5月, 2015 | 平和フォーラム - パート 2

2015年05月15日

ビデオ報告 5.15沖縄平和行進 第1日目

5月15日に沖縄・名護市辺野古で行われた「復帰43年 第38回5.15平和行進」第1日目は、新基地建設に抗議し、予定地周辺を行進し、キャンプ・シュワブ基地前で抗議集会を行いました。その模様をビデオにまとめました。(9分15秒)。

2015年05月14日

沖縄5.15平和行進結団式 辺野古新基地建設阻止を決意

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 安倍内閣が、集団的自衛権行使、戦争できる国に向けて戦争関連法案の閣議決定を行った5月14日、沖縄県那覇市で「復帰43年 第38回5.15平和行進全国結団式」が開かれました。これは「基地のない平和な沖縄を作ろう」と、毎年、全国からの参加者を含めて、沖縄の各地域を歩いて回り平和を訴えているもので、沖縄平和運動センターなどが主催、平和フォーラムが協力しています。
 今年は、名護市辺野古への米軍新基地建設が強行されていることから、従来の平和行進を変えて、15日は辺野古現地での行進や座り込みを行い、16日は宜野湾市の普天間基地周囲の行進、17日は超党派実行委員会による県民総決起大会に参加します。
 14日の15時から那覇市「パレット市民劇場」で開かれた全国結団式には、全国から600人が参加。最初に基調講演として、琉球大学法科大学院教授の高良鉄美さんが「平和憲法の意義」と題し、沖縄返還をめぐる歴史と現況について講演。「1972年5月15日は沖縄で日本国憲法が施行された日」として、それまでの権利を奪われてきた沖縄の歴史を説明。「しかし、当時の国会で核を持ち込ませず、基地の速やかな縮小・撤去が決議されたが、反故にされてきた」として、辺野古新基地建設を強行する政府を批判。「法の支配ではなく、人の都合による支配」が行われているとし、「粘り強く闘っていかなければならない」と呼びかけました。
 続いて開かれた結団式で、平和行進副実行委員長の比嘉京子さんが主催者を代表し「400年前の薩摩支配、明治の琉球処分、戦争での地上戦、そして1952年4月28日の日本主権回復での沖縄切り捨てと、差別の歴史だ。そしていま辺野古は平和と自治を守る闘いがおこなわれている。全国の皆さんと連帯しよう」と訴えました。
 連帯挨拶にたった平和フォーラムの藤本泰成事務局長は、安倍内閣が戦争法案を閣議決定したことを強く批判し、「命をアメリカに売り飛ばす政権にNO!を突きつけよう。そのため平和行進を通じて沖縄の闘いに学ぼう」と呼びかけました。
 政党あいさつで、社民党沖縄県連委員長の新里米吉さんは「復帰時に、沖縄には全国の米軍基地の58%があったが、今は74%に上昇した。これ以上、圧力に屈しない」と怒りをあらわに述べ、沖縄社会大衆党の大城一馬委員長代行も「県民は怒りの声を発しているが、政府は一顧だにしなかった。しかし、国民世論も変わってきている。さらに全国に呼びかけよう」と強調しました。
 海外ゲストとして、韓国・済州島での海軍基地建設に反対するカンジョン村副村長のコ・クオニルさんが、「沖縄と済州島の状況は似ている。平和な地球を守るために連帯して闘おう」と訴えました。韓国からは多数の関係者が参加しました。
 この後、全国からのカンパをもとに辺野古で建設阻止の運動のために寄贈された船「美ら海」の命名者への表彰式、原水禁・非核平和行進のタスキの九州から沖縄への授与式が行われた後、平和行進の各コースごとの団長、副団長、本土代表者が紹介され、それぞれ「沖縄にも日本のどこにも基地もオスプレイはいらない」「ともに声をあげよう」などと決意を表明(写真右)。最後に参加者全員で団結ガンバローを行いました。

ビデオ報告はこちら

2015年05月14日

ビデオ報告 「復帰43年 第38回5.15沖縄平和行進」全国結団式

5月14日に那覇市で開かれた「復帰43年 第38回5.15平和行進」全国結団式の模様をビデオにまとめました(約8分)

2015年05月14日

【声明】戦争法案の閣議決定を許さず、法案成立阻止のため全力で闘おう

【声明】戦争法案の閣議決定を許さず、法案成立阻止のため全力で闘おう

フォーラム・平和・人権・環境
共同代表 福山 真劫

 安倍自公政権は、5月14日の臨時閣議で、憲法違反の「平和安全法制整備法案」(戦争法案)を決定しました。
 これは、昨年7月1日の閣議決定、今年4月27日の日米ガイドラインの再改定、29日の安倍首相の米国議会における演説の集大成というべき内容です。
 日本の平和主義・憲法9条は最大の危機です。このままでは国の形が変わってしまいます。私たちは、この法案の本質は、「集団的自衛権の合憲化」であり、戦後の国是であった、「平和主義」を基本とする憲法9条の破壊であり、具体的には、米国の軍事戦略の下、自衛隊が中東から東アジアまで戦争する国になるということであり、絶対反対であるとしてきました。
 確かに、幾多の国内外の犠牲の上につくられた憲法9条は、時代の変遷とともに、自民党政権と米国政府の連携によって、空洞化をされ続けてきました。「非武装中立」が、警察予備隊の発足、自衛隊になり、日米安保条約が結ばれ、2度改定され、PKO法制定、日米ガイドライン決定、周辺事態法が制定と続きました。そして2000年代に入り、テロ特措法、イラク特措法制定と続きました。
 そして、昨年7月1日の閣議決定か、「曲がりなりにも最後の歯止め」であった「専守防衛」が放棄され、「集団的自衛権行使の合憲化」が閣議決定されました。この閣議決定は、従来積み上げてきた憲法解釈を基本のところでひっくり返すものであり、内閣法制局長官経験者からも批判が続出しました。
 いま、原発再稼働や沖縄への米軍新基地建設の強行なども並行してあり、安倍自公政権に対して、「憲法9条擁護・立憲主義擁護」の大きな運動が、全国で拡大をしようとしています。また国会の審議を経ずに、憲法違反の内容の「日米ガイドラインの再改定」を行ったこと、安倍首相が米議会で「この夏までに成就させます」などと演説したことは国会軽視、立憲主義無視、民主主義の無視の批判も高まっています。
 安倍自公政権は、そうした世論を無視し、戦争法案を閣議決定し、15日には国会へ提出することとなります。法案は、「平和安全法制」といわれ、新法の自衛隊海外派兵の恒久法の「国際平和支援法」と武力攻撃事態法などの「平和安全法整備法」といわれる10の改正法案の2本立てとなっています。その改正法案の内訳は、「武力攻撃事態法案」、「重要事態影響法案」、「PKO協力法改正法案」、「自衛隊法改正法案」などです。
 「戦争法案」は、「集団的自衛権行使の合憲化」を踏まえ、「武力攻撃事態改正案」の中で、「行使要件」として、「存立危機事態」を新設し、「密接な関係のある他国」が攻撃を受けた場合、「自衛隊の武力行使」が可能となっており、また「重要事態影響法案」では、「地理的概念をなくし、世界中に自衛隊を派遣できるようにし、後方支援の対象も、米軍以外の外国軍にも拡大するとしています。さらに「国際平和支援法案」では、他国軍を自衛隊が後方支援できるようにする恒久法であり、PKO法改正案も「自衛隊の武器使用の緩和」、「駆けつけ警護への拡大」などとなっています。
 これらの法案は、量も多く、今後十分検討し、違憲性をさらに明らかにする必要がありますが、憲法9条の破壊であることは明らかであり、日本が9条を投げ捨て、「戦争する国」へと踏み出すことは明確です。平和フォーラムは、法案の本質を明らかにしていくと同時に、その成立を阻止するため、「戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会」に結集して、憲法を守り平和をめざす、すべての勢力と連帯して、全力で闘いぬくことを宣言します。ともにがんばりましょう!
 

