8月, 2017 | 平和フォーラム - パート 2
2017年08月09日
被爆72周年原水爆禁止世界大会・長崎大会まとめ(藤本事務局長)
被爆72周年原水爆禁止世界大会・長崎大会まとめ
原水爆禁止日本国民会議
事務局長 藤本泰成
大会中、様々な議論がありました。全てに言及はできませんが、若干の時間をいただき、私なりにまとめたいと思います。
伴さんは、福島県の実施している健康調査によると、子どもの甲状腺ガンの確定者が145人に達していることを報告しながら、その他の疾病に関しても統計学的な調査も実施すべきとしました。一般公衆被ばく基準の20倍の放射線量が、身体に影響が無いと言うことを、信用するわけにはいきません。
原子力市民委員会委員で元原子炉格納容器設計技師の後藤政志さんからは、原子力産業の行方と原発の安全性に関して報告がありました。
米国のスキャナ電力は、7月31日にV.C.サマー原発2・3号機の建設断念を発表しました。東芝傘下のウェスティングハウス社が受注していたものですが、後藤さんは、米国の安全規制の強化が工期の延長とコストの上昇を生み、いまや原子力発電所がコスト競争に勝利することはないだろうと発言しています。
私たちには、夢があります。核も戦争もない平和な21世紀を作りましょう。
2017年08月09日
被爆72周年原水爆禁止世界大会・大会宣言
被爆72周年原水爆禁止世界大会・大会宣言
しかし、唯一の戦争被爆国である日本政府は、本来ならば核兵器廃絶に向けて積極的にリーダーシップを発揮する立場にあるにもかかわらず、この条約の交渉に参加せず、いまも条約の批准・発効に反対し続けています。8月6日、広島の平和祈念式典で、安倍首相は「唯一の戦争被爆国として『核兵器のない世界』の実現に向けた歩みを着実に前に進める努力」を口にしながら、核兵器禁止条約には一言も触れませんでした。安倍首相が言いう平和は、政治的ポーズに過ぎません。日本政府(安倍政権)の姿勢は、核兵器廃絶を求めている世界の多くの国々、とりわけ被爆者を失望させるものです。私たちは、日本政府が「核兵器禁止条約」を直ちに批准し、核兵器保有国に対して、戦争被爆国としての言葉で参加を促していくことを強く求めます。
安倍首相は、広島の平和祈念式典で、「被爆者の方々に対しましては、保健、医療、福祉にわたる総合的な援護施策の充実を行ってまいりました。今後とも、被爆者の方々に寄り添いながら援護施策を着実に推進してまいります」と述べました。しかし、被爆者への国家補償や原爆症の認定、在朝被爆者をはじめとする在外被爆者、被爆体験者、被爆二世・三世の問題などで様々な課題が残されています。原水禁は、国家補償に基づく被爆者援護法の制定を長きにわたりとりくみ、「原爆被爆者援護法」を勝ち取りました。しかし、国家補償は未だ明記されず、政府は、被爆者の具体的要求には何ら答えず、ただ裁判で敗訴したことのみ改善するという消極的姿勢に終始しています。被爆者が高齢化する中にあって、安倍首相は、自らの言葉を、自らが具現化しなくてはなりません。時間との闘いの中で、早期の解決に向けた運動の強化が求められています。
世界各国は、2011年3月11日の東日本大震災・福島原発事故を契機に、脱原発に舵を切りました。ドイツ・イタリア・スイスなどが脱原発を選択しました。アジアにおいても台湾が脱原発を決定し、韓国でも脱原発をめざす政権が誕生しています。原子力産業は、米原子炉メーカーウェスティングハウスを買収した東芝の破たんに見るように、原発建設など原子力産業の推進が企業の経営破綻をまねく状況が現出しています。一方で福島原発事故の処理費用は、現時点でさえ約22兆円と試算され、原発推進が市場経済の論理にそぐわないものとなっています。
