原発問題を生存権から議論
施行64周年憲法記念日集会
●2011年5月3日
●東京 千代田区 日本教育会館
平和フォーラムは5月3日に、東京都千代田区の日本教育会館で、「施行64周年憲法記念日集会」を開催しました。集会の第1部はシンポジウムで、「安全に生きる権利」をテーマに議論を行いました。コーディネーターは江橋崇さん(平和フォーラム代表・法政大学教授)で、パネリストは石丸小四郎さん(福島県双葉地区原発反対同盟代表)、満田夏花さん(国際NGO FoE Japan)、山浦康明さん(日本消費者連盟事務局長)の3人です。東日本大震災や福島第1原発の事故の直後であることから、各パネリストの発言は、憲法の定める生存権の視点から震災の問題を捉え返すものとなりました。
シンポジウムのうち、パネリストの発言概要を、以下に記載します。
江橋崇さん(平和フォーラム代表・法政大学教授)
石丸小四郎さん(福島県双葉地区原発反対同盟代表)
石丸です。よろしくお願いします。最初に、「こうして原発震災が始まった」という当時の状況を読ませていただきます。
「3月11日14時46分、私はその時、まきストーブの前にいた。何の前触れもなく、激しい揺れに襲われた。ストーブの上のやかんが、ガタガタと激しい音をだした。とっさに火事を恐れて、やかんを持ちあげて、ストーブ上部のふたを取り、お湯を注ぎこんだ。とにかく、長い、長い振動だった。これでもか、これでもか、と続いた。次の瞬間、短周期振動が、原発がやばい、との思いが頭をよぎった。構造物には、固有の揺れやすい周期がある。原発の周期は、0.1秒から0.5秒の範囲であり、原発は振動に弱いと教わっていたからである。
これは別の話だが、原子炉建屋にいた労働者は、激しい揺れと共に、コンクリートの壁が、ビシビシという音と共にひび割れ、建屋内が白い幕に覆われたと、語っていた。
次いで防災無線の緊迫した声で、津波警報が発せられた。津波は私の住む、JR富岡駅周辺に、壊滅的被害をもたらした。その日の21時ころ、防災無線で、半径3キロ以内の住民に避難、3キロから10キロには屋内退避の指示が出た。これが、終わりの見えない原発震災の始まりだった。
地震と津波の被害を受け、放浪の民となってしまった怒りと虚しさは、筆舌に尽くしがたいものがある。原発震災は、未だに進行状態にあるが、この50数日間を振り返り、被災地の福島県の思いと、当面する課題を述べたいと思う。
私は原発ほど、不条理で、理不尽で、世代間不公平があり、さらに差別的なものはないと、思い続け、主張もしてきた。目には見えず、臭いもせず、味もない放射能によって、何も落ち度のない人々が、全てを放棄して故郷を去り、子どもたちまでが逃げ回らなければならない。
一方それを作り、最も熱狂的に推進してきた人々は安全地帯にいて、ただちに健康に影響はないと強調している。さらに原発から遠くはなれて恩恵を享受してきた人々の中には、原発を増やす・現状程度と思う人が、56パーセントに増えている。この現実を前に、私は告げるべき言葉がありません。」
これが私の、率直な最初の感想です。そうして、子どもの健康と命が脅かされている現状に対して、一つだけ述べたいと思います。それは福島県内の幼稚園や小中学校の13校について、毎時3.8マイクロシーベルトが検出されたので、校庭での活動を1日1時間に押さえる指示が、文部科学省と原子力安全委員会からありました。この毎時3.8マイクロシーベルトを1年間に直しますと、33.3ミリシーベルトになります。この数値は、公衆の被爆基準の33倍の被ばくをしてもかまわないことになります。さらに福島原発の中には、放射線管理区域が設定されています。ここは、1か月につき1.3ミリシーベルトです。1年では5.2ミリシーベルトです。それをはるかに上回る被爆線量を、子どもたちに強要することが、許されていいのでしょうか。福島原発でさえ、年間20ミリシーベルトを被ばくした人は、調べていましたが、この10年間で1人もおりません。全国の原発でも9人だけです。これほどの放射線を子どもに強要することは、正に異常と言うほかありません。
いま30キロ圏内の12市町村で54校が休校で、1万2000人の子どもたちが、ばらばらになっています。子どもたちには今、何が大切でしょうか。苦しみや悩みを分かち合う友達です。その友達がばらばらになっていることは、何を意味するのでしょうか。
次に、私が考えている当面の運動課題です。私は6つの問題を運動課題として、一生懸命、追求してもらいたいと思います。
第1の課題は、福島県内の高線量汚染地域での、子どもたちへの徹底した保護対策です。国はICRP、国際放射線防護委員会の20ミリシーベルトは危険ではないというのを基準にしています。これは、全くの誤りです。私は別の基準、実現できる限り放射線を低くする新しい原則を適用するべきだと思います。