2015年05月12日

「許すな!戦争法案 戦争させない・9条壊すな!」5.12集会開く

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安倍政権は、5月14日に日本を戦争する国にする「安保法制」11法案を閣議決定しようとしており、この戦争法制定を阻止するため、5月12日、たたかいのスタートとなる「許すな!戦争法案 戦争させない・9条壊すな!5.12集会」が東京・日比谷野外音楽堂で開かれました。「戦争をさせない1000人委員会」などが主催し、台風の接近という悪天候の中にも関わらず、会場一杯の2800人が参加。「力を合わせて戦争法案を止めよう」と決意を固めました。(写真左は全員で一斉にプラカードでアピール)。
集会前に、様々な運動団体から、現在起こっている問題や運動についての訴えが行われ、沖縄基地問題や教育、医療、秘密保護法などの課題や、女性、青年、宗教者の立場からのアピールも行われました。
集会では、主催者を代表し1000人委員会の呼びかけ人の鎌田慧さんが「「安倍政権はウソと権力欲しかない。アメリカの子分になって、愚かな戦争を二度としないよう最後までがんばり抜こう」とあいさつ。各政党から、民主党の近藤昭一幹事長代理、社民党の吉田忠智党首、日本共産党の小池晃副委員長、生活の党の玉城デニー幹事長、沖縄社会大衆党の糸数慶子委員長が代表して、「国会に出される法案は国をないがしろにするものだ。絶対に負けるわけにはいかない」(近藤議員)などと決意を表明、また「辺野古新基地建設は戦争法案と一体となったものだ」(玉城議員)などと訴えました。
ゲストスピーチとして、埼玉大学名誉教授の暉峻淑子さんが「今の時代は、先の大戦の前と同じだ。自衛隊派遣で戦死者が出たら戦争反対を言えなくなる。心の底から戦争に反対する決意を固めることが必要」と呼び掛けました。また、連帯あいさつで日弁連憲法問題対策本部長代行の山岸良太さんは「戦争は最大の人権侵害だ」と指摘、さらに日本体育大教授の清水雅彦さんは「こうした仕組み作りを進めて来たのは外務省だ。その目論見を許さない。憲法研究者も法案に反対する声明を出す」と強調しました。
集会後、激しい雨の中、参加者はプラカードや横断幕を持ち、銀座方面のパレードを行って「戦争をする国にさせない!」「平和を守ろう!」などと元気よくアピールをしました。(写真右)

2015年05月03日

平和といのちと人権を! 5.3憲法集会に3万人 

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 安倍政権が解釈改憲で集団的自衛権行使を可能にし、戦争をする国づくりを進めようとする中、5月3日の憲法記念日に横浜市の臨港パークで「平和といのちと人権!戦争・原発・貧困・差別を許さない5.3憲法集会」が開かれました。これは、作家の大江健三郎さんや瀬戸内寂聴さん、歌手の小室等さん、ジャーナリストの鳥越俊太郎さんなどが呼びかけ人となって、集会実行委員会の主催で開かれたもの。
晴天のなか、広い会場は約3万人の市民などで埋め尽くされました。最初にプレコンサートとして、大島花子さんの歌、岡大介さんのカンカラ三線、ハルノトモの和太鼓演奏でスタート。

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13時30分からのメインステージは俳優の木内みどりさんの司会で進められ、呼びかけ人からのアピールとして、作家・活動家の雨宮処凜さん(左上)は「戦争に必要なのは大量の貧しい人達だ。いま、貧困と戦争への道が同時に進んでいる。経済のために命が捨てられることに反対していこう」と訴え、大江健三郎さん(左2人目)は「安倍はアメリカで安保法制を進め、憲法を変えると言ったが、日本の人々は賛同していない。はっきりと声をあげていこう」と呼び掛けました。
さらに、作家の澤地久枝さん(左3人目)は「安倍晋三とその周りにいる人々は、利潤を追求し、狂った政治を進めている。あの人達を引きずり下ろしてやりたい」と声を高め、憲法学者の樋口陽一さん(左4人目)は、俳優の菅原文太さんが生前、最後に沖縄知事選応援で語った「政治の最大の役割は戦争をしないこと」を引用し、「『日本を取り戻そう』などという勝手なスローガンに惑わされてはならない」と強調しました。
精神科医の香山リカさん(左5人目)は「時代は変わっても、平和は真理だ。今の憲法を使い尽くしていない。そんな政権に憲法に手をつける資格はない」と断言。最後に作家の落合恵子さん(右)が「安倍の言う『積極平和主義』は積極戦争主義だ。しかし、絶望から希望に橋渡しをするのが私たちの責任だ」と呼び掛けました。

各政党の代表として、民主党の長妻昭代表代行、日本共産党の志位和夫委員長、社民党の吉田忠智党首、生活の党の主濱了副代表からは、それぞれ、政府・与党が進めようとしている戦争法案(安保法制)に反対し平和憲法を守る決意が表明されました。
また、辺野古新基地建設問題で緊迫する沖縄からの発言として、基地・軍隊を許さない行動する女たちの会共同代表の高里鈴代さん(顔写真下)が「沖縄は平和憲法の下に日本に復帰したが、憲法など無いかのような状況だ。辺野古基地建設は絶対に許さない」と連帯を呼び掛けました。

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その後、様々な市民団体などがリレートークを行い、毎年全国の高校生代表が国連欧州本部を訪ねて核の廃絶を訴えている高校生平和大使から3人が登壇し、「微力だが無力ではないをスローガンにこれからも活動を続けていく」と決意を語りました。また、原発問題でも、福井や福島から、再稼働問題や原発災害の訴えも行われました。さらに、集団的自衛権、特定秘密保護法、歴史認識、教科書問題、貧困や労働、女性問題などでも発言が相次ぎました。(写真下)
最後に、実行委員会から、戦争法案の審議での国会包囲などの今後の行動が提起され、参加者全員で“憲法イエス”“改憲ノー”などと、コールを行いました。
クロージングコンサートとして、クミコさんの歌や、こぐれみわぞうさんのロックチンドンが流れる中、参加者はこれからの健闘を確認しあいました。

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2015年05月01日

「平和の俳句」大切に

「平和とは一杯の飯初日の出」。2015年、戦後70年を迎える1月1日から、東京新聞・中日新聞で「平和の俳句」が始まった。この18歳の浅井将行さんの句に対し、選者のいとうせいこうさんは、「まずささやかな満足が個人にある。それなしに国の平和などない」と評している。たった16の文字の中に、なんと深遠な世界が広がっていることか。毎日毎日、驚きと感動の連続だ。

3月10日、東京大空襲の日は「三月十日南無十万の火の柱」。91歳の古屋治さんの句。東京大空襲は一夜にして推定10万人もの無辜の市民が炎に焼かれ犠牲になった。古屋さんは、黒焦げの遺体が転々とし骸が山積みになった中で、幹線道路のがれき撤去作業についていた。「サイレンは正午の知らせ夏の空」。これは、浜口忠男さん74歳の句。平和な空に時報のサイレンは響く。1945年8月6日の朝、広島の空に空襲を知らせるサイレンは響きそして止んだ。直後の悲劇を私たちは忘れてはならない。戦争を知る世代の高齢化は止めようがない。だからこそ、これらの俳句は大切だ。

3月11日は東日本大震災から4年目。「今日もまた子どもの布団かけ直す」。42歳の山本博之さんの句。日常とはそのようなごく些細な出来事の積み重ねなのだ。そしてその積み重ねが人々の幸せなのだ。震災からの復興は遅れている。一人ひとりの我慢と自己犠牲による復興だ。それは、東京大空襲、敗戦からの復興と違わない。しかし、その生活の中にもささやかな日常の積み重ねがある。

俳句は、人々の日常から怒りや悲哀、権力の横暴とあきらめや慰め、そして抵抗、様々な感情を伝える。その表現活動を弾圧する芽が生まれようとしている。さいたま市大宮区の三橋公民館が発行する「公民館だより」の俳句コーナーで、「梅雨空に『九条守れ』の女性デモ」と言う句が掲載を拒否された。公民館側の説明は、「憲法を見直そうという動きが活発化している中、『九条守れ』は公民館の考えとの誤解を与える」というものだった。そもそも公民館は憲法を守らなくてはならない義務を負う。「何をか言わんや」である。表現を弾圧する社会は、戦争へと突入する。1937年、日中戦争のまっただ中、雑誌「川柳人」の同人が検挙された。問題の句「手と足をもいだ丸太にしてかへし」「射抜かれて笑って死ぬるまで馴らし」。
(藤本泰成)