しかし、安倍政権は、除染が終了し、年間被ばく量20mSvを下回ったとして、避難指示の解除を進め、住民に帰還を強要しています。20mSv/yは、一般公衆の被ばく限度の20倍であり、さらなる被ばくを押しつけながら、原発推進のためにフクシマをなかったものにしようとする姿勢は許せません。安倍政権は、脱原発を求める民意を無視し、福島原発事故被害者を切り捨て、原子力推進政策に邁進し、原発再稼働、核燃料サイクル計画・プルトニウム利用路線の推進、原発輸出などを推し進めています。事故の原因の調査も、責任の所在も曖昧にしたまま、原発推進に舵を切ることを許してはなりません。国策として原発を推進し、津波の想定を見直すことなく、事故を引き起こした東電・国の責任をきびしく追及していかなくてはなりません。
安倍政権は、安全保障関連法(戦争法)や共謀罪を新設し、憲法改「正」に踏み出そうとしています。沖縄・辺野古や高江では、新基地建設を強行しています。日本中の空をわが物顔に飛ぶオスプレイは、各地で事故が頻発し市民社会に大きな不安を与えています。戦後レジームからの脱却という安倍首相の主張は、憲法の規定する国民主権、平和主義、基本的人権の保障という戦後一貫して私たちが守ろうとしてきた日本社会のあり方を、根本から変えようとするものです。決して許してはなりません。
脱原発を決定させましょう。核燃料サイクル計画を放棄させましょう。米国の傘の下にあって、核武装を担保しておこうとする日本の核政策を根本から変えましょう。核兵器禁止条約の批准を求めましょう。国の責任を明らかにして、フクシマの支援を確実にしましょう。戦争法・共謀罪廃止、憲法改悪阻止、「命の尊厳」を基本に、地域から大きな声を上げていきましょう。
ノーモア ヒロシマ、ノーモア ナガサキ、ノーモア フクシマ、ノーモア ヒバクシャ、ノーモア ウォー
2017年8月9日
被爆72周年原水爆禁止世界大会
2017年08月09日
原水禁世界大会の最終日は長崎で閉会総会開く
長崎実行委員会を代表し、松田圭治・実行委員長(長崎原水禁議長)があいさつに立ち「国連の核兵器禁止条約採択の原動力は被爆者の思いだった。それにもかかわらず、日本政府がこれに反対することは、唯一の戦争被爆国として許されない」とし、憲法改悪や沖縄への新基地建設、原発政策を進める安倍政権を厳しく批判しました。
九州各県をつないで毎年行われている「非核平和行進」のタスキが長崎から沖縄に返還された後、タスキを受け取った沖縄平和運動センターの山城博治議長が登壇。沖縄県内の基地建設反対運動の中心を担っていたところ、昨年から5か月余にわたり逮捕・不当勾留されたにも関わらず「沖縄県民は翁長雄志知事を先頭に辺野古に新基地を作らせない闘いを続けている。事態が厳しければ厳しいほど団結していくことが大切だ」とし、自ら作詞した「今こそ立ち上がろう」を熱唱して、会場を沸かせました。
また、佐賀県唐津市にある玄海原発の再稼働に反対するアピールを、佐賀県原水禁の柳瀬映二事務局長が行い、「県知事は県民の意見を聞くポーズをとっているが、理解は得られていない。避難計画は被ばく計画でしかない。再稼働を絶対に阻止する」と力強く述べました。
高校生のアピールとして、第20代高校生平和大使と高校生1万人署名活動実行委員会のメンバーなど100人余りが並び、若者として核廃絶を訴えていく決意を語りました。
原水禁世界大会に参加した海外ゲストを代表し、米国ピース・アクション政治政策担当のポール・マーティンさんは「世界の状況は昨年よりも悪くなっている。アメリカと日本では自らの利益だけを考える指導者がいる。ともに連帯し軍国化を進めることを阻止しよう」と呼びかけました。
