8月, 2009 | 平和フォーラム

2009年08月30日

バツが悪いことはありません!竹内・涌井・竹崎を中心に×を

090830.gif

 8月18日、衆議院総選挙の公示とともに最高裁判所国民審査が告示されました。8月30日の投票日には、衆議院議員の小選挙区、比例区の投票用紙とともに3枚目の紙-最高裁裁判官の国民審査の投票用紙が配られます。華々しい衆議院の選挙戦に隠れて、ともすればこの投票を忘れがちではないでしょうか。
 最高裁判所は、国会(立法)、内閣(行政)と並ぶ三権の一つ、司法の最高機関です。「憲法と人権の番人」とも呼ばれ、その判断次第で人の生命や財産、権利にも、国の指針にも大きく影響します。さまざまな重要な判決が出されていますが、国会議員や大臣に比べて、最高裁の判事が誰かはもとより長官が誰なのかもほとんど知られていません。 (現在は竹崎博充長官です)
 裁判所は国の機構のなかではもっとも改革が遅れており、「人権の番人」とはとてもいえない状況にあります。司法改革が唱えられ、5月からは有権者が裁判の判決に参加・関与する裁判員制度も開始されましが、実際にできたのは、過度の守秘義務や裁判官中心の運用で市民に死刑など重罪判断をさせる制度になりかねません。
 このなかで、最高裁裁判官国民審査は、主権者が裁判官の判断をチェックする重要な機会です。とはいえ、裁判官の経歴、判決内容、憲法や人権に対する考えなど、まったくといってよいほど知られていません。棄権のつもりで何も書かないで投票している人が多いのが実態です。しかし、無印のままでは信任となってしまいます。また、○や△は無効です。きわめて非民主的、前近代的な方法で審査しています。私たちは、審査対象となる裁判官についての情報を十分に提供することや、○×式に改めることを求めていますが、改善されていません。また、投票のやり方や信任・不信任のルールの説明も不十分です。期日前投票が、衆議院総選挙では公示日の翌日の8月19日からできるのに、国民審査は投票日7日前の8月23日からしかできないなどの不備もあります。
 いまの制度では×印をつけることだけが権利行使です。今回対象となる竹崎博允最高裁長官をはじめ9人の裁判官の過去実績や経歴を検討するとともに、制度自体に対する批判としても、できるだけ「×」を増大させることが必要です。バツが悪いことはありません。意見が違うのでやめさせたい裁判官、憲法と人権を守らない裁判官、民主的な改革に逆行する裁判官には堂々と×印をつけましょう。わからないときは投票用紙を返しましょう。
 私たちは、日米ガイドライン見直し時の外務省条約局長で小泉政権下の外務事務次官としてアメリカのイラク戦争支持・自衛隊イラク派兵をすすめた竹内行夫裁判官、住基ネット違憲の大阪高裁判決を破棄したほか労働裁判で多くの反動的判決をしてきた涌井紀夫裁判官、問題の多い裁判員制度導入の責任者であり判事任命と同時に、最高裁長官に「異例」の就任をした竹崎博允長官の3人を中心に「×」をつけることをよびかけます。 

 →チラシ(平和フォーラム名入り pdf)  →チラシ(取り扱い団体・空欄 pdf)  →最高裁HP「裁判官の紹介」  

2009年08月30日

2009「在日朝鮮人歴史・人権週間」全国集会を名古屋で開催

 

090829.jpg

 

