11月, 2017 | 平和フォーラム

2017年11月30日

北朝鮮の核攻撃で、ソウルと東京で200万人以上が死亡の可能性 ―"38ノース"報告書の衝撃 11月30日 田巻一彦

 今回も北朝鮮核問題について書きたい。
トランプと金正恩の間の罵詈雑言の応酬と米国による軍事演習による威嚇が繰り返される中で、両国の緊張は高まる一方である。誤認、過失、相手方の意図の読みちがいなどによって核の応酬がおこったら、どのような惨状が招かれるのか―北朝鮮情勢の客観的で冷静な分析にもとづいて事態の平和的解決を訴えてきた、ジョンズ・ホプキンス大学の調査分析サイト「38ノース」が10月4日発表した報告書「ソウルと東京への核攻撃想定:朝鮮半島戦争の人命コスト」は、コンピューター・シミュレーションを駆使して、そのような破局を予測した。
結果の要点をまとめたのが、次の表である。「ソウルと東京をあわせて最大200万人が死亡」と日本のメディアが報じたのはこの想定結果である。現在の北朝鮮の核能力からいえば、「非現実的に大きな被害」といえる。しかし、同国がこのまま核開発を継続すれば、数年の後に達成する可能性はないとはいえない。少なくとも、米日が「圧力と威嚇」以外の外国的手段を尽くさなかった場合の<可能性は低いがありえないことではない。最悪の結末がここにはある。
2018年を、「力から対話」への始まりの年にすることが、切実に問われている。
文末に「38ノース」の報告書の全訳を紹介する。


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<資料:原文全訳>
ソウルと東京への核攻撃想定:朝鮮半島戦争の人命コスト
A Hypothetical Nuclear Attack on Seoul and Tokyo: The Human Cost of War on the Korean Peninsula
http://www.38north.org/2017/10/mzagurek100417/
(引用文献は省略してある)

2017年10月4日
マイケル・ザグレク2世
38 North

ドナルド・トランプ米大統領と閣僚たちは、この数週間に何度も北朝鮮のこれ以上のミサイル発射実験を思いとどまらせるために軍事力の使用を威嚇している。米国のいかなる軍事力の行使も北朝鮮による軍事的エスカレーションのリスクを高める。そこには韓国と日本への核兵器使用が含まれている。現在の北朝鮮の核兵器の推定威力に基づく下記に示す試算によれば、この「あってはならないこと」が起こった場合、210万人が死に770万人が負傷するであろう。

背景
2011年以降、北朝鮮は98回のミサイル発射実験を行い、ミサイルの能力、搭載可能荷重、射程距離、そしておそらくは信頼性を向上させてきた。同期間に北朝鮮は4回の地下核実験を行った。最新の実験は17年9月3日である。7月4日と7月28日、北朝鮮は初めて大陸間弾道ミサイル(ICBMの発射実験を行った。それは米本土のほとんどを射程に収めうるものと推定される。北朝鮮は弾道ミサイルに核弾頭を装着する能力を有し、少なくとも15から25キロトンの威力の核弾頭20から25発を有していると専門家は推定している。9月3日の爆発実験は108から250キロトンの水爆実験であった可能性がある。最終的にはより威力の高い水爆を手にするであろうとも思われている。

北朝鮮体制が目指すのは、米国に対する抑止能力生き残り可能な抑止能力を手にすることによって金一族支配の支配継続を確保することのように見える。しかしながら、北朝鮮のミサイル開発と核能力継続は「挑発的かつ事態を不安定化する」ものであり、米同盟国である韓国と日本に、そしてアジア戦域と本土の米国の資産に著しい安全保障上の脅威をもたらしている。国連、米国、韓国、日本、欧州連合による度かさなる対北朝鮮制裁そして国際社会非難にも拘わらず北朝鮮は大量破壊兵器の開発をやめない。伝統的にはもっとも強力な同盟国でもあり最大の貿易相手国である中国でさえ、核兵器の開発を非難し、対北貿易をいくらか削減している。

加えて米国と同盟国は、北朝鮮のミサイル配備と実験継続に対して、防衛体制を強化している。韓国にはTHAAD(高高度防衛ミサイル)が配備された。日本はイージス・アショアを選択した。米国は一群のICBMにたいして地上配備型ミッドコース(GMD)防衛対弾道ミサイル(ABM)システムの実験を繰りかえし、GMDの基数を2017年末までに44基に増加させつつある。