大会のまとめを藤本泰成・大会事務局長が行った後、脱原発、核燃料サイクル計画などの日本の核政策を根本から変えることや、核兵器禁止条約の批准、国の責任によるフクシマの支援、戦争法・共謀罪廃止、憲法改悪阻止など、「命の尊厳」を基本に、地域から声を上げていこうとの大会宣言を採択しました。
2017年08月08日
原水禁世界大会・長崎大会 2日目は分科会やひろばで討議
8月8日、原水爆禁止世界大会・長崎大会の2日目は。いくつかの課題に分かれての分科会や、関係団体の自主企画の「ひろば」、フィールドワークなどが行われました。
「平和と核軍縮」の分科会では、共謀罪などの憲法問題や沖縄での新基地建設問題での討議と、7月7日に国連で採択された核兵器禁止条約と東北アジア非核兵器地帯化構想について考えました(写真上)。
「脱原子力」の課題では、福島原発事故の現状と再稼働問題を考える分科会のほか、プルトニウム利用路線の破たんと自然エネルギーの展望を検討しました(写真下)。
「ヒバクシャ」については3つの課題に分かれ、世界各地での核実験やウラン採掘などでの核被害の実態と補償、韓国やメキシコなど在外被爆者を招いて在外被爆者の置かれている現状と課題、さらに、被爆二世・三世問題では現在取り組まれている集団訴訟の意義や展望を考えました(写真上)。
さらに、「見て・聞いて・学ぼうナガサキ」では、映像や被爆者の証言を通して被爆地・ナガサキの実相に触れました。このほか、被爆者との交流や、映画の上映などの「ひろば」、長崎市内の被爆遺構めぐり(写真下)や、佐世保の基地めぐりのフィールドワークも開かれました。
さらに、小学生向けの「子ども平和のひろば」、高校生が企画・運営した「ピース・ブリッジinながさき」(写真下)など多彩な内容の催しが行われました。
8月9日は長崎大会の閉会総会が開かれ、大会宣言を採択した後、爆心地までの非核平和行進を行い、原爆投下時間(11時2分)に黙とうを行い大会の全日程を終えます。
2017年08月08日
オーストラリアでのオスプレイの墜落事故で声明
相次ぐオスプレイの事故に抗議し、
沖縄、北海道等での飛行訓練中止を求める声明
2017年8月8日
フォーラム平和・人権・環境
事務局長 勝島 一博
またもやオスプレイの墜落事故が発生しました。オーストラリア東海岸で、米豪共同軍事演習「タリスマン・セーバー」に参加していた沖縄の米海兵隊普天間基地所属のMV−22オスプレイが、現地時間の5日午後4時ごろ、強襲揚陸艦「ボノム・リシャール」への着艦訓練中、海上に墜落しました。米海兵隊の発表によれば、乗員、乗務員を含め26人中3人の海兵隊員が行方不明になった「事故」だとしています。普天間基地所属のオスプレイの墜落事故は、昨年12月13日に沖縄県名護市沖で発生した事故を含め2度目となります。この間日本国内に限っても、名護市沖の事故の同日に起きた普天間基地での胴体着陸事故、2017年6月6日の沖縄・伊江島補助飛行場、続く6月10日の鹿児島・奄美空港への緊急着陸など、オスプレイの事故が相次いでいます。
米軍当局や日本政府がオスプレイの有用性をいくら強調したところで、欠陥機である同機の運用は許されません。すべての飛行訓練の中止と普天間基地の配備及び予定されている東京・横田基地への米空軍CV−22オスプレイの配備計画を撤回すべきです。そして、陸上自衛隊が導入しようと計画しているオスプレイの佐賀空港配備も白紙撤回することを強く求めます。
これまでのオスプレイの事故の多くは、事故に至る経緯や原因が明らかにされてはいません。防衛省のホームページで事故報告書が公表されているのは、普天間基地配備前に起きたフロリダ、モロッコでの事故の2件のみです。昨年の名護市沖での墜落事故に関しても、夜間空中給油訓練途中で事故が発生し、名護市沖の浅瀬に「不時着水、大破」するまでの経緯が全く不明で、事故原因の究明がなされていないにもかかわらず、事故から6日後には飛行訓練を再開しています。オスプレイの安全性に対して多くの人々が懸念を示しており、日本政府は、米当局に「自粛」を要請するだけでなく、経緯や事故原因が明らかにされるまでは飛行訓練等を中止するよう求めるべきです。