第2の課題は、1日も早い事故の終息と、放射能の封じ込めです。原子炉建屋をとにかく、1日も早く封じ込めなければなりません。建屋からは蒸気が上がっています。あれはただの蒸気ではありません。莫大な量の放射能が含まれているのです。これからも放射能の放出が、海や陸に流れ出して、レベル7に近づいているのです。北半球全体に広がっているのです。このことに、思いを致していただきたい。
第3の課題は、東京電力、経済産業省、原子力安全・保安院、原子力安全委員会、原発の推進のために十二分に役割を果たしてきた御用学者、これらに対する徹底した責任追及です。私は日本ほど、歴史の中で、反省や総括を曖昧にしてきた国はないと思います。世界に中で、日本ほど放射能の怖さを体験している国があるでしょうか。広島、長崎、ビキニ環礁、JCO臨界事故、そして今回です。世界の人々は、「日本とはなんという国だ」と言っているでしょう。私たちは地震対策に関して、約10年間、東京電力と交渉してきました。ある人は「石丸さん、今回の様な大事故が、本当に起きると思っていましたか」と聞いてきました。私は「確信していた」と答えました。それはなぜか。先ほど申し上げましたように、1か月に1度、東京電力と対峙していました。この会社は「とんでもないことをしでかすぞ」と肌で感じていたのです。その理由は、次の通りです。
1つめは地震対策です。日本は1970年代から30年間の間に、3950回のマグニチュード5以上の地震を経験しています。ところが米国は322回、イギリスは0回、フランスとドイツは2回です。世界1の地震大国に、60基の原発を作り続けてきたのです。再処理工場、もんじゅ、廃炉になったものを含めると、60基です。まさに亡国政策です。そして私たちの地震に対する指摘に対して、東京電力や国は、せせら笑っていたのです。彼らの頭の中には確固たる信念があるわけではなく、自分の生きているうちは大きな地震はないという思いだけだったのです。福島第1原発でも、ほとんど地震対策はしていません。
2つめは、原発を止めたがらない、東電のどうしようもない体質です。皆さんは、東京電力をビック・カンパニーと思っているでしょう。しかし15年前には、11兆円の借金があった会社なのです。世界1の借金会社です。売り上げが5兆円で、その2倍の借金を抱えていたのです。会計原則から言えば、倒産する企業です。原発17基のために、10兆円を使ってきた会社です。徹底した利益優先、安全軽視を10数年間に進めてきました。修繕費の削減、人件費の削減、耐震対策もサボってきました。そして昨年の6月17日に、全電源喪失事故が起きています。私たちはこのことについて、厳しく指摘してきました。しかし一切の経過報告、詳細報告、対策をしないで、7月17日に運転を開始したのです。この時に、きちっとした対策をとっていれば、今回の事態は無かったかもしれません。
3つめは使用済み燃料の問題です。本来であれば、東京電力は、使用済み燃料を3000トンしか保管しておけないのです。ところが、その1.5倍の4500トンが置かれています。日本の原子力政策が破たんして、六ヶ所再処理工場が25年経っても動かない。そのために原子炉の周りは、使用済み燃料の貯蔵庫替わりになっていったのです。それが今回の地震によって、プールがひび割れ、外部から放水をして冷やさなければならなかったのです。いつになったら収まるのか、全く見当がつかないのです。これは犯罪だと思います。本日、お集まりの皆さんに、このことを理解してもらいたいと思います。
第4の課題は、脱原発のプロセスを、明確にしなければなりません。これを機会に、脱原発に確実な1歩を踏み出しましょう。
第5の課題は、電力会社の寡占体制を解体することです。
第6の課題は、あらゆる損害を、徹底して補償させることです。
この6つの課題を、私の人生の終わるまで、追及し続けます。皆さんのご支援をお願いして、私の報告にいたします。ありがとうございました。
満田夏花さん(国際環境NGO FoE Japan)
皆さん、こんにちは。国際環境NGO FoE Japanの満田です。聞きなれない団体名かもしれませんが、Friend of Earth、地球の友という国際的ネットワークです。78か国に支部があります。
私自身は普段は、途上国の開発の問題に取り組んでいます。発展途上国の開発に、大量のジャパン・マネーが流れ込んでいます。その現場で、日本が高度成長期に経験したような、様ざまな問題が発生しています。日本に生活している私たちの目に届かないところで、日本のお金や、私たちが使っている自然資源が、どうなっているのか、そうしたことに目を向けています。
