くり返すなくり返すな!原発震災 つくろう!脱原発社会
福島からの上京団を先頭に6000人がデモ行進
●2011年6月11日
●集会 東京・芝公園23号地
●デモ 芝公園〜経済産業省前〜東京電力本社前〜銀座〜東京駅前〜常盤橋公園
6月11日(土)午後1時30分から東京の芝公園23号地で、「くり返すな!原発震災 つくろう!脱原子力社会 6.11集会」が開かれました。集会を呼びかけたのは、原水禁、プルトニウムなんていらないよ!東京、原子力資料情報室、日本消費者連盟、ふぇみん婦人民主クラブ、たんぽぽ舎、福島老朽原発を考える会の7団体です。前日から降っていた雨のせいか、開会時には公園内に空きがありましたが、デモ出発直前には満杯となり、主催者発表で約6000人が集まりました。
この集会は、3月11日の原発事故から3か月目を迎える6月11日に、全国各地で、また世界各地で100万人の参加を目標に同時行動を開催しようと呼びかけられた、「6.11脱原発100万人アクション」の一環として開催されたものです。
集会には、福島現地からもバス1台で40人が駆けつけ、現状を報告してくれました。また宮城県の女川原発に反対する女川原発反対同盟の阿部宗悦さんや、青森県の大間原発の建設に反対している「あさこはうす」の小笠原厚子さんからも、発言を受けました。
1時間の集会の後、参加者は、経済産業省前や東京電力本社前を通り、東京駅まで向かうデモ行進に出発しました。
壊れた原発の修復が一向に進まず、放射能は日々漏れだし、環境汚染は進み、子どもたちへの健康被害が懸念されます。こうした状況にもかかわらず、未だに情報を隠し、責任を逃れようとする日本政府や東京電力に対しての強い憤りを、福島の人々の発言から感じることができます。また関東一円で放射能が検出され、静岡でもお茶の汚染が判明しているために、集会の参加者からは、事故の終息へ向けた政府の一層の努力や、稼働している原発の停止を求める声が多く聞かれました。
3月11日以降の脱原発集会には、多くの海外の報道機関が取材に来ましたが、日本の新聞やテレビにはあまり取り上げられませんでした。しかし、今回の集会とデモには、国内の新聞やテレビが、多数取材にやってきました。各地で大きくなる脱原発の動きや、政府の対応に対する批判を、マスメディアも無視することができなくなったのでしょう。これは、反対運動の大きな成果だと思います。
以下に、集会での各発言者の発言要旨と、デモ行進の様子を撮影した写真を掲載しました。ぜひ、ご覧になってください。
主催者あいさつ
●藤本泰成さん(原水爆禁止日本国民会議事務局長)
皆さん、こんにちは。雨の中、ありがとうございます。
福島の原発事故、毎日、毎日、政府が発表する数字が変わります。IAEAに報告した中身も、私たちが知っていた中身とは、かなり違います。ウソといつわりで、原発はここまでやってきました。そしていま、事故が起きても、原発はウソといつわりで、塗り固められているのではないでしょうか。私たちはこの原発を、この日本から、地球から、無くさなくてはいけない。皆さんもそういう思いで、ここに集まられたのだと思います。
原発事故は人災です。5月1日に熊本で開かれた水俣病の慰霊祭の中で、患者の代表が、「経済優先の政策が、例を見ない、あの悲惨な水俣病を生んだ。そしていま日本は、経済優先の政策の中で原発災害を生んでいる」という趣旨の発言をされました。
私たち一人一人の命が、なぜこんなに軽んじられているのでしょうか。そういう思いに駆り立てられるのは私だけではない、そう思います。
戦前の日本では、「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ」と教えられて、戦場に駆り立てられ、殺されていきました。そして、そのたどり着いた先が、ヒロシマとナガサキの原爆投下だったのです。原水禁は、命の問題から運動を出発させました。しかし戦後の経済優先の政治の中で、いままた命が軽んじられています。私たちはもう、そのことを許してはならないと考えています。
皆さん、私たちの命、一人一人の命、そのことを基本にした社会を作り上げていきましょう。
