2012年、ニュースペーパー
2012年11月01日
ニュースペーパー2012年11月号
- インタビューシリーズ 全農林労働組合 委員長 棚村 博美さんに聞く
- 平壌宣言を履行する全国運動を
- 尖閣から見えてくる「第三の戦後」
- TPPここが問題(4)どうなる医療制度
- 在外被爆者をめぐる裁判で勝訴判決
- エネルギー戦略の腰砕けで深刻な矛盾
- 「セキュリティーに資する」ために再処理中止を
- 投稿 あらゆる手段で大間原発の建設工事を止めたい
- 各地の活動紹介 石川県平和運動センター
- 本の紹介「世界が土曜の夜の夢なら ヤンキーと精神分析」
- 第44回食とみどり、水を守る全国集会の案内
政府は今後の原発・エネルギー政策のあり方について、国民からの意見を募集しましたが、圧倒的に出来るだけ早い時期の原発依存ゼロ%が支持されました。こうした声を背景に、脱原発への流れをより盛り上げていこうと、10月13日に東京・日比谷野外音楽堂で「10.13さようなら原発集会in日比谷」が開催され、会場を埋め尽くす6,500人が参加しました。呼びかけ人の鎌田慧さん(ルポライター)や大江健三郎さん(作家)、哲学者の高橋哲哉さんが「すべての原発はつぶそう。再稼動は絶対に認めないという決意を新たにしよう」などと呼びかけ、現地報告では「子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク」の森園かずえさん、10月1日から工事再開が強行された青森県大間原発建設予定地で闘う小笠原厚子さんが状況を訴えました。(写真は左から、パレード行進をする高橋哲哉さん、森園かずえさん、大江健三郎さん、鎌田慧さん)。
【インタビュー・シリーズ その71】
食料自給率の向上と農業の再生に向けて
全農林労働組合 委員長 棚村 博美さんに聞く
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【プロフィール】
1958年新潟県生まれ。高校卒業後、76年に農林水産省新潟食糧事務所に入省。主に米の管理や検査業務に携わる。職場の分会役員を皮切りに、2002年から全農林労働組合北陸地方本部委員長、06年から中央本部の財政局長を歴任し、09年に執行委員長に就任。他にも公務員連絡会議長、国公連合委員長、公務労協副議長などの要職も務める。趣味は読書で「知的な問題意識を持つために必要」と、歴史物からミステリーまで幅広く読みあさってきたが、最近は読む時間が無いのが悩み。「月に一度ほど新潟の実家に帰ったときに2人の孫の相手をするのが楽しみ」。そのときは厳しい顔もほころぶ。
──棚村さんが労働運動に入られる経緯を教えてください。
農林水産省の中には様々な職種があるのですが、私は当時、各地にあった食糧事務所の一つに入って、主にお米の需給管理や品質検査の仕事に携わってきました。新潟は米の生産が日本一でしたし、その頃は多くの組合員がいました。職場の中には労働組合の末端組織の分会がありますが、私は若い頃からその分会で役員をやってきました。
そのようなことから労働運動に身を置く中で、2002年に北陸地方本部の委員長になり、06年から中央本部の役員をやっています。単身赴任ももう10年以上になります。ほとんど外食の暮らしには慣れましたが、東京は季節の変化が乏しくて、そんな時は新潟が懐かしくなります。
──今の全農林労働組合の課題は何ですか。
一つは労働基本権の回復です。戦後、公務員組合は政令によって協約締結権が奪われ、労働組合の権利が制限されてきました。民主党政権の方針として、協約締結権の回復などが謳われてきましたが、まだ実現していません。
第二に日本の食料自給率の向上や農業の再生です。農林水産省に勤め、農政に関わる者として、それに貢献していくことを組合の大事な課題にしています。その一環として環太平洋連携協定(TPP)のような農産物の関税撤廃に反対です。また、原発事故による放射能が農産物を汚染しています。その意味からも原発には反対しています。
そして、第三には労働組合として当たり前ですが、組合員の雇用、労働条件を守ることです。いま、財政事情もあって、公務員に対する風当たりが強く、多くの制度改革が提起され、困難な対応を余儀なくされています。
──棚村さんが実行委員長になって11月30日から大阪で「食とみどり、水を守る全国集会」が開かれます。今年の集会の課題は何でしょうか。
自民党政権のもと、1961年に農業基本法が作られました。その狙いは経済成長の中で農業の選択的拡大を進めるものでしたが、農村の荒廃を招いてきました。そのため、全農林は農業基本法には問題が多いとして、当時の総評や農民組合などとともに運動をしてきました。その運動の中から、労働者と農民の提携運動を進める組織として「中央労農会議」が作られ、それが平和フォーラムの前身組織の一つになっています。食とみどり、水を守る全国集会は、その組織を中心に毎年開催されて、今年で44回目になります。(11月30日~12月1日に大阪市「大阪ガーデンパレス」で開催。詳細は12ページ参照)。
今年の集会の課題では、TPPに対する取り組みなどの他、やはり昨年の大震災や原発、放射能汚染問題が大きなテーマです。特に放射能汚染問題は食の安全とも関わり、より深刻になっています。福島の飯舘村は山間地でありながら、ブランド牛を中心に豊かな村作りを進めてきたものが、一瞬にして全てを失ってしまいました。そうした問題についても全国集会で討議したいと思います。
──農業問題も深刻になっています。
