評価書搬入阻止闘争の報告と2012年の運動課題
山城博治さん(沖縄平和運動センター事務局長)
●日時 2012年1月8日
●場所 東京 平和フォーラム会議室
沖縄平和運動センター事務局長の山城博治さんが、1月8日に東京にいらっしゃいました。
昨年末に沖縄防衛局は、辺野古新基地建設に関する環境影響評価の評価書を強行提出しました。山城さんは12月26日から1月5日まで、連日泊りがけで提出阻止行動にとりくみました。上京した機会に、山城さんからお話を伺いましたので、ここに掲載します。
評価書の提出阻止行動
野田佳彦首相が対米交渉の中で、普天間基地問題をどうするかということで、環境影響評価(アセスメント)の評価書を年内に提出すると言いだしました。そのため11月に入ると、玄葉光一郎外務大臣や一川保夫防衛大臣が相次いで沖縄に来て、仲井真弘多県知事を訪ねました。前原誠司議員もやってきました。また玄葉外務大臣はアメリカを訪問してクリントン国務長官と会って、日米合意を踏襲すると表明しました。その辺から、年内の評価書提出という流れが決まってきたのだと思います。
ですから私たちは年内提出を想定して、運動を組み立てました。12月26日から28日の3日間が最も危ないだろうということで、「基地の県内移設に反対する県民会議」として行動を配置したのです。朝7時30分に県庁前に集合し、8時30分に県庁が始まると同時に、県庁の全ての出入り口に人を配置して、沖縄防衛局が入って来ることを止める警戒行動を行いました。しかし県庁の出入口は地下だけでも5〜6か所あり、地上には東西南北とあります。ですから人を分けて、出入り口を警戒するだけでも大変でした。さらに突破された場合は提出先部局のある4階で止めようと、4階の廊下にも人を配置しました。その成果もあり、12月27日に来た時には、追い返すことができたのです。
27日の夕方に私は、もう明日1日しかない、防衛局の狙いは今夜になると考え、「徹夜の行動になるかもしれない」とみんなに言っていました。そうした話をしているうちに、「担当部長に会ってみよう」ということになりました。部長と話をすると、「夜に受け取ることは無い」と明言したのです。そこで「夜の行動は無し」としました。しかし私の高江での経験からすると、そんな防衛局ではありません。ですから私は、車で待機していました。マスコミも待機していました。県内だけではなく、朝日新聞や読売新聞など全国紙の記者もいました。
早朝4時ころ、沖縄防衛局はやってきました。私が気付いた時には、すでに搬入が始まっていて、駆けつけると、荷物を置いて立ち去る職員とぶつかりました。「なにしてるのだ」と大声を上げたのですが、押し倒されるような状態になりました。向こうも必死でした。必死の形相で「山城さん、止めましょう」と言うのです。恐らくマスコミに見られたくなかったのでしょう。騒ぎを作らないとい前提での行動だったのだと思います。大騒ぎになって報道されたことが、彼らにとっては誤算となったようです。
沖縄防衛局は5台くらいの車で、20人以上で来ていました。1人が1つの段ボール箱を持って、一度に搬入しようとしていたのです。評価書は24部を用意していましたが、16部を搬入したところで私が気付いたので、8部は持ち返ってしまいました。追いかけていくと、沖縄防衛局の真部朗局長が車の中に座っていました。私が「真部、お前か」と言うと、沖縄防衛局の職員が私を後ろから羽交い締めにして、その間に真部局長の車は行ってしまいました。その時の映像が撮影されたので、良かったと思います。
27日の深夜にそうしたことがあって、残りの8部を搬入させないために、28日から1月4日まで、夜通しの警戒行動になりました。県民会議の行動は28日までとしていましたから、28日の夜からは市民の一人一人の行動でした。私も激励に行ったのですが、「山城さんも一緒に」と言われて参加することになりました。
1月4日には、搬入された評価書が開封されました。アセスメントの評価書は、法令部分については最低1部あればいいようです。さらに県条例部分が20部です。ですが16部しか来ていません。私たちは、最低でも21部がそろってから受け付けるべきだと主張しました。しかし県側は、28日に大部分は受け付けたので、後は補正を求める、28日の受け付けは有効という解釈をしました。この日を起算日として90日間で、3月末には知事意見書を出すことにしたのです。
国からも強く圧力がかかっていたようです。アセス法の改正が行われて、4月に改正法が施行されます。この改正アセス法では、環境大臣の意見が付されることになるのです。ですから国はどうしても12月中の受け付けで、3月中に知事意見を提出させたかったのでしょう。
一方、条例部分は知事意見の提出期限は45日ですから、日程に余裕があります。ですからこちらは29日の受け付けになりました。