この7月から全国各地でとりくまれてきた2009「在日朝鮮人歴史・人権週間」の全国集会が、8月29日と30日の2日間、名古屋市で開催されました。第1日目の29日は、名進研ホール約200人が参加して、証言やシンポジウム、写真展。第2日には、2つのグループに分かれて名古屋市東山霊安殿と岐阜県久々地下工場へのフィールドワークを行いました。主催は、平和フォーラムや朝鮮人強制連行真相調査団、在日朝鮮人人権協会などでつくる全国実行委員会と東海地区実行委員会です。
集会では、まず、オープニングセレモニーとして朝鮮人のおばあさんたちの日本への怨念を描いた寸劇「テマンハルモ二とマダン(広場)のハルモ二」をリ・ウンスさん、チェ・イレさんの出演、チュウ・パジャさんの伴奏で行いました。さらに証言として、長野・平岡ダムに強制連行されたアボジ金一洙(キム・イルス)さんの遺族で日弁連人権救済申立人の金甲治さんがビデオ上映のあと父親の生前のこと、強制連行の事実を知るに至った経験を話しました。
つづいて、集会を藤本泰成平和フォーラム副事務局長の司会のもと開始し、まず、安川寿之輔東海実行委員会共同代表が開会宣言。1万円札福沢諭吉のアジア蔑視の問題点について格調高く指摘しました。寺尾光身朝鮮人強制連行真相調査団全国協議会共同代表(前愛知調査団日本人側代表)が主催者あいさつ、日本にはびこる靖国の思想や誤った歴史認識に言及しました。さらに、来賓として在日本朝鮮人総連合会中央本部の高徳羽(コ・ドグ)副議長のあいさつが行われました。
シンポジウム「朝鮮人強制連行とは」一新たな視点で提案するでは、真相調査団の空野佳弘事務局長と在日朝鮮人人権協会の金哲秀さんのコーディネータ、床井茂弁護士の日本弁護士連合会「朝鮮人強制連行」に対する勧告、前田朗造形大教授の「慰安婦」強制連行は誘拐である-「いい仕事がある」と騙して海外に、最高裁の判例からと題した提起と討論が行われました。愛知真相調査団の金順愛(キム・スネ)さんの「中島半田工場被連行者の年金と現在」の提起と報告、在日朝鮮人人権協会の金珍英(キム・ジニョン)さんのコメント「在日朝鮮人高齢者の無年金・消えた年金」を受けた後、会場からの質問に対する質問に対する回答とパネラーの補足意見が明らかにされました。
つづく「まとめ」のコーナーでは、昨年の人権奨励賞受賞団体の「日朝友好九州学生の会」など各地からの報告を受けた後、全国実行委員会のアピールを確認し、最後に集会のまとめを原田章弘全国実行委員会共同代表が行い終了しました。
2日目のフィールドワーク「岐阜県久々地下工場」は戦争末期に突貫工事の危険な作業でつくられつつあった地下壕を、暗闇のに多数のコウモリが乱舞するなか、見学しました。

→集会アピール  集会チラシ →朝鮮新報1 →朝鮮新報2

2009年08月29日

2009『在日朝鮮人歴史・人権週間』全国集会アピール

『在日朝鮮人歴史・人権週間』全国実行委員会

*ここで使用する「朝鮮」とは南北朝鮮全体を包括するものであり現在の国籍に限定されない概念である。

 私たちは、8月以降の電撃的な朝米交渉と南北朝鮮の新たな動きが始まろうとしている時期に、全国集会を開催した。
 今回の開催地は、戦争末期の強制連行により空襲下でも防空壕にも入れず亡くなった被害者、一千人以上の強制連行者の年金名簿の確認から全国屈指の地下工場等、典型的な強制連行地である。

 私たちは、強制連行被害者遺族の証言、日本弁護士連合会の勧告と報告書から朝鮮人強制連行の歴史的事実を法的な視点から討議し、以下のことを確認した。

 第一に、朝鮮人強制連行の「強制」には、官憲が家に押し入り連れて行ったとの「肉体的」強制のみならず、いい仕事があるとして騙して連れていった「精神的強制」が含まれる。
 すなわち強制連行には日本軍「慰安婦」、「労務動員」、軍人・軍属等の連行等が含まれるが、これを意図的に「肉体的強制」に限定する一部の主張は、当時の法律に違反するのみならず、重大な人権侵害に該当することを確認する。

 第二に、朝鮮人強制連行は、朝鮮本土から海外への連行のみならず、日本国内から海外と日本国内の作業所への連行が含まれる。このことは既に歴史学者のみならず日本政府も認めている。
 とりわけ、1920年~30年代に土地を奪われ日本国内に移動した在日朝鮮人男性のほとんどは、日本国内での徴用等により海外と日本国内の軍需工場等の作業所へ連行されている。在日朝鮮人のほとんどが強制連行被害者とその遺族であることを確認する。

