8月, 2013 | 平和フォーラム - パート 2

2013年08月09日

被爆68周年原水禁世界大会が閉会。 「人類は生きねばなりません」長崎で大会宣言

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7月28日の福島大会を皮切りに開催されてきた「被爆68周年原水爆禁止世界大会」は、8月9日、長崎大会の閉会総会で大会宣言を採択して終了しました。
全国から2000人が参加し、主催者あいさつで川野浩一・大会実行委員長(原水禁議長)は、「衆院・参院選挙で自民党の勝利を許し、原発再稼働、憲法改悪などが迫ってきている。アジア諸国からは日本の核武装が懸念されている。大会で東北アジアの非核地帯化が重要なことが確認された。68年前の原爆で長崎では15万人が亡くなった。被爆者は高齢化している。被爆者の思いを次世代に受け継ぐことが大切になっている」と訴えました。
九州各県を回った原水禁・非核平和行進のタスキが、被爆地の長崎から、来年の5.15平和行進を行う沖縄に引き継がれた後、沖縄の訴えを山城博治・沖縄平和運動センター事務局長が行い「沖縄では全市町村の反対を押し切ってオスプレイの強行配備が行われ、辺野古の新基地建設、高江のヘリパット建設が続いている。この暴挙を許してはならない。11月に沖縄で護憲大会が開かれる。またそこで議論と行動をおこそう」と訴えました。
鹿児島の川内原発の再稼働反対の報告を、川内原発増設反対共闘会議の荒川譲議長(鹿児島県護憲平和フォーラム代表)が行い、「九州電力は先月、原発の再稼働を申請したが、内容は不備だらけだ。しかし、県知事や薩摩川内市長はこれを受け入れようとしている。経済界の圧力があるからだ。目先の経済よりも命が大切だ。全国に仲間と闘う」と強い決意を述べました。
高校生のアピールでは、今年で16回目になる国連への平和大使に選ばれた12都道県の20人が抱負を語りました。被災地の福島や岩手からも選出され、原発問題や復旧・復興についても、ジュネーブの国連欧州本部で伝える事にしています。また、高校生1万人署名活動実行委員会も全国に拡がり、「13年目の今年、累計で署名が100万人を越えることが出来た。これからも広げていきたい」と思いをアピールしました。
海外ゲストを代表して、アメリカのピースアクションのピーター・デッキーさんが「アメリカを代表する平和団体として、毎年、この大会に参加している。アメリカは核兵器を永遠に持ち続けようとしている。この軍国主義中毒と闘い、公正で平和な未来を作るグローバルな運動をともに進めよう」と呼びかけました。
大会のまとめを藤本泰成・大会事務局長が行い「福島の地域社会を原発は破壊した。原爆も原発も国策で引き起こされたものであり、その課題は繋がっている。ジョン・レノンの『イマジン』のように、想像力を持って、新しい社会を作り出していこう」と強調しました。
最後に大会宣言が提案され、「人類は生きねばなりません。ノーモア ヒロシマ!ノーモア ナガサキ!ノーモア フクシマ!ノーモア ヒバクシャ!ノーモア ウォー!」と確認されました。閉会あいさつで小西清一・大会副実行委員長が「福島、広島、長崎の大会を通じて1万人以上の参加があった。人々の安全を脅かそうとしている安倍政権の暴挙を食い止め、また1年間しっかり運動を積み重ねよう」と呼びかけて終了しました。

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閉会後、参加者は爆心地公園までの非核平和行進を行い、「核も戦争もない平和な21世紀に!」などとアピールしました。爆心地公園では、川野実行委員長が代表して、中心碑に献花を行った後、原爆投下時刻の11時2分に全員で黙とうを行い、全日程を終えました。

