韓国‐日本‐沖縄の米軍基地の環境問題への対応に関する連帯の意味とその展望
徐載哲 ソ・ジェチョル (グリーン・コリア)
1.東北アジアの悲劇が呼び入れた米軍
東北アジアに米軍が駐屯をし始めたのは戦争という悲劇的な歴史がきっかけであった。日本の軍国主義が東アジアを血で染めた15年戦争を始めたことがその直接的なきっかけになった。戦争の結果は残酷だった。沖縄が焦土と化したことを始め、広島と長崎には核爆弾が投下され、それから東京を含めた日本本島の沢山の都市も空襲の惨禍を被った。このような苦痛の終結の過程の内、沖縄の全域が米軍基地に変わって、日本本島にも東京と神奈川を中心に大規模の米軍基地が駐屯することになった。
日本でこの悲劇の歴史が生んだ米軍の駐屯は沖縄と関東で終わらず、朝鮮半島の南まで続いた。さらに、15年戦争の終結の過程で再び復活した対決の根は朝鮮半島の全域を血で染めた朝鮮戦争に生き返った。この戦争で300万人に当たる南北の民衆たちが死んで行った。そして、朝鮮戦争の終結は平和の時代へのスタートではなく、停戦(休戦)に繋がった。その結果、韓国では日本とほぼ同じレベルの米軍の駐屯が固着と化した。このように東北アジアに当たる米軍の駐屯はその出発点が日本軍国主義にあってそれが戦争の種であったのが、以降には他の戦争の対決の当事者になりながら、今まで韓国―日本―沖縄に当たる大規模の米軍の駐屯に繋がってきた。戦争が戦争を生み、対決が対決を生み、そして軍隊が軍隊を生んだことである。
2.米軍の駐屯と環境問題
韓国―日本―沖縄などに米軍が駐屯をし始めた初期には、法律と常識の通じない占領軍であって、地域の住民たちの人権を蹂躙して命と財産を脅威したこともあった。冷戦の激しい70年代の末から90年代の頭までこんな状況は続いた。しかし、韓国―日本―沖縄の民主主義が発展して地域の住民たちの生活の水準が上がることによって過去のような話にもならない駐屯は減っている。
しかし、今にも解決されずにむしろ構造化されて深刻な状況に入っている問題がある。それはまさに環境問題である。米軍によって発生する環境問題は戦闘機とヘリ機の飛行と訓練で発生される騒音や振動を含めて各種の油類による土壌と地下水の汚染やあらゆる砲弾とミサイル、実弾による重金属及び化学類汚染などが現われている。
およそ軍隊というのは大規模のエネルギー消費を基本としてさまざまな汚染物質を量産される。厳格な環境管理を行わなければ環境問題の百貨店になってしまう。ところが、残念ながら韓国―日本―軒縄に駐屯している米軍基地は米国本土とは異なる基準に従って使用され、訓練と作戦が遂行されているため、沢山の環境問題が起こっている。
こんな問題は被害が簡単ではないし、もし放置した場合には数十年、数百年も汚染が拡散されうる深刻な問題である。同時に、そっぽを向いている米軍の態度と当事者である韓国と日本の消極的な対応のせいで問題の解決は今もやはり遠い話になっている。
それで米軍基地のある地域の住民たちや市民団体や自治体や地方議会や、それから専門家たちなどが協力して米軍基地の環境問題の解決に取り組んでいる。それと共に、去る1990年代の中盤からは在韓米軍と在日米軍の個別的な現実を乗り越えて連帯を模索するレベルまで発展している。
3.韓国―日本―沖縄の連帯と歩み
1990年代の中盤、韓国と沖縄の交流が始まりながら環境問題に対する討論会と連帯活動が組織された。
米軍が沖縄を占領した後に行った強制土地接収に抵抗してきた沖縄の住民たちの戦い、特に1990年代頭の土地賃貸期間の更新拒否や反戦地主会や、そして一坪反戦地主会の活動が韓国に知らせて、1995年には米海兵隊員たちの暴行事件に対した沖縄の大衆闘争が韓国に大きい影響を及ぼした。
韓国の梅香里射撃場問題は韓国社会だけではなくて沖縄や東京や神奈川など色んな地域の連帯へ繋がった。梅香里と似ている状況の北海道の矢臼別演習場や九州大分縣の日出生台演習場などの地域住民との交流と訪問もできた。