 第三に、すでに戦後64年を経過し、日本を除く過去の加害国は被害国と被害者に対し、誠実な対応により新たな友好関係を構築している。
 しかし、遺憾ながら日本は、唯一残された被害国、朝鮮民主主義人民共和国とは、過去の清算も国交もなく、未だ世界で唯一、加害国の責任を果たしていない国である。
 このようなことから、戦後も日本に居住することになった在日朝鮮人は、現在も戦前と同様に加害国から様々な差別と抑圧を受けている。被害者へ年金差別、重要な原状回復である民族教育への制度的な差別から「チマ・チョゴリ」事件まで、日本政府の責任は現在に継続されていることを確認する。

 私たちは、日本政府が過去の加害の歴史と教訓から平和と友好のためには日朝関係を改善させることが不可欠であり、そのためには「制裁」措置を即時撤回することが求められていることを今、強くアピールする。

 私たちは、在日朝鮮人の歴史と人権は分離できないことを再度確認し、「在日朝鮮人歴史・人権」運動を推し進めることを、ここに宣言する。

2009年08月22日

米原子力空母ニミッツ横須賀寄港に抗議集会

 

090822.jpg

 

8月24日の米原子力空母ニミッツ米海軍横須賀基地寄港に対して、神奈川平和運動センターと三浦半島地区労の主催、平和フォーラム・全国基地ネット。平和センター関東ブロックの共催で8月22日、横須賀のヴェルニー公園で抗議集会を開催し、選挙中の緊急集会にもかかわらず約200人が参加しました。
主催者を代表してあいさつした神奈川平和運動センターの宇野峰雪代表は、「米国はアフガニスタンの戦争を強化するため、ジョージ・ワシントンとニミッツを交互に派遣しようとしているのではないか。横須賀は事実上二つの原子力空母の母港とされてしまいかねない状態だ。絶対に許すわけにはいかない」と訴えました。平和フォーラム、厚木爆同・第4次訴訟団、民主党、社民党、神奈川ネットなどのあいさつの後、集会アピールを採択し、横須賀基地前までデモ行進しました。

→集会アピール

2009年08月22日

8.22原子力空母ニミッツ横須賀入港抗議、ジョージ・ワシントン再入港反対、原子力空母2艦体制阻止緊急神奈川集会アピール

 8月24日に原子力空母ニミッツが、随伴艦とともに米海軍横須賀基地へ強行入港することが明らかになりました。原子力空母二ミッツの入港は、原子力空母ジョージ・ワシントンの母港のみならず、他の原子力空母の補給基地として日常的に使用される第一歩となります。
 私たちは、基地の機能強化と放射能事故の危険性増大につながる入港に反対し、断固として撤回を求めます。
 本年9月25日、安全性に対する不安を拭い去れないまま、原子力空母ジョージ・ワシントンの横須賀母港化1周年をむかえます。
 日・米両政府は、9月1日のジョージ・ワシントン再入港にあわせ、さらにもう1艦の原子力空母の入港を強行しようとしているのです。この暴挙に強い憤りを禁じ得ません。
 このような事態を繰り返すことになれば、私たちが懸念している空母の2艦配備体制につながることは必定であり、充分な警戒が必要です。
 私たちは在日米軍再編やMD(ミサイル防衛)推進による基地の強化に反対し、その中で重要な役割をもつ「核空母の母港」としての横須賀基地を再認識しなければなりません。そして、市民・県民の不安をよそに原子力空母の入港を繰り返すなど、軍事的な動きを優先する状況を変えていかねばなりません。
 来る衆議院選挙においても、憲法改悪や日・米軍事一体化に反対し、私たち国民大衆の怒りを全国の仲間とともに示さなければなりません。
 横須賀市民、県民のみなさん、共にたたかいましょう。

2009年08月15日

200人参加し千鳥ヶ淵で「戦争犠牲者追悼、平和を誓う集会」

 

090815.jpg

 