沖縄では、北部訓練場をはじめ、キャンプハンセンなどで住民の安全を無視したオスプレイの訓練が連日行われています。そして8月10日から28日かけては、北海道で陸上自衛隊と米海兵隊の約3300人が参加して行われる大規模な共同軍事演習「ノーザンヴァイアー」が行われ、普天間基地所属のオスプレイ6機が参加し、夜間飛行訓練などを行うとしています。沖縄の負担軽減のための訓練移転と説明されていますが、政府は米軍機の飛行訓練について「日米安保の目的達成のため飛行訓練を行うことは当然の前提」として、訓練空域以外での飛行訓練すら容認している始末です。つまり米軍基地の過重負担を負わされている沖縄の現状を省みるまでもなく、すでに縦横無尽に日本の空を、米軍機が飛行訓練することは既定路線になっているのです。
平和フォーラムは、日米軍事一体化、基地の共同使用による米軍機等の運用の拡大、SACO合意違反の基地使用などを許さないとりくみを進めていくとともに、相次ぐオスプレイの事故に抗議し、飛行訓練の即時中止を強く求めていくことを表明します。
以上
2017年08月08日
沖縄だよりNO.33(PDF)
2017年08月07日
被爆72周年原水禁世界大会・長崎大会基調提案
被爆72周年原水禁世界大会・長崎大会基調提案
事務局長 藤本泰成
それでは、若干の時間をいただいまして、大会の基調を提案申し上げます。詳しくは、後ほどお手元のピンクの冊子「基調」に目を通して下さい。
被害者・避難者は、時間の経過の中で、様々多様で多岐にわたる問題を抱え、帰還はすすみません。年間被ばく量20mSvは、事故前の基準の20倍であり、山間部や原野は除染できていません。目に見えない放射性物質は、健康への大きな不安となっています。
原発事故以降、私たちが主張してきた「ひとり一人に寄り添う政治と社会」を具現化する、新たな国による支援を求めます。私たち原水禁は、そのような福島の実態に則した、ひとり一人の、人間としての復興を求めて運動を続けます。
突然と、突然と、その日常をやぶる原爆、日々の何気ない幸せをも奪い去る原爆、戦争は、その人の何気ない日常を、奪い取っていきます。
平和に向けて、今日から3日間、真摯な討論をお願いして、長崎大会での基調提起といたします。
2017年08月07日
原水禁世界大会・長崎大会が開会 1100人が参加
8月7日、長崎市の「長崎ブリックホール」で「被爆72周年原水爆禁止世界大会・長崎大会」の開会総会が開かれました。台風の影響で一部の県は開会に間に合わなかったものの、全国から1100人が参加しました。
オープニングは、現役の医者による音楽ユニット「インスハート」が登場。医療で身体を治すだけでなく、音楽を通して心まで癒したいとの思いで活動を続けており、ステージでは原爆で子どもを亡くした母の思いをうたった「おばあちゃんののこしもの」を熱唱。参加者の感動を呼びました。
続いて、7月に長崎県内を一周した「第33回反核平和の火リレー」の参加者が登壇し、これからも活動を続ける決意を語りました。
黙とうに続いて、主催者あいさつに立った川野浩一・大会実行委員長(原水禁代表)は、自らが体験した長崎での被爆について「あの地獄のような光景が目に焼き付いている。原爆は、人間が人間として生きることも死ぬこともできなくするものだ」とその悲惨さを語り、「7月7日に国連で可決された核兵器禁止条約に日本は反対しているが、被爆者を、そして国民を見捨てる行為だ」と安倍政権を厳しく糾弾。「東北アジアの非核地帯化など、核なき世界の先頭に立とう」と呼びかけました。