全国集会では、農業政策についても検討が必要です。これまでの自民党農政の中では、米だけは一定の価格を保障されてきましたが、1993年にガット・ウルグアイラウンドという国際的な貿易交渉において、米の部分的な輸入が決まり、95年に世界貿易機関(WTO)が出来ました。その中で、農産物の価格保障政策が禁止をされ、自由になった市場流通の中で米価は大きく下落をしてきました。
それに対し、民主党はWTOに違反しない「戸別所得補償」という、国が農業者に対して直接、生産費の不足分を支払う制度を導入しました。これは欧米や韓国では長年にわたって行われているものです。中長期に渡り、政権が変わっても農業が安心して続けられるよう、この制度を法制化することを求めています。
──食料自給は大切ですが、各地では耕作を放棄した農地が目立ちます。そうした中でTPP交渉に参加することは農業に大きな打撃があります。
昨年の食とみどり、水を守る全国集会では大震災、 原発事故もテーマになった (2011年12月16日・名古屋市) |
欧米では食料を自給することの大切さが共有されていて、農地や農業に対する価値観がしっかりしています。しかし、日本はアジア・モンスーン気候の中で、気候や水などに恵まれているため、作物が出来るのが当たり前になってしまい、農業・農村に対するありがたみを忘れてきたような気がします。
TPP交渉でも、農業大国であるアメリカやカナダ、オーストラリアでさえ、それぞれの国の農業・食料で譲れないものがあって交渉は難航しています。さらに、海外の投資企業が相手国の政策について政府を訴えることが出来るISD条項などもあり、TPPはこれまでの貿易自由化交渉とは異質なものです。アメリカ型の多国籍企業がやりやすいような制度に変えられていいのか、私たちの大切な郵便貯金や簡保を取られてもいいのか、もう目を覚まさなければいけないのでないでしょうか。
よく、日本農業も規模拡大や品質を向上すればTPPに参加しても大丈夫だという意見もありますが、米や麦、大豆など土地面積に競争力が左右される農業では、アメリカやオーストラリアにかないません。数百倍から数千倍の違いは、どうやっても永久に追いつけないでしょう。そうした厳しい中ですが、これからは生産と消費を結びつける地産地消運動が必要です。時々、居酒屋などで国産農産物の使用割合を示す「緑提灯」を掲げるお店を見かけるとうれしくなりますね(笑)。
──平和フォーラムの運動に期待することはどんなことでしょうか。
平和フォーラム・原水禁は極めて大事なことを発信していると思います。平和や反核、環境、食料・農業や沖縄基地問題など、多くの分野で平和フォーラムがやっていることは大切だと思っています。事務局のみなさんはそれに確信を持って引き続いて奮闘してほしいですね。私たちも多くの問題に関わっていきますが、平和フォーラムが弱くなったら大変な世の中になってしまいます。
3年前の政権交代は大きな意味がありました。小泉構造改革に歯止めをかけることが出来ると期待も大きかったのですが、様々な圧力や巻き返しの中で必ずしも期待通りになっていません。先日、公務労協の視察でスウェーデンに行きましたが、税負担は大きくても、手厚い社会保障があり国民は納得しているようです。日本では将来の不安から色々な保険に入っているのが現実です。富める者がますます富めるような社会では、みんなお金を使わなくなって、ますます経済が停滞します。そうした仕組みを変えていく必要があります。
〈インタビューを終えて〉
しんしんと降る雪。子どもの頃、雪が降り始めるとなぜか心が騒いだ。これからまた違う世界が訪れることへの大きな期待。茫漠とした吹雪の雪原を歩くと、真っ白な視界の中に一人取り残される。自分だけが存在するという恐怖があった。きびしい雪の田舎、しかしなぜか木訥とした人物を生む。雪の中に生きた者が持つ粘り強い心根が、今の組合には必要ではないかと感じる。棚村さんがんばれと、雪を共有する者から言わせてもらう。
(藤本 泰成)
日本人遺骨問題を契機に日朝対話の芽
平壌宣言を履行する全国運動を
400人が参加した 日朝国交正常化をめざす全国集会(9月13日・星稜会館) |
植民地支配を清算し信頼関係の構築へ
日本と東北アジアの平和構築にあたって、世界で唯一、日本が国交を持たない朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)との国交正常化と核開発問題の解決は最重要課題です。しかし、民主党に政権が代わっても制裁を強めるばかりで、問題は解決せずに、在日朝鮮人に対する人権抑圧を強めるばかりの状態でした。
この中で、北朝鮮は、昨年12月の金正日国防委員長の死去、金日成主席生誕100年(4月15日)行事と、それを前にした金正恩人民軍最高司令官の党第一書記および第一国防委員長の就任という指導層の世代交代など、外交上も交渉を行う好機を迎えました。また、4月の日本からの訪朝団に対してソン・イルホ(宋日昊)朝日国交正常化交渉担当大使は、第二次世界大戦の日本敗戦当時のものと思われる遺骨問題をめぐる投げかけをしました。(詳細は本誌8月号・福山真劫代表報告参照)。その後も日本政府はいまだこれを生かすことができていませんでしたが、日本人拉致被害者の横田めぐみさんのご両親も、制裁だけではなく積極的対話の姿勢を示すことを政府にはっきりと求めはじめました。
2008年8月以降中断していた日朝政府間協議は、8月29日から31日の課長級協議をもって4年ぶりに再開され、局長級の本格協議を早期に開催する方向性が示されました。協議は、北朝鮮側が、先の大戦中に亡くなった日本人の遺骨収集や墓参をめざす「全国清津会」メンバーの訪朝受け入れをきっかけとして、両国の赤十字の話し合いから政府間交渉に発展しました。この時期こそ政府は、日本による植民地支配の清算について誠実な謝罪と反省を表明し、在朝被爆者をはじめとする戦争被害者への措置を具体化するとともに、日本人遺骨取集など諸懸案を具体的に前進させて、日朝間の信頼関係を構築していくべきです。また、これまで在日朝鮮人の生活と権利を脅かしてきた制裁措置を解除する必要があります。拉致問題も国交正常化をめざす交渉の中でこそ解決に導くことができます。
