在韓米軍基地のフィールドワーク


◆龍山(ヨンサン)基地 ソウル市
●訪問日:9月10日午前
 9月9日午前に龍山基地を訪れて、グリーン・コリアのソ・ジェチョルさんから、この基地で起きた油の流出事故について話を聞きました。龍山基地は、韓国の首都ソウルの中心部に位置しています。100年前からは旧日本軍が基地として使用し、1945年以降は米軍が使用しています。韓国国防省が隣接し、また付近には外国人街のイーテーウォンがあります。
 米韓両国は、龍山基地の返還で合意しています。返還後は公園にする計画がありますが、基地内の土壌汚染が問題になっています。ここでは過去10年間に、10か所で汚染が発見されとのことです。
 2001年には基地近くの地下鉄・ノクサピョン駅の排水施設から、油が流れていることが発見されました。周辺住民は米軍基地内からの流出を疑いましたが、米軍は否定しました。その後、ソウル市の調査によって基地内からの流出が確定しましたが、米軍は汚染土壌の浄化を行っていません。
 ノクサピョン駅の土壌汚染は象徴的な出来事ですが、ここ以外にも、米軍基地の環境汚染問題はたくさんあるそうです。米韓政府間では基地の返還合意が進んでいますが、環境汚染は基地返還後に大きな問題になるだろうとのことです。米軍は汚染土壌の復元費用を支出せず、それらは韓国政府の予算で行われているそうです。こうした問題が、米軍基地の韓国への返還を遅らせているようです。
 ソ・ジェチョルさんは、「米国内の基地と海外の基地では、基地閉鎖時の環境復元基準が異なっている。国内と海外での差をなくすことが必要だし、米軍基地に関する情報公開が進むことも必要だ」と訴えました。



●ここが地下鉄・ノクサピョン駅です。


●ノクサピョン駅から、龍山基地の方向を見てみます。
道路の向こう側の、木々におおわれている場所が、龍山基地です。

●南山公園の展望台から見たソウル市内です。中央の木々に囲まれている部分が、在韓米軍・龍山基地。ソウル市内は、民家・マンション・ビルが乱雑に立ち並んでいる印象があります。しかし米軍基地の周辺は緑に囲まれており、ソウルの他の地域とは異なる印象を受けます。



●こちらは基地とは別方向のソウルの街並みです。


◆富平(プピョン)基地 仁川市 ※米軍名称:マーケット
●訪問日:9月11日午前
 富平基地も1945年以前は旧日本軍の基地として使用され、1945年以降に米軍基地になりました。基地に駐留していた米軍部隊は、1970年代にソウルの龍山基地へ移転し、基地面積の多くは韓国側に返還されました。現在では、17万坪が基地として使用されています。
 しかし基地としての役割はほぼ終えているようで、現在も基地内で機能しているのは、洗たく場・パン工場・廃棄物処理場・物量倉庫・廃車置場――などとのことです。これらの施設は米軍の下請け民間会社によって運営されていて、この基地で勤務している米軍兵士は、9人だけだとのこと。
 2000年に韓国全体で、SOFAの改定を求める運動が巻き起こりました。富平基地では周辺の住民が、基地の正門前で座り込みを続けました。674日間も続いた座り込みで、基地の閉鎖を実現することはできませんでしたが、正面ゲートが閉鎖されたそうです。その後、米韓政府は、この基地を2012年に返還することで合意しました。
 返還後は、面積の8割を公園に、2割を市役所などの公共施設にする計画とのことですが、基地内の土壌汚染が心配だそうです。基地が閉鎖されるまでは、韓国側による基地内の環境調査ができないことを周辺住民は危惧しています。



●富平基地のゲート前です。


●基地前と道路の間の土地に農作物が作られています。基地全体から、すでに機能をやめてしまった裏ぶれ感が漂っています。

 ●平基地のゲート前で、『返還の約束を履行せよ 環境問題の解決を求める記者会見』を行いました。地元の新聞社やテレビなど、数社が参加しました。
 仁川の市民団体から、「米軍によって被害を受けている3地域の住民が一つに集まった。これ以上、被害を受けることなく、平和に暮らせることを願っている。米軍基地の実態を、多くの人々に知らせて平和を実現しよう」とあいさつ。
 続いて発言に立った人からは、「米軍基地の汚染は酷い状況だ。全国では油による汚染は13か所、重金属による汚染が14か所で起きている。土壌と国民の健康が侵害されている。米軍基地内の環境調査の実施と、復旧費用に関する協定の締結、早期の返還を求めよう」とあいさつを受けました。