大会への海外ゲストを代表し、台湾大学教授で、台湾環境連合で脱原発運動を進めている徐光蓉(シュウ・グァンロン)さんが「核兵器と原発の根本は同じものであり、どちらも絶対悪だ。これ以上、放射性物質が地球上に溜まれば環境や子孫に悪影響を与える」として、2025年に原発ゼロをめざす台湾の動きを報告しました。
大会基調の提案を藤本泰成・大会事務局長が行い、核兵器廃絶、脱原発、ヒバクシャの援護と権利拡大への取り組みを提起し、「名もない人々の日常が持つ豊かさを守るために、命の尊厳を大事にする運動を続けていこう」と訴えました。基調提案はこちら
福島原発事故について、福島県平和フォーラムの村上伸一郎副代表が報告し、3月から一部地域を除いて、帰還が強制され、仮設住宅からの立ち退き、住宅支援の打ち切りなどの政府の対応を批判し、「国や県は責任をもって生活再建を支援するべきだ」と語りました。
「長崎からのメッセージ」として、田上富久・長崎市長が登壇し、日本非核宣言自治体協議会の会長として「核兵器禁止条約ができた源流に被爆者の声があり、それが集まって国連で大きな流れとなった」と述べ、「条約を社会の規範とするために市民が声をあげ続けていくことが必要」と強調しました(写真上左)。
さらに、「核兵器禁止条約」の国連での討議を傍聴した川副忠子さんが、戦争に突入する前からの日本の動きや、原爆投下、敗戦後の平和を求める運動や被爆者の活動などについて、写真等を用いて説明しました。
また、原爆の被害者が当時の旧長崎市内に限られ、近隣の自治体に住む人たちが被爆者認定されなかった問題について、「被爆体験者訴訟原告団」の岩永千代子さんと松尾榮千子さんが証言。被爆直後の爆風の中を逃げ回り、その後、友達を白血病で亡くし、自らもがんと闘っていることを語り、訴訟を通じ、国や県、市が一刻も早く認定するよう求めていくと述べました(写真上右)。
メッセージの最後は高校生からで、20年前から続けられている「高校生平和大使」の活動について、昨年の第19代大使から活動報告を受けた後、今年の20代大使に選ばれた15都道府県の22人が一人一人抱負を述べました(写真下)。また、2001年から長崎で始まった「高校生1万人署名運動」も全国に拡大し、これまでに140万人以上の署名を国連に届けたことが報告され、全員で活動のテーマソングを歌って運動の継続を誓っていました。
最後に「原爆を許すまじ」を斉唱し、開会総会を終了しました。8日には長崎市内を中心に分科会やひろば、フィールドワークなどが行われ、9日に閉会総会と非核平和行進を行なわれます。
2017年08月06日
被爆72周年原水爆禁止世界大会広島大会まとめ
被爆72周年原水爆禁止世界大会広島大会まとめ
被爆72周年原水爆禁止世界大会実行委員会
原水爆禁止日本国民会議
事務局長 藤本泰成
核禁止条約に対する日本政府の態度が問題になっています。第2分科会の湯浅一郎ピースデポ副代表は、オバマ政権の8年間を総括しながら、「核なき世界」をめざす米国では、核兵器への巨額投資が続き、核戦力の近代化が続いた、今後10年間で核の近代化に800億ドル、運搬手段の近代化に1000億ドル、全体で1800億ドル、約18兆円が支出されることになったと指摘しています。オバマ大統領がプラハ演説で述べた「この目標は、私の存命中には実現しないかもしれない」と言う言葉は、米国社会に染みついた核依存態勢を象徴し、このことを変えるのは至難の業との思いの表れでは無いでしょうか。
