2014年、ニュースペーパー

2014年11月01日

ニュースペーパー2014年11月



「さようなら原発全国大集会」に16000人
 川内原発再稼働するな!フクシマを忘れない!─9月23日、東京江東区の亀戸中央公園で「さようなら原発全国大集会」が開かれ、16000人が参加。安倍政権の原発推進政策と対決し、再稼働を阻止しようと声をあげました。呼びかけ人の鎌田慧さんや大江健三郎さんなどが「再稼働や集団的自衛権行使をしようとする安倍政権は亡国への政権だ。絶対に原発をなくそう!」と呼び掛け。1954年3月1日に南太平洋ビキニ環礁で米国の水爆実験により被曝したマグロ漁船第5福竜丸乗組員の大石又七さんが車イスで登壇し「ビキニ事件と原発はつながっており、同じ事が繰り返されようとしている」と切々と訴えました。福島からは「福島の土や水、空気が壊されている。安倍政権こそ壊したい」、鹿児島からは「川内原発の再稼働に反対する県民の世論は高まっている。一歩も引かずに闘う」と決意表明がありました。
 韓国や台湾からも脱原発に向けた運動が報告され、集会後、参加者はプラカードや横断幕などを手にデモ行進しました。会場周辺には多くの団体のブースが並び、原発立地地域からの訴えや関連物資の販売、署名活動など多彩な活動が行われました。(写真は会場を埋め尽くす参加者、撮影=今井明)

インタビュー・シリーズ:95
政治に民主主義が反映されない危機。政権交代に再起する
自治労書記長 川本淳さんに聞く

川本淳さん

かわもと・あつしさんのプロフィール
1962年生まれ。1981年4月に北海道中川町役場に入職。以来青年婦人部をはじめとして自治労の組合運動に参加。1995年中川町職労書記長。1999年自治労北海道本部執行委員。2001年自治労全国町村評議会副議長、2005年同議長。2006年自治労北海道本部財政局長、2010年同書記長。2011年自治労中央本部書記次長、2013年9月書記長に就任。平和フォーラム常任幹事。

─北海道における組合活動や平和運動の経験をご紹介ください。
 1981年4月に役場に採用され、北海道の中川町職労に入職しました。青年婦人部時代に経験した「幌延闘争」が大きいですね。動燃(動力炉・核燃料開発事業団)が、高レベル放射性廃棄物の処理施設建設を計画しました。幌延町は81年に、原子力関連施設を誘致すると表明したのです。中川町は幌延町の南隣、誘致予定地から15キロくらいで一番近い位置にありました。中川町は84年に、幌延町の原子力関連施設誘致に反対の決議をしました。その現地闘争を取り組んだのが平和運動の一番のきっかけかもしれません。
 署名活動を一生懸命やりました。有権者の8割近くの署名を集めたのです。今の辺野古と一緒ではないでしょうか。アリバイづくりで立地環境調査をするという動きがあり、私たちは夜中に出発して朝まで幌延の現地行動をしました。ローテーションを組んで、搬入すると思われる門の前に座り込みを続けるという行動も行いました。この取り組みは、11月23日の「幌延デ―」として今も集会を行っています。テレビに取り上げられ、ローカル新聞は必ずニュースにしてくれています。
 もう一つ、国鉄分割民営化反対の運動に参加したのも大きいと思います。公務員の身分であるのに、国鉄職員がこんなに簡単に解雇されるのかとびっくりしたことを思い出します。1984年2月1日に大きなダイヤ改正が行われました。これは分割民営化に向けた合理化政策の一環だったのですが、列車の本数などが減れば仕事も減るわけです。そこで、「余剰人員」という言葉を大々的に使って、今でいう希望退職を促したり、「人材活用センター」に配置替えしたり、ダイヤ改正のたびに、人が減っていくんですね。当時はすでにJTとNTTは民営化されていましたが、国労攻撃の一番激しい時代を地域で経験しました。ローカル線そのものを廃止したりと、凄まじい時代でした。
 その間、83年には「道政奪還」を合言葉に横路知事の誕生を勝ち取りました。幌延問題に対する道政のあり方も知事選の争点でしたが、横路さんには、三期知事を務めていただきました。旧社会党の知事を誕生させることが出来たのです。政治の力、地方政治の影響の大きさを感じました。しかし他方、86年に衆参のダブル選挙があって、社会党が惨敗すると、国鉄民営化は一気に進んでしまいました。苦い経験ですが政治が大事だと感じる出来事でした。私にとっては、これら80年代全体の経験が今日の原点だと思っています。

─安倍政権が行う公務公共分野の労働者への攻撃の状況を教えてください。
 まず、国家公務員に対して7.8%の賃金カットが2012年4月から2014年3月まで行われました。これは、民主党政権時代に決まったことですが、地方公務員にまでは要求されたことではなかったんです。しかし、2012年に安倍政権が誕生して、地方公務員に対しても賃金カットの「要請」がされました。実質的には強要です。政権が変わり、安倍カラーが前面に出た政策といえるのでしょう。昨年、人事院は「まだまだ公務員の給与は高い」という「報告」をしました。それは今年の勧告につながっていきます。そもそも自民党は、2012年、2013年の選挙公約で「公務員人件費の引き下げ」を明確にしていたのです。
 しかしその前に見逃せない経過があります。2006年から始まる4.8%の給与引き下げで、人事院も「目的は一定程度達した」と2012年に評価したばかりなのです。2006年の引き下げに際しては、「北海道、東北は民間と比べ、給与が高いのではないか」という個別の攻撃があったのですが、今度は、作為的に選ばれた12の県を選抜して民間より給与が高いとしているんです。公務労協と一緒に交渉していますが、「何故、この比較対象なんですか」と問いつめても、説明できないし、明確な回答が返ってこない。合理的な理由はまったく無いということなんですね。
 また、地方の財源、地方交付税の削減というものが大きいです。小泉政権の時、「三位一体改革」で、地方交付税が大幅に削減されました。削減され続けた結果、自治労の組合のある自治体のうち、6割が苦渋の選択から「独自削減」という公務員賃金の削減につながっていきました。
 さらに、財源がないということから行政改革が行われました。元々、どこの地域にいても、同じような生活をすることができるようにと地方交付税制度があるのに、財源がないからサービスを削減して質を下げ、サービスを低下させしまうということにつながったんです。北海道庁は、99年からずっと賃金を削減しつづけています。ひどい時は10%削減の時もあったくらいです。
 そして、財政が厳しいんだったら大きくなればいいじゃないかと、市町村合併が促されました。その後、各自治体の努力もあってプライマリーバランスが改善されたりもしたのですが、2009年以降、少し上向きになった地方交付税も、2013年再び安倍政権下で抑制され、国の借金を地方に押し付ける形になっています。安倍政権下で行われている政策は、地方分権の流れに逆行し、どんどん中央集権化してきていることがわかります。
 また、国民投票法が成立しましたが、ここでは、公務員にさらなる罰則を設け活動を制限しようとしてきました。憲法は基本法であり、国民の政治活動、政治参加は普遍的な権利です。安倍政権は、公務員の国民投票運動に規制を加えようとしたんです。自治労や日教組をターゲットにしているということです。そのような規制を法案に盛り込ませないよう取り組みをおこなってきました。