仮に現状が受け入れがたい水準にいたり、外交が効果をあげられないとすれば、いかなるレベルの軍事的的応酬はその時点でおこりうるだろう。トランプ大統領のツィートと国連総会会合における米国と北朝鮮及び周辺諸国とのとげとげしい応酬によって両国間の緊張はきわめて高い。「理性的であるべき当事者」が危機の中で状況を読み間違った例は歴史に多く見られる。北朝鮮の核実験が、とりわけそれが大気圏内や水中で行われたとれば、あるいは次のミサイル発射実験によって搭載物を例えばグアムの米軍基地のあまりに近くに到達したとすれば、米国は武力行使に訴える可能性がある。武力行使には、ミサイルの撃墜、北朝鮮のミサイル発射施設、核関連施設、ミサイル配備地域もしくは金体制の所在地域自体への攻撃が含まれるかもしれない。北朝鮮指導部はこのような攻撃を金一族を権力の座から除去するためのものだと認識し、その結果、滅亡の前の最後のあがきとして核兵器による報復を行うかもしれない。したがって、この「想定外の事態」の結末がどのようなものになるかを検討する価値がある。

想定される攻撃
北朝鮮は25発の運用可能な核兵器保有しており、攻撃をうけたときにそれらのすべてをソウルと東京に向けて発射すると仮定しよう。核弾頭の威力は15~250キロトン(つまり現在及び将来の能力)であり、最適な高度で空中爆発したと仮定する。これらの仮定に従って、核弾頭の威力ごとの7つのシナリオを想定した。

人口密集地中心におけるか核爆発の影響を算出するためには多くの変数がありうる。変数の組み合わせは多数あり、よって計算結果も無数にありうる。単純化のために、本シミュレーションは爆圧による死亡者数に基づく計算を行う。7レベルの核爆発威力について、爆風の及ぶ面積を「核爆弾効果計算機」(Nuclear Bomb Effects Computer)を用いて計算した。

ソウル及び東京の人口密度は相当高い。例えば、ソウル特別市の人口密度は、1平方キロメートルあたり17,002人、東京特別区のそれは14,950人である。しかも、これら地域の人口密度は平日にはもっと高くなる。

犠牲者の推計
以上の仮定によれば、250ktの核爆弾1発が空中爆発した場合のソウルと東京の犠牲者数は次のとおりである。

  死者 負傷者 死傷者計
ソウル 783,197 2,778,009 3,561,206
東京 697,665 2,474,627 3,172,292
合計 1,480,862 5,252,636 6,733,498

いうまでもなく、ミサイルシステムの信頼性が100%などということはありえない。夥しい数の実験を繰り返している米国のミニットマン・ミサイルであれば信頼性は100%に近いが、一般論としていかなる兵器システムであろうとも信頼性100%などということはありえない。さらに、韓国は北朝鮮のミサイルに備えて、THAAD一個大隊を配備しており、日本は陸上イージス・対弾道ミサイルを調達しようとしている。

したがって、北朝鮮が25発の核ミサイルを発射したとして、そのすべてが標的に命中するわけではない。本計算では、北朝鮮のミサイルの信頼性(訳注:発射したミサイルのどれだけが標的に命中するか)を、20%、50%、80%の3つのレベルに想定した。信頼性をどう取るかによって、死傷者数はことなってくる。

1950年~53年の朝鮮戦争において、韓国の犠牲者は死者373,599人、負傷者229,625人、行方不明者は387,744人であった。第2次世界大戦においては、日本の民間人500,000~800,000人が犠牲になった。ソウルと東京の人口密度は40年代、50年代よりもはるかに大きい。ソウルと東京で複数の北朝鮮の現有する核兵器の爆発が起こったら、その死者は40万人から200万に及ぶだろう。もしそれが水爆であったとしたら、死者数は130万~380万人に上るだろう。(訳:田巻一彦)