第1分科会で発表した、米国の平和NGOピースアクションのポール・マーチン代表は、米国で様々な問題を起こしているトランプ新大統領が、守っている唯一の公約は、軍事中心主義と軍事費の増額であると述べました。貧困層対策のプログラムの予算を削減し、軍事費を大幅に増額している事実を指摘しています。トランプ政権は、核の近代化政策においても、オバマ政権の方向性を支持しています。ただし一方で、イランとの間の核開発放棄の合意と北朝鮮の金正恩政権との対話の姿勢は保ち続けるとしています。
北朝鮮は、核実験を繰り返し、ICBM・大陸間弾道弾の実験に成功し、米国内の全てを射程に入れたと主張しています。米国の核兵器とは規模も違いますが、核のにらみ合いとも言える状況が続いています。北朝鮮を対象とした、米韓軍事演習は規模を拡大し、日本を含む日・米・韓の軍事同盟強化はこれまで以上に進んでいます。米艦防護や後方支援など米国との軍事同盟を強化するために、安全保障関連法が成立しました。
第1分科会で、軍事評論家の前田哲男さんが、43の民放70の新聞を使い、3億円以上をかけたと言われる「弾道ミサイル落下時の行動について」という政府公報を紹介しています。「できる限り頑丈な建物や地下街などに避難する」「物陰に身を隠すか、地面に伏せて頭を守る」「窓から離れるか、窓の内部屋に移動する」と書かれていますが、前田さんは、原爆投下の直後に大本営の「防空総本部」が出した新型爆弾に対する「対策心得」に書かれている「待避壕はきわめて有効、頑丈なところに隠れること」「普通の軍服や防空ずきんおよび手袋でやけどから保護できる」「伏せるか 物陰に隠れる」と比較し、全く変わらないとして、政治が言う安全保障のキャンペーンが、いかにむなしく、いかに危険かと述べています。
小野寺五典防衛大臣は、自民党の「弾道ミサイル防衛に関する検討チーム」の座長を務め、「敵基地反撃能力」が必要として、2017年3月30日に「弾道ミサイル防衛の迅速かつ抜本的な強化に関する提言」を総理に提出しています。安部首相は、すでに日本の自衛隊の役割を「抑止力」から「対処力」へと変貌させようとして、安全保障の議論を進めています。前田さんは、高高度ミサイル防衛システム(サード)や巡航ミサイルトマホークの導入などを通じた「敵基地反撃(攻撃)能力」の確保に議論が進み、安全保障政策は「憲法解釈上の議論」のレベルではなく、実際的な「防衛上の政策論」まで進んでいると警鐘をならしています。
「日本が『核の傘』依存をやめること」これが、東北アジアの冷戦構造と安全保障のジレンマを解消することにつながっていく。東北アジアの非核化の問題を、第2分科会で議論していただきました。第3分科会では、核兵器の材料であるプルトニウムを創りだす核燃料サイクルの議論がありました。原子力資料情報室の伴さんからは、「再処理は崖っぷち」との報告がありました。サイクルの一翼を担う高速増殖炉もんじゅは、廃炉になっています。計画通りの実施が困難となった今こそ、核燃料サイクル計画からの脱却を実現しなくてはなりません。そのことこそが、東北アジアの平和のために、東北アジアの非核化そして共通の安全保障の道へつながっていくのです。原水禁運動が、この間主張してきた東北アジア非核地帯構想とその実現のための、日本を、プルトニウム利用政策から脱却させるためにがんばらねばなりません。
事故を起こした福島第一原発は、6年を経過してもなお、事故処理の作業が全く進んでいません。政府は、除染によって避難指示区域の解除を進め、帰還を強要するかのように、これまでの支援の打ち切りを進めています。ヒロシマ・ナガサキの被爆者がそうであったように、フクシマのヒバクシャの生活再建にも、支援の手を自ら伸ばすことはありません。これまでの原水禁運動の経験に学び、福島県民と周辺県で放射能汚染を強いられた人々の健康不安、特に子どもの健康にしっかりと向き合い、生活再建・生業再建を目途に、「被爆者援護法」に準じた法整備を、国に求めていかなくてはなりません。
