イラク情勢Watch vol.55 07年7月17日

         発行:フォーラム平和・人権・環境  編集:志葉 玲



Topics
1)イラク関連報道Pick up
2)米軍、地元武装勢力と共にアルカイダ系グループを掃討?
3)イラク石油法、議会で審議〜民営化、欧米企業による搾取への反発も
4)サマワでサドル師派民兵と治安部隊が衝突、情勢緊迫
5)米軍とイラク治安部隊、非暴力掲げる民主化組織の幹部を殺害


1)イラク関連報道Pick up


【07.7.17 IPS/JANJAN】イラク:チグリス、ユーフラテス川は干上がったか

【07.7. 17 朝鮮日報】米空軍、最先端無人攻撃機をイラクに配備へ

【07.7.16 CNN】イラク北部キルクークで車爆弾が爆発、80人死亡

【07.7.13 読売】イラク治安部隊消耗、10個大隊から6個大隊に減少

【07.7.13 産経】68%がイラク政策不支持 米誌世論調査

【07.7.10 BNN】多国籍軍の後方支援が主体 空自のイラク派遣を1年延長



2)米軍、地元武装勢力と共にアルカイダ系グループを掃討?

 イラク人ブロガーのゼイド氏は、15日付けの彼のブログ「ヒーリング・イラク」で、「米軍はアルカイダ系テロ組織根絶のため、イラク中部や西武のスンニ派武装勢力へ、武器や資金を提供している」と書いた。ゼイド氏によれば、バグダッド南西部のアメリア地区のスンニ派武装勢力は、米軍からの支援を受け、同地区からアルカイダ系武装勢力の追放に成功したという。また、このアメリアの武装勢力は、反米武装勢力のネットワークから離脱した、とも書いている。

 いわゆるレジスタンスと呼ばれる、地元出身の武装抵抗勢力は、内外の原理主義者達を主体とするアルカイダ系武装勢力とは仲が悪く、これまでも両者が戦闘を交えることはあった。ゼイド氏の主張と同様の情報は本編集人も現地から報告を受けており、おそらく事実だと思われる。イラク中西部を攻め倦む米軍は、レジスタンス系武装勢力と停戦調停の最中だと言われ、合意できたレジスタンス系のグループを使ってアルカイダ系を掃討しているのかもしれない。また、レジスタンス系も反目するアルカイダを追い出すため、一時的にかもしれないが、米軍を利用することはありうる。

 ただし、現在のイラク内戦も、シーア派民兵を主体としたイラク軍を、米軍が掃討作戦のために利用したことが大きな原因となっている。米軍とレジスタンス勢力が和平に至り、現地情勢が沈静化するどうかは、まだ予断を許さない。


3)イラク石油法、議会で審議〜民営化、欧米企業による搾取への反発も

 イラクのマリキ内閣は今月3日、イラクの石油開発について定めた、石油法案を閣議で承認し、国民議会へ送った。石油がどう分配されるかは、イラク内戦の一つの要因となっており、ブッシュ政権は同法案をイラク情勢を安定させる基準点としている。だが、一方で同法案は、外国企業にあまりに有利な条件となっており、「イラクの石油を奪う」と反米感情を高めることとなりそうだ。

 石油法案の大部分は、イラクの石油事業の民営化や、外国企業がいかに油田開発に関われるかに割かれている。今年1月、英インディペンデント紙は「イラクの石油による利益は、外国企業のすさまじい搾取によって、最大で、その75%が奪われる可能性もある」と報じた。また、法案では現在知られている80の油田のうち、3分の2が外国企業に開放され、30年にわたり石油を抽出する契約を結ぶことができるという。

 イラク南部の油田地帯の都市バスラでは、石油関連の労働組合がストライキやデモなどで石油法案に対して抗議を行っている。マリキ政権は、反対運動のリーダー達の逮捕を命じ、実際に収監された者もいるが、石油法案への反発は高まるばかりだ。


4)サマワでサドル師派民兵と治安部隊が衝突、情勢緊迫

 イラクの通信社「イラクの声」は、16日付けの記事で、緊迫するサマワ情勢を伝えた。
同通信によれば、サマワ当局は、対米強硬派であるサドル師派の同市支部のリーダーらに逮捕状を出した。また、サドル師派の民兵組織がサマワ市外から流入し、襲撃されることを恐れ、同市への道路を全て封鎖したのだという。

 サマワでは、先週にサドル師派の民兵組織「マハディ軍」と治安部隊が衝突、8人が死亡、67人が負傷している。これに対し、当局はサドル師派やマハディ軍のメンバー、そしてこれらとつながりがあるとされる、一部の治安部隊関係者に対しての謙虚を行っていた。