例えば皆さん、紙を使っていますが、紙の生産のために熱帯雨林が非常な勢いで開発され、そこに住む人々が、生活の場を奪われています。1980年代に日本が熱帯雨林を買っている話が大きく報道されました。その時にマレーシアの森に生きていた先住民の人々が、森に続く道を封鎖して立ち向かうことがありました。日本でも大きな関心がもたれました。でもそれ以降はあまり報道されていませんが、問題が解決したわけではありません。先住民の方々は、さらに森の奥に入っていくか、町での生活を始めなければなりませんでした。
私たちが使っているもの、私の税金が使われて、彼らの生活が変わっていく。そのことを伝えるための活動をしています。
いま石丸さんから、迫力のあるお話がありました。3・11です。私自身も、強い衝撃であの日を迎えました。その後10日間ぐらいは、何もできずに報道を見ていました。自分の中で、色々なことを考えていました、そこで、一緒にやってきた仲間と相談して、私たちは今後、何をするべきなのかを考えました。
私たちは途上国問題の一環として、原発輸出の問題に取り組んできました。日本は民主党政権になってから、原発を大きなビジネスとして輸出を進めています。私たちは原発を世界的に拡大することを問題として、取り組んできました。しかし足元にある原発については、真っ向から取り組むことはありませんでした。
ところがいま、私たちの生活の基盤である陸・森・海が、どんどん汚染されてきています。この瞬間にも、大量の放射性物質が放出されています。私たちが生きている日本で、そうした事態が生じています。これを何とかしなければいけない。それを仲間たちと考えました。そこで私たちも、原発の問題に取り組むことを決めたのです。
まず、先ほどの石丸さんの発言にもありましたが、脱原発を進めなければなりません。いままで環境問題に携わってきたNGOですが、環境、燃料、原発は、切り離すことができません。環境NGOとして、原発問題に携わってきた団体と手を取り合って、この問題を進めることにしました。そこで、「脱原発とエネルギー政策転換を実現する会」を立ち上げました。ここで、政策提言や、被害の最小化になにができるのか、社会運動として脱原発・エネルギー政策転換をどう実現させるのかを、走りながら勉強して、活動を続けています。
先ほど、子どもたちに20ミリシーベルトの基準を適用する話がありました。みなさんも、大きな怒りを感じていると思います。私たちもこの問題を看過できません。放射線管理区域の6倍に相当する線量を子どもたちに適用することは、非人道的な対応です。労働基準法では、放射線管理区域では、18歳未満の労働は禁止しています。そこに子どもを学ばせ、遊ばせていいのか。
昨日、私たちといくつかのグループで、政府に対して、20ミリシーベルトを撤回するように求める交渉を行ってきました。その時の、政府側の答弁に対して、私は怒りを感じました。
「あなた方は、放射線管理区域で、子どもをあそばせるのか」という質問に対して、政府側は「管理区域では子どもを存在させない」とのことでした。しかし「管理区域と同様のレベルである学校ではどうなのか」という質問に対しては、言を左右にして逃げてしまいました。
その場には、福島からお父さんやお母さんが来ていました。お父さんやお母さんからは、20ミリシーベルトの基準があるために、学校が自主的な取り組みができないことを訴えました。20ミリシーベルトが足かせとなって、子どもにマスクを着けさせることもできない。また福島の現状から考えると、自分だけが逃げる自主避難は難しい。学校単位で取り組みを進めなければならないことを訴えました。
ところが厚生労働省、文部科学省、原子力安全委員会は、責任をなすりつけ合って、20ミリシーベルトを撤回しませんでした。
この問題は、国際的にも非常に注目されています。20ミリシーベルトの報道が流れると、世界の様ざまな専門家が、「これではだめだ」と発言しはじめました。
例えばドイツのオットー・ハーグ放射線研究所は、「明らかにがん発症の確率が高まる。基準設定により政府は法的には責任を逃れるが、道徳的には全くそうではない」とコメントしています。またオーストラリアの専門家は、「親として、また医師として、福島の子供たちに、このような有害なレベルの放射線被ばくをさせることを許す決定は、われわれの子供と将来の世代を守る責任の放棄であり、受け入れられない」と言っています。国際的には、専門家がそういっているのです。