2017年11月23日

11.23 幌延デー北海道集会に1000人参加

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11月23日に北海道の幌延町で、北海道平和運動フォーラムが主催し「北海道への核持ち込みは許さない!-11.23幌延デー北海道集会」が開かれました。今年で32回目を迎えるこの集会には北海道をはじめとして全国各地から1000人が集まりました。
幌延は北海道の中でも北部にある町です。最北端の宗谷岬まで約54キロしか離れていません。幌延には核燃料のゴミを処理する方法を研究している深地層研究センターがあります。核のゴミとは原発で使われた後に生ずる高レベル放射性廃棄物です。この高レベル放射性廃棄物を処分する方法がいくつかあって、その方法のなかの一つが地下に埋める方法です。この研究は2000年に始まり2020年に終わるということで、研究が終わったら掘った土地は埋め戻すことになっています。本物の核のゴミが北海道に持ち込まれるわけではありません。
しかしながら、5月には同機構の理事が「埋め戻すのはもったいない」と発言をし、7月には「科学的特性マップ」が公表されました。「科学的特性マップ」が指定している「最適地」に、北海道は幌延町を含め86市町村が該当しています。また、11月には埼玉会場で原子力発電環境整備機構が開催している「科学的特性マップに関する意見交換会」に学生が動員されたということが明確になり、北海道に本当の核のゴミを搬入しようとしているのではないかという道民の心配は高まる一方です。
このような情勢の中で、集会では主催者を代表し、長田秀樹・北海道平和運動フォーラム代表が「深地層研究計画を変質させ、幌延周辺や道北地域、そして道内を、なし崩し的に最終処分場にさせないために、これまで以上に監視体制を強めるとともに、『最適地』をはじめ『適地』に該当するすべての自治体において、『処分場拒否』の議会決議採択の運動を展開しよう」と訴えました。
平和フォーラムの北村智之副事務局長も「地震大国で地下水が多い日本で、安全に地層処分ができる地域などはない。全国のどの地域も高レベル放射性廃棄物の『最終処分場』にしないため、協力しあい、取り組みを強化しよう」と連帯挨拶を行いました。
民進党北海道の三井あき子北海道議会議員、社民党北海道連合の豊巻絹子副代表、旭川大学の山内亮二学長などが挨拶をしました。また、生活クラブ生活協同組合の山崎栄子理事長、帯広平和運動フォーラムの松坂英嗣議長、道北核廃棄物処分場反対道北連絡協議会の藤田孝一代表、核廃棄物施設誘致に反対する道北連絡協議会の鷲見悟代表委員が決意を表明しました。
集会の後、参加者は幌延の町をデモ行進をしながら、核の持ち込みに反対する声を上げました(下写真)。(報告=鄭恩珠(チョン・ウンジュ)平和フォーラム交換留学生)
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2017年11月18日

第49回食とみどり、水を守る全国集会in熊本 分科会報告

第1分科会 シンポジウム「水俣病問題を考える」

 

 

参加者=97名
コーディネーター=田尻雅美さん(社会福祉学博士 熊本学園大学水俣学研究センター研究員)
パネラー=山下善寛さん(企業組合エコネットみなまた代表理事)
パネラー=隅川俊彦さん(熊本日日新聞社 社会部記者)
助言者=島田竜守さん(水俣市立水俣病資料館館長)

最初に田尻雅美さんが「胎児性水俣病、小児性水俣病も含め、熊本や新潟では現在も被害者の認定裁判が継続しており、水俣病はいまだに終わっていない。また、被害がどこまで広がっているのか、未だに判明していない。水俣病の症状は患者自身が年をとるごとに変化していくため、患者自身の不安はいつまでも残ってしまうという現実がある」などと、水俣病事件の歴史的概要について解説しました。
次に山下善寛さんが「水俣病事件とチッソ労働者の闘い」として、チッソに入社してから、組合が当局の操作により第1組合と第2組合に分裂。山下さんは1978~90年に新日本窒素労組委員長を務め、水俣病の支援を行ってきた経緯について報告しました。
隅川俊彦さんは、新聞社の水俣支局記者として取材を行う中で、「被害は不知火海全域や天草まで及び、水俣からの転居者まで含めた住民健康調査は行われておらず、1956年の公式確認から60年以上を経ても終わっていないをいう印象を強く抱いている。水俣病は医師が診断する病気ではなく、行政が認定するという不自然な病気であるがゆえに複雑化しており、解決し得ないものとなってしまっている」と述べました。
しかし、チッソは地元のトップ企業であり、水俣市民の中にも「水俣病問題を終わらせたい」という意見があり、報道が批判されることもあるとし、「終わらないもの、解決しないものとしてどうやって向き合っていくのか、一人一人が考えることが大切」と指摘しました。
最後に島田竜守さんは「チッソは水俣市全体を支える企業であり、被害者ではない市民の空気としても『知らんがな』と無関心を装うものがある。胎児性水俣病患者であってもすでに60代と高齢になり、非患者の視点として『水俣病患者が騒ぐから水俣が悪くなる』といったものは確実にある」と強調しました。また、「水俣は農業を主産業としており、被害者の多くの漁業者は対岸から移り住んできたよそ者という差別意識がある。水俣市としては謝罪してきているが、国や県による謝罪はなされておらず、市民の向き合い方についても被害者との格差が存在する」ことも指摘されました。
全体を通して、参加者は水俣病についての認識が深めることができました。