「大会宣言」はこちら

2013年08月09日

被爆68周年原水爆禁止世界大会 大会宣言

被爆68周年原水爆禁止世界大会 大会宣言

 嘆き・悲しみ・苦しむ人々、呆然と空間を漂う瞳、なすすべもない怒り、そこには、キノコ雲も、原爆ドームも、廃墟と化した町並みも、何もない。ただ、さまよい、傷つき、亡くなっていく人らしき人の群れ。丸木位里・俊さんの「原爆の図」です。
 非人道的兵器・原子爆弾による惨劇は、言葉で表すことができないほど人間の尊厳を奪い尽くした世界なのです。ヒバクシャは、生涯にわたって肉体的に、精神的に、社会的に塗炭の苦しみを強いられています。そして、その苦悩と不安は、次世代へとつながっています。
 「ピカも、人が落とさにゃ、落ちん」という、位里さんの母親の言葉。人間の尊厳の基本にある「命」、そして人間の手で奪われる「命」。人間が繰り返してきた愚行。私たちは、ヒロシマ・ナガサキの実相を伝え、その風化を決して許してはなりません。「一人ひとりの『命』に寄り添う社会」を求め続けてきた私たちは、すべてのヒバクシャの願いと想いを受け止めて、新しい世界の創造に邁進します。 
 2011年3月11日、東京電力・福島第一原発事故は、15万人とも言われる多くの人々の故郷を奪い、避難生活を強いています。2年5ヶ月を経過してもなお、放射能がこれまでの生活を拒み、明日の展望を見いだせずにいます。事故は、過去のものではありません。現在も進行中であり、新たな不安を生み出しています。原発事故は、健康を奪い、生活を奪い、地域の文化と歴史を奪い、家族と多くの人のつながりを奪いました。また事故の収束に携わる労働者の被曝も深刻です。私たちは、原発事故被災者と被曝労働者の健康と命と生活を守るよう、政府に強く求めます。
 ヒロシマ・ナガサキの実相とフクシマの実相は、多くの部分で重なり、多くの部分で異なるものです。しかし、それは「命」の尊厳を奪う人間の愚かな行為の結果であり、国策がもたらしたということで根本でつながるものです。国の責任を明らかにし、国の手による補償を確固としたものにする努力を続けます。
  安倍政権は、今、数の力でもって、集団的自衛権の行使を容認し、憲法を全面的に改悪し、国民の権利を奪い戦争への道を歩もうとしています。第二次大戦後の覇権を握ろうとして原爆を投下した米国に追随して、再び戦争国家の道を歩もうとしているのです。戦争のための米軍基地が集中する沖縄で、今大会期間中の8月5日に軍用ヘリコプターの墜落事故が起こりました。沖縄での「命」の軽視は、米国が、日本が、戦争国家であることを象徴するものです。私たちは「戦争国家」を絶対に許しません。
 安心して暮らせる福島を取り戻し、子どもたちに核のない未来を贈りましょう。再稼働を許さず、再処理を止め、脱原発社会をめざしましょう。持続可能なエネルギー社会をつくりましょう。平和憲法を守りましょう。非核三原則の法制化と東北アジア非核地帯の実現をめざしましょう。オスプレイの配備撤回、米軍基地の撤去を実現しましょう。核兵器禁止条約をつくりましょう。すべてのヒバクシャの権利を拡大しましょう。

 「人類は生きねばなりません」

 ノーモア ヒロシマ! ノーモア ナガサキ! ノーモア フクシマ! ノーモア ヒバクシャ!ノーモア ウォー!

2013年8月9日

被爆68周年原水爆禁止世界大会

2013年08月09日

ビデオ報告 被爆68周年原水禁世界大会・長崎大会の3日目 閉会総会

8月9日に「被爆68周年原水禁世界大会・長崎大会」の3日目が開かれ、閉会総会でや「大会宣言」を採択しました。終了後に非核平和行進が行われ、原爆中心碑で黙とうを行い、原水禁世界大会の全日程を終えました。その模様をビデオにまとめました。(9分)

2013年08月08日

ビデオ報告 被爆68周年原水爆禁止世界大会・長崎大会の第2日目

8月8日に長崎市内で開かれた「被爆68周年原水禁大会・長崎大会」の2日目の分科会やフィールドワークなどの様子をビデオにまとめました。(7分22秒)

2013年08月08日

被爆68周年原水禁世界大会・長崎大会2日目 分科会やフィールドワークなど多彩

 