2015年05月01日

ニュースペーパー2015年5月



フクシマを忘れない!さようなら原発大講演会
 東京電力福島第1原発事故から4年、安倍政権が進める原発再稼働を許さず、脱原発社会を作ろうと、「『さようなら原発』一千万署名市民の会」の呼びかけで、3月28日、東京・新宿区の新宿文化センターで、「フクシマを忘れない!さようなら原発大講演会」が開かれ、市民など1300人が参加。作家の大江健三郎さんや京都大学原子炉実験所の今中哲二さんなどが、再稼働に反対し、原発をなくすまで闘おうと呼び掛けました。
 福島現地からの報告をいわき市議で、東京電力幹部らを業務上過失致死傷容疑で告訴した福島原発告訴団副団長の佐藤和良さんが行い「今も12万人もが避難をし、子どもたちの甲状腺ガンが多発、汚染水問題や、作業現場では労災事故が相次いでいる」と現状を報告。「そうした中でも放射線量が下がったとして強制的に帰還をさせようとしている。人の命よりも人口流出を恐れている」と、政府や自治体を批判。「あきれはてても、あきらめない!」と訴えました。
 最後に参加者全員が、原発に対し「NO」と書かれた紙を掲げて、「再稼働反対」と一斉に声をあげました。

インタビュー・シリーズ:100
自分が今いるところで闘うことの大切さ
沖縄・一坪反戦地主会関東ブロック 事務局長 木村 辰彦さんに聞く

木村 辰彦

きむら・たつひこさんのプロフィール1952年沖縄県那覇市生まれ。復帰前の71年に進学のために上京。沖縄県人会青年部、沖縄県人会で活動。83年に県出身者と共に、沖縄・一坪反戦地主会関東ブロックを結成。90年から事務局長。反戦地主を支援する闘いを軸に、辺野古への新基地建設、オスプレイの沖縄配備、高江へのヘリパッド建設、与那国島への自衛隊配備を許さない闘いなど、基地のない沖縄をめざす運動を行っている。

─沖縄とのかかわりや、生い立ちなどをお話しください
 1952年に生まれ、高校に入ったのが68年です。復帰運動や米軍の事故や事件があるたびに、家の近くでデモがあったりしたものですから、沖縄は祖国に復帰して、米軍の支配から脱したいとの思いはありました。それで高校に入ったらすぐ生徒会に関わり、復帰運動などについてクラスの中で話し合うことがよくありました。僕は、学校の先生のデモ行進を見てきていましたから、一部の学生がヘルメットをかぶって跳ね上がることよりは、高校生はやっぱり生徒会で、クラスでみんなで話し合って、学校の先生と一緒に県民大会にも参加しようという路線でしたね。
 2年生の12月に基地労働者2000名の解雇があったんですけれど、それに対して当時の全軍労が24時間ストライキ闘争を行い、僕も生徒会でしたが、参加する中で、基地労働者ががんばってストライキを打てば基地機能が止まる、素晴らしい闘いを全軍労はやるんだ、ということを実感しました。牧港補給地区で解雇された女性の基地労働者が自殺未遂を起こした時、牧港青年部が「労働者は死んではならない。死ぬべきは基地だ」と訴えたり、全軍労が解雇撤回闘争を闘うなかで、「解雇撤回、基地撤去」と矛盾するスローガンですけれども打ち出した。人間として、県民として、こんな職場は一日も早くなくすべきだ。後の雇用や、跡地利用を含めて、基地を平和産業に変えていくために、組合として闘っていく。そのために解雇を撤回させ、基地にとどまって、中から基地を変えていく。当時の街頭闘争が華やかな中で、130ヵ所の米軍基地のゲートを封鎖した闘いというのは本当にすばらしい闘いだし、基地労働者や労働組合の底力が沖縄の反基地闘争の一番の力になると感じましたね。

─米軍による事件などを体験されたことはありますか
 高校3年だったと思いますが、前原高校の女子高生がちょうど家を出て学校に行く途中、路上で米兵に暴行されかかって、その悲鳴を聞いて近くの人が駆けつけて、米軍兵を袋叩きにした。その米兵が女子高生の太ももをナイフで刺す事件がありました。そこに僕はいたわけではないですが、この事件に衝撃を受けて、翌日、全沖縄の高校生が米軍基地のゲート前に集まって抗議行動をしたこともありました。沖縄平和運動センター議長の山城博治さんはその時の前原高校の生徒会長で、後でわかったのですが、僕も博治さんとは同学年ですから同じ現場にいたことになります。その当時から素晴らしいアジテーターでした。

─東京ではどう運動を進めてこられたのでしょうか
 進学のために上京してからは沖縄青年同盟の周囲にいて、71年、72年と沖縄返還粉砕の集会やデモに参加していましたけれども、その一方で総評系の集会にも行きました。そこには、国労、自治労、日教組などの労働組合がいて、沖縄と同じように平和運動を闘う労組が「本土」にもあるんだなというのがわかりました。僕らが「祖国復帰」しようとしている「本土」は、想像していた美しい日本ではなくて、合理化や抑圧があり、労働組合が権利を守る闘いをしていることもわかりました。
 僕らからすれば「本土」は何の矛盾もない100%本当にすばらしい国という幻想があって、組合がなくても生活もよくて、憲法で保障されている素晴らしい国と思ったんですけれども、実際に東京に来てみたら、沖縄と何ら変わりがない。それで労働運動をやっている人たちと一緒にやっていこうと思って、社会党に入り活動していました。でも自分は在日沖縄人という意識がありますので、できたら沖縄出身者が中心となって運動をしていきたいという気持ちがありました。沖縄県人会の役員や青年部にもかかわり、東京にいながら故郷の沖縄のことを考えながら、「本土」のみなさんに沖縄の問題を訴え、何とか沖縄の人たちが中心となった組織を作ろうと思ったんです。それで83年に沖縄・一坪反戦地主会関東ブロックを発足しました。
 沖縄の反戦地主の闘いは、72年に沖縄が復帰して、それまでは米軍が勝手に使っていた土地を、防衛庁が地主と賃貸借契約を結び、それを米軍に提供するという形になったんです。当時3000名近くの地主が米軍基地への提供を拒否してがんばりました。その結果77年には国の手続きが間に合わなくて、「空白の4日間」と言われていますが、米軍が地主の土地を不法占拠している事態が発生しました。その時、アメリカのブラウン国防長官が急きょ日本に飛んできて、「このまま沖縄の反戦地主の闘いがあると日米安保体制が揺らぐ」と言った。それくらい反戦地主の「土地を返せ」という闘いはすごかったんですね。
 一坪反戦の成り立ちというのは、反戦地主会の会長であった方が、生活や家庭の事情はあるけれど、防衛庁には土地を売りたくないというのがあったので、沖縄の市民団体や東京の県出身者などが集まって、その方から土地を買い、沖縄一坪反戦地主会の運動が始まったのです。発足以降、反戦地主を支援する闘いをずっとやってきましたが、95年の少女暴行事件、そして大田昌秀知事(当時)による代理署名拒否があったことで、反戦地主を支援する闘いが全国に広がります。政府は闘いをつぶすために、国会で米軍特措法を改悪します。期限切れ後も6か月間ごとの暫定使用ができるように国の法律が変わってしまいました。
 そんなところへ96年12月、今度はSACO合意で普天間基地の辺野古への移設問題が出てきます。97年に名護市民投票があったんですが、これは僕らにとってインパクトがありました。名護のことは名護の人たちが決めるということでね。そのあと県民投票もありました。たぶんそのへんから、沖縄の未来は日本政府ではなくて県民自身で決めていくという意識が強まっていったと思いますね。直接民主主義で基地について意思を問うという民主主義的な運動を、「本土」よりも先駆的に進めてきているなと思いますね。
 2004年に当時の稲嶺恵一知事が、15年の使用期限で軍民共用空港とする、15年たったら米軍は出ていってくれ。そのあとは県民の財産として、北部の民間空港として使用する。そんな条件で「苦渋の選択」という「合意」がされます。この時は、海上の単管やぐらによじ登って24時間抵抗し、1年に及ぶ闘いでボーリング調査を阻止して勝利したんです。それで軍民共用空港の建設は、05年9月には一度断念するんですね。これで終わったかなと思ったら、1か月後には、改めて辺野古沿岸部を埋め立てる話が出てきて、今日に至っています。そのなかで鳩山政権の対応が注目されていました。さまざまな評価はあるでしょうけど、少なくとも「最低でも県外」と言って、歴代総理の中では一石を投じたわけですよ。あれがなかったら今頃は埋め立てられていて、オスプレイが飛び回っている。沖縄の人々にとっては、はじめて県民の思いが政府に届いたという評価もあります。