一方で日本の御用学者はどうでしょうか。福島でアドバイザーに就任している長崎大学の先生方は、100ミリシーベルト以下はOK、と言っているのです。私はこの人の発言の場に居合わせたのですが、本当に怒りを覚えました。でも聞いている皆さんは、専門家が100ミリシーベルト以下は安全だと言えば安心します。聴衆の皆さんは、大きくうなずいていました。それが日本の実態です。
昨日の政府交渉に話は戻ります。原子力安全委員会は、逃げに入っています。彼らはこう言いました。「私たちは、20ミリシーベルトを基準としていない」、「可能な限り放射線被ばくを減らす」というのです。原子力安全委員会は、4月19日の午後2時に文部科学省から助言依頼を受けて、たった2時間で了承しているのです。2時間の間に、何が起こったのでしょうか。彼らは、「20ミリシーベルトを安全とするといった委員も専門家もいない」というのです。わけがわかりません。それではなぜ、20ミリシーベルトが決まったのでしょうか。こんな議論をしている時間はなく、一刻も早く撤回してもらわなければなりません。いまも、福島で、被爆している子どもたちがいるのです。
政治家は頼りになりませんが、今こそ政治家が声をあげて、決断しなければならないのだと思います。
最後に1つ付け加えます。今回の原発震災で、飯舘村が大きくクローズアップされました。飯舘村は、原発事故によって、放射線の値が高くなったことで全国に名を知られました。しかし飯舘村は、早くから、自然エネルギーや自然を生かした村づくりを進めてきたのです。電力消費に頼らない村作りを進めてきたのです。
4月26日に、村を訪れる機会がありました。美しい里山、田畑、景色、本当に美しい村です。ここで26日に、村民決起集会が開かれました。村の人たちが手を取り合って開いたのです。タイトルは「愛する飯舘村を返せ」です。国と東電に対して、元の村を返せと迫ったのです。
決議文を紹介します。
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愛する飯舘村を還せ!
村民決起集会 決議文
春の訪れを感じる木々の芽吹き、花々の開花、
いつもなら田植えの準備にいそしむ季節のはずでした。
私たちの飯館村は地震の被害は沿岸部に比べれば少なく
本来なら地震後すぐに近隣の市町村に駆けつけ
被災した人たちの支援に向かっているはずでした。
しかし私たちの愛する飯館村には
忘れもしない去る平成23年3月11日の大震災と
その津波に起因する
福島原子力発電所の事故により
信じられないほどの放射性物質が降り注ぎ、
祖先が私たちが心血を注いで大切にしてきた大地が
汚染されてしまいました。
あの大震災から1ヶ月半、
今も放射能の恐怖にさらされています。
そして今、怒り、憤り、不安、とまどい、悩み、
さまざまな言いようのない思いが
私たちの胸に込み上げています。
私たちは奇しくもこのような事態になって
あらためてこの村と、
この村に生きてきた意味を見つめ直しています。
延々と広がる牧草地、
青く突き出ているような空、
一斉に咲き乱れる花々
黄金色に輝く稲穂、
満天にまたたく星空、
その景色をもういちど大切な人たちと眺めたい、
そして、
今までどおり子どもたちの笑い声がする登校風景、
おじいちゃんやおばあちゃんたちの笑顔を、
この飯館村で見たいんです。
その日をむかえることを、
再び飯館村の土のうえで
子どもたちが走りまわれるために
彼らに未来を託すことができるように
以下のことを決議します。
私たちは国と東京電力に対して
一、原発事故の一刻も早い収束を求めます。
一、迅速な計画的避難の完了を求めます。
一、私たちが暮らしてきた美しいこの飯館村の返還を求めます
一、私たちの愛郷心を維持し、子どもたちに未来を託すための
必要な補償を求めます
平成23年4月26日
村民決起集会に集う仲間一同
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これは、私たち自身の問題です。決して遠い村で起こっていることではありません。
山浦康明さん(日本消費者連盟事務局長)
日本消費者連盟の山浦です。発言の場をあたえていただき、ありがとうございます。今日は憲法施行64周年の集会です。私たち消費者団体も、国民の生存を確保しなければならないという観点から、憲法の生存権の問題が、今後どのように生かされていくのか、時間はありませんが話をさせていただきます。
日本消費者連盟は、40年以上活動しています。「健やかな命を未来につないでいく」を合言葉に、ラーメンから原発まで、様ざまな身の回りの食品や、日常生活の問題、エネルギー政策の問題に取り組んできました。エネルギーについては、持続可能なエネルギーを作ることが大切で、原発なんかとんでもありません。そこで六ヶ所村の問題や、浜岡原発の問題、福島原発の問題に、以前から取り組んできました。そうした経験を元に、いま私たちが考えなければいけない問題を、お話させていただきます。
