原子力空母配備撤回を求める9・25神奈川集会
●開催日 2010年9月25日(土)11:00〜集会 11:45〜デモ行進
●会場 神奈川県横須賀市「ヴェルニー公園」
神奈川県横須賀市では9月25日11時から、「空母母港化37周年 原子力空母ジョージ・ワシントン横須賀基地母港化2周年抗議 原子力空母配備撤回を求める9.25神奈川集会」が開かれました。主催は神奈川平和運動センターと三浦半島地区労です。米海軍横須賀基地に隣接するヴェルニー公園には、県内をはじめとして全国各地から約2700人の人々が集まりました。45分の集会の後に、参加者はデモ行進に移り、横須賀基地の前では「原子力空母は横須賀から出ていけ!」「平和な海を取り戻そう!」とシュプレヒコールをあげました。以下に集会での主な発言を記載します。
宇野峰雪さん(神奈川平和運動センター代表)
全国各地からお集まりいただきまして、大変ありがとうございます。雨もあがりまして、太陽もでてきました。これから始まる私たちの行動を示す一日の始まりです。
さて原子力空母ジョージ・ワシントンが、この横須賀に来たのが、ちょうど2年前でした。あの原子力空母には、原子力発電所と同じ原子炉を2基搭載していると言われています。この東京湾に原子力発電所を作るとしたら、皆さんが賛成するはずはありません。しかしその原子力発電所を搭載した空母が、1年の半分は横須賀に帰港しているのです。万が一事故が起きれば、関東一円に大きな被害が発生することは言うまでもありません。そうした危険なことを、日本が許していることがおかしいのです。一日も早く、皆で力を合わせて、空母の母港を止めさせたいと思います。
原子力空母が横須賀に配備される根拠となっているのは、言うまでもなく日米安保条約です。この日米安保条約は、ちょうど50年前の1960年に改定されました。50年経つと、良いことであれば大概は「お祝いをしよう」となりますが、日米安保を「お祝いしよう」という人は、ほとんどいません。
良くない日米安保は、1年前に日米どちらかが予告すれば、廃止できることになっています。日米安保は条文上では、日本の安全と極東の安全のためにあるといっていますが、いまや米軍再編の中で、日米安保条約は大きく変わっています。横須賀を母港とする米海軍の艦船が、アフガニスタン戦争やイラク戦争に、続々を参加しています。自衛隊も米軍に組み込まれて、後方支援の名目で米軍に協力させられる体制になってきています。日米安保条約は、日米が対等な条約ではなくて、日本を戦争の危険に陥れる条約です。ですから私たちは、日米安保条約も、一日も早く無くしていかなければなりません。
さて沖縄県では11月に県知事選挙が行われます。鳩山由紀夫さんが首相になって、「できれば国外、最低でも県外」と言ってきた普天間基地の代替施設が、やっぱり辺野古に戻されてしまいました。しかし長い間、自民党政府は、日米合意に基づく辺野古新基地建設を実現できないでいました。民主党政権になっても、実現できないことは同じです。私たちは、辺野古に新基地を作らせてはならないし、県外に新しい基地を作るのもとんでもないことです。だとすれば、答えは一つです。国外に基地を移転させなければなりません。
全国から集まった皆さんの力を合わせて、それぞれの地域で活動しているたくさんの人たちと連帯して、こうしたことを政府に実現させるように、私たちは要求していきたいと思います。私たちには日本国憲法という、非常に有能で有意義な憲法を持っています。この憲法に基づいて、憲法を実現することを政府に要求するために、皆さんと力を合わせていきたいと思います。最後までよろしくお願いします。
山城博治さん(沖縄平和運動センター事務局長)
大結集された仲間の皆さん、大変ご苦労さまです。わが国は唯一の戦争による被爆国であり、非核三原則を国是とする国です。また軍隊を持たないという平和憲法を持っています。そのわが国に、世界最強の米国軍隊の象徴である原子力空母を横須賀の港に浮かべている。そうした屈辱的な状況があります。そのことを由よしとしないで、総決起をしている神奈川の皆さん、全国の皆さん、どうぞ引き続き、「このような無法なことは許さない」という私たちの燃えるような怒りの声をあげようではありませんか。「米国は何でもやる」、「軍隊は何でもやる」ということを、改めて改めて、心に決して闘いを進めようではありませんか。