このような中で、「脱原発」は確実に市民社会に根付いています。市民社会の声が、原発推進に戻ることはあり得ません。第4分科会では、環境エネルギー政策研究所の飯田哲也所長が、「世界は再生可能エネルギー時代を迎えつつある」として、再生可能エネルギーが指数・関数的に増加していることを明らかにしました。原発384GW、風力490GW、太陽光300GW、原発は漸減しているが太陽光発電は昨年1年で76GW増加していることを考えると、太陽光発電が原子力を上回るのは時間の問題です。当初、1Wあたり1万円もしていた、太陽光の発電コストは、今や1Wあたり40円となっています。地域分散型の再生可能エネルギーが、新たな地域再生の大きな力になり、日本のエネルギーを支えることを、私たちは、私たちの選択として実現しなくてはなりません。エネルギー・デモクラシーの時代を、私たち自身で切り拓かなくてはなりません。
今年の国際会議は、「なぜ日本で脱原発は進まないのか」と言うテーマで、開催をしました。2025年までに脱原発を決めた「台湾」から、また、ムン・ジェイン新大統領が脱原発を志向し国民的議論に入ろうとする韓国からゲストをお招きしました。
原水禁運動は、1955年のその発足から、核兵器問題と原発問題に、運動の両輪としてとりくんできました。様々な確執があったにせよ、私たちは、「核絶対否定」「核と人類は共存できない」ことを基本に運動を進めてきました。自民党政権は、1957年5月7日の参議院予算委員会で岸信介首相(当時)が「憲法は、核兵器保有を否定していない」と発言したり、また、2016年4月1日には、安倍政権が「必要最小限度の核兵器は合憲」の閣議決定をするなど、核兵器保有を否定しないできました。
日本は、エネルギー基本計画に、使用済み核燃料を再処理し、プルトニウムを利用する核燃料サイクル計画を位置づけています。結果として47トンものプルトニウムを所持しています。日本は、常に瞬時に核兵器保有国に変貌できることを、再処理で担保しています。原水禁は、商業利用の名を利用した核政策としてのプルトニウム利用に反対してきました。脱原発が確定すると、結果として核燃料サイクル計画、再処理がその意味を失います。それは、日本が真の意味で核政策を転換するために、大きな意味を持ちます。核兵器禁止条約が採択された今、日本の条約批准が求められていますが、そのためには日本の核政策の転換を図らなくてはなりません。原水禁は、脱原発の視点から、日本の核政策の転換を考えようとしました。そして、フクシマを二度と繰り返さないことの、人権としての当然のとりくみとして、脱原発を考えました。
パネラーのひとり、吉岡斉九州大学教授は、「日本の原発は動いていない。稼働可能な原発の内、現在稼働中は、5基、2017年中に稼働するとしている玄海原発を入れて7基である。2020年においても稼働できるのは15基から20基程度ではないか」とし、脱原発の実現に向けては、地方自治体からも、新潟の米山知事、静岡の川田知事など、再稼働を許さない動きが出てきている。今後、重要になるのは政治家の姿勢であると指摘しました。旧民主党政権が、「2030年代、原発ゼロ」の方向性を示したことも大きな動きだったとして、国会における多数派形成は、最重要課題としています。
シュウ・グァンロン台湾大学教授は、台湾の脱原発が法律に規定されていることを報告されましたが、しかし、政治家を動かすには運動の力も重要であると指摘しています。イ・ユジン韓国緑の党脱核特別委員会委員長は、「これまで、韓国には原発推進の関係法律は存在するが、原発を止める方向での法律は存在していない。このことは重要な課題だ。現在野党が多数派を形成しており、野党の議員の理解を求めることも重要である」としました。