まず憲法25条で生存権が規定されていますが、いま生存自体が脅かされています。そのことを3点に渡って申し上げていきたいと思います。
1つ目は、お2人から話がありましたが、自然災害である地震と津波、また人工的な災害である原子力発電所の事故の被害の拡大です。これがどんどんと、拡大しています。
2つ目には、私たちの食料主権です。特に昨年の秋から大きな問題となり、今日まで続いています。言うまでもなく、TPPの問題です。地震、津波、原発事故がありましたが、政府部内では着々とTPPの交渉に向けての作業が進んでいます。あるいはFTAやEPAなどの自由貿易協定、経済連携協定の動きが、日本にも押し付けられています。
3つ目は、復興問題に関係しますが、政府が連携明けにも決定しようとする「新新成長戦略」です。ここではまた、ゼネコンが儲かる仕組みが作られようとしています。あるいは、政府がいいように考える地域社会の仕組みが、押し付けられようとしています。私たちの生存そのものが脅かされ、地域社会が解体されます。こうした3点の問題があると考えています。
いまの自然災害と、原発事故については、2人の方から詳しいお話がありました。特に付け加えることもありませんが、国は何をしているのか、あるいは情報公開が不十分であるという問題があります。
生存を巡る問題は、原発だけではありません。食品の問題も、私たちの身の回りに襲いかかっています。様ざまなバイオテクノロジーの新規食品、あるいは遺伝子組み換え生物の研究開発と商品化が盛んになっています。特にアメリカの遺伝子組み換え食品が、日本に大量に輸出されています。この点では日本の消費者は、世界のモルモットになっています。
昨年、ハワイ産の遺伝子組み換えパパイヤが、厚生労働省によって承認されて、今年から日本で売られることになりました。それに先立ち、台湾で作られた遺伝子組み換えパパイヤの種が、沖縄で栽培されていたことが、先月に明らかになりました。遺伝子組み換え食品による汚染問題が、日本でも大きな問題になっています。
食品表示の違反問題も続いています。昨今、少なくなったかにも見えますが、昨年も様ざまな産地偽装や、食品添加物を使っていないと表示していた杏仁豆腐に、添加物が使われていた問題がありました。またアレルギー表示をしていなかった、ウインナーソーセージもありました。
食料主権の問題につきましては、まずTTPがあります。4月12日に、TPPのタスクフォースの会合が開かれました。ここでは、外務省と経済産業省の局長たちが検討を進めています。6月の参加表明判断は先送りされましたが、日本政府はアメリカに弱いですから、ハワイのAPECに向けて、アメリカと歩調を合わせる話が出てくるかもしれません。
日豪のEPAの交渉も、一時期は途絶えていましたが、4月にギラード首相が来日した際に菅首相と共同声明を出し、交渉を続けることになりました。WTOは、交渉決着は図られていません。
これらは、何をもたらすのでしょうか。食料主権の危機です。特にTPPでは、相手国はアメリカとオーストラリアです。農業輸出大国です。例えば日本とかぶる農産品は非常に多く、小麦、酪農製品、牛肉、米、砂糖などです。もともと安い値段で作られていますが、関税が引き下げられて、日本にどっと押し寄せてきます。そうした恐れがあります。その上、国内の農産物は放射能汚染の問題が出てきます。そうすると、外国の農産物、多少の農薬を使っていても、少しはましな農産物で食卓を賄おうという話も出てくるかもしれません。震災や原発事故を受けての、輸入食品の拡大が懸念されます。
そうした状況の中で、私たち消費者団体は、様ざまな運動をしています。
1つは、政府や自治体の政策に対しての批判です。
放射能汚染の食品の問題では、厚生労働省が、ヨウ素については飲料水・牛乳は300ベクレル、野菜は2000ベクレルという暫定的な数値を決定しました。それをたった1週間で、食品安全委員会が承認しました。またセシウムについては、飲料水・牛乳は200ベクレル、野菜・肉・魚などは500ベクレルという議論を食品安全委員会で行っていて、食品安全委員会は緩和の答申を出しました。私たちは、数値の緩和に反対する要請書を出して、食品安全委員会をけん制しています。児童・生徒の20ミリシーベルトの問題については、私たちも反対運動に加わっています。
政府のこの間の取り組みは、非常に不十分です。放射能汚染された物質の累積のデータが不十分で、実際の被害の状況はどうなのかの情報も不十分です。そのために情報公開を求めて、国会内で集会を開き、政府に突き付けていきました。
