11月, 2015 | 平和フォーラム
2015年11月30日
11/29 辺野古に基地は造らせない大集会に4500人
「11・29辺野古に基地は造らせない大集会」が11月29日、日比谷野外音楽堂(東京・千代田区)で開かれ、4500人が集まりました。
2015年11月30日
平和軍縮時評2015年11月号 米原子力空母、日本のEEZ内で一次冷却水等を放出―「G・ワシントン」航海日誌の分析で判明 湯浅一郎
2015年10月1日、米原子力空母ロナルド・レーガンが、ジョージ・ワシントン(以下、GW)の後継艦として横須賀に配備された。その少し前に、「原子力空母の横須賀母港問題を考える市民の会」代表の呉東正彦氏が米情報公開法により入手した11年3、4月の東日本大震災と福島第1原発事故当時の両艦の航海日誌によって、ジョージ・ワシントンが、一次冷却水及び放射性気体を日本のEEZ内で放出していたことが判明した。「さい塾」(ピースデポのプロジェクト)が分析に協力した。
GWはニミッツ級の原子力空母で、加圧水型原子炉2基を動力としている。1基の熱出力は約60万kwで合計約120万kwは、福島第1原発1号炉に匹敵する。
航海日誌をもとに作成した震災直後のGWの航跡図を図1、航海日誌の関連部分の抜粋訳を資料1に示す。2011年3月、大震災と原発事故発生時、同艦は定期点検中で、母港横須賀基地の12号バースに停泊していたが、3月21日、出港した。15日に福島事故に伴う放射能雲が横須賀に停泊していたGWにより検知されたことが、横須賀を出た直接の要因とみられる。27日までは本州沖の太平洋を西に向けて航海しているが、「航海日誌」に「目的地」の記載はない。4月4日、目的地に「佐世保」の名が出た後、5日、佐世保港沖に停泊した。そして、6日には佐世保を出港する。
1) 液体処理タンクから放射性液体を放出
「航海日誌」から4月8日17時32分から19時52分にかけて、四国海盆において放射能を帯びた一次冷却水を海に放出する一連の作業を行ったことがわかる(資料1)。
まず17時32分に以下の記述が出てくる。「原子炉1号機の原子炉補助室(RAR:Reactor Auxiliaries Room)の過剰液体処理タンク(ODT。以下に説明)から船外へのポンプ排出作業を開始した。」
ODTとは、米海軍原子力推進プログラムの「原子力軍艦と支援施設から出る放射性廃棄物の環境監視と処分」報告書(2014年5月)※1の記載内容から「Overflow Disposal Tank」、すなわち「過剰液体処理タンク」と推定される。
18時28分には、RARとは別の「原子炉室内底部の過剰液体処理タンク」(innerbottom ODT)について同様の作業が開始された。ほぼ同時に原子炉2号機についてもまったく同じことが行われた。2基の原子炉の、各2個ずつの過剰液体処理タンク、計4個から船外へのポンプ排出作業が約2時間20分かけて連続的に行われたのである。作業の開始、完了時には、艦の位置と陸からの距離が記録されている。
前記の米海軍原子力推進プログラムの報告書は、過剰となった一次冷却水の発生と扱いについて、次のように説明している。
「原子炉が稼働する温度まで加熱された結果、膨張して過剰となった一次冷却水は、浄水用イオン交換樹脂を経て保管タンクに移される。」この保管タンクが、航海日誌のいうODT、すなわち過剰液体処理タンクであろう。同報告書は、「原子炉の稼働に付随して発生した放射性液体は、厳格な管理のもとで海洋に排出される」とし、これらの海洋放出は、米国内の法律に適合しているとしている。さらに同報告書は、原子炉冷却水の海洋投棄は、IAEAの勧告を遵守して行うとも述べている。原子力軍艦の日本寄港に関する合意文書である「エードメモワール」やGW母港化前に出された「原子力軍艦の安全性に関するファクトシート」※2も、液体廃棄物の排出は国際基準に適合させるとしている。
一般的には、廃棄物投棄に関わる「海洋汚染防止条約(ロンドン条約)」と同条約の「96年議定書」により、放射性廃棄物の海洋投棄は禁止されている。しかし、例外的にIAEAが定める基準を遵守すれば放出も可能で、あらゆる廃棄物の放出が禁止されているわけではない。したがって、原子力軍艦の液体廃棄物が、どこかの海域で放出されていることは周知のことであった。
GWの航海日誌の分析から、今回初めて放出地点が明らかになった。しかも、その場所を詳細に検討すると、日本の排他的経済水域(以下、EEZ)内であることがわかった。
例えば17時32分の放出場所を航海日誌は、「陸地から225海里」としている。しかしこれは潮岬(和歌山県)からの距離と考えられ、最も近くの鳥島からは約189海里(図1)で明らかにEEZ内である。
日本のEEZは、本州南方の太平洋の広い範囲にわたり存在する。その中に本州、四国を初め、伊豆諸島、小笠原諸島などのいずれからも200海里以上離れた公海が、南北に長い形で存在する。その境界を図1に点線で示した。4月8日の放出地点は、この公海内ではなくEEZの中にある。
国連海洋法条約第5部・第56条(EEZにおける沿岸国の権利、管轄権及び義務)によれば、沿岸国は、自国の基線から200海里内においてEEZを設定することができ、天然資源(生物か非生物かを問わない)などの主権的権利、ならびに人工島などの設置、海洋環境の保護及び保全に関する管轄権を有するとしている。GWが放射性廃棄物(一次冷却水)を放出したのは、このような地点だった。
2) 放射性気体の大気への放出
GWは、4月12日、再び佐世保港に入港、直後の14日に出航した。そして伊豆諸島の東海域で、18日の8時57分から「推進機関ドリル」と称した訓練が行われた。訓練は、資料1にあるように稼働中の原子炉(2号機)を人為的に緊急停止させ、その直後に短時間で再起動と急速な出力上昇を行い、その23分後に臨界、そして通常稼働に至るというものであった。このような操作は、米海軍がかねてから海軍原子炉の特徴として強調してきたものであるが、その安全性につき技術的不安を払拭するような説明はなされていない。商業用原子炉の常識からすれば危険きわまりない訓練である。
その14時間後の4月18日23時48分、GWは「原子炉2号機から船外への気体の放出作業を開始」する。4月8日の液体放出と同様、作業の開始、完了時には船の位置と陸からの距離が記録されている。米海軍原子力推進プログラムの報告書は、「ヨウ素や、核分裂生成気体のクリプトン、キセノンを含む原子炉内の燃料から生成される核分裂生成物は、燃料物質内にとどまる。しかし、原子炉構造材料内の微量の天然のウラン不純物は、冷却水中に、少量の核分裂生成物を放出する」※3としている。従って、加圧状態での一次冷却水にはクリプトン85(半減期10.3年)、キセノン133(半減期5.3日)などの核分裂生成物が存在し、原子炉の起動時、熱で膨張して過剰となった高温の一次冷却水が処理タンクに保管される際、加圧状態から解放され、常圧に戻ることによって、クリプトンやキセノンが気体となってタンク内にたまっていくと考えられる。これらを大気環境に放出していたのである。
また資料1の18日23時59分の記述から、同時に放射性液体の放出も行われていた可能性がある。場所は極めて陸地に近いEEZ内である。作業地点は、青ヶ島(東京都)の東方78~86海里であるが、房総半島南端の野島崎から測っても164海里の位置であり、これも日本のEEZ内である(図1)。
3) 外務省、事実を認めたが…
9月28日、「原子力空母の横須賀母港問題を考える市民の会」(呉東正彦共同代表)※4は、外務大臣に対して航海日誌の分析からわかった上記の事実関係の確認と、米国に中止を求めるよう要請した、これに対し11月2日付で外務省北米局地位協定室からの回答が届いた(「資料2」参照)。
外務省は、「沖合い12海里以遠における」原子力空母からの放射性液体、気体の放出、及び推進機関ドリルなる訓練の事実をはじめて認めた。しかし、回答は06年11月の「ファクトシート」を単になぞったもので、安全性や環境への影響の点で問題はないと米国の主張をそのまま日本政府としての答えとしている。同文書は、原子力空母GWの母港化前に市民の理解を得ることを意図して、米政府が作成し、日本政府に手交されたものである。
しかし、回答にある放出した「放射能を合計した量は、0.4キューリー以下」の根拠となる艦船ごとの具体的なデータや、この程度の放出が「人の健康、海洋生物または環境の質に悪影響を与えていない」とする根拠となるデータは公開されていない。「推進機関ドリル」についても、米海軍の説明をそのまま述べるのみで、安全性への懸念を払拭するような説明にはなっていない。加えて、回答は、日本政府が事実をいつから認識していたのか、また放出地点の位置や日時などの具体的詳細には、一切ふれていない。また日本のEEZ内でこのような行為が行われたとの指摘を否定はしないが、それに関する外務省の見解はない。