─集団的自衛権行使容認の閣議決定など、今日の政治反動をどのように考えておられますか。
 安倍首相は、特定秘密保護法、靖国参拝問題、オスプレイ配備問題、集団的自衛権問題、原発再稼働問題など、参院選後から支持率を基盤に、好き放題しています。積極的平和主義と言っていながら、近隣諸国との関係を悪化させているのは安倍政権自身です。集団的自衛権の行使は、国民の生活に大きく関係するのに、それを表に出さないように情報操作をしています。たとえば拉致の問題にすり替えて、国民的な議論にならないよう世論を誘導しようとしています。
 そして、こっそりと原子力発電所の再稼働も進めているのです。3.11の事故の責任は、電力会社に押しつけ、再稼働すれば電気料金は安くなるというイメージを持たせようとしているのです。また、ヘイトスピーチの規制の検討と一緒に、平和センターなどのデモを同一視して規制しようとしています。自民党政権は、国民の思いとは違う方向に進んでいます。政治に本来の民主主義が反映されないという危機に立たされているのです。

─平和フォーラムへの期待、ご意見をお聞かせ下さい。
 運動や世論形成づくりは、中央の取り組みにとどめず、地方からやることが重要です。例えば、TPPを巡る農業政策などは、中央と地方では報道のされ方も違います。地方公務員の給与の問題などは、中央紙では取り上げられませんが、地方紙では取り上げています。世論喚起に差があることがわかります。
 北海道では、多くの産別が参加できるように、大同小異というか、出来る課題は連合と一緒に行動しています。様々な条件がありますが、各地でも大きな枠組みの運動をつくることが重要だと思います。中央で大きな集会をやるのも良いですが、それは代表参加でしかないし、中央では新聞もそんなに取り上げてくれるものでもない。それよりも、各地方で同時多発的に集会を行う方がいいと思うんです。世論喚起の方法は考えなくちゃいけませんね。そういう意味で、平和フォーラムは47都道府県に地方組織がありますから期待も大きい。専従を置くことは大変だとは思いますが、平和フォーラムの良さを生かすことが大切だと思います。
 政治分野に関して言えば、2009年に政権交代を果たした民主党は、その後の衆・参院選挙で大きく後退しました。しかし、これからどうするかと考えた時、もう一回政権交代をめざして奮起するしかありません。なにをするにしても、最後は政治で決まってしまうんです。自治体選挙で様々な人々と連携して、安倍政権に対抗する流れの第一歩を生み出すことが大切です。

─厳しい政治状況は続きます。自治労の、そして川本書記長の決意をお聞かせ下さい。
 がんばります、としか言えません。今の政治の状況は、なにもしなければ変わりません。だからこそ、来年の統一自治体選挙に全力をつくします。私たちの考えを理解できる人を、一人でも多く政治の場に送りこまなければなりません。そして、自治労として組合員の賃金、労働条件を1ミリでも上げることが大切だと思っています。水たまりで転んでも立ち上がる時に5円でも掴んでいく気持ちで、引き続き取り組んでいきたいと思います。

インタビューを終えて
 自治労本部の書記長として活躍されている川本さん。北海道の青年婦人部時代の経験が労働運動の原点だと言われました。放射性廃棄物の処理施設計画で揺れる幌延での取り組み、国鉄闘争への連帯活動、そして地区労運動の経験など。職場と地域など、現場で培われた経験のほかに重い経綸はありません。また、政治の分野のたたかいの重要性について強調されていました。「積極的平和主義」と言いながら、アジア諸国と関係を悪化させている安倍政権との対決、このために、あらためて政治活動を強化するという決意が込められていました。首都圏だけでなく、大衆的な行動を全国の各地域で組み立て、この力とタイアップして、最終的には政治の舞台での決戦に向かう、あらためてその出発点に立つとの決意を感じました。
(道田哲朗)

このページの先頭へ

集団的自衛権行使と日米ガイドライン見直しの問題
戦争主義の日米同盟を許すな
フォーラム平和・人権・環境 事務局長 藤本 泰成

これまでの制約を打ち破る内容
 日米防衛協力のための指針(ガイドライン)見直しの中間報告が、日米両政府によって10月8日に発表されました。私たちの懸念していたとおり、「2014年7月1日の日本政府の閣議決定の内容に従って日本の武力行使が許容される場合における日米両政府の協力について詳述する」として、集団的自衛権行使を前提にし、これまでの制約を大きく打ち破るものとなっています。
 「平時から緊急事態までのいかなる状況においても日本の平和と安全を確保するとともに、アジア太平洋及びこれを越えた地域が安定し、平和で繁栄したものとなるよう」と記載し、これまでの「周辺事態」という地理的概念とも言える制約を排除し、シームレス(切れ目のない)な日米軍事協力をグローバルに展開することを謳っています。
 また、「日米両政府は、地域の同盟国やパートナーとの三か国間及び多国間の安全保障及び防衛協力を推進する」として、平和維持活動や後方支援など7項目を列挙し「当該協力の対象分野は次のものを含み得るが、これに限定されない」と、多国間の協力範囲の拡大を示唆しています。「二国間協力をより実効的なものとするため」としているものの、米国の世界覇権への協力に加えて、日本政府・外務省の念願である「国連安全保障理事国」入りへの前提となる国連の安全保障措置への参加も可能としています。


戦争をさせない1000人委の官邸前抗議行動(10月9日)