いま、ここに来ても、「原発は安い」、「自然エネルギーは大きなコストがかかる」といいます。コストの問題で、命の問題を語ることは、もうやめようではありませんか。私たちの命の問題として、出発していこうではありませんか。原水禁は、ヒロシマとナガサキの原爆投下から出発して、本当に命が大切にされる社会を作りたいと思います。
6月1日まで、ドイツに行ってきました。ドイツでは、16万人が参加した脱原発の大集会に参加してきました。ドイツは2020年に、原発ゼロ社会を作ることを政府が決めました。私たちの政府は、何をしているのでしょうか。皆さんと共に、大きな運動を作りたい。私たちの命が、守れるようになるまで、皆さんと共にがんばります。
福島原発の現状について
●伴英幸さん(原子力資料情報室)
皆さん、こんにちは。少し時間をいただいて、福島原発がどうなっているのか、今後どうなるのか、そうした話をさせていただきます。
東京電力は、あの爆発が起きたにもかかわらず、原子炉の燃料が一部損傷しただけといってきました。炉心が溶けているのはほぼ明白でしたが、一部損傷という説明をしていたのです。
ところが2か月くらいたってから、極端に振れて、全面的なメルトダウン、メルトスルーといい始めました。メルトスルーとは、燃料が溶けて、圧力容器そのものを溶かして、溶けた燃料が格納容器の下まで落ちている、そういうことです。
本格的なメルトスルーが起きていれば、あの程度の事故で収まるはずはありません。これは解析、計算の結果で、極端から極端に振れています。そうしておけば、事故の真相が明らかになっても、その範囲で収まると思っているのではと推測します。実際には、真相は5年、10年は分からないでしょう。誰も、原子炉そのものの蓋をあけることはできないからです。そもそも原子炉に近づけていません。詳しいことが分からない現状の中で、そのような発表をしているのです。
ロードマップが発表されました。これは対策の方針です。対策については、燃料が溶けているのだから、格納容器に水を一杯入れてしまえば、燃料そのものが水に浸るだろうということです。チェルノブイリの石棺にあやかり、水棺ということを始めました。
ところが、水が入っていかないことが分かりました。水を入れても、入れても、格納容器から漏れていたのです。1号機から始めましたが、1号機については失敗だったのです。2号機・3号機については、これからの話で、手がついていません。送り込んだ水は、どこへ行ったのか。建物の下にあるということで、大変なお金をかけて、下から水をくみ上げて、放射能を除去して、原子炉の中に再び送り込もうとしています。いま除去装置が試験的に動き始めました。これが成功するかどうかは、分かりません。しかし成功しても、冷却を続けられる状態なだけです。
放射能を除去すると聞くと、綺麗になると思うかもしれません。しかし除去などできないのです。送り込む水が少し綺麗になるということは、汚染された放射能の塊ができるということです。放射能自体が、無くなるわけではありません。にもかかわらず、現状としては、そうした対応しかできないのです。
いま梅雨です。梅雨が終われば台風が来ます。台風で、大きな雨が福島を襲うと、どうなるでしょうか。すでに爆発で大量の放射能が環境中に放出されています。その爪痕は今も続き、広範囲に広がっています。東京でも、「ホット・スポット」といわれる場所が、いくつかできています。静岡あたりまで、汚染エリアが広がっています。福島第一原発に近いところは、もっと厳しい汚染状況です。
海への汚染も続いています。台風が来て、長雨が降り、激しい雨が降れば、非常に危険な状態になること危惧しています。相手が自然ですから、雨の降り方を調節することはできません。もし大量の雨が降り続いたとすれば、4号機の使用済み核燃料のプールに大量の雨や水が入り、持たないかもしれません。プールはダメージを受けています。そのプールが破損するようなことがあったら、あるいは亀裂や漏れる事態になったら、海に放射能を漏らす大きな事故につながります。そんな危険をはらんでいるのが現状です。