超党派が連携し国交正常化をめざす全国集会
折しも2012年9月17日は日朝平壌宣言から10年の節目でした。「日朝間の不幸な過去を清算し、懸案事項を解決し、実りある政治、経済、文化的関係を樹立することが、双方の基本利益に合致するとともに、地域の平和と安定に大いに寄与する」と確認した宣言の原点に立ち戻ることが必要です。4月に訪朝した超党派の人びとは連携して9月13日に東京・星陵会館で「日朝国交正常化をめざす全国集会」を開催し、北海道から九州まで各地から約400人が参加しました。
集会は、清水澄子・朝鮮女性と連帯する日本婦人連絡会代表が、日本の制裁路線の行き詰まりを指摘し、日朝間の遺骨収集・墓参などの対話の糸口として平壌宣言を履行する全国運動を展開すると開会あいさつ。
続いて、野中広務元官房長官、南昇祐朝鮮総聯副議長、平岡秀夫元法務大臣(民主党衆院議員)、阿部知子衆院議員(社民党政審会長)、正木貞夫清津会事務局長があいさつ。野中さんは「日本・朝鮮半島・中国は一衣帯水の関係。近づく努力が政治家の仕事」と現役政治家を牽制する提起。南副議長は宣言が履行されず「失われた10年、奪われた10年」となったこと、正木事務局長は、遺骨収集や墓参を「戦後、何度も政府に働きかけてやっと実現した。訪朝して必ず仲良くなれる国と実感した」と報告しました。
この後、集会呼びかけ人の日朝友好促進東京議員連絡会の芦沢一明共同代表(渋谷区議)、日朝国交促進国民協会の和田春樹事務局長(東京大学名誉教授)、朝鮮人強制連行真相調査団の原田章弘日本人側代表、フォーラム平和・人権・環境の福山真劫代表(在朝鮮被爆者支援連絡会事務局長)、金丸信自民党元副総裁の秘書で子息の金丸信吾さんが発言しました。なお、呼びかけ人は他に、池口恵観・最福寺法主、アントニオ猪木・株式会社IGF会長、東京・平壌「虹の架け橋」の江口済三郎代表(元中野区議)、立教大学准教授の石坂浩一・日朝国交正常化連絡会共同代表、野平晋作・ピースボート共同代表などでした。
最後に日朝交渉再開・対話を求める政府要請を決議。10月19日に斎藤勁官房副長官を通じて野田総理に要請しました。また、9月には北海道・長野・愛知・大阪・福岡などで集会・行動を取り組んだ他、全国各地で新たに日朝友好の取り組みが広げられています。
尖閣から見えてくる「第三の戦後」
新しい時代の幕開けに動き出せ
平和フォーラム・原水禁
事務局長 藤本 泰成
石原慎太郎東京都知事は、米国アーミテージ財団において記念講演を行い、「東京都が尖閣諸島を買い入れる」と表明しました。日本政府は、石原都知事にあおられるように「尖閣諸島の国有化方針」を発表し、9月11日、尖閣諸島の購入を行いました。この一連の行為に対して、中国政府・国民は一斉に反発し各地で反日デモが発生するとともに、政府間・民間の交流や、日中国交回復40周年の記念行事が中止に追い込まれました。
「尖閣諸島は日本領土」の主張は簡単ではない
尖閣諸島が日本の歴史に登場するのは、1884年に古賀辰四郎が探検し、日本政府に貸与を申し出たのが最初であり、琉球王国時代もあまり注目されていません。中国では、明代の文献に「釣魚島」として名が見えています。古賀の要望に対して、日本政府は中国(清王朝)との対立を考慮してすぐに領有を主張しませんでしたが、1895年、日清戦争に勝利した後にその領有を閣議で決定しています。領有権に関しては、植民地支配や侵略による奪取は国際法上認められず、日本政府や日本共産党が主張するように「尖閣諸島は日本領土」とするのは、古賀の貸与の申し出から領有権の閣議決定までの期間を検証すると簡単ではないと思われます。
日本の戦後を規定するのは、サンフランシスコ講和条約ですが、尖閣諸島や竹島などが日本領土であると明記されてはいません。尖閣諸島の日本の実効支配は、米国の琉球統治と1972年の沖縄返還によるものであり、講和が規定したものではありません。米国は、尖閣諸島の領有権をめぐっては、「日中両国のどちらの立場にも立たない」ことを、ことあるごとに明言しています。
1972年の日中国交回復また1978年の日中平和友好条約の締結時には、中国は、領有権の主張が両国の友好に障害になるとして「小異を捨てて大同に立つ」と主張し、問題の解決を将来の両国民にゆだねるとしました。つまり、領有権を主張はするが日本の実効支配の現状を確認し、(1)武力での解決はしない、(2)構築物は作らない、(3)周辺での資源調査を一方的に行わないなどの了解の上、周辺海域では「日中漁業協定」を取り交わして経済活動の安全を図ったものと考えられます。
対米追随では将来を見通せない
このような状況を見ていくと、2010年の中国漁船の海上保安庁警備艇への衝突事件において「国内法で粛々と対応する」とした方針や前述した石原発言から国有化方針までの日本政府の考え方は、日中間のこれまでの確認を大きく逸脱するもので、中国側が受け入れる余地のないものだったのは明らかです。
中国は、周恩来・鄧小平の時代から、東欧諸国の民主化、ソ連邦の崩壊、そして何よりも中国自身の急速な経済発展を経て、江沢民・胡耀邦の時代になって大きく変化し、共産党の支配力の低下と経済格差への不満が渦巻いているものと考えられます。そのことが、極めて象徴的に反日のデモにあらわれています。