手続きについて幾つかの疑義がありますが、知事はそうした問題指摘を一向に受け止めようとしませんでした。おそらく知事は、年内の受け付けを防衛省と約束していたのでしょう。年末に受け取っても、審議のスタートは年明けの4日以降になり、1週間のロスになります。本来であれば、十分な知事意見を書くために、期間が長いほうがいいのです。しかし、そこは構わないと判断したのだと思います。仲井真知事は、内々には、年明けの受け付けを国に言っていたようです。しかし国からのそういう締め付けがあったのだと思います。
ところが開封して確認作業に入ると、5日になって、知事意見や住民意見の部分など80ページ分が抜け落ちていることが分かりました。防衛局の言い分は、単純なミスということで、実際に不足部分は5日に提出されました。しかし私たちは、県知事意見や住民意見が抜け落ちている評価書は、そもそも受け付けられないはずだという論を張りました。つき返せと求めたのですが、県側は重大なミスではないという認識でした。
アセスメントのうち、法令部分を扱うのは、県の土木建築部です。彼らは国側から、「既にスタートしている」という脅しを受けています。土木建築部は、どのような事態が起きても、起算日を変えたくないと汲々だったのです。ですから28日受け付けとしました。
一方、県条例部分を扱うのは、環境生活部です。環境生活部長は、少し憤っていたようです。知事意見や住民意見を欠落させるのはいかがなものか、受け付けないと言ったのです。不足分が届いたのは5日ですから、受け付けも1日延ばして29日となりました。こうして法令部分は28日受理、県条例部分は29日受理と、県としての対応の足並みが揃わないことになりました。
4日の夜には、形式論での評価書阻止闘争は組めない、これからは中身の議論をしようと提起して、皆さんに了解してもらいました。
次は意見書の中身を県に公表させて、何が問題かを確認したいと思います。本日の琉球新報、沖縄タイムスともに、何面もの紙面を使って特集を組んで、評価書は評価書たりえないとしています。このような特集が、しばらく続くでしょう。特に琉球新報については、執念すら感じる取材です。田中聡沖縄防衛局長の発言をすっぱ抜いたのも琉球新報です。ですから沖縄防衛局からは目の敵にされて、記者会見からも締め出しをくらっています。
評価書が県庁に持ちこまれるといわれた12月26日から、編集部が移動したのではないかと思われるほど、多くの記者が張り付いていました。12月28日の未明の搬入で私が防衛局とぶつかった映像がありますが、あれは琉球新報の映像なのです。映像も含めて、万全の態勢で待っていたのです。こうしたマスコミの努力で、県民の世論が盛り上がっていくでしょう。マスコミの皆さんに期待したいと思います。
私たちは県の部長たちと協議して、いくつかの約束を取りつけました。この後、それを文書化して、実際に約束をどのように履行するのかを確認しなければなりません。約束は、評価書を公開すること、審査会を公開すること、審査会での専門委員の意見も文書化して公開すること――などです。こうして透明化を確保します。それが、県民が県政を支援することにもつながります。
評価書の公開については、ホームページに掲載するのかどうかは検討させてくれと言っています。技術的な問題もあるのでしょう。おそらくコピーした文書を県庁において、閲覧するようになるのではないでしょうか。
また私たちの意見反映をどうするかということです。この問題は、これからです。県側は意見反映について、十分に検討しますと言っています。住民意見を反映させられるかどうかは、問題がどれだけクローズアップされるかによると思います。クローズアップされた問題は、県も意見書に記載しなければならないでしょう。しかし私たちの主張が全部入るということは、難しいと思います。私たちは運動体として運動を作って、世論として反映させなければならないと思います。
最大の問題はオスプレイの配備です。恐ろしい欠陥機のオスプレイが、宜野湾市民10万人の頭上を飛ぶ。あるいは沖縄本島の上を飛ぶ。墜落するかもしれない恐怖があります。本日の沖縄タイムスが特集を組んでいますが、オスプレイの飛行経路などについては、評価書には十分に記載されていません。新しい基地が建設される大浦湾の上空だけを飛ぶような航路図です。冗談ではありません。普天間基地のヘリコプターは、普天間基地の上空だけを飛んでいるでしょうか。自由自在に飛んで、自由自在に訓練をして帰って来るのです。ですから大浦湾の上空だけ飛ぶなどないのです。しかし評価書では、そう書いてあります。また、その周辺で多少騒音が大きくなるとしているだけです。普天間基地のヘリコプターの飛び方は、所構わずです。決められた周回航路など、守られていません。辺野古にオスプレイが配備されれば、辺野古から高江に行き、名護の市街地を飛んで伊江島に行き、宜野座の方向からキャンプ・ハンセンに行って訓練するのです。またジュゴンはもういないとしています。