広範囲に汚染された状況があります。様ざまな放射性物質がありますが、例えばセシウムは、半減期が30年です。そうした汚染状況の中で暮らしていかなければならない。そうした状況に私たちはいるのです。命が脅かされているのです。にもかかわらず、政府や原子力産業は、これからも原子力発電を続けていこうとしています。私たちは、とても容認できません。
現在、37基の原発が止まっています。そのうち18基は、地震によるものと(政府が止めた)浜岡原発です。あとの19基は定期検査で止まっています。来年の5月までには、順次、定期検査で止まっていきます。これらの運転再開を認めてしまって、いいのでしょうか。福島を襲った地震・津波を想像しない、活断層を短く値切っている、あるいは津波を低く評価している、そういうところが狙われたのです。どこの原発も同じです。今までどおりの安全基準で、今までどおりの定期検査で、それを済ませれば運転再開でいいのでしょうか。ぜんぜん良くありません。
私たちは脱原発をめざしていますが、当面の課題として、一つ一つの原発を止めていくことを念頭に置いています。それを通して、脱原発の実現を勝ち取っていきましょう。
福島からの参加者の発言
●阪上武さん(福島老朽原発を考える会)
皆さん、こんんちは。今日は福島から40人の人々が、福島の声を東京の皆さんに届けたいということで、バスでやってきました。
ここに来る前には、東電に申し入れをしてきました。福島の人たちから、発言を受けていきます。
福島からバスに乗り、集会に参加した皆さん。
●鈴木浩行さん(福島県教職員組合・郡山支部書記長)
教職員組合ですので、私たちは学校に、いろいろな情報を流していかなければなりません。3月11日に大地震がありました。その後、続けざまに原発が爆発して、私たちの時間は止まってしまいました。毎日気にしているのは、放射線の線量です。計算すると2日半で、2ミリシーベルトを超えています。
その中で私たちは、子どもたちの被ばくを少しでも抑えるために、現場に色々な情報を流しています。各学校にある組合の分会には、FAXニュースを毎日流しています。放射線の問題や何が危ないかを知らせています。そうしたことを通して、子どもたちの安全に何ができるかを考えています。これからもよろしくお願いします。
●郡山から参加者した男性
3年前に東京に来て、子どもたちと、あそこの東京タワーに上りました。「またここに来よう」と話しました。しかし、こんなことで来ることになるとは思いませんでした。
今日、郡山から放射線測定機を持って、バスで来ました。ずっと測りながら来ました。郡山から東北自動車道を通ってきましたが、ほとんど計測値は変わりません。先ほど、経済産業省に申し入れをして、そこで測定しましたが、0.2マイクロシーベルトありました。この東京も、同じように汚染されているのです。ここでも測りましたが、0.1ありました。
福島だけの問題ではないのです。日本全体の問題なのです。日本全体で、皆でがんばらないと、第2・第3の福島が、必ず出てくるのです。私たちの力を合わせて、皆で声をあげれば、必ず原子力発電所を無くすることはできるはずです。
電気が足りないことは、どうにか工夫すれば、何とかなります。しかし原発事故が起きれば、工夫してもどうにもならないことが、たくさんあるのです。そうなる前に、皆で力を合わせていきたいと思います。
私は東京都民ですが、ほとんどの親族が福島県にいます。私自身も18歳まで、福島で育ちました。「原発は絶対に安全」と、刷り込まれてきました。私の親族の多くもそうです。何度も何度も繰り返す強い余震の中で、日々のことだけで精一杯の3か月を過ごしてきました。絶望と恐怖と孤立感で疲弊して、その思いを国や自治体や東京電力に訴えたいという気持ちはあっても、「早く安心してしまいたい」という思いもあります。
福島原発事故は、チェルノブイリと同じレベル7の大事故と報じられました。それでもなお「ただちに健康に影響はない」といわれ、さらに安心づけられました。「このままだと、深刻な健康被害にあうかもしれない」、「泣き寝入りするしかないかもしれない」という大きな不安の中で、放射線管理区域と同じような状況の中で、いまも生活しているのです。