─今後の闘いをどのように進めていきたいですか
 いま安倍政権が、戦争ができる国へと突き進んでいますが、戦争ができる国がより具体的に見えるのが今の沖縄の辺野古だと思います。辺野古で勝てば、「本土」のみなさんも闘えば勝てるという実感を持てると思います。行政の首長も保守も経済界の方も、知事も含めて最大限の力を結集して安倍政権の暴走を許さない闘いを沖縄ではがんばっていますから、憲法、集団的自衛権、辺野古を同じ課題として扱って、この三つを一つにして、運動をつくってほしいと思っています。
 そして沖縄出身者は、「本土」で周りに広げていくことが役割だから、ここで労働組合や市民団体の人に呼びかけて一堂に会する闘いを実現したいですね。ちなみに5月24日には、沖縄に連帯して闘っているみなさんが集まって、安倍政権に対して辺野古を断念せよという国会包囲行動をします。平和フォーラムもよびかけ団体ですから、最大結集していただき国会を幾重にも取り巻いてほしいです。
 また、連続講座のようなきめ細かい学習会をやって、辺野古の問題をきちっとわかってもらうことも重要だと思います。沖縄との連帯運動と言うと、「辺野古現地へ」という傾向がありますが、現地に行くことだけが闘いではありません。自分の今いるところ、その現場で運動を進めていくことが大切だと思います。
 翁長県知事は、一昨年の仲井眞弘多知事の辺野古埋め立て承認を検証する第三者委員会の報告を受けて、取り消しあるいは撤回の勇気ある決断をするでしょう。そうなれば、国はもっと知事に圧力を加え、訴えるような事態にまでなるでしょう。その時は沖縄から大挙して東京に押しかけて来ると思います。沖縄闘争を軸にした集団的自衛権、憲法問題の闘いとなります。全国から国会に数万規模の人たちが集まって、安倍政権の暴走を許さないという闘いを作っていきたいと思っています。

インタビューを終えて
 沖縄は、どのような理由であれ沖縄の地に新たな基地が加わることに反対しています。この反対の意志の強さ、重さを政府は知らない、知ろうともしない。ですが、沖縄を除く地に暮らす多くの市民もそれを知らない、知ろうとしない。はたまた、沖縄が、この相克を通じて日本から分離するのではないかという危惧から、安倍首相を先頭とした政府の強圧無比の政策をむしろ支持する人々もいます。こうした右翼的な流れは、アルジェリアの独立を阻んできたピエ・ノワールの思潮とそっくりです。「非妥協」の辺野古新基地建設を支持する人々です。木村辰彦さんは、沖縄と「本土」を幾度も行き来され、たたかいの妥協と非妥協を、身をもって体験されてきました。労働組合に寄せられた期待の言葉が印象に残りました。
(道田哲朗)

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《アピール》安倍自公政権の憲法破壊を許さず
政策転換・退陣をかちとろう!
フォーラム平和・人権・環境 共同代表  福山 真劫

 憲法をないがしろにし、戦争する国・軍事大国化をめざす安倍自公政権の暴走が止まりません。戦後最大の平和・民主主義・憲法の危機に直面しています。この事態の中で平和フォーラムの果たさなければならない役割がますます重要になっています。

日本の国の形が変わってしまう
 安倍自公政権は、昨年7月の閣議決定を受け、4月下旬に「日米ガイドラインの改定」を行い、「戦争関連法案」を5月中旬にも国会に提出しようとしています。このガイドラインの改定と戦争関連法案の本質は、空洞化され続けてきた憲法の最後の歯止めである「専守防衛」を壊し、集団的自衛権行使に風穴を開け、中東から東アジアを視野に、自衛隊が「積極的平和主義」のスローガンの下、米軍とともに戦うためのものです。日本の国のかたちが変わってしまいます。
 翁長雄志・沖縄県知事は4月5日の菅義偉官房長官との会談の中で、「私は辺野古の新基地は絶対に建設することはできないと確信を持っている。こういう県民のパワーが私たちの誇りと自信、祖先に対する思い、将来の子や孫に対する思いというものが全部重なっていて、私たちの生き様となってくる。絶対に建設することはできない。不可能になるだろうなと私は思う。建設途上でとん挫することによって起こりうる事態はすべて政府の責任だ」と主張しました。
 沖縄の闘いの歴史と名護市長選、知事選、衆議院選挙を踏まえての主張であり、覚悟のほどが伝わってきます。安倍自公政権は、東京や全国での闘いの弱さ、無関心を見越して、沖縄で民主主義を破壊しながら基地建設を強行しているのです。

「亡国の政策」との闘いが重要に
 安倍首相は「戦後レジームからの脱却」を主張してきました。そのことの意味は、「歴史認識の修正と憲法改悪」です。今夏の彼らの狙いは、「安倍談話」を契機に、1点目は「村山談話・河野談話の空洞化」、2点目は「戦争関連法案を可決し、積極的平和主義の名のもとに、自衛隊が海外で戦争することを宣言する」、3点目は「日本軍慰安婦・強制連行労働など戦後補償、日朝国交正常化を先送りする」ことです。さらに、新自由主義路線に基づく貧困と格差社会の進行政策、TPP推進、原発再稼働など国民生活破壊の「亡国の政策」が続きます。
 彼らの基本戦略は、日本を「グローバル化に対応して新自由主義路線をさらに進めることと、歴史認識を修正し憲法を改悪し軍事大国」として形成することです。それを実現するための戦術は、(1)国会での多数を背景に暴走する、(2)それに対抗する平和・民主主義・脱原発の勢力には懐柔と弾圧で対応する、(3)引き続き、マスコミや教育への介入を進め、ナショナリズムをあおり続ける、(4)「日本会議」や「美しい日本の憲法をつくる国民の会」などの右翼組織を使って、憲法改悪への右翼的国民運動を本格的に開始し、地域からつくりだすことです。
 しかし、彼らのそうした路線が簡単に成功するとも思えません。米国内でも、世界的に見ても、日本国内でも、平和・民主主義を求める勢力の長い闘いと連帯の歴史があります。そしてこの間の沖縄や脱原発の闘い、憲法改悪や特定秘密保護法反対の闘いなど、平和・民主主義の闘いが全国で高揚しています。

問われる民主党、社民党の対抗政策
 確かに安倍政権の支持率は高いものがあります。しかし12月の総選挙で自民党は勝利したとはいえ、絶対得票率は比例代表選挙で17%弱であり、沖縄への新基地建設、集団的自衛権の合憲化、原発再稼働、村山談話の見直し、消費税の引き上げ、TPPなど個別政策などでも、けっして支持されていません。
 アベノミクス政策の中で貧困と格差社会が深刻化し続けています。また政権基盤も、右翼グループと良心的保守との関係、平和と福祉を掲げる公明党との関係など、盤石ではありません。歴史認識の修正や軍事大国化には、中国・韓国だけでなく、欧米諸国などの不信と批判も高いものがあります。
 それでも支持率が高いのは、安倍の暴走に対抗する明確な方針を持った対抗勢力が市民、民衆には見えないからです。国民の怒りと不安が行き場を求めて、宙に舞っているのです。私たちの努力で、対抗する勢力・運動をつくりだせば、安倍政権の政策転換・退陣は可能です。
 こうした事態の中で、野党とりわけ民主党、社民党がどうするのかが問われています。昨年の総選挙、統一自治体選挙の結果を見れば、世論は、市民は、安倍自公政権と対決し、平和・民主主義・脱原発で闘う野党を求めています。まず民主党がそのことを自覚する必要があります。
 より具体的には、憲法、戦争関連法案、沖縄への新基地建設、原発再稼働、歴史認識課題で、民主党の政策が問われているのです。この課題で自民党と対決しない日和見主義を決め込む野党はいらないのです。社民党にも引き続き大きく奮闘してほしいものです。そうした中で、平和フォーラムの路線と重なり合う超党派の議員による「立憲フォーラム」が活動を続けています。また地方議員団組織として「自治体議員立憲ネット」も結成されました。彼らの今後の活動に期待したいと思います。

