「5・15平和行進」雨の中5000人が基地撤去を訴える
普天間基地包囲行動は1万7000人の参加で成功

■5月13日から16日
■沖縄県内各地


 復帰38年目を迎える沖縄県では今年も、「5・15平和行進」が行われました。5月13日の午後からは、那覇市にある県立武道館アリーナで「全国結団式」が開催されて、本土からの参加者約1,000人が集まりました。
 14日・15日の両日には、沖縄本島内の東・西・南の3コースと、宮古、八重山コースの合わせて5コースで、述べ約5,000人が行進に参加しました(本土からの参加者は約1,600人)。
 また15日の夕刻からは宜野湾市にある海浜公園屋外劇場で「5・15平和とくらしを守る県民大会」が開かれ、約3,500人が「普天間基地撤去・辺野古新基地建設反対」の声をあげました。
 16日には、実行委員会の主催による「普天間基地包囲行動」が行われて、県内外からの参加者約1万7,000人が、3度にわたって普天間基地を「人間の鎖」で包囲しました。
 昨年成立した鳩山内閣は、普天間基地の移設先に関して「国外、最低でも県外」としていました。しかし県外での受け入れ先を見つけることができず、また米国の合意を得ることが難しいことから、「県内移設」へと方針が変わってきています。そうした政治情勢に中で、今年の平和行進と普天間基地包囲行動は行われました。
 行進の2日間、また包囲行動の当日も、非常に激しい雨に見舞われましたが、参加者は雨に負けることなく、行進を貫徹し普天間基地包囲を成功させました。
 以下は平和行進と普天間基地包囲行動の写真レポートです。


●辺野古の海岸から出発する東コースの行進団。


「5・15平和行進」とは!?
 皆さんは、なぜ、毎年5月15日に平和行進を行っているのご存知でしょうか。
 アジア・太平洋戦争末期の1945年、米軍は3月26日に慶良間諸島へ、4月1日には沖縄本島への上陸作戦を開始しました。6月23日には日本軍による組織的な抵抗は終わり、沖縄は米軍の占領下に置かれることになりまた。日本も同年8月15日にポツダム宣言を受諾し敗戦、連合国軍は日本全土を占領しました。
 1951年、連合国と日本はサンフランシスコ講和条約を締結し、日本は独立を回復します。しかし同条約の3条で、沖縄は本土から分断され米軍の施政下に置かれることになったのです。沖縄の人々は日本本土と平和憲法への復帰を求め、粘り強く運動を続け、1972年5月15日には沖縄の本土復帰が実現しました。このとき、復帰に関する日米間の合意は「核抜き・本土並み」とされていました。しかし実際には、復帰後も多くの米軍基地が残り、沖縄の人々にとっては復帰前と変わらぬ日々が続くことになったのです。
 こうした中で1977年から、沖縄の本土復帰の日である5月15日に、本土復帰後も続く米軍による占領状態に抗議し、基地の撤去を訴えて沖縄全土を歩く平和行進が、沖縄県内の労働組合や革新政党が中心となって始まりました。
 最初は県内のみの取り組みでしたが、やがて本土からも参加するようになり、平和行進は今回で33回目をむかえたのです。


平和行進のコース
●東コース
*5月14日(金) 
辺野古海岸(出発式)〜名護市内〜宜野座村役場〜キャンプ・ハンセン第1/第2ゲート
*5月15日(土) 
北中城村役場(出発式)〜キャンプ瑞慶覧(在沖海兵隊基地司令部)石平ゲート前〜北谷町〜宜野湾市海浜公園
●西コース
*5月14日(金)
読谷村役場(出発式)〜米兵によるひき逃げ事故現場〜キャンプ・トリイ第1ゲート〜嘉手納基地・安保の見える丘〜嘉手納基地第1ゲート〜北谷町役場
*5月15日(土)
北谷町役場(出発式)〜キャンプ瑞慶覧(在沖海兵隊基地司令部)石平ゲート前〜宜野湾市海浜公園
●南コース
*5月14日(金)
摩文仁平和祈念公園・平和の火前(出発式)〜姫ゆりパーク交差点南城市中央公民館〜南風原町文化センター
*5月15日(土)
浦添市役所(出発式)〜米国総領事館前〜嘉数高台公園〜宜野湾市海浜公園
 