戦争で勝利できないアメリカ
 日独伊三国同盟を相手に第2次世界大戦を戦った米国は、自らを自由と民主主義の庇護者であると位置づけ、「世界の警察」として第2次大戦後の自由主義世界で大きな指導力を振るってきました。そして、朝鮮戦争、ベトナム戦争、アフガニスタンやイラク戦争と、大戦後も多くの戦争を主導的に戦ってきました。その多くは集団的自衛権や集団的安全保障を理由にしたものでした。
 韓国は、米国との集団的自衛権の下でベトナム戦争に参加し5,500人もの若者を失いました。アフガン戦争へ、後方支援として参加したドイツは55人の戦死者を出したと言われています。しかし米国は、圧倒的戦力を保持しながら第2次大戦後の戦争で一つとして勝利したことはありません。
 朝鮮戦争やベトナム戦争もそうですが、多くの犠牲を払いながらアフガニスタンやイラクは混迷の中にあります。イスラム過激派と呼ばれるタリバーン勢力は、アフガニスタンから一掃されませんでした。それどころかイスラム社会の憎しみは、タリバーンでさえ協力に二の足を踏む過激な「イスラム国」などという勢力の台頭さえ許すものとなっています。
 「米国の軍事活動に関与を深める『普通の国』になるな」と日本に対して警鐘を鳴らすマサチューセッツ工科大学のジョン・ダワー名誉教授は、近著「転換期の日本へ」(NHK出版新書)において、アジアと真摯に向き合う日本の政治姿勢を求めています。副題にある「パックス・アメリカーナかパックス・アジアか」の視点は、日本の将来にとってきわめて重要ではないかと考えます。
 自らの意に沿わぬ国家や政権に対して、米国はどのように対応してきたでしょうか。チリやアルゼンチンなどの政変に政治介入を繰り返した米国が、南米社会でどのようにとらえられているか、アフガン・イラク戦争を通じてイスラム社会は米国をどうとらえているのか、米国と利害を同じくする政治権力を除いて友好的感情を抱く人々が多数を占めているとは考えられません。


日本弁護士連合会のデモ(10月8日・銀座)

アメリカの戦争に加担する日本
 日本は、ノーベル平和賞候補として名前の挙がった「憲法9条・平和主義」を掲げる国として、非核三原則や武器輸出三原則を国是として、憲法9条は「集団的自衛権」の行使を許していないとする解釈をもって戦争参加に制約を課してきました。そのことが、侵略戦争と植民地支配の歴史から、「戦争を二度と繰り返さない国」として日本の信頼を作り上げてきたのではないでしょうか。しかし、ガイドラインの中間報告では、米国を同盟国として米国の脅威に対して集団的自衛権を行使し「米国の戦争に加担する日本」という構造が明確になっています。米国との同盟関係を深化させることが、世界各国にどのように映るのか、そのことを日本社会が議論したことがあるのでしょうか。
 世界の紛争地において住民支援の活動を行ってきた日本国際ボランティアセンター(JVC)の谷山博史さんは「非軍事の原則があって受け入れられてきた日本の国際協力が、自衛隊の武力行使で一気に変わります。国際協力の現場においても、日本においても『テロ』のリスクが高まることは免れないでしょう」と主張しています。
 米国をターゲットにした「9.11同時多発テロ」が何であったのかを、もう一度考え直さなくてはなりません。米国と敵対しろというような極端な議論ではなく、今の日本の、戦争から一歩身をひいたところでの世界平和への努力といったことを主張していくことこそが、世界で信頼される立ち位置ではないでしょうか。そして、そのことこそが日本の安全を守ることにつながっていくのです。
 安倍晋三首相の言う「積極的平和主義」とは、詰まるところ「ガイドラインの見直し」によって示される日米の一体となった軍事力の展開であり、これまでの「世界の警察」として君臨しようとする米国の世界覇権を補完するものでしかありません。そしてそのことが、いかに日本社会を危うくしテロの脅威を呼び込むかを考えなくてはなりません。

国民生活を無視した防衛費増大
 日本は未曾有の財政危機にあります。財政赤字は1200兆円を超え、財政収支(対GDP比)は財政破綻に追い込まれたギリシャを凌ぐ数字とも言われています。そのような中で、消費税の更なる増税が予定されるとともに、生活保護費の切り下げ、後期高齢者医療制度の改悪ももくろまれています。子どもの貧困率もユニセフの調査では先進35か国中下から9番目という数字が出ています。
 財政危機が叫ばれ、増税やアベノミクスのインフレ政策による物価上昇などが、生活者を直撃する中で、中期防衛計画(2014年~2018年度)を見ると、安倍政権の集団的自衛権行使容認などの「戦争をする国づくり」を反映し、機動戦闘車99両(1両5億円)、護衛艦5隻(1隻1200億円)、オスプレイ17機(1機100億円以上)、戦闘機F-35A28機(1機150億円)、潜水艦5隻(1隻513億円)など多様な防衛装備が並びます。これらを足してみても1兆4960億円になります。これに法的根拠のない米軍への思いやり予算(年間1880億円)を加えると、4年間で2兆2480億円以上に上ります。
 今年度の防衛白書は、中国や北朝鮮の脅威を大きく捉え、専守防衛から大きく踏み出す、揚陸強襲艦など侵略的兵器の装備を謳っています。2013年度の防衛予算は4兆6840億円(うち人件費を除く物件費は2兆6908億円)で前年度比0.8%増、10年間減額され続けてきた中で久しぶりの増額となりました。中国の軍拡と脅威に、軍事力を持って対抗するとすれば、安全保障のジレンマに落ち込むことは必至と言えます。
 例えば地方での生活にとって車は欠かせない移動手段であり、ガソリン代の高騰は収入が増えない中にあって家計を直撃しています。160円のガソリンを40リットル入れると6400円、その内税金を除くと3672円になります。防衛費の増額や専守防衛にとって必要とされない装備を考えると、ガソリン税はどれだけ減額されるのでしょうか。大きな話ではなく、このような考え方も必要ではないでしょうか。