一方で、日本の対中貿易額は米国を抜いて全体の20%を超えるものとなり、中国への日本の企業進出も含めて、日本経済は中国抜きでは考えられないものとなっています。日本の対中外交政策は、中国経済・社会の悩ましい現状と日中の経済環境を理解しない、全く稚拙なものと言って過言ではありません。
この間の中国での日本企業の損害、そして日本車の販売の低下など今後の損害を考えると、米倉弘昌経団連会長の「相手が問題があるというのに問題がないというのは、民間では通用しない」との発言は、日中間の経済状況がどうであるのかを極めて象徴的に表しています。安倍晋三自民党総裁は、「尖閣諸島の問題もあり、米国との集団的自衛権の行使は必要」と発言していますが、米国の立場から言うと尖閣問題で米軍が行動するとは全く考えられません。米国国債の保有額は、2012年3月段階で、中国が1兆1595億ドル、日本が1兆790億ドルで、海外における米国債の45%を超えるものとなっています。また、2010年の米国の対中貿易総額は4,700億ドルを超えて日本の対中貿易総額を1,000億ドル以上も上回るものとなっています。日本を利用して在日米軍のプレゼンスを確保しながら、中国とは「米中経済戦略対話」を深化させている米国。アジアに位置する日本は、これまでの対米追随政策では将来を見通すことのできないところまで来ています。
尖閣諸島の領有権問題の現状からは、日本政府が明確な日本の将来を描いているとは考えられません。強硬外交を貫けというナショナリズムの声からは、日本の将来は決して生まれないでしょう。講和条約までの「第一の戦後」、その後の米国従属を基軸とした「第二の戦後」が終えんを迎えようとしています。日本は、米国の呪縛を離れることを基本にして、アジアの共通の安全保障と経済共同体を基本にした「第三の戦後」というまさに新しい時代の直前にいるのです。
TPP交渉ここが問題(その4) どうなる医療制度
皆保険制度が崩壊 医療格差を生み、安全性が脅かされる
環太平洋連携協定(TPP)に反対することをいち早く表明したのはJA農協中央会等の農業団体だけでなく、日本医師会など医療関連団体も声をあげました。今年4月に医療関連40団体で構成する国民医療推進協議会は総決起大会で「国民皆保険を崩壊に導くTPP交渉参加に断固反対する」ことを決めています。これまでの米国の対日要求などを参考に、TPPが日本の医療制度に与える影響を考えます。
混合診療の解禁は民間医療保険の拡大が狙い
TPPに反対する官邸前での 市民団体の行動(8月21日・国会前) |
医療関係団体が主に問題にしているのは「混合診療の解禁」「株式会社による病院経営参入」「薬価問題」などです。
米国は日本への「年次改革要望書」の中で、長年にわたり「混合診療の全面解禁」を求めてきました。現在の日本の健康保険法は必要な医療を保険診療で行うことを前提にしており、保険がきかない「自由診療」を混在させる混合診療を禁止しています。混合診療が解禁されると、自由診療部分が拡大して、経済力によって受けられる医療に格差が生じる懸念があるからです。
もう一つの問題は、医療の安全性や信頼を崩す恐れがあることです。保険診療は厳格な臨床試験を経て行われていますが、自由診療が広がると医療に安全性や有効性を判断する第三者が介在しなくなり、効果のはっきりしない「まやかしの医療」が上乗せされる危険性も指摘されています。
TPPのモデルと言われる米国と韓国との自由貿易協定(米韓FTA)では、当初、韓国の医療保険制度には手を付けないとしていたのにも関わらず、FTA締結後には韓国内に6ヵ所の「特区」を設定し、混合診療を解禁しています。
なぜ米国はこのような混合診療を押しつけようとしているのでしょうか。長野県・佐久総合病院の医師で「TPPに反対する人々の運動」共同代表の色平哲郎さんは「公的保険を縮小させて、医療保険の分野で外資系保険会社のビジネスチャンスを広げることが米国の狙いだ」と指摘しています。公的保険適用外の診療が増えれば、その費用を用意するために民間医療保険への加入が増えることになります。現在でも年間5兆円を超える民間医療保険をさらに拡大させ、米国の多国籍保険会社の市場が広がるのです。
営利優先の株式会社の病院参入や薬価の高騰も
米国では株式会社による営利病院の経営が認められており、これを日本にも求めています。日本では医療の非営利性と公益性を徹底することで「いつでも、どこでも、誰でも」最適な医療を受けることができます。しかし、営利が目的になれば安全性よりコスト削減が優先され、支払い能力のない患者の治療は行わない、採算の合わない過疎地域には医療機関を開設しないなどが想定されます。
薬価についても、日本では公的医療保険で価格は政府によって決められています。しかし米国の製薬会社は利益をより大きくするため、日本に薬価引き上げを迫り、2010年に「新薬加算」という高薬価を維持する制度が導入されました。米韓FTAでも韓国政府に薬価規制をさせない条項が盛り込まれています。薬の値段が米国並みなら2倍以上になる場合もあります。
また、米国は後発医療品(ジェネリック薬)の普及による新薬市場の縮小を懸念して、知的財産権保護の強化を要求しています。型を変えただけの古い医薬品に新薬の特許を認めさせることなどをTPPに盛り込もうとしています。これにより発展途上国で安価な医薬品の入手が困難になり、命の危険につながります。さらに米国は新薬の審査を早めることも求めており、安全性の面からも大きな問題があります。
こうしたことから色平医師は「医療分野への市場原理の導入は、地方の医療過疎化や公的保険制度の崩壊を招き、住んでいる場所や所得による医療の格差を限りなく広げてしまう恐れがある」とTPPの問題点を指摘しています。
在外被爆者をめぐる裁判で勝訴判決!
