イラク情勢Watch vol.35 06年5月20日
発行:フォーラム平和・人権・環境 編集:志葉 玲
毎週更新(予定)
お詫び:本コーナー編集人のパソコンが不調であったため、更新が遅れました。関係の皆様にご迷惑をお掛けしたことをお詫びいたします。
Topics
1)週間イラク報道Pick
up
2)「家宅捜索」での米軍の横暴、現地情報提供者が告発
3)イラク中部ラティフィヤで米軍による空爆、家宅捜索
4)留まるところを知らない宗派間対立/イラク新政権と米軍の責任は重い
1)週間イラク報道Pick up
【06.5.18 ロイター】イラク駐留米軍の縮小は約束できない=国防長官
【06.5.16 共同】サドル師派に善処要求 サマワの州知事
【06.5.16 時事】イラク第10次群、140人到着=治安悪化の中、緊張の移動−サマワ
【06.5.15 共同】治安閣僚抜きで組閣も イラク、アラブ紙報道
【06.5.15 産経】イラク部隊同士衝突 軍内にも「民族・宗派主義」
【06.5.13 毎日】<イラク>サマワで武装集団が複数の警察施設襲撃
【06.5.13 西日本】ブッシュ米大統領 支持率最悪 初の20%台 戦争、移民…保守層も嫌気?
2)「家宅捜索」での米軍の横暴、現地情報提供者が告発
前号で米軍に攻撃されているイラク西部の都市ラマディの住民からの訴えを紹介したが、続報が入ってきたので、本コーナーでも紹介したい。
以下、ラマディ住民からのメッセージ。翻訳は細井明美さん。
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2006年5月11日
その日はラマデイ中で銃撃の音が響いていた…午前9時頃、
F16が再び駅を爆撃した…そして戦車が鉄道で働いている
人々の家を砲撃した…3人の民間人が殺された。父親と2人の
子どもたち…けが人が数人…破壊された家が残った。
2006年5月12日。
米軍はレジスタンスに攻撃された…攻撃されたのは農業大学
にあった陸軍基地だった…
レジスタンスは機関銃と迫撃砲で基地を攻撃した。そのため
米軍はその夜基地の近くの家を攻撃した。彼らは、通りに
戦車でやってきて、たくさんの人々を逮捕して、多くの家を
家宅捜索した….
どんな家宅捜索がされるのかというと…
普通、米兵は深夜12時過ぎに戦車に乗ってやってくる….
彼らは自分たちがレジスタンスだと思った人間は誰でも逮捕する。
彼らは、街の中を走っていて、家の中で動きまわっている人影が
見えると、どの家だろうと逮捕する….逮捕の事例で最も多いのは、
米兵が、深夜に起きている人間を見咎めたときだ!!!
それで、我が家も含めこの地域に住む多くの人間は音を立てない
ように自分たちの部屋に隠れ、子どもたちを静かにさせてベッドに
連れていく……あらゆることが毎晩暗闇の中で行なわれる。
どこの家の発電機もガソリンの高騰で燃料不足になりほんの
数時間しか動かすことが出来ないのだ。
家宅捜索のあとは次のような結果が待っている:
1ー破壊されたドアと窓。
2ー 壊された家具とテレビ、冷蔵庫などの電気製品。
3ー割られた車のガラス。
4 ーショックを受けている子供と女性たち
深夜、どこの家でも行なわれる家宅捜索がどのようなステップを
ふむかというと:
1ー 米兵は、家を取り囲み、しばらく見ている。
2 ー窓にソニック爆弾を投げ入れる…ソニック爆弾は、
高周波の爆発音で人々(家族)にショックを与える。
家の中にいてこの爆弾を受けると、誰でも少なくとも
20分は聞こえなくなる….赤ん坊にとっては、生涯耳が
聞こえなくなるというリスクがある。
*ソニック爆弾ーーー音爆弾。パレスチナでも
使われている兵器。脳と神経が侵される。
3ー米兵は開いているさまざまな場所(窓、ドア)から家に
入るので、ドアがバリバリっとものすごい音をたてる…
寝室と台所など、どこもかしこも。
4 ー彼らは大声で叫び、無理矢理全員(女性、子供さえ)を
取りおさえ、手をしばり、真っ暗な狭い一部屋に押し込める….
5 ー米兵は捜索を始める。彼らはカギのかかったキャビン、
ロッカー、どんなものでも壊してしまう……
6ー家の中に兵器、爆弾がないかを確実にチェックした後….
米兵は家族から情報を集め始める。ほとんどの場合、通訳は
いない。それで、彼らは基地で尋問するために男性と少年を
逮捕するようだ。
7−終わったあと、彼らは煙爆弾を外から投げ込み、逮捕した
人々を連れて戦車に乗って基地へ戻る。
我が家は深夜の家宅捜索のときこの経験を何度もした….
