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ネバダ核実験場を訪問―越えねばならない壁、日本は何を訴えるか

2010年05月06日

 核不拡散条約(NPT)再検討会議への原水禁代表派遣団25人は、会議が開催されるニューヨークへ入る直前の4月30日、Nevada Test Site(ネバダ核実験場)を見学しました。時差ボケにもめげず、早朝7時にホテルのロビーに集合した代表団は、バスで数分のThe Atomic Testing Museum(核実験博物館)に向かいました。サイトへ入るためのIDを取得し、案内人と共に専用のバスに乗り換え、核実験場へ向かいました。
 砂漠の中に、こつ然と現れる人工都市・ラスベガスの喧噪を後にして、バスは65マイル(約100km)離れた核実験場の入り口のマーキュリーまで、左右全く同じ風景の広漠とした砂漠の中、まっすぐなハイウェイをひたすら走り続けました。
 雪を頂いたチャールストン山を遠くに見ながら、途中、アメリカ空軍の曲芸飛行隊サンダーバーズが本拠地としているNellis Air Force Base(ネリス空軍基地)やCreech Air Force Base(クリーチ空軍基地)を通り過ぎていきます。クリーチ空軍基地は、アフガン戦争に使われているPredator(プレデター)無人航空機の訓練場で、この航空機は無人で遠隔操作の上偵察やレーダー誘導方式のヘルファイアⅡ対戦車ミサイルを搭載してアフガン戦争では爆撃の任務にも着くとの説明を受けました。米国は、今も戦争をしている国なのだと改めて感じました。

 ネバダ核実験場の入り口であるマーキュリーを無事通過した私たちが最初に目にしたのは、湖が干上がった広大な盆地状の砂漠でした。French man flat(フレンチマンフラット)と呼ばれるこの地は、1951年1月27日にネバダ核実験場での最初の大気圏核実験が行われた場所でした。
 米国最初の核実験は、ニューメキシコ州アラモゴードで45年7月16日に行われ、その直後の8月6日と9日に広島・長崎に原爆が投下されたことはご承知の通りです。戦後、ソビエトの核開発と競い合う米国は、南太平洋のビキニ環礁とエニウェトク環礁において66回の核実験を繰り返しました。54年3月1日のキャッスルブラボーと称される15Mt(メトリックトン)の水爆実験は、日本のマグロ漁船、第五福竜丸の乗組員など、多くのヒバクシャを生み出したことでも有名です。このネバダに核実験場ができたのは、南太平洋での核実験は遠方で費用がかさむことが要因であったと説明されました。三方が岩山に囲まれた広大な砂漠地帯は、当時の米国の要求に合致したのでしょう。しかし、この広大な砂漠もまたネイティブアメリカンの土地であったことを忘れてはなりません。
 広大なフレンチマンフラットを見下ろす高台で、私たちは朽ち果てそうなベンチの説明を受けました。米軍兵士がそこに座って核実験を見学したとの説明でした。「バカなことをしていたものだ」との説明でしたが、ラスベガス観光の一つに核実験を見学するツアーもあったとも聞き、そのことの異常さは、東西冷戦と第二次世界大戦を勝利で終えた米国の力を反映したものとはいえ、大きな違和感を覚えました。「バカなこと」の延長上に、ヒロシマ・ナガサキ、そしてビキニと、多くの人の死と苦しみがあったことを、どのように現代社会がとらえ直すのかは重要な課題です。
 フレンチマンフラットに降りると、コンクリートの厚みを変えて作られた半円形のトーチカ、造られた鉄橋、豚を入れた鉄柵、豚の皮膚は人間に近いのだとか、原爆の威力の実験跡が続きます。この実験に使われてゆがんだ鉄橋と、広島にある原爆ドームのむき出しの鉄筋と何がどう違っているのか。豚の皮膚と被爆者の焼けた肌は、米国の中でどうつながっているのか、日本に生まれたものとして複雑な印象でした。

 ネバダの核実験場では、51年の開設から93年のモラトリアム宣言の間に100回の大気圏内核実験、828回の地下核実験が行われました。私たちは、フレンチマンフラットから地下核実験の全てを行ったYucca flat(ヤッカフラット)に場所を移しました。ヤッカフラットには、地下核実験の痕跡となる陥没口があらゆるところにあります。地上での見学でははっきりとわかりませんが、上空からの航空写真で見るとあたかも月面上のようにクレーターがいたるところにあり、その異常さが浮き彫りになります。私たちは、63年に行われた著名な地下核実験、Storax(ストラックス)作戦で作られた巨大な陥没口であるSedam Crater(セダン・クレーター)を見学しました。直径390m、深さ100mのクレーターは、地下635フィートに設置された104ktの核爆弾によって作られました。その大きさにも驚かされましたが、このクレーターが米国政府によって国家遺産に登録されているという事実に驚愕しました。ちょっと離れた場所には、実験用に作ったレンガの家や木造の家もあります。アップルハウスⅡと呼んでいるこの建築物も、国家遺産に登録されていると説明されました。東西冷戦の最中、西側諸国の雄としての米国が、その威信をかけて行ったのが旧ソビエトとの核開発競争と宇宙開発競争だったことを忘れてはなりません。ネバダの核実験場は、アメリカの核開発の拠点であり、国威の原点なのだということ。そのことに対して、被爆国日本は何をどのように訴えるのか、唯一の核使用国としてその道義的責任を果たすとした米国が、核開発競争の当時をどのように総括するのか、そのことが強く思いに残りました。
 

クレーターだらけのYucca flat1.JPG

クレーターだらけのヤッカフラット(出所:The Geology News Blog)

大きな口を開けるセダンクレーター1.JPG

大きな口を開けるセダン・クレーター(出所:The Geology News Blog)

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