証人のいない被爆者の手帳取得へ道を開きたい
在外被爆者支援連絡会 共同代表 平野 伸人
入市被爆をめぐり裁判で争い
韓国の慶尚南道・昌原市に在住する、張令俊(チャン・ヨンジュン)さん(1930年3月15日生まれ)は、第二次大戦当時、父親が日本で土木工事の仕事を手伝うこととなり、一緒に来日して暮らしていました。当時、長崎県東彼杵郡川棚町に居住していましたが、原爆投下直後の1945年8月12日に、長崎市本河内にいた父の安否を確認するために爆心地を通ったため、入市被爆をしたのです。張さんは被爆者健康手帳の申請をしましたが、証人がいないために却下されてしまいました。
記憶は鮮明なのですが、本人の証言だけでは証明にはならないとされたのです。異議申し立てをしましたが、これも却下されたため、裁判で争うことを決意しました。
「法令違反」として控訴した長崎市
勝訴を聞くことなく亡くなった原告の張令俊さん |
提訴は2011年5月17日に行われ、今年9月18日に判決が下されました。裁判での本人尋問の内容は、張さんの記憶が詳細で、被爆した人でなければ語れないものでした。そして判決は、張さんの入市被爆の事実を認め、被爆者健康手帳の却下処分の取り消しを命じるものとなりました。ようやく、張さんは被爆者と認められたのです。
しかし、原告である張さんは、判決を前にした2012年8月17日、骨髄異形性症候群のため、韓国・昌原市の病院で亡くなられました。裁判はすでに結審していたこともあり、9月18日の判決を待つばかりでしたが、勝訴を聞くことなく亡くなり、あらためて張令俊さんのご冥福をお祈りしたいと思います。
私たち在外被爆者支援連絡会をはじめとする支援者は、長崎市が判決を受け入れ、控訴しないように連日の座り込み行動をおこないました。また、代表が上京し、厚生労働省に要請も行いました。しかし、長崎市は控訴期限の10月2日、福岡高裁に控訴することを明らかにしました。張さんが亡くなったなかで、何を争うというのでしょうか。田上富久長崎市長は「被爆の事実は認める」としながら、張令俊さんが亡くなっていることで「法令違反」として、判決の無効を主張しています。
長崎市の取るべき道は、判決を受け入れたうえで張さんの遺族に、健康管理手当の遡及分や葬祭料の支払いに応じることです。すでに張さんが亡くなっているなかで、無用の裁判を続けることは、遺族にも大変な負担を強いることになります。
韓国では100人以上が手帳を取得できないまま
「亡くなった人に被爆者手帳を発行できない」と長崎市は主張しています。しかし、2009年の在外被爆者裁判において、大阪府は3人の死亡した韓国人の男性に被爆者手帳(無効の印を押したうえで)を発行した先例があります。このとき、厚生労働省が発行しないように指導したようですが、大阪府は独自に判断して発行しました。同じことが長崎市に出来ないわけはありません。「鄭南壽裁判」や「崔季徹裁判」において、長崎県や長崎市が無謀な控訴をおこなった過去があります。再び、過ちを繰り返そうとしていることは大変残念です。
在外被爆者のうち韓国でも100人以上の人が、被爆者健康手帳を取得できないでいます。今回の張令俊さんの判決を機に、被爆者なのに援護が受けられない人の救援に結びつけたいと思っています。張さんの判決はこのような被爆者に希望を与えました。控訴審でも勝訴を勝ち取り、証人がいなくて被爆者手帳が取得できないでいる多くの人々に、手帳取得への道を切り開いていきたいと思います。
エネルギー戦略の腰砕けで深刻な矛盾
再処理継続で失われた政策の整合性
国際的にも疑念を持たれる核燃料政策
「2030年までの出来るだけ早く」が、「30年代まで」になった原発ゼロの目標のズレは置いても、核燃料サイクル、再処理の継続を入れてしまった政府の「革新的エネルギー・環境戦略」は早くも深刻な矛盾に突き当たっています。「国民的議論」を経て作られた新戦略は、その過程で圧倒的な「原発ゼロ」の市民の声が集まりました。寄せられたパブリックコメントでは、脱原発が9割、しかも即時原発ゼロが8割とあっては、政府もこの声を無視できません。政策の中身はシナリオ3択の中間、15%シナリオに限りなく近づけましたが、「年代」という文言を挟み込むことで原発ゼロを明記しました。一方でそれと全く相入れない、「再処理継続」を併記したことで、政策の整合性を失ってしまいました。
新戦略の説明をするため、米国を訪問した民主党の前原誠司政調会長(当時)や、長島昭久総理補佐官(同)の伝聞というかたちで盛んに報道されたのが、原発ゼロに反対するという「米国からの圧力」です。新戦略自体を閣議決定しない口実にまで使われましたが、内容がねじ曲げられています。二人が米国訪問中に、すでに英文では報じられていた内容は、日本の膨大な余剰プルトニウムに対する米国の懸念です。すでに45トンも貯めこんでしまった核兵器物質プルトニウムの使い道もないのに、さらに再処理を行なって増やすことに対する懸念としか解釈できないはずです。なぜか日本のメデイアでは、ほとんど「原発ゼロ」に対する懸念という報道しかされませんでした。国際的に大きな懸念を持たれている核燃料政策を、ごく狭い政府内の一部の情報のみ報道しているとしか見えません。
フルMOXの大間原発建設工事が再開
(1)原発新増設はしない、(2)原子力規制委員会の安全審査を通ったもののみ再稼働、(3)40年で廃炉、という新戦略の3本柱もあやしくなってしまいました。少しでも余剰プルトニウムを使おうという意図なのか、中断していたフルMOX(ウランとプルトニウムの混合酸化物のみを燃料に使用)の大間原発(青森県大間町)の建設工事が10月1日に再開されてしまいました。大間原発が認可されたのは古い安全基準で、直近を通る断層も指摘されています。