そこで、首都圏在住の、福島県民の皆さんにお願いがあります。6月26日午後1時に、福島県庁前からJR福島駅前まで、1万人パレードを行います。「原発も放射能も、もうたくさん」というアピールです。子どもを放射能から守るために、原発と放射能にサヨナラを告げるメッセージをハンカチなどに書いて、お集まりください。ふるさと福島のために、1万人パレードの成功に協力してください。パレードの前に、イベントも行います。避難・除染活動・医療・食事によるデトックスなど、福島の人に限らず、放射能と向き合いながら、生活していく情報を共有する場にします。こちらにもお運びください。福島で子育てをしているお母さんたちが、少しでも明るい気分になれるような、会場にします。
詳しくは「子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク」のブログのイベント情報をご覧になってください。今日、チラシも持ってきました。受け取ってください。もちろん、福島出身でない方も大歓迎です。首都圏の皆さんの大きなパワーで、福島を後押ししてください。
「福島のために何かしたい、でも何がいいかわからない」と決めかねていた方、どうか6月26日に、1万人パレードの成功に、どうか力を貸してください。よろしくお願いします。
●渡辺さん(郡山市)
私は今年で28歳です。ほとんどを福島で過ごしてきました。言葉が聞き取りにくいかもしれませんが、よろしくお願いします。
「現実なのだな」という言葉が、最近よく頭に浮かびます。朝起きて、普通に仕事に行くのですが、それでも空気や地面は汚染されていて、「何でこんなことになったのだろう」と、本当に思います。自分は専門家じゃないし、良くわからないのですが、いま本当に願っているのは、一刻も早い事故の終息です。でも東電の前で申し入れをして、東電の対応を見て、現状を変えられるとは思いませんでした。現状を変えられるのは、ここに集まっている皆さんです。福島の人たちと、日本中の皆さんが力を合わせて行動していかないと、変わらないと思います。力を合わせて、がんばっていきましょう。よろしくお願いします。
いま福島県で、「放射能被爆から子どもを守るプロジェクト」(ハーメルンプロジェクト)を行っています。私の着ているTシャツの売り上げの一部を、活動資金に充てていきます。協力をお願いします。
●小林さん(東京都)
今回の震災でテレビの映像を見て、胸が張り裂けそうで、毎日泣いていました。いままでは、まったく社会の事に興味が無く、難しいことは大人に任せておけばいいと思っていました。
でも今は違うと思っています。一人一人が変えていかなければ、日本も世界も終わってしまうと思い始めました。そこで原発の事を調べるうちに、動物たちのことを知るようになりました。動物たちは原発の警戒区域の中で、ごはんをもらえずに、餓死していきます。大切に育てた牛などを死なさなければならない状況に、どうしてなったのでしょうか。
いま農家の人たちは、自分たちの育てた牛を、警戒区域の外で、生かして育てたいとしています。また犬や猫の救済も、みんなで訴えています。
私は何度か南相馬や郡山へ足を運ぶうちに、動物救済も、福島の皆さんの気持ちになった応援でなければならないと思いました。そこで調べて「放射能から子どもを守ろう」のデモの方と知り合いになり、「動物の救済を訴えさせてください」とお願いしたら、快く承諾していただきました。主催者の方に、「お子さんは何歳ですか」と尋ねたら、「自分の子どもはいません」ということでした。でも友達や、みんなの子どものためにやっているといわれたので、応援させていただくことになりました。
皆さん、動物のことも考えてください。動物も原発は、いらないのです。地球上の命は、みんな大切なのです。子どもも動物も、力の無い、声の無い命の事をお願いします。皆で助けてあげてください。お願いします。
●阪上さん
放射能から子どもたちを守る運動については、20ミリシーベルト問題があります。この撤回を求めて、福島の皆さんが5月23日に文部科学省に直接乗り込む行動がありました。文部科学大臣は、「1ミリシーベルト以下をめざす」と表明しました。ところがその内実は、内部被ばくは考慮しない、学校の外は考慮しない、3月の事故直後の被ばくは考慮しない、これからの学校の中だけで1ミリ以下をめざすというものでした。これではとても、福島の子どもたちは守れません。まだまだ私たちの運動が必要です。