4) EEZ内の危険行動を禁止せよ
日本政府が、横須賀配備の原子力空母(現在はR.レーガン)や寄港する原潜による、日本のEEZ内での日常的な放射性液体、気体の放出、及び推進機関ドリルなる訓練の事実を認めたことは重大である。回答を受けて、「市民の会」は、GWの過去7年間と寄港する原潜を含めた、同様の放射能放出及び訓練に関する詳細(回数、日時、場所など)を米政府に求めること、更に日本のEEZ内で行われている危険な行為の情報提供やチェックに関する具体的ルールを、政府間で協議することなど5項目の要求を提出していくとしている。
最も重要なことは、回答が見解の表明を避けている放射能の放出と「推進機関ドリル」が、ともに日本のEEZ内で実施されていることである。
原子力軍艦が、日本のEEZ内で、液体及び気体放射性物質を環境中に放出していた事実が、具体的に明らかになったのは初めてのことである。同様の放射能放出は、08年9月にGWが横須賀に配備されて以来、ある頻度で行われていたと考えられる。
ファクトシートによれば、米国は、沖合12海里内においては一次冷却水を含む液体放射能の排出を禁じている。その根拠は、沿岸国の主権が及ぶ領海での水産資源保護や環境保全への配慮であろう。EEZは領海に接続する、それに準じた海域であり、日本は天然資源などの主権的権利を有している。従って、EEZ内においても魚介類など水産資源保護の観点から放射性物質の放出に領海内と同等の規制がなされるべきであろう。少なくとも、漁業関係者への事前の周知や協議、更にはその了解を得るべきである。しかるに、上記の作業は、日本のEEZ内で、事前通知や政府間合意もないまま行われていた。日本政府は、EEZ内で水産資源の主権的権利や環境保護に関する管轄権を有する立場から、米政府に対し放射性液体及び気体放出の禁止に向けた交渉を進めるべきであろう。
そのためにも、日本政府は、米政府に対し、GW航海日誌から明らかになった、放出作業の詳細、放出された液体及び気体に含まれる物質名、放射能濃度と総量などの情報提供を求めるべきである。また同様の作業は、日本周辺海域を航行する原潜でも行われている可能性がある。GWの過去7年間については言うに及ばず、原潜についても、日本政府は米国に対して航海日誌の公開を求め、同様の放出事例について事実関係を明らかにさせるべきである。
GWの航海日誌の分析から米原子力空母は、平時においても一定の頻度で環境中に放射能を排出している事実が明らかになった。加えて、米原子力空母は一年の半分以上は母港横須賀に停泊しており、一たび事故になった場合には、神奈川をはじめ首都圏の各地に放射能をまき散らす潜在的危険性を抱えていることは言うまでもない。多摩川にある県境は、放射能雲の移動には何の関係もないことを改めて認識しておくべきであろう。
注:
※1 「原子力軍艦と支援施設から出る放射性廃棄物の環境監視と処分」報告書(米海軍原子力推進プログラム、2014年5月)。
※2 「米国の原子力軍艦の安全性に関するファクトシート」(2006年11月)。www.mofa.go.jp/mofaj/area/usa/hosho/kubo_jyoho_02.html
※3 ※1と同じ。
※4 http://cvn.jpn.org/
<資料1> G・ワシントンの航海日誌(抜粋訳)
●2011年4月8日 四国海盆
17:32 | 原子炉1号機の原子炉補助室の過剰液体処理タンクから船外へのポンプ排出作業を開始。北緯(以下N)29度45.9分、東経(以下E)136度45.3分。陸地から225海里。 |
18:11 | 原子炉1号機の原子炉補助室の過剰液体処理タンクから船外へのポンプ排出作業を完了。N29度47.8分、E136度45.8分。陸地から224海里。 |
18:28 | 原子炉1号機の原子炉室内底部の過剰液体処理タンクから船外へのポンプ排出作業を開始。N29度47.9分、E136度48.3分。陸地から227海里。 |
18:56 | 原子炉1号機の原子炉室内底部の過剰液体処理タンクから船外へのポンプ排出作業を完了。N29度49.8分、E136度48.8分。陸地から224海里。 |
●4月18日から19日
18日:2基の原子炉稼動中。
08:57 | 推進機関ドリルを開始。 |
09:02 | 原子炉2号機を緊急停止。 |
09:15 | 原子炉2号機の再稼働急速出力上昇を開始。 |
09:38 | 原子炉2号機、臨界に達する。 |
09:41 | 原子炉2号機、加熱運転ポイントに達する。 |
23:48 | 原子炉2号機から船外への気体放出作業(DEGAS)を開始。N32度18.0分、E141度24.8分。陸地から86海里。 |
23:59 | 原子炉1号機、2号機の原子炉補助室の過剰液体処理タンクの排出は進行中。 |
19日
01:47 | 原子炉2号機からの放射性気体の放出を完了。N32度19.3分、E141度22.9分。陸地から78海里。 |
<資料2> 米原子力艦の放射能放出などに関する外務省回答
2015年11月2日 外務省北米局日米地位協定室
- 従来より米国からは、沖合12海里以遠における放射性物質の放出は厳重に行われているとの説明を受けてきています。ファクトシートにも記載のあるとおり、その結果として、1973年以来、いずれの年をとっても、全ての合衆国原子力軍艦が一年間に放出したガンマ放射線を出す長寿命の放射能を合計した量は、0.4キューリー以下(14.8ギガベクレル)であり、このように低いレベルの放射能の放出は、人の健康、海洋生物又は環境の質に何らの悪影響を与えてきていないと承知しています。
- 原子炉の緊急停止及び急速出力上昇試験について
ファクトシートにも記載のあるとおり、従来より米国からは、原子力軍艦は厳しい戦闘状況下において安全に運航するため、海軍の原子炉の設計は商業炉の設計とは異なり、迅速かつ頻繁な出力の調整が安全にできるように設計されているとの説明を受けてきています。また、ご指摘の試験は、高度な訓練を受けた乗組員が規定の手続に従って実施し、また監視されるとの説明を受けています。こうした点を踏まえ、ご指摘の試験についても、原子力軍艦の安全性を十分に確保した上で行われてきているものと承知しています。
2015年11月28日
「食とみどり、水を守る全国集会」 金沢に700人集まる
平和フォーラムや農民・消費者団体による実行委員会主催の「第47回食とみどり、水を守る全国集会」が、11月27日、28日に金沢市「地場産業振興センター」で開催され、地元の石川県や北陸各県をはじめ、全都道府県から700人以上が参加しました。(写真上)
第1日目は全体集会が開かれ、主催者あいさつで石原富雄・集会実行委員長は、安倍政権によるこの間の戦争法案や原発再稼働、沖縄・辺野古新基地建設などを批判し、特に10月に大筋合意が発表された環太平洋経済連携協定(TPP)交渉について、「秘密裡の交渉は、日本の農業や食、さらに国土・環境にも打撃を与えるものだ。その内容を明らかにさせて、国会決議違反であるならば撤退をすべきだ」と強調しました。
続いて、石川県実行委員会の狩山久弥・実行委員長や、連帯あいさつに立った船塚俊克・連合石川副会長も、安倍政権の姿勢をただし、食とみどり、水を守る県内の取り組みなどを紹介しました。さらに、来賓あいさつとして、石川県知事、金沢市長(ともに代理)からも歓迎あいさつがありました。
情勢と運動の提起を勝島一博・実行委員会事務局長が行い、TPPや食の安全、農林業政策、森林や水を中心とした環境問題について、この間の動きや今後の運動課題を提起し、集会での討論を呼びかけました。
引き続いて、全体シンポジュウムが開かれ、「ローカルに未来あり─真の地域再生をめざして」をテーマに、安倍政権の「地方創生」政策に対し、真の地域の再生とは何かについて、全国の取り組みに詳しいジャーナリストの大江正章さんをコーディネーターに、北陸4県から特色のある報告がされました。(写真下)
神戸市から福井県池田町に20年前に移住した長尾伸二さんは、池田町が進める有機農業を中心とした「環境・ゆうきげんき正直農業」の実践などを報告。石川県珠洲市で製炭工場を営む大野長一郎さんは、炭作りの意義や里山を守る地域の取り組みを紹介しました。
一方、富山県南砺市にあるJA福光の齋田一除会長理事は、JA福光が進める「1町1農場」構想に向け「地域営農」における農協組織の重要性を強調。さらに新潟県長岡市の稲垣文彦さん(中越防災安全推進機構・メモリアルセンター長)は11年前の中越大震災を機に、中山間地域で地域おこしの動きが高まっている事例を紹介し、「地域再生はトップダウンではなく、ボトムアップが大切だ」と訴えました。