今後、懸念されるのは、環境への影響です。ヨウ素は半減期が短いのですが、セシウムやストロンチウムなどの半減期が長い放射線が、環境や生態系に及ぼす影響です。特に水生動物、魚類に関しては生物濃縮の問題があります。
被爆の年間許容量に関しては、1ミリシーベルト以内といわれていますが、これは容認可能との判断にすぎません。1ミリシーベルトでも、10万人に5人の死亡リスク、発がん性の問題があります。何としても、被ばく量を抑えなければなりません。
食品に関しては、安全基準の引き下げも心配しています。例えばポストハーベスト農薬のフルジオ・キソニンという農薬は、輸送途中の防かび・防虫剤に使えるということで、アメリカ産の果物に大量に使われています。これを日本に輸出する動きが、昨年から始まっています。あるいは食品添加物を、国際的に使われているからという理由で、政府が率先して承認拡大する動きがあります。これらの背景にはTPPがあります。アメリカのオバマ大統領が輸出政策を進めていますが、日本の市場に売り込むために、安全基準を引き下げたいのです。そのためにTPPの中で、非関税障壁として安全基準を引き下げようとしているのです。TPPは関税だけではなくて、安全の問題でもあるのです。
私たちの生存を巡る取り組み、日本消費者連盟は以前から、様ざまな領域で活動してきましたが、この間、さらに幅が広がっています。
こうした問題についてどうするか。直近の原発問題については、これまで原発に取り組んでこられた団体だけではなく、3・11をきっかけに立ちあがった人々とネットワークを作ることにしました。いま、様ざまな市民のネットワークが立ち上がっています。そうした団体と共に活動しています。
この問題は、有機農業にも大きな影響を及ぼしています。以前から地道に取り組まれている地域の活動、地産地消の運動を、今の状況の中で、どのように組み立て直していくのか。それが問われていると思います。
食品安全行政を巡っても、政府は様ざまなことを行ってきました。しかし、これが消費者や市民の目線に立っていない。そこで私たちが、自前で対抗的なシステムを作っていく、そうしたことも必要でしょう。その際には予防原則に立って、「想定外」などと言わせない立場で考えています。
また食料が国際化する中で、より厳しい完全基準を作らなければならないと考えています。TPP、FTA、EPA、WTOに対する市民側の取り組みが重要です。
食料主権の問題では、昨今の輸入拡大の中で、農産物の無原則な貿易自由化をストップさせる運動を、生産者と一緒に取り組んでいきたいと思います。
憲法で保障されている、安全に生きる権利、これが壊れている状況で、いまこそ運動を続けていかなければならないと思います。
石丸小四郎さん
私がいつも感じていることのですが、日本人は「資源小国」と言われると、その段階で思考停止してしまうのではないでしょうか。資源小国だから、原発を作るしかない。子どものころから長年にわたって、資源小国と刷り込まれていますから、再生可能エネルギーをどうするかという発想が無くなっていると思うのです。これからの課題は、そこにあるのではないでしょうか。
例えば、経済産業省との交渉で、再生可能エネルギーにもっと予算を付けて欲しいと要求しました。すると、「太陽光発電で原発1基分を賄うとすれば、山手線一円にパネルを張らなければいけない」と言うのです。私はそこに、重大なペテンがあると思うのです。それは、太陽光パネルは、広大な場所に設置するのではなく、屋根の上に1枚ずつ貼るのです。太陽光パネルを否定して、ペテン的な発想で、原発を作り続けてきたと思うのです。そのペテン的な発想に惑わされることなく、未来に向かって、再生可能エネルギーを、大胆に自信を持って作っていく必要があると感じています。
満田夏花さん
私たち1人1人の行動が重要なのだということを、訴えたいと思います。いま、本当にひどいことが、まかり通っています。原因はいろいろあると思います。そこには構造的な、あるいは癒着など、大きな闇があるのだと思います。それを追及していきたい。
追及するに当たって、ジャーナリストや一部の政治家に任せてしまうのではなくて、私たち自身が、確固たる意志を持たなければならないと思います。
20ミリシーベルト問題では、何の根拠もありません。政治的決断、政治主導で解決することができるのです。その政治家を動かせるのは、私たち国民です。テレビの報道を見て憤っているだけではなく、その怒りをぶつけていくアクションが必要だと思います。ぜひ皆さんにも、皆さんが選んだ政治家を突き上げて、この状況を変えていくアクションを取ってもらいたいと思います。
