半田滋さん(東京新聞・編集委員)の講演
テーマ:自衛隊は海外で何をしてきたのか
●日時 2009年11月2日
●場所 護憲大会第1分科会「非核・平和・安全保障」
新しい政権が発足して、1か月強が経ちました。そこで防衛省ではどのような問題が起きているのか、話をさせていただきます。
まず新政権になって、安全保障面で変わったことを述べます。海上自衛隊のインド洋での補給活動は、来年1月に期限切れを迎えますが、延長しないことが明らかになっています。
米軍再編では、普天間基地の移設問題について、日米合意であるキャンプ・シュワブ移設の見直しが行われています。見直しの中身については揺れ動いていますが、見直しの方向で進んでいます。
防衛省の組織改変問題では、制服組と背広組の2つの組織を合体しようという計画がありましたが、これは全て白紙に戻りました。
防衛計画の大綱と、中期防衛整備計画――これは武器を買い揃えるためのロードマップです――については、12月までに改定する予定でした。しかし新政権の下では議論が尽くされていないということで、1年間の先送りになりました。新政権の下で新しい防衛計画の大綱を作って、安全保障を見直していこうという姿勢の表れだと思います。
逆に、旧政権と変わらないところもあります。その1つが、ソマリア沖の海賊対処に、自衛隊を活用することです。これについて北沢俊美防衛大臣は、「各国から高い評価を受けている」といっています。2つ目はミサイル防衛システムです。旧政権のもとで、PAC−3、地上発射型のミサイルの追加配備が決まりました。新政権の下で進められた来年度予算の概算要求の見直しでも、これは復活しています。「ミサイル防衛はいいもの」という考えは、旧政権と変わらないようです。
細かくは他にもありますが、大きく分けると、変わったこと、変わらないことは、そのようなところです。
さて、本日の私の話は、「自民党政権下で自衛隊は何をしてきたのか」についてです。自衛隊はなぜ存在するのか。それは、平和憲法を強く指導してきた米国によって、日本政府が作ることを命令されたのです。警察予備隊として発足し、自衛隊に名前を変えました。そうして半世紀以上が経っています。
ではなぜ米国は、自衛隊の設立を要求したのでしょうか。その原因は朝鮮戦争です。朝鮮戦争の勃発によって、それまで日本に駐留していた米軍が朝鮮半島へ派遣されることになりました。米軍が日本を留守にしている間に、ソ連が攻めてこないように抑止力として自衛隊を作ることになったのです。ですから冷戦期間中、自衛隊は存在するだけでよかったのです。備えることが役割でしたから、強そうな装備を持っていました。例えば護衛艦はピーク時では80隻以上も保有していました。戦闘機は360機です。戦車は1200両が北海道を中心に配備されていました。実際に使う想定は無いのです。攻めてこないように、「日本に手を出したら火傷する」ということを示せばよかった。いわば「張り子の虎」です。それが冷戦期の自衛隊の特徴です。
ところが冷戦終了後、自衛隊は変革しなければならなくなりました。89年にベルリンの壁が壊れ、91年にソ連が崩壊しました。完全に冷戦が終わった時に、自衛隊の存在意義が問われるようになったのです。
米国にとって自衛隊は、ソ連が太平洋に出てこないための防波堤でした。しかしその役割が終わったことで、日本全体が米国から軽視されるようになったのです。そのことに焦りを覚えた日本政府は、どうしたら米国と仲良くやっていけるのかを考えました。そこで2つの事項が生み出されました。1つ目は自衛隊の海外活動であり、2つ目は自衛隊による米軍の支援です。
1991年に湾岸戦争が起こりました。この時にイラク軍が、大量の機雷をペルシャ湾にばらまきました。日本は父親のほうのブッシュ大統領から機雷の除去を要請されて、海部俊樹首相が掃海艇を派遣しました。これが自衛隊の初めての海外派遣です。翌92年には国連平和維持活動協力法(PKO法)を制定して、陸上自衛隊がカンボジアに派遣されました。法律を根拠にした海外派遣は、カンボジアが初めてです。こうして海外派遣の流れができていきました。
一方、1993年に北朝鮮が、核開発を進めるためにNPT(核兵器不拡散条約)からの脱退を表明します。これに対して米国は北朝鮮の攻撃を計画します。しかし最終的には米軍・韓国軍に多数の死者が出ることが想定されたので、米国は攻撃を踏みとどまりました。