法治国家の原則をまげる政治
 安倍首相は、「積極的平和主義」を主張し、あたかも米国と自衛隊の世界における軍事行動が、世界平和、日本の平和に貢献するとしていますが、そのことを証明するものは何もありません。中東の混乱を見れば、いかにその主張がまやかしか想像できるのではないでしょうか。
 平和を広辞苑で引くと「やすらかにやわらぐこと。おだやかで変りのないこと」「戦争がなくて世が安穏であること」と記載されています。今の日本は、安寧な生活を営むことのできる社会でしょうか。格差が広がり、非正規雇用や派遣労働など、年収200万円以下の低所得に置かれている若者の存在は、平和な社会とはとても言えない状況があります。私たちはそのことの解消こそが、日本の平和をつくり出すものだと考えます。
 ガイドラインの見直しは、日米両政府の政策的合意事項でしかありません。それは、安全保障体制を規定する日米安全保障条約(安保条約)の枠内の議論であり、国内法に基づいたものでなくてはなりません。しかし、周辺事態法や自衛隊法の集団的自衛権行使容認の閣議決定を受けての改正の議論は、先送りされています。
 そのような中で、国内法や「本国の安全に寄与し、並びに極東における国際の平和及び安全の維持に寄与するため」とされる安保条約に反するガイドラインの見直しは、民主的、法的な手続きに反するものです。閣議決定で、戦後一貫して守ってきた憲法9条・平和主義の解釈を変更しようとしている安倍政権は、ここでも法治国家の原則を曲げた恣意的な政治運営を行っています。
 私たちは、平和の視点から、民主主義の視点から、これまでの日本社会のあり方から、そして、日本の近代の歴史から、集団的自衛権行使とガイドライン見直しに対して、反対の立場でとりくみを強化していかなくてはなりません。
(ふじもとやすなり)

このページの先頭へ

異常な暴落を続ける生産者米価
生産者の補償なくして自給はない
農業評論家・元JA全国農協中央会営農部長 石原 健二

戸別所得補償の廃止でさらなる生産者の不安
 9月14日付けの朝日新聞は、一面で今年の新米の安値を報じた。超早場の宮崎、高知県産のコシヒカリが昨年より一割ほど安い5キロ1800円で消費者に売られている。三重県産のコシヒカリも1600円前後で特売に出されている。米の作柄は平年並み以上で、13年産の米がまだ在庫としてずいぶん残っている。年々、米の消費が減ってきており米の低落が続いている。早場地帯の茨城の農家は60kg当り9800円、昨年より24%も低い価格で売ることとなったと嘆いている、とあった。
 こうした中で全国農協連合会(全農)の概算金(農家に対する仮払金)が出された。しかし、ここでも60キロ当り1万円を超える銘柄は新潟県の岩舟・魚沼産、福島県会津地方、富山、石川、福井、兵庫県丹波地方のコシヒカリなどほんのわずかで、宮城、岩手県産のひとめぼれも8400円と、前年比2000~3000円も安くなっている。
 とりわけ今年は米生産者にとっては、昨年まで行われていた戸別所得補償制度が廃止され、10アール当り7500円の単なる補助金となったことや、指標価格はなく、収入減少緩和措置もない中で迎える収穫であったのだ。さらに2018年度には米の生産調整もなくなることから、米生産への不安が募るばかりだ。

商社が支配する米の流通と価格
 最近20年の生産者米価は93年の60キロ当り2万7000円をピークに2007年の凶作時を除いて下がり続けている。それは1996年に食管法が無くなり、食糧法となって、政府の役割が備蓄と価格調整、輸出入の管理だけになってからである。そのうち、備蓄は92年の凶作で年間150万トンの回転備蓄としたがうまくいかず、その後、棚上げ備蓄により5年間で100万t、年間20万tとすることとした。しかし、最近では年間20万トンの備蓄もされておらず、民間に依存している。
 また、価格調整については95年に価格形成センターを設置したが、04年に廃止している。その後はほとんど価格下落に対する歯止めの無い状態となってきた。
 生産者米価が低落傾向にある原因は消費の減少、最近では外食・中食の増加に起因するとされているが、生産と流通に大きな変化がある。米の生産を見ても品種がコシヒカリで38%を超え、上位20品種で90%となり、いずれも早場米であることから、出荷の時期が短期となって変動が激しくなっている。
 流通では、米価は市場が形成されていないことから、実質は卸とそれを支配している商社が握っている。現在の消費者の米の購入先を見ると、生産者等からの縁故米を除くと流通量の80%は量販店である。お米屋さんは2.6%、生協も8%でしかない。これら量販店は大手商社の下にあり、これらの商社は既存卸を傘下におさめている。三菱商事は神明やミツハシ、伊藤忠商事は第一食糧、豊田通商は中外食糧などである。
 大正の米騒動が起きてあと4年で100年になる。そのときの米の流通は米穀商が握り、寄生地主化しつつあった地主の小作米を投機的に販売したことが騒動に繋がった。今、米穀商の役割を演じているのは商社と卸、その傘下の販売店である。


TPP反対とともに米価対策を求めた
農民団体の行動(10月21日・農水省前)

流通段階で取られるマージン 指標価格の明示を
 今年の消費者米価は安くなっている。しかし、それ以上に生産者米価は下がっている。消費者米価は生産者米価の倍の価格で売られているのだ。しかも優良銘柄は5キロ3000円以上である。これは60キロで3万6000円にもなる。
 2010年の戸別所得補償制度が導入されたとき、基準価格の60キロ1万3700円から3000円ほど下がったので大変な補填となった。しかし、生産者の手取りは補填額を入れて前年とほぼ同じだった。しかも消費者米価は前年と同じであった。戸別所得補償の分は流通段階でマージンとして取られているのだ。
 今年も作況はそれほどよいとは思われない。生産者が売ってしまった後、11月頃から消費者米価は上がるのかもしれない。米は量販店の目玉商品で食品の稼ぎ頭なのだ。米の価格のこうした状態は商社など流通業界にとってもっとも好ましい状態なのだろうが、生産者にとっては大正時代に等しい。
 戸別所得補償のときは指標価格を設定したことにより、コスト部分の補償にはなっていた。今後とも、少なくとも政府による指標価格の明示と民間備蓄によらない政府備蓄によって価格を安定させ、生産者への生産を補償することが必要なのである。それなくして米の自給は保てない。
(いしはらけんじ)

このページの先頭へ

「もんじゅ」は廃炉が最善策「減容化」という言葉に踊らされるな
原子力資料情報室 共同代表 伴 英幸


もんじゅを廃炉に!全国集会(2013年12月)

 長期の停止に陥り、再稼働など考えられない福井県敦賀市にある「もんじゅ」だが、最近になって放射性廃棄物の減容化・有害度低減といった「目的」を後付して、運転再開を目指そうとする動きがある。廃棄物が減るなら国民も納得し、「もんじゅ」再開への批判も和らぐだろうとの狙いのようだ。廃棄物の減容化は「もんじゅ」建設の前から研究され、そして実用には至らないと廃れていった。今また、沈みゆく原子力ムラに資金を注ぎ込む方便として「減容化」がごみ箱から拾いだされてきた。

