10月, 2020 | 平和フォーラム - パート 2

2020年10月01日

〔本の紹介〕《世界》がここを忘れても-アフガン女性・ファルザーナの物語

《世界》がここを忘れても-アフガン女性・ファルザーナの物語

文・清末愛砂 絵・久保田桂子

「《世界》がここを忘れても」この言葉に、私たちはどう答えるのか。異国の難民キャンプから戻って、アフガンの首都カブールで暮らすファルザーナとナーディーヤ。二人の共通した夢は「苦しんでいる人を助ける仕事がしたい」。女性が虐げられるアフガンで、ファルザーナとナーディーヤは、「女性がもっと自由に生きられる社会が必要だ」とのマリヤム先生の言葉を胸に刻む。旧ソ連軍の侵攻と撤退、ターリバーンの跋扈と米軍の侵攻、アフガンは苦難の道を歩んできた。いまだ、国内の混乱と対立は止まない。アフガン各地で、爆弾テロは日常となっている。「本書を爆弾テロに巻き込まれ、命を落としたアジーザに捧げます」、著者は、親友の死後「あまりにも不条理な死を強いられている多数のアフガン人に、どう向き合うのかと言うことを考えるようになりました」と述べている。テロの犠牲になったナーディーヤ、難民キャンプから苦楽をともにした友を失ったファルザーナ、二人の共通の夢が頓挫した日、その落胆はいかなるものか。「《世界》がここを忘れても」しかし、ファルザーナはそこで生き、闘わざるを得ない。「明日から大学に行くことにした」再び立ち上がるファルザーナ。

著者は、憲法学者の清末愛砂。研究テーマのひとつに「アフガンのジェンダーに基づく暴力」があり、「RAWA(※注)と連帯する会」の共同代表もつとめる。やはり、アフガン難民の闘いを書いた近著「ペンとミシンとヴァイオリン」(寿郎社刊)で彼女は言う「米国の主張するアフガン攻撃の理由が、9・11に対する『報復』から、ターリバーン政権の抑圧下にある『アフガン女性の解放』に代わったとき、私の目ははっきりとアフガンに向いた」「(私のすべきことは)アフガン人が受けたさまざまな被害に『哀れみ』の涙を流すのではなく、発せられた声への応答として『ともに闘う勇気』を持つということだった」行動し闘う清末の言葉。久保田桂子の素晴らしい挿絵とともに、中学・高校生に、そして大人のあなたに読んでもらいたい。(敬称略)(藤本 泰成)

※注:RAWA(アフガニスタン女性革命協会)1970年代に設立され、アフガンのさまざまなな人権抑圧の中で、女性自身による権利獲得の闘いをすすめる。

2020年10月01日

〔本の紹介〕反原発運動四十五年史(緑風出版)

反原発運動四十五年史

西尾 漠 著

2019年11月で反原発運動全国連絡会が発行する「はんげんぱつ新聞」が、500号を迎えた。1978年5月の創刊から四十年余の間、全国各地の運動の現場から闘いの「いぶき」を伝えてきた「はんげんぱつ新聞(当初は反原発新聞)」から、運動の現場の声で反原発運動を足跡をまとめたのが「反原発運動四十五年史」である。

私も反原発運動にかかわり始めたのが、1979年のスリーマイル島原発事故(TMI事故)の後、太平洋への放射性廃棄物の海洋投棄問題が持ち上がったころからで、その後の運動の場にも度々足を運んだ。まさに私にとっても多くの部分が同時代的な出来事で、本書を読みながら「そうだったよな」とあらためて当時を思い出した。

常に運動の現場に寄り添っていた西尾漠さんだからこそ現場の感覚でまとめ上げたもので、これまで多くの研究者が書いた運動史では、どうしても現場の感覚と違う違和感を覚えることが多かっただけに本書の方が運動史としてしっくりときた。

「はんげんぱつ新聞」の創刊前の反原発運動はどうしても通史的になってしまうが、「一九四五年~一九七三年 前史二〇年」そして「一九七四年~一九七八年 運動の全国化」として描かれている。その中で私たち原水禁運動の果たしてきた役割が大きいことがわかる。運動の諸先輩方が原水禁大会に反原発課題を取り上げ、各地の運動でも労働組合がその中心で頑張ってきたことがわかる。反原発運動は全国に広がってもまだまだ少数派であったが、それでも多くの原発建設予定地で白紙撤回を勝ち取ってきたことも重要な事実である。