「普天間基地は県外移転」と言った総理大臣が潰されました。「日米安保は第7艦隊で十分」と言った有力な政治家が、雨や嵐のパッシングを受けました。新しく作られた総理は米国に行って、オバマ大統領に跪いて「何でもやります」という姿をさらしました。その姿を見て、悲しくて、悲しくて、しかたありません。
沖縄県の宮古島では21日から24日までの4日間、米軍艦船が入港することに対する抗議行動が行われました。150名の阻止線を越えて、第7艦隊の軍楽隊が上陸して、小中学生の子どもたちを招いて、米国軍がどんなに正しいか、立派かを見せようとしたのです。そうやって宮古も八重山も日本中の港も、第7艦隊の母港にしてしまう。普天間基地には、あろうことか嘉手納基地の戦闘機を、18か月間も移駐させる、そうしたことが進んでいます。また沖縄県に駐留する自衛隊を増強する。沖縄県民が闘ってきた基地の負担軽減に、あたかも挑戦するかのような、あざ笑うかのような仕打ちを行っているのです。
皆さん、闘いは生半可なことではできません。体を張って、怒りを張って、このような権力に絶対に屈服しない、何があっても屈しない、そのような強い決意を持って闘いに臨まなければ、沖縄の現実が全国に広がるのです。
皆さん、気合いをこめて、熱意をこめて、腹の底からの憤りを持って米軍に立ち向かわない限り、私たちの希望は実現しないのです。このようなことを、いま改めて感じています。
先日行われた名護市議会議員選挙では、辺野古新基地建設反対派の議員が圧勝しました。政府がどうであれ、権力がどうであれ、米軍がどうであれ、沖縄県民は決してひるまずに闘い続けたいと思います。11月の県知事選挙に必ずや勝利して、全国の仲間に勇気と希望を、沖縄から送ります。そうして全国の仲間の皆さんと、この屈辱的な日本の状況を変えることを実現しましょう。
「中国が危ない!」「北朝鮮が危ない!」と、自作自演の事件をでっちあげて、日本を火の海にしようとしている、沖縄を再び玉砕の島にしようとしている。このようなふざけた話を、私たちは絶対に許しません。全国の仲間の皆さん、闘いに総決起しようではありませんか。いま闘わなければ、また戦前がやって来る、憲兵がやってきて、みんな戦争に駆り出される。そうした時代が来ないうちに、しっかりと闘いぬこうではありませんか。全国基地ネットに参加する仲間たち、全国の仲間たちが、神奈川の闘いに注目しています。ぜひ、ぜひ、希望を持って闘いぬきましょう。
呉東正彦さん(母港問題市民の会)
全国から集まった皆さん、本当にご苦労さまです。私は横須賀市内で原子力空母に反対する運動を10年以上続けてきました、弁護士の呉東正彦です。
原子力空母ジョージ・ワシントンが横須賀に来てから、2年目を迎えてしまいました。原子力空母の母港になって以来、横須賀港には原子力艦船の寄港が、圧倒的に増えました。原子力空母だけではなく、原子力潜水艦も頻繁にやってきます。首都圏3000万の住民が、原子力艦船の原子炉と同居する時代がやってきてしまったのです。もし原子力空母の原子炉が事故を起こせば、死の灰が首都圏一帯に広がって、100万人以上の死傷者がでるといわれています。こうしたことを、断じて許すわけにはいきません。
そしていま一番問題なのは、日米間の約束でやらないことになっていた、原子炉の修理作業が行われていることです。昨年、今年と原子炉の修理作業が行われました。さらに修理作業で出てきた、たくさんの放射能のゴミ(低レベル放射性廃棄物)が運び出されていたのです。
かつて、「核兵器は陸揚げしなければ『持ち込み』には当たらない」と言われていました。いまは「核のゴミは陸上にあげなければ約束違反ではない」と言われています。来年には、さらに大規模な修理作業が行われようとしています。私たちは修理の中止を、外務省・米国大使館・横須賀市に求めてきましたが、反応はありませんでした。市民の安全が、基地で働くものの安全が、まったく顧みられない状況になっています。
しかし皆さん、原子力空母がやってきてしまったいまだからこそ、私たちの安全を守るために、私たちはますます元気よく運動を続けなければなりません。
私たちは、ビデオで『原子力空母の危険 パート4』を作りました。原子力空母配備後の状況を、このビデオには納めています。
また「原子力空母STOPの会」が2年前に裁判を起こしてから、10回の不当判決を受けています。しかし私たちは決してめげません。11回目の裁判がいよいよ、10月5日から東京高等裁判所で始まります。この裁判では、全力で法廷を一杯にしたいと思います。皆さん、ぜひ傍聴に来てください。
