イラク情勢Watch vol.32 06年4月18日
         発行:フォーラム平和・人権・環境  編集:志葉 玲

       毎週更新(予定)


Topics
1)週間イラク報道Pick up
2)米軍、バラドで主婦を殺害
3)女性の地位、サダム時代より低下 現地NGOが報告
4)米軍、ザルカウィ容疑者の脅威を誇張 米紙が報道


1)週間イラク報道Pick up

【06.4.19 共同】米国防長官が辞任を否定 イラクめぐり批判続出

【06.4.18 共同】サマワで激しい銃撃戦 合同司令部、負傷者なし

【06.4.18 読売】イラク陸自撤収6月以降か、月内にも交代部隊派遣命令

【06.4.18 朝日】イラク政権交渉の混迷続く、17日の議会再開を延期

【06.4.17 毎日】被爆講話規制:公開討論呼びかけへ−−被爆体験の継承を考える市民の会 /長崎

【06.4.16 産経】イラク撤収、次期政権で 政府方針 後続部隊を派遣



2)米軍、バラドで主婦を殺害

 現地NGO「イラク連盟」が伝えるところによれば、10日、イラク中部バラドで、22歳の主婦が米兵に殺害された。殺されたのは、ナレーンさん。3歳と生後40日の子ども達の母親だった。
          
              殺害されたナリーンさん。「イラク連盟」のHPから

 米兵たちが家に突入してきた際、ナレーンさんは夫のアハメドさんと寝室で寝ていた。米兵達は寝室に押し入り、約30発の銃弾を撃ったのだという。ナレーンさんは頭などに銃弾を受け死亡、アハメドさんも重傷を負った。

 遺族らの話によると、米兵たちは、ナレーンさんの死亡に気がついた後、彼女の遺体の胸元にカラシニコフ銃を置いたという。これは「丸腰の民間人を殺した」との批判を避けるため、被害者がテロリストであると見せかけるために米兵たちがよく行われることなのだそうだ。



3)女性の地位、サダム時代より低下 現地NGOが報告

 4月13日付けのIRIN(国連統一地域情報ネットワーク)の記事が伝えたところによると、現地NGO「女性自由機構」の最近の調査で、女性の地位は旧フセイン時代の方が高かったと報告された。旧政権では、女性の権利も憲法で保障され、政府の要職を女性が担うことも多かった。「女性自由機構」のセナール・マホメッド氏は「議会にはもっと多くの女性の代表が必要だと我々が訴えると、政府の連中はこういいます。『それにふさわしい女性がいるなら拒否されないよ』。そして彼らは私達を笑うのです」と言う。

 今回の調査に協力したNGOのスポークスマンのイマン・サイード(仮名)は「イスラム教指導者達がそれを望むからと、多くの夫が彼らの妻に黒いベールを着ることを強制します」と語る。女性たちは家にいることを求められ、職場に出ることもできない。イマン氏は言う。「女性の失業率は男性の倍です。しかも未亡人の数はイラン・イラク戦争の時より増えているのです」。

 イラクでは、フセイン政権崩壊後、宗教組織が急激に勢力を拡大した。行政サービスが崩壊し、信頼できる政治家もいないという状況で、人々が援助や指導力を求めたのが宗教組織だったのだ。だが、これらの宗教組織の指導者達は女性の権利には無頓着で、むしろ前世紀的なシャーリア(イスラム法)で女性の権利を奪おうとしている。IRINの記事の中で、セナール氏は「イラクに米軍がやってきた時にイラクの女性の権利は向上するものだと思ったが、実際は逆だった」と語っている。



4)米軍、ザルカウィ容疑者の脅威を誇張 米紙が報道
 
 4月10日付けの米紙ワシントンポストは、イラクで活動するアルカイダ幹部とされるアブムサブ・ザルカウィ容疑者の脅威を誇張するプロパガンダ工作を米軍が行っていたと伝えた。これはイラクに流入する外国人武装勢力とイラク人による地元武装勢力を反目させ、ブッシュ政権がイラク戦争を9.11事件と結びつけるのを助けるために行われたキャンペーンだという。

 
「アルカイダ幹部」とされる
アブムサブ・ザルカウィ容疑者
 
 ザルカウィ容疑者らによる攻撃は「実際の攻撃件数の中では非常に少ない」にも関わらず、イラクのテレビやラジオ、インターネットやリーフレット等を使いザルカウィ容疑者の脅威を誇張し宣伝。ニューヨークタイムズ紙のデクスター・フィリンクス記者にも「ザルカウィ容疑者が自爆攻撃を呼びかける手紙」をリークしたのだという。米軍は、イラク国民だけアメリカ国民も「ホーム・オーディエンス(家庭の観衆)」として心理作戦のターゲットにしており、フィリンクス記者にリークされた情報も捏造されたものである可能性がある。こうした「ザルカウィ・キャンペーン」関し、米中央軍のキミット陸軍准将は「最も成功した情報戦」と語っているのだと言う。
 
 アブムサブ・ザルカウィ容疑者は、これまでイラクでの米軍の軍事作戦の口実になってきた存在だ。最たる例が’04年11月のファルージャ総攻撃である。「ザルカウィが潜んでいる」として米軍はファルージャを攻撃。2000人とも6000人とも言われる民間人の犠牲者を出したが、ザルカウィ容疑者は見つからなかった。その後も「ザルカウィ容疑者やその一派の拘束・殺害」はイラク西部のラマディやカイムやハディーサ、北部タルアファルなどへの攻撃の大義名分とされてきた。

   
  ファルージャ・レジスタンスの精神的指導者アブドゥラ・アル=ジャナビ師は「この街にザルカウィ
  などいない」と主張(2004年7月撮影)。


 ザルカウィ容疑者に関しては、イラクではかねてから「イラクを分裂させるため、米軍が作った実在しない存在」という説が多くの人々の間で支持されていた。ザルカウィ容疑者によるものとされる声明はこれまで度々シーア派への攻撃を煽り立てきたが、今回のワシントンポスト紙のスクープにより、米軍がザルカウィ容疑者の名を語り宗派間対立を煽りたててきた疑いも出てきた、と言える。



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