建設再開は少なくとも原子力規制委員会の出す新基準を待つべきです。30年代に原発ゼロとすれば、大間原発は、完成後20年ほどで運転停止となります。Jパワー(電源開発株式会社)が巨費を投入して建設を続けるのはおよそ通常の経営判断とは言えません。工藤壽樹函館市長は、「最短23キロの函館市に同意もなく大変危険なものをつくるのは本当に腹立たしい。改めて函館で説明会を開いた上でやり直すべき」「遺憾なんてものではなくとんでもない話。全く福島原発の教訓も踏まえてない」と発言しています。函館市の公式ウェブサイトには、大間原発の無期限凍結を求める特設ページも作られています。
大間原発で使われるMOX燃料は、プルトニウム消費のつじつま合わせで、燃料自体、経済性を全く度外視したものです。使用済み燃料を再処理してプルトニウムを取り出し、さらにMOX燃料に加工する費用は莫大で、六ヶ所村の再処理工場の場合では、使用済み燃料32,000トンを再処理するのに11兆円かかる計算です。MOX燃料を加工するのにさらに1兆1,900億円かかり、あわせて12兆円以上かけて作られるMOX燃料は、ウラン換算では、なんと9,000億円程度にしかなりません。11兆円以上を無駄にしても経営に困らないのは、電気料金に上乗せされる仕組みがまだ生きているからです。
核燃料サイクルについて国会で議論を
これまで、原子力政策大綱策定など、原子力政策の基本方針を定めてきた原子力委員会が、その役目を終え、革新的エネルギー・環境戦略を作った「エネルギー・環境会議」がその役割を負おうとしています。原子力委員会は、秘密会合問題で完全に信頼を失ったのですから当然ともいえますが、核燃料サイクルをこのような腰砕けになった新戦略のもとで決められるのでしょうか。エネルギー・環境会議自体、政策議論の過程では、原発ゼロの場合は再処理を継続しないことを明言していたのに、どの過程かわからない秘密会合めいたところで、再処理継続を決めてしまいました。
すでに完全に破たんしている事業である、核燃料サイクルをどうするか、国会できちんと議論すべきです。
参考になる判断は、すでに原子力規制委員会からも出されています。これまで、再処理工場に送るしかないとされていた使用済み核燃料について、田中俊一委員長は、危険性の明白なプール貯蔵ではなく、乾式貯蔵に移行するように繰り返し発言しています。原子力規制委員の人事のみが話題になっていますが、再処理方針から政策転換をさせるなど、委員会本来の役目を果たしてもらうことも重要です。
「セキュリティーに資する」ために再処理中止を
6月20日に成立した原子力規制委員会設置法に「我が国の安全保障に資する」との文言が入り、同法の附則で原子力基本法第2条にも同じ文言が加えられました。これが、核武装への準備ではないかとの疑念が国内外で表明されました。背景には、日本が使用済み燃料の再処理によって核兵器5,500発分以上ものプルトニウムを溜め込み、なお六ヶ所再処理工場を動かそうとしていることがあります。しかし、「安全保障」の文言挿入だけで核武装はできません。基本法第2条の「原子力利用は、平和の目的に限り」は、そのまま残っていますし、核不拡散条約(NPT)もあります。
では、なぜこの文言は挿入されたのでしょうか?原案を作成した自民党「プロジェクトチーム」(PT)の塩崎恭久座長の説明や法案の経緯などを見ると、米「原子力規制委員会」(NRC)の役割の一つである「核セキュリティー(核物質防護・警備)」の訳語が「我が国の安全保障」になってしまったということのようです。
文言挿入の経緯とセキュリティーの訳語の混乱
出典:核分裂性物質国際パネル (IPFM)2011年報告 |
1月31日に閣議決定された政府案が、環境省に原子力規制庁を設置する案であったのに対し、自民党は、規制機関の独立性を高めるべきだと主張し、その趣旨の法案を公明党とともに4月20日に衆議院に提出しました。最終的には、この自公案を軸に調整されたものが、6月15日に衆議院に提出されて同日通過、そして、20日に参議院通過となりました。一般の印象とは異なり、「安全保障」の文言は「こっそり」入れられたのではなく、4月20日提出の自公案にあったものです。
鍵は、文言の起源と、その用語の訳し方にあります。自民党PTの塩崎座長は、同党機関紙(5月1・8日号)掲載のインタビューで、新しい規制機関に一元性を持たせることの重要性を強調し、手本としてNRCに言及しています。自身のサイトにあるさまざまな文書でも、NRCが安全性に加えて、核セキュリティーと保障措置を担当していることに触れています。また、共同通信の太田昌克編集委員によると、塩崎議員から今回の規制庁、規制委員会のモデルは、NRCだと指摘された」(『世界』8月号)ということです。
NRCの文書では、セキュリティーは、「防衛及び安全保障」と「核物質及び核施設防護・警備」という二つの文脈で登場します。「安全保障」の方は、原子力法(1946年及び1954年)にあり、核兵器を開発して、原子エネルギーを国家防衛のために使うという意味でした。その後、1975年に、原子力の推進と規制を切り離す目的で「原子力委員会(AEC)」が解体され、民生用の原子力利用の規制をNRCが、軍事及び民生利用の両方の推進をエネルギー省が、それぞれ担当することになった際に、「防衛及び安全保障」という言葉がNRCの文書に残ったのです。
