平和軍縮時評
2010年07月30日
平和軍縮時評7月号 改めて「立ちつくす思想」を考える―2010年NPT再検討会議に参加して 湯浅一郎
2010年5月4日から11日、ニューヨークに滞在した。核不拡散条約(NPT)再検討会議期間中にサイドイベントとして行う日韓NGOワークショップを主な仕事としたが、折に触れ会議の進行を見守った。そこで感じたことも含め、ニューヨーク国連本部において開催されたNPT再検討会議をふりかえり、その意義と今後へ向けた課題について検討する。
1 ニューヨークで感じたこと
2005年の悪夢のような再検討会議から5年、「核兵器のない世界」をめざすビジョンが世界的な潮流となるなかでの開催となり、何がしかの前進を期待して、世界中から多くの人々が集まった。日本からは、NGOだけで2000人近くが参加し、700万人近くの核兵器廃絶を求める署名が提出されたと言われている。滞在したペンステーションの目の前のホテルペンシルバニアは、歴史のある大きなホテルであるが、結構多くの日本人がいた。皆さん、NPTにきた代表団の人たちである。
私は、NGOの集会やデモが行われた2日、3日には間に合わず、4日に到着した。5日、とにかく国連に入る通行証をもらうために国連本部まで出かけた。徒歩で45分。ニューヨークのビルの谷間を縫いながら、朝の出勤に向かう市民に交じって、ゆっくりと歩いた。余り海外に行くことはないのだが、ニューヨークへは、これで4回目で、大体の土地勘はある。日本では、寒い春が続いていたが、ニューヨークは、逆に温かく、街ゆく人々は半そで姿が目立った。
国連ビルは改修工事中で、その北側に3階建ての臨時の建物があり、会議はそこで行なわれていた。おかげで、これまで行ったことがなかった川べりの広場を見ることができた。国連ビルが接するイースト川の河畔は、川幅があり、かなり水深がありそうである。潮汐により大西洋の海水が遡上しているはずで、海水に触れ、岸辺の生物を観察して見たかったが、コンクリ護岸があるだけで、川辺や海辺に降りていくことができない。マンハッタンと言うところは、とにかく海辺へのアクセスが全くできない河口なのである。
2 「北東アジア非核兵器地帯」日韓ワークショップなど
6日、午前10時から13時まで、ピースデポは日韓NGO6団体の共催で、「北東アジア非核兵器地帯は「核兵器のない世界」を推進する」と題してワークショップを行った。私は、韓国平和ネットワークの金マリアさんと司会役をし、慣れない英語で3時間を過ごした。昨年も同様のサイドイベントを行ったが、民主党核軍縮議連の平岡秀夫衆議院議員の参加を得て、日本の主要政党の有志が北東アジア非核兵器地帯条約案を作ったことを初めて国際的に披露する場となった。今回は、それを踏まえて、さらに輪を広げるべく、日韓を中心に国会議員、自治体(市長)、市民社会の3者が集い、北東アジア地域の非核化がグローバルな核廃絶に大きな貢献をすることができるという趣旨でのワークショップである。予想をはるかに上回る約90人が参加し、用意した資料は、ほとんどなくなった。
まず、参与連帯のイ・テホさんが、6か国協議など北東アジアの核を巡る情勢について概要を報告。次いで、韓国のイ・ミギョン議員のビデオメッセージ。韓国では、6月に大きな地方選挙があり、国会議員は、気持ちはニューヨークにあるが参加できないということで、ビデオで参加していただいた。日本からは、昨年に引き続き平岡議員が、昨年来の日韓の国会議員の連携や4月29日にニューヨークで行われた核軍縮議連主催の非核兵器地帯締約国会議に関連したNGOセッションで日韓議員が連名で共同声明を挙げたことなどを報告した。次いで、今年の一つの柱として、日本から非核宣言自治体協議会の代表団が初めてNPTに参加したということで、田上長崎市長、海老根藤沢市長、竹内枚方市長、そして吉原長崎市議会議長の4人の方から発言をいただいた。