連合が本気でがんばれば変わる
 一方、労働運動の組織率は、全労働者数5571万人のうち組合員数は987万人で、組織率は17.7%です。連合組合員は670万、全労連が59万、全労協は10万人(厚生労働省調査)と低下しています。また、安倍自公政権の労働運動への懐柔路線の中で、影響力が低下し続けています。しかし、労働運動がその本来の役割を果たすようになれば、政権の政策決定へ大きな影響力を持ってくることは当然であり、事実です。自らの役割を落とし込めないでほしいものです。
 特にナショナルセンターである連合は「勝ち組」労働者だけの代表ではなく、40%といわれる非正規労働者、年収200万円以下の1100万人の労働者とのさらなる連携を進めてほしいと思います。そして、戦後最大の平和と民主主義の危機だという事態認識を持って、「平和と民主主義」に対して相応の責任を取ってほしい。憲法9条擁護、沖縄への基地建設反対、歴史認識の修正反対・過去の清算をというのが国民的世論です。連合が本気でがんばれば、安倍政権は確実に揺れだします。

「戦争させない1000人委員会」運動が拡大
 平和フォーラムは、旧総評時代の「国民運動」や原水爆禁止日本国民会議の運動を引きつぐ形で、平和・民主主議・脱原発を取り組む組織として現在に至っており、構成団体は労働団体を中心に30団体、構成員数は約130万です。また、日本共産党や全労連系の諸団体を中心とする憲法擁護団体・平和団体とは並立する形で運動を組み立ててきました。その原因は、彼らとの「路線の違い」にありました。
 平和フォーラムの基本的課題は、2000年代は、平和・民主主義・脱原発運動の前進と組織・運動を強化することでした。そして2004年の原子力空母の横須賀母港化阻止闘争を契機に、従来の「年中行事消化型の運動」から、新しい事態をつくりだすとして、市民や市民運動との連帯の輪を大きく拡大してきました。
 そして、2011年3月11日の福島原発事故以降は、「さようなら原発1000万人アクション」として、原発立地県の闘いと合わせて、大江健三郎さんや鎌田慧さんなどと連携しながら、大きな脱原発運動をつくってきました。また2014年からは、「特定秘密保護法阻止」運動の経過を踏まえ、平和・民主主義運動を「戦争をさせない1000人委員会」運動へと大きく拡大・高揚させてきました。117人の著名人が呼びかけ人として名前を連ね、全国へ運動が拡大しています。今後は地域や職場で1000人委員会の運動を組織し、全国からの重層的な運動の構築が求められています。
 また市民団体との連携を深めるため、「戦争をさせない1000人委員会」は、「解釈で憲法9条を壊すな!実行委員会」と連携し、「戦争させない・9条壊すな・集団的自衛権合憲化反対」の運動を組み立ててきました。

さらに「総がかり運動」へ闘いは高揚
 2014年度の後半からは、平和・民主主義の戦後最大の危機という情勢認識を踏まえ、「安倍の暴走を本気で止めるため」連帯の輪をさらに拡大するとして、考え方や立場、運動経過の違いがある勢力とも連携するとの立場から、上記2団体に、「戦争する国づくりストップ!憲法を守り・いかす共同センター」を加え、「戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会」を発足させ、闘いを組み立てています。
 「総がかり」の意味は、(1)戦争関連法案や辺野古米軍新基地建設阻止の闘い、戦後70年や脱原発、その他の人権課題を視野に取り組む、(2)運動経過と立場の違いを超えて、それぞれの課題にかかわっているすべての団体が全国で結集して運動をつくりあげるということです。
 今年に入り、1月26日の国会前集会を取り組み、来る5月3日の「平和といのちと人権を!5・3憲法集会」は当面の最大の取り組みとなります。また引き続く山場の闘いも「総がかり行動実行委員会」で闘いぬくことが求められています。安倍の暴走を止めるには全国からの闘いが重要です。
 こうした全体の取り組みの流れの中で、60年安保闘争や2012年7月16日の「さようなら原発10万人集会」のような、全力で全国から大衆的運動の高揚をつくりあげましょう。私たちの闘いが高揚すれば、労働団体、野党は必ず安倍政権との対決を強めるはずです、その結果として安倍自公政権が揺れだし、政策転換・退陣を勝ち取ることが可能となります。がんばりましょう!
(ふくやましんごう)

当面する東京を中心とした取り組み
 平和フォーラムは5~6月にかけて次のような行動を取り組みます。また、5月21日から毎週木曜日に「総掛かり連続行動」として、18時30分から国会周辺でアピール行動をします。

5月3日 平和といのちと人権を!5.3憲法集会(12時30分~横浜・臨港パーク)
5月12日 戦争させない・9条壊すな総がかり行動(18時30分~日比谷野外音楽堂)
5月14~17日 沖縄平和行進
5月17日 辺野古新基地建設反対県民総決起大会(那覇市・セルラースタジアム)
5月24日 沖縄連帯・5.24首都圏アクション(14時~国会周辺)
5月25~26日 沖縄上京団座り込み・要請行動
6月1日 つくる会系教科書採択反対全国集会(18時~連合会館)
6月14日 総掛かり国会包囲行動(国会周辺)
6月15~24日 連続座り込み行動(国会周辺土日を除く)
6月23日 戦後70年連続学習会・市民アピール採択集会(18時30分~議員会館)
6月24日 (※通常国会閉会日)総掛かり・総力結集国会包囲行動

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「 水循環基本法」成立から1年 今後の課題は
「 いのちの水は公共サービス」の理念を
全水道労働組合 書記次長 禧久 章蔵

連合、全水道、自治労も参加しフォロ-アップ委
 2014年3月27日に国会で「水循環基本法」が成立し、1年が経過しました。この基本法は、健全な水循環の保全や回復を公共性の観点から検証し、縦割り行政の弊害を排し、関係する政策の連携を強めた総合的な水政策の推進により、「全ての国民がその恵沢を将来にわたって享受できるよう確保」することを目的にしています。毎年8月1日を「水の日」と定め、これからの水政策の基本となる「水循環基本計画」の策定を求めています。これを受け、5月には国土交通大臣を担当大臣に、その下に関連6省庁による政策本部事務局が設置されました。現在、今年の夏までのできる限り早い時期を目途に「水循環基本計画」の検討作業が進められています。
 一方、基本法制定を担った超党派の「水制度改革議員連盟(水議連)」は、その下に40名の学識者によるフォロ-アップ委員会を設置し、その中の分科会において個別政策の具体化に向けた検討が行われてきました。同委員会には、連合、全水道、自治労の代表者も参加し、今年2月の第3回委員会で地下水を「水循環の基礎を構成する国民共有の財産」と位置付け、都道府県を地下水保全団体として、土地所有者の責務や地下水利用の許可規制、地下水保全特別区域の指定や涵養負担金制度等を盛り込んだ「地下水保全法案」をまとめ、水議連に提出されています。


「水の日」制定記念の講演会(2014年8月2日・全水道会館)

基本計画で「流域連携の推進」を掲げる
 政策本部の進める「水循環基本計画」も2回にわたる有識者からの意見聴取を行い、4月14日には基本計画原案が公表され、現在、パブリックコメントに付されています。意見聴取では、法の趣旨に照らした現状評価や健全な水循環の評価基準の必要性、地下水と一体した水系・流域管理、自然と人工的水循環の相関や評価、森林・農山村から沿岸・海域に至る水循環の施策、水処理行政の一体化、流域生活圏・経済圏構想等との接合、水田の多面的機能の積極的評価、水政策や固有の技術に係わる研究所の設置が提起されています。
 これらは、「国家統制」「市場原理」に委ねるのではなく、地域の共有財としての自主統治が必要であることや、国際協力は海外の水メジャーをモデルにしたものではなく、日本らしいものにするべきなど、積極的な意見や問題提起が行われています。これらの意見を受けて公表された原案では、「流域連携の推進」を基本方針の第一に掲げ、多様な主体による流域水循環協議会の設置や、流域水循環計画の策定等が提起されています。しかし、「推進するよう努める」等の表現に留まり、誰がどのように推進していくのか、具体的な提起とはなりきれていません。「協議会」は流域での水循環政策を束ね施策化する主体となるものですが、この点が不明瞭なため、計画全体が総花的で、施策の推進は各省庁でという印象を免れていません。