オーストリアは、脱原発と核兵器不保持が、憲法に規定されていると聞きました。政権が変わっても重要な政策が変更されないようにすることが目的とされています。
原水禁運動のとりくみを通じて、脱原発の方向を確固たるものにするために、私たちのとりくみの方向は明らかになっています。
少し話を変えたいと思います。私は、北海道の本当の田舎町で育ちました。昼は蝉の声が、夜は蛙の声で眠れないことがあるほどの、自然の中で育ちました。夏は野山を走り回り、冬は雪の中を転げ回りました。
北海道の冬の夜は、冷えます。深々と音もなく雪は、静かに降り積もります。子どもの頃、覚えた詩が頭に浮かびます。三好達治のたった2行の有名な詩です。
太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。
次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ。
詰めたい布団に入って、最初はじっと我慢しながら、ちょっとした不安の中で眠ってしまう。朝起きた後の、朝日の中の雪のキラキした輝きが、今でも目に浮かびます。
自然の中で、泥だらけになって、雪まみれになって、育ってゆく。日本の故郷の子どもたちの姿です。
福島第一原発の事故以降、フクシマの野山はどうでしょうか。フクシマの雪の中を、転げ回ることができるのでしょうか。
フランスの文学賞を受賞した、福島市在住の詩人、和合亮一さんの詩をツイッター上で読ませていただきました。
「石の礫」と言う作品ですが、長文ですので、その中の「悲しみ」と題された部分を、抜粋させていただきながら、一部を紹介します。
三月十一日 悲しい 揺れ 巨大な 揺れ あれから
私の町の駅はまだ目覚めない。囲われて、閉じられて、消されている。
あなたにとって、懐かしい街がありますか。私には懐かしい街があります。
その街はなくなってしまいました。
あなたは地図を見ていますか。私は地図を見ています。その地図は正しいですか。私の地図は、昔の地図です。なぜなら今は、人影がない。…。
放射能が降っています。静かな夜です。
ここまで私たちを痛めつける意味はあるのでしょうか。
ものみな全ての事象における意味などは、それらの事後に生ずるものなのでしょう。ならば「事後」そのものの意味とは、何か。そこに意味あるものは。
この震災は何を私たちに教えたいのか。教えたいものなぞ無いなら、なおさら何を信じればいいのか。
放射能が降っています。静かな静かな夜です。
私は、自然の中で、のびのびと育ってきたことが、私にとってかけがえのない素晴らしい贈り物であったように思います。
放射能が降っている。静かな静かな夜です。皆さん想像してみて下さい。
雪は見えます、が、放射能は見えません。雪の中を子どもたちは転げ回ります、が、放射能の中を転げ回ることはできません。雪を口にする子どもたちがいます、が、放射能を食べることはできません。
私たちが、子どもたちに残し、受け継いでいくはずの自然を、放射能は奪い取っていったのです。
基調提起で申し上げました、憲法には、健康で文化的な生活を営む権利、人間らしい生活を営む権利が、しっかりと決められています。フクシマは、憲法違反です。
放射能が降っています。静かな静かな夜です。
そんなところに、人間らしい生活があるはずはありません
この詩は最後を、こう結んでいます。
2時46分に止まってしまった私の時計に、時間を与えようと思う。明けない夜は無い。
さあ、私たちは、明日のために何をしますか。昨日、今日の議論から、私たちは何をしますか。
私たちの生活の場から、答を出そうではありませんか。
それは難しくありません。
最後に、実行委員会の皆さん、参加いただいた講師の皆さん、海外ゲストの皆さん、そして全国からの参加者の皆さんに、心から感謝を申し上げて、まとめといたします。