イラク情勢Watch vol.50(臨時号) 07年4月02日
         発行:フォーラム平和・人権・環境  編集:志葉 玲


お詫び本コーナー編集人が多忙であったため更新が滞っておりましたが、
今月から更新を再開致します。


最激戦地ラマディからイラク人青年が来講演

  

 
今も米軍による激しい掃討作戦が頻繁に行われている、イラク西部ラマディから、23日、現地住民のカーシム・トゥルキ氏(30)が来日した。イラク支援を行う国内のNGO・個人によるネットワーク「イラクホープネットワーク」の招聘。カーシム氏は、現地の状況を伝えるべく、埼玉、北海道、広島で講演を行い、そして本日、東京で講演を行う。

           緊 急 開 催!! イ ラ ク 開 戦 か ら 4 年
            戦 闘 地 域 ラ マ デ ィ か ら の 報 告

            『 イ ラ ク の 空 に は 何 が 見 え る ? 』
               〜 あるイラク青年の体験 〜

            4月2日(月)18:30〜(開場18:00)東京
    場所:文京区民センター 2階2A(文京区本郷4-15-14/
        三田線・大江戸線春日駅A2出口の真上)
    参加費:500円
    共催:NPO法人PEACE ON/イラクホープネットワーク/
        ファルージャ再建プロジェクト
        連絡先:03-3823-5508(PEACE ON)

 カーシム氏は18日まで、日本に滞在、各地での講演やメディア取材への応対を行う。この件の問い合わせは、イラクホープネットワーク(iraq_hope_net@yahoo.co.jp )まで。


 以下、
埼玉県・秩父市での高遠菜穂子さんの講演に、ゲスト出演したカーシム氏の発言要旨
**********************
 私の故郷、ラマディはバグダッドから100キロほどのところにあります。ラマディはこの3年くらい、米軍によって封鎖されており、毎月のように、掃討作戦が行われ、私達が外に出られるのは、日に3時間程度です。電気や水など基本的なインフラも破壊され、食料も不足しています。ほとんどの家々が破壊され、ほとんどの住民達がその家族の誰かを失っています。私を含め、ほとんどの男性が米軍に拘束された経験があります。


・ブログ(インターネット日記)を理由に米軍に拘束される

 私の場合、拘束された理由は、インターネット上で書いた日記(ブログ)を英文で書いたことでした。「私の日常生活」というタイトルで、ラマディの状況を書いたのです。このブログは欧の平和運動家達やジャーナリスト達からも注目され、米ボストンの新聞社が出版したいとオファーしてきたり、あのマイケル・ムーア氏がコンタクトをとってきたこともありました。このことが気に食わなかったのか、昨年9月、米軍兵士達は深夜、私の家に突入してきました。家具を壊し、現金を奪い、私の身分証明書を破り捨てました。幸い、パスポートは隠していたので。破られないですんだのですが。こうして彼らは私を拘束したのです。


・収容所での精神的な虐待

 捕虜収容所では私達は酷い扱いを受けました。日に二度は身体検査と称して、皆の前で全裸にさせられ、米兵達は笑ってました。収容所には、まだ未成年の子どもや病気の老人も居ました。
  取調官はプリントされた私のブログを見せ、「武装勢力のためのプロパガンダだ」と言いました。そして、「我々はお前の甥も拘束されているのを知っているぞ」と脅したのです。さらに地図でラマディのどこが空爆されているか、指し示しました。私はそれをとても恐ろしく思いました。
 なぜなら、彼らは私の家がどこにあるかも知っています。彼らはその気になれば、私の家を空爆できるのです。


・兄の死

 私はブログで、私の兄の死も書きました。兄は米軍の軍用車両と交通事故を起こし、病院へと運ばれようとしたのですが、米軍による道路の封鎖で、病院にはたどり着けませんでした。そして、兄はろくな治療を受けられないまま、息を引き取ったのです。米軍は、私が兄の復讐をするのではないかと疑い、武装勢力についての情報を聞き出そうとしました。


・憎しみや暴力ではなく街の再建を

 でも、私がやってきたことは、怒りや憎しみに負けず、街を再建させることでした。高遠菜穂子さんによるファルージャ再建プロジェクトと協力して、診療所を建てたり、机や椅子など学校の備品を届けたりしました。木でできた備品は米兵達が暖を取るために燃やしてしまったからです。
 消防所への支援も大切です。ラマディでは救急車も狙撃されるので、消防車を救急車代わりに使うからです。

 支援活動は時に困難に直面します。私と一緒に仕事をしていたスタッフのうち二人は、米兵に撃ち殺されました。彼らは、米軍の掃討作戦の現場へ行ったのですが、米兵達は彼らがビデオカメラを持っていたのが、気に食わなかったのでしょう。別のスタッフは、米軍に拘束され、イラク兵によって、殴打やケーブルでの鞭打ちなど、激しい暴力を受けました。彼が殴られる様を見て米兵達は笑い、写真を撮っていたそうです。 

 あまりに理不尽な状況に、耐え難くなる時もあります。特に兄が死んだ時はそうでした。でも、ブログの読者達が、私を励ましてくれました。だから、憎しみを抑えることができた。米軍に拘束されている間も、ブログで「カーシムと連絡が取れない!」「何かあったじゃないか?」と騒ぎになり、米軍もそれを見ていました。だから、私は解放されたのだと思います。


・私の敵はイラクにある全ての銃

 米軍に拘束されていた時、取調官は私に、「お前は誰か敵がいるか?」と聞いてきました。それに対して私は「イラクにある全ての銃だ」と答えました。取調官は「じゃあ、我々も含まれるのだな」と言いましたが、私が望むのは、全ての暴力がイラクからなくなることだけです。 

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カーシム・トゥルキ氏プロフィール

 1976年11月27日生まれ(30歳)。エイドワーカー。イラクアンバール州ラマディ在住。アンバール大学機械工学部卒業。イラク戦争中は共和国防衛隊に所属。
 イラク戦争直後4月28日にファルージャで起きた米兵によるデモ参加者乱射事件をバグダッドのメディアに報せに来たことをきっかけに、フリーのガイド兼通訳として米テレビCNNや日本人ジャーナリストに同行。
 同年6月、日本人と同行取材中に米軍に不当逮捕され9日間拘束。釈放後、「イラク青年再建グループ」を主宰。
 これまでに学校などの修繕工事、診療所開設、避難民への緊急支援などを行っている。2004年からは日本の民間支援「ファルージャ再建プロジェクト」と協同し現場の指揮を執っている。
 昨年はラマディの様子を英語で記したブログがアメリカを中心に話題となるが、それを理由に再度米軍に拘束された。




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