってきて叩く、そんな状態でした。それで、まず先生方の研修から始め、そのあとは黒板、おもちゃ、ノート、文房具、飲み水を溜める大きなポリバケツなどの備品の支援をしました。この活動を現在も続けています。

─今後の国際支援と日本が果たすべき役割はなんでしょうか。
 国連のPKOをどう評価するかはいろいろな意見があると思いますが、言えるのはPKOでは紛争そのものを解決することはできないということです。もともとPKOは「平和」があるところに行く部隊です。基本的には和平合意があって、紛争が終わったときに派遣されて、停戦や選挙の監視をするというのが本来の任務です。それが、2000年を境に、国際社会にとって脅威となるような不安定な状態の国に、必ずしも完全な和平合意がなくても必要な措置として部隊を派遣するPKOに変わっています。
 そういう状態の中で派遣されたPKO部隊が、紛争を解決できるかといったら、そうではありません。紛争地に平和をもたらすためにはなにが必要かというと、いろいろな武装勢力が和平合意に応じるように仲介をするということがあります。また、そもそも政府になんらかの問題があって、国内の状況が悪化しているので、そういった政府に対して行政機構の整備とか、警察官や役人への研修とか、非軍事の部門で国の基盤作りの手助けをしなくてはなりません。そういうことの方が、軍隊の派遣より大切です。
 日本は憲法9条にある国際紛争を解決する手段としての武力を放棄するという精神をもっているので、紛争そのものを解決して、平和をもたらすような働きかけをすべきだと思います。日本はいままで政治的な介入をしてこなかったので、南スーダンにいくつもある反政府勢力は、日本に対して好意的です。スーダン、ウガンダ、エチオピア、ケニアなどの周辺国も含めて、南スーダンの政府、反政府勢力に呼びかけて、話し合いの場を持とうと働きかければ、実現できる可能性は充分あると思います。
 こういった仲介のほかに、政府に対する行政支援で人権研修というものがあります。兵士は、略奪をしてもレイプをしてもいいというような理屈がまかり通っていますし、行政職員は市民に対し威圧的で、お金をまきあげたり、暴力をふるってもかまわないというような考えがあります。地方の行政官は「土地が登記されていない」と言って、長年住んでいる村人から土地を取り上げ、政府高官に譲り渡したりしています。実際に、国のトップである大統領を含めて、権力を持つ人間は何をしてもいいという意識があります。兵士、警察、行政職員としての心構え、仕事のやり方、市民への対応など、法律やルールに基づいて運用していくことに理解を深める研修が必要です。憲法や法律が整備されていても、それを機能させるのは人間ですから、法律の運用に関わることも含めて、意識を高めなければならないと思います。
 南スーダンはもともと食料難が起きるようなところではありません。降雨量は東京と同じくらいですし、農業も牧畜もあります。魚も獲れますので、本来はとても豊かな土地です。それが紛争や土地の収奪によって耕作や牧畜ができなくなって、食べるものがないので、土地を移動したり避難したりしているわけです。行政がきちんと機能して、住民が自分たちの土地で生業活動ができるようになれば、食料難も解消できます。大規模インフラ整備というのは、政府の汚職につながる可能性が高いのです。それよりむしろ、行政を整備して、住民が安心して、農業や牧畜ができるような環境を作る、そのための支援が大切だと思います。

―読者に訴えたいことはありますか。
 憲法9条を守るということはもちろん大切ですが、9条の精神と本来の意味を考えて、日本政府、国民が9条に沿った活動をしていくことで、初めて意味を持つと思います。日本の「戦争放棄」はアフリカではまったく知られていません。ですから、自衛隊は当然日本の軍隊だと思うわけです。誰もが9条を知らないのならなおのこと、日本はこういう憲法がある、だから軍隊は派遣しないけれども、別の形でみなさんに協力して、一緒にやっていきますということを言わなければいけないと思います。「積極的平和主義」というのであれば、9条の精神を生かす形で、国内外で活動をすべきです。
 南スーダンは紛争の中で国土が荒廃し、飢餓という状況が続いています。国連が飢饉と呼んでいる最悪レベルの状態にある地域があります。それ以外の地域でも、国民の半数が飢えています。食料支援は非常に重要です。JVCも微力ながら支援活動をしていますので、ぜひ関心を持っていただきたいと思います。

インタビューを終えて
 淡々とお話しされた今井さんでしたが、節々に冷静な人柄とボランティア活動に対する熱い思いが伝わってきました。インタビュー後も日本でゆっくりする時間もなく、スーダンに戻られるとのことでしたが、お身体に気をつけてご活躍されるようお祈りいたします。また、読者のみなさまもJVCの活動へのご理解をいただくとともに、カンパなどのご支援をお願いいたします。
(勝島一博)
JVCホームページhttp://www.ngo-jvc.net/jp/aboutjvc/readme1st.html

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日本社会の右傾化─暴走する安倍政権
国家主義的方向への転換を許すな
フォーラム平和・人権・環境 共同代表 藤本 泰成

