ニュースペーパー
2021年02月01日
ニュースペーパー News Paper 2021.2
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2月号もくじ
- 毎日もやもやしながらでも運動を続ける
小説家 矢口敦子さんに聞く - コロナ禍の中、同性パートナーのつらい現実
- 技能実習生の除染裁判で和解
- 「第23代高校生平和大使広島研修」報告
- 「くびき」からの解放をもとめて
- 「核兵器禁止条約発効」について
- 「核兵器禁止条約」発効の意義と課題
―今こそ、東北アジア非核兵器地帯を―
講師:湯浅一郎さん(ピースデポ代表) - 核兵器廃絶に至るこれからの道
講師:秋葉忠利さん(原水禁・顧問 前広島市長) - 衰退する政治、苦しむ市民社会
毎日もやもやしながらでも運動を続ける
インタビュー・シリーズ:162
小説家 矢口敦子さんに聞く
やぐち あつこさんプロフィール
1953年 函館市に生まれる。/1965年 小学校休学/1966年 東京に転居/1969年 二度目の心臓手術/1971年 中学校卒業程度認定試験合格/1974年 大学入学資格検定試験合格/1979年 慶応大学文学部通信課程卒業/1990年 札幌に転居
『かぐや姫連続殺人事件』でデビュー。代表作に『償い』(幻冬舎文庫)、『人形になる』(徳間文庫)、『最後の手紙』(集英社文庫)等。
─矢口さんは小説家でいらっしゃいますが、反原発の運動にずっと携わってこられたとお聞きしています。最初に反原発、脱原発の運動に関わるきっかけをお聞かせください。
1970年代に中山千夏さんたちが作った革新自由連合という文化人が中心となった政治団体がありましたが、その団体にボランティアで加わっていました。そこで、東大の自主講座の宇井純さんが「やっぱり原発って危ないらしいよ」とお話しされたのを聞きましたが、その後、1979年にスリーマイル島で原発事故が起こって、「ああ、やっぱり危ないんだ」と思い、1980年に小さな反原発グループに入ったのが始まりです。1990年まで東京にいたので、それまでずっと東京で反原発運動をしていました。
─3・11のときはどこにいらっしゃったのですか?
札幌におりました。大きな地震でしたので、原発がどこかやられないかと心配していたら、案の定という感じで。どんどんどんどん原発事故が広がっていくので、毎日、地図で北海道と福島の距離を測っていました。北海道まで放射性物質が飛んで来たら、日本は食糧庫を失ってしまうと思ってほんとうに心配でした。少し落ち着いてからは、悔しいというか、悲しいというか、なんとも言えない気持ちになりました。札幌にいても、東京電力に対する株主運動をやっていたのですが、あの年はとにかく東京電力にすべての原発を止めるようにと株主提案をして、デモにもでかけました。とにかく悲しかったし、みんな無事でいてほしいと思っていました。いまでもあの当時のことを思い出すと、気持ちが沈みます。東京電力に対する怒りが湧いてきたのはしばらく経ってからのことです。
─福島の事故から10年経ちましたけれども、この10年の運動や、または10年間の福島についてはなにか話さなければいけないということはありますか。
私は日本で大きな原発事故が起きたら、政府は原発から手を引くと考えていました。いまになってみるとそれはとても甘い考えでした。私は原発が止まるだろうと思っていましたので動き出すのが遅かったですし、反原発の運動をやっている中には、私と同じように甘い考えの人間がたくさんいたのではないかと思います。原発推進派に比べたらほんとうに甘いですね。そういう反省というか、怒りといったものがあります。
─これだけの事故を起こして、福島があんなひどい状況になったのですから、もう原発政策はもたないと考えるのが普通だと思います。しかし、いまの政府はそうではない。気候危機の問題が出ると原発に頼るしかないという発言を始めます。ドイツはチェルノブイリのあと脱原発の方向性を作り上げてきました。福島のあとは脱原発に向けて動いているわけですよね。この政治の土壌と違いをどのように考えたらいいのかをお聞かせください。