 

第2分科会「「食の安心・安全・安定をめぐって」

 

参加者=145名
コーディネーター・助言者=江藤ひろみさん(管理栄養士、熊本県立大学非常勤講師)
報告者=澤村輝彦さん(有限会社肥後あゆみの会代表)
報告者=高濱千夏さん(グリーンコープ生活協同組合くまもと理事長)
報告者=福間智美さん(広島県世羅町立せらにし小学校栄養教諭)

澤村さんは、「1985年に水俣病患者を支援する方々と出会い、有機農業を始めるきっかけとなった。30歳で全て有機農業に切り換えたが、知識も技術もなく、10数年間はモノができなかった。有機農業を地域に広げるため、2001年に柑橘と野菜農家7名で有限会社肥後あゆみの会を設立し、畑18ヘクタールと自然栽培水稲(無施肥、無農薬)3ヘクタールを作付けしている。有機農業でも美味しくないと売れない。有機農業に夢と希望、信念をもって取り組めることに幸せを実感している」と述べました。
髙濱さんは、グリーンコープ生協の熊本地震の被災者支援活動報告を行いました。「前震の震源地である御船町に居住し、自宅も被災した。1年半に余震が4400回あり、家の中にいるのが怖い状況で、10日間ほどは車中泊だった。グリーンコープ熊本は組合員6万人で、組合員や職員も被災した。その中でも組合員へ商品を届けた。スーパーやコンビニが閉鎖状況でも、県内5店舗の生協は店を開け続けた。生協で災害支援センターを立ち上げ、ブルーシート等2545件の物資支援や、グランメッセ熊本等に避難している人々のSOSに弁当の炊き出し、宇城市へ味噌汁支援、仮設住宅でのバーベキューによるコミュニティづくりの手伝いをしてきた」等と報告しました。
福間さんは「地元の広島県立世羅高校が一昨年、全国高校駅伝大会で男女アベック優勝を果たし、駅伝でつなぐものが『たすき』ということにちなんで、食育のキャッチフレーズにも『たすき』を使用している。せらにし学校給食センターでは昨年度、県産食材使用率46.9%、うち世羅町産の使用率は32.3%だった。たすきでつなぐ世羅町の食育事業により、子どもたちが地域に目を向け、農家に感謝の気持ちを持つようになってきた」等と報告しました。
コーディネーターの江藤さんは、「食育活動を通しての『食の安心・安全・安定』を考える中では、幼稚園や保育園の給食の実施が食育情報の発信につながっている可能性がある」と、保護者へのアンケートをもとに指摘しました。
質疑応答では、食育に対する保護者の関心をどう高めるかや、給食への地場産農産物を増やす困難さ、給食のセンター方式と自校方式の違い、添加物や遺伝子組み換え問題等について議論が行われました。

 

第3分科会「食料・農業・農村政策をめぐって」

 

参加者=137名
助言者・コーディネーター=磯田宏さん(九州大学大学院農学研究院准教授)
報告者=村上進さん(有限会社木之内農園代表取締役社長)
報告者=磯田毅さん(熊本県議会議員)
報告者=西田毅さん(熊本県地方自治研究センター事務局長)

