日頃、戦争や核兵器について、テレビ報道が行われている度に「どう思う」と子どもに聞きます。すると素直に「戦争は駄目だと思う。」と答が返ってきます。感覚では分かっているのかなとは思っていましたが、本当に理解できているのかなと不安でした。

 そこで、今回、子どもと一緒に戦争や核兵器について詳しく学ぼうと親子で参加しました。バスの中や現地での地元先生の説明で、人の死を通して平和の大切さや戦争の悲惨さを学ぶことができました。子どものひろばで、娘が、即席で行ったメッセージ発言には驚きました。大勢の人の前で「原爆で何千人何万人もの罪のない人が死んだのは、とても辛い。アメリカも他の国も悪い核兵器を作らないようにさせたい。」と、きちんと自分の言葉で発言した娘を見て、これまでの不安は吹っ飛びました。
 帰った宿で、もらった資料を広げ、佐々木貞子さんの話等、投下から何年もたって原爆症で亡くなられる人も多く、核の負の遺産は未来まで続くこと小話し合いました。とても意義深い学習ができたと思います


 今回の子ども代表団参加は、私にとって4度目のヒロシマでした。小学生のころから少しずつヒロシマについて学び、いろいろなことを知りました。けれど、戦争や原爆がこわいと思う気持ちは、初めてヒロシマを知ったときから変わりません。それどころか、知れば知るほどおそろしいと感じます。
 日本で戦争があったのは私の生まれるずっと前のことです。でも、世界には今も戦争をしている国があります。日本もそれを手伝うことになるかもしれません。また戦争をしてしまうかもしれません。そんなニュースを聞くたびに、私は不安で胸がいっぱいになりなす。そうしたら、私や私の家族は、誰かを殺すことになるのでしょうか。それとも、誰かに殺されるのでしょうか。
 戦争は、だまっていてもなくなりません。平和は、じっとしていても守れません。だから行動しなくてはなりません。
 行動するといっても、特別なことではないし、難しいことでもありません。子ども代表団への参加も、行動のひとつです。参加しなかった友だちに、この代表団でのことを話すことも、立派な行動だと思います。
 感情だけの世界では平和にはならないという、ヒバクシャの坪井さんの言葉が忘れられません。私たち一人ひとりが、平和な世界をつくり、守るためにどうすればいいか、考えなければなりません。みなさんはこの旅で何を感じましたか。その感じたことすべてを大事にしてください。その一つひとつが、平和を守る力になるのです。
 最後に、この代表団に参加したみなさんにお礼を言いたいと思います。なぜなら、みなさんが真剣に学ぶ姿を見て、勇気をもらったからです。この勇気とは、一人でも多くの人々に平和の大切さを伝える勇気です。
 核も戦争もない平和な21世紀のために、私の力がほんの少しでも役に立てばいいな、と思います。



 今回生まれて初めて広島に行き、原爆について本格的に勉強した感想は「テレビや本で学ぶより現地に立つほうが良い」です。今までは教科書やテレビを見て知った気でいました。しかし、現地に行き、歩き、資料を見ながら話を聞くと大分想像とは違います。原爆の破壊力や被害は桁違いでした。特に今回は平和運動にも参加できたので運動の大切さも感じることができました。
 誰しも平和を願い平等な世の中を夢見ているとは思います。でも何もせずに願っているだけでは、いつまでたっても平和は来ません。一人一人が考えて動くことによって早く平和な世界がくると思います。広島に行くまで私は願うだけで動いていなかったと思うので、これからは積極的に動いていきたいと思います。
 子どもたちと一緒に行けて本当に良かったです