もう1つは、国際的な取り組みです。原発問題やエネルギー問題は、国際的に取り組むべき問題です。今回の活動に当てっても、国際的な力は、非常に強いと感じています。国内の御用学者、えせ学者は、百害あって一利なしだと感じています。一握りの良心的な学者たちが、頑張っているだけです。福島の子どもたちを心配しているのは、国内の御用学者ではなく、海外の学者です。
日本は多くの資源を海外に依存し、国際社会の一員として生き、国際社会の中で一定の役割があります。その日本を、いま、国際社会が支えてくれています。そのことを考えながら、活動していくことが大切だと思います。
山浦康明さん
私は、日本は資源小国ではないと思うのです。再生可能エネルギーの様ざまな取り組みが、今後も伸びていくと思います。ただそれに向けての、研究開発が行われてきませんでした。だから結果的に原発重視になりました。しかし原発には、多大なコストがかかります。今回の廃炉にする問題でも、莫大な費用がかかります。維持費も高いです。しかも原発の稼働率は低く、水力や火力を精一杯つかって夏の需要に備えています。そうしたエネルギー政策の問題点があります。
また、私たちの生活スタイルを考えましても、それほど電気を使う必要があるのかを、私たち自身が考えなければなりません。資源小国ということで恫喝されて、原発を容認してはいけないのです。
皆さんのお話を伺いまして、今日は憲法記念日ですから、国民主権ということを、もう一度思い起こさなければいけないと思うのです。原発の情報については、私たちは海外からの情報で問題点を知ることがあります。自分たちで情報をつかむと同時に、政府や自治体に対して情報を開示させる、そうしたことを進める必要があると思います。座して待つのではなく、動いていく必要があるのです。私たちは消費者団体として、様ざまな情報公開を求めています。しかし食品の問題で厚生労働省に情報を求めると、100ページの黒く塗られた情報が開示されるのです。これについては、再開示を求める訴訟を準備しています。取るに足りない情報なのですが、企業の利益にかかわる問題については、政府は公開しないのです。こういう仕組みがあります。これを打ち破る、アクションが必要です。
原発問題については、主権者として、エネルギーは原発に頼らなくてもいい。事故を起こした原発は廃炉にしなければいけない。停止しているものは、再稼働させてはいけない。もちろん新規に作ってはいけない。こうした意見をどんどん述べていく。そうした姿勢が、必要なのだと思います。
納税者として、私たちが考えなければいけないことがあります。これから復興に向けての政府の新新成長戦略を、しっかりと監視しなければいけないと思います。政府は放射線被害を少なくするために、リスク低減ということで、様ざまな政策を打ち出してくると思います。原発も、耐震構造を強化すれば大丈夫、津波に対しては堤防を高くすれば大丈夫、などです。これはゼネコンが作るのです。そうした予算が盛り込まれていく気がします。あるいは復興景気で、企業を優遇していく。そのために予算が使われます。また今回の事故の被害対策として、税金をつぎ込む、東京電力を救済する。こうしたことに、私たちは主権者として、納税者として、目を光らせて、厳しく監視しなければならないと思います。
【資料】 東京新聞 2011年4月1日(金曜日)朝刊
故郷危機 怒りと無力感
交付金特需→財政悪化→原子炉増設
雇用と引き替えに
福島原発の地元反対同盟 闘い40年 石丸小四郎さん
深刻化こそすれど、一向に収束の見通しが立たない、東京電力福島第一原発の事故。その原発の目と鼻の先に住み、原発反対運動を40年続けてきた男性がいる。福島県富岡町の元郵便局員石丸小四郎さん(68)。避難先で、「故郷を失って流浪の民になった怒りと悔しさを、原発を日本からなくす活動につなげる」と話す。(出田阿生)
石丸さんはいま、秋田市内にある姉のマンションに孫2人と身を寄せる。避難指示が出た自宅は、第1原発から約4キロ。富岡町の沿岸部は津波で全て流されたが、町内の高台にあった石丸さん宅は難を逃れた。
「だが、生きてるうちには二度と戻れないと覚悟した」
最近の新聞記事に「避難指示地域で発見された遺体は、高濃度の放射線に汚染されており、収容できていない」とあったからだ。亡き妻が気に入っていたログハウス、故郷の森…。もう一度見たい、といういちるの望みが消えた。
石丸さんは1970年代から原発反対運動を始めた。現在は「双葉地方原発反対同盟」の代表を務める。学習を重ね、放射能の怖さを身に染みて知った。自分たちが住んでいた町は、病院の中にある「放射線管理区域」と同じだと例える。
「放射能は痛くもかゆくもねえし、臭いもしねえ。地元のじっちゃ、ばっちゃには『被ばく量を測りながら入る仕事場と同じで、まま(飯)も食われねえ場所なんだよ』と説明するんだが…」