全国結団式
■5月13日 14:30〜15:30
■那覇市県立武道館アリーナ


●全国結団式には、本土からの参加者約1,000人が集まりました。



●主催者を代表して歓迎のあいさつを行う、沖縄平和運動センター議長の崎山嗣幸さん(沖縄県議会議員)。

●平和行進とともに、原水禁の行う「非核・平和行進」も行われます。

●壇上に勢ぞろいしたのは、本島3コースの団長・副団長・交通責任者・本土代表の皆さんです。

全国結団式での発言

●司会:山城博治さん(沖縄平和運動センター事務局長)
 政府が腰の定まらない交渉で、普天間基地を沖縄に舞いもどす、辺野古に舞いもどすと、あってはならない結論を出そうとしています。私たちの5・15平和行進の燃え上がるような熱気で、そうして16日の普天間基地包囲行動の大爆発で、普天間基地の固定化と県内でのたらい回しを許さない、壮絶な闘いを作っていこうではありませんか。
 全国各地から大きな決意でご参集いただきましたことに、心から感謝を申し上げます。沖縄平和運動センターは皆さんを歓迎し、全国の仲間とともに、5・15の闘いを作っていきたいと思っています。どうぞよろしくお願いします。


●主催者あいさつ:崎山嗣幸さん(沖縄平和運動センター議長)
 5・15平和行進とそれに続く16日の普天間包囲行動に、全国の皆さんが参集してくれたことに、心から歓迎を申し上げたいと思います。事務局からは1,000人を超える全国の仲間が、平和行進と普天間基地包囲行動に結集されると聞いています。
 皆さんもご承知の通り、沖縄が本土に復帰して、今年の5月15日で38年目をむかえます。これまで政府は、27年におよぶ米軍の異民族支配から脱却して、沖縄県民には平和憲法の下で、本土との格差の是正を進めてきました。
 しかし皆さん、沖縄では基地負担の軽減どころか、基地の強化が今日まで続いています。今回の5・15、この時期に改めて、日米合意で返還を約束したにも関わらず、13年がたっても放置をされて、巡り巡って、鳩山首相は辺野古へのくい打ち・桟橋式での建設を画策しているようです。
 私たち沖縄県民は、自公政権が辺野古の現行案を押し付けたことに対して、政権交代によってこの事態が動くものと、多くの期待を持っていました。しかしながら、自ら沖縄県民と約束した鳩山総理は、自らの言葉をひるがえして、また辺野古に舞い戻ろうとしています。沖縄県民は4月25日には、9万人が集まって、辺野古新基地建設反対、県内移設断固反対の意思表示を行いました。
 皆さん。沖縄の現状は、これから皆さんが平和行進を行うことによって、身近に感じることができるでしょう。本日の報道にもありましたが、嘉手納基地に来ている外来機のF−18が、世界的にも非人道的兵器とされているクラスター爆弾を、沖縄の射爆場に投下したとのことです。過去には劣化ウラン弾が投下されたこともあります。米国政府、日本政府にとっては、沖縄は未だに復帰していない、米軍の統治下と思わせるような行動が行われています。
 いま私たちが怒りを持って平和行進を貫徹して、私たちの手と心で普天間基地包囲行動を成功させて、日米政府に対して、沖縄県民の「基地はいらない」というメッセージを送りたいと思います。本土からの多くの仲間の皆さんが、沖縄県民の気持ちに連帯してくださることに、心から敬意を表します。
 いま「国外」「県外」「県内」と議論は揺れていますが、私たちは心を一つにして、この沖縄から「米軍基地はいらない」という気持ちを伝えることで、沖縄を平和な島とし、日本国民は日本国憲法における平和を愛する国民となることができるだろうと思います。
 5・15平和行進と普天間基地包囲行動を成功させましょう。皆さん、ともにがんばりましょう。


●連帯あいさつ:藤本泰成さん(平和フォーラム事務局長)
 沖縄の熱い思いに連帯し、5・15平和行進に参加するために集まった皆さん、本当にご苦労さまです。「普天間基地を返せ」、「辺野古に新しい基地を作るな」、日本は沖縄は、この大きな思いで揺れています。
 いま多くのことが報道されていますが、この報道のなかにはたくさんのウソがあると思います。1つめには「グアム移転協定」のウソです。海兵隊が沖縄からグアムに8,000人移転すれば、いったい何人が残るのか。自民党は1万8,000人から8,000人移転すれば、1万人が残るとしてきました。しかし、その根拠は全く示されていません。沖縄の米軍司令官も、そうしたことを言ったことはない――と言っています。ヘリコプター部隊は岩国基地からグアムに行くとされています。しかし岩国基地の司令官は、「岩国基地にヘリコプター部隊はいない」といっています。
 2つ目のウソは、普天間基地問題の責任はどこにあるのかということです。普天間基地は1945年4月、まだ沖縄で戦火に逃げ惑っているときに、上陸した米軍が勝手に作った基地です。普天間基地は、ほとんどが私有財産です。ハーグ協定に違反した国際法違反の基地です。そうして世界で一番危険な基地、ジュネーブ追加議定書に違反した基地です。その基地を、いままでほったらかしにしてきたのは、米軍です。普天間基地を撤去する責任は、米国にあるのです。
 3つめのウソは、抑止力です。沖縄の米軍が、海兵隊が、いったい誰を守っているのでしょうか。日本を守っているのはウソです。日米安全保障条約の第6条は、日本に駐留する米軍は日本と極東の安全を守ると書いてあります。しかし普天間基地にいる海兵隊は、アフガニスタンに行っています。第7艦隊は、横須賀を母港にしながら、イラクで戦争を行っています。誰を守っているのか。米国は自分たちの誇る空母機動部隊を持っていても、9・11テロを防ぐことはできなかったし、米国民の命を守ることはできませんでした。米国と一緒にいては、日本人の安全が脅かされるのではないでしょうか。私は、そう思います。
 日本に米軍基地があることによって、私たちは戦争の手先になる。もう、そういう時代ではありません。米軍によって日本が守られているという人たちの中で、自分の街に米軍に来てくださいという人がいるでしょうか。日本国民は、米軍基地はいらないという思いで固まっています。政府はそのことを、きちんと米国に主張すればいいのです。
 平和フォーラムは、日本から米軍基地を無くし、平和な世界を作るために、皆さんといっしょにがんばります。


