2012年10月 普天間基地を封鎖した沖縄の人々 



●県民大会実行委員会によって行われた野嵩ゲート前の早朝抗議集会。連日、県会議員や市町村長を先頭に、200人を超える人々が集まりました。

 防衛省は9月26日に沖縄県に対して、MV‐22オスプレイを9月28日にも宜野湾市にある海兵隊普天間基地に移転させることを通告しました。オスプレイは7月23日に山口県の海兵隊岩国基地に陸揚げされていましたが、沖縄の人々の強い抗議によって普天間基地に移転することができないでいました。沖縄に上陸した台風の影響によって28日の移転は延期されましたが、10月1日に6機、2日に3機、6日に3機が普天間基地に飛来し、1個飛行隊12機の編成が完了しました。
 こうした日本政府と海兵隊のオスプレイ配備の強行に対して、普天間基地周辺では様ざまな抗議行動が行われました。9月9日に10万1000人が参加した「オスプレイ配備に反対する沖縄県民大会」の実行委員会は、超党派の県議会議員や市町村長を先頭に、9月26日から10月2日、朝7時から8時まで、普天間基地の野嵩ゲート前で連日の抗議集会を開きました。
 宜野湾市議会議員団は、普天間基地の各ゲート前での抗議行動を行いました。
 沖縄平和運動センター・沖縄平和市民連絡会・嘉手納基地爆音訴訟団・普天間基地爆音訴訟団の4団体は、9月26日から10月5日の間、朝8時から夕方6時まで、ゲート前での座り込みを行いました。さらに夕方6時から8時までは、平和運動センターが集会を行いました。
 普天間基地に出勤する米軍兵士の車の前でプラカードを掲げて車を止める、ゲートに向かう車列に自分の車を進入させて低速走行するなど、市民たちは様ざまな手段で基地の機能を止めようと試みました。こうした中で9月28日には座り込みによってメインゲートである大山ゲートを封鎖し、29日・30日の両日には、基地の全てのゲートを封鎖することに成功しました。
 全ゲート封鎖という事態に対して日本政府は、9月30日の午後から沖縄県警の機動隊を投入し、基地前に座り込む市民を強制的に排除しました。本土のメディアでは報道されませんでしたが、同日夕方6時過ぎから約6時間にわたって、野嵩ゲート前で座り込みを続ける200人余りの市民・労働者と、強行排除しようとする県警との間で、壮絶な闘いが繰り広げられました。
 座り込みによる基地封鎖は県警によって解除されてしまいましたが、市民や労働者は10月1日以降も闘いを継続し、基地周辺で座り込みを続けるとともに、凧や風船を上げるなどしてオスプレイの飛来を止めようとしました。また市民や労働者の抗議行動を排除しようとする県警の阻止線が、米兵の通行を妨げる事態となりました。
 こうした抗議にもかかわらず、オスプレイは配備され、飛行が開始されてしまいました。しかし沖縄の人々が集会やデモで意思表示をするだけではなく、非暴力直接行動で基地機能を停止させたことは、日米政府に大きな打撃となったでしょう。
 台風のために搭乗を予定していた羽田―沖縄便が欠航になり、9月30日夜の座り込みには間に合いませんでしたが、10月1日から5日まで、ゲート前の行動に参加し、その様子を写真に収めてきました。以下はこの5日間の沖縄の人々の闘いの記録です。



●早朝集会の参加者。多くの市民や出勤前の労働者が参加しました。



●早朝集会であいさつする照屋寛徳さん(衆議院議員・社民党)。


 


●糸数慶子さん(参議院議員・社会大衆党)。



●崎山嗣幸さん(県議会議員・社民党)。


 


●首長や各界からのあいさつが続きます。


 


●ゲートを逆封鎖する沖縄県警の機動隊員たち。


 


●機動隊の後ろには、基地警備につく日本人従業員と海兵隊員の姿が。

 


●基地近くの公園では、凧を飛ばしてオスプレイの飛来に抗議しました。


 


●1機の値段が50億円から60億円とも言われているオスプレイを、500円の凧で阻止しようと言う試みに、多くのマスコミが取材に来ました。

 