変わらない原子力開発機構の体質
 1995年に40%出力で試験運転中にナトリウム漏れ火災事故を起こして以来、「もんじゅ」は動いていない。14年以上後の2010年には0%出力の試験運転再開に成功したものの、燃料交換のための中継装置を落下させる事故を起こして頓挫。さらに、2012年から13年にかけて1万4000件を超える検査漏れが発覚し、原子力規制委員会から運転再開準備作業の禁止と保守管理体制と品質保証体制の再構築が命令された。これを受けて日本原子力研究開発機構(以下「機構」)は「改革」に乗り出したが、ナトリウム漏えい早期発見のために設置された180台のビデオカメラのおよそ3分の1が故障したまま放置されていたことが発覚した(福井新聞10月12日付)。これは規制庁が9月に行った保安検査で見つかったものだ。知っていたがすでに製造を中止したカメラで交換できなかった、と機構は説明している。
 ここに機構の組織上の問題が如実に示されている。停止中なのでナトリウム漏えいは起こらない、カメラ交換は運転前に行なえばよいとする姿勢で、以前と何ら変わっていない。まさにこの体質改革が命令され、改革に取り組んでから1年以上が経ているにもかかわらず、改善がみられていない。機構は改革終了時期を半年伸ばしたが、とても今年度中に完了するとは考えられない。
 こんな状況が続いていると士気は出ない。機構が改革の一環として職員に行なったアンケート調査(14年4月公表)では、「もんじゅプロジェクトを進める自信があるか」との問いに多くの職員は自信がないと答えている。アンケートは5段階選択肢で、積極的回答の順にプラス2点からマイナス2点までの点数で評価している。「もんじゅ」以外の職員では合計がマイナス0.6となった。では、「もんじゅ」で働く職員は意気軒昂かと言えばそうでもない。彼らの合計も非常にわずかだがマイナスなのだ。組織問題を考えると、機構に「もんじゅ」を運転する能力がないことを示している。

運転再開への合意作りが狙い
 2012年に決定された「もんじゅ」研究計画では、およそ10年程度の運転経験の蓄積とナトリウム取扱い技術の確立などの成果と取りまとめに加えて、「廃棄物の減容化・有害度の低減」研究が登場している。「もんじゅ」の運転を継続するためだ。民主党のエネルギー・環境戦略では成果をまとめて研究を終了するとしていたが、これが見直されたのだ。
 廃棄物の減容化とは、再処理後の高レベル廃液からアメリシウム、キュリウムなどマイナーアクチニドと呼ばれる半減期の長い放射能を選択的に取り出すことが前提である(これは群分離と言われる)。そしてこれらを高速中性子で核分裂させて短半減期の核種に変える(核種変換とか消滅処理といわれる)。例えばアメリシウムが核分裂すると2~3個の放射能がつくられる(核分裂生成物)。放射能的にはより多く、かつ強くなる。うまくすれば、短半減期の放射能になるので将来世代への有害度が減るというのだが、それなら原発などやめるに越したことはない。しかも、すべてがうまくいくとは限らない。中にはより長半減期の放射能ができてしまう可能性もあり、いっそう厄介だ。
 さらに、高レベル廃液からマイナーアクチニドを回収し、これを燃料に加工するなど、複雑かつ大掛かりな自動化装置が必要になる。これには莫大な費用がかかるが、得られる効果はうまくすれば遠い将来への影響がわずかに減る程度で、操業中の被ばくや環境影響、事故リスクを考えると意味ある行為とは言えない。ところが、機構はこの9月に茨城・東海再処理工場と高速増殖炉燃料の再処理試験施設RETFの廃止を決めたから、減容化研究路線はもはや成立していない。
 この減容化を「もんじゅ」に引きつけて言うと、実はアメリシウムを多く含む燃料を燃やすしかない状況を糊塗するものでしかないのだ。燃料となるプルトニウムは20年以上も前に抽出されたものだから、本来15%ほどを占めるプルトニウム241(半減期14年)の6割以上がアメリシウム241に壊変してしまっている。そんな燃料を使うしかない。これを減容化研究と称して、運転再開への合意を狙っているわけだ。
 その燃料を使う経験は日本にも世界にもない。減容化という言葉に踊らされ、「もんじゅ」の再開が進められることは危険極まりないと言える。
(ばんひでゆき)

このページの先頭へ

核兵器の非人道性から禁止条約へ
ピースボート共同代表。核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)国際運営委員 川崎 哲

 「もし今、核兵器が戦争で使われたら、世界はどうなるのでしょうか。今年2月メキシコで開かれた『核兵器の非人道性に関する国際会議』では、146カ国の代表が、人体や経済、環境、気候変動など、さまざまな視点から、核兵器がいかに非人道的な兵器であるかを明らかにしました。その中で、もし核戦争になれば、傷ついた人々を助けることもできず、『核の冬』の到来で食糧がなくなり、世界の20億人以上が飢餓状態に陥るという恐るべき予測が発表されました。
 核兵器の恐怖は決して過去の広島、長崎だけのものではありません。まさに世界がかかえる”今と未来の問題”なのです。」これは今年8月9日の田上富久・長崎市長による平和宣言の一節です。核兵器の非人道性についての国際的な関心はかつてない高まりをみせています。
 核兵器が非人道的だということは、日本の私たちにしてみれば当たり前すぎることかもしれません。それは長年、日本の被爆者運動や原水爆禁止運動が訴えてきたことでもあります。
 しかし国際的にみると、人道性の問題が核兵器をめぐる議論の中心に浮上してきたのはごく最近のことです。2010年4月、赤十字国際委員会(ICRC)が核兵器の非人道性に関する総裁声明を発表し、翌月の核不拡散条約(NPT)再検討会議では核がもたらす「破滅的な人道上の結果」への憂慮が最終文書に盛り込まれました。その背景には、核の拡散が止まらない今日の世界で、もし核が使われたらどうなるかという危機意識があるといえます。