共謀罪は「戦争をする国作り」の原動力
 日本社会がゆがみかけている。私にはそう見えます。それは二つの側面から顕著です。一つは、特定秘密保護法から安全保障法制(「戦争法」)、そして共謀罪の導入、憲法改正の議論という「戦争国家」への歩みです。もう一つは、愛国心教育を導入した教育基本法の改悪から、道徳の教科化、安倍政権のあおる東アジアの脅威を背景にした過剰な反応や、ヘイトスピーチに象徴される排他主義、教育勅語の復権や「明治の日」創設など、いわゆる国家主義的思想の繁茂です。
 そしてそれらは、第1次から4次の現在に至る安倍晋三政権下に象徴される政策であり考え方です。
 この背景には、安倍晋三が属する日本会議の暗躍があります。
 「安倍一強政権」との言葉がありますが、まさにそのことを利用して安倍晋三およびそれを支える官僚は、これまで実現してこなかった様々な法整備や政策を実現しています。その顕著な例は集団的自衛権の容認です。これまで自民党政権は、多くの憲法学者が憲法9条の1項、2項により、違憲とする自衛隊に関して「憲法は個別的自衛権までも放棄するとは解釈されず、従って『専守防衛』に徹する必要最小限度の防衛力(自衛隊)は合憲である」とし、個別的自衛権は否定されないが、集団的自衛権の行使までは容認していないと解釈してきました。
 しかし、2015年の「戦争法」の成立に際しては、何ら根拠を示すことも憲法論議を行うこともなく、集団的自衛権の行使は憲法に反しないとの閣議決定を行い、自衛隊の海外での他国軍隊との軍事的行動を容認しました。今回の共謀罪の導入も同様に、多くの懸念に応えることなく数の力で国会採決を強行しました。共謀罪導入の意図は明らかで、このことによって反基地闘争などの平和運動や、脱原発、環境保護等の市民運動は、明らかに取り締まりの対象となるでしょう。そのことはとりもなおさず「戦争をする国」作りの原動力になるに違いありません。戦時中に弾圧された俳人の渡辺白泉は「戦争が廊下の奥に立つてゐた」と詠みました。歴史家の半藤一利は、「そうなるのは、あっと言う間だ」と警鐘を鳴らしています。
 連日のように「共謀罪反対」の行動が全国で行われてきましたが、韓国の「ろうそく集会」のような大規模なものとはなっていません。そのことは、巧妙に仕掛けられてきた日本社会の右傾化と、連日報道される「自爆テロ」などの社会不安が日本社会の底流にあるからだと思います。


共謀罪と辺野古埋め立てに反対する国会包囲行動
(6月10日)

「政治にとって重要なのは教育である」
 第1次安倍内閣から続く日本社会の右傾化は、止まる様子がありません。背景には、元号法制化、国旗・国歌法(日の丸・君が代の法制化)、教育基本法改悪(愛国心教育の導入)などを、保守政治家とともに推進してきた「日本会議」の姿があります。教育関係者や多くの市民が、戦前の「修身」の復活として反対する中、2018年度から道徳の教科化が強行されることとなり、2017年3月には道徳の教科書の検定作業が行われ、その結果が公表されました。検定意見による修正では、伝統文化が軽視されているとして「パン屋」が「和菓子屋」に変更されたり、消防団の「おじさん」は、高齢者への感謝や敬愛の観点から「おじいさん」に変えられたりしました。日本パン工業会や全日本パン協同組合連合会などからは「パン屋が日本の文化にそぐわないと言われたようで心外」との声もあがっています。
 これらは、江戸時代から連綿と続く儒教的な、家父長制を基本にした家族観と、狭隘な日本文化礼賛の姿勢を表出したものであり、懐古主義・復古主義、排外主義の姿勢は許されません。
 第2次大戦中、ドイツから避難したユダヤ人に対して、外務省からの訓令に反して大量のビザ(通過査証)を発給し、多くのユダヤ人を救ったとされる外交官の杉原千畝に関する部分では、「発給するな」とする訓令に関しての当時の日本とナチスドイツとの関係性の記述を削除するなど、都合の悪い歴史事実を隠蔽するような修正も行われています。歴史や地理の教科書においても、日本に都合の悪い事実はねじ曲げ、領土問題などは、両論併記を許さず政府見解に基づく記述が強要されています。本来、事実に基づく自由な表現が許されなくてはならない教科書検定制度において、政権の意志が強要される事態が招来しています。
 中学校の武道において、これまで外されていた「銃剣道」が導入されました。銃剣道は、旧日本軍において、また戦後の自衛隊において戦闘訓練に導入されているもので、競技者のほとんどが自衛官であり、日本銃剣道協会のほとんどが各県の自衛隊駐屯地内に存在しています。使用される木銃は、旧日本陸軍の主力小銃であった三八式歩兵銃の長さが基準とされています。戦後憲法の理念をないがしろにする安倍政権のやりたい放題の姿勢は、教育現場に戦闘行為までも持ち込むこととなっています。
 幼稚園児に対して教育勅語の唱和を行わせる森友学園が、財務省から常識外れの安価で国有地を手に入れ、安倍昭恵夫人を名誉校長として小学校の開校をめざしていたことが政治問題化しました。森友学園の教育内容の異常さは「安倍首相がんばれ」の連呼に見える首相への個人崇拝が見られることです。「政治にとって重要なのは教育である」とする明治維新以降の天皇制時代の考えに則った安倍教育再生は、教育勅語礼賛の森友学園にきわめて象徴的に現れています。
 安倍政権は、天皇主権の旧憲法下での教育方針であった「教育勅語」を、憲法・教育基本法に反しない限り教材として使用できるとの閣議決定を行いました。「戦争になったら国のために命を捧げろ」とする「教育勅語」を、稲田朋美防衛相は「道義国家にふさわしい」とまで発言しています。
 文部科学省の前川喜平前事務次官は、加計学園の今治市での獣医学部新設かかわる文科省内の「総理のご意向」などと書かれた文書が実在すると明言しました。しかし、森友問題・加計学園問題ともに、安倍首相の関与はなかったものとしています。安倍首相は、日本会議に集う仲間とともに政治を私物化し、国家主義的方向への転換を図っています。