政治もそうですが、日本の国民自体が忘れっぽいのではないかと思います。なにか起きたときに突き詰めて考えるということが少ないです。日本という国は自然災害に何度もやられてきて、忘れるしかないという土壌ができているのかもしれません。政府はしっかりしてほしいけれども、その政府を選んでいるのは国民なのだから、国民がしっかりしていないのだろうな と、少しきつい考えかもしれませんが、そう思います。 3・11直後は誰もが原発はいやだと思ったはずですし、東京電力の株主総会でも、私たちの原発廃止の提案に賛成の手が林立しました。その状況に比べて、いまの東京電力の株主総会は原発賛成派、容認派にのっとられている、あまりにひどい状況です。原発より電気がある快適な暮らしがしたいとか、そういう人が多いのかなとも思います。地震や風水害で多くの人が亡くなっていく、そういうものを乗り越えていくときに、忘れるというのもひとつの方法であるとは思いますが、原発事故は自然災害とは違って人の手で防げるのですから、そのこと自体は忘れてはいけません。世論調査ではまだまだ脱原発という声は大きいのですよね。しかし、それが政治を動かすことにつながらない。 運動をやっていてさみしいところはありますね。
─札幌にお住まいになっていて、過度の電力依存から抜け出さなければと書かれていますが、冬に暖房を使わないのは厳しい。私も北海道の生まれで、冬の寒さと厳しさはよくわかっています。矢口さんはガス暖房を使われているのでしょうか。
電気を使わないで温まる暖房器具がないかと思っていろいろ探しましたが、やはりどこかで電気を使うのですね。ガス・セントラルヒーティングでも300ワット以上も使うので、それはちょっといやだなと思っていました。それで暖房を使うのをやめました。この部屋は集合住宅なので、熱が逃げない作りになっています。日中陽が差せば20度くらいになるし、夜になると16度くらいで、北側の部屋に行くと10度ちょっとですが、ダウンなどを着て耐えています。水道管を破裂させないために自動で暖房がつくことはありますが、数年前から自分では一切暖房をつけていません。
─個人の生活では努力して電気の消費量を少なくできますが、エネルギーとしての電気というものは社会経済がまわっていくために必要になっています。エネルギー政策についてはどのように捉えられていますか。
ペンクラブの環境委員会で風力発電とか小水力発電とかを見学に行ったりしていますが、騒音がひどかったり、風力発電でいえば渡り鳥の衝突による死傷とか、低周波音で牛が乳を出さなくなったというドイツの人の話も聞きました。太陽光発電では希少物質を使って発電するしかないのですよね。そういうことを考えると企業が省エネルギーの製品を作って、個人が少しは贅沢をあきらめるという、このふたつしかないのではないかと思います。エネルギー源と資源を未来の世代にまで伝えるのは、そういうことでしかできないのではないでしょうか。パソコンも冷蔵庫も、省エネルギーの製品に買い替えてはいますけれども、でももっともっと省エネルギーになってほしいと思っています。
スマートフォンだってガラケーに比べるとずっと消費電力が多いので、ほんとうにスマートフォンが必要なんだろうかと疑問を感じます。NHKが8Kのテレビを盛んに宣伝していましたが、それだって電気を食うのだろうなと考えると、電力消費ではなくて、省エネの方向に向かっていってほしいと思います。
─北海道では高レベル廃棄物の問題が寿都町と神恵内村で起きています。私たちは抗議声明も出しましたが、原発政策は寿都や神恵内のような生活や状況の厳しいところに付け込んできます。いま住民の人たちと話してみたいことはありますか。
ずっと都会に住んでいて、不自由なく暮らしている人間になにか言える資格はないと思うのですが、ただ、たった20億円ですよね。20億円なんてあっという間に消えてしまいます。そんなもののために自分たちの暮らしを売っていいのかと考えます。寿都の町長は洋上風力発電を造る財源にしたいと言っていましたけれど、福島では600億円以上をかけて洋上発電を造ったけれど、うまくいかなくて撤退しました。20億という一見大金に見えるお金で、どこか貧しい村に廃棄物を押しつけさせないためには、地層処分をしようという政府の政策を変えていくしかないと思います。廃棄物の処分は昔から言われていて、「トイレなきマンション」みたいな言われ方をしていたので、本気で考えなければいけないと思いますが、日本にそんな強固な地盤があるとは思えないですし、お金で村を操ろうというのもおかしい。ほんとうに難しいです。
─世界的に見ても最終処分場というのはどこにも決めきれていない難しい問題です。原水禁としてはいちばん安全なのはドライキャスクかと考えています。常時監視できる方法で当分は保管しなければならなのではないかとしか言えません。
