米陸軍第1軍団司令部がイラクに前線配備される
●2009年4月22日
1.第1軍団がイラクへ
「イラクの自由作戦」の公式サイトによれば、米陸軍第1軍団司令部がイラクに派遣されたようです。イラクでの第1軍団司令部の任務は、イラク多国籍軍団の司令部として多国籍軍団全体の指揮・命令を行うとのことです。イラク多国籍軍団の司令部機能は過去14か月間、米陸軍第18空挺軍団が担ってきましたが、09年4月9日に第1軍団への権限委譲式が行われました。
今回イラクに派遣された第1軍団司令部は、在日米軍再編に関する日米合意で、現在の駐留地である米本土ワシントン州フォートルイス基地から、神奈川県のキャンプ座間に移転することが決まった部隊です。しかしキャンプ座間への移転は基地周辺住民の強い反対運動を受け、司令部全体の移転を実施することができず、現在のところは米陸軍第1軍団・前方司令部が配備されているのみです。
2.日本から中東へ行く可能性も
第1軍団司令部は、太平洋統合軍に所属しています。太平洋統合軍の担当地域は、アメリカ大陸西岸からインド大陸西岸までの広範な地域です。隷下の第1軍団の担当地域も基本的には同じです。ところが今回のイラク派遣によって、第1軍団司令部は戦時には担当地域を越えて、中東にまで出動することが明らかになりました。
そうなると第1軍団司令部がキャンプ座間に移転してくれば、戦時にはキャンプ座間から中東に派遣される可能性も出てきます。しかしそれは、日米安保条約に違反することになります。
3.日米安全保障条約と「極東の範囲」
在日米軍基地から中東への派遣が、なぜ日米安保条約に違反するのでしょうか。そこには、「極東の範囲」という問題があります。米軍が日本に駐留する根拠は、1960年に締結した日米安保条約です。その第6条には以下のように書かれています。
●第6条 「日本国の安全に寄与し、並びに極東における国際の平和及び安全の維持に寄与するため、アメリカ合衆国は、その陸軍、空軍及び海軍が日本国において施設及び区域を使用することを許される。(以下略)」 |
この第6条の規定に関して、日本に駐留する米軍はどこまで出撃できるのか? ということが国会では度々問題になりました。そこで日本政府は1970年に、政府統一見解を発表しました。政府統一見解を要約すると、次のようになります。
@米安保条約の条約区域は「日本」だが、在日米軍が日本国内の基地を使用して戦争できる区域には「極東」も含まれる。「極東」の範囲は、フィリピンから日本周辺まで。 Aしかし「極東」で起きた戦争だけではなく、他の地域で起きた戦争が「極東」の安全に影響を及ぼす場合は、米国は「極東」に限定されずに対処することができる。 B米国が戦闘をおこなうために、日本の施設を使用する場合には、日本政府との事前協議が必要である。 |
日本に駐留する米軍が、極東の範囲を越えて中東などに出撃するには、@とAの条件を満たす必要があります。しかし世界が米国側とソ連側に分かれて対決していた冷戦期ならともかく、現在の国際情勢のなかで、中東で起きた紛争が極東に飛び火することは考えられません。
4.さまざまな問題
91年の湾岸戦争、01年のアフガニスタン戦争、03年のイラク戦争などでも、米軍は日本から出撃していきました。しかし日米政府間の事前協議が行われたことはありませんでした。
また08年8月25日には、キャンプ座間の在日米軍司令部に所属する米陸軍第35戦闘維持支援大隊・623輸送コントロール部隊の20人が、クウェートに派遣されました。これは在日米陸軍部隊にとって初めての「対テロ戦争」支援の中東派遣です。この際にも事前協議は行われませんでした。
在日米軍司令部所属部隊のクウェート派遣、また第1軍団司令部のイラク派遣という現在の米軍の運用実態を見ると、1960年に締結された日米安保とは適合することがなくなっているのです。
在日米軍の行動や、日米安保条約や地位協定などの違反に対して、私たちがしっかりと監視することが必要です。
5.資料
「イラクの自由作戦」の公式サイト
@このサイトの中の「イラク多国籍軍の主な部隊」の紹介ページでは、「イラク多国籍軍団」の指揮部隊が第18空挺軍団から第1軍団に代わっています。
(当該部分の日本語訳)
○「イラク多国籍軍団」
イラク多国籍軍団は、イラクでの諸作戦の命令と指揮に責任を持つ戦術部隊です。現在イラク多国籍軍団は、バグダッドのキャンプ・ビクトリーに前進配備されている、第1軍団によって指揮されています。
(原文およびアドレス)
This is the Tactical Unit responsible for
command and control of Operations in Iraq.