シンポジウムに続いて、特別報告として「TPP交渉の経過と今後の課題」について、「TPP交渉差止・違憲訴訟の会」事務局の原子秀夫さんが、TPPの問題点や各国の動きなどを説明し、「まだ協定は発効したわけではない。これからの運動が大切だ」と呼びかけました。これを受けて「TPP交渉の情報公開と撤退を求める特別決議」が、全日農の本田克巳さんから提案され、採択されました。最後に集会のまとめを勝島事務局長が行い、全体集会を終えました。
その後、会場を移して全体交流会を行い、民主党の田島一成衆議院議員や社民党の吉田忠智党首なども駆けつけ、参加者全員で懇親を深めました。
第2日目は分科会が開かれ、加賀野菜の魅力や、石川県の再生エネルギーの取り組みを学ぶ「入門講座」分科会、「食の安心・安全・安定」をめぐる分科会では、食の安全行政や学校給食、有機農業などのに関する各地の動きが討議されました。(写真左)
「食料・農業・農村」に関する分科会では、TPP交渉の他、安倍政権の農業政策の問題点や、新潟市で展開されている「農業特区」の動きも報告されました。また、森林・水を中心とした環境問題をめぐっては、森林と水との関係性、水の健全な循環に向けた取り組みや政策課題が提起されました。
さらに、戦後70年の特別企画として、山形県上山市の農民詩人の木村迪夫さんの生涯を通して、戦後の農村の変遷を描いたドキュメンタリー映画「無音の叫び声」も上映されました。
また、フィールドワークとして、石川県と富山県の集会実行委員会が企画した、富山県南砺市のJA福光米穀施設視察や世界遺産の五箇山を見学するコースと、石川県輪島市・珠洲市で千枚田や塩作り体験、地産地消弁当を賞味するコースの2つが実施されました。冬の日本海特有の厳しい気象条件にも関わらず、地域資源や文化を生かした取り組みを学びました。また、地元の高校の農業科で学ぶ生徒達が作った野菜や加工品の販売コーナーも設けられ、新鮮な加賀野菜などが人気で、たちまち完売しました。(写真右)
各分科会の詳細はこちら
なお、シンポジウムや分科会での講演・報告についての記録集が2月に発行される予定です。
2015年11月28日
第47回食とみどり、水を守る全国集会分科会報告
第1分科会「入門講座」
参加者=97人
「加賀野菜の魅力を語る」
講師=大藏捷直さん(金沢農業大学校 学校長)
「加賀野菜」とは、昭和20年以前から栽培され、現在も主として金沢で栽培されている野菜として定義されています。大藏さんからは、藩政時代より金沢の地域・風土に根ざして栽培されてきた伝統的な加賀野菜が、耐病性や均一化、大量生産・大量輸送を求める戦後の時代背景のなかで、その生産農家が激減していった歴史的経過が述べられました。一方で加賀野菜の保存・継承や生産振興の機運が高まるなかで、地元農産物のブランド力の向上を図るために関係機関が連携して金沢市農産物ブランド協会を設立し、現在では15品目が加賀野菜として認定され、生産振興と消費拡大が図られている現状が説明されました。
講演では、実物の加賀野菜が展示され、参加者は加賀野菜の持つ独特の色・形やその瑞々しさを手に取って体感しながら、加賀れんこんや金沢春菊、金時草をはじめとする加賀野菜の歴史や特徴、効能などについて、大藏さんの解説に耳を傾けました(下写真)。
意見交換のなかで大藏さんは、栽培実証圃の設置など、現在進められている振興施策とともに、担い手の確保・育成など加賀野菜が抱えている今後の課題についても言及し、参加者は加賀野菜にかかわる認識を一層深めることができました。
「身近にある再生エネルギーの可能性」
講師=山森 力さん(石川県企画振興部企画課エネルギー対策室 室長)
山森さんからは、再生可能エネルギーに係る法律上の定
義や、2012年7月に施行された固定価格買取制度のしくみとともに、石川県における再生可能エネルギーの導入状況等が説明されました。
石川県は、日照時間は全国平均を下回るものの、全国屈指の降水量のなかで、豊富な水資源や森林資源に恵まれているという地域特性を活かし、「石川らしい再生可能エネルギーの導入を推進」することを基本方針として、地域の活性化や産業振興などの政策課題の解決、また、自然環境と生活環境との調和を目指しています。
講演のなかでは、耕作放棄地を活用した太陽光発電の導入や、木質バイオマス資源の有効活用、下水汚泥からのメタンガスの活用推進といった具体的施策が紹介されるとともに、今回の会場である地場産業振興センターそのものが、太陽光パネル等を組み込んだ「エコブリッジ」や最新の省エネ技術が盛り込まれた「エコハウス」等の展示・実証を行うエネルギーマネジメントの情報発信拠点として位置づけられていることが説明され、参加者は石川県が進めるエネルギースマートゾーン構想を自ら体験していることを実感しました。
参加者から、地元との連携のあり方について質問を受けた山森さんは、石川県再生可能エネルギー導入支援融資の創設など、県内企業と大学等の産学官連携による研究開発等を促進するなかで、再生可能エネルギーの導入による県の活性化に一層取り組んでいきたいと述べました。
第2分科会「食の安心・安全・安定をめぐって」
参加者=96人
助言者=大江正章さん(ジャーナリスト)
報告者=長尾伸二さん(福井県池田町・長尾農園)
報告者=大竹瞳さん(糸魚川市能生学校給食センター)
報告者=纐纈美千世さん(日本消費者連盟事務局長)
纐纈さんからは「食の安全をめぐる最近の状況」をテーマに報告が行われました。2015年4月に食品表示法が施行されましたが、加工食品や50%ルール等、食品表示の問題点は解決されていないことが示されました。また、機能性表示食品制度は届け出制であり、責任の所在が明確になっていないこと等が指摘されました。
また、環太平洋経済連携協定(TPP)については、米国製品輸入にあたって食品表示が障壁になっていることが挙げられ、消費者の4つの権利を守るためにも、食事の機会や直接声を上げることで消費者の意思を示していくことの重要性が訴えられました。
大竹さんからは「生産者との交流給食会を実施して」をテーマに、地産地消の給食つくりの取り組みについて報告されました。給食指導の中で、子どもたちが地産地消の給食を学び、自分の地域の良さを認識するため、生産者・農協職員等との地場産会議を通じて、生産者と子どもたちが一緒に給食を食べる「交流給食会」の実施に取り組みました。交流給食会では普段給食で食べているものがどのように育てられているのかを学ぶことができ、子どもたちと生産者の心と心のつながりができたことが挙げられました。
長尾さんからは、1日目のシンポジウムに続き、子どもたちのアトピーをきっかけに池田町での農業を始めたことが報告されました。池田町では自分の家で消費するものを出荷する取り組みを行っており、使用された肥料等についても消費者へ示すこととしています。一方で、ブランドとなっている部分もあり、しっかりしたものを作らなければならないというプレッシャーもあると話されました。
池田町には有機農産物のJAS認証をされている農家はありませんが、その意義等から申請をしていない現状であると説明されました。長尾さんは、ウェブ上で農薬に関しての思いを明らかにしており、生産現場を写真等で見てもらう取り組みを続けていることも報告されました。
助言者の大江さんは、有機農業は昔から行われていたものであり、特別なものではないと強調されました。また、新規就農者の27%が有機農業を希望していることから、新規就農者が地域に入っていけるような体制を作ることが重要だと指摘がありました。
さらに、新規就農者にとって専業から始めることは大きな負担なることから、兼業就農研修制度の必要性が提起されました。また、農家民宿(民泊)のリピート率の高さに触れ、小規模でも始めていくことで、小さな収入が多く生み出されるとし、兼業を育てることが強い農業を作ると訴えました。
その後、参加者を含めて給食の「合理化」の問題、子どもの貧困における給食の重要性、新規就農者へのとりくみ等について意見交換が行われました。
第3分科会「食料、農業、農村をめぐって」
参加者=145人
講 師=谷口信和さん(東京農業大学教授)
報告者=福島伸享さん(衆議院議員)
報告者=斉藤和弘さん(新潟市農林水産部農業特区農村都市交流課長)
最初に福島伸享衆議院議員が「TPP交渉の結果と今後の展望」について報告しました。 福島さんは、「安倍政権によるTPP交渉参加は欺瞞から始まった」とし、自民党は選挙公約では「関税撤廃」をめざすTPPには反対としていたのも関わらず、すぐに翻したことを批判しました。そして、10月5日に「大筋合意」が発表されましたが、この内容は、2014年4月のオバマ大統領訪日時に、すでに農産物などは日米間でほぼできあがっていたものでした。そのため、アトランタの閣僚会議では、日本交渉団は、ひたすら「大筋合意」を促す議事進行役に終始していたことが報告されました。
福島さんは「TPP交渉を通じて何を得ることができたのか。自動車など工業製品については、攻めているつもりが攻められて、得るものは少なく、農産物等では明らかに国会決議に違反している」と指摘、さらに「安倍政権の進める農協、農業委員会の改革、農地中間管理機構、米政策などの政策は、同じ理念、思想に基づいている」とし、農業は大きな危機にあることが強調されました。