事故発生後、知り合いから「あんたは反対運動してたから『それみたことか』と思ってるべ」と言われる。
「けれど、そうじゃない。40年も反対して止められず、こんなことになってしまった。ものすごく無力感にさいなまれている」
石丸さんが富岡町に移り住んだのは64年。第1原発の建設工事が始まる直前だった。「原爆のことを考えたら、夢のエネルギーといわれても半信半疑」だった。後に双葉町長になって推進派に転じた岩本忠夫氏に誘われ、第2原発建設の反対運動に参加した。
しかし、反対運動はあっという間に切り崩された。
もともと、福島県双葉郡は産業がなく出稼ぎが多い。ところが原発建設が進んだ70〜80年代、地元は“原発特需”に沸き返った。喫茶店や居酒屋、下宿屋などが林立。町には交付金など数千億円が流れ込んだ。
「飲み屋の主人が『こんなに金もうけていいもんだべかな』というくらい。そのうち仙台のようになるといわれた」
子や孫が原発関連の仕事に就職するようになり、反対派は1人消え、2人消えしていった。
しかし、特需は建設工事が終わると去った。それにもかかわらず、地元自治体は体育館や温泉施設などをどんどん建設した。しかし、夢物語はいつまでも続かない。
「電源三法交付金は建設後10年もたてば急減する。借金と施設維持費で首が回らなくなり、財政再建団体寸前に陥った」
労働は過酷でも「戻る」
人件費削減→事故多発
悪循環止まらず
地元自治体が向かったのが、原子炉の増設だった。原発は地元民の働く場でもある。福島県双葉郡の6町2村で、人口約7万6000人のうち、1万人が原発関連の仕事に就いているという。今回の事故で避難したが「会社から呼び出しがあったら戻りたい」と話す人は多い。失業するわけにはいかないからだ。
「しかし、労働者たちは守られてるとは言えない。東電は一流企業と思われているが、一時は売り上げの2倍の借金を抱えた企業だ。特に2000年以降は修繕費と人件費を削り続け、事故が多発するという悪循環に陥っている」
原発は、設備投資やメンテナンスに膨大な経費がかかる。福島第1原発は、稼動当初から燃料被覆管に穴が開く事故や、配管の継ぎ目にひびが入る事故などが多発。専門家に「性能は実験炉なみ」と言われてきた。
原子炉を止めると1日1億円の損失が出るとも言われる。「なるべく損失を減らそうと定期点検の間隔を長くする。さらに点検期間を短縮する。そのために作業員は昼夜を問わぬ過酷な作業を続けることになり、危険にさらされる」
地元の下宿屋のおかみから「原発の仕事から帰ってくる人らが食事時に食べながら眠っている」と聞いた。最近では、東京で失業した若者が「清掃作業」の募集で福島に来てみたら、原発の仕事だと初めて知ったという相談も受けた。
労働の過酷さは協力会社と呼ばれる下請けの労働者にとどまらない。「東電の社員も合理化で、乾いたぞうきんを絞るように過重勤務だ」
石丸さんは「原発が抱える困難は全て放射能に由来する。発電のために湯っこ沸かすのに、なんで原子力なんて危ないもの使わなきゃいけねえんだべ」とつぶやく。
「日本は資源に乏しい国だから」という言葉が魔法の言葉となり、国民が思考停止に陥っていると感じている。
原発は“トイレなきマンション”。青森県六ヶ所村の使用済み核燃料再処理工場は止まったままで、使用済み核燃料の処理すらままならない。英仏で再処理された使用済み核燃料が日本に戻ってきているが、その中のごみにあたる高レベル放射性廃棄物をガラス固化する技術はうまくういっていない。埋没する場所も決まっていない。
現在の事故がうまく収束しても、処理には数十年かかるともいわれる。「いまの事故で放射性物質は東京にも流れていく。故瀬尾健助手(京大原子炉実験所)が福島での大事故を想定した試算では、首都圏で200万人以上が著しい健康被害を受けるという推計もある。自分たちだけは安全なんて場所はない」
「責任追及し原発なくす」
いま、石丸さんは生涯かけて成し遂げる目標を立てている。ひとつめは、刑事責任を含めた国と東電の徹底的な責任追及。そしてドイツのように国を挙げて「脱原発」の計画を立てさせ、原発以外のエネルギーへの転換を目指すこと。東電などの電力10社の寡占を防ぐため、一般家庭で複数の民間電力会社から購入先を選べるように自由化を進める。そして今回の事故について、国や東電に徹底した個人補償をさせることだ。
「何万年も消えない放射能だってある。原発災害ほど、世代間で不公平があるものはない。災害も喉元過ぎれば、とすぐに再開してしまうのが原発だけど、子供たちのために何とかしなきゃいけない。それほど日本人はバカじゃない」
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