 何から書いたらよいだろうか。
 岩波新書に『ヒロシマノート』という本があった。大江健三郎氏の本で、もしかしたら、もう絶版になっているかもしれない。
 どうも記憶が定かでないが、私がこの本を読んだのは、中学3年か高校の卒業も間近のころだった。
 原水爆禁止の運動が「禁」と「協」に分裂する様子が描かれてあったように思う。当時10代半ばの子どもが、どうしてそんな本に興味を持ったのか。夏休みを利用して、8月6日、広島に行こうと思いたった。
 「埼玉子ども代表団」の6日のまとめの話でもみんなに言ったのだけれど、ユースホステルにすぐに予約を入れた。(今、ユースホステルの会員証で確かめてところによると、昭和43年、高校3年の時だった。)
 ユースホステルには、5日と6日、2泊した。そしてその前後は夜行の鈍行に乗った記憶があるので、都合4泊5日の旅行だった。
 35年前の話である。
 その間、広島には数回訪れているけれど、8月の6日ではなかった。
 埼玉教組の武井さんが、夏になると子どもたちをつれて広島に行っていることは、なんとなく知っていたが、あまり関心はなかった。カンパをしたこともなかった。
 今年、広島に行ってみようと思った。
 時代状況に対する危機感も感じていた。
 武井さんの人柄も当然あった。
 子どもたちが行く、ということにも興味があった。
 何か手伝えることがあれば、という気持ちも強かった。
 子ども(といっても中学生もいるのだから、失礼な言い方になるが)たちは、14名。小学3年生が2人。そして小学校上級生と中学生。
 2人の若者が、ボランティアということで、参加していた。
 大人が4人と子どもが14名、というよりも彼らはずっと子どもたちに近い年齢なのだから、表題に書いたように16人の若者とオジさん2人、としたほうがずっと実感に近い。
 事実、武井さんはどうだったか知らないが、こっちのオジさんは、心のサビをこそげ落とすのに懸命だった。
 4日の日に、広島についてホテルに荷物を置き、平和公園に行った。
 武井さんが原爆ドームの前で、少し話をしたあと、資料館へ行くことになった。
 途中、3年生のA君が、ポツリと「赤い火の玉からドラえもんが出てきて、死んだ人をなおせばいいのに」と言った。
 暑い日だった。
 資料館の見学。集合時刻になっても、これも3年生のB君が姿を見せない。探しに行くと、被害の実情を表すビデオを、食い入るように見ていた。
「もっと、見ていたかったのに。」とつぶやく。
 教員になって、何年か過ぎた頃、小学校低学年の娘と保育所に通っていた息子を連れて家族で資料館に来たことがあった。
 事実がどうなのかはわからないが、当時の資料館の展示はもうすこし生々しかったのかもしれない。2人の子どもは、以来「ヒロシマはこわい」と言い続けている。
 もう一度行ってみようと言うと、いやだと言う。
 そんなことを、3年生の2人といろいろ話しながら思い出したりした。
 おとなは(オジさんは)心のどこかに「…すべき」ものという考えがあって、それが言ってみれば、サビなのかもしれない。
 よくわからないが。
 ヒロシマを訪れる直前に、原爆の子の像の折り鶴が燃やされるというニュースが伝えられた。時期も時期だった。近頃の若者は…と言うにはもってこいのニュースだった。「むしゃくしゃした」というコメントも、火に油だった。
 その後、同じ大学の学生が、燃えた折り鶴の数倍にあたる数の鶴を届けたというニュースも続いた。
 どう考えればよいのだろう。
 過剰なバッシングではなかろうかと、ふと思う。
 8月6日の朝。
 ちょっとしたハプニングがあって、みんなより少し遅れて平和公園の平和祈念式の会場に着いた。
 黙とうの後、秋葉忠利広島市長の平和宣言。
「しかし、問題は核兵器だけではありません。国連憲章や日本国憲法さえ存在しないかのような言動が世を覆い、時代は戦後から戦前へと大きく舵を切っているからです。また、米英軍主導のイラク戦争が明らかにしたように『戦争が平和だ』との主張があたかも真理であるかのように喧伝されています。」
「世界中の人々、特に政治家、宗教者、学者、作家、ジャーナリスト、教師、芸術家やスポーツ選手など、影響力を持つリーダーのみなさんに呼びかけます。いささかでも戦争や核兵器を容認する言辞だけは弄せず、戦争を起こさせないために、また絶対悪である核兵器を使わせず、廃絶させるために、日常のレベルで祈り、発言し、行動していこうではありませんか。」
 何人かの子どもたちの感想にもあったが、全く心の伝わらない小泉純一郎氏のあいさつに比べ、秋葉氏の平和宣言、そして子ども代表のあいさつには心が動かされた。
 日常のレベルで祈り、発言し、行動していこうではありませんか。
 16名の若者たちへ
 「ヒロシマに学ぶ埼玉子ども代表団 10年間の歩み」という冊子に次のような一文があります。
「世界が平和になるためには、友達をたくさん作ればいい。友達の上には原爆は落とせない。」(1999年 の参加者)
 みんながたったの3泊4日で、いやもう旅の1日目から仲良くしているのを見ていると
この子の言葉が本当にそのとおりだと思えます。
 そして、武井先生が言ったとおり、平和祈念式で、総理大臣よりも先に子ども代表が誓いを述べるのも、そんな力を子どもたちこそが豊かに持っているからだと思います。
 そんな子どもたちへの期待が、大きいからだと思います。
 まとめの会の時に、私は少し変なことを言いました。 
 良い人と悪い人がいるのではなくて、一人の心の中に良い心と悪い心があるのだと。
 小学生には少しむずかしいかもしれません。
 むずかしいかもしれませんが、考えてみてください。覚えておいてください。
 中学生には、少しわかるかもしれません。
 もし、人間に良い人と悪い人がいるとすれば、自分の心の中に悪い考えがうかんだり、ちょっと悪いことがしたくなったりした時、自分は悪人なのではないかと思ってしまうでしょう。
 そうではなくて、人間というのはそんな善と悪をうまくコントロールして生きていくのです。そのコントロールをする力を育てるのが、勉強なのです。同じように遊ぶことも大切なことなのです。
 広島で、みんなは、オジさんたちよりも数倍もたくさん、その勉強をしました。仲良く遊んでいました。
 そんな、みんなに、オジさんたちは期待しています。
 ありがとう。元気で。