新潟市農林水産部の斎藤和弘さんは、新潟市の「革新的農業実践特区」の取り組みを報告しました。新潟市は全国トップクラスの農業力、食品製造力を持ち、食に関する産学官の高度な教育、研究、支援機関があり、2011年から「新潟ニューフードバレー構想」を推進してきました。そうした中で、国家戦略特区の指定を受け、規制改革も着実に進行しています。
齋藤さんは、特区はあくまで地方自治体が主体となって推進するもので、農業を核とした成長戦略のステップとして位置付けられているとし、「新潟の魅力、農業の力、食のすばらしさを発信し、農業特区効果を最大限に発揮しようとするものである」として、多くの実践例を紹介しました。
東京農業大学の谷口信和教授は「多様な担い手育成を通じた地域農業再建の可能性について」講演しました。その中で「日本の農政が直面する課題は家族経営の危機と地域農業であるが、アベノミクス農政では地域農業は再建できない。現場での実態を踏まえた問題点の把握と総合的な挑戦が大切である」と述べました。
さらに、アベノミクス農政が期待する企業の農業参入に対して、「家族経営の発展型としての農業法人企業、協業経営的農事組合法人、集落営農法人、JAによる農業経営など、多様な担い手を創出していくことが重要だ」と指摘しました。
討論では農業特区を中心に、多岐にわたる質疑が出され、多くの事例が紹介しながら、討議が行われ、1日目の全体シンポジウムのテーマであった「ローカルに未来があり、真の地域再生をめざす」ことの重要性がさらに深められました。
第4分科会「森林・水を中心とした環境問題をめぐって」
参加者=90人
助言者=大野長一郎さん(石川県珠洲市・大野製炭工場代表)
報告者=小林伸一さん(石川森林管理署署長)
報告者=辻谷貴文さん(全水道書記次長)
最初に、小林伸一石川森林管理署長による「森林と水の関係」の報告が行われました。 小林署長は、森林のもつ多面的機能において、洪水の軽減、水資源の貯留、水質の浄化という3つの水源かん養機能について説明しました。そして、公益的機能発揮のための問題点として、材価の低迷、森林整備の停滞を挙げ、コスト削減、木材需要の開拓、施業地の集約化等により林家収入を増やし、森林の整備を推進することが重要であると述べました。
さらに、水道事業等に広く影響を及ぼした手取川上流の国有林内での崩壊による濁水に対して、林野庁の応急対策を紹介し、「今後も関係機関や民有林所有者とも連携して地域の森林整備に努める」と報告しました。
辻谷貴文全水道書記次長は「水循環基本計画の概要と課題」と題して報告。水は公共財であるとした「水循環基本法」の具現化として「水循環基本計画」が策定されましたが、この計画を実効ある政策にするために、議員連盟のもとに設置されたフォローアップ委員会が、地下水保全法などをめぐり休止状態となっている現状を説明しました。また、水は経済財であるとして利用規制に反対し、民営化を推進すべきとする立場の者と、水は公共財であり公的管理のもとに利用には一定の規制が必要という立場の者(私たち)が議論をする場としても、フォローアップ委員会を再開させ、超党派の議員連盟を再構築する必要があることを強調、縦割りの水行政を一つの省庁にまとめ統合的に管理する必要性を述べました。
さらに、水道事業について、民営化され問題が多いイングランドや、民営化に失敗し再公営化されたパリ市などの事例が世界的に散在するにも関わらず、公的管理のもとに高い技術を持ち、安全で安定した水道サービスとして世界的にも評価の高い日本の水道事業を、国策として民営化する動きが進んでいるのは非常に問題があるとし、市民の生活を守るために持続可能な公営水道事業を展望していく必要があると訴えました。
助言者の大野長一郎さんは、炭焼きは1次産業全般に関わることができるものであり、また里山里海などの環境保全にも貢献できるとして、その活用が呼び掛けられました。
参加者から、地下水の利用制限の状況や林業などにおける人材育成、林業への助成金の必要性などの質問が出され、報告者からは、地下水利用規制は地域での議論が必要なこと、緑の雇用制度が林業就業にもたらす効果、小規模林業を集約化する取り組みの推進、森林の公共性についての教育の必要性などが指摘されました。さらに、地下水は誰のものかというコンセンサスと利用のルールづくりの必要性、熊本市などが条例で地下水利用を定めている事例などの意見も出されました。
第5分科会「無音の叫び声 農民詩人 木村迪夫の牧野村物語」
参加者=87人
解説者=原村政樹さん(本作映画監督)
戦後70周年企画として映画上映を行い、後半は原村政樹監督から映画に関する解説を受け、質疑応答を行いました。
映画の主人公は、農民詩人として高い評価をうけて来た木村迪夫さん。映画は彼の詩の朗読を織り交ぜながら実に淡々と進行していきます。しかし映画の内容は、詩人としての半生を映し出すだけではなく、木村さんの人生を辿りながら、山形県上山市牧野村という農村の歴史、70年代以降の出稼ぎ労働者の姿、さらには深刻化する過疎化の問題なども同時に描き出しています。122分という上映時間には、現代日本の農村に関するあらゆる要素が濃縮されています。
特に戦後70年特別企画というにふさわしく、木村さんの人生に戦争の爪跡がどれだけ深く残っているのかということも描き出されています。木村さんの父親は3度にわたる召集の末に、とうとう帰らぬ人となりました。木村さんは「こんなむごたらしい戦争は長続きしない」と語り、反戦平和を訴え続けて来ました。そして叔父の遺骨が埋まっている太平洋のウェーキ島にも政府派遣の遺骨収集団として赴き、当時の団員とは現在でも親交を重ねています。
農民として、詩人として、そして平和を愛するひとりの人間として、木村さんが一生懸命に生きて来たことが伝わってきました。「農民詩人の半生を描いた映画」という情報しか持たずにこの映画を見た人ならば、意外とも思えるシーンかもしれませんが、これこそがこの映画の醍醐味なのかもしれません。
質疑応答の中で原村監督は「有機農業や、画期的なことを行っている農家の方が注目されやすいが、一方、木村さんはいわゆる普通の農家だ。減反政策や過疎化の波を受け続けてきた。しかし、こんな農家だからこそ特に描きたかった」と語られました。木村さんがすぐれた詩をいくつも残され、「ただの農家でうずもれたくない」という意志を持ってきた人だからこそ、こうした映画が実現したのかもしれません。
フィールドワークAコース「次代へつなぐ地域農業と生きた世界遺産」
参加者=41人
富山県南砺市にある「JA福光」の視察及び世界遺産の五箇山見学を行いました。
JA福光においては、取り組み概要の説明を受け意見交換を行い、施設を見学しました(写真)。JA福光は、1日目の全体シンポジウムにパネラーとして参加された齋田一除さんが会長理事を務められており、地域全体が一つの農場のように運営・機能させる「一町一農場」をめざす農協という説明がありました。
独自の地域農業システムを構築し、全国でも珍しい5基のカントリーエレベーターを1箇所に集中させて、徹底的なコスト削減、栽培技術指導、全サイロの同一品質管理を行い、福光ブランドとして販売促進を行い地域農業・農家の営農を支援しているなど、事業の説明がありました。また、組合員の自家消費米もJA施設で保管されており、組合員はいつでも必要な時に「今擦り米」が食べられるシステムとなっているとの説明もありました。
意見交換では、米販売戦略、飼料米の取り組み、自家消費米の具体的なシステムなどについての質問がありました。カントリーエレベーターや隣接する農産物等直場所を見学して視察を終えました。
引き続き、五箇山に向かいました。道の駅「ささら館」で地元料理を堪能した後、相倉合掌集落を訪れ、現地ガイドから世界遺産に指定された頃の様子や、集落を保存するための苦労話、昔の集落の生活、合掌作りの特徴・造り方など写真も使った説明をうけました。
自由散策では、今も人々が暮らしている世界遺産の家や民族資料館、産業展示館等の見学をしました。厳しい自然の中で、農業を営みながら、四季を通していろいろな知恵を出し、工夫して生活していた様子を感じることができました。
最後に、国の重要文化財に指定されている合掌作りの「村上家」を見学しました。囲炉裏を囲み、薬草茶を飲みながら当主の説明を聞きました。平安時代からの歴史や合掌作りでの生活ぶりの説明を聞き、実際に古くから伝わる民謡「放下僧のささら踊り」の披露もあり、五箇山の生活を知ることができました。参加者も、囲炉裏の温もりを感じながら真剣に当主の説明を聞いていました。
バスの中では、富山弁講座も行い、より現地を感じることができました。
フィールドワークBコース「まっとったわいね!能登の里山里海」
参加者=40人