Currently MNC-I is headquartered by I Corps,
forward deployed to Camp Victory, Baghdad.
●Operation Iraqi Freedom
http://www.mnf-iraq.com/
●Multi-National Force ?Iraq Major Units
http://www.mnf-iraq.com/index.php?option=com_content&task=view&id=294&Itemid=27
A同じくこのサイトのニュースコーナーに「第1軍団の兵士たちはフォート・ブラッグ基地の兵士たちと交代する」という記事が掲載されました。以下に記事の要約を記載します。なお要約は、英語‐日本語返還ソフトを使用したものであるため正確な訳ではありません。
●第1軍団の兵士たちはフォート・ブラッグ基地の兵士たち(第18空挺軍団)と交代する
4月9日 イラク・バグダッド
右肩に第1軍団の部隊章を、左肩に多国籍軍団の部隊章を付けたチャールズH・ジャコビーJr.中将は、イラク多国籍軍団司令官のロイドJ・オースティン中将から正式に指揮権を受けとった。4月4日にキャンプ・ビクトリーのアルファウ宮殿で、権限委譲式典が行われた。この日は、宮殿に新しい司令官を迎えただけではなく、第1軍団の歴史に新しい1ページを刻む日である。第1軍団司令部は、朝鮮戦争に従軍した1950年以来、50年以上も海外に展開していない。
レイ・オディエルノ将軍(現イラク多国籍軍の司令官・前イラク多国籍軍団司令官)は、過去14か月間にオースティン司令官が上げた成果について語った。彼は最盛時には169,000人の兵士・水兵・航空兵・海兵を指揮した。「私はオースティンに軍旗を渡したが、軍団を導くのに他の適任者はいなかった」とオディエルノ将軍は語った。「彼らは毎日、そのことを証明した」。オディルノ将軍によれば、オースティン司令官と「ドラゴン」任務部隊はイラクに到着した日から、偉大な責務に取り組むことになったのだ。戦闘旅団は「殺到」戦略に巻き込まれて再配置を始めていた。オースティンは現在の作戦について再考察を行うとともに、配置変更に迅速に対応した。オースティンは彼の前に横たわっていた挑戦を知っていたし、正面から向かっていった。
第18空挺軍団のイラクでの成功を語る前に、オースティンは出席者全員にポール・スミス1等軍曹の追悼を要請した。スミス1等軍曹は6年前に殺害され、イラクの自由作戦で最初の勲章の受賞者となった。第18空挺軍団は、イラク政府やイラク治安軍だけではなく、イラク国民にとっても国を良くする機会を得た。イラク治安軍との緊密な作業関係は、ジャコビーの指揮下でも盛んに継続されるだろうと、オースティンは言った。「彼らはまだ何をするにも不器用だ・・・。私はイラクが進歩を続けると確信している」
彼のチームとその家族に感謝した後、オースティンは多国籍軍団の新しい司令官であるジャコビーに場を譲った。「第1軍団にとって偉大な日だ」とジャコビーは語った。「私たちは第18空挺軍団の驚くべき成果と栄誉とともにここにいる。また、第1軍団とイラク民衆との関係の始まりを記している。」彼は「勇気」任務部隊の一員になった第1軍団の兵士たちに語った。1年前から訓練を受けてこの地に派遣され、同盟国軍やイラク治安軍に対して最高水準の支援を提供することが確実である。 「将来は明るく有望だ。第1軍団は目の前にある任務を担う準備ができている。」と彼は語った。「我々の時間はいまだ」と彼は強調した。「名誉と成功を届けるために」。
第1軍団は、他の軍団よりも多くの作戦行動に参加した。また合衆国大統領感状を受けた唯一の軍団である。1918年以来、第1軍団の兵士たちは、陸軍の中で最も受勲された軍団にしてきた。
(原文のアドレス)
http://www.mnc-i.com/stories/MNC-I%20TOA.pdf
なお第1軍団司令部が駐留するフォートルイス基地の機関紙、ノースウエストガーディアンにも、関係する記事があります。記事のタイトルとアドレスのみ紹介します。
●Obama visits I corps troops
http://www.nwguardian.com/103/story/4903.html
●I Corps takes charge following transfer
of authority ceremony
http://www.nwguardian.com/103/story/4898.html
※上記の訳と、ほぼ同じ内容の記事
●Brown tasked with overseeing drawdown in
Iraq
http://www.nwguardian.com/103/story/4921.html