ピーター・ブラッドフォード元NRC委員は「核情報」に次のように答えています。これは「AECが廃止された際に、単純にそのまま受け継がれたということだ。この分野におけるNRCの責任としては、輸出の許可(核不拡散の基準の適用)、そして、核施設がテロリズムや破壊行為から守られていることを保証することなどが含まれる」。塩崎議員が言及しているのは「安全保障」ではなく、この「核セキュリティー」の方です。文言もそう改めるべきです。
核セキュリティー強化の一歩は再処理中止から
ここで留意すべきは、米国は民生用の再処理をしていないという事実です。軍事用のプルトニウム及び核兵器の警備は、エネルギー省と国防省の管轄です。日本の原子力規制委員会は、両省が扱っているのと同じ核物質の警備体制にも責任を負うということです。
日本では、原子力発電所はもちろん、核兵器利用可能物質プルトニウムを保管する東海村や六ヶ所村の施設でさえ、米国の原子力発電所程度の警備体制もありません。日本にとってセキュリティー強化の第一歩は、不必要で危険なプルトニウムを使用済み燃料から分離する六ヶ所再処理工場の運転を許可しないことです。
核セキュリティー・サミットに出席するためにソウルを訪れたオバマ大統領は、3月26日の講演で、「分離済みプルトニウムのような我々がテロリストの手に渡らぬようにしようと試みているまさにその物質を大量に増やし続けることは、絶対にしてはならない」と述べています。核セキュリティーのために再処理中止をとの訴えです。(田窪雅文:ウェブサイト核情報主宰)
あらゆる手段で大間原発の建設工事を止めたい
大間原発訴訟の会 大場 一雄
一方的な通告による工事再開
2012年10月1日、電源開発(株)の一方的な通告によって大間原発建設工事(青森県大間町)が再開されました。「3.11フクシマ」以降、建設工事は進捗率37.6%で「休止」していましたが、9月15日、「革新的エネルギー・環境戦略」の説明に青森県を訪れた枝野経済産業大臣の「再開容認」発言を受けて、電源開発(株)が9月28日に工事再開の方針を示していたものです。同じ28日は、「大間原発訴訟」の第7回口頭弁論が函館地裁で開かれており、福島県から函館に避難している原告が自らの体験を意見陳述していました。
用意周到な電源開発(株)は、6月の株主総会の時点で工事再開のスケジュールを組んでいて、現在その計画を前倒しで行っています。これに対して、9月30日に函館市で行われた「バイバイ大間原発はこだてウォーク」では、工事を再開するなと約330人が声を上げ、デモ行進を行いました。
函館市長も再開を認めないと断言
330人が参加した 「バイバイ大間原発はこだてウォーク」(9月30日・函館市) |
10月1日、大間町に電源開発(株)の北村雅良社長が訪れて同日の工事再開を報告。社長はこの後、佐井村、風間浦村をまわり夕方には青森県庁で会見を行いました。大間町役場では、工事再開に反対する約10人が横断幕を掲げて抗議しました。同じ通告をするために函館市を訪れた電源開発(株)の渡部肇史常務らには、函館市役所玄関前で約50人の市民が抗議、常務らは帰りには正面玄関に現れず姿を消しました。ただの一度も函館市民に説明をせず工事を再開したことがよほど後ろめたかったのでしょう。この日は、札幌と東京でも抗議が行われました。
工藤壽樹函館市長は、電源開発(株)の通告に対して9項目の疑問や意見を述べ、その回答が曖昧なままでの工事再開は認めないと断言しました。
市長の9項目とは次の通りです。(1)大間原発は、現在の電力需給と全く関係が無い。(2)使用済み核燃料の問題であり、核燃サイクルは破たんしている。(3)函館市は大間原発から30km圏内なのに説明が全く無い。(4)3.11の「フクシマ」の状況をふまえた手続きが必要。以前の国の許可は信用できない。(5)津軽海峡は国際海峡であり、安全保障上問題がある。(6)地震や津波の恐れがある。大間沖に巨大な活断層の存在が指摘されている。(7)地域防災計画はつくらない。(8)なぜ大間につくるのか。安全なら消費地に。首都圏の火力発電所を原発に転換すればよい。「ご自分たちだけが安全に身を置いて、同意も無く(再開)」とは腹立たしい。(9)函館も風評被害を受けた。原発事故で外国人観光客は激減した。住民は不安だ。進捗率37.6%は新設と同じ。
「我々の世代」が判断し決断を
9項目の疑問や意見を述べた市長は、大間原発建設工事の「無期限凍結」を求めました。なぜ「無期限凍結」なのかというと「原発の新設は、福島原発の大事故を起こした我々世代が判断することではなく、他の安全なエネルギー開発の状況を見ながら、将来世代の判断に委ねるべきだと考えて」(函館市のホームページより)いるからです。
9点は、ほぼ全ての函館市民や道南の住民が抱いている疑問や意見と同様です。違うのは、結論を先送りしようとする市長の考えには賛成できないことです。「我々の世代」が判断し決断すること、後世に憂いを残さないことが大事だと思います。「再処理事業継続」は大間原発でのフルMOX燃料(ウランとプルトニウム混合酸化物)利用が条件であり、「プルトニウム社会」を前提とした政策です。大間原発を認めることは、日本のプルトニウム政策=核武装への道を担保するものであり、断じて許されません。
だまし討ち的に再開された大間原発の工事ですが、これでステージが変わったと考えています。あらゆる手段を用いて、大間原発を止める。なんの躊躇もありません。
函館市の大間原子力発電所に対する対応について
http://bit.ly/SQ3XG
大間原発訴訟の会のブログ
http://ameblo.jp/ooma/
《各地からのメッセージ》