さらに、2002年に二人の女子中学生が米軍の装甲車にひかれて死亡した事件を皮切りに起きた韓国の米軍に対する糾弾運動への日本と沖縄の団体や活動家たちのさまざまな支持と支援が行われた。
このような流れは在韓米軍と在日米軍の再編による基地の移転と拡張問題にも繋がった。
辺野古海上基地の建設阻止のための篭城闘争と海上デモは韓国の平澤米軍基地拡張への反対闘争などのような脈絡で連帯活動とお互いの支持訪問に繋がった。特に、辺野古や岩国などの基地移転に対する住民投票の例は韓国の団体たちとメディアの幅広い関心と交流を及ぼすことができた。
このように、1990年の中盤から最近まで韓国の米軍基地問題の現場と事件関して日本と沖縄の平和運動家たちと地域住民たちの交流と訪問が続いてきた。そして、韓国より割りと地域運動の歴史の深く、地方政府と地方議会の活動の活発な日本と沖縄を訪れて交流をする韓国の市民団体も増えてきた。特に、2000年前後までは日本と沖縄の米軍基地の現場を訪問する主体がほとんど韓国国内で米軍基地と関連する活動をする団体や運動家たちであったが、2002年以降からは平和に興味がり、民主主義を願う市民団体たちの訪問もできたし、さらに韓国のメディアの関心も大きくなった。
こんな動きを背景として去る2007年から自然に韓国―日本―沖縄が一緒になって米軍基地の環境問題に対する共同対応が提起された。この実践として出たのが交流や交換調査のための訪問や、それから問題の診断と解決策を模索する討論の場を設けることであった。
それで始まったのが2008年4月に沖縄で開催された第1回東アジア米軍基地の環境問題の解決のための国際シンポジウムであった。それのために2007年10月から12月の間に韓国の活動家たちは日本と沖縄の基地現場を調査するために訪問し、同じく沖縄の活動家たちも韓国に調査の性格を帯びた交流訪問をし始めた。
およそ世事はそういうように関係ということは理解と尊重が大事である。隣の間柄でもそうだけど、民間の間の連帯、特に同じであったり似かよった目的を持った団体間の連帯であっても、お互いに同じことはもっと生かして、異なることは十分認識して考慮しようとする姿勢が大切である。
特に東北アジアに駐屯する米軍基地は国際的な性格の軍隊であり、その活動の範囲も世界的である。それゆえ、韓国―沖縄―日本に駐屯する米軍基地は各国の立場に閉じ込められて認識する見方ではその実体をちゃんとつかむことが難しい。
4.我々の課題
それで重要なのが、在韓米軍や在日米軍や在沖縄米軍という枠を超えて国際的な性格を持つ米軍に対して国際的なレベルで対応しなければならないということである。ここで肝心に提起されるのは、各地域に限られて米軍を相手取るのではなく共通の被害と問題のある地域と国々が集まって国際的連帯に発展させなければならないということである。
1)ワシントンに向けた活動
こんな観点から提起される課題はすなわちワシントンに向けた直接活動である。今まで韓国や日本や沖縄に駐屯する米軍の環境問題への対応は問題が起こってから現地の米軍部隊や自国政府を相手取って抗議して是正を要求してきた。しかし、在韓米軍と在日米軍の両方とも駐屯と関する最も重要な決定と方針はハワイを越えてワシントンで決められる。
それゆえ、これから我々の対応の中で逃すことのできない集中点はすなわちワシントンにある米国政府と議会である。米国の国防省と国務部を相手に情報公開の請求から海外駐屯軍に対する政策と方針を確認させてもらって、それから対応戦略を模索するべきである。それと共に、議会も大切であう。米国は議会の権限と機能が他の国よりとても強い国である。ここには軍隊も例外ではない。だから、海外駐屯軍に関する問題、特に環境問題に対する関心と解決に議会を活用して色んな解決の方法を探ることも大事である。