原発は「安全神話」を基に進められてきたが、1979年のTMI事故、1986年のチェルノブイリ原発事故、1995年のもんじゅナトリウム火災事故、1999年のJCO臨界事故、そして2011年3月の福島原発事故と「安全神話」を覆す事故が続いてきた。世論の流れも大きく変化した。しかし、いまだ政府・電力業界は原子力推進政策に固執しつづけている。

来年の2021年は福島原発事故10周年にあたり、国や東電の原発事故加害者としての責任を明確化していくとともに、原子力政策の転換を図ることが必要だ。本書を通じて、あらためて反原発運動の流れを振り返り、脱原発へ向けての確信を強めたい。(井上 年弘)

2020年10月01日

コロナ禍で開催された「被爆75周年原水爆禁止世界大会」

2020年は、被爆75周年という大きな節目の年です。しかしながら、新型コロナウイルス感染症の影響で、広島、長崎、福島現地へ全国から人を集めて例年通りの原水禁大会を行うことはできず、オンラインでの開催となりましました。原水禁大会でユーチューブを利用した動画配信を行うため、「被爆75周年原水爆禁止世界大会」公式チャンネルを開設しました。ユーチューブ公式チャンネルでは、予告動画をはじめ、収録風景なども公開し、これまでとは違う形で、原水禁大会を行うことをアピールしました。大会は、集会・シンポジウム・分科会・特別分科会・独自集会という構成で、動画の事前収録を中心に準備し、一部、広島・長崎現地の行動や集会を生放送配信しました。

動画を使って学習会もできます

8月1日に福島市内で開催された「トリチウム汚染水の海洋放出」に関する学習会を3日に福島大会関連動画として公開したことを皮切りに、4日には22本の分科会動画を公開、5日に17本の特別分科会動画を公開しました。分科会動画は「沖縄と東北アジアの平和」「核兵器をめぐる今」「福島原発事故の今と原子力政策」「福島の10年、原発事故を問う」「気候変動とエネルギー問題を考える」「ヒバクとは何か、フクシマとチェルノブイリをつないで」と、大会基調で扱う問題をテーマにしました。特別分科会では、「被爆の実相」や「継承」をテーマに、広島市内のフィールドワークを体験できる動画、被爆証言、高校生と大学生によるパネルシアター(朗読劇)動画など、これまでの原水禁大会では扱うことがなかったものも取り上げました。また、ユーチューブ公式チャンネルに公開された動画は、引き続き視聴することが可能であるため、同時刻に一つの分科会しか参加できなかったこれまでとは大きく違い、時間や場所を選ばずに、分科会に参加(視聴)することができ、今後の学習の機会などにも活用することができます。

広島・長崎では生放送も

8月6日午前、広島原爆ドーム前から「人間の鎖」で非核を訴える広島原水禁主催のアピール行動を生放送しました。同日午後には、議長挨拶や被爆者の訴え、基調提起などを含んだ広島大会の動画を配信しました。多数の関係者に「原爆を許すまじ」を歌ってもらい、リレー合唱形式にしてエンディングとして流しました。同日「核兵器廃絶と日本のプルトニウム」をテーマに国際シンポジウムも公開しました。米国、韓国、中国、日本のパネリストの発言を受けて、原水禁としての見解をまとめました。

8月8日午後、長崎市内での長崎原水禁が主催する集会の様子、9日午前、爆心地座り込み行動を生放送で配信しました。同日午後には、長崎大会の動画を公開し、高校生平和大使を中心に高校生が「この声を、この心を」を歌ったリレー合唱をエンディングに使用しました。続けて、生放送で高校生シンポジウムを行い「高校生だからできること」をテーマに議論し、今後の活動について考えるとともに、支援者へのメッセージをまとめました。

8月12日午後、福島大会の動画を配信し、「福島原発事故に対する思い」を現地の人に話してもらいリレートークとして、エンディングに流しました。現地に集まることができない分、大会動画を作成する際に、多くの現地の方に関わっていただきました。

海外ゲストでは、アメリカ、ドイツ、中国、韓国、ベラルーシからメッセージをいただくなど協力してもらい、それぞれの大会でメッセージ動画を組み込むほか、分科会でも字幕を付けて公開しました。

オンラインで原水禁大会を開催するという初の試みでしたが、ユーチューブ公式チャンネルを活用したことで、現地参加者という枠に限らず、より多くの方に開かれた大会となりました。個々人での視聴という形式であるため、新規大会参加者の獲得が難しかった面は否めません。これらの反省点をいかしながら、今後、より多くの方々に参加してもらえるよう、改善し、来年の「被爆76周年原水爆禁止世界大会」に活かしていきます。