水道事業の民営化の動きに歯止めを
 さらに、水道事業に引きつけてみると、「新水道ビジョン」が掲げる「新たな広域化」は、水循環や流域での連携施策等も想定して、事業体間の連携や事務・施設の共同化など、「地域の共有の財産」である水道事業として、将来にわたり「供給体制の持続可能性」を確保することを目的に政策の中軸となるものです。
 しかし、この水循環基本計画でそうした位置づけが明記されることなく、人口減少、水使用量の減少に対応した事業の統廃合やダウンサイジング、さらには民間の資金や技術力の活用等の合理化の推進が、施策とは切り離され強調されています。法の趣旨や流域連携を掲げる計画の趣旨を損ねるもので、基本計画だけに見過ごすことのできません。
 水議連のフォローアップ委員会においても、1年程をかけて、水道・下水道・工業用水道のあり方についての検討が予定されていますが、民営化などの経営形態に係わる個別問題は、そもそもこの基本法が直接に課題として求めているものではありません。
 現行の水道法は、憲法の生存権に依り構成されたものであり、経済性と公共の福祉の向上を求め、公営企業として運営されてきました。その成果は世界にも広く知られているところであり、途上国への支援・援助もそうした観点で取り組まれています。世界的に見ても、これまで各国で進められてきた水道事業の民営化が撤回・修正を求められています。この15年間で少なくとも35ヵ国、180件の事業体が再び公営化されたことが報告されています。こうした世界の動きに背を向けることなく、水循環基本法の理念に依り、「いのちの水は公共サービス」として供給し続けることのできる日本の水道事業を守り発展させていくことが求められています。
(きくしょうぞう)

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原水禁発足50周年に思う(4)
核の利用は差別で成り立っている
原水爆禁止広島県協議会 常任理事 横原 由紀夫

先駆的だった原水禁の運動
 私は、1973年から広島県原水禁常任理事として運動に関わった。1973年から「反原発」運動と「核実験抗議座り込み行動」に参加していた。強く印象を受けたのは、1975年の原水禁世界大会・広島大会である。開会総会で森瀧市郎代表委員(当時)が基調報告で、「核と人類は共存できません」と核絶対否定の宣言をされたからである。
 原水禁運動は、「核兵器廃絶と被爆者援護法制定」を柱として出発したが、原発反対運動も柱となった。原水禁世界大会で「核実験による被害」や「ウラン採掘の被害」など、核の利用が放射能被害を生み出している事実を知ることは貴重な学習の場であった。それらを通して「核の利用は差別で成り立っている」ことを知ることになる。まさに先駆的な運動であった。

核被害者世界大会の開催へ
 核の利用は放射能被害を生み出し、環境と生物へ甚大な影響をもたらすことを訴えるため、「核被害者世界大会」の開催が呼びかけられた。核と人類は共存できないことを広く世界に呼びかける運動である。第1回は、1987年9月にニューヨークで開催され、第2回は1992年9月にベルリンで開催した。この核被害者世界大会の開催を呼びかけ、開催に向けて中心的な役割を果たしたのは、原水禁国民会議である。
 核兵器サイクル(製造から実験、使用)と核燃料サイクル(ウラン採掘から原発・再処理・廃棄物処理)の過程で生じたあらゆる核被害者が一堂に会したのは世界初のことであった。ウラン採掘から始まる核の利用は、先住民の放射能被害をはじめとして、多数のヒバクシャを生み出してきた。ヒバクシャが生み出されるのは、差別構造という社会の仕組みである。この核被害者世界大会から学んだものは貴重な財産となった。

継続こそ力 座り込み行動を続ける
 広島では、1973年にフランスが南太平洋で大規模な核実験計画を発表したことを受け、被爆者が中心となって行動を起こそうと呼びかけた。「核実験抗議の座り込み」行動である。1973年7月から始まった座り込みは、核実験が行われる都度、平和公園の慰霊碑前で無言の行動を続け、96年9月まで500回を超えた。座り込み行動はその後、各地にも広がり、賛同する市民も抗議に参加し、修学旅行の子どもたちも参加した。外国からの旅行者も趣旨に賛同して参加した。座り込み行動に参加したスイス人の青年は、ドイツで核実験抗議の座り込み行動を起こした。この行動は、報道を通して広島市民に知られ共感を呼ぶことになる。
 座り込みの都度、アピールを海外へ送り国際的な賛同を得るが、これらの行動の積み重ねが「包括的核実験禁止条約」制定の動きとなり、遂に核実験は自粛され実質的に止まった(国際社会の動きを無視する一部の国と臨界前核実験に形を変えて行う国があるが)。一歩一歩、着実に行動を積み重ねること、そして、多くの市民の共感を得る行動を続けることの大切さを学んだ。行動こそ力であり継続こそ力であることを証明した。この経験から得たものは大きい。


「1.27ネバダ・デー
核実験全面禁止・核兵器廃絶を求める 市民行動」の座り込み
(2015年1月27日・広島平和公園)

反核運動を生涯の課題として
 原水禁は常に、現地の行動と結びつきながら多くの事を学び、先見的な問題提起を行ってきた。その中心になってきたのは、歴代の国民会議の代表委員・議長であり事務局のメンバーであった。
 だが、2011年3月11日の福島第一原子力発電所の事故を止めることは出来なかった。このことは痛恨の極みであり、運動を反省せざるを得ない、と私は考えさせられた。こうした中で、「国民の生存を基礎とする人格権は、国民を戦争の危険から守る・放射能の危険から守る」とする生存の原理を宣言した福井地裁の「大飯原発3・4号機差止め訴訟判決」(2014年5月21日)の意義は重要である。核絶対否定の原理でもある。
 今年は、敗戦70年そして被爆70年を迎える。「核と人類は共存できない」という原水禁が提起した理念を実現するためには、さらなる行動と多くの人々に理解してもらうための運動が求められている。私は森瀧市郎代表委員と共に行動し運動した経験から、反核運動を生涯の課題とした。とにかく行動し、理念実現のため運動を継続する覚悟で生き抜きたい。
 「精神的原子の連鎖反応が物質的原子の連鎖反応に勝たねばならない」─森瀧市郎。
(よこはらゆきお)

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六ヶ所再処理工場の現状と問題
核燃料サイクル政策に終止符を

21回目の竣工延期、破綻するプルトニウム利用計画
 青森県の六ヶ所再処理工場は、1993年に着工以来23年、いまだ工場の完成は見えていません。日本原燃は、2014年10月30日に工場の竣工時期を同年10月としていたものを、2016年3月に変更すると発表しました。21回目となる今回の延期は、いかに杜撰な計画や設計、工事で進められていたかを証明するもので、このような工場が「安全」であるはずがありません。
 日本原燃は、2016年6月まで「新規制基準適合審査等」を終え、その後9ヵ月かけて「新規制基準を踏まえた対策工事」「使用前検査等(ガラス固化施設の使用前検査を含む)を実施」というスケジュールを立てていますが、新規制基準の適合審査が想定通りに進むかどうかも問題です。各地の原発の新規制基準による適合審査は当初の予想を超える期間となり、再処理工場の審査も同様に長期にわたる可能性が大です。ましてや今年4月14日の福井地裁での高浜原発の差し止め判決で「適合しても安全は確保されない」「合理性を欠く」と新規制基準が否定されました。六ヶ所再処理工場の「新規制基準」も問題となってきます。
 また、3・11以降、原発をめぐる状況が大きく変わっています。たとえ原発の再稼働が多少進んだとしても、プルトニウムをMOX燃料として使用するプルサーマル計画がどれほど進むかどうかはまったく見通せていません。特に高浜原発の差し止めは、MOX燃料を使うとも言われていただけに、その出鼻を挫かれた格好です。
 MOX燃料は海外返還プルトニウムが先で、六ヶ所再処理工場のプルトニウムはずっと後の使用となりますが、その時に使用する原発がはたしてどれだけあるのかどうかも定かではありません。
 今後原発の新増設が困難な状況を迎え、既設の原発はどんどん老朽化する中で、一体どれだけの原発でプルサーマルを実施するというのでしょうか。その具体案はいまのところ明確に示されていません。国際公約として日本政府は、余剰プルトニウムは抱えないとしています。プルトニウムの使い道が明確でなければ再処理しないとしていますが、このままでは例え工場が竣工(完成)しても、まともな稼働ができません。稼働率が低くければ、そこから生み出されるプルトニウムは割高になり、経営環境が厳しい中、電力会社にとっても重荷にしかなりません。