その時に米国政府は日本政府に、米軍支援を極秘裏に打診するのです。1000項目以上の支援要請があったのですが、その全てに対して日本政府は「できません」と回答しました。自衛隊の海外活動によって日米関係は好転していましたが、そのことでまた米国は日本を見限るようになりました。
「これではいかん」ということで、96年には「日米安保共同宣言」が行われ、97年には日米新ガイドラインが結ばれて、海外で米軍を支援する枠組みができていくのです。そうして99年には周辺事態法が成立します。これによって米軍が日本の周辺で戦争をする場合には、自衛隊が米軍を支援する、また一般国民も戦争協力に駆り出される仕組みができていくのです。空港や港湾も戦争のために使えるようになりました。私たちがそれに気づいていないのは、戦争が起きていないからであって、米軍は日本の施設をいつでも自由に使うことができるのです。
この自衛隊の海外活動と、米軍に対する戦争支援がひとつに結びついていくのが2000年以降です。2001年に米国で同時多発テロが起きて、米国政府は犯人をアルカイダであると決めつけます。アフガニスタンのタリバン政権がアルカイダを支援していたことから、米国はアフガニスタンを攻撃しました。当時は小泉純一郎首相です。小泉政権は米国を支援する立場から「テロ特措法」を制定して、海上自衛隊をインド洋に派遣し米軍艦への洋上補給を開始します。このとき日本政府は、洋上補給活動を、テロ掃討作戦の後方支援だと説明しています。テロリストが洋上を移動しないようにする。あるいはテロリストの資金や武器の流入を阻止することが理由です。
では実際の中身はどのようなものでしょうか。2007年10月の衆議院予算員会で、岡田克也議員が福田康夫首相に対して、「テロ特措法とは何のためにあるのか」と質問しました。これに対して福田首相は、「同時多発テロに対する米国の自衛戦争が行われている。日本はそれを支援している」と答えます。米国によるアフガニスタン攻撃は米国の自衛戦争である、それに対して自衛隊が後方支援を行うということを国会の場で明言したのです。続けて高村正彦外務大臣は、攻撃に向かう艦船への補給も行っていたことを認めました。「テロ特措法」の核心部分が、米国の戦争と一体化した自衛隊の活動であることがはっきりしたのです。
海上自衛隊による洋上補給は2001年12月2日から始まりますが、タリバン政権は12月5日に崩壊しています。わずか4日しか活用の必要がなかったのです。しかし翌年からは自衛隊による補給の対象を、米国以外の国々、イギリス・フランス・ドイツへと拡大していきました。補給回数も補給量も増えていったのです。このときに実体としてはじめて、テロリストの逃走防止や武器移動の防止の役割を担うようになるのです。政府が説明した内容と、自衛隊が行っていた本当の活動はずれていたのです。
いま米国は、洋上活動に対する評価を変えています。以前は海上阻止活動といっていましたが、現在は海上安全活動といっています。警察活動に近い内容に変わっているのです。洋上補給活動の意味が二転三転しているにも関わらず、日本政府は1本の法律で対処しています。
現時点で行われている補給は、月5回程度です。ところが9月には6回、8月には7回行われました。なぜ増えているかというと、米国が補給を受けにきたからです。米国は3月以降、補給を受けていませんでした。しかし新政権が発足し、補給活動の中止が見込まれることから、急ににじり寄って来たのです。「役に立っている」ということのアピールです。通常はパキスタンが3回から4回で、フランスが1回から2回です。役に立っているかどうかわからない回数まで、落ち込んでいるのです。新政権が補給活動をやめるのは、ニーズを見た上での判断と見ることもできます。
自公政権では、「洋上補給活動は非常に評価されている」と宣伝されていました。ではなぜ評価されているのか。それは「タダ」だからです。インド洋では自衛隊以外に、米国が2隻、イギリスが1隻の補給艦を派遣しています。米国やイギリスから補給を受けると有料です。一方で日本は「タダ」ですから、どの国も評価するでしょう。そうした理由があるのに、「高く評価されている」と判断するのはおかしいですね。