豪雨水害などが各地で頻発する異常気象のなかで、ようやく夏の暑さを感じさせる8月15日、平和フォーラムは東京・千鳥ヶ淵の国立戦没者墓苑で戦後64年の「戦争犠牲者追悼・平和を誓う集会」を行い、各団体の代表など約200人が参加しました。集会はI女性会議の大塚優子中央常任委員の司会・進行ですすめられ、12時の黙とうに続いて、江橋崇・平和フォーラム代表、那谷屋正義・民主党参議院議員、福島みずほ・社会民主党党首(参議院議員)による「誓いの言葉」が述べられたあと、各団体・参加者による献花が行われました。なお、平和フォーラムは、千鳥ヶ淵墓苑での追悼を、衆議院は解散中のため、今年は江田五月・参議院議長について要請し、議長はこれに応えて参拝しました。
→平和フォーラムの誓いの言葉  →民主党  →社民党

2009年08月15日

戦争犠牲者追悼、平和を誓う集会誓いの言葉

フォーラム平和・人権・環境代表 江 橋 崇

 先の戦争における戦没者、犠牲者の皆様、今年も皆様にお会いして、不戦の誓いを新たにするこの日がやってまいりました。主催者の平和フォーラムを代表して、皆様に慰霊の誠をささげるとともに、ご遺族に心よりの慰藉を申し上げます。
 昨年、皆様に平和に向けた努力をお約束して1年が経過しました。この期間に、全世界的に高まる反戦平和の声に押されるように、これまで世界各地で戦争に奔走してきたアメリカでは政権交代が起こり、オバマ新政権はイラクでの戦争の終結と、核兵器の廃絶に向けた努力の決意を表明しました。日本でも、イラクに派兵されて最後まで残っていた航空自衛隊も撤退しました。
 こうして、世界の平和に向けてわずかな希望が芽生える一方で、北朝鮮によるミサイルの発射と核実験の強行は東アジアにおける平和を大きく脅かしています。ソマリア沖では海賊対策として自衛艦の派遣がおきました。アフガン、インド洋での軍事行動もやみません。わずかな希望に比べれば格段に大きな不安と懸念です。私たちは、平和を希求しながら倒れられた皆様のお気持ちをいっそう深く心に刻んで、戦争に向けたこうした試みにさらに反対の声を上げて、世界の絶対平和を追及しなければならないと思います。
 人は、亡くなられたあとでも、人々がその人を憶えている限り心の中で生き続けるといわれます。戦争において尊い命を犠牲にされた皆様は、アジア各地の戦争犠牲者とともに、人々によって記憶され、追悼されることによって私たちの心の中で生き続けることになります。皆様の平和への思いは、私たちの思いと重なって生き続けます。ですから、私たちは、毎年この地に集い、皆様とお会いして思いを新たにして平和の課題に取り組んできました。
 今、政治の場面では、宗教的に中立な追悼施設建設の是非が問題になっています。今月30日の衆議院議員総選挙を過ぎれば議論の趨勢が見えてくるでしょう。私たち平和フォーラムは、この場で毎年皆様を偲び、追悼する行動を行ってきた者として、改めて、国家神道の拠点である靖国神社における慰霊、追悼の行事への政府の参加、支援に反対し、それに代わる宗教的に中立な追悼施設の建設を期待したいと思います。そのことが、皆様と、また、同じくアジア・太平洋地域で展開された第二次大戦に倒れた多くの方々のお気持ちに応える道であり、平和への願いをさらに強める私たちの責務であると思います。
 今日は、戦火が止んで64回目の8月15日です。私たちは、これからの一年間、さらに平和への思いを強めて、来年の今日、皆様に、その成果を晴れやかにご報告できるように、いっそう努力します。皆様が私たちを静かにお見守りになり、お心安らかに過ごされるようお祈り申し上げます。

2009年08月09日

被爆64周年原水爆禁止世界大会・大会宣言

被爆64周年原水爆禁止世界大会

 1945年8月6日午前8時15分、8月9日午前11時2分。原爆が投下されたヒロシマは14万人、ナガサキは7万人もの尊い命が原子雲の下で即死、あるいは数日後に失われました。それから64年、放射能による被害は、いまなお多くの被爆者に容赦なく苦痛を強い、二世・三世も健康に不安をかかえて生活しています。生きとし生けるものに未曾有の惨害をもたらした日を、人類はけっして忘れてはなりません。私たちは広島大会、長崎大会の討議を通じて次のことを確認しました。