初めに磯田宏さんから「『安倍政権』農政・現局面の重要問題と課題」と題して提起を受けました。アメリカ抜きのTPP11の現状、日欧EPAの大枠合意、日米(FTA)協定などが大企業・多国籍企業・国際金融資本の要求を実現するためのものでしかないこと具体例を挙げて述べ、それを「断れない」安倍政権が続く限り国難は去らないとしました。
また、安倍政権の進める「農業競争力強化プログラム」農政について、「国民的農業」を解体し、「グローバル農業」化を進めるものであり、最大の受益者となるのは大企業・多国籍企業であるとしました。これに対抗して実現せねばならないのは「国民的農業」であり、国民経済の一環として、自国消費者の食料供給など、消費者・地域に向き合う農業をめざすべきとしました。
磯田毅さんからは「熊本県の農林業の現状と課題」について報告を受けました。熊本は生産農業所得が全国5位の農業県であり、代表する作物はトマトであること、また木材生産でも全国4位だが、1964年に丸太の関税が撤廃されて、産出額が落ち込んで以降、回復していない状況が報告されました。こうした中で、政府が進める自由貿易の流れは脅威であり、輸出に依存するのではなく、内需拡大を目ざす農林業を実現すべきであるとしました。
村上進さんからは、熊本地震による農園の被災の状況について報告を受けました。いまだに農業用水も幹線道路も復旧していない状況にあり、次第にボランティアが減っていく状況の中、人手の確保が困難になっていること。震災がなくても集落は高齢化で過疎になっていたかもしれないが、震災でそれが前倒しになって一層深刻な状況にあることだ。しかし、次世代のために何か行動しなければという思いで日々取り組んでいると報告を受けました。
西田毅さんからは、「グローバル農業」化に対抗し、過疎が進む地域を立て直すための政策として、「環境支払い」の理念・制度について提案がされました。これは、農業を通して自然環境を守っている農家の営みを、新しい方法で評価し、その対価を国民全体で負担することであり、「いのち、環境」を価値基準にした社会の転換を進め、地域を守っていこうと提起がされました。
パネルディスカッションでは、被災の実情に即した農業の復興や、新たに就農する場合の問題点や課題などが議論されました。

 

第4分科会「森林・水を中心とした環境問題をめぐって」

 

参加者=129名

講師=林 視さん(九州森林管理局 計画保全部長)
講師=武田かおりさん(NPO法人 AMネット事務局長)

最初に林視さんが「安全・安心な暮らしと森林」と題し、森林の推移・機能、治山事業について説明。熊本地震や九州北部豪雨を例に山地災害と復興対策について提起しました。九州森林管理局は震災直後から職員を派遣し、ヘリコプターと地上での現地調査を実施、災害復旧事業計画作成を支援しました。また、特定個所に集中した豪雨は、森林の有する山地災害防止機能の限界を超えたために山腹崩壊が発生、多量の雨水が周辺森林から凹地形へ集中し土壌の深い部分まで浸透したため表層崩壊が発生し、立木と崩壊土砂が流水により渓流周辺の立木や土砂を巻き込みながら下流域に流下したことを説明しました。
今後の対策として、災害発生の恐れがある場所を把握し、発生区域では保安林の配備や伐採、土留工事を行うこと、流下地域では流木化する可能性の高い立木の伐採や流木捕捉式治山ダムなどを設置する。下流では、森林緩衝林として機能させることが必要であると述べました。最後に、先人が植えて育てた森林を適切に管理し、上手に利用し、次の世代に引き継ぐことが重要であると訴えました。
続いて、武田かおりさんが、大阪市の水道民営化計画に対する取り組みを報告しました。民営化提案の経過や背景、市議会で明らかになったさまざまな懸念事項などを説明し、市議会への慎重審議要求、陳情書提出などを行った経験から、「市民が積極的に活動すれば議会の議論が深まることを実感した。無関心であった市民にも、海外での失敗例などを通し水道民営化は時代遅れであることが浸透したことで、民営化案の廃案につながった。住民が関与しないと自治体の政策は変わらない」と訴えました。
水道労組も市民主催の集会などに出向き、あるいは水道サポーターのような仕組みで住民参加を進めることで、現場を知る組合と市民が「市民にとってのより良い公共サービス」を共有化することが重要なこと、市民にとって必要とわかれば市民に守ってもらえることを強調し、さまざま説明を重ねるよりも「海外で民営化は失敗している、民営化より公営が得である」とシンプルに100万回言おうと訴えました。
さらに、佐藤智洋・全水道九州地本選出政策推進委員が、水道と森林とのつながり、水道民営化における自治体・事業体の責任やユーザーとしての市民の監視の必要性などについて助言しました。
その後会場から、①流木災害などに対する国の対応、②外国人による水源涵養林の土地購入の規制などの質問と意見が出されました。

 