六ヶ所再処理工場(2014年4月・青森県六ヶ所村)

再処理工場の存在意義はない!国民的な議論をすべき
 2014年4月に閣議決定されたエネルギー基本計画の具体化に向けた議論が、総合資源エネルギー調査会原子力小委員会で行われています。エネルギー基本計画では、核燃料サイクル推進が前提なっており、全面自由化など電力を取り巻く環境が大きく変わる中で、核燃料サイクル事業を「安定的に実施していく方策」について議論されています。しかし、経済性も含め核燃料サイクル政策そのものが破綻している現状の中にあって、いかなる将来像を描いてみても、画餅にしかならないのが現状です。
 すでに経済産業省は、2030年の電源構成(エネルギーミックス)について、建て替えや新増設は想定せず、運転開始から40年を超えて原発を動かす前提で、原発を20%前後の割合で調整しようとしています。しかしこの数字は、原発15~20機程度のものでしかありません。六ヶ所再処理工場の最大処理能力は800トン・ウラン/年で、これは100万kW級原発40基分の使用済み核燃料を処理する能力に相当しますが、すでに当初の計画でさえ達成しないことが政府の方針でも明らかになっています。さらに2045年には今ある原発の最後の一基が40年を迎えます。まともに原子力を推進しても、六ヶ所再処理工場の存在意義さえないともいえます。
 そのような六ヶ所再処理工場は、当初予算の3倍以上の2兆2000億円を超える巨額資金が投入されています。完成までにさらに多くの資金を必要とし、運転・メンテナンス・解体撤去・廃棄物処理などさらに多くの資金を必要とします。2003年の経済産業省の若手官僚が作成したレポート「19兆円の請求書」に見るように、核燃料サイクル全体で巨額の費用が掛かることが明らかになっています。それに見合うだけのものがあるのかさえ分からないまま事業が進められています。
 問題なのは、このような巨額の費用をかける国家プロジェクトにも拘わらず国民的な議論や合意をこれまで一切とらずにきたこと、そしてこれからも取ろうとしていないことです。延期を繰り返すうちに核燃料サイクルを取り巻く環境が大きく変化しました。核燃料サイクルは、当の電力会社さえ本心はやりたくないと言われています。核燃料サイクル政策に終止符を打ち、六ヶ所再処理工場が本格的に動き出す前に勇気ある撤退を決断するべきです。
(井上年弘)

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イラン核問題解決へ枠組み合意

 4月2日、国連安全保障理事会常任理事国5カ国にドイツを加えた6カ国(P5+1)とイランは、2002年に発覚したイランの核兵器開発疑惑問題を解決するための枠組み合意に達しました。イランは低濃縮ウランをさらに濃縮することで、2―3カ月内に核兵器1発分の兵器級高濃縮ウラン(約25kg)を取得可能と米国は見ています。この一発分取得の期間(ブレイクアウト・タイム)を1年以上にするのが米国などの狙いです。この合意で戦争の勃発が回避できるし、少なくとも10年間はイランが核兵器を取得するのを防げるとの意見と、これではイランの核兵器開発を許してしまう、厳しい制裁措置を続行すべきだという意見があります。
 最終合意の期限は6月末です。6カ国側を代表した欧州連合(EU)外務・安全保障政策上級代表(外相)とイラン外相が発表した共同声明は簡単なものです。米国とイランがそれぞれの解釈を発表していますが、制裁措置の解除・停止の時期、軍事施設の査察などについて相違があります。6カ国とイラン、そしてそれぞれの国内での穏健派と強硬派、米国に影響力を行使したい強硬な姿勢のイスラエルなどの駆け引きが続きます。
 問題になっている主要な施設は表の通りです。




イランの核施設地図

 イランは、平和利用目的だとして、高濃縮ウランとプルトニウムの取得に必要な能力の開発を進めてきました。進んでいるのはウラン濃縮の方で、ナタンツ(ナタンズとも表記)のパイロット規模と大型の二つの施設、それに、フォルドウの山中の地下深くに設けられた施設があります。イランは、原子力発電所で使うとする約3.5%の濃縮の他に、テヘラン研究炉用に必要だとして、20%弱の濃縮もしてきました。濃縮度20%以上だと核兵器が作れる「高濃縮ウラン」と見なされますが、問題はそこではなく、濃縮度90%以上の兵器級を取得するのに、天然ウランからではなく20%から出発すると必要な工程の9割がすでに終わっていることにあります(3.5%からだと7割弱が終わっている)。これまでの合意に従い、イランは、製造した20%弱の濃縮ウラン約448kgのうち110kgを他のウランと混ぜて5%以下にし、337kgをTRR用燃料の製造工程に送り込んでいます。米国NGO「科学・国際安全保障研究所(ISIS)は、後者の量を減らさせるべきだと主張しています。
 イランは、アラクに核兵器用のプルトニウム生産に適した重水冷却炉をほぼ完成させていますが、使用済み燃料からプルトニウムを分離するのに必要な再処理施設は持っていません。米プリンストン大学のフランク・フォンヒッペル名誉教授らは、アラク炉の燃料を天然ウランから低濃縮ウラン(5%)に変えてプルトニウム生産効率を下げ、民生用利用効率を上げることを軍縮問題専門誌で提案していました。今回の合意は、これを一歩進めて、現在の原子炉容器(カランドリア)を除去し、6カ国が同意する設計のものに取り替えるとしています。
 枠組み合意ではこの他、遠心分離器の数を3分の1に縮小すること、低濃縮ウランの保有量を現在の約10トンから300kgに減らすこと、再処理はしないことなどが定められています。これらと検証や制裁措置解除の仕組みなどを固めるのに残された時間は後2カ月です。



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《投稿コーナー》
貧困問題をなくすことと平和な社会をつくること
反貧困ネットワーク 世話人 赤石 千衣子

 昨年のことです。メールが突然来ました。
 「彼氏が逃げていってしまったので、会社の寮を追い出された。妊娠8カ月です。17歳です。ネットカフェにいます。これからどうしていったらいいかわかりません。助けてください」。そういうメールでした。
 わたしたちはシングルマザーの支援をしている「しんぐるまざあず・ふぉーらむ」という団体を運営しています。飲みかけたビールを置いて、出かけました。2時間後、彼女とマックで会いました。こういう相談が来ること自体、奇跡です。大人に「助けて」なんてなかなか言ってくれないんです。若い人たちはあっという間に状況が変わり、移動してしまいます。すぐに応答しないといけないのです。
 結局、彼女の住むところをみつけ、福祉事務所とつなぎ、そして、彼女の出産を手伝い、手がつるつるになるまで腰をさすり、生まれてきた子の世話を手伝いました。今、彼女はまたどこにいるかわからなくなりました。彼女自身もそして彼も不利な育ちをしている子どもでもありました。
 今、しんぐるまざあず・ふぉーらむの小さな電話相談には、お金が2000円しかなかったり、食事を削っていらしたり、妊娠中の結婚していない女性だったりという相談があります。どうしてもお困りのときには、食料支援団体からいただいた米や食品をお送りすることもあります。

6人に1人の子どもたちが貧困に直面
 日本にも貧困がある、と認識されたのはつい7~8年前のことだと思います。リーマン・ショック後、派遣切りに遭い、仕事も住まいも失って次の仕事もみつからず、路上で暮らしていた約500人の労働者が、日比谷公園の「年越し派遣村」に食べ物と泊まるところを求めてきたときでした(2008年)。つい数カ月前までは、会社の寮にいて工場で働いていた、そういう方がたくさんいました。
 さて、その後、日本社会は貧困問題の解決をしてきたのでしょうか。働く条件は、非正規労働者が増えるばかりです。特に女性の6割近くが非正規労働者です。例外なく派遣が3年で打ち切りできる労働者派遣法が国会に上程され、さらに、残業代ゼロ法案とも言われる労働基準法改正案が国会に上程されようとしています。
 東京メトロの地下鉄で働いている女性たちは、組合をつくって、平均年齢64歳で、働かないと食べていけないと、65歳定年制撤廃、差別をなくしてほしいと、4月2日にストライキをしました。
 現在、子どもの貧困が大きな問題となっています。日本の子どもの相対的貧困率が増えています。子どもの貧困対策法ができましたが、新規の予算はなく、解決には程遠い現状です。わたしたちの社会は、気が付かないうちに、6人に1人の子どもたちが貧困であるという社会をつくってしまいました。
 大きな話でいえば、日本社会は敗戦後、平和で豊かで民主的な社会をつくろうとしてきたのだと思います。アメリカと安保条約を結び、軍備にはお金を使わず、その代り経済発展をする(それはアジアを踏み台にしながら)。そういう選択をしてきたのだと思います。憲法9条が大きな意味があり、そして曲がりなりにも福祉国家をめざす中で、憲法25条というものが大きな役割を果たしてきたのだろうと思うのです。