正念場を迎える憲法擁護の闘い
 このような政治家の右傾化は、日本の市民社会にも大きな影響を与えているのではないかと危惧されます。5月3日の憲法記念日に合わせて、安倍晋三は「2020年までに改憲を実現する」と宣言し、これまでの主張をかなぐり捨てて「憲法9条の1項、2項は残し、新たに3項を起こし自衛隊を位置づける」と主張しました。安倍晋三は、首相と自民党総裁の立場を使い分け、「憲法9条2項を変える」というハードルの高いこれまでの主張を捨てようとしています。また、「教育の無償化を憲法に位置づける」などとし、自ら「税金のバラマキ」として反対し、政権奪取後は所得制限まで入れた「教育の無償化」を、今度は憲法に位置づけるとしています。
 まさに「ご都合改憲」としか言いようがありません。しかし、比較的リベラルと言われる朝日新聞の調査においても、日本周辺の安全保障環境に「不安」と答える人は93%に上り、「戦争法」に対する賛否の割合は、「賛成」41%、「反対」47%(昨年は「賛成」34%、「反対」50%)と差が縮まっています。また、自衛隊の憲法への位置づけに関しても「必要がある」41%、「必要がない」44%と拮抗しています。
 憲法「改正」の必要性に関しては、なお、改正反対の声が強いものの、安倍政権の支持率はいまだ50%前後で推移し、政権が長期にわたれば右傾化の傾向が強まることも懸念されています。憲法擁護の闘いはまさに正念場を迎えようとしています。
 2018年は、明治維新から150年の節目となります。明治維新は、薩摩藩(鹿児島県)、長州藩(山口県)の下級武士が中心となって江戸幕府を倒し、日本の近代化の道を開いたものですが、天皇制社会を基本に「富国強兵」「殖産興業」のかけ声の下、過酷な労働と徴兵、侵略戦争と植民地支配の歴史を刻んできました。
 その明治の負の部分を隠蔽し、明るい日本の近代化のイメージを作りあげ、ノスタルジックに「明治は良かった」「明治の精神に帰れ」との喧伝が行われようとしています。教育勅語の復権も、そのような右傾化の波の一部です。安倍晋三は「明治50年は寺内正毅(初代朝鮮総督)、100年は佐藤栄作(安倍の伯父)、150年は自分(全て山口県出身者)」と選挙区である山口県で表明しています。安倍晋三は、明治150年、2020年の東京オリンピック、そして岸信介元首相(安倍の祖父)が成し得なかった憲法「改正」を成し遂げて、自らの政治家としての人生に花を添えようとしています。


55000人が参加した憲法集会
(5月3日・有明防災公園)

敗戦国として国際社会への役割を
 日本会議と安倍晋三は、東京裁判(極東国際軍事法廷)の結果を否定してきました。事後法による裁判は無効と主張し、侵略戦争も植民地支配も欧米列強からのアジア解放の戦いであるとしてきました。「八紘一宇」と称し、東アジア共栄圏構想を主張し、戦前の天皇制社会と先の戦争を肯定しようとしてきました。
 しかし、ポツダム宣言受諾とサンフランシスコ講和条約締結を基本とした日本の国際社会への復帰は、東京裁判の判決をも受認することによって成立したものであることを忘れてはなりません。「敗戦国」としての私たちの国際社会への役割を忘れてはならないのです。
 間もなく迎える敗戦72周年を前に、平和フォーラムはその基本に立って、東アジアの平和に、日本国憲法前文に示されている「名誉ある地位」を占めたいと考えます。(6月11日にソウルで行われたコリア国際平和フォーラムのシンポジウム発言に加筆・修正しました)
(ふじもとやすなり)

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重大な局面迎える辺野古埋立土砂問題
「本土」側が責任を持つべき連帯の課題
辺野古埋立土砂搬出反対・首都圏グループ 毛利 孝雄

 4月25日、政府は沖縄県名護市・辺野古新基地の海上埋立部分の護岸工事に着手した。反対運動のあきらめをねらう印象操作を含むものではあるが、重大な局面を迎えていることにまちがいはない。埋立土砂問題の現状と運動の課題を考えたい。

埋立土砂の8割は「本土」から 外来種侵入防止対策もなし
 辺野古新基地は総面積205ヘクタールのうち8割160ヘクタールが埋立地となり、完成すれば高さは地上10メートルに及ぶ。津波対策として、東北地方の海岸線に設置が進む防潮堤の高さをイメージしたら判りやすいかもしれない。そのため、通常の埋立では考えられない大量の土砂が必要となる。
 埋立に必要な土砂2,100万立方メートルは東京ドーム17個分、10トンダンプにすると274万台分に相当する。約8割にあたる1,644立方メートルを香川県小豆島、福岡県門司、山口県黒髪島、長崎県五島、熊本県天草、鹿児島県佐多岬・奄美大島・徳之島の採石場から、残りを沖縄県内(本部・国頭)から調達する予定だ。また、埋立用ケーソンは三重県津市で建造される。
 これら各搬出地の運動をつなぐ「辺野古土砂搬出反対全国連絡協議会」(土砂全協)には、”どの故郷にも戦争に使う土砂は一粒もない”を合言葉に、現在12県18団体が参加している。
 辺野古埋立土砂の県外からの大量搬入をめぐって、焦点となるのが外来種侵入対策だ。土砂搬出地となる西日本各地では、すでに特定外来生物アルゼンチンアリの生息が確認されている。沖縄県はこの問題で独自の土砂条例を制定している。
 第1の問題は、この外来種侵入防止対策について、政府から全く具体策が示されていないことである。防衛省は、この間の国会答弁などで「環境監視等委員会の専門家の指導助言を得ながら、埋立土砂の供給業者に所要の調査を義務づける等、事業者たる沖縄防衛局において適切な対応をとる」としてきた。しかし、環境監視等委員会では、未だに土砂供給業者に義務づける外来種混入対策について、検討すら行っていない。そもそも環境監視等委員会に、一方の当事者である沖縄県が全くコミットできないということ自体、異常ではないか。
 防衛省のいう土砂供給業者への調査義務づけ=丸投げが機能しないことは、現在進行している那覇空港第2滑走路埋立事業において、沖縄県が立入調査したすべての土砂搬出地点で、特定外来生物ハイイロコケグモが確認されていることで、すでに証明済みである。
 こうした現状にもかかわらず、2016年度から3年間の「埋立土砂の採取・運搬」予算として800億円を超える額が計上されている(2016年度は未執行)。外来種侵入防止対策も明示できないままの土砂関連予算の執行(海上工事強行)など、論外といわねばならない。
 昨年8月、世界170カ国以上の政府や政府機関、NGOで構成する国際自然保護連合は、辺野古を含む沖縄本島への外来種侵入防止対策強化を、日米両政府に求める勧告を圧倒的多数で決議している。辺野古埋立は国際的な環境保全をめぐる焦点事案となっているのである。「辺野古の海をジュゴンやサンゴのための海洋保護区に」それが国際社会の声なのだ。