また福島の線量の高い地域の皆さんには、いかに避難、疎開するかが問題です。それをどうやって、私たちが援助できるのかが、一つの大きな問題です。
福島の人たちが避難する妨げがあります。それは、アドバイザーという人たちが、「100ミリまでは大丈夫」という宣伝をしているのです。こうした人々が安全だと触れまわっていることを許しておくことはできません。この人たちを解任させなければなりません。その趣旨の全国署名がネット上でも、紙でも始まりましたので、皆さん、よろしくお願いします。
女川原発の現状
●阿部宗悦さん(女川原発反対同盟)
(*阿部さんは、喉の調子が良くないとのことで短い自己紹介をされ、その後に原子力資料情報室の澤井さんが、阿部さんの書いた以下のメッセージを代読しました。)
本日ここに、全ての原発を廃炉にするために結集された同志の皆さんに、女川原発反対同盟からの連帯のあいさつを送ります。
周知のとおり昭和20年、わが国の侵略戦争に対し、アメリカは広島・長崎に原爆を投下し、わが国は9月2日、戦艦ミズーリ艦上で無条件降伏文書に調印して、戦争は完全に終結するに至りました。
従って私も兵役から復員しましたが、広島・長崎の惨状を知る由もなく過ごす日々でありました。
しかし広島・長崎の惨状の報に触れて広島に出向き、街の惨憺たる風景を目前にして、唖然としました。次いで長崎にまいりましたが、原爆の傷跡、惨憺たる姿にただただ驚くばかりでした。そして戦争の後遺症が続く中で、自民党が原子力の平和利用と称し、原子力発電所計画を打ち出したことに反対し、私は原子力に平和利用などあり得ないという見地から、原発計画を阻止するべく、反対運動を組織し、以来、原発断固反対の旗を掲げて阻止行動を展開してきました。
自民党・電力資本は、町長・議員をロボット化し、この人たちを操り、ひそかに用地を買収しました。しかも漁業権の収奪、札束の攻勢がありました。原発計画を13年に渡って阻止したものの、ついに原発が建設されるに至りました。
しかし、私たちは、原発阻止の闘いは、これからが本番と心し、今日まで闘いを展開してきました。この間、全国を駆け巡り、ときには通産省科学技術庁への抗議、闘いのあり方の学習など、原発廃絶を求めて闘ってきました。
こうした中で、私たちの危惧していた福島原発が、3月11日の大地震・津波による大事故で、多くの人々を放射能で苦しめ、なお回復困難な状況にあります。この責任は全て、自民党の強権政治にあります。なぜなら私はこの間、原子力発電は百害あって一利なしとして、裁判闘争までしてきました。その中で、アメリカのスリーマイル島原発の大事故、ウクライナのチェルノブイリ原発での数十万人およぶ大事故を指摘したのに対して、わが国の原発は事故など起こるはずはないと、原発を強引に進めてきたことに、その責任があるからです。
しかるに自民党の強権政治が、いまこの事態の尻拭いをしている民主党に、大声で噛みつく様は、この犯罪性を隠ぺいするためでしかありません。従って犯罪者である自民党・公明党・小沢一郎グループ賛成の政治屋たちの議員を、私は原発反対の名のもとに、裁判所に提訴し、この犯罪を明らかにしていきましょう。
みなさん、がんばりましょう。
2011年6月11日 女川原発反対同盟 代表 阿部宗悦
建設中の大間原発の状況
●小笠原厚子さん
こんにちは。大間からきました。「あさこはうす」の小笠原です。いま大間原発は、一旦、工事は中止しています。中止というのは本工事の中止で、関係ない工事は粛々と続いています。
最初、大間原発が始まった頃、母の熊谷あさ子の私有地が、大間原発(建設予定地)のど真ん中にありました。原発計画の原子炉から50メートルの所に、私有地があったのです。でも買収ができずに、やむなく電源開発は、炉心を200メートル移動して計画して申請しました。
申請から間もなく電源開発は、(建設現場に通じる道路上にある共有地の明け渡しを求める)裁判に訴えました。平成15年に訴えられて、平成16年4月に結審の予定でした。それが、いろいろあって2年間延ばすことができました。電源開発の工事計画では平成17年に工事着工し、平成22年に稼働の計画でした。しかし買収できずに200メートル移動しましたから、工事再開が平成18年になり、稼働は平成24年になりました。土地が買収され、裁判が16年に結審していたなら、平成22年に、大間原発は稼働していたことになります。