国際的動きに背を向ける日本
 2012年からは、核兵器の非人道性に関する国際共同声明がくり返し出されています。スイスなど16カ国が始めた共同声明は、昨秋の第4回声明では125カ国にまで広がりました。(本稿執筆時点では未発表ですが、今年10月の国連総会では第5回声明がさらに多くの国の賛同をえて発表される見通しです。)
 また、核兵器の人道上の影響に関する国際会議が第1回はノルウェーで(2013年3月)、第2回はメキシコで開かれましたた。メキシコ会議の議長は、「核兵器を禁止する新しい国際規範を作るための外交プロセスを始めるときだ」と宣言しました。核兵器の非人道性に関する認識から、核兵器を非人道兵器として禁止する条約をつくるプロセスを始めようというわけです。
 「人道イニシアティブ」と呼ばれる一連のこの動きの中心に、残念ながら日本の姿はありません。日本政府は、一方で原爆の惨禍を世界に伝えると言っているものの、日本の安全保障のためにアメリカの核抑止力が不可欠だという立場を貫いています。核抑止とは、こちらが核兵器を使う用意があることを示すことで相手が攻撃を思いとどまるという理論です。だから、アメリカが核兵器を使えるようにしておかなければいけない、それゆえに、核兵器を禁止するような議論には乗れないというわけです。多くの核保有国と同様、日本政府は、現在の非人道性をめぐる議論が核兵器禁止条約へと発展していくことを警戒しています。

現実となっている国際法の議論
 来る12月8~9日、核兵器の人道上の影響に関する第3回国際会議がオーストリアのウィーンで開催されます。ここでは、核兵器の非人道性が広島・長崎の被爆者や核実験被害者の証言、また科学的研究報告によって明らかにされるほか、核兵器の偶発的発射や事故のリスクについての検証も行われます。さらには、核兵器の非人道性に関する「国際法上の議論」も行われます。
 世界90カ国360団体以上が参加する核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)は、核兵器禁止条約の早期交渉開始を求めて、オーストリア政府との協力のもと政府会議直前の12月6~7日にウィーンで市民社会フォーラムを開催します。
 ウィーンの会議のあとには、南アフリカが引き継いで非人道性の会議を開くと表明しています。こうした動きが、核兵器禁止への新しい道を切り開こうとしています。核兵器禁止条約の中身については、既にアイルランドなどが今年4月のNPT準備委員会で作業文書を提出し、核兵器禁止条約に関する複数のモデルを提案しています。核兵器の禁止、廃棄、検証という諸段階のうち、すべてを盛り込んだ包括的条約という構想もあれば、禁止を先行させる提案もあります。これらについては、拙著新刊『核兵器を禁止する』(写真─岩波ブックレット。本体520円)で概説しています。
 対人地雷やクラスター爆弾と同じように、国際人道法によって核兵器を禁止しようという動きは現実のものになろうとしています。いつまでも核兵器の「有用性」にしがみつく日本は、被爆国でありながら、核兵器禁止の国際交渉に取り残されてしまう可能性があるのです。
(かわさきあきら)

このページの先頭へ

核のない世界と一触即発の核ミサイル発射態勢解除
日本に協力求める米団体

 米国のNGO「憂慮する科学者同盟(UCS)」が米国の核兵器を一触即発の発射態勢から外すことを提唱し、日本政府がこの政策を支持するように働きかけて欲しいと日本のNGOに訴えています。

数分で発射可能の警戒態勢
 米ロの大陸間弾道弾は30分ほどで相手国に到着します。核ミサイルをすべて破壊する目的で敵の攻撃が仕掛けられた場合、敵ミサイルの到着前に自国のミサイルを発射できなければ、報復できません。そのため、発射決定から数分で発射できる態勢が取られています。それは見方を変えると、先制攻撃の決定から数分で発射できることも意味するので、互いが疑心暗鬼に陥ってしまいます。「米国科学者同盟(FAS)」のハンス・クリステンセン氏らによると、現在、短時間の発射態勢に置かれた核弾頭が米ロ合わせて1800発ほどあるといいます。

核のない世界に向けた約束の一つ
 2007年と08年に『ウォールストリート・ジャーナル』紙で「核のない世界」を提唱したジョージ・シュルツ元国務長官ら米国政界の4人の重鎮が07年に挙げた具体的措置の最初のものが「警戒態勢の解除」でした。物理的措置を講じて発射決定から発射までにかかる時間を長くする、つまりは、敵側にとっては発射に向けた動きの探知からミサイルの到着までの時間『警告時間』を長くするというものです。これにより「核兵器の偶発的使用や許可のない使用の危険性を減らす」という提言でした。この影響を受けた米国民主党選挙綱領(08年8月25日)は「ロシアと協力して、できるだけ多くの核兵器を冷戦的な迅速発射態勢から外す」と述べています。また、オバマ大統領候補は、07年10月2日のシカゴ市での選挙演説で「ロシアと協力して、米国とロシアの弾道ミサイルを一触即発の警戒態勢から外す」と宣言しました。
 「核のない世界」を提唱した4人の一人サム・ナン「核脅威イニシアチブ(NTI)」共同議長(元民主党上院議員)は軍縮問題専門誌(2008年3月号)で次のように述べています。「もし、米口の安全保障を改善するうえで最も役立つことは何か言わなければならないとしたら、『警告時間』を長くすることでしょう。米国の『警告時間』については長い間ブリーフィングを受けていません。機密なのです。しかし、いずれにしても、分単位です。まったくばかげています。冷戦後16年もたったいま、ロシアの大統領が、誤警報かもしれない情報が入った後、ロシアの報復戦力が実際にやられる前に報復措置を講じる必要があるのかどうか判断する時間が4、5分しかないなんて。これは根本的に米国の安全保障と矛盾します。ロシア側が間違いを犯す可能性があります。レーダーや衛星は狂うことがあります。」
 この危険性を思い知らせたのが、1995年1月25日に起きた出来事です。ノルウェー沖のアンドヤ島から発射された米国航空宇宙局(NASA)のオーロラ現象観測用の4段式ロケットが、自国を狙ったミサイルかも知れないとロシア側に認識されたのです。大統領にも事態が知らされ、核攻撃の命令を伝達するためのブリーフケースが史上初めて起動し始めました。幸い謎の物体は、北に大きく外れて北海に落下することが判明し、ロシアからのミサイルの発射は免れることができました。

必要なのは大統領の決定と日本の賛同
 UCSはまず、450基の陸上配備の大陸間弾道弾(ICBM)の警戒態勢を一方的に解除することを提案しています。1991年に旧ソ連の崩壊状態を前にしたブッシュ大統領(父)は一部のミサイルの警戒態勢解除を命じました。警戒態勢の解除は外国や議会との交渉なしに、大統領の命令でできます。UCSのキャンペーンは、オバマ政権の残された2年の内に「核のない世界」に向けた約束の一つを果たすよう迫るものです。
 しかし、米国では核軍縮の提案に対しては、日本が不安を持つというのが反対理由として挙げられることが少なくありません。例えば、2013年退役予定の核付きトマホークの延命を図ろうという動きが09年にあった時がそうです。これらのミサイルは、1991年にブッシュ(父)大統領が水上艦船及び攻撃原潜から核兵器を撤退すると宣言したため、翌年以来、陸上で保管されていたものです。このトマホークを維持しないと日本が不安に感じ、核武装してしまうとの主張が米国内にありました。