土砂採取地に広がる自然と地域社会の破壊
 第2の問題は、土砂採取地側にひろがる自然と地域社会破壊の進行である。
 奄美大島では、野積みされた埋立用土砂(岩ズリ)が降雨によって海に流出し、岩礁が埋まり生物がみられなくなるなど、海岸域に深刻な汚染をもたらしている。天草御所浦では、採石跡の埋め戻しに毒性の強い製鋼スラグが、地元住民や漁民、自治体に何の相談もなく持ち込まれ大きな問題となっている。製鋼スラグを持ち込んでいる企業と、辺野古ケーソンを受注する企業とは同じ企業グループを形成している。
 また、佐多岬・奄美・五島の採石地には、核廃棄物最終処分場計画がつきまとっている。掘った跡を核廃棄物で埋め戻す。辺野古新基地は、原発をめぐる闇の部分とも深く結んでいるのかもしれない。
 土砂搬出地の多くは、過疎地・離島のかかえる問題のなかで呻吟してきた。1,300億円ともいわれる埋立土砂採取・運搬費は、”二束三文の土砂が金になる”という辺野古バブルを生み、長年築いてきた地域の生業をも破壊しようとしているのだ。
 土砂全協は、去る5月の総会で、(1)土砂搬出県の行政と議会への要請行動、(2)沖縄県の行政と議会に対して土砂搬出県への働きかけを要請する、(3)引き続き署名活動に取り組み、防衛省交渉等を行うなどの方針を確認した。新崎盛暉さん(沖縄大学名誉教授)は、土砂全協の活動について「地元の環境問題と沖縄の反基地運動が結びついた初めての例といえよう」(岩波新書『日本にとって沖縄とは何か』)と指摘している。
 辺野古新基地闘争のなかで、土砂問題は、まちがいなく「本土」側が責任を持つべき連帯の課題である。平和フォーラムと土砂全協団体との交流・協働の広がりによって、「本土」における辺野古新基地建設反対のとりくみを強化していきたい。
(もうりたかお)

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国会審議にみる安倍農政改革の本質
経済界主導で進む規制緩和・規模拡大

 安倍政権は「世界で一番企業が活躍しやすい国にする」(2013年2月の安倍晋三首相の施政方針演説)として、企業のための規制緩和や国家戦略特区の設定などを押し進めています。環太平洋経済連携協定(TPP)などの通商交渉も加わり、この間、特に農業分野では「農業の成長産業化」のかけ声のもと、急進的な改革が進められてきました。しかし、その実態は、内閣府の「規制改革推進会議」(大田弘子議長)などが主導した、企業のための規制改革や自由化です。今通常国会に出された農業改革関連法案はまさにその典型と言えます。

農政の専門家抜きで改革進める
 これまで農業政策に関しては、農水省の「食料・農業・農村政策審議会」(生源寺眞一会長)が専門的な議論を行って決められてきました。しかし、安倍政権発足以来、経済界出身者や安倍首相のブレーンなどが中心の規制改革(推進)会議や産業競争力会議(議長は安倍首相)が主導し、農政の専門家や農業団体関係者が一人もいない中で論議が進められています。
 その端的な例が、今通常国会で決まった「主要農産物種子法」の廃止です。米や麦、大豆などの主要穀物は、地域の気候や土壌にあった種子の開発が大切です。そのため、これまで各道府県の農業試験場で種子の開発が進められ、各地の推奨品種にされてきました。これが、民間の種子開発を阻害するとして、種子法の廃止が規制改革推進会議で提起されました。農水省で検討もされていないことが突如決められ、多くの農民や市民が反対する中で、同法の廃止が強行されました。
 さらに、同時期に国会に上程された「農業競争力強化支援法」では、「試験研究機関及び都道府県が有する種苗の生産に関する知見の民間事業者への提供を促進すること」とされました。民間には多国籍企業も含まれることから、遺伝子組み換え種子を開発してきたアメリカのモンサント社などの多国籍企業に研究成果が譲渡されることになります。
 同法は、生産資材や農畜産物の流通コストを削減し、業界の再編を後押しするとされています。しかし、規制緩和や自由化を優先させるあまり、大規模経営の育成を前面に出した農業構造改革ではないかと指摘されています。特に、農業協同組合(JA)に対しては、すでに事業内容や組織のあり方の見直しを迫っており、法案はJAに対しさらなる政治介入の法的根拠になるものとして、野党は反対してきましたが、可決・成立してしまいました。
 農協攻撃の背景には、農村地域での企業のビジネスチャンスを拡大する意図があることは明白です。現在、世界的に経済格差が拡大し、様々な問題がおきる中で、「協同組合」の意義が見直されており、昨年、ユネスコの無形文化遺産に登録されました。安倍農政は、そうした動きに逆行するものです。