今現在の工事状況は、原子炉は取り付けられましたが、燃料棒は入っていません。ただの箱です。大間原発に燃料棒を入れさせない、稼働させないために、大間で細々とがんばってきましたが、地元ではなかなか声を上げることができません。ですから、できるなら東京で皆さんが一緒に声を上げていただきたいのです。
裁判の後すぐ、電源開発が「あさこはうす」への新しい道路を設置しました。1キロもある道路を作って、周りは全てフェンスで囲ってあります。その道路は電源開発の道路ですから、「あさこはうす」へ行くことが少なくなれば、「道路を使用しないのではないか」として、道路を封鎖される可能性があります。そこで、私がいなくても、郵便局なら道路を使ってくれるのではないか、ポストを置いて道路を使ってもらおう、そういうことで、「あさこはうす郵便」を作りました。多い時では、朝夕2回来てくれます。宅配便屋さんなども来てくれます。そういうところに電源開発は、原発を作ろうとしています。
そこでは、色々な人の命が動いています。命の尊さを、軽んじているのか。私一人の命も、東京の人の命も、命の重さは一緒だと思います。これ以上、原発は作らないでほしい。いまの原発に対しても、子どもたちは、「原発を作っていい」とも「いけない」とも、一言もいっていません。それなのに子どもたちは、これから原発を背負っていかなければならないのです。これは大人の責任です。
私たちがお詫びをして、どうやって子どもたちを守っていくのか、一緒に考えながら、原発を作らせない、子どもたちに負担させないことを考えながら、がんばっていきたいと思います。
そして母は、35年間、あの土地を売らないで守りました。難しいことは分からなかったと思います。ただ、子どもたちを守りたい、海を守りたい、そのことだけを思って、守ってきたのだと思います。これからは私が守っていきます。みなさん、協力をお願いします。
呼びかけ団体から
●山浦康明さん(日本消費者連盟)
呼びかけ団体の一つとして、連帯のあいさつをさせていただきます。日本消費者連盟は、1969年の創立以来、「健やかな命を未来へつなぐ」を合言葉に、私たちの身の回りに起こる様ざまな消費者被害問題にとりくんできました。40年来、反核兵器、反原発運動にもとりくんでいます。
この度の福島第一原発の事故は、私たちが以前より懸念していた原発の大災害が現実に起きてしまった、大変に驚愕な事態です。この事故は、直接の被害者を生みだしただけではなく、海や大気など自然を放射能まみれにし、地球的規模で最悪の公害を引き起こしました。私たちは消費者運動として、公害問題にとりくんできました。今回の未曾有の被害は、公害問題としても考えなければならないと思います。
こうした問題に対して私たちは、次のような問題を提起して、とりくみたいと思います。
原発依存のエネルギー政策を転換し、すべての原発を停止するべきです。浜岡でのプルサーマル、六ヶ所村での再処理など核燃料サイクル計画をただちに中止すべきです。
また地域需給を基本とした、持続可能なエネルギーの開発促進が必要ですが、これが大規模施設になると、新たな公害問題が引き起こされます。そうならないように、各地の人々の意見を聞いて、こうした政策を進めていく必要があります。
原発事故による被害は、今後も拡大していきます。これは全て、東京電力が賠償しなければなりません。いま国は、何兆円ものお金を東京電力につぎ込んで、賠償にあてようとしています。とんでもないことです。
生産者に何の落ち度もないのに、放射能に汚染された農水産物が生産されてしまいました。高濃度の物はしっかりと管理し、処分しなければなりません。そうではないものは、私たちが消費者として購入し、支えるという運動もありえます。その場合には、消費者、とりわけ乳幼児、子ども、妊産婦への安全性を確保することを最優先にしなければなりません。
今考えているのは、汚染された農産物を消費者が買い取り、これを東京電力に送りつけ、賠償を求める、裁判を起こすということです。皆さん、よろしくお願いします。