 世界は、いまだ2万2,000発とも言われる核兵器が存在し、核兵器保有国は米・ロ・英・仏・中の5ヵ国から、インドやパキスタン、イスラエルへと拡がり、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の核実験やイランの核開発疑惑など核拡散の動きが止まっていません。
 一方で希望も拓きはじめました。本年4月、プラハ演説でオバマ米新大統領は、「核兵器を使用した唯一の国として行動する道義的責任がある」とし、「米国は核兵器のない世界をめざす」と決意表明しました。その後、米・ロ間の新たな核軍縮条約の枠組み合意やG8サミット首脳会議声明など、具体的方策に多くのハードルはあるものの、世界は確実に核廃絶へと歩み出しました。

 被爆国日本は、核廃絶に大きな役割を果たす立場にあります。核兵器保有国の核大幅削減や包括的核実験禁止条約(CTBT)の早期発効など、2010年NPT再検討会議を実りあるものとするため、平和市長会議の「2020ビジョン」の実現を求める「核兵器廃絶1000万署名」のとりくみを成功させましょう。
 米国の核先制不使用は東北アジアの非核化に大きな意味を持ちます。日本政府は、米国の核の傘のもと、核の「先制使用」を容認し、非核三原則に反する核兵器持ち込み黙認の密約も明らかにされました。原子力空母横須賀母港化の強行や、沖縄をはじめ全国ですすめられる米軍再編とそれに連動したミサイル防衛(MD)などの軍事力を強化してきました。これは、北朝鮮の核実験やミサイル発射を招く要因の一つになっています。私たちは、北朝鮮に対する核開発の放棄と6ヵ国協議への復帰を求めるとともに、日本政府に対して平和的対話への転換を強く求めます。非核三原則の法制化と東北アジア非核地帯確立に向けてとりくみを強化しましょう。

 ヒバクシャをめぐる課題は、いまも、原爆症認定、在外被爆者、被爆二世・三世、被爆体験者など残されたままです。被爆者が高齢化するなかで根本的な解決は急務です。原爆症認定では、政府の基準で救済されない被爆者が司法の場で19回の勝利を重ねました。8月6日、ようやく政府は被爆者団体と集団訴訟原告の救済を合意しました。しかし、未だに認定を待つ8,000人をはじめ、支援を求める多くの被爆者が残されており、全面的解決へむけて早期に政治的決断をすべきです。手帳さえ持たない在韓被爆者は多数存在し、国交のない在朝被爆者はまったく放置されたままです。被爆二世・三世や被爆体験者については、支援の充実とあわせて、被爆者援護法の対象とすること、日本の戦争責任と戦後補償の問題として国家補償を明記する改正を求めましょう。

 2007年7月、柏崎・刈羽原子力発電所を襲った中越沖地震は、日本における原子力防災の困難性を明らかにしました。世界は再生可能なエネルギーに向かっているなかで、日本は、未だに原子力依存政策を積極的に推進し、原発の新設や、再処理・もんじゅ・プルサーマルなどのプルトニウム利用政策を継続しています。核拡散につながり、きわめて危険性の高いプルトニウム利用政策は絶対に中止すべきです。「エネルギー政策の転換を求める10・3全国集会(NO NUKES FESTA 2009)」に全国の仲間を結集しましょう。

 麻生自公連立政権は、米ブッシュ政権への追随と、自ら推進してきた新自由主義・新保守主義の矛盾のなかでその終えんを迎えようとしています。私たちがめざすものは競争社会ではなく協力社会であり、憲法にもとづいた平和と共生の世界です。政権交代による新しい時代の幕が開こうとしています。8月30日総選挙における野党の勝利をめざして全力でがんばりましょう。

 私たちは、核被害を根絶するため、世界のヒバクシャと連帯し「核と人類は共存できない」ことを明らかにするとともに、暴力と殺りくが繰り返される世界を変え、対話と共存を基本にした「核も戦争もない21世紀」を実現し、子どもたちに贈るとりくみを全力ですすめます。被爆64周年の大会に参加した私たちの総意として、あらためて内外に宣言します。

ノーモア・ヒロシマ、ノーモア・ナガサキ、ノーモア・ヒバクシャ、ノーモア・チェルノブイリ、ノーモア・ウォー!