僕が米兵の通訳が出来ないときは、家族にとっては最悪だ。
何回も、僕は米兵から(僕の家を家宅捜索するとき)良い給料を
払うから米軍の通訳にならないかと誘われた。でも、僕は断った。
彼らが僕の仲間を殺している間は、イラクでの米軍の戦争犯罪の
仲間になってしまうと思うから。米兵は、自分たちの銃でたくさんの
イラク人を殺し傷つけたことを理解する必要があるし、彼らは皆、
自分の問題としてイラクの惨劇をシェアするべきだ。さらに言うなら
すべてのイラク人が被害者で、その一部がイラクの惨劇を止める
ために抵抗戦士として戦っているのだ(と多くのイラク人は思っている)。
2006年5月13日
今朝、米軍は、狙撃兵の拠点にしようとさらに多くの家を占拠しようと
した……そして、たくさんのレジスタンスがこれを阻止しようと銃を
持って現れた。
米軍は戦車、ヘリコプターなど彼らが持ちうるすべての力を使った。
そして多くの家を攻撃し、多くの人々(犠牲者の大部分は民間人)を
殺した……今回、米軍は、狙撃兵の拠点として僕の家を選んだ….
3時10分、家族が眠っている間に、米兵が門を壊し、占拠しようと
した….しばらくして庭の背後に来た…僕は目が覚めた…そして、
歩いてくる彼らの足音を聞いた……数分後、我が家の2つのドアが
壊され、彼らが中に入ってきた….
僕は部屋から飛び出し、いくつかの英単語で自分がいることを
彼らに伝えた。突然寝室に入ってくるアメリカ流のやり方に家族を
びっくりさせないようにするためだ。
米兵は叫んだ「止まれ……後ろを向いて手を壁につけろ……」。
彼は僕が何をしていたかと尋ねた…もう一人の米兵が僕を
チェックして、次にこう言った「彼は問題ない」彼は僕をじっと見て
いる将校に向かって言った……
「まったく。英語が話せるイラク兵が3人しかいない…」
彼らは互いに言い合った。
「OK…ここの仕事が終わるまで米軍を助けないか……
我々はこの家にどんな人間が住んでいるのか知るために
お前が必要だ」他の兵士が僕の周囲を歩き、将校が尋ねた。
本当に暗かったので彼らが見えなかった。しかし、彼らは
ヘルメットについた器具で僕を見ていた….僕は将校がぼくの
足元を見るために石油ランプを持っていることに気がついた。
それで、彼が話している間、僕は彼を見た。
「僕たちを傷つけないでください。僕たちは平和な家族で、
ここにいるのは子供、女性、老人(僕の父)です…捜索をするなら
僕に家族を起させてください……」
「OK…急げ。ここに住んでいるすべての人間をこの部屋に
連れてこい」将校は僕の小さな部屋を指し示した。
僕は両親を起すために急いだ。そして彼らに冷静に伝えた。
「米兵がここにいる。だけど皆大丈夫だから…彼らは僕たちに
ひとつの部屋に集まるように言っている」
僕は父を恐がらせないように穏やかな声で言った…
父は心臓に持病があったのだ。
「これから姉の部屋に行って、彼女を起し、僕の部屋に連れていく」
2人の米兵が何も言わずに僕についてきた…彼らは僕が命令に
従うので安全だと思ったらしい……子ども部屋で甥が寝ている
のが見えた…5歳になるムスタファは病気で、熟睡していた…
僕は彼を抱き、他の子どもたちの部屋に連れて行った。
ついに僕はすべての家族を起し、家族全員ひとつの部屋に
集まった。米兵は家族全員の手をしばり始めた…僕は彼を止めた。
「どうかやめてください…貴方はドアにカギをかけるでしょう。
だったら手をしばらないでください。ここには子どもがいます…
子どもたちにはこれはつらいことです…お願いだから
やめてください」僕は将校に言った。
「OK…ドアにカギをかけろ…これで十分だろう」将校は言った
「この家に18人も住んでいるのか???どうやって」
将校は僕に尋ねた。
「僕たちには選べないのです…これが僕たちができる
すべてで…他に住む場所もないし…でもいいんです…
僕たちが皆で住むのには十分な家なんです」
僕は笑って答えた….彼らをリラックスさせるように。
「良い子だ…家族を大事にしろよ」彼は笑いながら言った。
「いや…僕は子どもじゃないです…大人です…ひどいなぁ」
僕は彼に言った….冗談っぽく。
「おお、ごめんごめん…いくつだ?」
「30歳です…」
「おお、若く見えるなぁ…30歳 ???本当か?」
「えぇ、本当ですとも….若く見えるのは僕のガールフレンドに
とってはいいことでしょ…ね?」。
「ハハハ…そうだな…お前は最高だ」と将校は笑った。
「彼女はステキさ…でもあんたには関係ないことだけど….OK…??」
私は笑って答えた。
「OK…OK…。さぁ、家族と一緒に部屋に入れ。
我々の仕事が終わったらドアを開けよう…さぁ、どうぞ入ってください」
将校は言った…
僕は黙って部屋に入った…一人の米兵がドアのカギをかけた。
そして僕たちは暗闇の中に残された。最初、僕は、米兵たちが
捜索を終えたらすぐに家を出ると思っていた….