まず、日本で唯一、車で走れる千里浜海岸が浸食されている問題について、石川県議会議員の本吉淨与さんから車中で講義を受けました。この現状を放置しておけば、近い将来、海岸がなくなってしまうことで、石川県では現在、試行錯誤の対策を取っているとのことでした。
次に、輪島市の千枚田については、輪島市職員の延命公丈さんが解説され、ボランティアの人たちにより千枚田の耕作が維持されている現状を、景観をみながら実感しました(写真)。
さらに、揚浜塩田の視察では、NHKの朝の連続ドラマ「まれ」で有名になった揚浜塩田による塩作り方法を学びました。
最後に珠洲市の「木ノ浦ビレッジ」で、地元のお母さんたちが作った地産地消の手作り弁当を食べながら、星陵大学特任教授の澤信俊さんの「持続可能な地域作り」と題した講義を受けました。能登地域は高齢化が加速しており、その中でも珠洲市は高齢化率が4割を超えている現状にありますが、地域の活性化のためを思ってがんばっている人たちがたくさんいます。澤さんはそのような人たちの意気込みに共感し、金沢市から珠洲市の限界集落である日置(ひき)地区に居住しました。
講義では、日置地区はもとより、珠洲市全体にまだまだ元気があること。現在住んでいる人は、地元に仕事がないからと子どもを都会に出したことが高齢化や過疎をまねいた原因だとして後悔していると指摘されました。そこで現在、その対策として、孫が帰って来て少しでも生活ができる環境作りを行っています。「木ノ浦ビレッジ」も建物は市が建て、運営は地元住民の出資による株式会社で行っているとのことです。
政府は「地方創生」の推進を図り、地方を活性化し人口減少を食い止める対策を強化するとしていますが、澤さんは「ようやく政府も気づいた。自分たちが進めてきたことに間違いはなかった、珠洲市はまだまだ元気になる」と意気込んでいました。
2015年11月27日
第47回食とみどり、水を守る全国集会 特別決議
TPP交渉の情報公開と「合意」からの撤退を求める決議
環太平洋経済連携協定(TPP)交渉は、10月5日、アメリカ・アトランタで開かれた閣僚会合で「大筋合意」に至ったとの発表がなされました。その後、11月5日には条文案(暫定)が公表されました。しかし、交渉の過程における情報公開や市民参加は極めて不十分であり、有権者の代表である国会議員への情報公開すらほとんど行われないまま、交渉が進められてきました。また、条文案の日本語訳も極めて簡略化されたものでしかなく、他国での公表内容とは大きく異なっています。
2013年4月に、日本の交渉参加にあたって衆参農林水産委員会で行われた決議では、農林水産物の重要品目の関税撤廃を認めないことや、食の安全・安心・安定生産の確保、企業が相手国を訴えることが出来るISDS条項(投資家対国家間の紛争解決条項)反対などを決議し、それが確保できない場合は、脱退も辞さないものとしました。しかし、日米協議で譲歩を重ね、コメの輸入枠設定や牛・豚肉の関税大幅引き下げなどを受け入れました。また、食の安全や医療、ISDS条項など、国会決議を踏みにじる内容であるという懸念が高まっています。
安倍政権は、自らの公約や国会決議、さらには「説明不十分」という国民世論も無視して秘密交渉を続け、終始、交渉の合意に前のめりの姿勢を取り続けました。また、安倍政権は安全保障政策とTPPをリンクさせることをめざしています。これは、戦争法案とともに、米国追従、日米同盟の強化を目論んだものと言わざるをえません。
今後、各国では協定の発効に向け、署名と議会批准などの手続きが行われます。また、日本政府は早々に関連政策大綱を打ち出しています。しかし、それらに先だって、TPP交渉の過程を含めて、情報公開の徹底、市民参加の政府説明会と対話、新たな影響試算、パブリックコメントの実施、国会における徹底した審議を行うことを求めます。そして、国会決議に違反する場合は「合意」から撤退するよう強く要求します。
私たちはこれまで、全国で多くの人たちと力を合わせて、宣伝や集会、学習会、フォーラムや国際シンポジウムなどを展開してきました。また、世界の人たちとも連帯し、不公正な通商交渉に反対してきました。今後とも、国内外の関係団体とともに、TPP交渉の問題点を追及し、国会決議違反、民意を無視したTPP協定の発効を許さない取り組みに全力をあげます。
以上、決議します。
2015年11月27日
第47回食とみどり、水を守る全国集会 参加者一同
2015年11月16日
不戦と民主主義-戦後の誓いを忘れない-意法理念の実現をめざす第52回大会アピール
日本国憲法の根幹をなす「平和主義」「主権在民」「基本的人権の尊重」。戦後70年を迎え、これらの本格的な危機の最中にある私たちは、「憲法理念の実現をめざす第52回大会」を、11月14日から16日の日程で、青森県・青森市の地で開催しました。
私たちは、昨年来、安倍政権の憲法破壊の攻撃に対決するたたかいに全力をもってとりくんできました。2014年3月に発足した「戦争をさせない1000人委員会」に結集しながら、「集団的自衛権」行使容認の閣議決定阻止のとりくみをすすめてきました。また、「戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会」を立ち上げ、さらに多くの市民との連帯の輪を拡げながら、安倍政権と国会をゆるがす一大運動の創出に向け尽力してきました。
昨年7月に強行された閣議決定に基づき、「集団的自衛権」行使に踏み込むための10法一括改「正」案(「平和安全法制整備法案」)と外国軍の戦闘を支援するための1法案(「国際平和支援法案」)からなる戦争法案の即時廃案を求め、多くの市民とともにたたかいぬきました。とりわけ、8月30日の「戦争法案廃案!安倍政権退陣!8.30国会10万人・全国100万人大行動」は国会周辺で約12万人、全国1000か所を超える場所での同時行動として行われました。
「戦争をさせない1000人委員会」を先頭に、戦争法案廃案を求める運動が全国各地に大きく広がりました。さらに、学者、法律家、宗教者、女性、学生などさまざまな立場の人びとがそれぞれ主体的に立ち上がり、戦争法案と安倍政権にNO!の声をつきつけました。私たちのたたかいが政府・与党をぎりぎりまで追い詰めたことはあきらかです。
しかしながら、横暴を極める政府・与党は議会内多数をいいことに、9月19日、強行採決に至りました。さらに安倍政権は、沖縄県民の民意を踏みにじりながら辺野古への新基地建設を強行しようとしています。また、いますすめられている格差拡大の経済政策、、労働法制の改悪、排外主義煽動、国家主義教育への回帰、原発再稼働、TPP参加。これらは人間の尊厳を支える生活と人権を破壊する暴挙です。そして、来年の参議院選挙で憲法改正に必要な参議院での3分の2以上の議席確保、ひいては国民投票による憲法改正をめざしています。
私たちは、この3日間のなかで、この間の運動が切り拓いた成果を確認しあうとともに、力及ばなかった現実を率直に見つめなおしてきました。70年前、侵略戦争と植民地支配の反省にたって、私たちは不戦と民主主義の確立を誓ったのではなかったでしょうか。日本社会の抱える問題を見据えながら、憲法理念を実現するための「不断の努力」を重ねてきたのではなかったでしょうか。憲法とそれにこめられた人びとの願いを踏みにじる安倍政権を許してはなりません。
きびしい情勢にはありますが、私たちはあきらめていません。この間のたたかいのなかで、私たち自身の力で安倍政権を退陣させ、「戦争法」を廃止し、平和な未来を切り拓くことができるという展望を掴み取っています。「戦争をさせない1000人委員会」のネットワークを県単位から市町村単位へ、しっかりと根を張りながら地域の市民運動との連携をつくりだしましょう。「戦争法の廃止を求める統一署名」のとりくみを全力で展開しましょう。多くの人びとの共同の力で、来年の参議院選挙に必ず勝利し、安倍政権の退陣・政策転換を実現しましょう。
私たちの未来を、命の尊厳を、そして憲法を、安倍政権から奪い返しましょう。そのためにともにがんばりあう決意を確認し、大会アピールとします。
2015年11月16日
憲法理念の実現をめざす第52回大会(護憲大会)閉会総会 まとめ 藤本泰成事務局長
3日間にわたり、この青森で真摯な議論をいただきました。本当にありがとうございます。もとより議論の全てに渡ってまとめることは困難です、皆さんには、それぞれのまとめがあると思いますが、ここでは私なりの報告をさせていただき「まとめ」としたいと思います。
2015年、戦後70年の激動の一年が、もう少しで終わろうとしています。安倍政権は、「消費税や年金と違い、国民生活にすぐに直接の影響がない。法案が成立すれば国民は忘れる」と、市民社会を愚弄しつつ、反対の声を押し切って「安全保障関連法」私たちが思う「戦争法」を強行成立させました。侵略戦争と植民地支配の反省から生まれた憲法の平和主義を、単なる閣議決定と数の力で、圧倒的な市民社会の反対を押し切りました。