平和行進
■5月14日・15日


●辺野古で行われた東コースの出発式。あいさつしているのは、基地移転反対を掲げて名護市長選挙で当選した、稲嶺進さんです。


●辺野古現地での闘いの中心、ヘリ基地反対協共同代表の安次富浩さん。


●雨の降る中、力強い「団結ガンバロー」で、行進に出発です。


●1日目の先頭は、全水道・青年女性部の皆さんです。


●こちらは、全たばこのみなさん。


●栃木県からは、宇都宮地区労の皆さんが毎年参加しています。


●こちらは長野県護憲連合の皆さん。


●辺野古は米海兵隊のキャンプ・シュワブに隣接しているために、次々と米軍車両が通っていきます。


●5キロ歩いて給水地点につきました。地域実行委員会の皆さんが、もてなしてくれます。


●雨の中を歩いているため体力の消耗が激しいようです。みなバナナを取っていきました。


●宜野座村役場をお借りしてのお昼。お疲れ様です。


●まだまだ元気いっぱいの参加者も。


●東コース1日目の終点は、海兵隊キャンプ・ハンセンの第1ゲート前です。この基地には、海兵隊の砲兵連隊・偵察大隊・戦闘攻撃大隊が所属しています。


●西コースの皆さんが、1日目の終点、北谷町役場に到着したところです。北谷町役場は、返還された米軍基地の跡地に建てられました。
しかし未だに町面積の54パーセントを米軍に取られています。

●後ろに見える高層の建物がある地域は、返還された米軍基地を商業スペースとして開発した地域です。


●到着集会では、この地域から選出されている県会議員の瑞慶覧功さんから、あいさつを受けました。


●西コース2日目は、北谷町役場を出発し、国道58号線をキャンプ桑江・キャンプ瑞慶覧のフェンス沿にそって歩きます。


●この建物は、おそらく米軍家族用の住宅。


●西コースと東コースの2つの行進団が、基地の前ですれ違いました。お互いエールを交換します。




●西コースの昼休憩地点となった宜野湾市役所前では、日本音楽協議会の皆さんが、演奏で出迎えてくれました。



5・15平和とくらしを守る県民大会
■5月15日 16:00
■宜野湾市海浜公園屋外劇場

●折からの土砂降りもあって行進団の到着が大幅に遅れてたため、県民大会も30分遅れての開会です。演説するのは、宜野湾市長の伊波洋一さん。沖縄県民が抗議の意思を表す「黄色」のジャンパーで登場です。


●大雨のためか、例年より少し参加者が減りましたが、それでも客席は満員です。


●雨の中を、発言に聞き入る参加者の皆さん。



●沖縄は徹底した抵抗運動(レジスタンス)を始めるとの意思表示。


●平和行進と普天間基地包囲行動には、グアム・フィリピン・韓国の仲間も参加しました。


●各国からの連帯のアピールです。


●集会の最後は力強い「団結がんばろう」。

●15日の夜には宜野湾市で、国際連帯の集いが開かれました。
*(写真)5・15国際連帯のつどい実行委員会より                          

米海兵隊普天間基地包囲行動
5月16日14:00〜15:00

●16日の基地包囲当日。韓国から参加した民俗舞踊が、事前集会を盛り上げます。
*(写真)5・15国際連帯のつどい実行委員会より



●普天間基地の第2ゲート前を包囲する自治労の皆さん。
*(写真)5・15国際連帯のつどい実行委員会より



*(写真)5・15国際連帯のつどい実行委員会より                       


●左から北谷町の野国庁長、名護市の稲嶺市長、宜野湾市の伊波市長、沖縄市の東門市長。
*(写真)5・15国際連帯のつどい実行委員会より



●グアム・フィリピンからの参加者も包囲行動に参加しました。
*(写真)5・15国際連帯のつどい実行委員会より


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