それは確かに必要であり重要な活動であるけれども難しいところもある。先ず、英語という言語の問題もあるし、現地で我々を支援してくれる団体や組織を得るのも簡単ではない。同時に、米国の行政府と議会の組織と仕組みに対する細かい理解と眼識も必要である。
特に、韓国―日本―沖縄の皆に切実なのは米軍という軍隊と軍事活動に関する情報と動向である。そのために急いで対応力を上げなければならないことは情報公開請求に関連した手順と方法である。短期的にワシントンを見通しながら連帯活動で力を傾けなければならに分野である。
同時に、ワシントンと象徴される米国のメディアに対して我々の声を伝える様々な努力もしなければならない。こんな活動は初期にはもちろん簡単ではないだろうし彼らも我々を注目しないかも知れない。しかし、続けて活動を展開していけば扉はきっと開かれるだろう。我々の連帯にとって逃せばいけない課題である。
2)コミュニケーションの強化
インターネットを始めメディアの発達で韓国と日本はお互いに関する基本的な理解を増やしている。米軍基地運動にとっても重要なのはインターネットを活用して、或いは外信記者を通して直接又は間接的な仕方で疎通している。
ところが、もっと幅広くて日常的なコミュニケーションの場を設けることが必要である。
ブログやカフェーなどの共有の広場を乗り越える仕方が切実である。事例として、リムピースのサイトのようなインターネット上の空間を作って各自の地域で起こる米軍基地の環境問題とその対応活動を日常的に話して共有するコミュニケーションの場が切実に必要である。
3)教育の強化
コミュニケーションと同時に、米軍基地の環境問題に対する対応にあっても韓国―日本―沖縄―には共通点と違いがある。だからその共通点と違いを正確に認識し、お互いの長点を分かち合うことは大切である。連帯というのはある論点や議題に対して一緒に行動することが一次的であるかもしれない。しかし、それだけではなく日常的には経験と情報を共有しながらお互いの活動力を上げていかなければいけない。そんな側面で、多様な形の交換訪問も続けなければならないし、シンポジウムのように定期的な討論よ認識の場も拡大して発展し続くべきである。
まだシンポジウムは当初の期待に比べて微弱なところもある。だけどこのように定期的に会議を開けてお互いの経験談と成果を分かち合うことは、評価と比較検討の面と深みのある研究と省察という面で意味を持つ。東アジアの米軍基地による環境被害への対応のための国際シンポジウムが直ちに大きい話題にはなれないとしても、それを続けること自体が里程標にもなり羅針盤にもなるだろう。
4)将来世代の参加
こんな流れと同時に将来のために皆が投資するべき分野がある。それはまさに次世代つまり将来世代を育て彼らが運動の主役になれるように支援することである。米軍基地は歴史の結果であり歴史的な過程を飛ばしてはいけないので若者たちが東北アジアの歴史を十分理解して、自分の地域と国を基盤として東北アジアの将来まで眺める活動が大事である。具体的な方法は今後も続けて検討して探るべきであるけれど、我々の活動の中で若者たちが参加して一緒にできるような実践とプログラムについてはこれから本格的に議論しなければならない。可能であれば2010年からは若者たちが一緒に参加できるような方案を模索するべきである。
5.結論
韓国の諺に「最初のひとさじで腹がふくれようか」という言葉がある。最初の段階で多くの成果を望むことは難しい。しかし、それが行くべきの道であり時代が求めることであれば我々は将来を眺めながらうまずたゆまず歩まなければならない。韓国や日本や沖縄に駐屯している米軍基地に対する対応ももう各自の地域を乗り越えてハワイも乗り越えてワシントンに向けるべきだ。たとえ最初は微弱であろうかも知れないが最後は強大になるだろう。正に東北アジアに軍事強国の対決のなく、軍縮と平和が外交の基本になる共存の時代が来るだろう。我々の努力はそこに向けて前進するだろう。