第5分科会 フィールドワーク「熊本地震の被災地を訪ねて」

参加者=52名

前夜からの雨も明け方には止み、快晴の中、フィールドワークは予定通り開催されました。 企画・運営を熊本県実行委員会が担当し、熊本地震の語り部として、連合熊本森岡雅史・副事務局長と熊本地協議長代行が現地案内をしました。
熊本駅前からマイクロバス2台で出発し、車内では熊本地震に関するDVDと併せて、語り部から震災発生当時から今日までの経過等の説明がありました。車窓からは、震災から1年7ヶ月が経過した現在の益城町や南阿蘇村の街並みを見学しました。
益城町では、倒壊した家屋の多くは解体され更地が目立ちましたが、その中でも、一部残った倒壊した家屋や、波打つ歩道などが見受けられ、発生当時の凄まじさが垣間見えました。また、町内には仮設の町役場や多くの仮設住宅が建設されており、特に県内最大の仮設住宅地には、避難されている方のための簡易集合商業施設や平屋の住宅展示場なども併設されていました。
南阿蘇村では、崩壊した阿蘇大橋の迂回路として8月27日に改修され、供用が開始された長陽大橋を渡り、復旧工事がまだ行われている道路を通って「東海大学阿蘇キャンパス」を訪ねました。東海大学阿蘇キャンパスは、現在も震災当時のままの姿が多く残されており、現地の語り部を担当していただいた東海大学の椛田聖孝名誉教授からキャンパス内の説明を受けながら見学をしました。キャンパス内の中庭には断層が走り、校舎周りのアスファルトの地面は凄まじい地割れと波打つ状況で、歩くのにも気が抜けない所もありました。耐震補強工事が施されている校舎さえも地震の影響で、外壁のひび割れ等による損傷が激しいため解体が予定されているとの説明がありました(上写真)。
最後に、熊本県中北部を流れる一級河川の白川の総水源であり、日本名水百選の一つである南阿蘇村にある「白川水源」に移動し、毎分60トンの湧水が地底の砂とともに勢い良く湧き上がる光景を見学しました。熊本地震直後はこの水も一時は枯れたということで、改めてその影響を実感しました(下写真)。
早朝から半日の行程は非常にタイトなスケジュールでしたが、熊本地震が残した爪痕を見る中で、多くの住民の方の日常が奪われたこと、しかしながら、1年7ヶ月が経過した中で、少しずつ確実に復旧・復興に向けて進んでいることを、参加者は身近に感じることができました。

 

 

2017年11月18日

食とみどり、水を守る全国集会in熊本に780人参加

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平和フォーラムなどで作る実行委員会主催の「第49回食とみどり、水を守る全国集会in熊本」が11月17~18日に熊本市の「クラウンプラザホテル熊本ニュースカイ」などを会場に開催され、全都道府県から780人が参加しました。同集会は毎年、食の安全や農林業政策、森林や水を中心とする環境問題などについて、情勢や課題を話し合うために各県持ち回りで開かれているもので、今年は、昨年4月に大地震に見舞われた熊本で、地震からの復旧・復興に向けた課題や、61年前に熊本県水俣市で公式確認された「水俣病」の歴史や教訓を学ぶことも目的に開催されました。
初日の全体集会は、熊本県のキャラクターの「くまもん」などによるアトラクションから始まり、主催者を代表し、石原富雄・集会実行委員長(全農林労組委員長)が、熊本地震や水俣病問題に触れた後「10月22日の衆議院総選挙で自公政権が3分の2を超え、憲法改悪の危機も迫っている。農林業政策でも、多面的機能を無視した効率優先の政策が一層進められようとしている。今後の政策や運動方向についてしっかり議論しよう」と訴えました。
熊本県実行委員会からは、久保研一・実行委員長が「昨年の地震で大きな打撃を受けたが、全国からの支援に感謝したい。熊本は全国的にも農林水産業が盛んであり、熊本市の水道が全て地下水でまかなわれるなど、環境も恵まれている」などと歓迎のあいさつを行いました。
さらに、連帯あいさつを上田淳連合熊本会長が行い、来賓として熊本県知事の代理で小野泰輔副知事、熊本市長の代理で西嶋秀樹農水局長があいさつを行いました。
北村智之・集会副事務局長が、①通商交渉の動き、②食の安全・安心、③農林業政策、④環境問題についての情勢や運動の課題を提起し「政策の転換をめざして地域から運動を再構築しよう」などと呼びかけました。