アフガニスタン戦争では、海上自衛隊による補給活動の評判が良かったこともあり、2003年のイラク戦争でも、日本政府は米国支援を検討しました。小泉首相は世界に先駆けて、米国のイラク戦争を支持しました。アフガニスタンのときには、「9・11」の衝撃がありますから、どの国も開戦に反対することはありませんでした。しかしイラク戦争では、大量破壊兵器の保有に関する国連査察が継続中でもあり、フランスやドイツなどは開戦に反対しました。そうした声を振り切って、米国とイギリスは戦争を始めたのです。その戦争を、小泉首相は世界に先駆けて支持しました。
そうすると米国から命令が来ました。「Boots
on the grand」(ブーツ・オン・ザ・グランド)です。つまり陸上自衛隊を派遣せよということです。アフガニスタンのときには「Show
the flag」です。訳は「旗を見せろ」ですから、海上自衛隊の派遣の要求です。
しかし日本は、戦闘地域に陸上自衛隊を出すことができません。そこでインド洋で評価を受けている洋上補給を、陸上でやることを考えました。イラクで戦う米軍への、自衛隊による補給活動です。ところが米軍は、世界で一番、兵たんが整っている軍隊です。そのため「燃料は足りている」と断られてしまいました。そこでさらに何ができるのか考えました。
自衛隊は1992年以来、PKO法による海外派遣を行い、道路や橋の補修、医療、給水を行ってきました。それらをセットにしてイラクで実施する、しかも憲法の制約に触れないように安全な地域で実施することを考えたのです。そこでイラク18州のうちで最も人口が少なく安全な、ムサンナ県のサマワに、自衛隊を派遣すことにしたのです。陸上自衛隊はサマワで2年半活動を続けて、帰国しました。
陸上自衛隊と一緒に、航空自衛隊も派遣されていました。隣国のクウェートとイラクの間で、空輸活動を行っていたのです。その航空自衛隊は、陸上自衛隊が撤退したことで困ってしまいました。陸上自衛隊がいる間は、陸上自衛隊の隊員や物資を運んでいました。陸上自衛隊の後方支援です。しかし陸上自衛隊が撤退すると、運ぶものが無くなってしまったのです。そこで米軍と調整しバグダッドまで米軍兵士を運ぶ、また国連と調整して国連職員や物資を運ぶことにしたのです。
その中身が今回初めて、公開されました。これも政権が変わったことの影響でしょう。その資料によると、70パーセントは米軍や多国籍軍の兵士の輸送だったのです。これが人道復興支援なのでしょうか。
昨年4月に名古屋高裁で、イラクでの航空自衛隊の活動は一部違憲とする判決が出ました。その判決の通り、航空自衛隊の活動は米軍の軍事行動と一体化していたのです。私は記者会見で北沢防衛大臣に、航空自衛隊のイラクでの活動に対する評価を聞きました。「これは、人道復興支援とは思えませんが?」と質問したのです。すると北沢大臣は「私の考えも大体同じです」と答えました。「では航空自衛隊の活動は憲法違反ですか」と聞くと、「それはまあ」ということでした。
さて、サマワにいた陸上自衛隊は、今回の派遣で多くのことを学びました。1つは、戦地で活動するには何が必要かということです。まずお金です。PKOでは、自衛隊は全て自分たちで活動していました。自分たちのブルドーザーを使い、自分たちでスコップを持ちました。しかしサマワでは、自衛隊員が表にでるのは危険です。そこで自分たちが表に出る代わりに、人を雇って作業させたのです。自衛隊はODA予算を使って人を雇い、作業させ、自分たちは宿営地に籠っていました。お金を使って人を雇うことで、自衛隊は危険な地域での活動できることを学んだのです。
また現地の人々の力を借りること、NGOの力を借りることの必要性に気がつきました。CIMIC=Civil
Military Cooperationといいますが、他国の軍隊はみな、やっていることです。平和裏に活動するために、現地の民間人にお金を与えて、融和策を取るのです。
サマワのマスメディアを日本に招待して富士山を見せたり、テレビ機材を無償で提供したりして、自衛隊の宣伝をしてもらいました。これは宣撫作戦です。旧満州国で日本軍がやっていたことと同じですね。
こうした成果もあり、自衛隊の海外派遣は「本来任務」に格上げされました。いままでの自衛隊は、必要最小限の実力組織として日本国内にいるだけでした。抑止力としての活動です。しかしそれが大きく変わって、2006年12月から海外活動が本来任務になったのです。陸上自衛隊の中には、中央即応集団とういう海外派遣のための専門組織も立ち上がりました。その中には民間との連携やODAの活用などを研究する部門もあります。現在はソマリアの海賊対策にも派遣されています。自衛隊が海外で活動するための枠組みが、しっかりできているのです。