「被爆75周年原水爆禁止世界大会」公式チャンネルでは、引き続き、原水禁大会関連動画を配信していますので、ぜひご覧ください。あわせて、チャンネル登録もお願いします。(橋本 麻由)

●ユーチューブ「被爆75周年原水爆禁止世界大会」公式チャンネルURL

https://bit.ly/gensuikin

【オンライン原水禁大会プログラム構成】

集会 広島大会
長崎大会
福島大会
国際シンポジウム
高校生シンポジウム
分科会 22本
特別分科会 17本
独自集会等 広島・人間の鎖行動
長崎・独自集会座り込み行動
福島・学習会

2020年10月01日

自然と人間活動の調和を─気候危機を乗り越えて

フォーラム平和・人権・環境 共同代表 藤本 泰成

温室効果ガスによる地球温暖化、そしてそれに起因する気候変動(今や「気候危機」とさえ呼ばれる)が、世界で大きな問題となってかなりの時が経過しました。1988年に、人為的起源による気候変化等に対して科学的・技術的、社会経済的な評価を行うことを目的にIPCC(国連気候変動に関する政府間パネル)が設立されて32年が経過します。1992年には、温室効果ガスの排出を削減し大気中の濃度を安定化させることを究極の目標として「国連気候変動枠組条約」(UNFCCC)が採択され、1995年からは毎年「国連気候変動枠組み条約締約国会議」(COP-FCCC)が開催されてきました。2015年、パリにおける第21回会議では、中国・インドなど新興国に具体的目標が設定されず、米国の離脱を招くなど問題のあった「京都議定書」にかわって、「世界の平均気温上昇を産業革命以前に比べて2℃より十分低く保つとともに、1.5℃に抑える努力をする」「そのため、できるかぎり早く世界の温室効果ガス排出量をピークアウトし、21世紀後半には、温室効果ガス排出量と(森林などによる)吸収量のバランスをとる」として、全ての国が温室効果ガス削減に取り組むことを約束した「パリ協定」が採択されました。「京都議定書」の反省を踏まえて、各国が削減目標を作成・提出し、当該削減目標の目的を達成するための国内対策をとる義務を負うこととなっています。しかし、米国が協定から離脱するなど、世界の足並みはそろっていません。

平均気温の上昇に伴って繰り返す豪雨被害

産業革命以降、人間の経済活動は、二酸化炭素など様々な種類の温室効果ガスを排出してきました。世界の平均気温偏差(基準値は1981年~2010年の平均気温)は、2000年代に入るとプラスが当たり前となり、2019年も+0.43と上昇傾向に歯止めが立っていません。日本においても、同様に1900年代後半からプラスに転じると2019年は+0.92と過去最高を記録しました。日本の猛暑日は、1910年の統計期間最初の30年間の0.8日(平均年間日数)から、1990年から2019年までは約2.3日と約2.9倍も増加しています(都市化の影響の少ない全国の13地点の平均日数)。長期変化傾向を見ても猛暑日の増加と気温上昇は明らかです。

2018年7月3日から、西日本を中心に広範囲にわたった記録的な大雨は、死者224人、行方不明8人、全壊家屋約7,000棟を数えました。この豪雨の被害総額は約1兆1,500億円、2019年度の環境白書は「我が国の統計開始以来最大の被害総額」と記載しています。今年7月4日からの、熊本県・大分県を中心とした線状降水帯による集中豪雨の被害もきわめて甚大です。繰り返される被害に対して、政府の言う、「国土強靱化計画」では、なすすべがありません。

脱炭素社会はいまや世界的な課題

気候変動と温暖化の関係は、様々な議論がありましたが、現在その関係性を否定することはきわめて少数となり、世界中が、熱波、豪雨、熱帯低気圧などの被害を受け続ける今日、脱炭素社会の構築は世界的課題となっています。

2015年、イギリスは、2025年までに、二酸化炭素排出量の多い石炭火力の全廃を決定し、再生可能エネルギーの電源構成比率は47.0%に高めています。フランスは2023年までに、スペイン・オランダなど6カ国が2030年までに全廃を決めています。仏やベネルクス3国などなどEU加盟8カ国は、2050年までに純排出量ゼロの計画立案をEC(欧州委員会)に非公式に要求したと報道されています。石炭・褐炭発電所に電力供給の4割弱を頼るドイツでさえ、2038年までの全廃を決定しています。