次いで、NGOからは、韓国の参与連帯、ノーチラス、そして日本から私が、それぞれ発言を行った。私は、この間の北東アジア非核兵器地帯をめざす取り組みの中で、一刻も早くどこかの政府が提唱することがまず重要であり、そのために、日韓の国会議員、自治体の動きを作っていくことに尽力していることを強調した。
7日午後は、NPT会議の一環としてNGOセッションが行われた。残念ながら、各国代表で、熱心に聴いている人はあまりいなかった。その分、我々NGOが各国代表の座席で聞くことができた。10数人の方が、それぞれの立場から熱のこもった発言を行った。地雷キャンペーンのジョデイ・ウイリアムスさん、イギリスのレベッカ・ジョンソンさんの話は、毅然としていて、迫力のあるものだった。ロバート・グリーン(ニュージーランド)さんは北東アジアの非核地帯化が重要であることを強調した。そして、何よりも印象に残ったのは、長崎の被爆者・谷口さんが、子どものときに被爆したご自分の写真を持ちながら、切々と訴えた時は、会場の全員が立ち上がり、拍手がやまなかった光景である。
8日は国連が休みで、アボリッション2000年次総会がワシントン広場近くの教会で行われたので、そこに参加した。メイリングリストで良く名前は知っている人たち、70人余りが文字どうり世界中から集まって、わいわいと議論する場である。英語での議論に直接参加できる能力はなく、結構、苦痛ではあるが、終日そこにいることで、核兵器のない世界をめざそうとする世界中のNGOの思いを共有することができ、やはり来てよかったと思った。
1週間の滞在ではあったが、2005年と比べると会議は明るい雰囲気の中で進行していたように感じられた。
3 NPT最終文書の意義
会議そのものは、5月3日に始まり、最終日の28日に最終文書に合意して閉幕した。最終文書が採択されたこと自体は、2005年と比べ一歩前進といえる。合意された64の行動勧告には、これまでの最新の合意である2000年合意を再確認しつつ、更にいくつかの一歩前進がある。核兵器禁止条約という文言が初めて残り、国際人道法の遵守の必要性が初めて述べられ、さらに中東決議について2012年までと期限を切っての国際会議開催が確認されたことは大きな成果である。たったそれだけかという評価もあるが、ここにこぎ着けるまでに、相当の努力が払われたことも事実である。特に、従来から力を発揮してきた非同盟諸国に加え、スイス、オーストリア、ノルウエ―など欧州の小国の努力に寄るところが大きい点は、新しい構図として注目される。
しかし、一方で明確になったことは執拗な「核兵器国による文書の骨抜き」工作である。5月14日、会議半ばで出された主委員会1の議長草案では、「核兵器国は、「核兵器のない世界」を維持する法的枠組みを確立するのに、特別の努力を払うべきだ。国連事務総長の核兵器禁止条約への考慮を含む5項目提案が、この目的に役立つ」とし、「これをふまえて、国連事務総長は、2014年までに完全廃棄のロードマップを協議する会議を招集すべきだ」としていた。この通りになれば、核ゼロに向けて大きな前進となる。
ところが、核兵器国の巻き返しにより、これらは、ことごとく削除された。「核兵器のない世界」を標榜するとしながら、核兵器国は、「核ゼロへのロードマップ」を期限付きで作る提案にことごとく抵抗し、自らの保有する核を長期にわたり保有する意図を露骨に示した。会議は、全体として、そのわがままを押さえることができなかった。少数の核兵器保有国の国力が、世界の多くの国々の正当な主張をも退けてしまう現実が見えている。
しかし、ここにこそ、今、我々が着目すべき問題がある。今年のNPT再検討会議は、米国にオバマ政権が登場し、核保有国が、先頭に立って「核兵器のない世界」をめざすとしたにもかかわらず、結果は、ほとんど前進がなかったのである。「唯一の被爆国」を自認する日本政府は、核兵器の非人道性をスイスが強調した時、沈黙を守ったと言われる。残念ながら、政権交代のメリットはほとんど感じられない。米国を意識してのことかもしれないが、このような姿勢で、「核兵器のない世界」への道を主導することはできない。