公正な税制で子どもの貧困対策に予算を
 でも、今、これだけ多くの子どもたちが、そして若者・女性が、貧しい、困っている、という社会になってしまいました。日本の戦後のターニングポイントなのかもしれません。
 貧困がある社会は不安定です。毎年毎年、子どもたちは貧困が関係した理由で亡くなっています。川崎の中1殺害事件も、お母さんは長時間、仕事を掛け持ちしている中で起こりました。家賃を滞納して県営住宅から追い出されそうになり、娘を殺した母子家庭の母もいました。あるいは、母子家庭の母が夜働こうと、シッターサイトで知り合った男に子どもを預けて殺されてしまった事件もありました。心が痛む、かわいそうと思うことは簡単です。しかし、解決のためには、子どもの貧困対策に予算をかけねばならない。財政破たんしている国で、それは大変なことです。だから、なんと国民運動で基金を集めるなどと政府は言っています。
 ではどうやって解決していくのか。それは、所得再分配機能を高めていく。借金財政が大変なのですが、所得税や法人税を高め財源をつくっていき、子どもの貧困対策に使う、そういう方向ではないかと思います。所得再分配機能を強化することを真剣に考えるならば、フランスの経済学者トマ・ピケティが言うように、所得の中間より高い層はもっと税を負担することを覚悟してほしいのです。私たちは公正な税制を求める市民連絡会というのも準備しています。
 貧困が拡大し社会の不安が大きい社会は、大きなことを言う人に依存し、政治も不安定になり右傾化します。自分でものを考え判断できる人をどう増やすのかということと、生活の不安がない社会をつくることは、表裏の関係です。だからこそ、貧困問題の解決をみなさんとともに行いたいのです。
(あかいしちえこ)

各地からのメッセージ
「戦争をさせない1000人委員会」運動の発展を
大阪平和人権センター事務局長 石子 雅章

 連合大阪発足後、大阪総評運動を引き継ぐ形で平和と人権を守る組織として1992年から運動を展開してきました。毎年、広島・長崎の原水禁大会へ100人以上が参加し、大阪府内7地域・10コースで非核・平和行進を実施するなど原水禁運動も担っています。また、沖縄平和行進へも毎年100人以上が参加しています。2000年代に入り、イラク戦争・自衛隊派兵反対と沖縄米軍基地撤去を結合し、毎年秋や春に市民団体と協同して集会や講演会などを実施しています(写真は2014年11月の平和集会)。
 大阪港への米軍艦入港反対や滋賀県あいば野での日米合同軍事訓練反対、大阪八尾空港へのオスプレイ誘致を許さない闘い、京丹後市への「Xバンドレーダー搬入」反対の集会などを平和フォーラム関西と連帯して取り組んできました。また、特定秘密保護法制定と集団的自衛権行使容認閣議決定に対しても集会を開催しました。
 原水禁運動は、2011年の福島原発事故以降、毎年3月に市民団体と実行委員会形式で大きな集会を開催しています。同時に春と秋には市民団体「ストップ・ザ・もんじゅ」(平和人権センター加盟)が主催する学習会も共催しています。また福井での「もんじゅを廃炉に!全国集会」には毎年参加をしています。
 「大阪維新の会」ができてから、公務員への人権侵害と労働組合弾圧、大阪人権博物館への助成金廃止、大阪国際平和センター(ピースおおさか)の展示内容への歴史修正主義的介入、朝鮮学校への助成金廃止など、人権と福祉を切り捨てる強圧的な行政が続いています。それに抗して、私たちは市民団体・労働組合と連携して、12年から連続して講演学習集会を開催してきています。
 今春の統一地方選挙で大きな勢力を維持している「橋下・維新の会」の提起によって、5月17日に「大阪市分割」(いわゆる「都構想」)を問う住民投票が実施されます。「維新の会」は、安倍政権の歴史修正主義を基礎とした「戦争のできる国・憲法改悪」への道に協力することを表明しています。大阪の自治や人権、民主主義と同時に、日本の平和が脅かされようとしています。昨年秋に「戦争をさせない1000人委員会」を発足させ、この運動を平和人権センターの枠から外に大きくさらにひろげ、市民に深く浸透させていくことが求められています。
(いしこまさあき)

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〔ビデオの紹介〕
『もっと!フェアトレード―世界につながる私たちの暮らし』
アジア太平洋資料センター(PARC)2014年制作

 環太平洋経済連携協定(TPP)が妥結をするか注目をされる中、「フリートレード(自由貿易)よりも、フェアトレード(公正な貿易)を!」という声がおきています。「フェアトレード」とは、途上国でつくられた製品を適正な価格で取引することで、貧困に苦しむ生産者の自立を支える取り組みです。「強い者」に有利な自由貿易をフェア(公正)なものに変えていく運動でもあります。
 日本の食料自給率は39%で、多くを輸入に頼っています。海外からの物の多くは、その生産者の顔が見えません。そのため、安さを追求して生産者を犠牲にすることが横行しています。代表的な商品であるコーヒーでは、消費者が支払う価格のうち、生産者が受け取るのは2%でしかありません。しかも、植民地時代からの生産・流通形態のため、相場の変動によるリスクを過大に負い、先進国の都合によって価格が不当に安く抑えられるなど、アンフェアな貿易構造の中に組み込まれています。
 このような取引の流れを改めるのがフェアトレードです。公正な価格で取引することはもちろん、生産者を組織化して地域作りを進めることや、環境に配慮した生産方法、児童労働禁止や男女平等などの人権を守ることも条件になっています。
 ヨーロッパを中心にフェアトレードが身近なものとなっています。2013年に世界では7600億円の市場になりました。日本でもフェアトレードが始まって約40年。コーヒーや紅茶、チョコレート、雑貨、衣料品などフェアトレード製品が増えてきましたが、一人当たり年間で74円しか支出していません。商品がなかなか手に入りにくいためと言われていますが、最近ではコンビニでも扱われている場合もあります。驚くほどセンスが良い衣類もたくさん目にするようになりました。熊本市が日本最初のフェアトレードタウンを名乗るなど、少しずつ拡がりを見せています。
 このビデオでは、日本の実践者や研究者に活動の成果と課題を聞き、世界の貿易と私たちの暮らしのつながり、生産者にとってのフェアトレードの意義を伝えています。「買い物で世界を変える」─経済と社会のあり方をみつめ直す格好の映像です。(市村忠文)
価格8000円。詳しくはこちら
http://www.parc-jp.org/video/sakuhin/fairtrade.html

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核のキーワード図鑑


愛国心教育で子どもの未来戦場へ…

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復帰43年(第38回)5.15沖縄平和行進

 沖縄が日本に復帰した5月15日前後に毎年開かれている「5・15沖縄平和行進」は、今年38回目を迎え、5月14日に結団式が行なわれ、15日~16日に行進、17日は沖縄県内の超党派実行委員会による県民総決起大会に参加します。「辺野古新基地建設断固反対!全国から戦後70年の沖縄へ基地のない平和な沖縄をつくろう」をスローガンに次の日程で行われます。

5月14日(木)15:30~16:30全国結団式(那覇市「パレット市民劇場」)

5月15日(金)10:00~平和行進出発式(名護市・瀬嵩海岸)
 午前・午後平和行進(辺野古、キャンプ・シュワブ周辺)、座り込み行動
 16:00~平和とくらしを守る辺野古現地全国集会

5月16日(土)9:00~平和行進出発集会(宜野湾市役所前)
 午前・午後平和行進(普天間基地周囲)、集約集会

5月17日(日)13:00~超党派実行委員会による県民総決起大会(那覇市「セルラー・スタジアム」)

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