温暖化対策に後ろ向きな日本

しかし、国内では石炭火力発電所の新規計画(2019年度以降16基)を持ち、国外には石炭火力への輸出支援を続けてきた日本は、COP25開催中にNGO「気候行動ネットワーク」から「化石賞」(温暖化対策に後ろ向きな国に与えられる)を2度も受賞するなど、世界の批判を浴びています。批判をかわす目的で今年7月、旧式で非効率な石炭火力発電所約100基の廃止計画を発表しました。しかし、新型で高効率と言われる石炭火力26基や新規計画16基は温存したままで、2030年の電源構成比に対する石炭火力の割合も2割を超えることとなります。

日本国内での自然災害に係わる報道の中で、政治家を含めて様々な人々の発言からは、被災の実態やその復旧については聞こえますが、災害と温暖化を結びつける話は聞こえてきません。多くの人々が、温暖化対策と脱炭素社会へのとりくみを、自らの快適な生活や生活を維持する経済活動を破壊するとするネガティブな視点から見ているのではないでしょうか。状況を打破し地球環境を守るために、産業革命以来の資本主義的思考から脱却し、自然と人間活動の調和をどう実現するかという視点で、未来を構想していこうではありませんか。 (ふじもと やすなり)

2020年10月01日

被災地仙台港の石炭火力を止める闘い

元東北大学大学院教授、尚絅学院大学大学院特任教授 長谷川公一

原発と石炭火力―――第2次安倍政権の負の遺産

2020年9月16日に退陣した第2次安倍政権の負の遺産・レガシーは多いが、代表的なものの一つは、福島原発事故にもかかわらず原子力政策・エネルギー政策の転換にはほとんど手を付けず、原発の再稼働推進・六ヶ所村での再処理推進政策をとってきたことと、国内・国外で石炭火力推進政策をとってきたことである。資源エネルギー庁元次長の今井尚哉首相秘書官兼補佐官をはじめ、第2次安倍政権では経産官僚の影響力の大きさが指摘されてきた。それゆえというべきか、にもかかわらずというべきか、原発過酷事故の当事国でありながら、変われない日本の構造は深刻だ。

この間ドイツは福島原発事故を契機に、2011年末時点で稼働中の9基原発を2022年末までに全廃すべく、すでに3基を閉鎖。再生可能エネルギーによる発電を増やし、2019年には全発電量の46%を供給した。2020年1月29日には、2038年までに、段階的に石炭火力発電所を全廃する法案を閣議決定した。石炭火力はドイツの発電量の約40%を占めている。ドイツは、脱原発と脱石炭双方をめざして世界をリードしている。

台湾も、2020年1月に再選された蔡英文総統のもとで、稼働中の原発3基を2025年までにすべて閉鎖する「非核家園(原発のない郷土をつくる)」政策を維持している(他の3基はすでに閉鎖されている)。

原発の年間発電量が世界5位の韓国も、大統領選挙期間中の公約にしたがって、文在寅大統領は2017年6月の就任直後に、石炭火力発電の見直しと今後40年以内に原発ゼロをめざし、再生可能エネルギーの推進と天然ガス火力に力を入れると宣言した(今後40年の目標が遅すぎるという批判も強い)。

韓国はすでに新規の石炭火力発電の建設を認めていないが、文大統領は本年9月、2034年までに国内の約60の石炭火力発電所を半減以下にすると述べた。2022年末までにまず10基を閉鎖、さらに20基以上を追加閉鎖する。太陽光、風力などの再生可能エネルギーによる発電は25年までに3倍増とし、再エネへの転換を加速する。さらに年末までに、2050年温室効果ガス排出ゼロに向けたロードマップを公表するとしている。

台湾・韓国ともに、日本と同様にエネルギーの海外依存度が高く、隣国からの電力供給が見込めない中で、政権トップが明確な目標を掲げて、エネルギー転換(energy transition)に真摯に取り組んでいる。

福島原発事故後、日本では石炭火力発電所50基の新設計画が発表され、比較的小型のものを中心に、17基は操業済みである。約3割にあたる13基は中止もしくは木質バイオマス100%に計画変更されたが、石炭依存は深まっている。新規の石炭火力発電所は、福島原発事故のいわば鬼っ子的存在である。

東日本大震災の津波被災地・仙台港で、2017年10月1日から操業を始めた石炭火力発電所・仙台パワーステーション(以下、仙台PSと略記)の操業差止めを求めて、2017年9月27日宮城県民124名が仙台地裁に提訴した。被告は、関西電力と伊藤忠商事の関連会社・仙台パワーステーション株式会社である。原告団の母体となった「仙台港の石炭火力発電所建設問題を考える会」の代表の私が原告団長を務めている。

原告団および支援の人々(2018年5月23撮影)