 先日は武井先生を初めとする皆様方には大変お世話になりありがとうございました。
 中学2年になりますと、広島でのこと、あまり細かくは話してくれません。(どうだったんでしょうか。)ただ少しづつではありますが、ああゆう事もあったとか、こうゆう事もあったと、話しています。
 資料館での見学は、やはり考えることも多いようで私たちには「皆死ぬまでに一度は見ておくべき所だ」と言っていました。
 今回の経験・体験がどのような形で表れるのかはわかりませんが、これから成長するにあたりきっと役立つ事と思っております。
 子どもたちが成長するには難しい時代となっています。 
 先生方も大変だと思いますが、これからも多くの子どもたちが、広島に関心を持ち成長していって欲しいと思います。
 ありがとうございました。



 広島行きの際は息子が大変お世話になり、ありがとうございました。
 今回の参加は、偶然、知り合いよりお誘いを受けたのですが、本当に良かったと思っています。このような子ども代表団を10年にもわたって派遣されていることも正直知りませんでした。子どもたちに平和な世界を伝えることの大切さを、私自身、再認識する機会がもてました。
 今後、このすばらしい活動を続けていただきたいと思います。


 本人の強い希望で2年続けて参加させて頂きました。前回の参加から1年がたち、去年とはまた違った観点から広島に触れることが出来た様です。
 今回は「どうして広島という場所に原爆が落とされたのか?」ということが本人の心にわだかまりを残す問題となった様です。
 武井先生をはじめ、引率してくださった皆さん本当にお世話になり、ありがとうございました。親子共々、感謝の気持ちでいっぱいです。これからもお元気で、平和のための運動を続けていかれることを、心よりお祈りしています。

 広島の折りは、本当に大変お世話になり、ありがとうございました。
 帰ってからの娘の言動の端々から「素晴らしい体験をさせていただいたのだな。」と折りにつけ思っている毎日です。お忙しい日々の中、子どもたちのためにありがとうございました。走り書きにて失礼ながらお礼申し上げます。