●風を受けた凧は、フェンスを越えて基地の中へと上がっていきました。


 


●地図を使って、凧の位置を説明する山城博治さん(沖縄平和運動センター事務局長)。

 


●私たちが凧あげをしていると、米軍兵士が集まって来ました。



●威嚇のつもりでしょうか? そばに来てカメラとビデオでこちらがわの撮影を始めました。



●野嵩ゲート前では、7時から8時は県民大会実行委員会、8時から6時は4団体、6時から8時は平和運動センターと、1日12時間を超える抗議行動が続きました。




●「ノー・オスプレイ! マリーン・ゴー・ホーム!」。米兵の車両が出入りするたびに、声をからして叫び続けます。



●急いでウィンドーを閉める、眼を合わせないようにまっすぐ前を見る、うつむく、ニヤニヤしながら見返す・・・。米兵の反応は様々でしたが、自分たちが沖縄に歓迎されていないことは伝わったのではないでしょうか。

 


●「なぜ県民ではなく、米軍を守るの?」。女性参加者の問いかけに、警察官たちは答えることができませんでした。

 


●嘉手納基地爆音訴訟団事務局長の平良眞知さん。ゲート前を通る沖縄の人々に、オスプレイ配備の撤回を訴えています。




●プラカードを手に、車へのアピール行動。


 


●糸数さんは連日の行動に参加されました。また9月30日の夜には野嵩ゲート前で市民と共に座り込み、機動隊にごぼう抜きにされました。




●ヘリ基地反対協・共同代表の安次富浩さん。訓練を開始したオスプレイは早速、辺野古の上空にも飛来しました。
 


●多くの人たちが連日の行動に参加し、思い思いの方法で、オスプレイ反対を訴えました。




●宜野湾市市議会議員団の皆さん。



●犯罪を犯した米兵は、基地に逃げ込めば日本の警察には捕まらない。しかし基地の敷地内で座り込んだ沖縄の人々は、日本の警察に排除されてしまう…。日米安保と地位協定の矛盾が、今回の抗議行動で一層明らかになりました。

 


●抗議行動への参加者を撮影する海兵隊員。

 


●米兵の自家用車だけではなく、先頭車両もゲートを通過していきます。

 


●普天間基地に向かってシュプレヒコール。


 


●元宜野湾市長の伊波洋一さんから、普天間基地と国内法の関係について解説してもらいました。


 


●ミュージシャンの海勢頭豊(うみせど ゆたか)さん。海勢頭さんはかつて、キャンプ・ハンセンでの実弾砲撃演習抗議行動をテーマにした「喜瀬武原」(きせんばる)という歌を作りました。「オスプレイの配備を止めて、この闘いをテーマにした歌を作りたい」と発言しました。




●10月5日野嵩ゲート前では、大型の風船を上げて、オスプレイの飛来に抗議しました。


 


 


●岩国基地から普天間基地へ移転してきたオスプレイは、さっそく飛行訓練を開始しました。宜野湾市民の上空を飛行し、北部訓練場に向かっていきます。尾翼を赤く染めているのは、隊長機の印です。


 


●KC−130空中給油機。普天間基地の所属機も、タッチ・アンド・ゴーをくり返しています。


 


●CH−46ヘリコプター。来年にはこの機が所属する飛行隊も、オスプレイに転換されます。


 
 

●普天間基地そばのビルから、滑走路を見てみました。手前にあるのがオスプレイです。



●統一行動最終日の10月5日午後6時。ゲート前には市民や労働者が集まって来ました。

 


●10日間の抗議行動を総括し、今後について語る、普天間爆音訴訟団団長の島田善次さん。




●一連の闘いを支えた、嘉手納訴訟団事務局長の平良眞知さん。



●労働組合からも、闘いを継続する決意表明が行われました。

 


宜野湾市議会議員の桃原功さんと、玉元一恵さん。

 



●日が落ちてからも、空に浮かぶ風船。
 
写真・文章ともに八木隆次。
このページに限り、写真の使用に当たっては、八木隆次のクレジットを記載してください。

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