原告124名は全員、仙台市・多賀城市および隣接する市や町に居住している。しかも68%は仙台PS から5km圏内に居住している。100名を目標に募集を開始したものの、はたして原告がどれだけ集まるのか、気がかりだったが、仙台PSなど被災地に石炭火力発電所を立地しようとする企業に強い憤りを感じている人がこれだけの数に上った。公害・環境問題に関心を持つ仙台弁護士会所属の弁護士11名が原告代理人として弁護団を組織している。

仙台港の石炭火力の何が問題か

仙台パワーステーションは、出力11.2万kWの小規模の石炭火力発電所だ。出力11.25万kW以上の場合には国の法定アセスメントの対象となる。出力11.2万kWでは、自治体に条例がない限りアセスメントの対象にはならない。立地計画が発表された時点で、宮城県や仙台市には条例がなかった。宮城県・仙台市の制度の欠陥を突いた形であり、「環境アセスメント逃れ」の典型事例である。仙台港への立地計画を知った2012年10月時点で宮城県や仙台市が小規模石炭火力も環境アセスメントの対象となるように環境影響評価条例を速やかに改正していれば、アセスメントのしばりをかけることができたはずだが、宮城県も仙台市も黙認した。後手に回った仙台市が環境影響評価条例施行規則を改正して出力3万kW以上の火力発電所を新たに環境影響評価制度の対象事業に加えたのは3年半後の2016年5月1日(施行日)である。事業者側は2015年5月25日に電気事業法にもとづく工事届出書を提出、9月に起工式を行った。2016年3月2日には、宮城県、仙台市など6市町、計7自治体と公害防止協定を締結した。2017年6月12日には、住民らの反対を押し切って試運転を開始、10月1日から営業運転を開始した。

仙台パワーステーション(2020年8月31日撮影)

仙台パワーステーションの問題点は少なくないが、環境アセスメント逃れによって当初の計画どおり短期間に営業運転に漕ぎつけている。事業者側は最低でも約2年間、数十億円を節約できたことになる。事業者側が県知事に候補地選定を依頼してから公害防止協定締結まで3年10ヶ月を要しているが、後述のように、環境アセスメントのしばりをかけるべきだという問題意識は、遺憾ながら、宮城県にも仙台市にもなかった。

事業者側は、自主アセスメントを求める私達の再三の要求を無視し、また2017年3月8日に実施した住民説明会でも、「自主的な環境アセスメントを実施してほしい」とする要望に対して、「環境アセスメントを実施すると稼働が延期となってしまうことから、実施する予定はありません」と回答したにもかかわらず、裁判の準備書面(1)(2018年2月16日付、5頁)では、「仙台PSの稼働前後において、周辺の大気環境に有意な差がみられるような変化は生じないことを確認するなど、自主環境影響評価を行っている。」(下線部筆者)と強弁した。

はじめてづくしの石炭火力差止訴訟

この訴訟は、石炭火力発電所単体の差止めを求める日本初の訴訟である。松下竜一が本人訴訟を提起し、『豊前環境権裁判』(1980年、日本評論社)を刊行した豊前火力建設差止訴訟(1973年提訴、1985年最高裁判決原告側敗訴)、日本で初めての環境権訴訟として著名な伊達火力建設差止訴訟(1972年提訴、1980年札幌地裁判決原告側敗訴)などがあるが、それらはいずれも重油を燃料とする火力発電所の訴訟だった。尼崎公害訴訟(1988年提訴、2000年控訴審で和解)では国・道路公団と9企業が被告だが、被告の中に尼崎東発電所(石炭と重油の混燃)を操業する関西電力が含まれていた。

この訴訟は、石炭火力差止訴訟の先陣を切ることになった。健康被害の恐れと気候変動の影響による人格権侵害、干潟の生態系にかかわる環境権の侵害を請求の根拠とし、被災地への立地を問う、日本で初めての訴訟である。仙台の訴訟につづいて、神戸製鋼らを被告とする石炭火力発電所(65万kW2基)の建設差止訴訟が2018年9月神戸で提起され、同年11月には同じ発電所をめぐって、環境アセスメントを不服として、国を被告とする行政訴訟も始まった。2019年5月には横須賀市に建設中の石炭火力発電所(65万kW 2基)をめぐって、国を被告とする行政訴訟が始まった。これら後続の差止訴訟および運動と連携をはかり、司法的救済の可能性を探究している。石炭火力発電所についても、原発と同様に「訴訟リスク」があることを企業側や政府に提起し、石炭火力発電所抑制に向けた規制強化と政策転換を求めている。