農業産出額と生産農業所得
資料:農水省「生産農業所得統計」

安全・安心な食料供給こそ農政の基本に
 今国会では、農地を転用しやすくする法案も成立しています。農村への企業誘致を支援する農村地域工業等導入促進法(農工法)改正と、地域未来投資促進法で、いずれも企業用地を整備するため、これまで認められなかった優良農地の転用も可能となります。特に投資促進法では、これまでの農村工業団地のようにまとまった規模の農地を企業用地として転用するのではなく、企業が希望する場所の農地が転用されるため、農地が虫食い状態にされる恐れがあります。まさに、企業最優先の安倍政権の姿勢の表れです。
 5月下旬に公表された2016年度農業白書では、構造改革の成果が強調されています。確かに、これまで農業を支えてきた昭和一桁世代が引退し、農地法改正等で企業など法人の参入が増えています。この10年間で販売農家数が3割以上減ったのに対し、法人経営体は2.2倍になっています。しかし、法人化や大規模化が農業所得の底上げにはつながらず、大多数の農家は生産と所得の減少に直面しています。農業総産出額や農業所得は、1990年前後のピーク時に比べ、3~4割も減少しているのです(下図)。
 担い手不足も深刻で、基幹的農業従事者は10年間で50万人も減り、外国人労働力に頼るようになっています。それを見越して、政府は国家戦略特区では外国人労働者の農業就労を幅広く認める新制度を作ろうとしています。すでに、大規模化した農業現場では、技能実習制度で中国やベトナムなどの外国人が多数雇用されていますが、賃金不払いなど多くの問題が発生しています。
 安倍政権の急進的な農業改革は、地域社会や国土保全に貢献している農業の多面的機能を軽視し、小規模でも農村地域を支えてきた多様な担い手を切り捨てることにつながります。際限のない国際競争と規模拡大ではなく、食料自給率を向上させ、安全で安心できる食料供給こそ農業政策の基本としなければなりません。
(市村忠文)

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「市民による大間原発裁判」が結審
核兵器や原子力発電を必要としない社会をめざして
大間原発訴訟の会 副代表 大場 一雄

 大間原発訴訟の会による「大間原子力発電所建設・運転差止等裁判」(「市民による大間原発裁判」)は、2017年6月30日の第29回口頭弁論で結審します。
 2010年7月に市民など原告170名により函館地域に提訴されたこの裁判は、今年4月の第9次提訴で合計1168名の原告団にまでなりました。約7年に及ぶ裁判では、竹田とし子大間原発訴訟の会代表をはじめ、原告延べ33人が自らの体験や思いを意見陳述し、渡辺満久さん(東洋大学教授)や、佐藤暁さん(元GE技術者、原子力コンサルタント)らに証人として尋問に応じていただきました。裁判長の不当な指揮により意見陳述が認められない回もありましたが、判決は来春と予想されています。

「大間原発はすぐにやめたい」─電源開発役員の本音
 1976年に、青森県の下北半島にある大間町の商工会が、大間町議会に「原発環境調査」を請願してから約40年が経過しました。その後、事業者が電源開発(株)と決まり、2008年には国が原子炉設置許可を出して建設工事が始まりましたが、この間に大間町の漁業者や労働者を中心とした反対運動がおこり、建設予定地に住んでいた故熊谷あさ子さんによる抵抗、津軽海峡を隔てて対岸の函館市の市民が中心となっての裁判などがありました。現在、大間原発建設工事は、原子力規制委員会の新規制基準による審査の途中で、施設の周辺整備や調査を繰り返している状況です。
 昨年3月の毎日新聞に「自由に経営判断できるなら、(大間原発は)すぐにやめたいくらいだ」と電源開発(株)の役員がつぶやいたという記事が掲載されました。このことについて、昨年の電源開発(株)の株主総会で、個人株主から「本当か」と質問がありました。それに対して当時の北村雅良電源開発(株)社長は、「役員全員が審議し、意見を出して意思決定をしている。大間原発は役員全員がその必要性を認識し、新基準を守ってつくり、動かしていく。あの記事は、全くあずかり知らぬこと」と述べました。信じられません。
 大間原発は原子炉の型の変更が何度かありましたし、2011年3月11日の東日本大震災による福島第一原発事故以降は、新規制基準による審査に手間取っています。しかしこれらは、前出の記事にあるように、電源開発(株)が「自分で決められないこと」が原因です。プルトニウム消費に係る国策上、建設計画だけでも存在すればよいというのが大間原発なのです。そして、電源開発(株)は、自分で決められないことを言い訳に、誰も責任をとらず、ただ先送りしているだけなのです。2005年にJR福知山線脱線事故をおこしたJR西日本や、粉飾決算をした東芝等とも通底する大企業の体質そのものです。

自らの経験や感性をもとに自前で活動
 ここで、「市民による大間原発裁判」と「函館市による大間原発裁判」の違いについて述べておきたいと思います。
 先日、大間原発訴訟の会の学習会があり、大間町から「大間原発に反対する会」の奥本征雄さんに来ていただきました。その場で私も函館の活動について説明しましたが、参加者から二つの裁判の違いについて質問がありました。両者とも大間原発の建設をとめることが目的で、多くの代理人弁護士も共通しています。訴状の内容も争点も大きな違いはないように思います。
 しかし、提訴地が違います。市民側は中心となる青森や函館の住民が参加しやすいように函館地裁を、函館市側は全国的に関心を高めるためにも東京地裁を選択しました。当然、担当する裁判官が違うので、判決に違いがでることも予想されます。
 一番の違いは、裁判にのぞむ姿勢や視点ではないでしょうか。函館市長は大間原発の事故の際の避難計画策定は無理だと主張し、函館市の土地を含む市域や産業、市民の生命財産を守る職務上の立場から反対しています。だから、近隣の首長や函館市町会連合会の協力も得られています。しかし、裁判費用を「ふるさと納税」で集めるなど、一生懸命であるものの、仕事であり、市長個人としての立ち位置がどこにあるのかは不明です。
 それに対して、「市民による大間原発裁判」の原告や支援会員は全て自前です。自らの経験や感性から大間原発はいらないと確信し、その生活の場からやり繰りして活動を続けています。今年も現地で反対集会を開催します。「核兵器や原子力発電を必要としない社会」をめざして。
(おおばかずお)