情報公開が、未だに不十分です。メルトダウンも、最近になって、やっと発表しました。情報公開を徹底させるべきです。そのためには私たちも、自主調査運動を拡大し、情報公開を徹底させたいと思います。
また従来から見られた地域独占の電力体制を改め、発電・送電・配電にかかわる企業は分離し、再生可能エネルギーの普及に役立つようなシステムに、作り変えていかなければなりません。
原発問題に携わってきた人々や、住民の健康問題を重視しなければいけません。健康調査を全関係者に行って、安全対策を徹底する、被ばく労働の撲滅や、住民の保護に努める必要があります。
また遺伝子組み換え食品反対運動にとりくんでいますが、今回の原発事故と、遺伝子組み換え食品は、根っこは同じです。一旦事故が起これば、人間の手には負えない、取り返しのつかないことになるのです。一部の企業に支配されるエネルギーと食。こうした問題に対して、私たちは当たり前に生きる権利を取り戻すために、皆さんと一緒にがんばります。
呼びかけ団体から
●山口泰子さん(ふぇみん婦人民主クラブ)
みなさん、こんんちは。婦人民主クラブは1946年の創立です。平和で男女の平等、皆が安心して暮らせる社会をめざして、活動を続けてきました。原発問題に関しては、1950年代に日本で原発が立てられようとするときから、私たちはそのことに疑問を持って活動を続けてきました。
それなのに、3月11日の惨事です。私たちはどうして、これを止めることができなかったのか。その悔しさをかみしめました。私たちが、何度も何度も、国に対して原発の危険性を訴えましたが、それに耳を貸さなかった政府に対して、深い、深い怒りを持っています。
そしていま、ふぇみんとしましても、全力を挙げて運動に協力しています。3月22日には、ふぇみん婦人民主クラブとして、事故の安全な終息と、エネルギー政策転換を求める要請書を提出しました。また厚生労働省から子どもたちの被ばくに関するパンフレットがでていますが、それは政府が指定している地帯以外であれば、全く安全であるかのような文章なのです。4月には、それに対する抗議と訂正を申し入れました。このパンフレットについては、厚生労働省が管轄する施設に、大量に配られています。このような安易な態度が、いまの政府の20ミリシーベルトなら大丈夫という姿勢につながっていたのだと思います。
それから私たちは、月に3回、「ふぇみん」という新聞を発行しています。それには3月11日以降、様ざまな角度から原発震災について、あるいは大震災について、人々が苦しんでいる状況をできるだけ多くの人たちに伝えるために、特集を組んでいます。また女性の立場から、避難所に必要なものの記事や、母乳に残留しているかもしれない放射能の計測をしている人たちを紹介しています。
いま自衛隊が、災害地域、原発地域に支援に出ています。私たちは自衛隊に対して、疑問を持っています。そこで6月18日に、「災害と自衛隊」というテーマで勉強会を行う予定です。7月にはシンポジウムで、「東日本大震災以後の社会を、私たちはどう作っていくか」ということを話し合いたいと思っています。
様ざまに、皆さんと一緒に、原発の無い社会、安全で安心して暮らせる社会をめざして、がんばっていきたいと思います。よろしくお願いします。
呼びかけ団体から
●柳田真さん(たんぽぽ舎)
23年間、原発をやめようと活動してきました。合わせて23年間、食品の放射能汚染の問題を行ってきました。たんぽぽ舎は今日、こちらと新宿の2つの会場に参加しています。両方に旗を立てています。その目的は、従来から脱原発でがんばってきたグループと、新しい高円寺や素人の乱などで若い人や女性ががんばっている、この2つの動きを大きくつないで合流させて、やがては3万人、5万人、ドイツのように20数万人のデモを作る、そうした役割を果たしたいと思っています。もちろん、6時からの集会には神奈川の集会に参加しているメンバーも含めて参加します。
私は、この運動をどのように拡げるかという点に絞って、2つの実践と提案を述べたいと思います。1つは、自治体議員市民連盟を作ったことです。2つは、共同のスペースを設けて盛り上げようということです。