そのほか、幾つもの重要な点で、公害・環境裁判の歴史の中で注目すべき「はじめて」の特質を持つ訴訟となった。

原告側は、PM2.5などの大気汚染による早期死亡数を大気拡散モデルをもとにシミュレーションを行い、全体では年間9.7人、被害のもっとも深刻な多賀城市では人口10万人あたり年間2.16人(宮城県全体の交通事故死者数人口10万人あたり2.20人に匹敵)と明示した。大気拡散モデルから早期死亡者を推算する手法の信頼性、早期死亡者数の信用性が争われる日本初の裁判となった。

この手法および早期死亡者数の妥当性を判断するために、日本の公害・環境裁判ではじめて専門委員(内山巌雄京大名誉教授・公衆衛生学)が関与し、これらの妥当性が裁判の大きな焦点となった。

2020年2月17日、民事の公害・環境裁判ではじめて、被告企業の代表者の尋問が行われた。この点も注目される。

結審を含め口頭弁論が14回、公開の弁論準備手続きが3回、計17回法廷が開かれた。

原告および原告弁護団としては最善の立証努力を尽くしてきたつもりである。被告側は、環境基準を順守し、宮城県などとの公害防止協定も順守している。法令違反はない。石炭火力は政府によって重要なベースロード電源として位置付けられていると超然としている。

日本では、予防原則が重視されていないこともあって、公害・環境訴訟で差止めを認めた判例は残念ながら、きわめて限られている。主なものには、計8例の原発訴訟(もんじゅ訴訟を含む)のほか、大阪国際空港公害訴訟控訴審判決(1975年、最高裁判決(1981年)では訴えそのものを却下)、宮城県丸森町耕野地区での産廃処分場の操業停止の仮処分申請を認めた一審判決(1992年、確定)、尼崎道路公害訴訟一審判決(2000年)、自動車の排気ガスと工場排煙による複合大気汚染公害の名古屋南部公害訴訟一審判決(2000年)がある程度だ(尼崎・名古屋南部ともに控訴審段階で和解成立)。

2020年8月26日に結審し、10月28日に判決言い渡しがある。全国初の石炭火力差止訴訟であるだけに、どのような判決が下されるのかが、注目される。歴史的な画期的判決が出されることを願っている。(はせがわ こういち)

2020年10月01日

気候ネットワーク桃井さんと 5名の若者に気候危機についてのインタビュー

インタビュー・シリーズ:159

桃井貴子さん

─気候危機の概況についてお聞きします。

桃井貴子: 私は気候ネットワークという環境団体で働いています。気候変動問題は、人々や動物等が適応できないスピードで、地球規模で気候が変化していることです。その原因は、人間活動によって排出される二酸化炭素等の温室効果ガスです。産業革命以来、平均気温が約1℃上昇しています。平均するとたった1℃の上昇ですが、世界中で様々な異常気象やその被害が起きています。また、例えば北極域の気温上昇は激しく、夏場は20年前に比べて日本の国土の約8倍の面積に相当する氷が消失し、船が行き来できるようになってしまっています。シベリアなどのツンドラ地帯では、気温が38℃になることもあり、体温を超えるような気温を記録し、永久凍土が溶け出し、メタンが排出され、温暖化をさらに加速化しています。今後、気温はさらに上昇すると見込まれていますが、人類にとって気候の危機を回避するために、産業革命前に比べて1.5℃の上昇に抑えようというのが世界の合意「パリ協定」です。しかし、今のように温室効果ガスの排出が続けば、早ければ2030年には1.5℃に達し、その後3℃、4℃と気温は上昇するだろうというのが科学の知見です。1.5℃の目標に留まるためには、この10年の取り組みが重要です。温室効果ガスを2010年比で2030年に45%削減し、2050年には実質的にゼロにすることが必要です。新型コロナウイルス感染症パンデミックにより世界的に経済が停滞し、二酸化炭素の排出が減少していますが、今後、経済の回復とともにグリーンな形で社会システムを移行させることを目ざせば気候危機を回避できるだろうと思います。

小林誠道さん

─それぞれなぜ気候問題に取り組んで、どのようなことをしているかお聞かせください。

小林誠道:Friday For Future)(以下、FFF)Osakaの小林誠道です。防災、減災を中心に学ぶ学部で勉強しています。そこで気候変動問題に興味を持ちました。気候変動と防災減災はどうなっているのかを知るために、2019年2月から3月、気候ネットワークの京都事務所にインターンに行き、FFFを知って活動に参加しました。異常気象というものが、温暖化によって次々発生するのではないか、という危機感を持ちながら大学で勉強しています。FFFに参加したことで、気候変動についての活動を通して、様々な観点から見るようになったと思います。気候問題を知っているからこそ、自分たちにとどめておくのではなくて、発信することが重要と思っています。気候変動について知識や情報を得ることができるボードゲームを作っています。何も知らない人でも楽しめるけど、終わった後で、世界ではこうした状況になっているのだと、ということを知ってもらって、その後行動してもらうことだと思います。

