がんばろう!さようなら原発1000万人署名 12・10集会
日比谷野音に5500人が集まる
●日時 2011年12月10日
●集会 東京 日比谷公園野外音楽堂
●デモ 日比谷公園〜東京電力本社前〜銀座〜東京駅〜常盤橋公園
私たちは12月10日、東京の日比谷公園野外音楽堂で、「がんばろう!さようなら原発1000万人署名 12・10集会」を開催しました。
集会には首都圏を中心に、個人参加者や、市民団体・労働組合の関係者など、約5500人が集まりました。
集会は、PANTAさん(元頭脳警察)のコンサートで始まりました。全共闘世代の方たちでしょうか、会場のあちこちから「パンタ〜」と大きな声援が飛びかいました。
集会の司会は、講談師の神田香織さんです。
最初に鎌田慧さんと大江健三郎さんが呼びかけ人を代表してあいさつしました。次に、中尾こずえさん(駅前アクション)、平野都代子さん(パルシステム千葉)、谷大二さん(カトリック正義と平和協議会会長)が、各団体の署名活動を報告。最後に大賀あやこさん(福島在住)、竹中柳一さん(福島県平和フォーラム代表)の二人が、福島の思いを語りました。
集会終了後のデモ行進では、東電本社前や銀座を通って、脱原発や福島の人々への補償を訴えました。
以下、集会のをお伝えします。
オープニングコンサートはPANTAさん。
鎌田慧さん(呼びかけ人)
この美しい空の下にも、ストロンチウムなどの核物質が流れているのではないかと、公園を通りながら思っていました。こんな平和な風景の中でも、私たちは恐怖を感じながら生きていかなければならないのです。福島では、どのような状態になっているでしょうか。子どもたちは、どうなっているのでしょうか。想像するだけでも、胸が痛くなります。
原発はいらない! 原発はさようならだ! というのが私たちの運動です。これからますます広がろうとしています。
既に原発には、決着がついています。これ以上、新増設ができる状況ではありません。いかに早く原発を止めるのか、いかに早く廃炉に向かって進むのか、そういう状況になっています。現在、日本には五四基の原発があります。しかし稼働しているのは、八基しかありません。これは原発が、電力の供給には全く寄与していない、いつも故障しているということです。そうした不安定な原発に依存していて、なおかつ爆発と放射能汚染の恐怖がある、そういうことを選んでしまったのです。私たちが選んでしまったのではありません。政府が選んで、押し付けてきたのです。それに対して、反対する力が弱かったのです。あまりにも無関心で考えなかったことが、いま突き付けられています。
これから、どういう被害が、子どもたちに残るのでしょうか。あるいは五年・一〇年・一〇〇年・一万年と残り続ける放射性物質と、子どもたち、子孫たちがどう付き合うのか。そういう問題も突き付けられています。速やかに、危ない原発から停止させる、廃炉に向けていく、そのための一〇〇〇万人署名運動です。
「もんじゅ」(福井県敦賀市にある高速増殖炉)を止める、それから青森県の再処理工場を止める。これらは日本が核武装する物質的な基盤です。「もんじゅ」や再処理工場が無ければ、日本は核武装することができません。イタリアやドイツは、原発をやめると言っています。イタリアとドイツは、核武装する欲望を持っていないことを明らかにしたのです。
原子力発電は、原子爆弾から生まれました。それだけではありません。原子爆弾は、原子炉から生まれます。高速増殖炉を動かしてプルトニウムが作られていくのです。そのため日本の政治家や首相は、これまで一切、原爆は作らないとは明言していません。原爆を研究すると言っています。こういう危険な状態にありながら、私たちは無関心であったと思います。
一〇〇〇万人署名を政府にたたきつけて、原発をやめさせましょう。原発に賛成する政治家は選ばない。原発に賛成する政治家は落とす。そして早く平和な社会にしましょう。まだ二〇〇万しか集まっていません。あと八〇〇万です。三月二四日にこの場所で、集約集会を開きます。それまでに一〇〇〇万以上を集めて、国会に持っていきましょう。
大江健三郎さん(呼びかけ人)
大江健三郎です。短く話をさせていただきます。
9月19日の明治公園で行われました、「さようなら原発 5万人集会」に、私も参りました。実際には6万人を超えたのであります。この大きな人波を見ておりまして、これは私がいままでの人生で見た、2番目に大きな集会だと思いました。