同感です。私もそう思います。
─小説を書くようになったきっかけはありますか。
小学校2年生のときに夢を見て、その夢がおもしろかったので文章にしたのが始めです。30歳くらいのときに会社勤めをしましたが、8時間も他人といるのがいやで、それで、小説家なら誰にも会わなくて済むし、小説家になりたいと思いました。小説を書くということ自体が好きですね。私は出版社からの原稿依頼がなくても勝手に書いて、できあがったときに出版社に持ち込みます。テーマがあって書くのではなくて、書いていくうちにストーリーができてきて、自分でもどうなるかわからなくて、わくわくしながら書くということが多いですね。出版社からこのテーマでと依頼があって執筆する場合はひどいものしか書けないです。捨ててしまう作品も随分ありますが、とにかく書くのが楽しくて、毎日1行でも書きたいと思っています。
─最後にこれからの原水禁の運動についてお聞かせください。
これまでどおりがんばってください。私は裁判も関わったし、選挙運動も関わったし、集会もいろいろ出てきました。これ以上なにをやったら今の政権を変えられるのかがわからなくて、ある意味お手上げ状態です。新しい展開がまったく見えませんが、でもお手上げだと言っているわけにはいかないので、毎日もやもやしながらでも運動を続けるしかありません。一緒にがんばっていきたいと思います。
立法府の責任で同性婚の制度化を
コロナ禍の中、同性パートナーのつらい現実
立憲民主党 衆議院議員 尾辻かな子
立法府の責任で同性婚の制度化を
新型コロナウイルスの感染拡大は、社会で周縁化されてきた層を浮かび上がらせる結果となりました。例えば女性の貧困、今や女性の半数以上が非正規で働き、コロナによる業績悪化によりサービス業などで失業、賃金減少が起こっています。同性パートナーと暮らす人々もまた、コロナの中で様々な課題にぶつかりました。例えば、自らのセクシュアリティが他者に知られてしまう問題です。コロナに感染した場合、どこでどのようにして感染したのか、濃厚接触者は誰なのかを保健所で調査することになります。同性のパートナーと同居し、そのパートナーが感染した場合、同居の方も濃厚接触者として、検査することになります。自らが濃厚接触者となったこと、そのため欠勤すること、検査に至る理由を職場に伝える必要がでてきます。正直に伝えるとカミングアウトすることになりますが、職場に知られたくない当事者も多くいます。一大事の時に、切羽詰まっている状況にも関わらず、ある程度のごまかしを混ぜながら話をしないといけない状況ができてしまいます。
次に、感染したパートナーが入院した場合、そして人工呼吸器装着などになった場合にキーパーソンとして説明を受けられるのかという問題が出てきます。ここも、カミングアウトをどこまでしているのかに関わってきます。入院された方が家族にカミングアウトしておらず、キーパーソンに何も知らない家族がなった場合、パートナーは遠ざけられてしまいます。医療関係者、家族へ自分たちの関係を明かすかどうか決断しなければいけない状況です。
万が一、相手が亡くなってしまった場合は、遺言がない限り、同性パートナーのできることは限られてしまいます。カミングアウトや家族の受け入れ状況により、葬儀の喪主は、相手の家族になり、親族席には座れず、同居の友人として別れることになるかもしれません。相手名義の財産は、その家族が相続人となります。
以前から、同性パートナーの法的保障が必要な場面は、病・老・死・別れの場面であると言ってきました。(それ以外の大きな困難としては、国籍の違うカップルのビザの問題もあります。)
いざという時に、自分たちの関係がいかに守られていないか思い知ることになります。今回のコロナ感染についても、その不安は増すばかりです。
自治体の証明書発行が増えてきました