小野りりあんさん

小野りりあん: FFFはじめ、いろいろな気候変動に取り組む人たちと、一緒に活動しています。350JAPANでもボランティアをしています。また、スパイラルクラブで環境について情報発信するコミュニティの立ち上げもしました。最近はインスタグラムで環境に関する情報を発信しています。気候変動に積極的に取り組むのは、グレタ・トゥーンベリさんを知ったことがきっかけです。2019年の秋、できる限り航空機を使わずに、環境活動を訪ねる世界一周の旅に出ました。その旅から帰ってきて、気候変動に対して行動する人を増やし、繋がりを大きくしていくことを主にしています。私のフォロワーは10代から30代の女性が多く、いままで声をあげなかった人たちがすごく活性化しています。気候危機は日々感じますが、同時に動き出す人も増えてきているので、これまでの日本の環境運動界になかったことだと思い、希望を感じています。気候変動の政策を重要だと思っている人たちが、声を上げられるようになることを大事に考えています。日本では、特に女性においては、自分の意見を言わないのがいいとされる文化があると思うので、若者、女性の声が反映される社会にしていきたいと考えています。何かしたいと思っている人たちが、出会える場所を確保していきたいと思います。

酒井功雄さん

酒井功雄: FFF Tokyo/Japanで活動し、今アメリカの大学で勉強しています。2019年2月頃からFFFに関わり始めて、東京でマーチに関わったり、日本の学生のために、イベントなどを開催しました。気候変動に関心を持ったきっかけは、高校2年生の時に、アメリカに留学し、環境科学の授業で気候変動について学んだことです。特に驚いたのは世界中で同じタイミングで災害がおきていることです。いまだに、化石燃料の企業にお金が回っていることは、経済社会システムとして構造的な誤りであると思います。個人が変わるとともに、システムを変えなければならないということです。絶望的になったり、怒りを感じながらも、反面危機を乗り越えるチャンスだと思っています。

能條桃子さん

能條桃子: 大学生です。一般社団法人「NO YOUTH NO JAPAN」 代表です。若い世代の声がもっと社会や政治に届くよう政治的アプローチをし、社会に声をあげていく若い人たちを増やしていこうとしています。インスタグラムメディアを運営していて、10代から30代前半ぐらいを中心に4万6,000人ぐらいのフォロワーがいます。若者が必要とするジェンダーとか、気候変動の問題を一番にあげ、若者の候補者選び、政党選びの基準として、気候変動が大事だと伝える武器にしていきたいです。2019年4月から10月まで、デンマークに留学したことがきっかけで、気候変動問題を知り、取り組むようになりました。留学した学校が、サステナビリティ(持続可能性)で環境や気候変動に力を入れていて、授業でも気候変動の知識を知る機会がありました。航空機はCO₂を排出するから良くないとの考えで、修学旅行はバスでした。それまで、環境に悪いことをしてきたなという加害性みたいなことに、気づくきっかけになりました。ちょうどデンマークで国政選挙があり、気候変動が一番上のトピックとして、党首討論でも語られているということに衝撃を受けました。若者が挙げた声に政治家が票を取ろうと応えていると聞いて、若者が社会を動かしていることに感動し、気候変動に関心を持ったということもあります。

藤原衣織さん

藤原衣織: 今年3月に大学を卒業して、FFF Tokyo Japanの活動を中心に生活しています。マーチをオーガナイズし、SNSの管理をやっていました。2年ぐらい前に気候変動に関心を持ち始めて、350Japanという環境NGOが主催していた集会で気候変動がどのくらいやばいのか、パリ協定の内容も初めて知りました。コロナ禍の中で、人々の意識が気候変動など社会的なものに向いていると思います。私は新しく入ってくる人へのガイダンスも担っています。自粛期間が始まってから、学生とか社会人も含めて、オーガナイザーに応募する人が増えています。だからコロナ禍は危機だけどチャンスでもあると感じています。「私たちは気候危機を止められる最後の世代」という言葉があり、「今やらなくては」という感情だけでなく、私たちにしかできないし、だからできるみたいなポジティブな強さもあると思います。若者が世界を変えたという成功体験が、気候変動に限らず、日本社会全体において重要なことだと思います。これから、すごく重要なエネルギー政策の会議が始まるので、タイトルに「私たちの未来を奪わないで」という言葉を入れてオンライン署名を始めました。ぜひ原水禁のみなさんにも広げていただきたいと思います。