ではもう1つのキーワードの対米支援はどうなったでしょうか。米軍再編の議論の中で、中央即応集団が神奈川県のキャンプ座間に移転することになりました。キャンプ座間には、在日米陸軍の司令部があります。またアジア太平洋全域を行動範囲とする米陸軍第1軍団の一部が来ています。そこと連携を取るのです。今まで自衛隊は、米軍とは時差を取って、戦闘が終わった後に憲法9条との整合性をとって活動してきました。これからは後方支援であれば、米軍と一緒に出ていくのです。さすがにイギリス軍のように、武器を持って戦うことまでは想定していません。しかし医療・補給・給水などの面で米軍を支えるのです。
横田基地には在日空軍の司令部があります。そこに航空自衛隊の航空総隊司令部が移転します。米軍と共同統合運用調整所を作って、ミサイル防衛で連携します。ミサイル防衛はどこかの国からミサイルが発射された場合に、イージス艦からSM−3を発射して撃墜し、外してしまった場合は地上配備のPAC-3で迎撃します。もし海上自衛隊のイージス艦が、米国に向かうミサイルを迎撃した場合は集団的自衛権の行使です。相手国から見ると、「なぜ米国向けのミサイルを日本が迎撃するのか」となり、日本は交戦国になります。日本からケンカを売ることになるのです。戦争に巻き込まれかねません。
そのようにして旧政権では、海外活動と対米支援が一体化して、自衛隊を海外で使いつつ、米国の戦争を助けることになりました。かなりハッキリとした枠組みが作られたのです。では新政権はどうでしょうか。2007年11月、当時の福田康夫総理は民主党の小沢一郎代表と密室協議を行い、両者は大連立で合意しました。その時に意見が一致したことが、自衛隊派遣の恒久法の制定です。いまある自衛隊派遣の恒久法は、PKO法・国際緊急援助隊法・海賊対策法です。イラク特措法などの武力行使を伴う恐れのある活動は、恒久法を作ることはできませんでした。その都度、国会で法律を作ってきたのです。しかし恒久法を制定すれば、その必要はなくなります。
海賊対処法の例ととれば、防衛大臣に海賊対処を命令する権限が与えられています。閣議での議論などは必要なく、防衛大臣と総理大臣の判断で自衛隊を派遣できるのです。「海賊対処だからいいだろう」ということではないでしょう。さらにその法律を、インド洋やイラクなどの様な場合にも当てはめていくことで、両者は一致したのです。もう一つ見逃せないことがあります。いまの鳩山由紀夫首相は、憲法改正試案を公表しています。その中で自衛隊についても言及しています。
そうした流れからすると、新政権に代わったとはいえ、自衛隊の活動がどうなるのかは不透明です。先日訪米した際に鳩山首相は、自衛隊の海外活動を「国際貢献活動」として積極的に活用することを表明しました。PKOは恒久法がありますから、さらに積極的に自衛隊を使うことはできます。
次にアフガニスタンの派遣問題です。新政権は、インド洋への派遣を止めることは表明しています。最初、北沢防衛大臣は「代替策は防衛省の役割ではない」と言っていました。しかし今は、「自衛隊を活用しないことが許されるだろうか」とトーンダウンしています。防衛所の中でも、具体的に何ができるのかを検討しています。一番必要とされているのは陸上自衛隊の大型ヘリコプターです。しかしこれはブッシュ政権の時代に一度検討されて、憲法上の問題からつぶれました。次に可能性があるのは航空自衛隊の輸送機の派遣です。しかしこれも、いまはNATO軍なども含めて、小型の輸送機がたくさんあります。これ以上はいらない状況です。またP3C哨戒機のインド洋派遣もあります。いまは海賊対処でP3Cが2機派遣されていますが、それをさらに増やすという選択肢もあります。
また日本政府には「洋上補給を止めた場合に米国が許してくれるのか」という懸念があります。対等な日米関係といいながら、米国の顔色を見ないと決められないのです。日本の宿命というぐらい、そのことにこだわっています。
新政権で、変化してきた部分はありますが、まだまだ油断するわけにはいきません。きちんとチェックしていく必要があります。自衛隊をどんどん海外に送り出すという旧政権の轍を、新政権も踏みかねません。以上です。ありがとうございました。
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