一方で、2015年の東京都渋谷区、世田谷区から始まった同性パートナーシップを自治体が認める動きは広がってきました。2021年1月時点で74自治体。政令指定都市では、全20市のうち16市で認めることになりました。都道府県単位での証明書発行も増えてきています。ただ、これらの証明書には、法的な裏付けがありませんので、扶養、財産相続や配偶者ビザの権利などはありません。アナウンス効果に加え、自治体の公営住宅の入居、公立病院で家族同様の取り扱い、自治体職員への慶弔休暇取得拡大など限定的にならざるを得ない状況があります。やはり、国が同性婚を可能とする法改正をする必要があります。私が事務局長を務める立憲民主党SOGIに関するPTで原案を作り、2019年6月に立憲民主党、日本共産党、社会民主党の共同で同性婚を可能とする民法改正案を日本で初めて国会に提出しました。オランダが世界で初めて同性婚を可能としたのが2000年、そこから約20年がたっています。2015年にはアメリカも連邦最高裁で同性婚を認めないことが憲法違反だと判決を下しました。2019年、台湾でも同性婚が可能になりました。主要先進7カ国の中で同性婚が可能なのは、米英仏加独の5カ国。イタリアにも、シビルパートナーシップという結婚に準じた形があります。日本のみ、この流れに取り残されています。2019年から日本でも同性婚を求める訴訟も始まっていますが、司法任せにせずに、立法府としての国会の役割として、一刻も早い法改正が必要です。
世論とズレている国会
日本の世論調査でも、同性婚の是非を問うことが増えてきました。どの社の調査でも賛成派が反対派を上回ります。調査結果を見ると、男性より女性の賛成が多く、高齢世代より若い世代の方が、賛成が多い傾向が見られます。問題は、世論と国会議員の意識のズレです。次の総選挙では、同性婚法制化の是非についても大きな論点として投票の際の判断基準にして頂ければと思います。
多様な家族がそのままでいられる社会に
家族の多様性という意味では、選択的夫婦別姓を可能とする法改正も喫緊の課題です。2021年は最高裁大法廷での審議が予定されており、従来の判例の見直しがあるのではないかと期待されています。今年は選択的夫婦別姓と同性婚を実現する年にできるよう、皆さんと力を合わせて頑張ります。(おつじ かなこ)
技能実習生の除染裁判で和解
除染作業は技能実習制度の趣旨に沿わない
全統一労働組合 佐々木 史朗
2020年10月23日、福島県郡山市の建設会社(株式会社日和田)で働く技能実習生が除染作業をさせられた事件は、裁判所の和解勧告を受け、解決した。
被ばくの危険性も知らされなかった技能実習生
2015年、ベトナム人技能実習生3人は、鉄筋施工、型枠施工の技能習得を目的に来日したが、長期間にわたり、郡山市や本宮市の住宅地や山林で、本来の技能実習職種とは無関係な除染作業をさせられた。さらに、当時は避難解除準備区域で一般の立ち入りが禁止されていた福島県浪江町でも、配管作業に従事した。しかし、除染作業に従事する際に必要とされる除染電離則に定められた特別教育は行われておらず、放射線被ばくの危険性について十分な知識を与えられなかった。
全統一労働組合は、3人から相談を受け、会社と団体交渉を行ったが、会社は「謝罪も補償もしない」と開き直り、解決困難な状況が続いた。そこで、2019年9月、技能実習生3人が原告となり、福島地方裁判所郡山支部に、会社に対して謝罪と損害賠償の支払いを求めて提訴した。東京と福島で開かれた記者会見には、地元福島からも多数の新聞社・テレビ局が取材に集まり、この裁判は注目を集めた。
技能実習生は低賃金労働力ではない
そして2020年8月、裁判所は和解を勧告する文書を示した。勧告文書は「郡山市等における住宅除染作業は、除染作業自体が、一般に海外で行われる業務ではないことに加え、技能習得とは直接関係のない除染電離則に基づく特別の教育を受けること等が必要である点において、技能実習制度の趣旨目的に沿わないものであると言わざるを得ず、技能実習制度の枠組みの中で行わせることはできないと解すべきである」と明確に指摘した。
そして裁判所は、「除染作業は本来行わせることができないものであるが、仮に、除染作業を原告らに行わせようとする場合、労働契約上の観点からすると、少なくとも除染作業等を行わせるのに相応する賃金を支払うことが求められるというべきである」と述べ、「この場合の賃金は、除染作業を行った当時において、同種労働を行う労働者の賃金と同等であることが求められる」として、除染作業労働者の日給を8000円とし、原告ら技能実習生の当時の日給5752円との差額を支払うべきであるとした。
こうして、原告3人には一人あたり80万円から110万円を、さらに原告3人が技能実習習得の機会を得る利益を損なったことに対して、一人あたり20万円の慰謝料の支払いも求めた。
一方、浪江町での作業については慰謝料が認められなかった。原告側は、高線量区域における除染電離則が適用される可能性を指摘し、現地の空間放射線量の測定、結果の開示等を怠った労働安全衛生法違反を主張したが、これが認められなかったことは残念である。