─いまやるべきことは何ですか。

桃井貴子: 現在、各国が温室効果ガスの削減目標を示していますが、それらを全てたし合わせても、気候を安定化するための「1.5℃目標」とは大きなギャップがあります。全ての国が、より野心的な目標に引き上げることが求められています。特に日本の目標は「2030年に2013年度比26%削減」ですが、欧州の目標「2030年に1990年比40%削減」に比べても非常に低く、これを引き上げねばなりません。そのためには政治のリーダーシップが必要です。 

また気候変動対策では、石炭火力発電のように非常に温室効果ガスの排出量が大きいものから止め、化石燃料を使わない社会の方向にエネルギーシフトしなければなりません。しかし、日本は石炭火力を推進し、いまだに「重要なベースロード電源」などと位置付けています。原発や石炭のようなかつての大規模集中型電源に頼る構造からの脱却が必要です。そのために必要なのはまずは省エネです。福島原発事故以前と比べ10%程度の省エネが進みましたが、まだ省エネのポテンシャルは大きくあります。また、再生可能エネルギーの割合を大きく増やすことが必要で、野心的な再エネ導入目標を打ち出し、具体化していく必要があると思います。

温室効果ガスを減らし、効果的にエネルギーシフトを進めるために有効なのが、カーボンプライシングだと思っています。日本は温暖化対策税が導入されていますが、税率が非常に低いので、削減効果が出るレベルに引き上げていく必要があると思います。

さらに、エネルギー政策の決定プロセスにおいても、若者や市民の声を政策に反映させていくべきです。ここに参加されたような10代・20代の人たちが、この厳しい気候変動問題に向き合って、自分たちこそが最後の取り組みができる世代との責任感を持って活動しています。その声をしっかり政治が反映し、希望を持てる社会を作れるのだということを大人は示すべきです。私自身もこういう若い人たちとも連携しながら、石炭火力発電所をやめ、気候危機を回避していくというのに、全力を注げたらと思っています。

2020年10月01日

ニュースペーパーNews Paper 2020.10


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10月号もくじ

  • 気候ネットワークの桃井貴子さんと
    5人の若者に気候危機について聞く
  • 被災地仙台港の石炭火力を止める闘い
  • 自然と人間活動の調和を―気候危機を乗り越えて
  • コロナ禍で開催された「被爆75周年原水爆禁止世界大会」
  • 反原発運動四十五年史
  • 《世界》がここを忘れても-アフガン女性・ファルザーナの物語

さようなら原発 銀座でサイレントデモ(2020年9月18日)

安倍内閣が9月16日総辞職しました。安倍政権下での改憲を許さなかったものの、彼が残した負の遺産はあまりにも大きい。集団的自衛権の行使容認、戦争法、敵基地攻撃能力の保有など平和憲法を空洞化させ、官邸に権力を集中させ、忖度政治と官僚の腐敗を招き、議会制民主主義と立憲主義をないがしろにしてきました。そうした権力の私物化により、公文書の偽造、改ざん、隠ぺいが蔓延しました。安倍の政治姿勢に呼応するように排外主義者が跋扈し、ヘイトスピーチが京都で川崎で、全国各地で垂れ流され、また、あたりまえの労働組合の運動が、執拗な弾圧をくらうなど、人権や私たちの権利がないがしろにされてきました。朝鮮との関係では強気のポーズをとるだけで何ら外交的な成果を上げることもできず、韓国との関係も悪化しました。北方領土をめぐるロシアとの関係もこれまでより後退する外交的汚点を残すだけに終わっています。日本の農林畜産業を守ると公約していたはずなのに、いつの間にかにTPPを推進し、気候変動問題では、何ら具体的方針を示すことができず国際社会から失笑を買ってしまっています。長いだけの安倍政治。いいところはどこにあったのでしょう。評価される経済政策も、一部の富裕層と大企業には恩恵があったのでしょうが、非正規労働者の増大と貧富の格差を拡大するだけの結果となっています。

戦争法から5年、国会前で19日行動(2020年9月19日)

それなのに、退陣を表明したとたんに、低下していた支持率は20%もアップし5割を越えました。引き続く安倍亜流政権に対して、わたしたちは、ムードではなく、歴史的な事実を踏まえつつ、客観的な事実に基づく批判と政策を対置させていくという原則を貫いていく必要があるでしょう。今は多数派ではなくとも……。

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