●沖縄参加者を代表して、豊見山さんが連帯のあいさつ。

●記者会見終了後に、基地に隣接するアパートの屋上から、基地を見下ろして説明を受けました。このアパートは返還された米軍基地の跡地に建設されたそうです。



●基地の中を見下ろすと、このような感じになっています。周りにたっているアパートも、かつては基地の一部でした。基地の中には、人の動きはほとんどありません


●こちらもかつての基地の一部です。いまは公園になっています。


●返還前から周辺に住んでいた住民に話を聞きました。以前はあたり一帯が米軍基地で、交通の障害になるなど、市民生活を大きく制約していたそうです。

原州(ウォンジュ)基地 原州市  ※米軍名称:キャンプ・ロング
●訪問日:9月11日午前

 米軍はこの地に、朝鮮戦争が停戦になった1953年に進駐してきたそうです。基地の中には、アパッチヘリ部隊や輸送部隊が駐屯し、また病院などがあるそうです。
 ここでは近年に2回の油の流出事故が起きていとのことです。2001年には800リットルのが、2008年には200リットルが、周辺の農地に漏れ出したそうです。油流出の原因は、貯蔵用の油タンクから別のタンクへ移動させるパイプが腐食していたこと。田圃の農業用水路に流出していたところを、農民が発見しました。土壌が汚染されてしまったため、一時は農業を営むことができなくなったようです。米軍は復元の責任を負わないために、韓国政府の環境部が復元しました。



●油が流出した現場で、市民団体から説明を受けました。黄色のベストをい着た人の、すぐ後ろが米軍基地です。


●こちらが、油が流出した田圃です。


●流出元になった、油の貯蔵タンクです。


●この溝(農業用水路)を通して、油が流出しました。事故発見当時は、火をつけると、土にしみ込んだ油が燃えだしたそうです。


●基地と農作地は、フェンス一枚で隣接しています。


●基地の正面ゲート前で、韓・沖・日の共同記者会見を行いました。


●本土側参加者を代表して、有銘ゆうりさんがメッセージを朗読。



原州市議会での懇談会
 油の流出現場を視察した後、原州市の市議会で、米軍基地の環境汚染問題に関する懇談会を行いました。原州市側からは、オ・ギョンオ市議会議長、カン・ヨイン副議長、ヨン・ジョンスン議員、ソン・チオ議員、キム・ヨンア職員が出席しました。
 
懇談会の冒頭に、オ・ギョンオ市議会議長から歓迎のあいさつを受けました。オ議長は、「米軍基地の環境問題は非常に重要。日韓は戦争の歴史を持つが、世界平和のためにも両国が協力して米軍基地問題に対処しなければならい。原州市では、米軍基地から油が流出した。いまでも完全な復元はできていない。それは、米韓SOFに不合理な部分があるから。基地の環境汚染問題を解決するためには、SOFAの改定が必要だ」と訴えました。

 また別の参加者は、「2001年の油流出事故の被害は、ある程度、回復した。また2008年の被害は、最近になって復元が終わった。しかし、汚染の原因は不明なままだ。米軍側が真相を明らかにしない。また米軍は謝罪もしないし、補償も行わない。こうした米軍の態度が問題である」と発言しました。

  原州側からは、「日本や沖縄では、米軍基地が撤退した後の環境問題はどのようになっているのか」との質問がありました。
 この質問に対して沖縄から、「米軍飛行場の撤去後に、地中に埋められたドラム缶が発見され、その中にはPCBやカドミウムなどが詰まっていた」という報告がありました。
  また林さんから、「日米地位協定では、米軍には基地跡地の原状回復義務が無い。そのため日本政府の費用で汚染を処理している。法律では一般に、『汚染者回復』の原則があるが米軍には適用されていない」と説明がありました。



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