この戦争法の成立を、シンポジウムの中で、中野晃一さんは「クーデター」といいました。前田哲男さんもそのリポートの中で、「クーデター」との言葉で表現しています。クーデターと言う言葉は、広辞苑を引くと「非合法的手段に訴えて政権を奪うこと」と説明されています。つまり、この戦争法は民主的手続きを経ず、非合法的に成立したということ、市民社会のほとんどがそう感じたのだと思います。
中野さんは、安全保障は憲法の範囲内で行うべきであり、安倍首相のいう積極的平和主義は、決して日本社会の安全を保障しないと述べています。軍事力に頼むことで安全保障が成立するというのは幻想に過ぎない。そのことは、2001年の9月11日の同時多発テロが証明しています。パリ時間13日夜、私たちが今大会の開会を迎えるという朝に、サッカーやコンサートを楽しむパリの市民に、爆弾と銃撃の嵐が襲い、132人が死亡したという衝撃的な事件が発生しました。犠牲になられたパリの市民の冥福をお祈りいたします。平和を求める私たちは、イスラム国の暴挙を許すことはできません。しかし、欧米諸国のこれまでのあり方にも大きな問題があります。
米国による対テロ戦争、イラク戦争やアフガン戦争によって、決して平和を作り出すことはできませんでした。力で強いものが弱いものをねじ伏せる、そのことで自発的な服従を強いる。しかし、人間の尊厳は、決してそのような事態を許すことはありません。「武力で平和はつくれない」と、日本の市民社会は常にそのことを意識してきたのです。
平和憲法の危機であるとする市民社会の意識と感覚は、「戦争させない・9条壊すな総がかり行動実行員会」の運動に結実し、国会周辺で12万人もの人々が「戦争法」反対の声を上げました。
人々がつながることで、新しい市民社会の動きができています。鎌田慧さんはその力を、大江健三郎さんの「侮辱」と言う言葉を引いて、憲法前文の「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすることの決意」と「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようとした決意」と、二つの大切な日本社会の決意を、安倍首相が勝手に潰したことを、日本社会への「侮辱」と表現し、そのことが市民の大きな動きにつながったとの認識を示しました。
中野さんは、この動きを、自分と同じではない人が、同じ目的に向かう、それぞれの他者性を認めながらの運動であり、「ここに来ると同じ思いを持っている人がいる」という安心感の中での運動だと分析しています。
長野の戦争をさせない1000人委員会の運動に関わる喜多英之さんの報告にも、多様性を認めるという運動の姿勢、鎌田さんが言う柔軟な運動の姿がありました。それぞれがそれぞれの違いを認め合うこと、その基本的姿勢は平和への大切な力であり、民主主義の基本なのです。
私たちみんなで立ち上げた、そして、多くの人が全国で参加してくれている「戦争をさせない1000人委員会」。中野さんは、総がかり行動が「敷き布団」、それがあったから、多くの掛け布団、多くの組織が生まれたと表現されました。暖かい社会をつくっていくために、私たちは、その敷き布団をもっともっと厚くしていきましょう。
基調提案で触れなくてはならない大きな課題がありました。時間の関係で省いたことを私は悔いています。第1分科会そしてひろばで、今日の特別報告で触れられた沖縄の基地問題、米海兵隊普天間基地の代替としての辺野古新基地建設問題です。
そこには、法の設置目的をねじ曲げて恣意的に運用した行政不服審査や地元市民を分断しようとする行政区への補助金の交付など、翁長知事の埋め立て申請の取り消しを79%の市民が支持している沖縄を無視した、安倍政権の実態が報告されています。安倍政権は、翁長知事の主張を無視し、強引に基地建設工事を続行しています。
私はこれらの報告を聞きながら、日本には二つの植民地政策が存在すると感じました。日本政府による沖縄の植民地化、そして米国による日本の植民地化です。私たちは、市民社会の主体的な判断として、これらの植民地政策に立ち向かわなくてはなりません。
この青森にも、三沢基地が存在します。防衛省が次期主力戦闘機に決定しているF35が配備される予定ともいわれています。この戦闘機も、あの危険なオスプレイ同様に、開発段階で多くの問題が発生し、開発の遅れと巨額な費用が大きな批判を生んでいます。米国、そしてそれに追随する安倍政権の強引な基地政策をこれ以上許すことはできません。
シンポジウムで、憲法学者の清水政彦さんは、「テロの背景には、世界の貧困問題がある。日本国憲法がいう、「専制と隷従、圧迫と偏狭を永遠に除去し、そして恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利」という理想を、世界で実現しなくてはならないと指摘しています。
日本社会では、子どもの貧困が、社会問題化しています。神奈川の県立高校、学力不足の子どもたち受け入れる「チャレンジスクール」の校長である中野和己さんからの報告は、きわめてきびしい子どもたちの置かれている現実、そして、そのことを放置する政府や教育委員会のあり方を、子どもたちに寄り添ってきた立場から話されました。
学力不足の子どもたちの多くが年収220万円以下の貧困家庭、また生活保護家庭に育ち、家庭内に何らかのトラブルを抱えながら、アルバイトを余儀なくされる現状が語られ、その結果としての基礎学力不足、大人への不信感、人間関係を維持することへの脆弱さなどを持ってることを明らかにし、貧困に落ち込んだ子どもたちの、その中から抜け出すことがいかに困難かが語られました。ボランティアやNGO等を巻き込んだ学習支援やキャリア支援などを受けながらの教育実践、学校だけではどうにもならない現実があります。
同じく第4分科会の荒巻さんのレポートは、「紛争や災害が多発している今日の国際状況や東日本大震災・福島原発事故は、『全世界の国民』の『ひとしく恐怖と欠乏から免がれ、平和のうちに生存する権利』の実現に緊急かつ真摯に向き合うことを求めています」と結んでいます。
平和学の権威、ヨハン・ガルトゥング博士が言うところの積極的平和は、まさにそのことを実現していこうとするとりくみに他なりません。
「子どもの貧困」と題する朝日新聞の特集記事には、多くの市民の声が載せられています。
「離婚した友人が2人の子どもを抱え、一気に貧困化しました」「本当に困っていても自己責任論が強く、親はなかなか相談しずらい」との声があります。
8年前に離婚した3人の子どもの母親は、「ごめんねと思うのは一緒にいてあげられる時間が少ないことです。次女は『休んだらお給料が減るから来なくていいよ』とよく言っていました」「精神的に追い込まれ、働く意欲がわかなかったり、周りの目が気になって援助の申請ができなかったりする人の気持ち、よく分かります。だから、『申請してこないなら自己責任』と門切り型に切り捨てるのはどうか辞めて欲しい」と訴えています。
国の論理による、国家の「安全保障」のためには、5兆円を超える防衛費を計上しながら、憲法に規定された「生存権」の保障には、全く目を向けていない政府の姿勢が、市民一人ひとりの声からも浮かび上がってきます。
今年度のノーベル文学賞は、ベラルーシの作家スベトラーナ・アレクシェービッチさんに授与されました。「戦争は女の顔をしていない」「ボタン穴から見た戦争」そして有名な「チェルノブイリの祈り」などの著書のあるノンフィクション作家です。
東京大学の沼野充義教授は、朝日新聞の書評の中で「あくまでも被災者に寄り添い、ひたすら人々の気持ちを再現しようと努める」と彼女の作品を評し、そのことが「『国家の論理』を振りかざす権力に対する、しなやかな抵抗になるのは当然のことだろうと」書き、そして、「戦争と死についてきちんと書くことこそが、平和と生の最も雄弁な擁護になるのだ」と結んでいます。
私たちは、2011年の3月11日、あの東北地方太平洋沿岸を襲った巨大地震と原発事故以降、「一人ひとりの『いのち』に寄り添う政治と社会」を求めて、とりくみをすすめてきました。
ここ青森は、核燃料サイクル計画の中心を担う「六ヶ所再処理工場施設」が存在します。このことは、大会の中心課題として議論されました。福井県の敦賀市の「高速増殖炉もんじゅ」の計画を含めて、全く先の見えない計画がなぜ続いていくのか、原子力資料情報室の伴秀幸さんの報告に、「立地自治体などが、核燃マネー依存から抜け出せない」「一部の政治家や学者の既得権益の維持」「莫大な建設投資」などの言葉があります。そこには、私たち市民社会に寄り添う政治の姿勢は、全く見えてきません。
来年の5月3日の憲法集会も、「いのち」の問題を基本に据えて、開催する予定です。
「明日を決めるのは私たち!」これが、今の日本を変えるキーワードです。
私たちの手で、私たちの未来を変える!