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8月8日、「被爆68周年原水爆禁止世界大会・長崎大会」の2日目は、8つの分科会をはじめ、様々なひろば、フィールドワークなど多彩な催しが行われました。
第1分科会は「フクシマを忘れない~被災者支援と連帯の課題」として、福島原発事故問題を取り上げました。福島からの報告や、「被災者支援法」の実施などを討議しました(写真左)。第2分科会は「再稼働問題と脱原発に向けたエネルギー政策の展開」をテーマに、韓国やドイツのゲストからの報告も含め、原発に頼らないエネルギー政策を考えました。(写真右)
第3分科会は「核拡散と日本の原子力政策」で、破綻している核燃料サイクル、溜まり続けるプルトニウムの脅威や原発輸出問題を中心に、韓国からの報告も交えて討議しました。第4分科会は、「東北アジアの非核地帯化と日本の安全保障政策」について、事故を起こしたばかりの沖縄の米軍基地問題やオスプレイ配備、多国間の地域安全保障などの課題を、アメリカの平和運動家の報告も含めて討論しました。
第5分科会は「世界の核被害と内部ヒバクを考える」をテーマに、原子力の出発点にあたるウラン採掘現場の核被害をアメリカから報告してもらい、さらに世界に拡がる核被害を学びました。第6分科会の「強制連行と被爆を考える」では、戦時中に強制連行され被爆した韓国の在外被爆者の訴えや被爆体験者の課題などを考えました。
第7分科会は「被爆二世・三世問題を考える」をテーマに、被爆体験を継承するためにも被爆二世・三世の運動強化が欠かせないと、その課題を探りました。「見て、聞いて、学ぼうナガサキ入門編」とした第8分科会には多くの若い人が参加し、映像や被爆者の証言を通して被爆地・ナガサキの実相にふれるとともに、原発問題も考えました。

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このほか、若者・子ども関連行事として、、高校生や大学生などの実行委員会が企画した「ピースブリッジ2013inながさき」では、東日本大震災の被災地からの報告や各地での署名活動などの報告、韓国・フィリピンの高校生からのスピーチなどが行われました(写真左)。「子ども平和のひろば」では、被爆体験の話を聞き、原爆資料館の見学や原爆中心碑での献花をしました(写真右)。
フィールドワークでは長崎市内にある被爆遺構を5つのコースに分かれてめぐりました。また、佐世保基地めぐり、軍艦島の上陸ピースクルーズも行われました。このほか、被爆者との交流や映画上映会など、1日中、様々な催しが展開されました。
9日は、閉会総会や非核平和行進を行い、今年の大会を締めくくります。
 

2013年08月07日

原水禁世界大会・長崎大会が開幕 全国の高校生平和大使も参加


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被爆68周年原水爆禁止世界大会は、広島から長崎に移り、8月7日に開会総会が開かれ、1600人が参加しました。長崎県内を回る「反核平和の火リレー」によるオープニング、被爆者など核の犠牲者への黙とうを捧げた後、川原重信・長崎実行委員長が開会あいさつを行いました。
主催者あいさつに立った川野浩一・大会実行委員長は「長崎を最後の被爆地にとの願いもむなしく、福島原発事故が起きてしまった。そして、68年経っても様々な問題が解決していない。全ての核の廃絶しか私たちの未来はない」と述べるとともに、長崎の高校生を中心とした反核・平和の活動を紹介し、「私たちにはまだ希望が残されている。3日間の大会を通して、そのことを確認しよう」と呼びかけました。
連合を代表し連帯あいさつを行った高橋睦子・連合副事務局長も「核廃絶と国家補償を求めて、2015年の核拡散防止条約(NPT)再検討会議に向けて運動をともに進めよう」と訴えました。また、来賓の長崎市長の田上富久さんは「核兵器の非人道性を指摘する多くの国の決議に日本が賛成しなかったことは遺憾だ。各地域から非核宣言を具体化する活動をすすめよう」と強調しました。
大会基調の提案を藤本泰成・大会事務局長が行い、「破綻した原子力政策、エネルギー政策の転換を」など、核兵器の廃絶、原発再稼働の阻止、被爆者の多くの問題解決に向けての討論を進めようと呼びかけました。
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特別ゲストとして、来日しているアメリカの著名な映画監督のオリバー・ストーンさん(上写真左)と、アメリカン大学歴史学教授のピーター・カズミックさん(上写真右)が参加。二人はアメリカによる日本への原爆投下について「すでにソ連の参戦が決まった段階で日本は降伏することがわかっていたので、原爆を使う必要は無かった。それでも使ったのはソ連への対抗のためだ」と述べました。「アメリカは核兵器の廃絶はできるのか」という質問に、オリバー・ストーンさんは「アメリカは冷戦終了後も核兵器を増大し続けてきた。それをただしていける国はどこにもない」と、悲観的な見方をしました。これに対しピーター・カズミックさんは「私は市民の力に希望を持っている。それには核や戦争にもっと怒る必要がある。特に日本人は今の反動的な政治にもっと怒るべきだ」と訴えかけました。
18歳の時に爆心地からわずか1.8キロの地点で被爆し、奇跡的に一命を取り留めた築城昭平さんが、その時の凄惨な状況の証言に立ち、「明後日の長崎原爆の平和祈念式典でも証言するが、その時には、核の非人道性決議に署名しなかった事に抗議したい。また、福島原発事故から、原発の再稼働や原発輸出は許せないと言いたい」と決意を語りました。
福島原発事故の状況について、渡部英明・福島県平和フォーラム事務局長が「事故から2年半が経過するが、事態は何も変わっていない。除染も中間貯蔵も進んでいない。40万トンを超える汚染水が溜まって、一部は海に流出している。原発は原爆と同様に、人道に反するものであり、世界から無くさなければならない」と指摘しました。
平和へのメッセージの最後に、若い力として、高校生国連平和大使と高校生1万人署名活動実行委員会の70人が登壇し、第16代大使に選ばれた12都道県の20人全員が抱負を語りました。また、署名運動も13年間で累計で100万人を越え、本年度分は8月20日に欧州国連本部を訪ねる高校生平和大使から届けられることになっています。(写真右)