5)米軍とイラク治安部隊、非暴力掲げる民主化組織の幹部を殺害

 今月4日未明、米軍とイラク治安部隊は、非暴力で米軍の撤退や、政教分離を訴える民主化組織「イラク自由会議」の安全部隊・隊長のアブド・アルフセイン・サダム氏を拉致、2日後にバグダッド中心部のヤルムーク病院で、アブド氏の遺体が発見された。アブド氏は、宗派間抗争の沈静化に尽力し、「イラク自由会議」によれば、治安悪化が著しいバグダッドでも、アブド氏が活動していた地域では、宗派間抗争による犠牲者は出なかったのだという。

 以下、いくつもの反戦・平和のHPやブログを運営する、どすのメッキー氏による、イラク自由会議の声明の仮訳。
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【アブド・アルフセイン・サダム暗殺に対するイラク自由会議の声明】
Statement of Iraq Freedom Congress on the Assassination of
Abdelhussein Saddam
http://www.ifcongress.com/English/News/2007/0707/ifc-abd-state.htm

 テロリストである米軍は、7月4日バグダードのAlattiba近郊で、イラク自由会議幹部のアブド・アルフセイン・サダムと彼の娘に発砲した後、彼を拉致しました。その2日後、彼の遺体はYarmouk病院の鑑識センターで発見されました。この犯罪行為を犯した米軍は、イラク国家警備隊の支援で特殊な軍用車を使う特殊部隊でした。

 アルフセイン・サダムは、1957年バスラの進歩的な家庭に生まれました。彼は1997年フセイン政権を厳しく批判した罪で情報局に逮捕され、2年間拘束されています。2006年11月、彼はイラク自由会議の隊列に加わり、2007年4月に安全部隊の隊長になりました。同じ年の6月には、イラク自由会議の中央議会の補助議員に選ばれました。

 彼のものおじしない度胸は多くの人の知るところでした。彼はバスラ、そしてバグダードの多くの地域で慕われる存在で、社会的影響力を持っていました。彼はまた、安全部隊のメンバーが実地訓練や演習を行うバグダードの多くの地域でその指導者でした。人々の安全や治安を掻き乱す宗派的なギャングを決して許さない勇気でも彼はよく知られていました。彼が安全部隊の指導者を努めていた期間を通して、彼の住んでいた地域だけでなく、安全部隊の活動していた地域で宗派対立による殺人は起こらなかったのです。

 安全と治安に関する例として、彼はAlaiwadeh近郊の状況を変えることができました。さらに、彼は多くの安全部隊隊員やイラク自由会議のメンバーとともに、「わたし達はスンニでもシーアでもない。わたし達はまず人間なのだ」というイラク自由会議のスローガンを発表しそれを広めました。しかし、それが占領軍と宗派的対立につけこむギャング達を怒らせてしまったのです。犯罪者米軍は、彼らがテロリストのギャング達となんら血画がないことを改めて証明し、その犯罪の記録に新たな例を付け加えました。米軍は、社会の富を盗むためだけにイラクにやって来たのです。

 これが、犯罪者が持ち込んだ民主主義の実態であり、彼らはイラクをその法律と宗派的なギャングの法律に支配されるジャングルに変えてしまおうとしています。そこでは、人間性を護るどんな旗も掲げることを許されず、したがって、イラク自由会議がその方針と決意を変えないと見るや、本部を襲撃し、メンバーを逮捕し、指導者の一人を暗殺することで打撃を与えようとしたのです。

 イラク自由会議は、わたし達がアルフセイン・サダムの誘拐に対する声明で喚起したように、テロリスト米軍が実行した犯罪行為に対し適切な対応をしていきます。

 米軍マフィアのアブド・アルフセイン・サダム暗殺は、イラク自由会議の決意をくじくことはできないでしょう。そして、それは、イラク社会からあらゆるテロリストを追放する努力を続ける新たな原動力となるでしょう。アルフセインを殺害しても、彼の精神、大きな夢、宗教的に自由で、人道主義が満たされ、占領や宗派的な暴力のないイラクを実現するための勇気は、自由を愛する人々の心の中に、ずっと生きつづけるでしょう。

 アルフセイン・サダムよいつまでも。
 占領とその同盟を打ち負かそう。
 イラク自由会議よいつまでも。

 イラク自由会議
 2007.7.6

(以上、仮訳byどすのメッキー氏)
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