第10回大間原発反対現地集会
日時:2017年7月16日(日)12時~集会後、大間町内デモ
場所:青森県下北半島・大間町大間原発に反対する地主の会・所有地
主催:大間原発反対現地集会実行委員会(https://nonukesooma.wordpress.com/
協賛:大間原発訴訟の会、大間原発に反対する会、大間原発に反対する地主の会、原子力資料情報室、再稼働阻止全国ネットワークほか
連絡先:大間原発反対現地集会実行委員会事務局 電話 080-6041-5089 FAX 017-742-6728 Eメール hankakunen@gmail.com
*7月15日~16日にかけて、同じ場所で「反核野外ロックフェス」も行われます。

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もんじゅも少量のプルトニウムも
扱えない日本原子力研究開発機構

 6月6日に日本原子力研究開発機構「大洗研究開発センター」(茨城県大洗町)で放射性物質貯蔵容器の点検中に貯蔵物が飛散して被曝した作業員5人が、18日、「放射線医学総合研究所」(千葉県千葉市)に再入院しました。事故当日に機構の「核燃料サイクル工学研究所」(茨城県東海村)で実施された「肺モニター」計測で作業員の一人の肺に2万2000ベクレルのプルトニウム239が確認されたとの報告があり、内部被曝としては国内最悪と報道されました。ところが、翌日に5人を受け入れた放医研は、再除染した後の計測では内部被曝が検出されないと12日に報告。13日に5人全員が退院。「肺モニター」ではプルトニウムが出す弱いX線を計測しますが、機構の検査の段階では体の表面に汚染が残っていて、その影響で内部被曝が過大に見積もられたと見られています。
 ただし、プルトニウム239の検出下限値は5000から1万ベクレルと高く、検出されないとの結果は内部被曝がなかったことを示すものではありません。放医研によると、「肺モニター」より高い感度の尿検査の結果、全員から微量のプルトニウムが検出されたので、プルトニウムを積極的に排出させる薬剤(DPTA)の投与治療を実施するため入院を促したとのことです。

事故背景─機構と規制委の資料から
 発端は、2016年11月、原子力規制委員会が機構の「原子力科学研究所」(茨城県東海村)で実施した保安検査で核燃料物質などが使用中と称してセル、グローブボックスなどに長期間保管されているのが確認されたことです。他の事業者も含め調べてみたら全国の10施設で同様のケースがあることが確認されました。本来なら「貯蔵所」に置かなければいけないものが「作業用」の場所に長いものでは30年間も置きっぱなしになっていました。グローブボックスというのは、窓にグローブが取り付けてあり、そこから手を入れて作業をする密閉式の「箱」です。
 機構の「核サ研」(東海村)の場合、同じような不適切な管理がされているものが181件あることが判明します。そして、1月及び2月の規制委との面談において機構は、そのうちの「プルトニウム燃料第一開発室」における1件では「核燃料物質の中にビニルバッグの膨れが見られたものがあった」と報告。2リットルのステンレス製の缶(非密閉)の中に過去の燃料製造過程で発生したスクラップ(ウランとプルトニウムの混合酸化物)を入れて、その缶を二重のビニルバッグで密封した状態で1995年に貯蔵庫に搬入したのですが2004年に2回目のビニルバッグ交換を行った際にわずかにバッグが膨れていたので、それをグローブボックスに移動して保管したままになっていたということです。機構は「膨れの程度はわずか」「ビニルバッグの膨れは含有する有機物の放射線分解ガスによると考えられる」と説明しています。
 「大洗研究開発センター」燃料研究棟における今回の事故は、このような状況を受け、核燃料物質の適切な管理を目指す作業の中で発生したものです。機構は、この作業は、作業安全手順書に「核燃料貯蔵室への核燃料物質の移動に付随して貯蔵容器の点検と汚染検査をフード(H-1)で行う」と記しているものであり、許可を受けている作業だと説明しています。フードは、グローブボックスと異なり、密閉されておらず、前面にあるスライド式の窓を上げ、開口部から手を入れて作業を行うものです。作業員らは顔全面を覆うマスクではなく半面マスクを装着して作業に当たっていました。問題のステンレス製の貯蔵容器(直径15センチ、高さ22センチ)には、筒状のポリエチレン容器(非密閉)がビニールバッグ(樹脂製の袋)で2重に密封された状態で収納されていました。中には高速炉燃料の開発のための試験等に用いたプルトニウム酸化物、ウラン酸化物、その他が入っていました。貯蔵容器は1991年以来、開けたことがありませんでした。

事故時の状況についての機構の説明
 作業員Eが貯蔵容器の6本のボルトのうち、4本を対角線上に外した後、残り2本のボルトを緩めた際に貯蔵容器内圧が抜ける音が「シュ」としたため、蓋と貯蔵容器本体のすき間について全周スミヤをとり汚染なしを確認した。中からエアが抜けるのは室温が比較的高い場合に経験があり、……作業員Eは引き続き作業を進めることを判断した。作業員Eが片手で蓋を持ちながら、残り2本のボルトを外したと同時に樹脂製の袋が破裂し……作業員Eの腹部に風圧を感じるとともに他の作業員全員が破裂音を聞いた。……80個の貯蔵容器のうち、事象発生までに30個の貯蔵容器についての点検等作業を実施(前日までに28個の点検作業を実施。発生当日の6月6日は点検等作業実施済みの2個の再確認を含む4個の点検等作業まで実施)し、31個目の貯蔵容器の点検等作業時に本事象が発生した。