2009年08月09日

被爆64周年原水爆禁止世界大会・長崎大会(2009年08月07日~09日 長崎)

 

090809.jpg

 

被爆64周年原水爆禁止世界大会実行委員会は、8月7日、ヒロシマ大会につづいて原水禁・連合・核禁会議の共同主催とした「核兵器廃絶2009平和ナガサキ大会」を行い、長崎県立総合体育館に3,900人の参加者を得て開催しました。大会は、黙とうにつづいて、高木剛連合会長が「原爆投下から64年、人類はいまだに核兵器の脅威にさらされている。被爆国である日本の政府は核廃絶に向け、国際的なイニシアチブを取るべきだ」と訴えるとともに、「核兵器のない世界」を提唱したオバマ米大統領のプラハ演説を踏まえ、「道は険しいが一日も早く地球から核兵器がなくなり、被爆者の抱える課題が少しでも早く解決に至るよう互いに力を尽くしたい」と主催者あいさつ。金子原二郞長崎県知事と田上富久長崎市長の来賓あいさつ、海外ゲストを代表し、国際労働組合総連合(ITUC)国連事務所長のジェンマ・アダバさん、ユニオンネットワークインターナショナル(UNI)書記長のフィリップ・ジェニングスさん、アメリカのNGOピースアクション代表のケビン・マーティンさんのあいさつが行われました。157カ国312組織が加盟するITUCのアダバ事務所長は「今日を、恒久平和の大義に向けた取り組みを再強化する瞬間にしよう」と呼びかけました。県被爆者手帳友愛会の中島正徳会長は、被爆直後の惨状や自身の体験を赤裸々に語り「核兵器は大量殺人が目的。核廃絶を世界に訴える」としました。平和ヒロシマ代表団のピース・メッセージにつづいて、若い世代を代表して高校生平和大使の新旧のメンバーがバトンを絶やさないよう未来につなげる報告と決意。スイス・ジュネーブの国連欧州本部に8月、核兵器廃絶を願う署名を届ける高校生平和大使の林田光弘さんは「みなさんの思いを背負って国連でスピーチしてきます」と決意表明。 約100人が参加する構成詩「親子で綴る平和の願いⅧ」の後、「ナガサキからの平和アピール」を採択し、「原爆を許すまじ」を合唱し、最後に川野浩一原水禁議長が閉会のあいさつを行いました。
第2日の8日には8分科会、4つのひろばと2フィールドワークの他、3団体によるシンポジウムも行われました。
第3日には県立総合体育館でまとめ集会を行い、約2200人が参加。川野浩一大会副実行委員長の主催者あいさつにつづいて、第12回高校生国連平和大使、核廃絶高校生1万人署名実行委員会からの訴え、長崎から沖縄へ原水禁平和行進のタスキリレー返還、海外ゲストを代表し、ポリネシア・フランス核兵器監視協会代表のブリュノ・バリオさんが連帯のスピーチ。また、福山真劫・大会事務局長が大会のまとめを報告。「オバマ米大統領の核軍縮への決意はわたしたちの仲間の声がもたらしたものだ。未来の世界に向けて責任を果たそう」「何としても核拡散防止条約(NPT)再検討会議を成功に導こう」と訴えました。「世界のヒバクシャと連帯し、核と人類は共存できないことを明らかにするとともに、対話と共存を基本にした、核も戦争もない21世紀を実現し、子どもたちに贈る取り組みを進める」との大会宣言が提案され採択されました。そして、爆心地公園までの平和行進、11時2分の黙とうを行い、原爆資料館を見学し大会日程を終えました。
→ナガサキからの平和アピール  →大会宣言  →ビデオ第1日  →ビデオ第2日  →ビデオ第3日
→連合ニュース詳報

TOPに戻る