しかし、彼らは午前11時20分までいたのだ…。
そして、僕たちは暗い部屋に6時間いた…最初の2時間は
とても暗くて暑かった….
ムスタファがトイレに行きたがって問題が始まった………
僕は兵士に彼をトイレに行かせてくれるように頼んだ…
「俺たちには出来ないんだ…出来るのは米兵だけさ…
俺たちは彼らの命令なしでは何にも出来ないんだ」と、イラク兵が僕に言った。
「今すぐ彼らにOKを聞いてきてくれ…
病気の子どもが今すぐトイレに行きたがっているんだ」
「OK…やってみよう……俺は英語が出来ないんだ…
手まねでやってみるよ…いいかい?」 イラク兵は答えた。
「OK…OK」
彼は階段を上がっていき、数分後に一人の米兵と戻ってきた。
「どうした???」
米兵はカギのかかったドアの向こうで僕に尋ねた。
僕は甥の説明をした…それから彼はドアをあけた。
「OK…一人で行ってこい…」米兵は言った
「いや、彼は病気だから無理です…病気で歩けない…
足が弱っているんです」
「OK OK…お前、一緒に行け…お前(イラク兵を指差して)、
そいつらを見張れ…. . 」 米兵は僕とイラク兵に言った。
「彼は何て言ったの??」イラク兵が僕に聞いたので、
僕は彼に説明した…………それから僕たちはトイレに行き、
イラク兵は僕たち、つまり僕と5歳のムスタファに銃を向けていた。
誰もがトイレにいくたびにこれが繰り返された…
僕たちは暗くて暑い部屋で人質として6時間過ごした。
次のメッセージでは何が起きたかを話すね……
ありがとう
****************
3)イラク中部ラティフィヤで米軍による空爆、家宅捜索
現地人権団体「イラク人権監視ネット」の報告によれば、5月13日、米軍とイラク国家防衛隊は、イラク中部ラティフィーヤへの攻撃を開始。軍事ヘリが民間人の家々に爆撃を加え、逃げ惑う人々にも追いうちをかけた。この攻撃で分かっているだけで25人以上が殺されたとされる。さらに女性二人を含む6人が米軍に拘束された。攻撃は15日にも行われ家宅捜索で多数の住民が拘束されたという。この攻撃は、ラティフィヤで米軍のヘリが撃墜されたことへの報復だとみられる。「イラク人権監視ネット」代表のムハンマド・タリク氏は「ファルージャやタルアファル、ナジャフなどの例があるように、米軍は住民への制裁として虐殺を続けている。これは米軍が占領軍であり、平和を望んでいないことの現われだ」と批難している。
ラティフィーヤはバグダッドから南に40キロほどにある町で、米軍への抵抗が激しいことで有名。隣接するマハムディーヤでは04年5月末に日本人ジャーナリスト橋田信介さん、小川耕太郎さんが何者かに襲撃され殺害されている。
4)留まるところを知らない宗派間対立/イラク新政権と米軍の責任は重い
今年2月のアスカリ聖廟爆破後に激化したイスラム・シーア派とスンニ派との衝突は、依然収まる気配がなく、犠牲者は増える一方だ。カタールの独立系ニュースサイト「イスラムオンライン」は6日付けの記事の中で「スンニ、シーア問わず誘拐された身内を捜す人々が、腐敗臭に布で鼻を覆いながら遺体安置所の前に行列を作っている」と報じている。
イラク新政権のタラバニ大統領の発表によると、先月の死傷者数は、「バグダッドだけでも1091人」とされるが、現地情報提供者の話によると、彼の住んでいる地域だけでも連日70人前後が殺害されており、実際の犠牲者数はイラク政府の発表を大きく上回る可能性もある。
・問われる新政権と米軍の姿勢
本日20日、昨年末の選挙実施から半年近くにして、ようやくマリキ首相率いるイラク新政権が発足したが、最大の課題はやはり如何にして宗派間衝突を終結させるか、であろう。
ザルメイ・ハリルザド在イラク米国大使すら「(シーア派政党と関係が深くイラク警察や治安部隊に巣食う)民兵達は “テロリスト”よりもイラク人を殺している」と厳しく批難しているが、治安機関の暴走を止め、民兵組織を解体することが必要だろう。
また、そもそも宗派間対立を煽ったのは、スンニ派地域での軍事作戦に、シーア派やクルド人の民兵組織からなるイラク国家防衛隊を参加させてきた米軍である。宗派間対立を終結させるためには、イラク新政権だけでなく、米軍側の方針の変更が不可欠だろう。
●バックナンバー
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第32号 2006年04月18日
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