繰り返される「想定外」
 核サ研における漏れについては、1月26日の原子力規制委の面談時点でその結果と資料を機構全体で情報共有したが、「大洗燃料研究等における貯蔵容器の点検作業のリスクとして、十分に把握していたかについては」今後検証と機構は述べています(6月13日)。5月29日の最終確認のチェックリストで、「爆発・破裂・飛散」「噴出・漏洩」のおそれはあるかという項目に「なし」の印が付けれていたことからもリスクとして把握していなかったことは明らかです。なお機構は、当初マスコミに容器の内容物の量を300グラムと発表していましたが、現状では核不拡散上から詳細は公表しないとしています。これだけの量を収納した貯蔵容器をフード内で開けたことが内部規定に沿ったものかどうかも、資料からは明らかでありません。今後の調査が待たれるところです。
(「核情報」主宰田窪雅文)

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《投稿コーナー》
「どうする!原発のゴミ全国交流会」に参加して若者の立場から考えたこと
自治労岡山県本部青年部長 高家 直広

 まず、本題に入る前に、私自身のことについて少しお話させていただきます。私は平成生まれで、岡山県北東部の美作市という、日本原子力研究開発機構人形峠環境技術センターから車で1時間ほどの所に住んでいます。温泉もある自然豊かな街ですので、ぜひ美作市にお越しいただければと思います。

「知らないって怖い」を実感
 さて、本題に入り、まず交流会に参加しての感想を述べさせて頂くと、「知らないって怖い」と思ったという事です。私も原発関連問題の現場である県に暮らし、自治労運動の一端を担う者でありながら、「たしか人形峠に原発関連の施設があったかな?」というぐらいの知識しかなく、現状と経緯を知りませんでした。交流会に参加し、身近な所が高レベル放射性廃棄物処分場の候補地として挙げられる可能性があり、今までも県下で高レベル廃棄物との闘いが行われていたという事実を知ることができました。
 自分なりにこの問題について考えてみたところ、仮に知らない間に自分の故郷が処分場に決められていたとしても、「そうなんだ」と思う事しかできなかったのかなと想像すると、知らないって怖いと思いました。また、当たり前なことかもしれませんが、率直なもう一つの感想として、この会は既に反原発活動を積極的に行うことが当たり前の人が参加しており、では、あまり反原発活動に馴染みがない人への働きかけは他にあるのかな、と疑問にも思いました。


高レベル放射性廃棄物の最終処分について
討議した全国交流会
(6月3~4日・岡山市)

インターネットの普及が運動への関心の低さに
 次に、少し論点がずれますが、若者の現状について私なりに述べさせて頂きます。なお、すべての若者には当てはまらない、私なりの観点から述べるということをあえて付け加えてさせて頂きます。
 今、若者の組合離れという事がよく言われていると思います。私も岡山県内の若者を牽引していく立場として、その現状を痛感しているところです。自治労運動においては、反原発、反戦・平和活動は大切であり、青年部においても同様です。しかし、関心の低さによる、参加者の数・偏りが肌で感じられるところとなっています。
 なぜそうなのか、という事を私なりに考えてみると、インターネット環境の普及による若者の生活環境の変化が一因となっているのではないかという所にたどり着きました。今、インターネットで検索すると、すぐに膨大な量の情報を得ることができます。インターネットが普及する前は、知りたい情報をもっと調べようと思うと、自分で現地に赴くか、関連書籍を調べるなどの手段を選択していたと思います。その中で、反原発、反戦・平和活動にたどり着くことはスムーズな流れだと思います。しかし、今はインターネットを使うと、知りたい情報を得ることができ、他のことはやらなくても、自分の満足する情報が得られてしまうのです。このような環境の中で、関心も薄くなっているのではないかと思います。
 また、原発や高レベル放射性廃棄物をインターネットで調べてみると、電力会社や原子力機構などのページがまず検索されたり、記事の真偽性が確かめられないページが多くあります。そのため、どんな内容及び観点からの情報であっても、それを自分の中に情報として取り込んでしまう人も多いと思います。
 このような状況下で、若者は無意識の内にいろいろな活動から離れているのではないかと思います。しかし、色々な人から話を聞き、現地に行き、色々な媒体から情報を得ることは大切な事です。これは、私の今までの自治労運動の中で実感したことです。これを周りの仲間に伝えることは私にとっての課題でもあります。

押しつけではなく若者の声を聞いて
 今までに述べた事を踏まえて、これまでの脱原発活動を担って来られた先輩方へのお願いを述べさせて頂きます。反原発活動においても、原発に反対することは当たり前と思っている方は多いと思います。しかし、状況を知らない人が、いきなり反対と言えるしょうか?私達若者は、関心が無いのではなく、関心の持ち方が分からなくなっているのだと思います。どうしたら良いかわからない人に、何かを押し付けてしまうと、行き違って距離を遠ざけてしまうかもしれません。まず「どう思う?」と聞いて、少しずつ伝えて、一緒に考えてみる。この積み重ねによって、人の輪が広がり、ともに活動する仲間が増えていくのではないでしょうか?
 勝手ながら、私から活動を牽引されている先輩方へのお願いは、私達に耳を傾けて頂くという事です。私達も話を聞いてくれる人がいて、原発やその廃棄物の怖さを知ることができると、それをまた次に繋げていくことができると思います。
(たかいえなおひろ)

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各地の脱原発の動きから
原発震災から6年、福島から
福島県平和運動センター 事務局長 角田 政志