そういう内容を、これから皆で議論して、協議していきます。膨大な意見が出てくると思います。政府は、問題はないと押し切るのでしょう。知事意見に対しても適当に回答して、6月には埋立申請を行うのだと思います。その時には、間違いなく怒りが沸騰します。何万人もの集会を行うことになるでしょう。
しかし集会だけでは、埋め立てを止めることはできません。問題は、大衆運動を高揚させることで、知事が埋め立て認可を迫られる時に、「ダメですよ」、「あなたのクビはありませんよ」と認識させることにつなげていくことです。知事が許可しない運動を作る戦略を描いていきたいと思います。
高江のヘリパット建設
週が明けた1月10日には、高江に沖縄防衛局が入るかもしれません。ですから明日1月9日には、伊波洋一さんの宜野湾市長選挙の出馬表明がありますが、それが終わったら、私は高江に行こうと思っています。
昨年の11月に高江での工事が再開された時には、非常に厳しい状況でした。「山城を逮捕しろ」という方針があったのかもしれません。県警のカメラが3台とか5台とか回っていて、私がトイレに立とうと思ったら、県警が20人くらいついてきました。決して目を離さないぞという感じでした。田中発言もあって、こういう防衛局と一緒にやっていていいのか、という悩みも県警にはあるでしょうから、少しは変わって来ることを期待しています。
しかし県警と沖縄防衛局は、2月以降ずっとつめていますから、そう簡単には方針は変わらないかもしれません。住民を排除して、やっていこうということかもしれません。警察には、1月、2月のように第3者的立場でいてもらう要請をしたいと思います。
宜野湾市長選挙
こうした状況の中で、宜野湾市長選挙が2月5日告示、2月12日投票で行われます。伊波洋一さんが立候補します。相手陣営は、総力をあげてくるでしょう。おそらく自民党の戦略は、2月の宜野湾市長選挙で勝ち、6月の県議会選挙で与野党逆転を果たし、そのことで仲井真知事を方針転換させるということでしょう。逆にいえば、私たちも宜野湾市長選挙に勝ち、県議選に勝ち、仲井真知事の態度が変わることを止めていかなければなりません。
宜野湾市長選挙では、相手側の候補も基地建設には反対しています。ですから、既に「争点なき選挙」といわれています。私が出た参議院選挙も、知事選挙もそうでした。今度の市長選挙も争点ボカシです。県議会議員選挙でも、自民党の議員たちも「反対です」問ういでしょう。しかし彼らが多数を握ったら心配です。
自衛隊の与那国配備
与那国への自衛隊配備に関しては、予算が通ればすぐにも、土地の買収や基地建設が始まるかもしれません。そうした中で与那国の人たちは、住民投票を実施すると言っています。住民投票に力を貸してくれという依頼も来ています。ですから平和運動センターとしては与那国の皆さんの助けになるように、名護市民投票の経験がありますから、名護市民投票でがんばってくれた人を、与那国に派遣しようと思っています。
住民投票が行われれば、自衛隊の誘致反対派の方が多いのです。それで流れが止まるかはわかりませんが、有効な手立てとして行っていきたいと思います。
いま5・15平和行進についての協議を行っています。今年は与那国、石垣、宮古の行進を、沖縄本島での3日間の行進につないでいきたいと思います。現地と協議していますので、与那国がいいならば与那国出発で、沖縄の基地強化に反対する行進にしたいと思います。その時には、全国の仲間にも呼びかけますので与那国まで行ってもらって、基地建設の現場での座り込みなども行いながら、国境の島を守る訴えをしたいと思います。
人口が1600人くらいの小さな島ですから、有力者が言ったことで決まってしまうそうです。島の有力者が、自衛隊を誘致して島を活性化しようと言えば正面から派反対しきれない。ですから外から声を上げていくことが大切だろうと思います。
埋立申請反対
6月には辺野古の埋め立て申請が行われるでしょう。その時には、埋め立てに反対する県民の大集会、数万人規模の闘いを作らなければならないと思います。
いまの政治の状況を見ていると、鳩山さんは県外移設と言いましたが、野田さんになって大きく変わりました。同じ政党の政権とは思えないくらいぶれています。鳩山さんの時には、日本全体が沖縄問題一色になりましたが、いまは消えています。ですから政局も大切です。衆議院選挙も想定されますから、平和フォーラムとも調整しながら、私たちの思いを受け止めてくれる政府を作る戦略を持たなければなりません。ぜひ在日米軍に反対する議員たちを支援するような衆議院選挙になってもらいたいと思います。