日米豪の合同演習に反対し、オスプレイ配備反対を沖縄と共に
石川県平和運動センター 事務局長 中村 照夫
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石川県平和運動センターは、加盟労働組合と賛助会員制度である「PEACEネット石川」個人会員で構成される平和運動団体で、2000年9月29日に発足しました。県内各地に9つの地区平和運動センターがあります。
航空自衛隊小松基地第6航空団のF15(予備含む)10機、浜松基地警戒航空隊など310名が、6月8日から23日まで米アラスカで「レッド・フラッグ」演習に参加することに反対する集会を6月4日の早朝5時に開催し、120名が参加しました。石川県ではごく当たり前の取り組みです。(写真)。
この演習は世界最大規模のものであり、米が同盟を結ぶ各国空軍と実戦に極めて近い環境で、戦闘機・攻撃機のパイロットや戦闘捜索救難チームなどを経験させ、実戦対応能力を向上させるという戦争訓練です。このことは、自衛隊が米軍及び豪軍などとともに「戦争のできる国」をめざすものであり、集団的自衛権に抵触することはもちろん、戦争放棄の憲法を持つ国としてあるまじき行為と言わなければなりません。
折しも、オスプレイの強行配備と同様、小松市と小松基地が結ぶ「安全、防音等の協定」を無視して、危険と轟音をまき散らし、市街地で急上昇・急降下などを繰り返すことは、「国防のために住民は我慢せよ」という軍事優先の行動として容認することはできません。
米軍基地の74%が集中する沖縄の痛みを我々も肌で感じ、さらには福島原発事故の惨劇を二度と繰り返さないため、広範な市民や北信越ブロックと連携した脱原発運動を不断に創造しつつ、反基地、反戦・平和の取り組みを続ける決意です。共にがんばりましょう。
【本の紹介】
世界が土曜の夜の夢なら ヤンキーと精神分析
斉藤 環 著
角川書店 2012年刊 |
ヤンキーといえば、多くの人は広義の「不良」を思い浮かべるだろう。本書は「ヤンキーと精神分析」とうたうものの、不良少年などを分析するものではない。精神科医である著者は、「美学としてのヤンキー」を分析する。今やリーゼントヘアーにアロハシャツなどといった典型的なアイコンは、嘲笑の対象ですらある。しかし、彼ら彼女らの精神性である、理論立てよりも「気合い」や「キャラが立つ」ことを優先する感覚は、多くの日本人が軽蔑しながらも、一方では嫌いになれない、むしろ好ましいと思うものではないだろうか。さまざまなキーワードを通じて、それを考察するのが本書の試みである。例えば、「橋下徹」について著者はこのように書く。「……『橋下人気』と呼ばれるものの状況を支えているのが、日本人の大半を占めると言われる『ヤンキー好き』的な感性である……」と。
ここで仮説を立ててみたい。それは、もしもいま私たちのさまざまな運動に大きな広がりが生まれにくい面があるとすれば、そんな私たちに足りないのは、的確な状況分析や市民へのアピールの回数などではなく、この「『ヤンキー好き』的な感性」に訴える発想ではないかというものである。
例えば、脱原発の官邸前行動が盛り上がった一因は、主催団体である「首都圏反原発連合」という、往年の暴走族を連想させる(失礼!)ネーミングにもあったのではないか。当て字で「夜露死苦」(よろしく)、「愛羅舞優」(アイラブユー)などと表記するのは、ヤンキーの常套句である。また、かつて土井たか子さんの「おたかさんブーム」というものがあった。「やるっきゃない!」「山が動いた」などのフレーズ、パチンコが趣味という素顔などはヤンキー的だったと言ったら、おふざけが過ぎると叱られるだろうか。
「橋下徹」を支持する人々は、「キャラが立つ」彼なら、「気合い」で閉塞感を打破してくれるのではないかと思っているわけだ。そのことを「民度が低い」などと言って、嘆くのは簡単だ。しかし、私たちだって彼自身の良し悪しは別にして、「橋下徹」的なるもの=ヤンキー的なるものが多くの支持を獲得する、その構造から学ぶべき点はないだろうか。本書を読んで、本気(マジ)でそう思った。
(阿部 浩一)
第44回食とみどり、水を守る全国集会
地域からいのちと暮らしを守る
11月30日~12月1日に大阪市で開く
第44回食とみどり、水を守る全国集会」は、11月30日(金)~12月1日(土)に大阪市内で開かれます。大震災や原発事故、TPP問題などの状況を踏まえ、地域からいのちと暮らしを守る運動をどう進めるか、食の安全、農林業政策、環境問題などで討議を行います。主な内容は次の通り。
会場:大阪市淀川区「大阪ガーデンパレス」(新大阪駅8分)
第1日目 11月30日(金)13:30~17:00
内容:全体集会(挨拶、基調提案)、シンポジウム「地域からいのちと暮らしを守る運動をどう進めるか」コーディネーター=大野和興さん(農業ジャーナリスト)、パネラー=塩見直紀さん(半農半X研究所代表)、小泉佳久さん(コープ自然派事業連合理事長)、神田浩史さん(AMネット理事)、全体交流・懇親会(夜)
第2日目 12月1日(土)9:00~12:00
内容:分科会─
- 「課題別入門講座」(「原発問題と今後の課題」、「森と水の源流から考える自然と暮らし」)
- 「食の安心・安全・安定」
- 「食料・農業・農村政策」
- 「森林・水を中心とした環境問題」
- 「フィールドワーク─水上バスから見る水都大阪、大阪の環境について考えよう」
参加費(資料代、交流会参加費込み)6,500円
フィールドワーク参加費は2,000円
問い合わせはフォーラム平和・人権・環境(03-5289-8222)