さらに原子力空母に関して横須賀市民の声を聞くために、横須賀市に住民投票条例を作る活動を続けています。国に対する働きかけも、市民に対する宣伝活動も、毎月行っています。リーフレットを受け取ってくれる市民の反応も良くなっています。
皆さん、こうした状況を変えるために一番必要なことは、皆が手を結びあうことではないでしょうか。皆さんと一緒に、私たち横須賀市民もがんばります。ともに手をつないで、基地の街を、日本の現状を変えていきましょう。
藤田栄治さん(厚木基地爆音防止期成同盟委員長)
厚木基地爆音防止期成同盟(厚木爆同)から、連帯のご挨拶を申し上げます。本日の集会に、これほど多くの皆さんが参加されたことは、同じ反基地・平和運動を進めている私たちにとって、本当に力強く、勇気を与えられた気がしています。私は主催者ではありませんが、本日集まった皆さんに、本当に感謝したいと思います。
さて、本日9月25日は、私たち厚木爆同の創立記念日に当たります。1960年の9月25日に、厚木爆同は結成されました。この間、既に50年を経過するわけですが、私たちはこの50年間、ひたすらに厚木基地の爆音を無くし、平和な空を取り戻そうとしてきました。そんなに無理な要求をしているわけではありません。生活環境を取り戻そうという運動を続けてきたのです。時には基地撤去・基地返還を求めて激しい運動も進めてきました。しかし残念ながら、厚木基地周辺の状況は一向に改善されていません。とりわけ、横須賀に空母が滞在している間は、厚木基地上空は、地獄のような爆音です。
加えてその上、海上自衛隊はこれまで厚木基地に配備していたプロペラ機のP−3Cを、ジェット機のP−1に変えて配備しようとしています。またまた新しい爆音の被害を持ちこもうという状況、厚木基地の機能が更に強化される状況にあります。私たちはそうした局面のなかで、何とかこの問題を打開したいという思いで、過去3回にわたって裁判闘争を行ってきました。現在も7000名の原告で、第4次の裁判闘争を闘っています。1次・2次・3次の裁判を通して、基地の爆音被害は違法状態にあるとの判決が出ています。違法状態という判決は、単に厚木基地だけではなく、沖縄の嘉手納基地、東京の横田基地などのいずれの裁判でも、爆音は違法状態という判決が下されています。7月29日には、普天間基地の爆音に関する高裁判決が出されました。普天間の判決でも、爆音は違法状態と認定されました。飛行差し止めは認められませんでしたが、この爆音の根源は政治責任において解決するべきという格調の高い判決です。
基地の爆音は違法状態でありながら、基地周辺の住民は爆音に悩まされ続けています。この問題では、米軍の横暴に対する怒りは大きいのですが、もう一つ、米国に対しては何も言わない日本政府の態度が、大きな問題になっていると思います。
新しい政権が誕生しました。外交・防衛・基地問題については見直すと公約した政権でしたから、私たちは大きな期待を持ちました。しかし残念ながら、普天間問題に見られるように、結果は「もとのもくあみ」で、自民党政権と変わりがありませんでした。
そうなると、日本の政治を動かすのは、世論の力、市民の力、われわれ運動の力によらざるを得ないと思います。それだけに、私たちの反基地・平和運動が、もっともっと、大きな輪を作って、そうして日本政府に迫る、「政策を変えろ」と迫ることが、問われているのではないでしょうか。爆音訴訟を闘う全国の仲間たちは、普天間基地訴訟の判決、政治責任で解決しろという判決を基に、さらに激しく政府に迫っていきたいと準備を進めています。
厚木爆同は小さな組織ですが、これからも先頭に立って頑張ります。また皆さんのご支援、ご協力をお願いします。ともにがんばりましょう。
神奈川県横須賀市では9月25日11時から、「空母母港化37周年 原子力空母ジョージ・ワシントン横須賀基地母港化2周年抗議 原子力空母配備撤回を求める9.25神奈川集会」が開かれました。主催は神奈川平和運動センターと三浦半島地区労です。米海軍横須賀基地に隣接するヴェルニー公園には、県内をはじめとして全国各地から約2700人の人々が集まりました。45分の集会の後に、参加者はデモ行進に移り、横須賀基地の前では「原子力空母は横須賀から出ていけ!」「平和な海を取り戻そう!」とシュプレヒコールをあげました。以下に集会での主な発言を記載します。
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