また一年、それぞれの場所で、それぞれの立場で、頑張ることの決意を確認し合い、そして、本大会が、青森の皆さまを中心に、多くの仲間の力で、盛会に終わることができましたことに感謝し、「まとめ」といたします。
2015年11月16日
1800人参加し青森で「不戦と民主主義─戦後の誓いを忘れない 憲法理念の実現をめざす第52回大会(護憲大会)」
「不戦と民主主義─戦後の誓いを忘れない 憲法理念の実現をめざす第52回大会(護憲大会)」を正式名称に、11月14日から16日までの日程で、青森市のリンクステーション青森(青森市民文化会館)をメイン会場に、全国・青森からの1800人が参加して開催されました。全国47都道府県持ち回りで行われる護憲大会の、青森での開催は初めて。全国39番目の開催県となりました。
今回の大会は、安倍内閣のもとで、明白に憲法違反である「戦争法」が、9月19日に国会で強行成立され、立憲主義そのものが崩される危機的事態を迎えたなかでのものとなりました。この安倍政権を打ち倒すために総力で対決するとりくみをいかに築くかが問われる大会です。
大会は、第1日に開会総会・シンポジウム、第2日に分科会・フィールドワーク・ひろば、最終日に閉会総会という日程で行われます。第1日目には、関連企画として「青森大空襲パネル展」も行われました。
11月14日の開会総会は冷え込みはないものの小雨そぼ降る天候のもと行われました。前段のオープニングでは、青森市在住で津軽を代表する津軽三味線、尺八、横笛奏者の山上進さんたちによる演奏と踊りが行われました。
開会総会は、総合司会として青森県実行委員会副委員長の近藤秀仁さんとI女性会議青森県本部議長魚の高沢陽子さんが進行しました。最初に、福山真劫・実行委員長の主催者あいさつ、つづいて、所用予定の重なる鹿内博・青森市長が予定順を繰り上げて来賓あいさつ、そして金澤茂・青森県実行委員会委員長(弁護士)の地元あいさつ、 近藤昭一・民主党幹事長代理(衆議院議員、立憲フォーラム代表)、吉田忠智・社会民主党党首(参議院議員)、南部美智代・連合副事務局長の連帯あいさつをそれぞれ行うとともに、出席した地元青森の民主党、社民党、連合の代表が紹介されました。
このうち福山実行委員長は、「総がかり行動実行委員会」を軸とした戦争法反対の闘いの高揚について「次の闘いへの展望と希望を確集につくり出した」と振り返った上で、当面の課題として戦争法発動阻止・廃止・立憲主義確立、沖縄連帯・辺野古新基地建設阻止、貧困・格差社会の是正、参院選勝利などを挙げ、とくに「参院選は野党共闘しないと勝てない。ともに頑張ろう」と強調し、国政選挙での自民党の得票数を上回る「2000万署名を成功させれば参院選も絶対勝てる」と訴えました。鹿内市長は「集団的自衛権の行使は憲法違反と考えている」と明言。「憲法を変えようとする、そして憲法理念に背く動きを食い止める力は、まさにかつてのベ平連のような市民一人ひとりの力」と述べ、護憲大会への期待感を示しました。金澤県実行委員長は、「戦争をしない国」を誇りにしてきた者として「9月19日以降、私は祖国を失い亡国の民となった」と述べ、「戦争する国は文字通り偽物の国。何としても私たちの国、戦争しない国を取り戻さなければならない」と行動提起。また、野党共闘について「多くの人々が来年の選挙も含めて野党間協力の確かな実現を固唾を呑み、祈るような気持ちで見守っている」と指摘しました。吉田党首は「戦争法にどう歯止めをかけるかが課題。憲法を守らない安倍政権打倒のため、来年の参院選は大きな意味を持つ。踏み込んだ選挙協力をしなければ暴走を許すことになる。各党党首と膝詰めで議論し、全力で戦う」とあいさつしました。
これらを受けて、藤本泰成実行委員会事務局長が基調提案し、改憲阻止を呼びかけました。
→福山真劫実行委員長の主催者あいさつ →金澤茂青森県実行委員長の地元歓迎あいさつ →藤本泰成事務局長の大会基調提案 →大会基調全文
開会総会に引き続いて開かれた「戦争法阻止、立憲主義確立、憲法擁護のため私たちは今後どう闘うのか」と題したシンポジウムは、大会実行委員長を務める福山真劫・平和フォーラム代表を司会・コーディネータ。パネリストは、上智大学教授の中野晃一さん、日本体育大学教授の清水雅彦さん、ルポライターの鎌田慧さん、戦争をさせない1000人委員会・信州事務局の喜多英之さん。そのれぞれの立場で昨年から今年にかけての安倍政治に対するとりくみを報告するとともに、今後の展開に向けて意見交換しました。
中野教授は、冒頭の発言で護憲大会直前に起きたパリ同時多発テロに関して「このことが明らかにするのはアメリカが主導するような対テロ戦争のようなものが誰も安全にしていないこと」と指摘。その上で、「テロリストをつくるような風土をつくる政治のあり方」とは対極にあるものであり、個人の自由と専厳を守る社会を目指す私たちにふさわしいものとして、「違ったまま手を携える新しい運動の形がいま出てきている」と述べ、これが「今回の運動の強さ」だとするとともに、「安全保障は憲法の範囲内で行うべきであり、安倍首相のいう積極的平和主義は決して日本社会の安全を保障しない」「アメリカが世界中でしたい戦争に日本が、肩代わり、参入していくことだ」と述べました。また、討論の中でも、今回の運動が示した特質について「つながることによってすでに変わり出している現実があった」と発言。「他者性を受け入れた上での闘いができた」と、あらためて強調しました。
清水教授も、フランスでのテロについて発言。「テロの背景には、世界の貧困問題がある。日本政府がすべきことはアメリカの対テロ戦争に協力、参加しないだけでなく、日本国憲法の『平和のうちに生存する権利』という理想を、世界から貧困問題をなくすことを実現することが求められる」と指摘しました。また、今回の「運動の土台をつくったのは総がかり行動実行委員会」と指摘。同実行委の果たした役割は60年闘争のときの安保改定阻止国民会議に匹敵するものだと評価するとともに、共産党系市民団体との共闘に踏み切った「1000人委員会」の決断は大きかったとした。総がかり行動の発揮した肯定的機能としては、「一緒にやることによって参加しやすくなったこと」「運動が政党、国会議員を変えたこと」を挙げました。今後の展望については「反対の声が強ければ、簡単に自衛隊は海外に出ていけないという状況をつくることができる」と強調。今回反対の声を上げた憲法研究者をぜひ運動に活用してほしいと要請しました。
鎌田さんも、パリでのテロについて「軍事同盟をやったらどうなるかということが今回のパリの事件に象徴されている」と話すとともに、戦争をしないという大切な日本社会の決意を、安倍首相が勝手に潰したことを「侮辱」と表現し「そのことが市民の大きな動きにつながった」との認識を示し、「私たちが力を入れて頑張ればそれに応えてくれる人たちがいる」と振り返った上で、「言葉と行動をどういうふうにつなげていくかということが問われている」と問題提起。「さようなら原発1000万人アクション」の「さようなら」には「原発の時代は終わった」という意味を込めたこと、「戦争をさせない1000人委員会」の「させない」は戦争の前に立ちはだかるという能動的なイメージが投影されていることなどを紹介するとともに、学生団体シールズの言葉が人々の心に届いた要因として、「民主主義って何だ」と仲間に問いかけ、「勝手に決めるな」とあらためて政治権力に要求するという双方向性があると指摘。「民主主義の根源的なところから発する言葉が人の心を動かした」と総括しました。
喜多さんは、長野の1000人委運動について、団体共闘プラス・アルファという従来のあり方と比べて「質が違った運動ができた」と述べ、その参加・交流型の性格を強調。具体的表れとして、県の1000人委の指示がなくても地域単位の1000人委が運動を継続していること。呼びかけ人164人は単に名を連ねるだけでなく各自の専門分野を生かして実際の行動に参加してもらうこと、地域・生活圏単位で県内13の1000人委が結成され独自の取り組みを展開したことを挙げ、多様性を認めあう柔軟な運動が県内に広がったことを報告しました。労働運動の立場から見た今後の課題に関しては、戦争法は労組にとっての試金石となる課題だったとした上で「全力で闘い切ったのか、市民の意識に乗り越えられていないのか、そういう点を総括しなければならない」と発言。組合員一人ひとりに届く職域段階での運動を強めたいとしました。
第1日目は最後に三上武志青森県実行委員会副委員長が閉会あいさつをして終了しました。
第2日の11月15日は、午前から「非核・平和・安全保障」、「地球環境-脱原発に向けて」、「歴史認識と戦後補償」、「教育と子どもの権利」、「人権確立」、「地方の自立・市民政治」、「憲法」の7分科会、「六ヶ所・三沢コース」と「車力・五所川原コース」の2つのコースのフィールドワーク、午後には「男女共同参画-女性と人権」、「辺野古新基地建設反対・沖縄基地問題交流会」、「六ヶ所再処理工場建設をめぐる青森県の原発推進施策」の3つの「ひろば」、特別分科会「運動交流」が行われました。