今までに見た最大の集会は、2007年9月の沖縄の集会でした。それは宜野湾市の海浜公園で行われた、「教科書検定意見撤回を求める9・29県民大会」でした。11万人の人々が集まられました。沖縄の人口と日本全体の人口を比較しますと、11万人の集会は1000万人の集会と同じなのです。東京でやるならば1000万人の集会なのです。教科書検定意見撤回を求める集会が、どうしてそれほど多くの人々を集めたのでしょうか。人々は関心を持っていたのでしょうか。
教科書検定は、沖縄の人々にとっては、非常に根本的に大きな問題でした。私も集会の2年前から、教科書検定を進めようとする人たちから告訴されて、裁判になっていました。ともかく11万人の人々が沖縄で集まられた。沖縄は、日本国内で唯一の地上戦が行われた場所です。その戦争について、特に日本の軍隊が戦争の末期に沖縄で行ったことに対する事実が、教科書から省略されてしまった、ほとんどなくなったことに抵抗する、人々の集まりでした。
日本国の人口と対比すると、1000万人を超える人々が集まった集会だと申しましたが、参加した人々の数よりも多くの人々の願いと怒りを持った集会でした。
それ以前にも大きな集会がありました。それは1995年の米兵による少女への暴行事件に抗議した県民の集会でありました。それは8万5000人の人が集まりました。先ほどの比較でいえば、850万人の集会が東京で開かれたようなものです。
この集会での県民の意思表示は、非常に大きなものでした。そこで行われた若い人たちや、戦争を経験した人たちの講演、あいさつは、大変素晴らしいものでした。そのことが、沖縄にいる米軍幹部たちの関心を強く惹いたのです。それまでは、沖縄の人々がどのような危機感、切羽詰まった怒りを持っているのかは、鉄条網の向こう側には伝わっていなかったと思うのです。日本人や日本政府がそこに行って、英語で正確な事情を話すこともなかったのでしょう。
沖縄の人々の思いを知った人々が、アメリカ側で非常に良い委員会を作ってくれました。それはおそらく戦後に日本でできた、アメリカ側の委員会としては、もっとも妥当で公正で優秀な人々が集まった委員会でした。そこで普天間基地を移動させなければならないことが決定されたのです。それが1995年であることを、もう一度、思い出していただきたいと思います。
しかしそれから20年近くが過ぎようとしていますが、いまも普天間基地は動かないままです。そういう状態があって、沖縄のいまの課題があるのです。普天間基地は動かさなければならない、しかし辺野古では基地を受け入れられないということがはっきりしています。
ところが、それに対して日本政府は、なんとかなるということを言っています。それを信じていないのは、沖縄の基地にいるアメリカ軍の将校たちです。またアメリカ本土の政治家たちにも知られています。
いま行われています1000万人署名の運動について、1000万人という数を考えたのは澤地久枝さんです。澤地さんは健康上の理由で、本日は欠席していますが、彼女が1000万人と言ったことは非常に重要だと思います。彼女は「1000万人が原発はいやだと署名したら、政治家たちは無視することができないでしょう。100万ではだめだ」と言っています。100万人ではだめでも、1000万人なら何とかなると彼女が思った理由には、彼女の心の中に沖縄での11万人の集会があると思うのです。それが日本で行われるならば1000万人でなければならない。だからまず署名をしようということだと思います。
もとより日本人がこの国全体の意思として、福島の問題を考えています。今日も、多くの方々がこの集会に参加し、さらに専門家の方々からもすばらしい発言があると存じます。
大賀あやこさん(福島から)
皆さん、こんにちは。9月19日の集会での武藤類子さんのスピーチは、私たちを代表して、勇気を与えてくれるものでした。さらに反響が伝わっていき、さらに多くの方々にご支援いただいております。ありがとうございます。
それから3か月の間を振り返り、話をすることに、とても自信が持てない本音を感じてしまう気持ちです。
この期間に、放射能の減少が進まないのは当然ですけれども、秋から冬の季節風が山の汚染を拡散させたりして、放射線量が上がっている地域もたくさんあります。
除染活動に期待しても、あまり放射能は下がりません。除去した土や草の保管、作業の負担や被ばくなど、困難なことも明らかになってきています。