4 社会に浸透する「核兵器のある世界」の壁
このような結果は、2010年初めから予想されていた面がある。09年1月に発足し、4月5日のプラハ演説で、「核兵器のない世界」へ向け、「核兵器を使用した唯一の国として、道義的責任を果たす」と演説したオバマ政権の勢いは、09年9月の国連安保理サミットまでだった。その後は、米国をはじめとした核兵器保有国の現実の壁が高く立ちはだかり、その前で呻吟する政権の姿が見えていた。09年12月に期限切れとなったSTART(戦略兵器削減条約)の後継条約は、年を越しても、見通しが見えなかった。そして1月末、バイデン副大統領が、ウオールストリートジャーナルに投稿した論文には、「核兵器のない世界」を求める人々を失望させる内容が盛り込まれていた。2011年の核関連予算を70億ドルという史上最高額で要求し、当面5年間、更に増やしていくという。「核兵器のない世界」をめざす国の核関連予算を過去最高にするという提案をオバマ政権が行っているのである。4月になり相次いで出された核態勢見直し(NPR)、START後継条約も、同じように米国の核戦略に大きな変化がないことを示していた。特にSTART後継条約は、この間の米国の核削減の速度から見れば、新たな努力なしで早期に達成できる程度の目標にすぎない。この背景には、条約の批准には、米上院の3分の2の賛成が必要であるという事情がある。それには、野党共和党から、相当数の賛成を得なければならない。包括的核実験禁止条約(CTBT)に米国が批准できないでいるのも、この条件が壁になっている。そうした中で、NPT再検討会議は開催されたのである。
ここには、オバマ政権の本音が出たとも言えるが、オバマ政権の悲鳴が聞こえているとも言える。こうでもしないと政権運営ができないということである。「核兵器のある世界」が約70年続き、社会に浸透している状況がそうさせているのである。特に米ロは、核兵器を頂点にした軍事戦略に基づいて政治をつくり、核の存在を前提にして社会が成り立ってきた。軍産学複合体の存在は、議会、政府、地域社会に根を張り、利害が複雑に浸透している。結果として、保有核兵器体系を維持するために、当面、膨大な予算を大盤振る舞いしないと政権運営ができないという事情が発生するのである。
5 市民社会の声こそが変革への力
オバマ政権のもと、核兵器保有国が、「核兵器のない世界」をめざすとして行われたNPT再検討会議は、ほとんど見るべきものがないまま終わった。この現実は、世界を変えていくためには、市民社会の下からの粘り強い世論がなければ、状況を前進させることはできないという当たり前の壁を我々の前に突きつけた。これを変えるには、それ相当のエネルギーと市民の意識変革が不可欠であり、状況を動かせるのは市民・自治体の連携に基づく草の根の世論しかない。
「核のある世界」の利害や質が社会の隅々に染み渡り、構造化された状況が、我々の前に壁として立ちはだかっている。一人でも多くの市民が、この壁の前で「立ちつくし」、「壁を押し続ける」ことが、今、最も必要である。2010年、NPT再検討会議の経過は、我々に、この点を教え、提起したのではないか。特に広島・長崎の体験を持つ日本の市民の果たす役割が今まで以上に大きいことは言うまでもない。その際、NPT最終文書に残った核兵器禁止条約や国際人道法の遵守を求める文言を活かし、包括的なアプローチを前進させることが求められる。核兵器禁止条約の一刻も早い交渉の開始、そして北東アジア非核兵器地帯の世論形成を2本柱とした取り組みが急務である。
※NPT再検討会議の最終文書は、かなり長いものである。これを全訳し、本稿で示したような文書の意義や問題点を整理したブックレットを作成した。2015年NPTへ向けて、世界中で核兵器廃絶への論議が継続されていく上で、基本文書となるものである。是非とも、お手元に1冊持たれることをお勧めしたい。A5版、64ページ、500円。注文は、ピースデポへ。