本裁判の和解は、原告の証人尋問を経ずに行われた。仮に証人尋問が行われ、判決が示されたとしても、賃金差額分の請求が認容されただろう。和解に際して、裁判所は異例とも思われる和解文書を発し、事件についての判断を示した。裁判所が「技能実習制度の趣旨目的に沿わないものである」と明言したことは評価に値する点である。技能実習制度は、制度の趣旨目的に反して、もっぱら人手不足解消、低賃金労働力としての運用が横行している現状に一石を投じる判断と言えるだろう。
当初、会社は和解に難色を示し、また解決金の支払額も裁判所勧告の水準を下回る結果になったが、提訴から約1年を経て、和解により裁判が終結した。
新型コロナウイルス感染拡大の影響により、ベトナムにいる原告たちが証人尋問のために入国することが困難な事情、また判決に対しては被告会社の控訴により、さらに長期化する可能性も考えられることから、解決金の水準には不満が残るものの、早期解決を選択することとなった。
記者会見では、ベトナムから原告の一人が、「解決してよかったです。日本で働く実習生が、安心して働いてほしいです。みなさん、ありがとうございました」とのメッセージを日本語で寄せた。裁判闘争では、地元福島の平和団体、労働組合、市民団体などからもご支援をいただいた。あらためて感謝を申し上げたい。(ささきしろう)
「第23代高校生平和大使ヒロシマ研修」報告
第23代高校生平和大使 西山喬紘
2020年12月5日・6日に「第23代高校生平和大使ヒロシマ研修」が行われました。猛威を振るうCOVID-19の影響により全国の第23代高校生平和大使が一堂に会する初めての機会でもありました。
12/5(土)・1日目
「第23代高校生平和大使ヒロシマ研修」1日目は、元広島平和記念資料館館長で、被爆者でもある原田浩さん、高校生平和大使の設立者で現在共同代表を務める平野伸人さんらの講演とメッセージ、各都道府県平和大使による活動報告が行われました。
実は被爆者の方から対面でお話を伺うことは、私にとって初めての機会です。高齢化している被爆者の方のご年齢と深刻化するCOVID-19の影響を考慮すると、肉声でお話を伺えることはあまりにも貴重で、こうした機会をいただけたことに頭が下がる思いです。
一連のお話を通し、私たちに期待はしているが、少しでも自分を甘やかしたら終わりだよといった趣旨のメッセージを送ってくださったように感じました。「高校生平和大使」の一翼を担わせていただけているという実感が湧くと共に、自身が務める役職の重さも改めて理解させられました。
平和大使による活動報告では、各道府県ともCOVID-19の影響を受けながらも、新たな手法を探りながら活動を着々と行っていることがしっかりと伝わりました。私自身の発表では、東京支部の活動目標、オンライン修学旅行の報告・謝辞、東京支部メンバーはいかに素晴らしいか。この3点を十分に伝えられたという感触を得ています。
12/6(日)・2日目
2日目は「平和記念公園」の見学が主でした。3時間程の時間が確保されていたため、修学旅行では見学ルートに含まれていなかった義勇隊の碑など様々な所を見学することができました。
3時間のうち半分以上は「平和記念資料館」の見学にあてられました。10か月前、一高校生として初めてここに立ち入った際は、悲惨さがひしひしと伝わるその資料を前に直視できない時間が大半でした。しかし、「高校生平和大使」という役職を与えていただき、使命を持って臨んだ今回はきちんと向き合い、様々なものを吸収できたように感じます。日本の方のみならず多くの人々に必ず1度は立ち寄っていただきたい場所です。
見学終了後30分ほどは高校生らしくみんなで写真を撮ったり、昔からの友人かのようにたくさん会話を行い、全員が笑顔で帰路につくことができました。 しかし、またいつかと卒業式で互いの健闘を祈りながらも、もう会うことはないあの感じに少し似ていたため、対面で会うことはひょっとしてもう...という不安がよぎりました。杞憂に終わることを信じたいと思います。
2日間を通して
各位の講演とメッセージ、必ず翻訳されている平和記念館の各資料を拝見して「英語」の必要性を痛いほど再認識させられました。私は囲碁棋士を志していた過程で学業を疎かにしており、中学までに学習する基礎部分に抜け落ちているところがあるという自覚があります。今までは基礎が入っていないことを自覚しながらもごまかしながらなんとか高校範囲を乗り切っていましたが、今後は囲碁で培った尋常じゃないと自負するほどの忍耐力を生かし、自身の弱点としっかり向き合いながら勉学により一層勤しみ、国際的に闘い羽ばたける人物となりたいと考えさせられました。