このうち、「非核・平和・安全保障」分科会は、軍事ジャーナリストの前田哲男さん、沖縄平和運動センター事務局長の大城悟さんの2人を問題提起者に迎えて開かれました。前田さんは、戦争法は4月末改定合意の新日米ガイドライン(防衛協力指針)を実行するために制定されたにもかかわらず、国会などでの新指針に関する論議は極めて不十分なままだと強調。新指針で「新たな、平時から利用可能な同盟調整メカニズムを設置」するとされた同メカニズムの始動が3日の日米防衛相会談で確認されたこと、また、続く6日の日越防衛相会談では南シナ海に臨むカムラン湾の海軍基地への海上自衛隊艦船寄港が合意されたことに注意を促し、「戦争法はまだ施行されていないが、ガイドラインは実行されるというおかしな事態が生じている」と警鐘を打ちました。自衛隊統合幕僚幹部が法案成立を先取りして作成したとされ、国会で問題となった文書には、同メカニズム内に「運用面の調整を実施する軍軍間の調整所が設置される予定」と明記されています。「駆けつけ警護」などを可能とする戦争法施行を前提にすると、南スーダン派遣PKO部隊の任務の変更が予想されることと関連して、今後の派遣の主力は施設料部隊(工兵)から普通科部隊(歩兵)に移ると指摘しました。大城さんは、辺野古の現状と展望について報告。11月12日に再開された大浦湾の海底ボーリング調査に関して、1.再開は調査が終わっていないこと、すなわち国と県との間の設計協議が完了していないことを意味するにもかかわらず、国は実施設計書などを提出して埋め立て工事の既成事実化をもくろんでいる、2.反対派を排除するために設定した立ち入り制限区域(水域)の根拠を維潜するために、調査期間は引き延ばされる可能性があると指摘。さらに今後のポイントとして、土砂運搬方法の変更および工事に伴う水路(名護市の美謝川)の切り替えに関する埋め立ての「工法変更協議」が完了していないことを挙げて「国が埋め立てを進めるには大きなハードル」と述べ、全国の注目を訴えました。
「地方の自立・市民政治」分科会では、福島と沖縄の課題から地方自治や地方の自立について考えることをテーマに、東京自治研究センターの伊藤久雄さんが講演。また、自治労沖縄県本部の平良誠さんが、辺野古をめぐる状況を中心に、日本政府と米国に自治権を侵害され続けている沖縄の現状について話をしました。福島県では次々と「避難解除」が進められている。田村市都路地区、川内村東部に続き、9月5日には、原発事故により全域避難となっていた楢葉町(人口約7400人)の遊、難指示が解除されたが、10月末時点の帰還率は4%ほど。しかし、政府は福島第1原発のある大熊町や双葉町などの帰還困難区域を除いて2017年3月までに避難指示解除準備区域と居住制限区域での避難指示を解除し、自主避難者への住宅支援を打ち切る方針を打ち出しています。また、精神的損害賠償についても18年3月で終了するとしています。これらについて伊藤さんは「原発事故をなかったことにしたいという現政権の姿勢が露骨に出ている」と批判。また、中間貯蔵施設の建設をめぐって、地権者2365人のうち現地調査に同意したのは570人で、用地買収に同意した人はわずか9人(9月末)という現状を示し、「汚染土が行き場を失い、県内の市町村同士、住民同士の対立を生んでしまうこと。根本的な問題は、住民と国・自治体との甚だしい乖離(かいり)」と指摘しました。平良さんは、辺野古問題について「地方自治や市民政治の観点からも沖縄の民意はこれ以上ないほどに示されている」としつつ、11月4日からキャンプ・シュワブのゲート前に配置されている警視庁機動隊や、海上保安庁などによりエスカレートする権力の暴力行為について「ここまでの強硬姿勢はかつてなかった。安倍政権が沖縄の温度差を感じ取っているからだ」と話しました。翁長沖縄県知事が行なった辺野古埋め立て承認取り消し処分に対し、国が自らを「私人」として行政不服審査法に基づく審査請求と執行停止申し立てを国交相に行なったたことについて、平良さんは「私人と国家権力の使い分けは許されない」と批判。2000年の地方分権改革により、国と地方の関係は対等となった。それを受けて設置された国地方係争処理委員会に沖縄県は審査を申し出た。国の関与に対する審査申し出は初の事例となる。伊藤さんは「翁長知事の姿勢や、国と争うことは、地方自治の観点からも非常に意義がある」と述べました。また、伊藤さんは各種選挙の投票率の低さに触れ「まず、来年の参院選は野党が結束して争点を明確する必要がある」とし、平良さんは「沖縄の声を代弁する政治家を送り出さねばならない。安倍政権を打倒し、本物の地方自治を取り戻す闘いを広げたい」と呼びかけました。
最終日の閉会総会は、会場をリンクステーション青森(青森市民文化会館)に戻して行われました。最初に、「辺野古新基地建設を阻止するとりくみ」について沖縄平和運動センター議長の山城博治さん、「再処理工場の現状と課題」について青森県実行委員会副委員長の掛村政則さん、「川内原発再稼働に反対する取り組み」について鹿児島県護憲平和フォーラム事務局次長の牟田実さん、「高レベル放射線廃棄物地層処分反対のとりくみ」について北海道平和運動フォーラム事務局長の長田秀樹さんの4人の特別提起を受けました。
このうち、4月以降闘病のため戦列離脱を余儀なくされていたものの、10月6日からキャンプ・シュワブゲート前の闘争現場に復帰した山城議長は、会場から大きな拍手を浴びて登壇。11月4日以来、警視庁機動隊約150人が常駐し、弾圧体制が強められている現地の状況について「ついに沖縄と日本、ヤマト政府との全面対決に入る構造が出来上がった」と強調。工事関係車両が基地内に入るのを阻止するため連日早朝6時から展開されているゲート前座り込み闘争で11日、結集した約500人の市民が機動隊を押し返し、1時間半にわ渡って車両進入を阻んだと報告し、「私たちの運動の力で安倍の正体を暴き、警視庁を引き出し、全面対決に持ちこんで、その上でこの闘いに勝利して、必ず全国の仲間に気概と勇気を届けたい」と決意を述べました。「辺野古新基地は基地建設の問題ではない」と述べ、これは沖縄を戦場とする戦争準備に反対する闘いだと指摘。「もう一回ヤマト政府の暴挙によって戦場の地獄の業火を浴びなければならない。もしそうなら立って命がある限り闘う。今を置いて闘うときは他にはないはず」と訴え、「希望の中にこそ私たちの闘いはあり、希望の中でこそ命を燃焼させることができるはず」と意気上がる闘いの現場の雰囲気を伝えました。
次に、「大会のまとめ」を藤本事務局長が提案。大会議論の詳細に触れるとともに、富山で開催する第53回大会まで1年間、全力で安倍政治を許さず、憲法理念の実現をめざそうと訴えました。
→藤本事務局長の大会のまとめ
大会は、平和・護憲運動の功労者を表彰する「遠藤三郎賞」として、静岡県の浜松市憲法を守る会、平和憲法を守る熊本県民会議議長の福島将美さん、元長崎県労評事務局長の矢嶋良一さんの1団体2個人を表彰しました。その後、「私たちの未来を、命の尊厳を、そして憲法を、安倍政権から奪い返しましょう。そのためにともにがんばりあおう」との大会アピールを採択しました。つづいて、来年の開催地富山の井加田まり県議会議員から決意が述べられ、最後に青森県実行委員会の斎藤憲雄事務局次長の閉会あいさつで3日間の日程を終了しました。
→大会アピール
2015年11月16日
不戦と民主主義-戦後の誓いを忘れない-意法理念の実現をめざす第52回大会アピール
日本国憲法の根幹をなす「平和主義」「主権在民」「基本的人権の尊重」。戦後70年を迎え、これらの本格的な危機の最中にある私たちは、「憲法理念の実現をめざす第52回大会」を、11月14日から16日の日程で、青森県・青森市の地で開催しました。
私たちは、昨年来、安倍政権の憲法破壊の攻撃に対決するたたかいに全力をもってとりくんできました。2014年3月に発足した「戦争をさせない1000人委員会」に結集しながら、「集団的自衛権」行使容認の閣議決定阻止のとりくみをすすめてきました。また、「戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会」を立ち上げ、さらに多くの市民との連帯の輪を拡げながら、安倍政権と国会をゆるがす一大運動の創出に向け尽力してきました。
昨年7月に強行された閣議決定に基づき、「集団的自衛権」行使に踏み込むための10法一括改「正」案(「平和安全法制整備法案」)と外国軍の戦闘を支援するための1法案(「国際平和支援法案」)からなる戦争法案の即時廃案を求め、多くの市民とともにたたかいぬきました。とりわけ、8月30日の「戦争法案廃案!安倍政権退陣!8.30国会10万人・全国100万人大行動」は国会周辺で約12万人、全国1000か所を超える場所での同時行動として行われました。
「戦争をさせない1000人委員会」を先頭に、戦争法案廃案を求める運動が全国各地に大きく広がりました。さらに、学者、法律家、宗教者、女性、学生などさまざまな立場の人びとがそれぞれ主体的に立ち上がり、戦争法案と安倍政権にNO!の声をつきつけました。私たちのたたかいが政府・与党をぎりぎりまで追い詰めたことはあきらかです。
しかしながら、横暴を極める政府・与党は議会内多数をいいことに、9月19日、強行採決に至りました。さらに安倍政権は、沖縄県民の民意を踏みにじりながら辺野古への新基地建設を強行しようとしています。また、いますすめられている格差拡大の経済政策、、労働法制の改悪、排外主義煽動、国家主義教育への回帰、原発再稼働、TPP参加。これらは人間の尊厳を支える生活と人権を破壊する暴挙です。そして、来年の参議院選挙で憲法改正に必要な参議院での3分の2以上の議席確保、ひいては国民投票による憲法改正をめざしています。
私たちは、この3日間のなかで、この間の運動が切り拓いた成果を確認しあうとともに、力及ばなかった現実を率直に見つめなおしてきました。70年前、侵略戦争と植民地支配の反省にたって、私たちは不戦と民主主義の確立を誓ったのではなかったでしょうか。日本社会の抱える問題を見据えながら、憲法理念を実現するための「不断の努力」を重ねてきたのではなかったでしょうか。憲法とそれにこめられた人びとの願いを踏みにじる安倍政権を許してはなりません。
きびしい情勢にはありますが、私たちはあきらめていません。この間のたたかいのなかで、私たち自身の力で安倍政権を退陣させ、「戦争法」を廃止し、平和な未来を切り拓くことができるという展望を掴み取っています。「戦争をさせない1000人委員会」のネットワークを県単位から市町村単位へ、しっかりと根を張りながら地域の市民運動との連携をつくりだしましょう。「戦争法の廃止を求める統一署名」のとりくみを全力で展開しましょう。多くの人びとの共同の力で、来年の参議院選挙に必ず勝利し、安倍政権の退陣・政策転換を実現しましょう。
私たちの未来を、命の尊厳を、そして憲法を、安倍政権から奪い返しましょう。そのためにともにがんばりあう決意を確認し、大会アピールとします。