日本の運動は「核のない世界」実現に貢献できるか?
 この時は、状況を把握したクリステンセン氏の指摘を受けた日米の運動やマスコミ報道の結果、「日本の不安」という主張を覆すことができました。岡田克也外相(当時)が、2009年12月24日、米国務・国防両長官に書簡を送り、「我が国外交当局者が……貴国の核付き卜マホークの退役に反対したり、貴国による地中貫通型小型核(RNEP)の保有を求めたりしたと報じられて」いるが、そのようなことを「仮に述べたことがあったとすれば、それは核軍縮を目指す私の考えとは明らかに異なる」と伝えました。2010年「核態勢の見直し」は核付きトマホークの予定通りの退役を決めました。
 2009年のキャンペーンでも日本の運動に働きかけたUCSのグレゴリー・カラキー氏がまた協力を要請しています。日本の運動、そして岸田文雄外務大臣の応えは?
(田窪雅文:「核情報」主宰)

このページの先頭へ

長崎の活動家・矢嶋良一さんが出版
『「労働」「平和」こそ私の原点』
長崎県平和運動センター 事務局長 坂本浩

 被曝69周年原水爆禁止世界大会・長崎大会が開催された2014年8月9日、すなわち、米軍が悪魔の兵器である原爆を長崎へ投下した日に、『「労働」「平和」こそ私の原点』が出版された。
 著者は長年にわたり長崎県下の労働運動、平和運動の第一線で闘った矢嶋良一さんである。矢嶋さんは長崎県労働組合評議会に18年間勤務し、そのうち10年間を事務局長として務め1983年から1993年までの闘いの足跡を中心に執筆している。

35年も毎月続く「反核9の日座り込み行動」を提唱
 著者は、全逓労働運動を皮切りに長崎県労働組合評議会時代に組織局長、事務局長として反戦・平和運動と中小闘争に全力を傾注し、労働金庫時代は労働者福祉運動に汗を流している。定年後もライフワークである平和運動をはじめ市民運動やボランティア活動にも参加し、今なお活躍中である。
 興味深いのは一昨年11月に前立腺ガンが発見され、明けて1月に手術。今年の1月にもヘルニアを手術したことである。一方では、週に一回は必ず田舎に帰り高齢(97歳)の母親の面倒を見ている。さらに、お連れ合いが車いす生活を余儀なくされたため娘さんと二人で介護し、かなり厳しい環境の中で本書を書き上げた。しかも、70歳を過ぎてからパソコンを習得したというから、その情熱と執念が伝わってくる。たとえ高齢となり環境が厳しくなっても「やればできる」と言うことを示唆しているようだ。
 今回出版された本を読みながら印象に残ったのは、著者が1979年に提案した「反核9の日座り込み行動」が、8月9日を除いて毎月一回も休まず取り組まれていることである。また、今では長崎県内11ヵ所に拡大し、「核兵器廃絶が実現するまで座り込みを止めない」と強調しているところが凄い。気が遠くなる話だが被爆地長崎ならではの反核行動であり、思わず拍手を送りたい気持ちになる。まさに「核と人類は共存できない」と言う基本理念を徹底的に実践しているように感じた。ちなみに来年5月9日には400回目の節目を迎えることになる。張本勲さん(野球評論家)の言葉を借りれば「あっぱれ!」がよく似合う。

「長崎の鐘」を各国に贈る運動が成功
 また、核大国の米ソ(ロシア)に対し核戦争阻止、核兵器廃絶を強く求め、平和のシンボルである「長崎の鐘」を贈る運動の成功が記録されている。運動は予想をはるかに超えて盛り上がり、中国に対しても侵略戦争への謝罪と日中不再戦を誓うため「長崎の鐘」を贈っている。
 1988年8月9日、ナチスドイツ軍に包囲され70万人が犠牲になったサンクトペテルブルグ市へも贈った。8月9日は米軍が長崎へ原爆を投下した日である。1990年9月18日、中国・瀋陽市(奉天)へ贈っている。この日は日本の関東軍が南満州鉄道を爆破し、中国を侵略し日中15年戦争が始まった日でもある。さらに、1990年12月7日(日本時間の8日)、米国・ハワイ州のホノルル市へ三つ目の鐘を贈っている。この日は、日本軍がハワイ基地を奇襲攻撃した日であり、決して忘れてはならない歴史的な日付である。
 なお、わたしの関心を引いたのは、除幕式の日に日ソ両国で同時刻に平和集会を開いたことや、中国では日中両国人民がスクラムを組み平和行進を行ったことである。著者から聞いた話だが、ホノルルではハワイ州の副知事が祝辞を述べるとともに、建設にあたってはホノルル市長のフランク・ファシさんとモルガド議長の尽力が多大であったらしい。
 さらに、圧巻とも言えるのは「ゴルバチョフ大統領を長崎へ」と髙田勇知事(当時)に直接会い、奇想天外な提案を行ったことである。何せ、大国の国家元首を西の果て長崎へ呼ぶと言うのだから、まわりが信じなかったのは当然である。しかし、大統領は、著者の熱意が実り広島ではなく長崎を訪問し、「核の悲しみを知るために、私は長崎へ来た」と述べ、被爆者から拍手喝さいを浴び、長崎県民へ強烈な印象を残して帰国している。
 他方、今ではとても考えにくいが、国政レベルの選挙で社会党勝利に向け奮闘している姿が手に取るようにわかる。特に、1991年1月、本島等長崎市長が右翼の銃弾に倒れ、辛くも一命を取り留めた。その結果、長崎市長選は「言論の自由と民主主義を守る闘い」となり、著者は、連日深夜にわたり右翼の嫌がらせ電話、脅迫を乗り越え勝利に導いている。
 いずれにせよ、労働運動と平和運動の先頭に立ち、闘いを組織する場合は全力を傾注しており、読む者にとっては小気味よい。80年代に中曽根反動政権と向き合い、政権発足と同時に27日を「反中曽根デー」と決め、14地区労が毎月街頭宣伝を行い、中曽根政権打倒を訴えた著者は、瓜二つの安倍反動政権をどう見ているのだろうか。(さかもとひろし)
(価格2000円。申し込みは長崎県平和運動センター095-823-7281へ。)