今後の抱負
「22年にわたり活動を続けていて、ノーベル平和賞にもノミネートされている。今東京ではみんなより年下の1年生の女の子が務めているんだよ。」昨年の修学旅行の事前学習の際、自分とは全く違う凄い人もいるのだなと感じていた「高校生平和大使」。まさか一年後に自身がその立場でこうして活動しているとは想像もつきませんでした。
平和社会の構築とは、本気で向き合って、沢山努力をしてようやく、本当にようやくほんの僅かだけ前に進める可能性があるというレベルの話だと考えております。生半可な気持ちで向き合っていてはただやった気になるだけで時間の無駄でしょう。高校3年生という人生のスタートラインにようやく立たせていただいたような年齢で、このような物事に挑戦させていただけることはありがたい限りです。
全国の高校生平和大使、そしてなによりも東京支部の素晴らしい友人方に出会えたことに感謝しかありません。私よりも1学年下であるのにも関わらず、高い志を持ち日々夢に向かい、学習に、課外活動に精力を注ぐ澄んだ目の彼女たちを見ているうちに、私も新たに一つ大きな夢を抱くようになりました。 今、こうして年下の友人たちからこれほどまでに刺激を受けているのも、修学旅行先が何故か私の代のみ広島であったためです。既卒された先輩や後輩である1・2年次の旅行先は沖縄です。不思議な縁もあるものですね。
こうした全ての縁に導かれ、高校生平和大使として活動する機会を与えていただいている以上、共同代表である平野さんが講演の際に仰った「目的を常に忘れずに使命を果たせ」という言葉を常に胸に刻み、自身の考える使命を生涯にわたり全うしたいと考えております。(にしやまたかひろ)
「くびき」からの解放をもとめて
「10年目の福島で、いま」第2回
脱原発福島県民会議 佐藤龍彦
ロシアの歴史にタタール人(蒙古)に蹂躙された時代があり、凡そ250年の世紀を超えたタタール人の支配を「タタールのくびき」と言うそうです。東日本大震災・原発事故からまもなく10年の節目を迎えようとしていますが、いまだ世界的大惨事となった未曽有の被害は消えることはありません。被害の爪痕は世代を超えて幾世紀にも及ぶ「フクシマのくびき」として残るのでしょうか。
原発重大事故を起こした責任は東京電力と国にあります。被害のすべては、重大原発事故から放出された大量の放射能に起因する実害であり、失われた故郷の「うつくしまふくしま」を取り戻すために、被害者は、苦渋を秘めた憤怒を胸に理不尽かつ苦難の努力を続いています。とかく福島の復興アピールが特化されて報道され、あたかも復興が着実に前進しているかのような錯覚に陥りがちですが、以下、特筆するべき事例を紹介しますので、ありのままのフクシマと併せて想像を膨らましていただければ幸いです。
ふるさとを返せ!いまも全住民が避難
原発事故に伴い、国の不作為により高密度の放射能被ばくをモロに受けたあとで期間困難地域に指定された浪江町津島地区、事故当時、同地区には約400世帯、1,400人が暮らしていましたが、今も全住民が避難、一部を除き帰還の見通しさえありません。除染計画なしの通称、「白地(しらじ)地区」が大半です。住民は、汚したところをきれいにしろ、ふるさとを返せという当たり前のことを求めて係争中(ふるさとを返せ 津島原発訴訟)、現在は、やっと結審し判決を待つばかりです。
原告団のひとり武藤茂氏(71歳)は筆者の親類にあたります。事故当時は南津島地区にある自宅に、妻(68歳)、長女(40歳)、義理の母(84歳)の4人で暮らしていました。オス犬のペット、ミニチュアダックスフンド「メル」も家族の一員でした。―括弧内は、各々が歳現在の年齢です。― 茂氏は事故当時からを振り返ります。長女の被ばくに心を痛めていることから始まり、多くの避難者を家に受け入れたこと。事故の情報が全くなかったこと。家族総出で避難が始まったこと。避難先へ辿りつく過程、避難中の身内の葬儀のこと。借り上げ住宅から現住居(福島市)に至るまで。見知らぬ街での生活。生活苦と不安の自給自足の生活喪失。家族の健康悪化。長女の雇用喪失。理不尽な特定復興再生拠点区域事業等など。
納得できない・・帰りたいよな!