自治体議員市民連盟は、今年の5月に、全国から230人が集まって、結成されました。いま3つの行動を行おうとしています。1つは浜岡ツアーです。バスで80人での現地への応援です。2つは全7回の連続講座です。3つは議員と市民が一緒になって、自治体での食べ物の放射能測定。合わせて電気を東京電力から買わないで競争入札で安くする。立川で成功し、1700円も安くなりました。こうしたことを、地元の議員と一緒になって、地元で電気料金を下げる、そして地元の役所で放射能測定をさせる。そうして全国の自治体と市民で、運動を盛り上げたいと思います。
2つめは、共同のスペースとして60畳を、6月21日から借ります。年間1千万円で2年間、私たちには荷が重いのですが、これくらいのことをやらなければ、原発を止める運動はできないという思いで、始めます。1年中使える部屋です。私たちだけではなく、共同のスペースとして、皆さんに利用してもらって、連続した学習会や、音楽や絵画展など、いろいろなことをしたいと思います。たんぽぽ舎の下の階です。21日には、「原発無くてもこの夏は大丈夫」という講演を行います。これを、相手側の資料を使って、タンポポ舎の山崎さんが説明します。22日には、素人の乱の松本さんをお呼びして、オープン式を行います。
(*柳田さんのご発言の途中で、テープが終わってしまいました。申し訳ありません。)
会場の様子 |
集会中の会場の様子を紹介します。今回の集会では、スタッフとしてバタバタ動いていたために、あまり写真を撮ることができませんでした。本当はスタッフとしても、あまり役には立っていないのですが…。 |
●オープニングは、生田卍さんです。まだ小雨が降っていたので、テントの中での演奏になってしまいました。 ●司会は、高木章次さん(プルトニウムなんていらないよ!東京)です。 ●直前まで雨が降っていたせいか、開会時には会場内に空きがありました。東京でも高い放射線量が検出されています。雨の時には心配です。これからの集会も、雨にたたられることはあると思います。みなさん、濡れないように十分注意してください。 ●毎回、大きな横断幕を持って参加してくださる、杉教組の皆さんです。 ●こちらは、福島からの参加者です。 ●原発反対でがんばっている各地の発言に、会場からは大きな拍手です。 |
デモ行進の様子 |
出発地点の芝公園から解散地点の常盤橋公園までは、4キロ以上ある長いデモコースです。40代の僕の足でも、結構疲れます。それでも皆さん、最後まで元気に「脱原発」をアピールしました。 |
●経済産業省の前です。プラカードを掲げてシュプレヒコール。 ●中間地点の、日比谷公園の前あたりです。そろそろ疲れが…。 ●楽器を持参し、デモを盛り上げてくださる方も、たくさんいらっしゃいました。後ろに3本立っているモモ太郎旗は、右から「日大全共闘」、「芝工大全学闘」、「明大土曜会」と書かれていました。最近、全共闘世代の先輩たちがたくさん参加しています。 ●鯉のぼりに「海を放射能でよごすな!」の文字。 ●こちらは、横断幕をご持参で参加です。 ●好評で、すぐに無くなってしまうプラカード。増刷を続けています。 ●こちらの女性のスカーフ、お手製がそうです。こういうグッズをはやらせたいですね。 ●東電本社前にやってきました。 ●プラカードを掲げて、「東電は事故の責任をとれ!」「原発はいらない!」とアピール。 ●そろそろ銀座にさしかかりました。 ●こちらは、今回はじめてさんかしてくれた、打楽器隊の皆さんです。(ごめんなさい、正式な名前がわかりませんでした) ●楽器を台車に乗せて演奏です。 ●銀座の交差点では、たくさんの人たちが注目してくれました。 ●海外のメディアも、たくさん取材に来てくれました。 ●平和フォーラム・原水禁の加盟組織の皆さんです。 ●こちらは全労協の皆さん。今回のデモには、労働組合からも、たくさんの方々が参加してくれました。ありがとうございます。 ●各地のデモに参加した人たちが、6時ごろから新宿駅前に集まってきました。3〜4台用意された宣伝カーからの演説や、バンドの人たちの即興演奏、ハンドマイクを持っての個人の演説など、様ざまな人たちが、思い思いに原発反対を訴えていました。 |