このページの先頭へ

各地からのメッセージ
強制連行犠牲者追悼碑を守る取り組み
群馬県平和運動センター 事務局長 神垣 宏

 安倍政権による「戦争国家」への暴走が続く中、各地で戦時中の強制連行・強制労働の犠牲となった朝鮮人・中国人の追悼碑・慰霊碑や銘板が、一部の右翼団体やそれに突き動かされた行政による不当な攻撃にさらされている。群馬県高崎市の県立公園「群馬の森」に立つ朝鮮人・韓国人強制連行犠牲者追悼碑も、その一つである。
 2004年4月、県内外から寄せられた物心両面の協力で建てられた碑の正面には「記憶反省そして友好」の碑名が刻まれ、背面には、日本語とハングルの碑文が記されている。碑文は、強制連行され、苛酷な労働を強いられ、群馬の地で命を落とした朝鮮人労働者の死を悼み、「かつてわが国が朝鮮人に対し、多大な損害と苦痛を与えた歴史の事実を深く記憶にとどめ、心から反省し、二度と過ちを繰り返さない決意を表明する。過去を忘れることなく、未来を見つめ、新しい相互の理解と友好を深めていきたい。(略)この碑に込められた私たちの思いを次の世代に引き継ぎ、さらなるアジアの平和と友好の発展を願う」と刻まれている。(写真)
 この碑が今、設置許可期間の更新時期を捉えたネット右翼など一部右翼団体、歴史修正主義者たちの攻撃を受け、群馬県議会の請願採択を背景に、県当局から更新不許可と撤去要求を通告されている。理由は、(1)追悼碑前での追悼集会における政治的な発言が許可条件に反する、(2)碑前で無許可集会を行おうとした右翼団体と制止する県職員との小競り合いがあり碑が紛争のもとになっている、というもの。どれも、追悼碑建立の意義や経過を無視し、碑建立の根拠となっている都市公園法や憲法に定められた表現の自由と相容れないものである。
 管理団体である「追悼碑を守る会」は、この不当な決定に対して、不許可処分の撤回と設置期間の早期更新を求める声明を発表、現在、11月中旬を目途に裁判闘争の準備を進めると共に、群馬県議会に対する請願署名運動に取り組んでいる。群馬県平和運動センターは、この碑の建立運動から今日まで組織として運動を支え、現在も守る会事務局をセンター内におき、「戦争をさせない1000人委員会・群馬」の運動と結合して、全力で支え、闘っていく決意である。全国からの支援をお願いしたい。
(かみがきひろし)

このページの先頭へ

〔本の紹介〕
『日中韓を振り回すナショナリズムの正体』
半藤一利・保坂正康 共著 東洋経済新報社

 歴史家が痛憤の声をあげている。しかもどちらかと言えば、かつては私達とは違う論陣にあったと思われた方々が、今日現在の時代精神にふかい痛憤の声をあげておられる。
 ベクトルに多少の違いがあっても、今日の日本のナショナリズムの様相をつよく告発されている点につよく共感したい。
 半藤一利さんと保坂正康さんの共著『日中韓を振り回すナショナリズムの正体』は、二人の近現代史家の痛憤が対談形式で著されている。みれば書店の平積みコーナーには「嫌韓」「嫌中」「売国…」など排外主義の書籍が乱舞している。このような俗流評論誌のあいだに『日中韓を振り回す…』と題した本書が置かれた光景は爽快ではないか。本のタイトルはそのまま本の論旨を総括していた。半藤さんと保坂さんは、ナショナリズムの扇動に批判を下すが、日本のナショナリズムの批判に限らない。日中韓を振り回す、それぞれのナショナリズムについて批判し論評している。だが問題を日中韓三国のナショナリズムに相殺できない。それは日本が起こした戦争から今日の問題が構成されているからだ。二人は、歴史に学ばない日本のナショナリズムをとくに指摘される。「植民地支配の36年間で、日本が彼らに何をしたのかを考えないし、ろくに知ろうともしない。…帝国主義時代の日本のしたことはあまりにも酷く、韓国の人が忘れられないのは当然です。」(保坂)と。では、東アジアを「振り回す」日本のナショナリズムの「正体」とは何か。国家ナショナリズムの扇動者が、庶民ナショナリズムに歴史の修正という方法で焚きつけているのだと。その時のキーワードは「屈辱」である。「安倍さんによってリードされている日本人全体だと思うが、自分たちの歴史自体が屈辱的と思っている」(半藤)。「彼らにとっては歴史自体が屈辱的なんです。戦争中の日本軍の残虐行為だけが取り上げられて批判されるのは、不公平だと」(保坂)。
 加害者としての「屈辱」を被害者にすり替える作業。この政治的作業が、安倍首相に代表される国家ナショナリズムの今日の手法である。保坂正康さんは、何故戦争が起こったのかを追い続けている。「昭和史は泣いている」という言葉に筆の力感を想う。半藤一利さんの『ノモンハンの夏』は日本軍の戦争のやり方を看破された。大岡昇平さんの『レイテ戦記』と対照を成す作では。このような影響力のある文人のご奮闘を励みとしたい。
(道田哲朗)

このページの先頭へ

核のキーワード図鑑


原発の叫びを聞け

このページの先頭へ

「第46回食とみどり、水を守る全国集会」
当たり前に生きたい!むらでもまちでも ─地域の営みが変える未来

会場:東京・千代田区「日本教育会館」
●11月28日(金)13:15~16:30全体集会(挨拶、基調提起)、シンポジウム「地域の営みが変える未来」パネラー=蔦谷栄一さん(農的社会デザイン研究所代表)、奈須りえさん(前大田区議会議員、市民シンクタンクまちづくりエンパワメント)、管野芳秀さん(山形県長井市・農民、「置賜自給圏推進機構」常任理事)。全体交流会(夜)

●11月29日(土)9:00~12:00
分科会

  1. 「課題別入門講座」(都市農業・原発問題)
  2. 「食の安心・安全・安定をめぐって」
  3. 「食料・農業・農村政策をめぐって」
  4. 「水・森林を中心とした環境問題をめぐって」
  5. 「フィールドワーク1─歩いて知る高尾の森の自然・歴史・文化」(別途参加費2,000円)
  6. 「フィールドワーク2─江戸から東京へたどる水の道」(同2,500円)

参加費:(資料代、交流会参加費込み)6,000円
問い合わせ:フォーラム平和・人権・環境(03-5289-8222)

TOPに戻る