集会は最後に、長崎実行委員会のみなさんのリードで「原爆を許すまじ」を合唱(写真上左)し、長崎大会の開会を宣しました。大会は8日に分科会などでの討議・学習やフィールドワークなどが行われ、9日に閉会総会と非核平和行進を行います。

2013年08月07日

米軍ヘリHH60墜落事故に関する抗議声明

米軍ヘリHH60墜落事故に関する抗議声明

フォーラム平和・人権・環境
共同代表 福山真劫

   墜落の危険性が高くその安全性に信頼が出来ないとして、沖縄県民が猛反発している新型輸送機「MV-22オスプレイ」の追加配備が進む中、8月5日午後、米空軍嘉手納基地所属の戦闘・救難ヘリHH-60が、訓練中にキャンプ・ハンセン基地内の原生林に墜落、炎上しました。折しも私たちは、広島に集い核兵器廃絶と平和な社会を求めて原水禁世界大会の最中でした。
   キャンプハンセンは、米第3海兵遠征軍の拠点基地があり県道を越える実弾射撃訓練などを傍若無人に行い、市民が暮らすその庭先で実戦訓練を繰り返してきた基地です。今回の事故現場も住宅街から2キロ、高速道路から1キロと、基地と暮らしが隣り合わせにある沖縄の実態を反映しています。
   米国は、日米安全保障条約の下に本国においてさえ訓練飛行を自粛するオスプレイを、日本国内では国民の頭上において低空飛行訓練の実施を発表しています。米国内と日本国内のダブルスタンダードを許すことはできません。これまでも多くの事故を繰り返し、多くの犯罪を繰り返し、沖縄県民の命を奪い過酷な生活を強要してきました。米国は、今回の事故を契機に、在日米軍基地を縮小し、近い将来において本国内に移転するよう強く要請します。
   2004年8月、宜野湾市の沖縄国際大学に米海兵隊の大型輸送ヘリCH-53Dが墜落しました。現場は米軍に封鎖され日本の警察も誰も入れない状況がありました。今回も、墜落で山が燃え煙が間近にあがっても自治体消防は事故現場入れませんでした。そこに沖縄県民が奪われている主権の実相があります。日本政府は、直ちに「原因究明と再発防止」を米国に申し入れたとしていますが、これまでも米軍は同様の事故を繰り返し、時に尊い命が失われてきました。日本政府は、オスプレイの事故に関しても人為的ミスと片付け、米国の主張のままに根拠のない安全性を沖縄県民に押しつけてきました。
   事故の責任は、日本政府の沖縄県民を顧みず、日米の同盟関係を優先する外交姿勢にもあります。オスプレイ配備の撤回と普天間基地の国外移設はもちろんのこと、米国追随の外交政策、防衛政策を改め、新しい日米関係と東アジアにおける共通の安全保障をめざす独自外交追求するよう、日本政府に対して強く要請します。

2013年08月07日

ビデオ報告 被爆68周年原水爆禁止世界大会・長崎大会の第1日目

8月7日に長崎市内で開かれた「被爆68周年原水爆禁止世界大会・長崎大会」の第1日目の開会総会の様子をビデオにまとめました。(9分45秒)

2013年08月06日

ビデオ報告 被爆68周年原水禁世界大会・広島大会の3日目 まとめ集会

8月6日の「広島原爆の日」に開かれた「被爆68周年原水爆禁止世界大会・広島大会」の3日目(最終日)のまとめ集会をビデオにしました(8分35秒)

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