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続いて、「熊本地震の復旧・復興から見えてきた課題」と題し、全体シンポジウムが開かれました。(上写真)。上益城農業協同組合の松本和文・益城総合支所長が、地震による農業の被害状況を説明し、「まだまだ復興まで道のりは長いが、日頃から祭りをやっているなど、地域のまとまりが大事だということを実感じている」などと説明しました。
また、熊本市内の水道局に務める佐藤智洋さん(全水道九州地本選出政策推進委員)は、水道の復旧に尽力した経験を振り返りながら、「熊本はまだ回復も早かったが、これが東京など水道管の老朽化が激しい大都市で起こったならば大変なことになる。今から対策が必要ではないか」と警鐘を鳴らしました。
さらに、地元の熊本日日新聞編集委員の小多崇さんは、被災者の避難所生活などを取材した経験から「さまざまな課題を顕在化させるのが震災だ。みなし仮設を退去した後の生活再建までの見通しや生活困窮、孤立に陥らない目配りが必要だ」などと、今後の課題を提起しました。
質疑討論でも、宮城県の参加者から2011年の東日本大震災の時の仮説住宅問題についての経験なども披瀝されました。
続いて特別報告として、「水俣病のあらまし~水俣病の歴史と教訓、そして今の水俣に学ぶ~」として、水俣市立水俣病資料館館長の島田竜守さんが、事件の発生からチッソや国、県
の責任、被害者に対する差別や偏見、事件を教訓にした水俣市の環境行政などを説明し「水俣病は単に一企業の問題ではなく、経済成長を重視し、人の命や環境を省みなかった時代の問題として捉え直すべきだ」と訴えました。
別会場でも熊本地震や水俣病関連のパネル展示、映像の上映も行われました。また、全体交流・懇親会では、地元高校生による「山鹿灯籠踊り」などを見た後、熊本の地酒を交わしながら交流が行われました。
第二日目は分科会が開かれ、「シンポジウム水俣病問題を考える」では、熊本学園大学水俣学研究センター研究員をコーディネーターに、水俣病裁判を支援してきたチッソの元労働組合委員長や、長年、水俣病問題を取材してきた熊本日日新聞記者などが、「水俣病60年」を振り返りながら、今後の課題を議論しました。
また、有機農業生産者や地元の生協理事長、学校給食栄養教諭による「食の安心・安全・安定」や、熊本の生産者、県議会議員、九州大学准教授などが討論した「食料・農業・農村政策」、九州森林管理局担当者や大阪の市民運動団体代表による「森林・水を中心とした環境問題」の分科会が開かれました。(下写真は第2分科会の様子)
また、フィールドワークは、熊本地震の被災地である益城町や南阿蘇村を訪ねて、震災の実態を目の当たりにしながら、「震災の語り部」の説明を受けました。

分科会の報告はこちら

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2017年11月13日

沖縄だよりNO.45(PDF)

http://www.peace-forum.com/okinawa-branch/okinawa_No45.pdf

2017年11月11日

沖縄だよりNO.44(PDF)

http://www.peace-forum.com/okinawa-branch/okinawa_No44.pdf

2017年11月10日

沖縄だよりNO.43(PDF)

http://www.peace-forum.com/okinawa-branch/okinawa_No43.pdf

2017年11月03日

安倍9条改憲NO!全国市民アクション 国会包囲大行動に4万人が参加!