困難を極める廃炉作業
 東京電力福島第一原発の大事故から6年が過ぎましが、原発事故の収束作業および廃炉作業は、依然として困難を極めています。事故を起こした第一原発では、汚染水の問題は現在も深刻です。地下水の建屋への流入を防ぐ凍土遮水壁も、期待された成果が出ていません。また、トリチウム汚染水の処理を巡って、希釈して海洋に放出する計画が現実味を帯びて検討されています。今年1月から、1・2号機の原子炉内の調査も試みられましたが、原子炉内の線量は極めて高く、調査用ロボットが壊れるなど、想定を大きく超える現実に直面しました。肝心の燃料デブリの状況は確認できず、廃炉に向けた困難性が明らかになりました。
 昨年12月、第一原発では、作業員の初歩的な人為ミスによって冷却水の注水と、使用済み核燃料プールの冷却が一時ストップするトラブルも起きています。事故を起こした建屋周辺は依然として線量が高く、作業も困難を極めているうえに、労働者の労働環境の問題と被ばく問題も高まっています。また、11月の震度5弱の地震によって、第二原発3号機の使用済み核燃料プールで、冷却設備が自動停止するといったトラブルが発生しました。第一原発でも、汚染水漏れを警戒し、高濃度汚染水の移送設備を手動停止するなど、地震による危機的状況が起こりうることも明らかになりました。

福島にはもう原発はいらない
 こういったトラブルが発生するたびに、県民の不安は高まり、同時に風評被害も拡大します。福島県では、昨年末から、「原発のない福島を!県民大集会」実行委員会が、「東電第二原発の即時廃炉を求める署名」に取り組んできました。「福島にはもう原発はいりません」「第二原発を早く廃炉にしてください」「第一原発の事故収束に全力をあげてください」─これが「オール福島」の声です。署名は、3月末までに21万6千筆が集約され、4月に東電及び国の関係省庁に提出し、第二原発の即時廃炉を強く求めてきました。しかし東電は、「地域や社会の意見を聞き、国のエネルギー政策に基づき判断していく」と従来の回答にとどまり、国も「廃炉は事業者の問題」と自己の責任を放棄した回答となっています。県民の要求はまだ実現していません。この署名を引き続き行い、次年度の集会までにもう一度大きな声として集めて、国及び東電に要請していくことにしています。

記憶の風化と課題の深刻化
 6年という年月は、全国的に「記憶の風化」を進ませています。しかし、国のエネルギー政策と復興政策は、意図的に「記憶の風化」を加速させています。国は、停止中の原子炉を次々と再稼働させています。福島の被災地においては、年間積算量20mSv以下を要件として、今年3月末に、避難困難区域を除くほとんどの地域の避難指示解除が行われました。これによって被災自治体は、復興作業を加速させています。しかし、住民がすぐに帰還できるわけではありません。原発災害を引き起こした国が、原発事故の責任を何も取らず、避難指示解除をしたことは極めて不誠実です。
 避難している人たちの生活の状況はまちまちです。放射線の影響と健康不安、帰れない自宅への課税、避難継続と住宅問題、保障や賠償の打ち切り、医療など新たな問題がたくさん出てきました。被災者は、重大な判断を迫られています。そこには、新たな分断も発生しています。とりわけ、自主避難の人たちの住宅支援が打ち切られるなど、生活に直結する問題も起こっています。国と東電は、被災者がいかなる状況にあろうとも、生活再建の補償を継続して行うべきです。
 県民健康調査が6月に発表した子どもの甲状腺がんは、疑わしきものも含めて190件も発症しています。健康不安について、あまり口にできない状況になっていますが、メディアの調査等では、多くの人が不安を持っていることが分かります。また、土壌等の汚染は、除染をしたからと言って解決されません。一方で、除染廃棄物の保管や処分の問題も深刻となっています。


昨年の原水爆禁止世界大会・福島大会のデモ行進
(2016年7月30日・福島市内)

原水禁世界大会・福島大会へ
 このような現状の中で、被爆72周年原水禁世界大会は今年も福島大会からスタートします。福島大会では、事故の現実から出発し、脱原発運動を広げようと、分科会を行います。(1)健康と甲状腺がんの問題、(2)避難指示解除による帰還と生活再建の問題、(3)放射性廃棄物の処理問題、の3テーマを設定します。そして、福島大会での議論を、広島・長崎大会へとつなげていきたいと思います。(大会日程は12面)
(つのだまさし)

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核のキーワード図鑑


被バクの犠牲は作業員に押しつける

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被爆72周年原水爆禁止世界大会の開催日程

 被爆72周年原水爆禁止世界大会は、7月29日に福島大会(福島市)、8月4~6日は広島大会、7~9日に長崎大会が開催されます。今年も多くの参加を呼び掛けています。

福島大会
7月29日(土)
13:00~集会開会
会場:福島県福島市「福島県教育会館」
テーマ:「福島原発事故の現状と課題」(全体集会、分科会)。
30日フィールドワーク。

広島大会
8月4日(金)
16:00~折り鶴平和行進(平和公園原爆資料館前集合)
17:15~開会総会(県立総合体育館)

8月5日(土)
9:30~分科会
14:00~ひろば
12:50~メッセージfromヒロシマなど

8月6日(日)
9:30~広島大会まとめ集会(県立総合体育館)

長崎大会
8月7日(月)
15:30~開会総会(長崎ブリックホール)

8月8日(火)
9:30~分科会、ひろば、ピース・ブリッジinながさき2017など

8月9日(水)
9:00~閉会集会(県立総合体育館)
10:15~非核平和行進

国際会議
8月5日(土)
13:30~広島市「アークホテル」テーマ「なぜ日本で脱原発が進まないのか」

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