「茂氏は旧姓、清信(きよのぶ)家の4男として生まれ、結婚と同時に養子縁組をして武藤家に入っています。武藤家は妻の生家であり、南津島に江戸時代中期以前から代々伝わる旧家です。津島地区には武藤姓がたくさんあり佐藤畑と呼ばれる本家筋にあたり、茂氏は武藤家15代目の当主です。
佐藤畑と呼ばれる武藤家の敷地にはヒバの巨木があります。樹齢数百年とも言われており武藤家のシンボルです。ヒバの巨木の根本には三つの池があり水神様を祀っています。また敷地内には母屋の他に納屋や牛小屋、外付けの風呂場等が立ち並び、前庭からそびえ立つ山林は武藤家の所有です。武藤家は主に農業を営み、田畑の耕作の他にも畜産や林業、養蚕で生計を建ててきました。近隣にある長安寺にはひときわ大きな墓があります。彼岸には焼香を欠かしたことがありません。仕事は大工、震災前に新築し自前で所有の山から木を伐りだし家族総出で建てました。」
以上は、茂氏の「ふるさとを返せ 津島原発訴訟」の原告として陳述した内容を抜粋した一部ですが、綿々と綴られる文面には、つつましくもある家族の幸せや、隣近所との濃密な付き合い、昔から伝わる行事や風習、文化、地域とのコミュニケーションが記されています。茂氏は、遠く離れた避難地から手塩に掛けた自宅をたびたび訪れ妻と共に隅々まで一心に清掃し線量を計ると言う。帰りたい想いがつのるばかりと、「納得できない。帰りたいよな!」の言葉を妻と一緒に繰り返すと言う。
故郷を返せ・人間を返せ・人生を返せ!
ある日突然、すべてを破壊した東京電力と国の責任は償っても償いきれるものではありません。あの日から10年、なにひとつ解決されることはない。故郷を返せ、人間を返せ、人生を返せ!たとえ朽ち果てても忘れることができない苦渋を、『くびき』からの解放を求めて淡々と訴えつづけています。
茂氏の人生を一瞬にして奪った原発重大事故、事実に向き合うことをしない国と東京電力、寡黙な茂氏の炎に燃えた目の奥で、二度とフクシマの悲劇を繰り返さないと伝えています。(さとうたつひこ)
「核兵器禁止条約発効」について
核兵器の開発、実験、生産、製造、取得、保有、貯蔵、使用および使用の威嚇などを全面的に違法とする「核兵器禁止条約」は、2017年7月に国連で採択され、2020年10月に批准が50ヶ国に達したことで要件を満たし、2021年1月22日発効しました。被爆者や原水禁運動に関わる全ての人々が切望した瞬間です。
しかし、条約が法的に有効なのは批准した国のみであり、核保有国や「核の傘」を頼り批准していない国を拘束するものではありません。これまで日本政府は、「核兵器保有国と非保有国の橋渡しに努め、双方の協力を得ながら、対話を粘り強く促す」と述べてきましたが、菅首相は、国会答弁において、署名にもオブザーバー参加にも否定的な答弁を繰り返しています。
原水禁は、日本政府に批准することを求めてきたのは言うまでもありません。それが難しいならば、オブザーバー参加し、核兵器廃絶に向けた国際的な議論に参加するべきと訴えてきました。また、2020年12月23日、連合・KAKKINと3団体で取り組んだ「核兵器廃絶1000万署名」を日本政府へ提出した際には、「先制不使用など、日本が今できることから着実に」核軍縮へ取り組んでいくことを要請しました。
2021年1月23日、原水禁は「日米韓国際シンポジウム-核兵器禁止条約発効後の課題と展望-」を開催し、核兵器禁止条約発効を受け、課題を整理するとともに、世界がどのように変化していくかを展望し、これからの原水禁運動のあり方を提起しました。国際シンポジウムは、以下のURL・QRコードから視聴できますので、ぜひご覧ください。 また、YouTube「原水禁チャンネル」では、合わせて「核兵器禁止条約発効」に関する学習動画もご覧いただけますので、ご活用ください。
学習動画:
国際シンポジウムを直接ご覧いただけます。
YouTube「原水禁チャンネル」をご利用ください。
衰退する政治、苦しむ市民社会
WE INSIST!