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日本国憲法が公布されてから71年目を迎えた11月3日、安倍政権の9条改憲を阻止するために新しく発足した「安倍9条改憲NO!全国市民アクション」は、「戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会」と共催し、国会周辺で「11・3国会包囲大行動」を開催。約4万人が国会を包囲、「改憲反対、9条守れ!」「安倍政権打倒!」を訴えました。
集会は、13時から中川五郎さんなどのプレコンサートの後、主催団体を代表して、全国市民アクション運営委員の高田健さんが「選挙の結果、改憲勢力が3分の2を確保したが、これまで作り上げてきた野党と市民の結束の力をさらに一層発展させて、安倍9条改憲の流れを打ち砕いて行かなければならない。国会での改憲発議を阻止するたたかいを強めよう!」と訴えました(上写真)。
スピーチは、ルポライターの鎌田慧さんが「国会では立憲野党は少数だが、デモや集会の力、市民の力で、改憲発議を阻止しよう」と呼びかけました。また、作家の落合恵子さんも「本当の安全保障とは、原発をなくし、米軍基地をなくし、憲法を守ることだ。諦めることなく前に進もう!」と強調しました。
ピースボートの共同代表であり、ノーベル平和賞受賞の「核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)」の国際運営委員でもある川崎哲さんは「核兵器廃絶と憲法9条は、あの戦争からの教訓だ。9条をまもり、核兵器を世界からなくすことが、私たちの進むべき道だ!」と、安倍政権を批判。
また、韓国の朴大統領を倒した市民のたたかいを担った、キム・ヨンホさんは「日本の憲法9条はアジアの宝だ。9条改憲は戦前のファシズムへの復帰と新しい軍国主義への出発になり、周辺国の軍拡を招く」と警告しました。
政党からは、枝野幸男立憲民主党代表、志位和夫共産党委員長、江崎孝参議院議員、福島瑞穂社民党副党首が登壇、「国会の中の闘いと市民の闘いを両輪として、立憲主義を取り戻そう」などと、闘う決意を述べました。また、自由党の小沢一郎代表からもメッセージが寄せられました。
その後、集会は国会正門前、議員会館前、国会図書館前、町村会館でステージごとに集会を開催。多数の文化人や著名人がスピーチを行い、国会周辺を包み込む「戦争する国絶対反対!」「安倍政権をみんなで倒そう!」「立憲や野党と市民は共闘するぞ!」「改憲反対!9条守れ!」のコールが響き渡りました。
このうち、「戦争をさせない1000人委員会」が担当した国会議員会館前の集会では、内田雅敏弁護士、ジャーナリストの高野孟さん、東海大教授の永山茂樹さん、落語家の古今亭菊千代さん、一坪反戦地主会関東ブロックの木村辰彦さんがスピーチを行いました(下写真は議員会館前集会)。
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2017年11月01日

賢く「記憶」をたどれ

今年のノーベル文学賞は、日本生まれのイギリス人作家カズオ・イシグロさんに決定した。今年こそはと期待を持っていた村上春樹ファンを失望させたが、イシグロさんも日本人の両親を持つ長崎生まれだから、喜んでもいいのかもしれない。彼の小説の通底するのは「忘れたいけど忘れてはならない記憶。イシグロの受賞には優れて現代的な意味がある」と、生物学者の福岡伸一・青山学院大学教授は述べている。

「感情的なポピュリズムの嵐が吹き荒れる世相に対して、文学が立ち向かうには『ポピュリズムとは正反対の深く沈潜する純粋な美学と、知的な言葉』だという、まさに文学の本質に戻ろうとした」とは、作家の冷泉彰彦さんの言葉だ。ノーベル賞もまた現在の政治状況とは無縁ではない。

9月20日(現地時間)、安倍晋三首相はニューヨークの国連総会で発言し、北朝鮮の核問題の解決に必要なのは「対話ではない。圧力なのです」と述べた。私たちは、現在を語るために「忘れてはならない記憶」を呼び起こさなくてはならない。1940年9月、日本は先の見えない日中戦争を打開しようと、米英を敵に回して、北部仏印(インドシナ半島)進駐と日独伊三国同盟に踏み切った。

翌年、米国の英・中・蘭と協力した対日経済封鎖(ABCD包囲網)と、11月26日の強硬な米国提案(ハル・ノートまたはTENPOINTS)によって追い詰められた日本は、12月8日、真珠湾奇襲攻撃を敢行し、山本五十六・太平洋艦隊司令長官に「是非やれといわれれば、初めの半年や1年は、ずいぶん暴れてごらんにいれます。しかし2年、3年となっては、全く確信は持てません」と言わしめた対米戦争に突入した。結果は皆さんご存じの通りだ。北朝鮮が日本と同じ道をたどることはないのだろうか。ないと誰が断言できるのだろうか。

総選挙で安倍首相は「愚直に、誠実に、まっすぐに政策を訴えていく」と強調した。愚直にとは「正直すぎて気のきかないこと」と広辞苑にはある。愚直にトランプとともに戦争への道に一直線に進むのか。近衛内閣から東条内閣、愚直な人間の集まりではなかったか。記憶をたどればそう思う。愚直な人間は愚直に戦争の道を選んだ。
(藤本泰成)

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