農産物の汚染の実態も次々に明らかになってきています。真実が隠され、人と人が分断されていく。この不安がいったいいつまで、どれほど続くのか。この先の見え無さに、疲れ、途方に暮れてしまうことがあります。
それは全て、東京電力が放出した放射能を巡る困難なのですけれども、脱原発については福島県内では方向が決して来ています。10月20日、福島県議会は、県内の原発全10基の廃炉を求める請願を可決しました。12月30日には福島県知事が、福島県の復興計画に、県内の全原発の廃炉を明記することを表明しました。
これは、県民大多数の、もう原発はいらないという世論を受けてのことです。しかし日本全国で、いまも運転中の原子炉や、再稼働がはかられている原子炉があることは、私たちの不安と恐怖を増すものでしかありません。
私たちの所に、また放射能が降ってくるかもしれない。私たちは、また家を出て避難することになるかもしれない。こんな恐怖があるうちは、私たちの非常事態は終わりません。
どうか日本中、世界中で皆さんとつながりあって、1日も早く脱原発が果たせるように願っています。
ありがとうございました。
竹中柳一さん(福島県平和フォーラム代表)
福島から参りました。私は南相馬市、福島第一原発から24キロの所に、3月11日以来、ずっと住んでいる一個人としての思いを、ここで述べさせていただきたいと思います。
いま私が首からぶら下げているのは、5月12日以来、私が身につけている線量計です。いま997マイクロシーベルトです。私が勉強したところによれば、私の60兆個の細胞の一つ一つに、放射線が通過したという量です。これが、私が5月12日以来受けている外部被爆です。
しかし3月11日から5月11日までの被ばく、吸い込んだセシウム・ヨウ素などの内部被ばく、食べ物などから入っている内部被ばくについては、分かりません。県からは調査が来ていますが、私は出していません。なぜなら、そうした行政からの調査が、基本的にどのように使われるのかが信用できないからです。これは多くの福島県民の思いも同じです。
こういう状態の中で、一番、不安と恐怖におびえているのは、子どもたちであり母親です。あの山下教授でさえ、年間100ミリシーベルト以上の被ばくについては、基本的には分からないと言っています。
10月現在で、幼稚園から高校まで含めて、1万1988人の子どもたちが、県外の学校に転出しています。そして残った子どもたちについては、各市町村が独自の判断で線量計を付けて、2か月あるいは3か月生活して、その結果を集計しています。
これが100マイクロシーベルトになった、700マイクロシールトになったという報告があります。しかし、その対策が全くありません。国は、市町村が勝手にやっていることとして、お金は出すが、その先の対策がありません。
食べ物、お米、特に新米から、セシウムが検出されています。福島県の農家の人々は、自分たちの作ったお米を、福島県の子どもたちに食べさせることができないのです。そういう無念さがあります。3分の1の福島産の米が、再調査されています。
漁業に関してはもっと深刻です。一切、操業はしていません。その中で東電が4月に海に放出した汚染水に匹敵する、500億ベクレルという放射性物質が、阿武隈川の河口から出ています。こういう状態です。その中で色々なことが起きています。
3月11日は日本が歴史的に変わる日だと、マスコミや政治家が言っていたはずです。しかし全く変わらない。原子力協定が昨日、参議院で可決されました。民主党で棄権した議員は12人しかいませんでした。日本のことを考えていないのか、福島のことを考えていないのか、そういう怒りで一杯です。
東電は、放射性物質は土地所有者のものだと主張しています。畑や田んぼに落ちた放射性物質、これほど苦しんでいる放射性物質はその土地のものだと東電は主張しています。そしてなによりも、原子力安全委員会や保安院では、誰一人クビになっていません。何が変わったでしょうか。これを変えない限り、日本に、子どもたちに未来が無いと思っています。
皆さん、一緒に日本を変えていく運動をしないと、私たちは日本に住んでいられなくなると私は考えます。
来年の3月11日に、私たちは郡山市の態勢残球場で、県民集会を行います。そして福島の思いを日本に発信し、福島の思いを日本全体で共有する集会を企画しています。そのことを申し上げて、報告といたします。
●会場の日比谷野外音楽堂には、5500人の方々が集まりました。
●集会終了後はデモ行進です。
●たくさんの個人・市民団体の人たちが参加してくれました。