菅義偉内閣の支持率が急降下している。安倍政権の下、内閣官房長官として君臨した存在感が、急速に失われつつある。そう感じるのは私だけではないだろう。7年8ヵ月に及んだ官房長官時代の強面のイメージは、壊滅と言ってもいいのではないか。官僚人事を掌握し、記者会見における自信に満ちた有無も言わせぬ答弁は、幻だったかようだ。コロナ禍のへの対応でも、不安そうな、自信なさげな答弁は、見ていてなさけないとしか言い様がない。東京新聞の望月衣塑子記者との確執など、いつの話しなのだろうか。そう思わせる。
その望月記者は、菅首相のコロナ対策の一連の発言から危機感が感じられなかったことにその原因があるのではないかと指摘している。象徴的なのは、ニコニコ生放送に出た際の、「ガースーです」との発言。「令和おじさん」ともてはやされたことからの発想なのかもしれないが、市民の思いや状況を、その場の空気を読めない振る舞いは、あきれるばかりだ。望月衣塑子記者は、2020年12月のドイツのメルケル首相の会見に、目に涙を浮かべながら「今年のクリスマスを我慢すれば、来年はおじいちゃんやおばあちゃんと皆でクリスマスが祝えるかもしれない。でも我慢しなければ、最後のクリスマスになるでしょう」と語ったことに、心を揺さぶられたと述べている。この日独の違いは何なのかと、問わざるを得ない。言葉を持たない政治の悲劇を、目の当たりにしている。
菅首相は、官房長官時代の記者会見では、「全く問題ない」「指摘は当たらない」そして「仮定の質問にはお答えできない」と答弁を繰り返し、首相就任後の臨時国会では「お答えは差し控える」と繰り返した。安倍首相は、ご飯論法と批判されたが、輪をかけて菅首相の答弁はひどい。答えられない理由は、自信のなさはどこから来るのか。菅首相個人の問題とはしたくない。想定しなかった新型コロナウイルス感染症拡大に、政治はまったく無力に陥っている。もう少し具体的に言うと、新自由主義を基本にした政治がこのコロナ禍の状況に対応できないと言うことであり、もっと言うと政治の哲学を持たないと言うことだ。
長らく官邸の人事権限に抑え込まれた官僚機構が、機能不全に陥っている。否、「唇寒し」との思いが蔓延しているのではないだろうか。安倍政権7年8ヵ月、日本の政治機構は大きく衰微した。そして、そのとばっちりを受けているのは市民社会だ。(藤本 泰成)
2021年6日、アメリカ連邦議会議事堂に、トランプ支持の暴徒が乱入したことは、アメリカだけでなく世界を震撼させた。民主主義のシンボルである議事堂で、大統領選の結果を確認している最中に選挙結果が不正であると主張して、トランプの扇動に乗った集団が、一部武装した集団を含め、警備をやすやすと突破したため、議会の中断を余儀なくされたのである。アメリカ民主主義の危機の深さを、示す出来事である。
“PROTECT THE RESULTS”(「選挙結果を守れ」)は、原水禁大会に持続的に参加するアメリカでのパートナー組織である“Peace Action”など約200の幅広いNGOや労働組合が結集したネットワークである。トランプが文字通り選挙結果を“盗み取ろう”とするのに対し、その防衛のための行動を、SNSを駆使し、集会の開催や議員へのロビーイングなどを地域草の根レベルで展開している。また保守派は大統領選に限らず、民主党支持が多い黒人やラティーノなどマイノリティを狙い、選挙権を制限しようとしており、それに対抗する動きも欠かせない。
2020年大統領選・議会選挙が接戦であり、投票率も大きく向上したのは、こうした攻防の結果でもある。この背景にはネオリベラル政策が拡大させた、貧富、人種、ジェンダーに基づく差別・分断がある。
バイデン政権が発足しても、この対立の底にある貧富の格差など、分断の原因は解決されるわけではない。大統領選に見られる激しい闘争は、過去のもの、歴史になったものではなく、現在起きていることであり、この帰趨は世界全体に大きく影響する。もちろん日本も例外ではなく、注視していかなければならない。
(画像は、Peace Actionホームページから。各地域の行動を紹介し(Find Your Events)「トランプが結果を受け入れないなら、すべての数えた票をつきつけてやれ」)